......一回ぐらいこんな話を書いてみたかったんですよ!!
BoBは定刻通りに開始された。
総督府上空に浮かぶ巨大スクリーンには、各ブロックの試合映像が次々と映し出され、待機エリアには歓声、怒号、銃声、敗者の呻き、勝者の笑い声が入り混じった独特の熱気が渦巻いている。
そこにいる全員が武装しており、全員が相手を倒すために来ている。だからこそ空気そのものが、どこか張り詰めていた。
そんな中でキリトとシノンは、危なげなく初戦を突破していた。
特にキリトの試合は、もはや別ジャンルだった。フルオートでばら撒かれる弾丸の雨へ真正面から突っ込み、光剣《カゲミツG4》で次々と銃弾を弾きながら距離を詰め、その合間にFN・ファイブセブンで牽制射撃を挟み、最後はそのまま斬り伏せる。
どう考えても銃撃戦の大会でやる動きではない。しかもそれが成立しているのが、一番意味不明だった。試合終了後、待機エリアへ戻ってきたプレイヤーたちの間でも、露骨にざわめきが起きていた。
『あれ何だよ……』
『いや待て待て、今フルオート斬ってただろ……』
『怖ぇよ……』
そんな声が飛び交う中――当のキリト本人は、何故か普通の顔をしていた。そのせいで余計に怖い。そしてナガンは、その騒ぎから少し離れた場所を歩きながら、小さく呟く。
「フルオートの弾丸斬るって頭おかしいだろ……」
わりと本音だった。普段の彼は、他人の戦闘を見てもそこまで感情を動かさない。上手ければ「上手いな」で終わるし、下手なら「そういうもんか」で流す。だが今のキリトの戦いだけは、さすがに“理解不能側”だった。
もっとも、その呟きを聞く者はいない。既にナガンの周囲は、BoB特有の転送待機空間へと切り替わっていた。周囲は真っ暗。上下左右の感覚すら曖昧になるほどの闇の中で、足元にだけ、淡く発光するオレンジ色の六角形フィールドが存在している。その静まり返った待機空間の中で、ナガンはゆっくりと自分の装備へ視線を落とした。どれだけ使い込んだ武器だろうと、戦闘前になると必ず一度確認する。
安全装置、装填状態、重量バランス、ホルスターの収まり具合――頭では問題ないと理解していても、実際に目で見て、手で触れなければ気が済まない。
両手に抱えているのは長距離狙撃銃――CheyTac M200 Intervention。
GGO内でも屈指の超長距離狙撃銃であり、性能だけ見れば完全に“ロマンと実用性を両立させた怪物”。この銃には他を黙らせるだけの暴力がある。遠距離に限れば、一撃で戦場そのものを支配できる。そして何より――ナガン自身が、この銃を誰より信頼していた。
巨大な銃身へ軽く触れ、続いて腰へ意識を向ける。そこに吊られているのは、異様な存在感を放つ大型リボルバー、《RSh-12》。存在自体がレアでメインに据えない類の武器だ。重い、反動が強い、とにかくクセが強い。
だがナガンは、その“クセ”込みで気に入っていた。近距離用には《カゲミツG4》。さらにサブウェポンとして、使い慣れた《H&K USP》がホルスターへ収まっている。
どれも高級装備で、しかも重量制限ギリギリ。普通ならもっと軽く、もっと効率的な構成にする。大会ならなおさらだ。GGOにおける高性能武器は買って終わりではない。弾薬代、整備費、耐久消耗、カスタム維持費。特にM200クラスになると、一発撃つだけで笑えない量のクレジットが飛ぶ。
しかもナガン自身、無駄に目立たなければ、無駄にリスクも取らず、必要以上に本気装備を晒さない。
そういうタイプだが――今回は違う。
シノンに言った通り負ける気はないし、出し惜しみをする気も毛頭ない。デスガンの存在を確かめるためにここへ来たのだ。中途半端はやらない。安全策も、節約も、いつもの合理性も、今回は全部後回しだ。だから今のナガンは、“大会に出ているプレイヤー”ではなく――“本気の真下悠也”に近かった。
静かな暗闇の中で、彼はM200のボルトをゆっくりと引く。内部に装填された弾薬を確認し、そのまま静かに押し戻すと、硬質な金属音が短く響き、再び静寂が戻った。
「……よし」
小さく呟く。
緊張はあるが不思議と焦りは無かった。視界の前方に半透明のウィンドウが浮かび上がる。その無機質な表示と同時に、カウントダウンが始まった。彼はゆっくりと重心を落とし、周囲へ意識を研ぎ澄ませる。
次の瞬間、白い光が視界を呑み込み、身体が一瞬だけ浮遊感に包まれる。転送された瞬間、ナガンはまず視界全体を一度だけ流すように見渡した。
「広い.....」
乾いた風が吹き抜ける荒野フィールド。地面には赤茶けた岩肌が露出し、ところどころに崩れた岩壁と低い丘陵が点在している。砂塵は風に乗って断続的に舞い、遠景には崩壊した施設跡のような影も見える。遮蔽物は少ないが、完全な平地というわけでもない。
