百合の間に挟まりたくないけれどなぜか向こうから挟みにくる(仮)   作:匿名さん

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11話『いわゆる一つの強さ』

「迅、ちょっと手伝ってよ」

 

 

いつものように味気ないプロテインを流し込んでいる俺に、莉緒が声をかけてきた。

 

 

「……なにを?」

 

「日記」

 

「ん??」

 

 

見れば、莉緒はテーブルの上に、立華琴音との例のワインレッドの交換日記を広げている。

 

 

「んー、ネタとかないかなぁ、と」

 

「ネタとかってそれ、莉緒と立華の日記だろ?」

 

「そうだよ?」

 

「じゃあ、俺が絡んじゃマズイんじゃないか?」

 

「そう? なんで?」

 

「なんでって、そりゃ立華は莉緒と交換日記がしたい訳だろ?」

 

「うん?」

 

「そこに俺が出てきたら邪魔になるだろ、立華的に」

 

「んー……」

 

 

莉緒はペンの後ろでトントンと頬を叩きながら、小首を傾げる。

 

 

「なにを迷っているんだ?」

 

「それだと、私と琴音で完結しちゃう」

 

「まぁ、交換日記ってそういうものじゃないのか? 俺も詳しくは知らないが」

 

「そうだけどー」

 

 

莉緒の考えることはよくわからない。その思考回路はいつも謎だ。

長い付き合いだと思っていてもわからないことばかりで、それはきっと当たり前のことなのだろうか?

そもそも、交換日記にしたいと言い出したのは莉緒の方なのだから、交換日記がどういうものか理解してそうなものだけど。

 

 

「とにかく、自分で書けよ」

 

「……ふぅん、わかった」

 

 

俺が再びプロテインを口に運ぶと、莉緒は日記帳に向かい、さらさらとペンを走らせ始めた。

 

 

「『今、迅と一緒にお話をしながらこれを書いています』、と」

 

「おい正気かお前。やめろ、よせ。俺の名前を出すな」

 

「えーなんでよ、けち」

 

「だからな? 立華はお前との蜜月を愉しみたい訳であって!」

 

「やけに琴音のこと、気にかけるじゃない」

 

 

嬉しそうに笑う莉緒の顔を見て、俺は短く息を吐いた。

 

 

「こんなのでも、俺はあいつの臨時コーチだからな。やれることはやってやりたい。プールの中でも外でも。俺が今まで格闘技をしてきて、皆に支えてきてもらったように」

 

「へ~~」

 

「なんだよ?」

 

「やっぱ教え子は可愛いかぁ」

 

「あのなぁ、お前もっと常識で物事考えろよ」

 

「照れてやんの」

 

「照れてません」

 

「いいや、照れてる筈だー」

 

 

ニヤニヤとからかってくる莉緒の言葉を遮り、俺は話題を戻した。

 

 

「大体、無理にネタなんか探さなくても、立華が書いてきたことに反応して何か書けばそれでいいだろうがよ」

 

「んー…………」

 

 

莉緒が、ひどく渋い顔をする。

 

 

「なに、その顔は」

 

「いや、まぁ、ちょっと見てみてよ」

 

「人の日記を覗き見るほど趣味悪くないぞ、俺は」

 

「こないだはガッツリ見てたじゃない」

 

「おかげで俺は普通にぶん殴られたけどな」

 

「言うからよ」

 

「言わなきゃいいってもんでもないだろう」

 

「そう?」

 

「そう」

 

「ふぅん、……あ、それっ」

 

 

莉緒の不意打ちだった。

 

 

「うわ、何するんだおい」

 

 

目の前数センチに押し付けられた日記帳を、俺は慌てて払おうとする。

莉緒はすっと日記帳を自分の胸元に戻し、意地の悪い笑みをこちらに向けた。

 

 

「見たね? 見たよね? これでもう、全く見なくてもバッチリ見ても一緒だよね?」

 

「……お前、マジか」

 

「ほらほらまぁ、とにかく読んでみてよ。そして私の苦悩を知って」

 

