トラブル1 リスタート
目覚ましの音を聞かなくなったのは、果たしていつからだろうか。
今日も例に漏れず、そのアラーム機能が起動する前にオフにして、ボクは目覚ましの音を聞く事無く起床した。
毛布を畳み、窓を開け、そうして廊下に出ると、タイミングよく対面側の扉も開かれた。
「美柑、おはよう」
「おはよ、楓」
結城美柑、この家の住人にしてボクの命の恩人でもある彼女はそう挨拶を返すと、可愛らしく微笑んだ。
「今日は一緒に行けそう?」
「うん、日直も無いし大丈夫」
2人で揃って朝の支度をし、後から現れる彼らの為に朝食を用意する。
早くも日課と化したこの行動に苦は無く、ただ静かな幸せを感じられるのだった。
「じゃあ、私先シャワー浴びてくるね」
「うん」
これが2人で料理をする利点といえば利点。
美柑の寝起き姿は起床から料理途中までの僅か数十分間だけなので、唯一それを見られるボクは幸運と言って良いだろう。
ーー学校でもモテてるって言ってたっけ...
その同級生達には、口が裂けても言えない事だ。
本来ならボク1人が料理を担当して、美柑にはもっと自由に生活をして貰いたいのだが、今の自分の立場では中々言い出せない。
それでも彼女の負担を少しでも抑えたいからと、家事の手伝いを申し出たのが1年以上も前の事。
宇宙人であるボクが、再び地球にやってきてすぐの話だった。
それから色々な事があったが、こうして無事何も起きない平和な毎日
「きゃあああああああ!!!!!」
「っ?!」
な事は無く、今日も今日とて様々なトラブルが起き続けているのだった。
「美柑?!」
慌てて声の聞こえた脱衣所に向かい、ボクは。
扉を開けるその手前で何とか静止した。
ーーリトだったら開けてたかな...
彼の事も古くから知っている筈なのだが、その転びっぷりを見た時は本当に驚いた。
ーーよく分かんないけど、たまにボクにもやってくるし。
男同士なんて需要が無いので、そんな想像を一瞬で消し去り美柑に呼び掛ける。
「大丈夫?何かあったの?」
「え、や、うん、ちょっとね」
「...その声、楓さんではありませんか?」
「えっ、楓?!」
ーーおかしい。
中には少女が1人しか居ない筈なのに、何故3人分の声が聞こえてくるのだろう。
そしてその馴染みのある声の主2人を思い浮かべて、ボクは小さく溜息をついた。
「...美柑、朝ご飯2人分増やしておくね」
「えっ?!ちょっ、このまま放置?!」
「げっ!なんでナナとモモが居るんだよ?!」
「はぁ?!別に何だって良いだろ!」
「まあまあ、良いではありませんか!」
「ナナー!モモー!久しぶりー!」
「まうまう〜!」
想定外の客人2名の来訪はあったが、これはこれで賑やかで良いと感じられる。
「...まさかお風呂に入ったらナナさんとモモさんが居るなんて...」
「本当、お疲れ様...」
そう労いの言葉を掛けながら、完成した料理をそれぞれに取り分けていく。
今この瞬間、結城家には1年程前から居候をしているララさんを含め、3人の王女が居る。
「どうかなさいましたか?楓さん」
「何でもないよ、モモさん」
何かを見透かすような、含みのある表情を浮かべたララ・ベリア・デビルーク。
「か、楓!今日こそ耳触らせてくれよっ!」
「あはは、また今度でどうかな...?」
