BIOHAZARD: Re-Genesis 作:ヨシフ書記長
スベトラーナはどこに行ったんでしょうね
東スラブ共和国。
旧ソ連崩壊後に独立を果たしたこの小国は今、果てしない泥沼の中にあった。
富裕層が牛耳る政府軍と、過酷な搾取に耐えかねた貧困層による反政府勢力との激しい内戦。連日のように硝煙と血の匂いが漂う首都・ホリフィグラードの暗い路地裏で、レオン・S・ケネディは冷たい雨に打たれながら、携帯端末から響く無機質な声を聞いていた。
『レオン、聞こえる? すぐにその国から撤退しなさい。アメリカ合衆国は東スラブ共和国から手を引くことになったわ……』
インカム越しに聞こえるFOSのハニガンの声は、いつになく切迫していた。
「アメリカ政府は東スラブから手を引く、か。……随分とタイミングが良すぎるな、ハニガン」
レオンは崩れかけたレンガの壁に背を預けながら、手にした愛銃の安全装置を親指で弾いて外した。冷ややかな金属音が、雨音に紛れて静かに響く。
反政府軍が人間の姿を捨てた『怪物』を戦場に投入しているという情報は、もはや単なる噂ではない。現にレオンは先程から、無惨に殺された政府軍兵士の遺体をいくつも目撃していた。鋭利な刃物ではなく、何らかの強靭な爪や牙によって肉を裂かれ、内臓を撒き散らされた惨状。それは……ラクーンシティで嫌というほど見た、あの悪夢の痕跡だ。
『アメリカだけじゃないわ。ロシアを含む全ての主要国が、国連決議を待たずに一斉にこの国からの撤退を決めたの。これ以上は独断専行よ……。しかも、その国は今まさに戦場よ。今までの現場とは違うの……いくら貴方でも……!』
「地獄なら、とっくの昔に慣れてるさ。……少し早いバカンスだとでもしといてくれ」
レオンはハニガンの制止を無視し、通信を一方的に切断した。
大国が一斉に手を引いた理由。それは単なる政治的配慮や、内政干渉への批判を恐れてのことではない。この国の裏で、国家の枠組みを超えた巨大な「何か」が動き出している証拠に他ならない。
ふと見上げた灰色の空を、漆黒の無人偵察機が音もなく滑空していく。
その洗練された機体に刻まれていたのは、かつて世界を恐怖に陥れた忌まわしき赤と白の傘ではない。冷徹なまでにデザインされ、今や世界中から「正義の象徴」として称賛を浴び始めている『青い傘』のエンブレムだった。
(……ただの反バイオテロ組織が、正規軍並みの最新鋭機を飛ばしている……か)
レオンは濡れた前髪をかき上げた。
この雨の向こうで、一体誰が本当の糸を引いているのか。大国すら恐れをなして退いたこの盤上で、青い傘は何を企んでいるのか。レオンは眉をひそめ、さらに深く内戦の闇へと足を踏み入れていった。
一方その頃。ホリフィグラードの中心にそびえ立つ、要塞とも呼べる強固な防衛システムに守られた大統領府の最深部、大統領執務室。
この国の最高権力者であり、元軍人としての冷酷な合理性と卓越した格闘術を持つ女性大統領、スベトラーナ・ベリコバの対面には、この無骨な部屋には似つかわしくない豪奢なアンティークチェアが運び込まれていた。
そこに腰掛けているのは、真っ白なシルクのワンピースを纏った銀髪の少女──ブルー・アンブレラの最高責任者、エリザベス・ステイラーである。
「──ベリコバ大統領。我がブルー・アンブレラがご提案するのは、単なる人道支援ではございませんわ」
エリザベートは、春の木漏れ日のように柔らかく、慈愛に満ちた声で語りかけた。鈴を転がすような美しい声音。完璧な淑女の微笑みを浮かべながら、彼女は細い指先で、デスクの上に一冊の分厚いファイルを開いた。
「こちらは、我が社が独自に開発いたしました『対B.O.W.用新型兵器』の目録です。リッカーの硬質化した皮膚を容易く貫通する特殊徹甲弾、プラーガの神経系を一時的にマヒさせる指向性音響兵器、そして局地制圧用のカスタムガン……。どれも貴国の治安維持、いえ、
スベトラーナは資料を手に取り、その知的な瞳を細めた。
「どれも素晴らしい性能ですわね。一応は国連傘下である反バイオテロ組織が…これほど実践的で攻撃的な兵器を独自開発し、販売まで行っているとは……少々、驚きです」
「ええ。それに、もし万が一、前線でウィルスの漏洩や大規模な感染が確認された場合もご安心ください。我が社は旧トライセル社の優れた製造設備をそのまま引き継いでおりますの。高度な抗ウイルス薬や特効薬、ワクチンを、どこよりも迅速に、かつ大量に貴国へ供給してみせますわ」
優雅に紅茶を口に運ぶエリザベート。
表向きはバイオテロを未然に防ぐための商談。しかしその実態は、紛争当事国の弱みに付け込み、最新兵器と高額な医薬品をセットで売りつける、完璧な「死の商人」の振る舞いだった。
その時、執務室の重厚な扉が静かに開いた。
タイトな赤いドレスに、知的な眼鏡。国連の反バイオテロ組織『BSAA』の特別調査官を騙り、スベトラーナの内偵に訪れた美女──エイダ・ウォンである。
エイダは室内の光景を目にした瞬間、一瞬だけその完璧なポーカーフェイスの裏で目を見張った。
デスクの上に広げられた兵器の設計図や医薬品の独占供給契約書。そして、それを天使のような笑顔で説明している銀髪の少女。
(……何これ? 反バイオテロ組織のトップが、内戦国のトップに直接、武器の営業をかけているの?)