「苦悩とまで……」

 

 

本気で立華が可哀そうになってくる。

でも確かに興味は惹かれる。

 

 

「はぁ……。すまん、立華」

 

 

つまるところこれは、いわゆるひとつの不可抗力という奴だ。

俺は覚悟を決めて、片方の手を莉緒の前へと差し出した。

 

 

「はい」

 

 

莉緒が日記帳を渡してくる。

開かれたそのページに目を落とす。

 

『あなたが微笑んでくれると目の前におとぎの国が広がるの』

 

バタンッ。

 

 

「大体わかった。もう大丈夫。相談はのるからもう大丈夫だから」

 

 

俺は急いで強制的に日記帳を閉じた。

冷汗が止まらない。

 

 

「わかった?」

 

「うん、わかった」

 

 

立華としては大マジなんだろうけどな。

 

 

「そうなんだよねぇ、だから私も力作を返さないと」

 

「力作とかそういうものでない気がしなくもないんだが……。本当は交換日記なわけだしもっと自然でいいんじゃないのか?」

 

「でも、流れ的にはそんな感じじゃない?」

 

「ん? そう、なのか……?」

 

「まぁ、そんな訳で、迅にもちょっと手伝って欲しいのよ」

 

「そう言われてもな……」

 

「名前出さないからさ」

 

「……名前出さないって言われてもなぁ」

 

「もぅ、ハッキリしないわねー」

 

「ハッキリしないと言われてもな……」

 

 

のらりくらりとかわそうとする俺を見て、莉緒は「むぅ」と小さく頬を膨らませた。

ふと、疑問が湧く。

 

 

「そういえば莉緒は何書いてるんだ?」

 

「えっ?」

 

「立華はこれが2回目だ。ということは、だ。間に莉緒のが一回はさまっているはずだと思うわけだが。……って、ああ」

 

 

ページ、逆に捲ればわかるか?

開いたページの端に指をかけた瞬間。

 

 

「あっダメっ、捲っちゃだめっ」

 

 

慌てて日記帳を手で押さえる莉緒。

 

 

「なんでだ? 立華のは見せておいて自分のは見せないっていうのはどうかと思うぞ?」

 

「それとこれとは別なのっ」

 

「何が別だ、何が」

 

「恥ずかしいもん」

 

「だから、それがどうかと思うのだが……」

 

「とにかく見ちゃダメっ。見ちゃヤダ」

 

「そうか……」

 

 

俺は素直に日記帳を閉じた。

 

 

「よしよし、いい子だ」

 

 

莉緒も安堵したように手を戻す。

 

 

「なにが『いい子』なんだか……」

 

 

俺は肩をすくめて見せた。

――とか言って、隙あり。

 

 

「えっ? あっ!」

 

 

莉緒に背を向けて、電光石火の早業で日記帳を開く。

さりげなく指を挟んでおいたから、さっきのページがすぐに広がった。

 

 

「あっ、あっ、あーーっ」

 

 

莉緒の悲鳴を背中で聞きながら、俺は前のページへと視線を滑らせる。

 

『何を書いたらいいのかわからないままで公園のベンチに座っています。

海の中から迫るのは季節に似合った夕暮れ。

頬も瞼も彼岸花色に染めます。

波の狭間から響くのは私に見合った口癖、それらしい演技です。

「あしたになればすこしはきっとましになるわ」

たそがれて うらぶられて

ひとり笑うことはできません。

あいされて いやされて

泣きわめく事もできません。

明日はきっと来るのでしょう ひかりはきらきら降り注ぐのでしょう。

輝きは強すぎて、愛しさも歓びも色褪せ消えて逝くのです。

 

だから私は、

 

流されて、酔いどれて、波の底。

 

おひさまの届かない海の底。

沈んでしまいたいと思うのです』

 

 

「……これは」

 

「な、なによ」

 

「滅茶苦茶重い、暗いんだが」

 

「いや、ちゃんと普通に日記になってる部分もその前のページにあるのよ!? この部分は、いわゆるひとつの琴音への返歌っていうか!!」

 