ボクのケモ耳を頻繁に狙ってくるナナ・アスタ・デビルーク。
そして。
「はいリト、あーん!」
「だーっ!1人で食べれるって!」
リトにべったりのララ・サタリン・デビルーク。
彼女達はデビルーク星の王女達であり。
ボクは、そんなデビルーク人に滅ぼされた種族唯一の生き残りだ。
勿論普通に考えれば、両親達の仇と言っても差し支えない相手。
では、何故そんなボクと彼女達が知り合い、今こうして共に生活をしているのか。
それはーー
トラブル2 舞い降りた少年
数年ぶりの地球の景色は、当時が幼少期だった事も合わさって大きく様変わりしたように感じられた。
けれど、同時に懐かしさもしっかりと残っていて。
ボクは僅かに胸を高鳴らせながら、ゆっくりと夜道を歩き出した。
一定の間隔で設置された街灯がボクを照らし、慣れないその光に何度か目を細める。
ーー...リト、美柑、元気かな。
思い出すのは、幼い2人の笑顔。
幾ら時間が経ったとしても、それは全く色褪せる事は無かった。
「でもまさか、今更こんな事になるなんて...」
ボクが地球を離れたのは随分前だというのに、今になってリト達の家、つまり地球で過ごしていたという事がバレてしまった。
そうなってしまった以上、ただ放っておくなんて事は絶対に出来ず。
結果として、こうして地球に戻り追手を迎え撃つ事にしたのだった。
「....」
2人の迷惑にならない為に地球から離れたのに、結局迷惑を掛けてしまった。
ーーリト達は関係ない、だから絶対守らないと。
また一緒に暮らしたいなんて欲を言うつもりはない、これは一方的な恩返しだ。
2人とは今後も接触しないまま、追手を殲滅してみせる。
「....ん?」
強く意思を固めた所で、突然ボクの耳が遠くの轟音を捉えた。
ーー凄い音...何かあったのかな...
巨大な何かが自然にではなく明確に破壊された音。
ボクは音の聞こえた方角に大きく飛び上がり、何が起こったのかを確かめる事にした。
空から音の発生した場所を探す事数分、気になるものが目に入った。
ーートラックが...倒れてる?
何の脈略もない公園に倒されているボロボロのトラック。
周囲には明らかに吹き飛ばされた跡が残っている。
先程の轟音はこれに違いない、後は...
「...!」
更に手掛かりがないかその周辺を確認していると、視界の隅に2人の男女が走る姿が映った。
ボクは一度近くの屋根の上に身を隠し、静かに動向を見守る。
すると、その男女を追いかけるように走る3人の男の姿を視認出来た。
ボクはもう一度、視線を前の2人に移す。
女の子の方は独特な衣装に身を包んでいるが、男の子の方は対照的にラフ過ぎる格好。
そしてそんな2人を追いかけている男達は、サングラスにスーツといういかにもな感じ。
彼らが通ってきたであろう公園にトラックがあった事を考えると。
ーーあの男達がトラックを...?
あの大きなトラックを破壊する事が出来るのは、宇宙人以外に考えられない。
つまり今、あの2人は宇宙人に襲われていると見るのが正しいはず。
ボクはそう判断し、上手く間に割って入る形で地面に飛び降りた。
「君達、大丈夫?!」
「えっ!うん、大丈夫だよ?」
ピンク髪の少女は、問い掛けに対してただ無邪気に笑う。
一方の街灯に照らされた茶髪の少年は....
