「お前の素性を教えろ」
その一言で、緩みかけた空気が再び締まる。キリトの肩がびくりと揺れる。
「別ゲーやってた奴がいきなりコンバートしていきなりBoBに参加するって発想は普通出てこないぞ」
キリトはすぐには返せなかった。視線をわずかに逸らし言葉を探す。誤魔化そうと思えばいくらでもやりようはある。初心者のフリを続けることもできるし、適当な理由をつけて話を逸らすこともできる。
だが――
(無理だな、これ)
短いやり取りだけで理解していた。この相手に中途半端な嘘は通じない。むしろ、誤魔化せば誤魔化すほど深掘りされる。そういうタイプだ。キリトは小さく息を吐いた。
覚悟を決める。というほど大げさなものではない。だが、これ以上無駄に取り繕う意味はないと判断した。
「……デスガンのことを調べにきた」
その一言が落ちた瞬間、ナガンの動きがぴたりと止まった。ついさっきまで“規約違反を処理する側”として淡々と相手を切り分けていた視線が、ほんのわずかに質を変える。
監視でも選別でもない。観察。対象の中身を見極めるための、静かで、逃げ場のない視線だった。
「お前もか……?」
吐き出すように短く言う。その声音には、驚きよりもむしろ“確認”に近い響きがあった。キリトが顔を上げる。
「“も”って……」
問い返す声は小さい。だが、その一言でナガンはわずかに目を細めた。ウィンドウを閉じかけていた指が止まり、そのまま宙で静止する。やがて、ほんのわずかに顎を上げた。
「あんな事起きりゃ、嫌でも耳に入る」
淡々とした口調だが、その裏にあるのは確信だった。
「ゲームで撃たれたら現実でも死ぬ――普通に考えりゃあり得ない話だが、実際に起きてる以上、無視する奴の方が少ないからな」
思考を組み立てているのが分かる。
「それで“調べよう”って考えるプレイヤーも出てくる。まあ当然だな」
視線は外れない。
「だが問題はそこからだ」
わずかに声のトーンが落ちる。
「デスガンってのは当然偽名。本当のプレイヤーネームは不明。知ってる奴はゼロ。分かってるのは“殺したときに使った銃の名前”くらいだ。なのにお前は来た。撃たれたら死ぬなんてなんて物騒な噂を聞いてるにも関わらずだ。つまり――」
ほんのわずかに口元が歪む。
「協力者がいるな?」
キリトの呼吸が止まる。ナガンはさらに淡々と積み上げる。
「それなりに情報持ってて、なおかつ“調査させる価値がある”って判断できる立場の人間」
一瞬の沈黙。そして、
「……お偉いさん、ってとこか?」
完全に核心だった。キリトは、何も言えなかった。否定も、肯定も。そのどちらも選べないまま、ただ沈黙するしかない。だがその沈黙自体が――何より雄弁だった。ナガンはその反応を見て、小さく息を吐く。
「図星か」
確信に変わる。もう、それ以上深く追及する必要はなかった。目の前の男が“ただの初心者”ではないことも、この件に軽い気持ちで首を突っ込んでいないことも、そして――自分と同じように、“現実とゲームの境界に引っかかっている側の人間”だという。
(……ほとんど当たってる)
完全ではない。だが核心には届いている。自分が関わっている案件の大枠を、この男は会話の流れだけで組み上げてしまった。
通信ネットワーク内仮想空間管理課――通称「仮想課」。
そこで働く菊岡誠二郎から持ちかけられた依頼。
“デスガンが本当に現実世界に影響を及ぼしているのかを調べてほしい”
その概要を、目の前の男は一切の前情報なしに、ほぼ言い当てた。彼は、ほんの一瞬だけキリトの表情を観察するように目を細めたまま、先ほどまで張り詰めていた空気を自分の側から切り落とすように、軽い調子で肩の力を抜きながら息を吐き出した。
「ま、今の話は証拠も何も無いただの独り言だ。気にしないでくれ」
あっさりとした声音だった。まるで先ほどまでの推察も、鋭い視線も、すべて冗談だったかのように扱うその切り替えの速さに、キリトは一瞬だけ言葉を失う。
ナガンはそのまま軽く視線を逸らし、ウィンドウを閉じながら続ける。
「俺もデスガンについて探る為にBoBにエントリーする予定だったから、協力する」
さらりと言った。あまりにも自然で、まるでついでのような口調だったが、その内容は軽くない。
キリトは一拍遅れて反応する。
「いいのか?」
確認の言葉だった。警戒ではなく、純粋な驚きから出た声。ナガンはその問いに対して、特に間を置くこともなく答える。