 

莉緒の書いたページを読んでがくがくと震える立華の姿が目に浮かぶようだ。

 

 

「ああ、なるほど」

 

 

立華の書いた最新のページを改めて読むと、これは、なんとか明るい雰囲気へもっていこうとしている様子がわかる。そう考えると立華の一生懸命さ加減に涙が……。

 

 

「仕方ないじゃない! 思いつかなかったのよっ!! 延々と何を書いていいか迷って夕暮れになるまで公園のベンチに座ってれば、こんな気持ちにもなるわよ」

 

「というかなんで『酔いどれ』なんだ……」

 

「そう? いいフレーズだと思ったんだけどなぁ」

 

「とりあえず返すよ、ほら」

 

「ああ、どうも」

 

 

わざわざお辞儀して受け取る莉緒。

 

 

「とりあえずご苦労様」

 

「まぁ、そーゆー訳でしてっ」

 

「手伝えってことか」

 

「そうそう。宜しくですぅ」

 

「うーん……仕方ないな……」

 

「やったね! さんきゅっ迅」

 

 

手放しで喜ぶ莉緒を見ていると、立華に悪い気がしてならない。

 

 

「で、どうしたらいいんだ?」

 

「なんかネタだしてよネタ」

「……実際に書くのは自分でやるんだぞ?」

 

「それは勿論でしょう。私と琴音の日記だもの」

 

「じゃあ俺を巻き込むなよ?」

 

「それはそれ。みんな一緒の方が楽しいじゃない」

 

「そういうコンセプトならさゆりや綾音ちゃんやらも混ぜとけばいいんじゃないか、いっそのこと」

 

「…………おぅ」

 

 

俺の言葉に、莉緒がぱちくりと目を丸くした。

 

 

「ん? なに? どうした?」

 

「それだ!」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね」

 

「俺ももう、どうしていいかわからなくてだな」

 

「私は構わないけれど?」

 

 

巨大な城のような洋館。白帆島を屈指の名士、風畑家の本宅。

俺はさゆりの家の居間で、座卓を挟んで向かい合っていた。

高級な木材の座卓らしい。使い込まれてきた年数を、そのまま重厚さに変えたような表面の鈍い輝き。

麦茶のコップを置くと、コトンと心地よく耳の奥へと響く音がした。

 

窓を開け、扇風機を回している。

クーラーの効いた部屋、例えば地元の人気店のコンチェルトなんかとはまた違う、肌に馴染む自然の涼しさがある。

 

流石、風畑の本宅だ。

時折、庭に水を撒く音が聞こえる。

 

水を撒いているのは、使用人のチヨさんだ。

この家には、さゆり専属の使用人であり今は訳があって学校を休んではいるが琴音と仲が良い同じクラスの凛子ちゃんと、その上司であるウシミさんと言う使用人がいる。

彼女たちの姿が洋風の『メイド』ならチヨさんは純然たる『お手伝いさん』と言えるだろう。

和装の似合う美人で、先年なくしたという夫は5歳年下の作家だったと言う。

作家夫人の生活なんてものがどんなものなのか、学生の俺には想像も付かない。しかし、苦労してきたのだろう。その顔にはいつも、人生の大事な部分を諦めているような物憂げな色が浮かんでいた。

 

 

「莉緒も面白いことを考えるわね」

 

「……あっ、そうだな」

 

「ぅん? どうしたの?」

 

「いや、さゆりの家に来るのも久しぶりだなって思って」

 

「遊びに来なさいよ、ちょくちょく。迅くんならいつでも大歓迎だから」

 

「そうは言われてもな……」

 

「スポンサー契約とかそんなものは関係なくて、いつでも来たいときに来ていいのよ?」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、さゆりは忙しいだろ? 稽古が多くて」

 

「それは、そうだけども……」

 

 

今はまだ午前中。莉緒はもう部活に行っている。

さゆりの家に来たのは俺ひとりだ。

迂闊なことを言ってしまったかな……と少し反省する。

 