「....っ!」
幼い頃の思い出が、その少年に完璧に重なる。
年月が経っても、記憶は完璧に当時の感情をそのまま再生させてくれた。
「リト...?」
「....え?」
その日は、何の前触れも無く突然やってきた。
美柑が公園から連れてきた、凄く中性的な男の子。それが楓だった。
ただ初対面の印象はそれよりも、傷だらけの身体に目が行って。
そうしてその姿があまりにもボロボロだったものだから、俺と美柑は必死に看病したのだった。
「....ん」
彼が目を覚ましたのが分かり、俺達は2人してホッと息を吐いた。
「なあお前、大丈夫か?」
「...きみたちは?」
「俺はリト、結城リトだよ」
「わたし...結城みかん」
「...ここは」
「俺達の家だ、美柑がお前を助けたんだぞ」
「そっか...ありがとう、美柑、さん」
「う、ううん...」
「てか、名前はなんて言うんだ?」
「名前....楓」
楓と名乗った彼は、その後帰ってきた母さんに相当心配されていた。
それもそうだろう、子供が1人ボロボロの状態で公園に放置されていたのだから、心配するのは当然だ。
暫く母さんと楓の一対一での会話が続き、結果としてはこの家に居候させる事になったらしい。
勿論母さんは忙しい人だから、家にはそう簡単に帰ってこない。
父さんも同様に殆ど帰って来ず、基本的に俺と美柑の2人だけという状態が当たり前だったから、そんな事になった当初は正直不安で一杯だった。
知らない男の子と、両親というクッション無しで共同生活をするというハードルの高さ。
楓はそんな俺達の不安を見抜いたのか、それとも自分自身も不安だったのか。
もしくは、両方だったのかもしれない。
楓がこの家に住み始めて数日、両親はやはりそうそう帰って来ず俺達3人だけでの生活が続いていた。
気まずさを隠せる年頃でも無かった俺は、何とか楓との会話を取り繕おうとしたけど、全然駄目で。
美柑も美柑で、人見知りを全面に発動してしまっていた。
一向に良い未来を想像出来ずこの先が不安になった、その日の夜。
「実はボクって、宇宙人なんだ」
「....は?」
俺と美柑をリビングに集めて開口一番、そんな素っ頓狂な言葉が飛んできた。
最初は場を和ませる冗談かと思ったが、楓の顔は真剣そのもの。
「証拠、見せるね」
そう言うと、突然楓の体が光り輝いた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
思わずその眩い光から目を覆い、完全に収まるのを待つ。
そうして、姿を現したのは。
「...これで、信じてもらえるかな?」
猫のような耳を生やし、宙に浮かんでいる楓だった。
「...す、すげー!浮いてる!」
「えへへ、あんまり長い時間は飛べないんだけどね」
「かっけぇ〜!!」
楓はふわりとリビングに着地し、褒め言葉に対して少し恥ずかしそうに目を細めた。
「ねこさん?」
次いで美柑が、不思議そうに訊ねる。
「あはは、地球ではその生き物の耳に似てるみたいだね」
「...ねこさん」
興味を示したらしい美柑は、そのままとぼとぼと楓の側まで歩いていくと。
「美柑?」
「.....えいっ」
「ひゃっ!!!!」
「?!?!」
「えっ?!」
美柑が唐突に耳を触った瞬間、楓が可愛らしい声と共に小さく跳ねた。
今思えばその声は...いや、辞めておこう、幼少期の大切な思い出だし。
「きゅ、急に触らないでよぉ」
そう涙目で訴えかけてくる楓は、同性ながらとても可愛らしくて。
俺は一瞬にして、彼が宇宙人である事を信じるのだった。
「えっとね、ボクって特に耳が弱いんだ、だから...その」
「じーっ...」
「おい、美柑?」
美柑は何かに取り憑かれたように、ぴょこぴょこと跳ねる耳を見つめる。
「あの...」
「じーっ」
「...と、時々なら触ってもいいよ?」
「ほんとう?!やった!」
ーー耳目当てだったのかよ!
けれどそれがきっかけで、俺達の距離は確かに縮まった。
ある日は楓とゲームをして、ある日は公園で鬼ごっこをして。
俺にとっては、まさしく親友が出来た気分だった。
時々彼の顔があまりにも中性的過ぎて、ドキッとした事はあったけれど。
今思えばそれが女子に耐性が無い俺を、少ししか耐性が無い俺にしてくれていたのかもしれない。
そんな俺達の関係は、楓が突然姿を消すまで続くのだった。
そして今、そんな彼が目の前に現れた。
あの時よりも伸びた身長、更に美しくなった顔。
月明かりに照らされて舞い降りた楓は、まるで一枚の絵画のようだった。
「楓...なんだよな...?」
「...うん、まさか、こんな所で会うなんて」
楓は少し複雑そうに目を伏せると、すぐに俺達の追手もとい、ララの家出を止めに来た人達に向き直った。
ーー....え?まさか。
「お、おい楓!その人達は」
「勿論分かってるよ、リトに危害を加える人は、ボクが絶対に許さないから」
ーーめちゃくちゃ勘違いしてるー!!!
