令和の時代になって、今更ながら、日本には悪の組織が発生していた。
令和の時代というのが味噌だ。
日本というのが味噌だ。
今の時代、簡単に情報が共有されて恣意的に歪められて拡散される時代。
それでいて、左翼やリベラリストが幅を利かせる日本という場所。
もし少しでも後の時代だったら情報監視社会がより完成され動き難かっただろう。
もし日本以外であれば、例えば独裁者なんかと癒着して秘密裏に動いていたことだろう。
あるいは私が知らないだけで既に水面下で動きつつあるのかも知れないが。
なんにせよ、だ。
初動の遅さに定評のある日本政府はこれに対応ができないまま時間の経過を許した。
それは侵略的外来種の如き彼等が『定着』するのに充分な時間であり…
有り体に言えば今や『悪の組織』と『ヒーロー』の戦いは『日常』となっている。
敵性組織と認定し対処法案を成立させた頃には彼等は一部地域を実効支配していた。
活動家たちや自称・有識者たちもその後押しをする。
彼等は巧妙にも、そういった『支援者』たちへの飴は惜しまなかった。
……裏切り者に対しては鞭を躊躇しないことも含め、実に徹底していたのだ。
あらゆる報道機関には所謂『報道規制』というものが存在する。
SNSだってそれは変わらない。あまりに過激な投稿は削除、凍結の危険を伴うのだ。
だからこそ、それらは『過小評価』される。
彼等の真実えげつないやり口は徹底しており、公の場でおいそれと語れるものではない。
それでいて博愛主義の人々の対話による融和を説く舌鋒は緩められない。
思ったより彼等は危険ではないのではないか。
むしろ彼等と緊密に付き合うことである種のメリットも得られるかも知れない。
そんな『風説』が流れ始めるのにそこまでの時間はかからなかった。
情報戦は彼等に圧倒的に優位に働いた。
あるいはその手の機関に事前に工作員を送り込んでいたとしても不思議ではない。
そんな彼等への対抗組織、政府特務機関『HEROES』が設立されたのは必然であった。
遅きに失した国営機関。
既に『日常』に溶け込んだ彼等との終わりなき『いたちごっこ』を行う実働部隊。
そんな貧乏くじを体現したような組織に私は応募し、落選した。
そして今…──
「……さん、黒乃さん」
「あ、はい」
呼びかけに数拍遅れ自動的に返事を返す。
視線を上げればヒーロー課の新人くんがこちらを覗き込んでいた。
──
ヒーロー課に落ち、せめてその近くで働こうと事務職に応募したら通ってしまった。
御年24歳のしがない事務職員、それが私である。
なりたい自分にはなれなかった。
そして、ここは夢を叶えた誰かの姿を誰よりも間近で眺めなければならない場所。
正直なところ、誰かに誇れるような仕事でもない。
いや、どんな仕事だってそこにプライドを持って取り組む重要性は私も理解している。
つまるところ、私自身の気質というものなのだろう。拗ねているのかも知れない。
そんな思考を振り払い「ちょっと失礼」と声に出しゆっくり伸びをする。
事務作業で凝り固まった全身に酸素が流れ込んでゆく感覚。多少覚醒した。
それを自覚しながら私は声を掛けてきた『彼』へと笑みを浮かべた。
「それで、私にどういったご用件でしょうか? 緑
「ちょ、俺は緑
「フフッ、それは失礼しました。それで、緑川さん? 私で対処できる案件ですか」
ヒーロー課最年少の新人にしてグリーンを担当する現役ヒーロー。19歳。
本人はレッドになれなかったことに多少の不満がある模様。
確かにリーダーのレッドやヒロイン枠のピンク。
サブリーダーのブルーやムードメーカーのイエローと比べれば地味な印象は拭えないかも。
それでもヒーローにすらなれなかった私と比べれば雲泥の差。羨ましい限りだ。
「……あ、はい! この報告書についてなんスけど書式が分からなくて…」
「あぁ、これですか… 少々お待ちくださいね。今PDFで…」
「……う、ウス! 気合い入れて聞くッス!」
彼の機械音痴は筋金入りだ。
そもそも落ち着いて書類仕事をするということからして彼には向いていない。
少し気の毒になった私は聞いてみた。
「良ければ代わりにやりましょうか? サイン等は緑川さん自身のものが必要ですが」
そう水を向けてみれば、彼は一瞬頷きそうになってから慌てて首を左右に振った。
「い、いえ! ありがたいッスけど、苦手なことから逃げてちゃ成長しないんで!」
そのさまがなんだか可愛らしくて思わず表情が綻んでしまう。
「そうですか。それでは一緒に勉強しましょうか。……多少、お時間頂戴しますね?」
「………。あ! は、はいッス! よろしくゴシドーゴベンタツのほどお願いするッス!」
「フフッ、どういたしまして」
真っ赤になって慌てる彼に着席を促しながら教え始める。
私の事務机の横に椅子を一つ並べモニターに顔を近付けてくる。
短く揃えられた彼の頭からはお日様の匂いが漂ってきた。まるで運動少年だ。
……そしてそんな彼へのご指導ご鞭撻は困難を極めたのであった。
安請け合いしたことを若干後悔する程度には。
漸く本日分の作業を終えた頃にはとっくに定時を回っていた。
大きく伸びをする。今度は「ちょっと失礼」と声をかけるような真似はしない。
彼の機械音痴には散々苦しめられたのだ。これくらいは黙って許容してほしいものだ。
施錠をして出ると土下座せんばかりの勢いで彼が頭を下げてくる。