長距離射線が通り伏せられる場所もある。そして高低差も確保できる。
「狙撃向きだな...」
ナガンは瞬時にそう判断した。
次の瞬間には一歩だけ踏み出し、近くの岩陰へ滑り込むように移動する。その動きには一切の迷いがない。索敵より先に“撃てる場所”を確保する。《CheyTac M200 Intervention》が既に展開されていた。
一方、待機エリアの大型スクリーンに映し出されたその光景を見ていた観客たちの間で、早くもざわめきが広がり始める。
『おい……あれ、M200か?』
『初参加だよな、アイツ?』
『M200って存在してるのは知ってたが、まさかアイツが持ってたのか……』
『つーか重量制限大丈夫なのか、あの装備』
『サブ装備ほぼ削ってんじゃねぇの?』
観客席の空気が少しずつ変わっていく。単なる珍装備への反応じゃ無かった。GGOサーバーにおいて、“対物狙撃銃”カテゴリに分類される武器自体が極端に少ない。
ヘカートⅡ、CheyTac M200 Intervention。その他を含めても、実装総数は僅か数十挺しか存在せず、しかもそれらはマーケットには絶対に流れない。ショップ販売なし、量産なし、プレイヤー間取引も原則不可能。入手経路は、期間限定イベント、超高難易度ボス、あるいは極低確率ドロップなど、どれも正気とは思えない条件ばかりだった。
だが、異常なのはそこではない。
対物狙撃銃には“被り”が存在しない。世界に存在する数十挺、その全てが別個体。つまり、《ヘカートⅡ》はシノンだけの銃であり、《CheyTac M200》はナガンだけの銃だった。
だが、本当に異常なのは
スコープ越しに――ナガンは既に相手を捉えているという事だ。
距離にして、およそ481メートル。BoB予選の初期配置は、最低でも500メートル離される仕様になっている。つまり対戦相手は、転送された直後から既に移動を開始していたということだ。BoB経験者であればあるほど、初動は堅実になる。転送直後は位置情報も少なく、不意打ちの危険も高いからだ。しかし、彼だけが既に“撃つ段階”へ移行していた。待機エリアの観客たちも、それに気付き始める。
『おい……もう覗いてるぞ』
『いや早すぎるだろ』
『敵見えてんのか?』
『まだ転送されて数秒だぞ?』
大型モニターに映るナガンの動きには淀みが無かった。左手で自然に銃床を支え、右肩をストックに吸い付かせるように固定し、頬付けと同時にスコープへ視線を通す。
その動作があまりにも速く、最初からそこに銃があったかのような滑らかさだった。
その時、彼の脳裏に昔の記憶がふと蘇る。
『狙撃をする時は必ず両目を開けろ』
自分の隣で呆れたように笑っていた老人の声。低くしゃがれた声だった。フィンランド人の祖父。元軍人であり、悠也に狙撃を叩き込んだ張本人。
『片目閉じると視野が当然狭まる。周囲の状況把握も遅れるし、立体感も狂う。スコープだけ見てる奴は、大抵そのうち死ぬぞ』
当時の彼は当然のように片目を閉じていた。その方が集中できると思っていたからだ。だが祖父は容赦がなかった。
『お前、その癖モロに染み付いてるから徹底的に直すぞ....覚悟しとけ?』
そう言った直後、本当に徹底的だった。片目を閉じた瞬間、後頭部を叩かれたのだ。しかも結構痛い。
『狙撃手は一点しか見えなくなった瞬間に終わりだ。周りを観て、空気を読め。風を感じろ。スコープの中だけ見てる奴は、結局“見えてない”のと同じだぞ』
無茶苦茶な理論に聞こえた。だが、訓練を重ねるうちに意味が分かってきた。右眼でスコープを覗きながら、左眼で周囲を見る。
風の流れ
地形
遮蔽物
相手の逃げ先
全部を同時に把握して初めて“狙撃”と言えるのだ。だから今も、ナガンは左眼を閉じない。右眼だけでスコープを覗き込みながら、もう片方の視界でフィールド全体を捉えている。長年染み付いた癖だった。
そして、シノンと行動していた時のことも不意に思い出した。
隣で《ヘカートⅡ》を構えていたシノンは、ごく自然な動作でスコープを覗き込んでいたのだが――その瞬間、ナガンは思わずそちらを二度見しかけた。理由は単純だった。シノンが、当然のように“両目を開けたまま”狙撃していたからだ。右眼でスコープを覗き込みながら、左眼では周囲を捉え続けている。見慣れている人間なら、そこまで気に留めないかもしれない。だが、ナガンからすれば少し事情が違った。
(えー……ちゃんと出来てる……)
割と本気でそんなことを思っていた。スナイパーにとって、両目を開けたまま狙撃するのは理想形だ。視野の確保、索敵能力、距離感、周囲警戒――全部の面で有利になる。