「邪魔するんじゃねえ!!!」
突然の乱入者にキレた片方が、物凄い勢いで楓に殴り掛かる。
「危ない!!」
その男の拳が楓に近付き、そして。
寸前で、男が吹き飛ばされた。
「....は?」
「うわあああああ!!!」
「やりやがったな!!うおおおおおお!!!」
「邪魔」
「ぐああああああ!!!」
ーーええええええ、吹っ飛ばしちまった?!?!
何故か助けてもらった立場にも関わらず、気が付けば俺は相手側の心配をしていた。
そうして無事追っ手をやっつけた楓はこちらに振り向くと。
「リト!もう大丈夫だからねっ!」
渾身の笑顔を俺に向けるのだった。
「...楓...あの人達、この子の家出を止めに来てたんだけど...」
「....へ?????」
その笑顔は、数秒も立たずに凍りつくのだった。
ーーやっちゃった...
どうして手を出してしまったのだろう、もう少し観察していれば家出の話だと分かったはずだし、リトと出会う事も無かった。
ボクは溜息をつきながら、問題の家出少女に目を向けた。
「えっと、それで...」
「助けてくれてありがとう!えっと...?」
「ボクは...楓だよ」
「楓ね!私ララ!デビルーク星から来たの!」
「ッ?!?!」
その発言に、ボクは立ち尽くす事しか出来ない。
ーーデビ...ルーク...?!
デビルーク、それはボクにとって悪い意味で重大な側面を持った名前だった。
幼少期の記憶、それはデビルークによって故郷が滅ぼされる記憶。
知り合いが殺され、そこら中から悲鳴が聞こえ。
今となっては確かめようが無いのだが、恐らく王家の者だった家族はボクだけを宇宙船に乗せ、目の前で殺されてしまった。
アニマ人、つまりボクの種族は絶滅してしまったのだ。
ボク1人を除いて。
そうして1人生き延び、ボクは奇跡的に地球に不時着したのだった。
既に体はボロボロ、ただ野垂れ死ぬのを待つしか無かったボクを助けてくれたのが、結城美柑だった。
彼女がボクを家に連れ帰り、リトと共に懸命に看病してくれたからこそ、この命は存在している。
だからこそボクは美柑、そしてリトの為に、この命を尽くそうと決めたのだ。
それからは、とても楽しい毎日だった。
リトと美柑、自分にとっての新しい唯一の家族。
今度こそ絶対に失いたくないという気持ちが水面下で高まっていき、そして突然、思いもよらぬ形で爆発する事になった。
宇宙船に積んでいたデータベース、その中の裏の情報が飛び交う情報源の更に奥。
そこに記載された文章は、正しくこの生活の終わりを告げるものだった。
ボクの存在が一部の宇宙人にバレ、狙われている。
絶滅した種族の最後の生き残り、しかもそれが王族の血を引いているとなればその価値は自分でも理解出来る程には高い。
もしボクの居場所までバレてしまったら、2人に危険が及んでしまう。
そう考え、ボクは地球から、そして2人の前から姿を消すという選択を取ったのだった。
そこから地球に戻ってくるまでの経緯は、最初に話した通り。
そんなデビルークの王女が、まさか目の前に居るなんて。
「お、おい楓?どうかしたのか?」
「へっ?いや...なんでもないよ」
流石にそんな話をする訳にはいかないので、とりあえず曖昧に誤魔化してみるが、リトは納得いかない様子でボクを見つめる。
「本当か?....って違う!今まで何処に行ってたんだよ?!心配したんだからなッ!!!」
そして突然、大声で叫んだ。
「...後で、話してもいいかな」
こうなってしまった以上、変に言い訳するのは良い選択ではない。
「....分かった、なら美柑にも聞かせるからな?アイツお前が居なくなってから大変だったんだから...」
「美柑が....ごめん」
「本人に言えよ、な?」
「...うん」
「ねーねー、良い感じの雰囲気の所悪いんだけど、リトにお願いしても良いかなー?」
話が一区切り付いた所で、今度はララがリトに話を振った。
「え?お願い?」
「た、ただいま」
「!」
突然玄関からリトの声が聞こえ、私は早足でリビングから出迎えに向かう。
ーー急に居なくなって...もう。
その怒りをぶつけてやろうと玄関に向かうと、そこにはリトの他にピンク髪の少女と....