 

「いいじゃない。きっと楽しいわ」

 

「そうか? 立華に許可をとらないといけない訳で、それが少し気が重いんだ……」

 

「あら。琴音さんに話すのは莉緒じゃないの?」

 

「ああ……そうか、そうだよな。よく考えたらそれが間違いないか」

 

 

さゆりが小さく笑った。

 

 

「優しいのね、相変わらず」

 

「莉緒的にも損していると思うんだけどな、俺がネタ出ししないわけだからな」

 

「迅くんも書くの?」

 

「ああ、いや、そうだよな。書かなければいいんだな、うん」

 

「せっかくだから書けばいいのに。私は迅くんの書く日記、すごく興味あるけれど」

 

 

独り言のように言ってから、さゆりが後ろを向く。

 

 

「ちょっとごめんなさいね」

 

 

何やら小さな四角い端末を取り出し触る。

 

 

「これ、ポケットベルなの」

 

「ポケットベル?」

 

「ポケベルはサービスを終了してるけれど、風畑グループの通信部門が独自のネットワークで作った『試作品』なの」

 

 

さゆりは事もなげに言って、ふふっと微笑んだ。

 

 

「今、うちの系列病院やセキュリティ部門の限られた範囲だけでテスト運用しているの。一般的なスマホの電波が届かない地下の最新リハビリルームでも、これなら確実に連絡が取れるわ」

 

「なるほど。そう聞くと便利そうだし個人的にそのシンプルなデザインは好きだな

 

「そうでしょ? それにね、使ってみると意外と便利なのよ? SNSもニュースも見れないけれど、ただ必要なメッセージだけが確実に届く。……外部からの余計なノイズに邪魔されずに済むから」

 

 

なるほど、といまいちよくわからないまま生返事をする。

でも交換日記の話から、こういう展開になるとは思ってもみなかった。

 

 

「あら?」

 

 

電話が鳴った。さゆりが電話機のほうを向いて受話器を取る。

 

 

「はい。ええ、リビングにいるから、ちょっと来て頂戴。お願いね」

 

 

俺は麦茶の入ったコップに手を伸ばす。

ひと口ですぐ、残っていた分を飲み干せてしまった。

扇風機が回っている。首を振っている。

 

さゆりが俺の隣に移動して座った。

口元に微笑み湛えたまま、庭の方へと目を遣る。

チヨさんが水を撒く音はもう聞えていない。

顔を戻さないさゆりの視線に合わせて俺も、庭へと目を遣った。

 

――ふと。

 

右の小指をくすぐられる感触。さゆりの左手の小指が絡まってはほどけて、を繰り返している。

驚いて隣を見ると、さゆりはいつの間にかこちらを真っ直ぐ見つめて相変わらず優しく微笑んでいる。

 

くすぐられている小指を見つめて、さゆりに視線を戻して、『どうしたんだ?』と首をかしげて視線だけで問いかけてみる。

通じているかはわからないが。

さゆりが少しだけ驚いたような表情をしたあとに笑みを深くし、ぎゅっ、ぎゅっと小指を今度は解かず何度も絡めて緩めて絡めなおす。

気恥ずかしさに何となくその指を離そうと思ったが、ぎゅっと捕まって離れられない。

 

 

「さゆり......?」

 

 

実際に急かどうかはわからないが、さゆりが気まずそうにしている。

なにか火が付いた、という感じは伝わってくる。

絡めた小指、いつの間にかすべての指を絡めるように、さゆりは俺の手を握るとさっき俺がしたように小首をかしげた。

 

……不覚にもドキッとして

 

 

「あざとい」

 

 

思わず呟くと、さゆりは嬉しそうに頬を赤らめて「ありがとう?」と返してきた。

すると、廊下から足音が聞こえてくる。

ここへ近づいてくる。

 

 

「制限時間があるとドキドキするわね」

「――――迅くんもそう思う?」

 

 