「あぁ」
そして、ほんのわずかに口元を歪めて――
「お前がネカマでも俺は平気だ」
空気が一瞬で崩れた。
「そこ!?」
キリトのツッコミが即座に飛ぶ。先ほどまでの緊張感はどこへ行ったのか、という勢いだった。ナガンは気にした様子もなく続ける。
「いや重要だろ。信用問題的に」
「いや優先順位おかしいだろ!」
「でも否定しきれてないのがまた微妙なんだよな」
「してるわ!!」
テンポよく返るやり取り。さっきまで命に関わる話をしていたとは思えない軽さだった。キリトは視線を落としたまま小さく息を吐いた。
「てかキリト、BoBにエントリーすんのは分かったが、装備とか決めてんのか?」
ナガンの言葉はあまりにも当然の疑問だった。キリトは一瞬だけ固まり――そのまま、言葉を詰まらせる。
「う……」
完全に図星だった。コンバートできるのはステータスだけ。装備はゼロからであり所持金もゼロに近い。キリトは思い出したように、震える右手でウィンドウを開く。表示された数字を見て、沈黙する。
「……1000クレジット」
「バリバリの初期値だな」
ナガンの即答は、優しさの欠片もなかった。
「どこか、手っ取り早く稼げるような場所って無いか?確かこのゲーム、カジノあるって聞いたんだけど」
「あるにはあるな」
ナガンは時間を確認してあっさり頷き、少しだけ顎をしゃくる。
「とりあえず行くか。ガンショップもあるし、まだ時間もあるな....今のお前の所持金でできることなんざ、逆にそれくらいしかないぞ」
さっきまで張り詰めていたものが、少しだけほどける。完全に信用されたわけじゃない。だが、完全に拒絶されたわけでもない。
その曖昧な距離感が、今はちょうどよかった。
「……ありがとな」
小さく呟く。ナガンはそれに対して振り返ることもなく、
「だから、ネカマでも気にしないって言ってるだろ」
「だから違うって!!」
再びツッコミが響く。その声が、雑踏の中に溶けていった。
二人はそのまま、入り組んだ路地へと入っていく。錆びた壁とネオンの残骸が混ざる、GGOらしい雑多な裏通り。やがて視界が開け、大通りへ出た瞬間――派手すぎる光が目に飛び込んできた。
「……うわ」
キリトが思わず声を漏らす。
「アレだ」
視線の先には、やたら主張の強い看板。
『untouchable!』
ネオンと弾痕モチーフでギラギラした、いかにも“ここで金が動いてます”という圧のある建物だった。
「す、すごい金額だな……」
キリトが呟く。
「あの、ゲートからガンマンの銃撃を避けながらどこまで行けるかってゲームだ」
「銃撃を避ける?」
「あのガンマンに触れた瞬間、今までプレイヤーが突っ込んだ金が全部持っていける」
「全額!?」
キリトの声が一段上がるが、ナガンはさらに淡々と補足する。
「しかもな、あれまだ累積されてんだよ」
「それって....」
「誰もクリアしてないってことだ」
空気が止まり、キリトは看板を見上げる。ナガンも、同じく見上げる。
そして――
「……誰がやるんだよこんなの」
「やるやつはいる」
ナガンは即答した。その後彼の言う通り挑戦するものが現れるが結局失敗していた。
その数分後、キリトは普通に挑戦していた。
「……お前さ」
「どうした?」
「俺の説明、聞いてたか?」
「聞いてた」
「じゃあ、なんで行った」
「いけそうだった」
「その自信どこから来るんだよ」
結果――キリトは普通に突破した。無駄がない動きに加え最短ルート。弾の“隙間”に入るような異常な回避精度。ナガンはそれを見て、しばらく無言になる。
「……怖」
思わず漏れた一言だった。キリトは景品カウンターで30万クレジットを受け取り、少しだけ笑っている。
「これで装備買えるな」
「普通にやべぇやつだろお前」
ナガンは本気でそう思った。だが、とりあえず金はできた。
「で、キリト」
ナガンはふと思い出したように言う。
「お前、好きな銃とかあるか?」
「え、特には無いけど……」
「そうか」
ナガンは軽く頷く。
「じゃあステータスは?」
「筋力寄りで、次が敏捷性」
「なるほどな」
ナガンは少しだけ考え込む。
「じゃあ選択肢は絞れるな」
そのときだった。キリトがふと、画面を確認して顔を上げる。
「そういえばナガン」
「ん?」
「さっき時間どうって言ってたけど、大丈夫なのか?」