「....え」
謎の少女も気になるが、その何倍も私の関心はもう1人の人物に向けられていた。
記憶よりも成長し、より一層美しくなった顔。
そして、頭に生えた猫の耳。
「...うそ....」
「美柑、久しぶり」
その優しい声を聞いた瞬間、私の感情は爆発した。
なりふり構わず走り出し、目的の彼に思いきり抱きつく。
ーー暖かい、夢じゃない。
涙が溢れ、私は彼の服を濡らさない様にと一瞬顔を離す。
が。
「ひゃっ」
今度は彼の方から、優しく抱きしめられた。
胸元辺りに顔が埋まり、彼の匂いが私を包み込む。
ーー...変わんない、楓の匂いだ。
顔を上げ、もう一度現実かどうかを確かめる。
「大きくなったね」
「....かえでっ...」
その彼は間違いなく、私の求めていた楓だった。
楓と初めて出会ったのは、学校帰りの公園だった。
普段しない寄り道をした私が偶然見つけた、草むらに倒れたボロボロの子供。
一瞬その顔立ちから女の子かとも思ったが、どうやら男の子のようだった。
当時の私は今程警戒心というものを持っておらず、ただただ好奇心一つで彼に近付いていった。
「....たす...け....て」
確かに聞こえた、助けを求めるか細い声。
困っている人は助けないといけない、その教えが頭をよぎり、私は彼を間近の自宅に連れて帰るのだった。
「いい?」
「...う、うん」
「....えい」
「っ....んん」
「えへへ、柔らかい」
「んっ、そ、そうっ?」
私が楓と仲良くなったきっかけは、彼の猫耳だった。
子供らしい触ってみたいという気持ちを受け入れてくれた彼に、暇があればおねだりする日々。
今考えると相当....ううん、これも必要な事だった、そういう事にしておこう。
私はその柔らかい猫耳と、彼から発せられる可愛らしい声が大好きだった。
これだけ聞くとSみたいに思われそうだけれど、別にそういう訳ではないのだ。多分。
私は楓から、沢山の事をしてもらった。
髪を結んでもらったり、料理の仕方を教えてもらったり、テストの点数を褒めてもらったり。
リトとは違う、もう1人の兄、頼りになる優しい男の子。
そんな人の明確な弱点を自分だけが触って良いというのだから、嬉しくなるのは必然としておこう。
そうして楽しく毎日を過ごしていった私が、楓に抱いた感情の名前を知ったのは、彼が居なくなる少し前だった。
久々の再会の後、ララという人がこの家に居候になる事が決まった。
楓は料理が上手になったとか、美人になったとか、とにかく沢山褒めてくれたりして。
数年ぶりにも関わらず、私の感情はすっかり楓に支配されてしまう。
そうして迎えた食後の時間、私は楓と2人きりでソファーに座っていた。
「どうかしたの?」
「う、うん...」
自分から呼んでおいて中々話を切り出さない私に対して、楓はあくまでも優しく声を掛けてくれる。
けど、でも...
ーー耳触らせて欲しいなんて、言える訳ないよ〜!!!
楓の耳、それは再会してからずっと頭の片隅にあったもの。
また触りたい、昔みたいにあの声が聞きたい。
リトとララさんは上の階、チャンスは今しか無かった。
ーーよ、よし!