その問いに何とも答えられず視線を逸らすと、「可愛い」と頭をゆるく撫でられる。

コンコン、とドアがノックされると指と手が解放されて、さゆりは「続きはまた今度」と笑った。

 

 

「凛子、入っていいわよ」

 

「はいっ。失礼します。大海先輩、こんにちは」

 

「ん、こんにちは」

 

 

入ってきたのは使用人の凛子ちゃんだった。

 

 

「それでえっと、なんでしょう? お嬢様」

 

「とても面白いことになったわよ」

 

「はい?」

 

「凛子のおかげね」

 

「え? はぇ?」

 

 

さゆりは凛子ちゃんの顔へ視線を向けたまま、機嫌良さそうに笑っている。

凛子ちゃんはきょとんとしていた。さゆりの微笑みの意味を理解できなかったのだろう。俺にもよくわからない。

 

 

「あっ、そういえば」

 

「はい?」

 

「先ほど、オレンジが届いたんですよー」

 

「あら、どこから?」

 

「達城さんですー」

 

「ああ、なるほど」

 

「はいー」

 

 

さゆりの目が俺のほうを向いた。

中身のなくなったコップに目を落としてから、凛子ちゃんの方を向く。

 

 

「それじゃあジュースにしましょうか」

 

「あっ。はい」

 

「凛子、スクィーズして?」

 

「はいっ」

 

「私のと、迅くんのと、凛子の三人分ね?」

 

「えっ。私もですか?」

 

 

驚く凛子ちゃんに、さゆりは優しく微笑みかける。

 

 

「凛子にはちょっと話があるの。だから一緒に」

 

「ぇぇぇええっ!?」

 

「ああ、ごめんなさい。大丈夫、悪い話じゃないから安心して」

 

「……ぅ……あ……はい……」

 

「それじゃあお願い」

 

「はぁ……」

 

 

不安げに縮めた目で生返事を返し、凛子ちゃんが廊下を戻っていく。

 

 

「……困っちゃう」

 

「ん? なにがだ?」

 

「凛子ったら本当、些細なことで怯えるのだもの」

 

「ああ……」

 

 

俺が苦笑すると、さゆりも息を吐いた。

 

 

「元々の性格もあるんだと思うんだけれど、難しいな。私、何かしたのかしら。……はぁーーーーーっ」

 

「それほどさゆりの存在が凛子ちゃんにとって大きいのかもな」

 

「もっと打ち解けてくれたらいいのに……」

 

「中々、そうも行かないんじゃないかな」

 

「立場上?」

 

 

俺が軽くうなずくと、さゆりは少し寂しそうに目を伏せた。

 

 

「先輩後輩って関係だって大変なんだから、雇い主と使用人だとなおさら難しい気がするな」

 

「迅くんと琴音さんは上手くいってるじゃない」

 

「あいつが傍若無人なだけだな、あれは」

 

「なるほど。つまり礼儀をわきまえていすぎるというのも結構な問題って、そういうこと?」

 

「ふぅ……」

 

 

さゆりのため息を聞いて、俺は口を開いた。

 

 

「溜息をつくと幸せが逃げていくぞ」

 

「……誰にでも好かれたいと思うのは、我儘なのかしらね?」

 

「傲慢だなそれは。だけど、間違っていないよ。誰だってできるならそうありたいはずだから」

 

「迅くんは違うでしょ」

 

「……俺のことは置いておいて、実際に好かれているだろ、さゆりは」

 

「そうかしら?」

 

「風畑のご令嬢ってだけで妬む奴らはいるだろうけどさ。そんなもの相手にしてても仕方ないしな」

 

「ああ、それは迅くんのおかげでどうにかなったけれど……。そのほかだったら、大体においては好印象じゃないのか」

 

「……『好き』って気持ち自体が、まだ良くわからないのよ。ここ最近では誰かさんのおかげでだいぶわかってきたつもりだけど」

 

 

意味深に向けられた視線に「やめてくれ」と手を振る。

さゆりは、好かれたい、けれど好きという気持ちがわからない、と難しく困り、眉を寄せてしまった。

 

 