軽く返事をしながらも、ナガンはその場でウィンドウを開く。指先の動きはいつも通り無駄がない。癖のように滑らかで、戦闘中でも変わらないであろう操作速度だった。
だが――視線が表示された情報に触れた瞬間、わずかに空気が変わる。
「……やべ」
「え?」
キリトが首をかしげる。ナガンは画面から目を離さないまま、淡々と告げる。
「待ち合わせ時間5分過ぎてる……」
重大なミスをした人間のテンションではない。
「今日はフレンドと会う約束してたんだよ」
ナガンはウィンドウを閉じながら続ける。その言い方は、まるで“ちょっとした遅刻”程度のニュアンスだった。
「どんな人なんだ?」
キリトが何気なく投げたその一言は、本当にただの雑談の延長だった。だがナガンの動きは、その瞬間だけほんのわずかに止まる。キリトの問いに、ナガンは少しだけ考える素振りを見せてから言った。
「お前と同じネカマ……じゃなかったな」
「おい!」
「正真正銘の女で、スナイパーやってる」
淡々とした説明だがその中身は、妙に具体的だった。
「俺もスナイパーなんだが、狙撃手のくせにライトブルーの目立つ髪色してるなって時折思う。まぁステルス系のスキル入れてるから関係ないと思うんだが」
キリトが思わず口を挟む前に、ナガンはさらに続ける。
「まぁ気が強い奴だな。彼氏がいたら多分尻に敷いてるタイプだって勝手に思ってる」
「それ評価としてどうなんだ……」
あまりにも雑で、あまりにも遠慮のない評価だった。キリトはその横で、ほんの一瞬だけ空気が軽くなるのを感じる――次の瞬間、別の方向から声が割り込んだ。
「随分と....好き勝手言ってくれるわね?」
ナガンはそれに気づくこともなく言葉を続ける。
「そうそう。今みたいに、
そこまで言って、ナガンもようやく違和感に気づく。
「……え?」
空気が一段落ちた。キリトはもう何も言わない。顔から血の気が引いていくのが分かるほど、完全に硬直していた。そして次の瞬間。キリトの震える指がナガンの背後を指す。
「あ……」
声にならない声だった。ナガンはそのまま、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、ライトブルーの髪を持つプレイヤー。光の加減で冷たく見え、妙に目立つその色は、ナガンの記憶にある特徴と寸分違わなかった。
いや、一致しすぎていた。
偶然というには、あまりにも出来すぎている。まるで先ほどまでの会話を、そのまま具現化したかのような存在だった。だが、それ以上に問題なのはその表情だった。口元は笑っている。確かに笑っているはずなのに――目が、まったく笑っていない。
「待ち合わせの時間も過ぎて、どこに行ったと思ったらあること、ないこと言ってくれてるじゃない」
空気がそこで止まる。周囲のざわめきだけが遠くに引いていき、この一点だけが妙に重く濃く沈んでいく。ナガンは一拍だけ置いて、その現実を受け止めるように目を細めた。
「……あー」
「説明してもらえる?」
ナガンは離れた路地へ連行される。キリトはその場に取り残され、完全に蚊帳の外だった。10分程説教を喰らいキリトの元に帰ってくる。本来なら3分で終わるのをナガンが余計な茶々入れてくる為こうなった。
「えっと……」
声を出そうとしたタイミングで、シノンは振り返る。その視線がキリトに向く。そして――なぜか少しだけトーンが柔らかくなった。
さっきまでの鋭さが嘘のように抜けている。
「……あぁ、ごめんなさい。怒鳴ったりして、ちょっとこのバカに用があったから」
シノンは軽く息を整えるように言い直しながら、まだナガンの腕を引きずったままキリトへ視線を向けた。その声音は先ほどまでの鋭さとは打って変わって、外向きにはかなり柔らかいものになっている。
「おい、バカっていうな。後コイツ男だぞ」
ナガンがすかさず口を挟む。シノンはその瞬間だけ、わずかに目を細めた。
「アンタは反省してなさ……え?」
さっきまでの“女プレイヤー”前提の柔らかい対応が、ほんの一瞬で組み直されるような間だった。キリトはその空気の変化に気づきながらも、逃げ場がないことを理解し乾いた笑いを一つこぼすしかない。
「アハハハハハ……ハイ.....オトコデス.....」
その一言が落ちた瞬間、沈黙が一拍だけ場を支配した。シノンの表情が明確に固まり、そんなシノンの顔を見て笑いを堪えてるナガンはまたシノンと長いO•HA•NA•SHIをするハメになったのだ。
次回はキリトの銃選び