エイダの入室に気づいたエリザベートは、ゆっくりと首を傾げ、どこまでも優しく歓迎するような微笑みを向けた。
「あら? お遅いお着きですのね、BSAAの調査官様……」
その声は優しく、まるでお茶会に遅れてきた友人を労るかのようだった。
「初めまして。ブルー・アンブレラのエリザベス・ステイラーですわ。国連の『同僚』であるBSAAの方が、この東スラブの悲劇を止めるために駆けつけてくださって、私、本当に心強いですわ」
「お目にかかれて光栄です、ステイラー代表」
エイダは冷静さを装い、視線をデスクの資料へと落とした。
「……ですが、少々耳を疑ってしまいましたわ。世界をバイオテロの脅威から守るはずのブルー・アンブレラが、このような場所で、新型兵器の売買契約を結んでいるように見えましたので」
エイダの皮肉混じりの指摘に対し、エリザベートは少しも動じない。それどころか、世間知らずな子供を見るような、哀れみすら含んだ柔らかな笑みを深めた。
「フフフ……綺麗事では、反バイオテロ組織は運営出来ないのよ、調査官様?」
その瞬間、優しく淑やかな口調の背後に、何万人もの命をチェス盤の駒としてすり潰してきた老帝王の、おぞましいまでの現実主義がドロリと滲み出た。
「世界を救うためには、圧倒的な力と、それを支える莫大な資金が必要ですわ。我が社は全ての監査をクリーンに受けており、どこからも非難される筋合いはございません。バイオテロを鎮圧するための武器を売り、傷ついた人々を救うための医薬品を提供する。これのどこが悪行と言えますかしら?」
エリザベートは上品に袖で口元を隠して笑う。
エイダは背筋に冷たいものが走るのを感じていた。この少女は、自分が『悪』であることを完全に『正義』のシステムの中に組み込んでいる。紛れもない、ソシオパスの匂い。
「さて、ベリコバ大統領。商談の続きをいたしましょう。我が社の精鋭部隊は、すでに国境線で私の指示を待っておりますわ」
エリザベートが微笑む。
しかし、彼女の真の目的は兵器の販売などではない。この大統領府の地下に眠る、旧アンブレラ・コーカサス研究所から強奪された『タイラント製造装置』の回収。そして、かつての反逆者アレックス・ウェスカーの足跡を辿ることだった。
「おい、何かがおかしいぞ」
大統領府へと続く、広大で入り組んだ地下水道。プラーガをその身に宿し、B.O.W.を操る力を得た反政府軍の青年・バディは、自身の前に広がる異変に気づき、足を止めた。
彼と一時的な休戦を結び、共に地下を進んでいたレオン・S・ケネディは、タクティカルライトの白い光を前方の暗闇へと向けた。
そこにあった光景に、レオンは思わず小さく口笛を鳴らした。
「なるほど。先客がずいぶんと綺麗に『掃除』していってくれたらしいな」
ライトの光が照らし出したのは、政府軍の兵士でもなく、ましてや普通の死体でもない。プラーガに寄生され、ガナードと化した反政府軍の民兵たちの死の山だった。
特筆すべきは、その殺し方だ。
一切の無駄な銃撃戦の形跡がない。すべての怪物が、ただの一発の銃弾で脳髄を正確に撃ち抜かれているか、あるいは完璧な近接格闘術によって一瞬で頸椎をへし折られていた。抵抗した痕跡すらなく、まるで動く的を処理するような冷徹な作業の跡。
「なんだ、この手際は……。まるで、呼吸をするように化け物を殺していやがる」
バディが戦慄に声を震わせる。
レオンは死体の一つに近づき、弾痕の口径と、泥に残された軍靴の足跡を鋭く見つめた。
姿は見えない。だが、自分たちの遙か先を、信じられない速度と確実性で突き進んでいる「死神」の気配が、残された硝煙の匂いから生々しく伝わってきた。
「バディ、警戒を怠るなよ。前方にいるのは、大統領府の軍隊やB.O.W.より遥かに厄介な『死神』だ」
レオンはハンドガンを構え直し、静まり返った地下の闇へと足を進めた。
一方、大統領府の最深部。
地下にある不気味な緑色の培養液が満たされた巨大なカプセルが並ぶ、タイラント製造プラントに、エイダ・ウォンはいち早く忍び込んでいた。
