百合の間に挟まりたくないけれどなぜか向こうから挟みにくる(仮)   作:ちお

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七瀬莉緒(1)

私、七瀬莉緒にはひどく醜い秘密がある。

 

白帆学園の水泳部で、私はいつも「太陽」のように振る舞う。

それは周囲から求められているからという以上に、私自身がそうあろうと固く誓ってきたからだ。  

元々が女子校だったこの学園には、その名残なのか、同性同士の疑似恋愛に近い感情が珍しくない風潮が根付いている。

全国大会への切符を掴むのは確実だろうと目されている私は、校内でもひときわ目立つ存在だ。下級生や同級生の女子から向けられる視線の多くは、純粋な憧憬というよりも、もっと粘度の高い、あからさまな熱を孕んだものだった。  

私はそれに気づかないふりをして、誰にでも分け隔てなく屈託のない笑顔を振りまく。

それが、誰もが知る完璧なスター、『七瀬莉緒』という人間の輪郭だ。

けれど、本当の私はそんなに綺麗で真っ白な人間なんかじゃない。

 

「……ん。今日もいい練習できたな。帰るか」

「うん。お疲れ様、迅」

 

夕暮れ時の帰り道。

学園のプールで泳ぎ終えた私と、ジムエリアでトレーニングを終えた迅と、いつものように並んで家路についていた。

彼から漂う汗と制汗剤の匂いと、私の髪から香るプールの塩素の匂いが、夏の生温い風の中で溶け合っていく。

 

次戦の予選を勝ち抜けば全国、と言われている水泳部のエース。

 

学園の誰もが私に期待し、持て囃すけれど、そもそも私が水泳部に入ったのは、純粋に水泳が好きだったからなんかじゃない。  

 

迅がトレーニングのために放課後のプールを借りると言い出したから。

ただ、少しでも彼と同じ空間にいたくて、視界の端に入りたくて、同じ時間を共有したかった。

 

それだけの、ひどく利己的な理由だ。

 

結果的に私には水泳の才能があったらしく、周囲の期待だけがとんとん拍子に膨らんでしまったけれど、正直なところ競技そのものに大した思い入れなんてない。

迅がプールに来ないのなら、水泳なんて今すぐ辞めてもいい。

 

全国大会への切符なんて、私には紙屑同然なのだ。

 

けれど、そんな本音は絶対に彼の前では口に出せない。

 

一つの目標に向かってひたむきに心身を削り続ける彼が、私のこんな空っぽな動機を知ったら、きっとひどく失望するだろう。

 

だから私は、彼の隣を歩くのにふさわしい『完璧な幼馴染』の仮面を、今日も顔に貼り付けている。

 

「今日の夕飯どうすんの? またおばさん、出張?」

「あぁ。今度はミラノだってさ。バイヤーの仕事も大概だよな、家にいねぇんだから。まぁ、俺は気楽でいいけど」

「お姉ちゃんは?」

「あー……アイツはまた、彼氏んとこ入り浸ってんじゃね? しばらく帰ってきてないわ」

呆れたようにため息をつく横顔。

母親は国内外を飛び回る多忙なアパレルバイヤーで、歳の離れた姉は男の家に入り浸って帰ってこない。

 

迅が暮らすあの古い日本家屋は、今夜も彼一人だけだ。

 

「……そっか。じゃあ、うちで食べてく? お母さんが迅の好きなハンバーグ作るって言ってたよ」

「マジ? 行く行く。今日くらいは好きなもの食べても体も許してくれるだろ」

 

ぱぁっと顔を輝かせる彼を見て、私は小さく微笑みながら「後で連絡するね」と返した。

彼は強がっているけれど、あの暗くて広い家に一人で帰る背中は、いつも少しだけ寂しそうに見える。

だから、私がその隙間を埋めてあげたい。

私だけが、彼に「おかえり」と言える家族のような存在でありたい。

 

 

迅と出会ったのは、お互いがまだランドセルを背負っていた七歳の頃だ。

 

『莉緒の笑顔って眩しいよなー。太陽みたいだ、見る人みんな元気になりそうだな』

 

いつだったか。

転んで泣いていた私を慰めてくれた彼に向けて、涙ぐみながら笑って見せたとき。

夕焼けの下で、幼い迅がふとこぼした言葉。  

本人はもう、覚えていないと思うけど。

けれど、その何気ない一言こそが、私という人間の輪郭を決定づけた。

彼が「太陽みたい」と言ってくれたから、私は彼専用の太陽になろうと決めたのだ。

彼の一番近くで彼を照らし続けるために、誰に対しても明るく完璧な『七瀬莉緒』という仮面を被り始めた。

 