「それじゃあ好かれているかどうかって言うのもわからないんじゃ」

 

「そうね。……でも、なんか今、私に向けられているものは『好き』というのとは違う気がする」

 

「考えすぎだぞさゆり」

 

「そうかもね、ただ……」

 

「ただ?」

 

「努力をしなくちゃ誰にも好かれはしないと思うのだけれど、どう努力すればいいのかわからなくて」

 

「努力は必要ない」

 

「していたいの、空回りでも、何か」

 

 

さゆりは少しだけ遠くを見るような目をして、電話台とは別の壁際に置かれたステレオのほうへ目を遣った。

 

 

「何か音楽でも聴く?」

 

「そういえばさゆりって、普段、どんな音楽を聴いてるんだ?」

 

「どんなのって……普通よ」

 

「さゆりの普通はレベルが違うしなぁ」

 

「そんなことないわよ。普通は普通。エアチェックだってすることあるのよ」

 

「メタルテープで?」

 

「メタルテープはお父様のデッキでないと録音出来ないから……」

 

 

どこか住む世界の違いを感じさせる会話に、俺は少しだけ苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいんですかね? 本当に……」

 

「何を気に病む必要があるのよ」

 

 

午前11時になって三人でさゆりの家を出た。

さゆりはこれから、ピアノのレッスンに向かう。中途半端な時間なのは向こうの先生と昼食の約束をしているからとのことだった。

凛子ちゃんは買い物だ。私用ではないので仕事着のままで、買い物用バッグを膝の前に提げている。

 

 

「私なんかが書いたら紙面の面汚しでは……」

 

「そんなことないよ」

 

「そうですかね?」

 

「ええ。安心していいわ」

 

「でもでも、琴音は七瀬先輩と二人きりの世界を愉しみたいのではないかと……。そう、思うのですが……」

 

「そうだよな。それは俺も莉緒に言ったんだが……」

 

「いいじゃない。便乗させてもらいましょうよ」

 

「さゆり……」

 

「なに?」

 

「もしかして、楽しんでいるのか?」

 

「ええ、とても。琴音さんには悪いけれど」

 

「……あぅ~」

 

 

頭を抱える凛子ちゃんを見て、さゆりは艶やかに微笑む。

 

 

「凛子は複雑そうね」

 

「そんなに簡単に気持ちの切り替えなんて出来ませんよぅ。大体、あとで琴音に恨まれるの私なんですし……」

 

「ふふふ、そうね。ごめんなさい」

 

「あっ! いえいえっ。私のほうがすみませんですっ」

 

「それじゃあね、迅くん、私はここで」

 

「ああ、それじゃあ」

 

「お嬢様、お気をつけて」

 

「ええ。迅くん、さっきも言ったけどいつでも遊びに来ていいからね?」

 

 

さゆりが背を向けて駅のホームへ向かって歩いていく。

 

 

「お嬢様なんだから車で送迎してもらえばいいのにな」

 

「遠い場合はそうします」

 

 

自分のことのように凛子ちゃんは言う。

 

 

「近いと電車なんだ?」

 

「『なるべく世間様と繋がりを持っておきたい』のだそうです」

 

「そうか、大変だな、さゆりも」

 

「ええ、大変ですよぅ。大変だと思いますです」

 

「使われてる凛子ちゃんも大変だけどな」

 

 

俺たちは商店街の方へと歩き始める。

さっき通ってきた場所へ戻ることになって、凛子ちゃんにとっては二度手間だ。途中で別れて俺は白帆学園に向かう。

 

 

「そんなことないですよ」

 

「働き者だ、本当に」

 

「……そのお陰で暮らしていけるんだし、私は」

 

 

何気なく呟いただけだったとしても、なんだか凛子ちゃんらしくない。

もっともっと明るい子だったはずだ。

 

 

「さゆりはもっと凛子ちゃんと……」

 

「はい?」

 

 

慎重に頭の中で言葉を選んだ。

あんまり気を負わせては逆効果だ。

 

 

「親しくなってほしいって思ってるみたいだけど」

 