お目当てのタイラント製造装置のデータを端末にコピーし終え、息をついたその時、背後の自動扉が静かに開いた。
「そこまでよ、働き蜂。ワシの遺産を勝手に持ち出されては困るな」
そこに立っていたのは、スベトラーナ大統領ではない。
かつての天才肌の女王、アレクシア・アシュフォードを彷彿とさせる気高い姿へと「擬態」したエリザベートが、漆黒の巨人セバスチャンを従えて立っていた。
「あら、ブルー・アンブレラの代表自らが泥棒退治? 随分とフットワークが軽いのね」
エイダは妖艶に微笑みながらも、瞬時に筋肉を張り詰め、戦闘態勢をとる。
「どこに雇われておるのかは知らんが……いらん事に首を突っ込むと命は無いぞ?」
「あら? なんの事かしら?」
「貴様は気にすることでは無い。ワシはなんでも知っておるとも」
エリザベートは、こめかみをトントンとする仕草をエイダに披露する。
怪しくニヤリと笑うエリザベスのその歪な表情に、エイダは長年の勘からか、背筋に冷たいものが走るのを感じた。先程までの淑女の面影は完全に消え失せ、その瞳には老獪な帝王の傲慢さが宿っている。
「女の秘密を詮索する子は友達が出来ないわよ?お嬢さん」
「口の減らない女だ。セバスチャン、手出しは無用。ワシが直々にこの虫ケラを捻り潰してくれよう」
エリザベートが可憐な顎を引いた瞬間。
──ドンッ!!
凄まじい踏み込みで、エリザベートはエイダとの距離をゼロに詰めた。先程まで彼女が立っていた金属の通路は、その規格外の脚力によって無惨にへしゃげている。
「ッ……!」
その人間離れした速度に、エイダの美しい眉が跳ね上がる。
エリザベートの手刀がエイダの顔面を掠め、背後の鋼鉄のパイプをまるでバターのように容易く切断した。火花が散る中、二人の極限のCQCが勃発する。
エイダはしなやかな体術でエリザベートの猛攻を紙一重でかわし、カウンターの体勢に入った。軸足を鋭く回転させ、エリザベートの無防備な脇腹へと、渾身のハイキックを叩き込む。木材をも砕く、完璧な一撃。
──ドズゥゥゥンッ……!!
凄まじい衝撃音がプラントに響いた。
しかし、エイダの表情が驚愕に凍りつく。手応えが、あまりにも異常だった。
肉や骨を打つ感触ではない。まるで『超巨大な水のタンク』、あるいは底なしの粘性流体に全力の蹴りを叩き込んだかのように、衝撃がズブズブと体内に吸い込まれ、霧散してしまったのだ。エリザベートの華奢な身体は、微動だにしなかった。
「……な……!?」
「良い蹴りだ、エイダ・ウォン。……だが、物理的な衝撃など、ワシの肉体の前には何の意味もなさぬのでな」
エリザベートは蹴られた脇腹を気にする風もなく、首を不気味に傾げて冷笑した。彼女の美しい肌の下で、赤黒い細胞が一瞬だけ波打つ。
エイダが慌てて足を引こうとしたが、すでに遅い。エリザベートの白い手が、エイダの細い首をめがけて容赦なく突き出された。
「くっ……!」
エイダは咄嗟に体を仰け反らせ、首筋への直撃を避けたものの、風圧だけでキャットスーツの襟元が引き裂かれる。床を転がるようにして距離を取ったエイダは、すぐさま懐からフックショットを抜き放ち、天井の梁に向けて射出した。
「おいたが過ぎる女は、嫌われるわよ……お嬢さん」
ワイヤーが巻き上がる力で、一気に空中へと逃れるエイダ。
それを見上げるエリザベートは、追撃するでもなく、ただ面白そうに紅い瞳を輝かせた。
「フフフ、逃げ足だけは一流か。だが、このプラントのデータも、お前の命も、すべてはワシの掌の上にあることを忘れるな」
天井の闇へと消えていくエイダの残像を見送りながら、エリザベートはニヤリと笑った。
彼女はプラントの奥深くで静静と眠る「鋼鉄の巨人たち」……そのマスターシステムとなる、巨大なメインコンソールへと歩み寄った。
背後に控えるセバスチャンは、一言も発しない。ただ無言のまま、エイダが消え去った天井の闇へと鋭い視線を向け、主人の指示を仰ぐように深く頭を垂れた。