「いや、ホンットーにご迷惑をおかけしたッス!」
「もう良いですって。それより『ありがとう』って言ってくれた方が嬉しいですね」
「……はい?」
「誰かに感謝された方が『ヒーロー』みたいで気分がいいでしょう?」
うん、言ってみて思ったが悪くない考えだ。
しかも本物の現役ヒーロー様に言ってもらえるのだ。私の虚栄心は鰻登りとなるであろう。
そんな私の言葉をどう受け取ったのか、彼は少し居住まいを正し、大声で言ってきた。
「ありがとうございましたッス! 黒乃さんは俺にとって立派なヒーローッス!」
真っ直ぐな善意が少し眩しくて、現役ヒーローとの温度差を如実に感じ取って。
「うむ、よきにはからえー… なんて。フフッ、こちらこそありがとうです。緑川さん」
なんて、私は冗談めかして返してしまう。
そして二人で暫し笑い合う。
すると、緑川さんが彼らしくもない蚊のなくような小声でボソボソ告げてきた。
「あ、あ、あの… 遅くなっちゃいましたし良かったら晩御飯でも奢らせて貰えればと…」
「………」
「……黒乃さん?」
少し、驚いた。
彼なりの好意は感じ取っていたが、『そういう類』のものではないと勝手に考えていた。
いや、現時点で決めつけるのは早計か。彼が誰にでも『そう』である可能性は高い。
とはいえ、やはり返せる返事は一つだ。
「フフッ、残念ですが黒乃結希を食事に誘うには好感度が足りてませーん!」
「そ、そんなぁ~…」
「なんて、本日はちょーっと用事があるだけなんですけどね? フフッ、ざーんねん♪」
「そ、そうなんスか!? じゃ、じゃあこんな時間まで付き合わせちゃって…」
「なんの、推しのライブは夜からが本番ですから。まだぜーんぜん間に合いますとも」
存在しない架空のVTuberを言い訳にお誘いをかわさせていただく。
露骨に安堵し胸を撫で下ろしてくれる緑川さん。
これで良い。
これが良い。
「もしまたいずれ誘ってくれるなら六本木のビルの最上階のレストランでよしなに!」
「うぇ!? お、おう、ドンと来いッスよぉ!?」
「お、言いましたねぇ? フフッ、たーのしみぃ♪」
軽く手を上げ、そのまま歩き出す。
彼は少し迷ってから、別方向へと歩き出したようだ。
少し肌寒い夜風が火照りそうになる肌を軽く冷やしてくれる。
心地好さに少し目を細め、ほどけかけた髪を直す。
私は先程まで作っていた笑顔を落とし、表情を消して足を進める。
分かっている。
彼は良い人だ。
分かっている。
彼に悪気はない。
分かっている。
問題があるとすれば私の方だと。
あのまま彼の好意を受け入れていずれ家庭を築く。
それはきっとこの上ないハッピーエンドだろう。
胸に燻るこの火種も、きっと彼と想いを交わせば慕情に変ずることだろう。
多少の衝突はあっても、彼はきっと話し合い、譲ってくれると思う。
優しい人だから。
「……それでも」
嗚呼それでも、だ。
この火種は『恋』となり得ても、『愛』とはなり得ない。
私にとって『彼等』は根絶すべき『害虫』であり、
ヒーローになれなかった自分自身に『価値』など見出だせないのだから。
(……だって、アイツらは家族の命を)
そう、全て平等に価値がない。私にも、アイツらにも。
そんな私が未来の『幸せ』を願うなど滑稽にもほどがある。
国は動かなかった。国民は邪魔をした。
だったら自分でやるしかない。
復讐。
それこそがこの胸に宿る陳腐な想いのその全て。
この火種は消せない。
消したくない。
消させない。
誰にだって。ヒーローにだって。
だから、きっと、私はヒーローにはなれない。
その笑顔には憧れるけれど。
遠い昔に失くしたはずの何かを思い起こさせて胸が痛むけれど。
それは、もう、きっと、遠い遠い『他人事』に過ぎないのだ。
ふと空を見上げる。
星がまたたいていた。
夜空に浮かぶそれはまるで、彼みたいで。
手を伸ばす。
当然届かない。
遮るものはなにもないはずなのに、空と私を隔てる『何か』にふと気持ちが重くなった。
「よし!」
頬を張る。
気合を入れる。
「明日もお仕事がんばろー! おー!」
本当は怪人どもをぶっ殺そう! とか言いたいけれど。
それを口にしたらコンプライアンス上の様々な問題が生じる昨今。
げに悔しきは宮仕えかな。
そうやって自分を誤魔化せているうちはきっとがんばれるはず。
そう考えて、私は足取り軽く自宅への帰路につくのであった。
大切な人たちの血と善意で舗装された道を歩く感覚を忘れぬままに。
黒乃結希(24)
女性。身長162cm、体重ひみつ(52kg)の眼鏡美人。
いつも笑顔で明るくジョークも言える事務職員だが擬態である。
精神面の不安定さを見抜かれヒーロー選考には落選した。
当時の職員さん、英断です。
試験そのものはぶっちぎりでトップだったのでブラックになるかもしれなかった。
なお、追加戦士として徴用される予定はない模様。
緑川春翔(19)
男性。身長169cm、体重65kg。やや筋肉質。
みんなの後輩としてヒーロー課では可愛がられている。
ヒーローになるため田舎の親元を離れて上京してきた苦労人でもある。
犬好きで犬に好かれやすくランニング中に散歩中の犬によく懐かれている。
趣味はスポーツ全般で特にバスケが好きだが頭を使う作業はかなり苦手。
ヒーロー課の男性陣で一番背が低いのが悩みのタネ。