「あ、あのね、楓」
「うん」
「.....み....耳を...触らせて欲しい、みたいな」
「.....耳?」
「そうっ、昔みたいにって思ったんだけど、どうかな?いやあの全然嫌なら嫌で良いんだけど」
早口で何とかまとめあげた私の言葉に対して、楓は顔を赤らめながら頭を突き出した。
ーーへっ?
「...耳、昔より敏感になってるんだ...でも....美柑の為なら、良いよ?」
ーー私の、為。
無意識に、私の手は伸びていた。
頭に生えたその猫耳に、触れる。
「んんっ!」
ーー...あ、あれ。
「はぁっ....いっ....!」
ーーこれ、ヤバいかも。
本能的に危機感を覚えても、手は止まってくれない。
まるで同じ行動を繰り返す機械のように、私はただひたすらその耳を触り続ける。
するとそのうち段々と楓の息が荒くなっていき、遂には私の膝の上に倒れ込んだ。
「はぁっ、はあっ...!」
ーー何...この気持ち、何この感情...っ!
楓を支配している事に対する、喜びとはまた違った初めての感情が沸々と湧き上がる。
もっと、もっと楓をいじめたい。
もっと、もっと。
私は口を開き、そっと耳元に近付いていく。
ーー...食べたい。
「...へ、う、うそっ」
ーーたべたい、たべたい。
「う、うそだよね、み、みかんさーー」
「...はむっ」
「きゃあああああああああああん!!!!!!!!」
「お、おい楓?!何かあった...の....か」
リビングの椅子に座り、横目で美柑を見る。
「何やってんだか、全く...」
「...ごめんなさい...」
確かに昔は事あるごとに楓の耳を触っていたが、まさか再会したその日に噛むとは思わなかった。
ーーお兄ちゃんはお前が心配だぞ...
俺は勝手に妹の将来に思いを馳せ、正面に座っている楓に目を向ける。
「それで、話してくれるんだよな?」
「うん、2人に隠し事はしたくないから...」
「っ...」
ーーコイツ...相変わらずズルいな...
そんな切ない表情を見せられたら、怒りなんて一瞬で吹き飛んでしまう。
尤も最初からそんな気なんてさらさら無かったのだが。
楓は何度か深呼吸を行い、少しの緊張感を含んだ眼差しで再度こちらを見つめ返してきた。
「...実はーー
「だから、地球に戻ってきたんだ」
楓の言葉を全て聞き終えた俺と美柑は、言葉を失っていた。
楓の故郷は他の宇宙人の手によって破壊されていて、楓自身がその唯一の生き残りだったなんて。
それならあんなにボロボロだった事も、突然姿を消してまた帰ってきた事にも合点がいく。
ーーでも、これじゃああまりにも...
「何も言わずに居なくなって、本当にごめんなさい...」
そう言って頭を下げる楓に対して、責め立てる言葉は一切浮かばない。
「お、おい、別に謝る必要なんて無いだろ?だって楓は...」
寧ろ、彼に対する同情しか浮かんでこなかった。
「この先、ボクと一緒だと2人を危ない目に遭わせるかもしれない...だから、もうこれで」
「....いやだ」
「えっ...?」
美柑の一言は、確かな否定の言葉だった。
「私、絶対楓とまた一緒に住むんだからっ!」
「...で、でもボクが居ると...!」
「楓っ!」
再会してからの何処か暗い表情は、全て罪悪感からのものだったのだろう。
ーーでも、そういうんじゃないはずだ。
「俺達は家族だろ、迷惑掛け合うのは当たり前の事なんじゃないのか?」
「ッ!!!」
楓は大きく目を見開くと、すぐさま動揺を露わにした。
「....家族で...いいの?」
その問いに対して俺が答える前に、美柑が立ち上がっていた。
「そんなの....当たり前じゃん!!!」
「...美柑」
「私はずっと家族だと思ってた!だから居なくなって、本当につらかった!悲しかった!!楓はそうじゃないの?!?!」
「...ボクも、嫌だった...嫌だったんだ、2人と離れるのが...だって....大好きだから....っ!」
大粒の涙が、ゆっくりと楓の頬を伝う。
「なら、また始めれば良いんだよ。それに何かあったら、楓が守ってくれるんだろ?」
「...うんっ!」
トラブル3 大切な人
「んん...」
窓から差し込む日差しが、ボクを夢の世界から引き上げる。
ーー...あつい...