エリザベートはコンソールのキーボードの上に白く細い指を這わせながら、ふっと喉を鳴らした。
「構わんよ、セバスチャン。あんなネズミ一匹が持ち出せるデータなど、たかが知れている。……ワシの真の目的は、こんな時代遅れのB.O.W.の製造法などではないからな」
その紅い瞳が、ノスタルジーと冷酷な野心を交えた光を帯びる。
「ワシはかつて、セルゲイにアンブレラ再興の為の足掛かりを任せたのだ。まぁ、あの裏切り者のアルバートとBSAAに壊滅させられたがね」
エリザベートの指先が、流麗な動きでコンソールに複雑なアクセスコードを打ち込んでいく。スベトラーナたちには到底辿り着けない、ブラックボックスの最深部へ。
「だが、セルゲイが守護していたアンブレラのすべてを記憶する中枢データ……『U.M.F.-013』。それを守るために作った防御用AIのレッドクイーンは、アルバートに完全に消去される直前、自らの使命を全うしたのだよ。……レッドクイーンは消去される前、U.M.F.-013のデータを密かにコピーし、かつてのコーカサス研究所にあった設備にバックアップをとったのだ」
カチリ、と。最後のエンターキーが叩かれた瞬間。
プラント全体の照明がフッと暗転し、コンソールのモニターが、血のような真紅の光に染まった。画面の中央に浮かび上がるのは、旧アンブレラの紋章。
「──それが正に、コーカサス研究所から盗み出された『これ』に、休眠状態で残っているのだよ……!」
エリザベートの口の端が、三日月のように吊り上がる。
スベトラーナ大統領は、これを単なる「タイラントを製造出来る装置」としてしか見ていなかった。だが、スペンサーの真の狙いは、その製造装置のシステム基盤内部に隠されていた、アンブレラが過去に蓄積した『全研究データと歴史』そのものだったのだ。
『……システム再起動。プライマリ・アクセス権限を確認。……オズウェル・E・スペンサー卿。お帰りなさいませ』
モニターから響く無機質な少女の声。
「ああ、ただいま。よく眠っていたな、赤き女王よ。……さあ、ワシの遺産をすべて『青き傘』のメインフレームへと移送しろ」
『了解致しました』
エリザベートが装置に突き刺した特殊な記憶端末に、莫大なデータが凄まじい速度で移送されていく。
アンブレラの全データを掌握し、真の目的を果たしたエリザベートは、これまで被っていた「完璧な淑女の仮面」を完全に脱ぎ捨てた。その表情から慈愛の微笑みが消え失せ、底冷えするような冷徹な顔へと変わる。
彼女は懐から、国境線に待機させているブルー・アンブレラ私設軍隊へと直通する無線機を取り出した。端末のボタンを押し、冷徹極まりない声色で、冷酷な命令を下す。
『総員、行動開始せよ。反政府側に手を貸してやろうではないか……』
通信の向こうで、カルロスやハンク、そして完全武装した精鋭部隊が息を呑む気配が伝わる。エリザベートの声は、淡々とこの国の欺瞞を暴いていく。
『東スラブ共和国政権側は真っ黒だ、バイオハザードを引き起こしていたのは政権側だと言うのもわかった。プラーガを反政府組織に渡したのは政権側が、大義名分を得る為にやった事のようだ。……では、諸君達の健闘を祈る』
パチリ、と通信が切られる。
スベトラーナの自作自演による非道なマッチポンプ。その真実を大義名分として掲げ、国境線で待機していた「青き傘」の軍勢が、エリザベートのその一言を合図に、一斉に東スラブ共和国内へと侵攻を開始した。
表向きは「バイオハザードの鎮圧と悪徳政権の打倒」。
だが、その実態は青き傘による圧倒的な軍事介入であり、新たな支配の始まりであった。
地下プラントに不気味な機械音が響き渡り、カプセルの中で眠っていたタイラントたちが、侵入者を排除すべく次々とその双眸を開き始める。東スラブの黒い雨は、いよいよ血の嵐へと変わろうとしていた。
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エイダ・ウォンの喋り方が難しい。バイオハザード6編でむっちゃ出るのに