「あはは……」

 

 

凛子ちゃんの口から零れた笑いが、乾いて響く。

言い方がまずかったか。下唇を前歯で軽く噛む。

 

 

「要するに、だ」

 

「はい」

 

「さゆりにとって凛子ちゃんの代わりはいないんだと思う」

 

 

わかりやすければいいけれど、上手い言葉が出せない自分が情けない。

でも、それくらい好ましく思っていて仲良くなりたいんだと思っているはずだ。

 

 

「うぅん?」

 

 

凛子ちゃんは首を傾げてしまう。

 

 

「代わりなんて幾らでもいますよ?」

 

「仕事じゃなくて、それもヌキにしても、ってことだよ」

 

「たははっ。だったら、尚更ですよぅ」

 

「…………」

 

「身分が違いすぎます」

 

 

なんだかな。さゆりも凛子ちゃんもそろって考えすぎなところがあると思う。あのご主人様にしてこのメイドあり、と言った感じもする。

 

 

「そんなことないですよ」

 

「大体、ドが付くほどの一般人の俺や莉緒だって平気で友達やってるんだぞ?」

 

「私は雇われている身ですから」

 

「それはそうだけど、それとはまた別に……」

 

 

俺は、さっきさゆりに難しいと言っていたような。

まぁ、その辺はこの際、都合よく忘れておこう。

 

 

「そうでなくてもやっぱり私では、いわゆるひとつの分不相応ってやつですよ」

 

 

唇を閉じる。

凛子ちゃんは俺の目をじっと見ていた。口元には大きな笑みが乗っかっていた。

それが、とても悲しげだった。

 

 

「それに、大海先輩は七瀬先輩や自分のことを一般人っておっしゃいましたけど、この島の有名人ですし」

 

「それは、さゆりが俺たちと仲良くしてくれてるのとは関係ないことだ」

 

 

でも、凛子ちゃんの笑顔をみると、辛い気持ちが少しした。

 

 

「凛子ちゃん」

 

「はい?」

 

「立華ともそういう感じなのか?」

 

「琴音とは友達です」

 

「友達辞めろと言われたらすぐに止める?」

 

 

苦笑交じりに軽く、気をつけたつもりなのに、責めるような口調になってしまった気がした。自分の未熟さをまた恥じる。

怪我をして、何もできない空っぽの自分。何者でもない自分。こんなにも誰かを傷つけてしまう浅はかな人間だったのか俺は。

泣いてしまうかもしれないと思った。

 

 

「はい」

 

 

予想に反して彼女は明るく力強く答えた。

それが強さなのか、弱さなのかそれ以外の何かなのか。

理解したくてゆっくりと自身にその言葉を落とし込んでいく。

 

 

「例えば、誰かから1000万円を貰って琴音と友達でいるのをやめなさいって言われたら、私はそうします」

 

 

彼女の笑顔は強さを増していく。

 

 

「金の問題じゃないはずだろ? 友達は少なくとも俺にとっては家族と同義だ。例え相手がそう思っていなくても。家族のためなら俺は命を張れる」

 

 

毒づくようになってしまって、ダサいなと思った。

 

 

「100万円でもいいですよ」

 

 

笑いながら言っているけれど冗談には聞こえない。

 

 

「琴音には友達が沢山いるし……」

 

 

どんなに沢山いても、凛子ちゃんは一人だけだ。

さっきからそれを言いたい、伝えたい、けれど。

酷く軽率なような気がしてとても、言えなかった。

 

 

「琴音って私と違って自分から友達を作る事が出来る人ですから。学校を休んでいる私のことなんて忘れてるかもしれません」

 

「ちがう。それだけはありえない。凛子ちゃん、俺の言葉は何一つ意味がなくて無価値に聞こえるかもしれないけれど、それだけは違う」

 

「…………すみません」

 

 

申し訳なさそうにする凛子ちゃん。

 

 

「それに友達なんて、少し頑張れば凛子ちゃんにだって出来るようになるよ」

 

 