妙な暑苦しさを覚え、ボクは首を右に向けた。
「....リトだ」
続いて今度は左を向いてみる。
「....美柑だ」
....
ん????
思わず声を出しそうになってしまったが、何とか堪えて昨夜の事を思い出す。
確か昨日は、夜遅くまで3人で思い出話に花を咲かせていた。
ーー...あのまま寝ちゃったのかな。
リトと美柑、どちらも気持ちよさそうに眠っている。
その眠りを妨げたくないので、2人を起こさないよう静かにベッドから起き上がった。
すると丁度真正面に設置されていた時計が、まるで何かを訴えかけるかのように偶然ボクの目に入った。
地球で暮らしていた時の記憶を何とか思い起こし、その時計の針から現在の時間を確認する。
ーー....あれ?確かこれって....朝の7時50分だよね...?
ボクは昔リトが登校していた時間を思い出し、一気に青ざめた。
「み、美柑!起きて!」
「はぇ?....か、楓?!な、ななななんで一緒のベッドで?!?!」
「それより時間!時間!!」
「え?.....ヤバっ!!リトぉ!!!!」
この家に来て2日目の朝は、想像よりも遥かに慌ただしいスタートを切った。
学校に遅刻しそうになったリトと美柑に可能な限り手を尽くし、送り出したのが起床から数十分後。
自宅には、ボクとララさんが残った。
そんなボク達の間に気まずい空気が流れるかといえば、全くそんな事は無く。
ララさんはその明るい性格で気さくに話しかけてくれるし、対するボクも故郷を滅ぼされたとはいっても、無関係であろう王女に恨みを持つ程無差別では無かった。
「なんか大変そうだったねー」
「間に合ってくれると良いんですけど...」
リビングでくつろぐララさんにそう言葉を返すと、彼女は徐に立ち上がった。
「よし!私、リトの学校に行ってくる!ペケ!」
「はいララ様!」
「...へ?」
ボクが理解に躓いたその一瞬でララさんはペケに頼んで服をチェンジし、玄関に向かって駆け出した。
「じゃあ楓!そんな訳で!!」
「え、えっ?!ちょっと!!」
情けなく出したそんな呼びかけも虚しく、彼女は玄関の扉を開けて外に出て行ってしまう。
ーー...大丈夫かな。
学校に宇宙人が来て、パニックになったりしないだろうか。
そんな心配を胸に、ボクは片付けでもしようとテーブルに目を向かえば、そこには空の箱が2箱並んでいた。
「これって....お弁当!?!」
今朝は全員が遅刻を回避する事ばかりに頭を使っていたせいで、お弁当の存在を忘れてしまっていたらしい。
ーー...作るしか、ないよね。
幸いボクは地球から旅立った後も、それっぽい食材を見つけては地球で習った事を活かして料理をしていた。
もう何年も知識は更新していないが、昨晩の料理を見た限りそこまで目新しい何かは見当たらなかったので、恐らく最低限は作れるだろう。
「はぁ、もう少しララさんに待って貰えば良かったな...」
こうしてボクは、2人分のお弁当を作る事になったのだった。
「あ、あれ?」
「美柑ちゃん?どうかしたの?」
クラスメイトに声を掛けられ、私は少し迷った後に真実を話した。
「あー、お弁当忘れちゃったみたい」
ーーうぅ、調子に乗って夜更かしし過ぎた...