好きになったきっかけなんて、思い返せばそんな陳腐な始まりだったと思う。

 

でも、問題はその先だ。

 

出会ってから十年近く経つのに、私は毎日、大海迅という男への『好きの最大値』を更新し続けている。

 

『俺が勝てば周りの人が喜んでくれるなら理由はそれでいい』

 

いつだったか、彼がぽつりとこぼした闘う理由。  

普段は面倒くさがりで口も悪いくせに、その根底にあるのは「誰かの希望になりたい」という、無防備なほどの優しさだった。  

その果てしない熱と、ふとした瞬間に見せる不器用な情愛に触れるたび、私の心臓は初恋の日のように跳ね上がり、彼への感情が際限なく膨張していく。

 

彼が道を歩けば誰もが振り返り、学園でも遠巻きに畏怖と熱狂の視線を集めている。

格闘技界が注目する、若きスター。

彼に憧れ、熱い視線を送る女子は学内にも山ほどいる。

 

けれど、実際に彼へアプローチしてくる女子はいない。

 

付き合っているわけでもないのに、私が彼のそばにいるだけで、それが強烈な抑止力になっているからだ。

 

誰もが認める水泳部のスターである私が、幼馴染として常に彼の隣をキープしている。

 

その事実だけで、有象無象の女の子たちは勝手に萎縮し、私たちの間に入ることを諦めてくれる。

誰も、この聖域は破れない。

 

嬉しいはずなのに、それでも息が詰まるほど怖くなる。

私以外の誰かが、強くて優しい彼の本質に気づいてしまうのが、どうしようもなく恐ろしかった。

 

「お、星出てる」

「あ、本当だ、綺麗だねぇ」

 

隣を歩く迅が、立ち止まって空を見上げた。

つられて見上げると、群青色に沈みかけた空に、一番星がぽつりと瞬いていた。

彼の横顔を見つめながら、私の胸の奥で、どろりとした黒い感情が静かに渦を巻く。

 

 

 

(誰にも、渡したくない)

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

我が家のダイニングで母の作ったハンバーグを平らげた後、迅は満足そうに玄関でスニーカーの踵を鳴らした。

 

「今日はありがとうな。久しぶりに食べたけど、やっぱ莉緒の母さんのメシは最高だな」

「ふふっ、お母さんも喜んでたよ。またいつでも食べにおいでね」

「さんきゅ。じゃあな、また明日」

「うん。また明日ね、迅」

 

笑顔で手を振ると、彼も気だるげに手を振り返し、重い玄関のドアが閉まる。

ガチャリ、と鍵を掛ける音が静かなホールに響いた。

 

――その瞬間。

 

私の顔から、完璧な幼馴染としての笑顔が、するりと剥がれ落ちた。

 

「…………」

 

階段を駆け上がる。

自室に入るとすぐに部屋の明かりを消し、ドアの鍵をカチャリと内側から締めた。

そして、レースのカーテンの陰に息を潜めるようにして、暗闇の中から向かいの窓を見つめる。

 

先ほど「また明日」と爽やかに別れたばかりの幼馴染を、今からたった一人で監視し、独占するための、誰にも言えない夜の『日課』の始まりだ。

 

私の家は少しばかり小高い丘の中腹に建ち、細い道路を一本挟んだ真正面に、迅の住む古い日本家屋が建っている。

家の造りはまったく違う。それなのに、なぜか私たちの自室があるこの二階の窓だけは、まるで神様が悪戯で図面を引いたかのように、同じ高さでピタリと向かい合っていた。

少し身を乗り出せば、声すら届く距離。

静かな夜には向こうの部屋の生活音さえ微かに聞こえてくる。

だから普通なら、思春期を迎えた幼馴染同士、互いに気を使ってカーテンくらいは閉めるのが常識だ。

けれど、迅という男は、そのあたりのデリカシーが決定的に欠けている。

 

『なるべく配慮するけど、別に減るもんじゃないし。もし見ちゃったら、そっちからカーテン閉めてくれ』

 

いつだったか注意した私に、彼は事も無げにそう言ってのけた。

迅は分かっていない。

水泳部という「公の場」で見る水着姿と、夜の彼の自室という「完全なプライベート空間」で見る無防備な姿とでは、見え方が全く違うのに。

 

十分ほど待つと向かいの部屋の明かりが灯り、迅が姿を現す。

 

「……っ」

 