俺は苛立つのを無理して笑った。

浅い、見当違いな言葉。そんなものしか言えない自分に腹が立った。自分が酷く軽薄に思えて、叱るなんてことはできやしない。

 

 

「それだったら、無理してまで友達でい続ける必要はないじゃないですか」

 

「どこにも」

 

 

凛子ちゃんが静かに目をつむる。

 

 

「――――――だから、私は琴音が大切なんです。私と友達でいてくれるから」

 

「そっか」

 

「琴音を不幸にしたいとかそう言う人なんだったら、一億円でも渡しませんっ」

 

 

パッと目を開き、力強く言い放つ。

 

 

「100億円でも嫌ですっ!」

 

「そうだな」

 

 

真っ直ぐな視線を受け止めきれず頷きながら、誤魔化すように空を見る。

意地になっている凛子ちゃんを見て、俺は笑いながらこみ上げてくるなにかを堪えた。

 

 

「80兆円でも嫌です!!」

 

 

これが、人の、この子の強さだ。美しさだ。尊さだ。

この輝きが見たくて俺は競技の世界に飛び込んだ。でもそれは、スポーツの中だけにあるものじゃない。

 

 

「もう、国家予算なみだな」

 

 

ただただ、嬉しかった。

怪我で立ち止まっている俺の空っぽの心に、彼女の不器用で真っ直ぐな強さが、じんわりと染み込んでくる。

 

 

「大海先輩」

 

「ん?」

 

「本気で心配してくれて、怒ろうとしてくれてありがとうございます」

 

 

俺の苛立ちに気づかれていたのか。

深々とお辞儀をされて、困惑する。

 

 

「あと、私のことを、琴音もですけど、あの時、助けてくれてありがとうございます」

 

 

またお辞儀。

 

 

「もう、大丈夫だからいいって。それにあれは別になにも……」

 

「『立華の友達の凛子ちゃんだよね』って。先輩が『俺の知り合いだから、みんな仲良くしてやってくれ』って」

 

「余計なお世話だったよあれは」

 

「ちがいます。あんなに嫌がらせ受けてたのに、あの日から魔法みたいに何も起きなくなって」

 

 

凛子ちゃんは顔を真っ赤にしながら俺を見上げた。

 

 

「凄く救われました、中々お礼をちゃんと言えずにすみませんっ」

 

 

俺は反応に困り果て、「とりあえずは」と前置きする。

 

 

「……じゃあこの話の『ごめんなさい』も『ありがとう』も、もうお終いってことで」

 

 

いい? と首を傾げて尋ねると、凛子ちゃんはぶんぶんと首を縦に振った。

 

 

「あ、あと!」

 

「うん?」

 

「いつも応援してます……!」

 

 

それではわたしはここでっっ。

言い逃げするように、凛子ちゃんはペコリと頭を下げて駆け出していった。

振り返ることもなく、エプロンドレスの裾を揺らして商店街の角へと消えていく。

 

見上げた白帆島の夏空は、痛いほど青く澄み切っていた。

遠くで鳴り響く蝉時雨が、波の音と混ざり合って鼓膜を打つ。

 

 

午後からは、立華の水泳のコーチがある。

 

俺は大通りでタクシーを拾い、学校へと向かう長い坂を上っていった。

 

窓の外には、白帆島全体が見渡せる絶景が広がっている。

 

太陽の光を乱反射して、海が宝石のようにきらきらと輝いていた。

 

どこまでも続く、青い水平線。

 

窓から吹き込む潮風を浅く吸い込みながら、俺は静かに目を閉じた。

 




7月と言うことで一部完結まで駆けあがります

※いつも読んでくださる皆様、ここすきをくださる方。本当にありがとうございます。皆さんが思っている想像以上のモチベを頂いております。優しさに感謝です。

参考までに。どのキャラクターとの絡みが見たいですか?

  • 七瀬莉緒(幼馴染)
  • 立華琴音(アホの子)
  • 立華綾音(良い子)
  • 風畑さゆり(お嬢様)
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