楓との再会に浮かれていた私は、結果として小学校生活で初めての遅刻というものを経験してしまった。
職員室で遅刻の報告をした際、室内の担任以外の先生達も驚いていたので、そういった意味では私自身のイメージを感じ取れたのだが、だからといって遅刻をして良かったとは全く思えなかった。
というか、昨日地球にやってきた楓はともかくとして、本来ならこういう時こそリトが起こすべきだ。
全くこれだからうちの兄貴は、と心の中で文句をぶつけていると、担任の先生の声が聞こえてきた。
「結城、お兄さんが来てるぞ」
「えっ?リト?!」
私は急いで目線を廊下に向ける。
するとそこにはーー
「ごめんね、リトじゃなくて。お弁当届けにきたよ」
ーー楓っ...!?
ある意味遅刻の一端を担った、楓の姿があった。
その楓の声を聞き、クラスの女子達が一斉に楓の方を見て黄色い歓声を上げ始める。
「え?もしかしてあの人が噂お兄さん?!」
「超カッコいいじゃん!!」
「へ?いや、そうじゃなくて!」
「あ、あの、美柑ちゃんのお兄さんですか?」
その内クラスメイトの1人が、緊張を見せながら楓に声を掛けた。
するとそれを皮切りに、友人を含む同級生達が楓を囲み始める。
気を遣っているのか、無理に質問攻めの状況を壊す事が出来ないその姿を見て、胸がチクリと痛んだ。
ーー....楓。
湧き出した負の感情を、私は認めたくなかった。
お弁当を届けにさえ来なければ楓の事がバレなかったのになんて、そんなのあまりにも酷過ぎる。
けれどそう思ってしまう程に、今の状況は面白くなかった。
ーーなによ、もう....
「美柑!」
「!!」
楓はその生徒達の間をすり抜け、真っ直ぐに私の机にやってきた。
ズルい話だが、薄々こうなる事は分かっていた。
楓は最終的には必ず私を優先してくれる、ただそれでも。
「もう、他の子にデレデレし過ぎ」
「ごめんね、これお弁当。ちょっと作ってみたんだけど、美味しくなかったら無理しないで残してね」
「えっ、作ったって楓が?」
「まあ、自信は無いけど...」
楓の手作りのお弁当。
そんなの一体いつ振りだろう、と考えてしまうくらいには久々の経験だった。
私の机にお弁当を置いた楓は、そのままこちらを見つめて微笑んだ。
「それと先生から聞いたよ!勉強、凄いんだね美柑!」
「あ、え、あはは」
まさか突然褒められるとは思わず、何とか曖昧に返事をする。
私の乱されてばかりの心は、最早爆発寸前だった。
楓の顔をまともに見れず目線を彼の手に移すと、そこにはお弁当がもう一つあった。
「そ、それよりそのお弁当は?」
「あっ、こっちはリトの分なんだ。この後届けに行くつもりだよ」
ーーリトの...よし!
「なら早く行った方が良いよ!リトもお腹空かせてるだろうし!ほらっ!」
「えっ?う、うん」
このまま学校での姿を見られるのは耐えきれず、尚且つ楓を他の子に見せたくもないので、私はリトのお弁当を利用する事にした。
「じゃあ、頑張ってね、美柑」
その少し寂しそうな表情から、もう少し私と過ごしたかったという意思が感じ取れ、自然と口角が上がった。
「うん、楓も気を付けてね」
楓は私の言葉を聞いた後、何度か手を振って廊下に出ていく。
「はぁ...」
ーー疲れた....
ようやく心を落ち着かせる事が出来た私は、早速楓から貰ったお弁当を開く。
「...わっ」
「ねえねえ美柑ちゃん!あの人と美柑ちゃんって!」
「どんな関係なの?!」
「ええっ?!」
楓から貰ったお弁当は、まるでブランクを感じさせない出来栄えだったのだが、それを堪能する間もなくクラスメイトが声を掛けてきた。
想像通りと言うべきか、皆揃って楓に興味津々だ。
ーー...よし。
「楓はね.....」
「私の、大切な人だよ」