彼のルーティーンとして、家に帰ると夏場は真っ先に手早くシャワーを浴びて、下着しか身に着けずに部屋へ戻ってくることはわかっている。

首にタオルを引っかけ、下着を一枚穿いただけの姿。

 

私は思わず、息を呑んだ。

 

冷房の効いた薄暗い自室の窓辺だというのに、トクトクと脈打つ自分の血の音がうるさいくらいに鼓膜の奥で響き始めた。

 

何度見ても慣れることはない。

誰も、こんなに無防備で生々しい彼を知らない。

 

鍛え上げられた肉体。彼がタオルで濡れた髪を拭くために腕を動かすたび、薄く乗ったなめらかな脂肪の下で、太い筋肉が呼吸に合わせて脈打っているようで。

 

ひゅう、と熱っぽい吐息が漏れた。

 

冷たい窓ガラスに額を押し当てながら、私はゆっくりと、もう片方の手を自らの衣服の奥へと滑らせた。

 

「……あ、ん……」

 

いけないことだと、理性がひどく冷たい声で警鐘を鳴らしている。

これは立派な覗きだ。

幼馴染の無防備な姿を暗闇から見つめ、ひとり熱を逃がすように自らを慰めるなど、あまりにも浅ましく、醜悪でさえある。

昼間、完璧な優等生の顔でやり過ごしている『七瀬莉緒』の皮を剥いだら、中身はこんなにも淫らで、彼への執着にまみれた変態なのだ。

 

(ダメなのに……、やめられない……)

 

罪悪感で胸が押し潰されそうになる。

けれど、自らに触れる指先は熱を帯びて、向かいの窓から視線を逸らすことがどうしてもできない。

むしろ、その背徳感と自己嫌悪こそが、やがて脳の髄を溶かすような甘い痺れへと変わっていく。

視界の先で、無防備な彼が動く。

部屋に持ち込んだ冷えたペットボトルを煽るように飲むと、喉仏が大きく上下に動いた。

 

その男らしい仕草を見るだけで、下腹部を焼くような熱が広がる。

 

頭の中に浮かぶのは、あの逞しい腕に逃げ場のないほど強く抱きすくめられる想像。

 

汗ばんだ分厚い胸板が私にのしかかり、その圧倒的な重さで、ベッドごと私を乱暴に組み敷く。

 

私がどれだけもがいてもビクともしない、絶対的な男の熱と力。

 

雄としての熱を孕んだ瞳で見下ろされ、耳元で低く掠れた声で私の名前を呼ばれる――。

 

「あ……っ、じん……っ、んんっ……♡」

 

想像の中で彼に乱暴に貫かれる妄想と、窓の向こうで彼が首筋の汗を拭う仕草が、脳内で鮮烈に重なり合う。

 

彼がタオルを置き、傍らのTシャツへ手を伸ばして背中の筋肉を大きく波打たせた瞬間だった。

 

 

「はぁっ、あっ、あぁっ……♡」

 

 

背筋を強烈な快感が突き抜け、目の前が真っ白に明滅する。

私は窓枠にすがりつくようにして身体を跳ねさせ、吐息のような嬌声と共に今日一番の熱を散らした。

ドクドクと脈打つ余韻の中で、私はへなへなとフローリングの床に座り込む。

Tシャツを着終えた彼が机の椅子に座った姿を見届けて、火照った自分の身体を強く抱きしめた。  

指先に残る自身の熱と、窓ガラスの冷たさ。  

甘い支配欲と、どうしようもない罪悪感が重たい塊となって胃の奥底に沈んでいく。

これが私の、誰にも言えない夜の『日課』の終わりだった。

 

「……また、やっちゃったなぁ」

 

誰もいない暗い部屋に溶けたその呟きは、涙が出そうなほど彼への熱に浮かされていた。

明日になれば、私はまた「太陽」のような笑顔を顔に貼り付けて、彼に「おはよう」と言うのだ。

 

この狂おしいほどの熱と執着を、いつかすべて彼にぶちまけてしまえる日が来るのだろうか。  

 

なんにせよ、彼を誰かに譲る気など、毛頭なかった。

 

私という絶対的な抑止力。誰も破れないはずの、この完璧な結界。

 

 

……ただ一人、最近になって静かに、でも確実に踏み込んできそうな「例外」を除いては。

 

 

 

 

「……琴音は大好き。綾音ちゃんはいい子だけど、ちょっとだるい、かなあ」

 




急に修正するかもです。

参考までに。どのキャラクターとの絡みが見たいですか?

  • 七瀬莉緒(幼馴染)
  • 立華琴音(アホの子)
  • 立華綾音(良い子)
  • 風畑さゆり(お嬢様)
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