だが、それを“自然にやれる”かどうかは別問題だった。ナガン自身、そこへ辿り着くまでにまぁまぁな時間を掛けている。延々と修正させられた記憶がある。だからこそ、シノンが最初から当然のようにやっている姿を見ると、妙な敗北感があったのである。
もっとも、今のナガンにそんな感情を挟む余裕はなかった。風の音も観客の熱狂もフィールドの広さすらも。今のナガンにとって必要なのは、“標的”だけ。
移動中のプレイヤー
移動方向
走行速度
地形の傾斜
気温
風速
偏差
弾道落下
着弾タイミング
それら全てが高速で処理されていく。頭で考えているというより、感覚そのものが弾道計算を行っているような速さだった。
(向こうは右へ流れてんな……ただ風は左から強く吹いてる……)
必要な情報だけを拾い不要なものを切り捨てる。そして――彼の口元が、わずかに吊り上がる。
「さて――俺と
誰に聞かせるでもない独り言だが、その声音には確かな熱が混じっていた。ナガン自身、M200を使うこと自体はあった。しかし、それはあくまで普段のフィールドのみ。更に弾薬費が高すぎるため常用できるような代物ではない。
それをBoBという大舞台で、自分の相棒を初めて解き放つ。それが、ナガンにとっての“初陣”だった。
そして――指先だけが、静かに動く。
次の瞬間、対物ライフル特有の重く腹に響く発射音が荒野全体を震わせた。衝撃波が周囲の砂塵を吹き飛ばし、乾いた地面に低い反響音が走る。
空気そのものが揺れたような錯覚が大型モニター越しですら伝わってくる。
一発。
本当にたった一発だった。移動していたプレイヤーの頭部が跳ねる。HPバーが、一瞬でゼロまで吹き飛ぶ。次の瞬間には、その身体そのものが光の粒子となって砕け散った。
待機エリアを包み込んだ熱狂は、ほんの数秒前までの空気を完全に塗り潰していた。ついさっきまで流れていたのは、“BoB恒例の盛り上がり”に過ぎない。
強豪が勝てば歓声が上がる。派手な銃撃戦があれば歓声が飛ぶ。だが今、観客たちの間に走っているものは、そんな単純な興奮ではなかった。理解不能なものを目撃した時のざわめき。あり得ない動きを見せつけられた時の混乱。
それは――“本物”を見た時の、ある種の恐怖にも似た熱狂だった。
『いや待て待て……!』
『何だよ今の……!』
『索敵してねぇぞアイツ……』
『転送されてから何秒だ!?』
『1分も経ってねぇぞ!……』
『化け物かよ!?』
BoBで狙撃そのものは珍しくない。上位勢にはスナイパーも多いが――“転送直後”“初弾”“移動目標”。その全部をまとめて成立させるプレイヤーなど、ほぼ存在しなかった。大型モニターには、依然として荒野に伏せたままのナガンの姿が映し出されているが、その姿勢は微塵も乱れていなかった。
一息ついた後、自然な動作で《CheyTac M200 Intervention》のボルトが静かに引かれた。排出された薬莢が陽光を反射しながら宙を舞う。回転しながら乾いた地面へ落ちたそれは、小さく砂を跳ねさせ、そのまま無造作に転がっていくのだった。
シノンは、今モニターの向こうで行われた狙撃の“本当の異常さ”を理解してしまっていたからこそ、目に見えて顔色が変わっていた。
握った拳には無意識のうちに力が入り、グローブがギリ、と小さく軋むほど強く握り締めていることに、自分自身ですら途中まで気付いていなかったほどであり、その視線は大型モニターへ完全に固定され瞬きすら減っている。
今の一発がどれだけ異常なのかは、別にスナイパーでなくても理解できる。転送直後、しかも相手は移動中。そんな状況で、481メートル先のプレイヤーを初弾で撃ち抜くなど、普通に考えればあり得ない。だが、スナイパーだからこそ見えてしまう“本当の恐ろしさ”というものが確かに存在していた。
距離だけではない。
索敵速度
照準速度
射撃判断
偏差修正
呼吸制御
風の読み
射線の通し方
相手の移動先予測
狙撃という行為を成立させるために必要な全工程が、あまりにも自然に、あまりにも速く処理されていたのである。もはや、“速い”という表現すら正確ではなかった。
速いというより、“迷いが存在していない”。まるで最初から答えが見えていて、そこへ確認作業をしているだけみたいに、ナガンは引き金へ到達していた。そこに、“当たるかもしれない”という願望は無い。“外したらどうする”という保険も無い。ナガンの狙撃には最初から、“当てる前提”しか存在していようにしか見えなかった。
だからこそ恐ろしい。
狙撃というのは、本来もっと慎重なものだ。距離が伸びれば伸びるほど不確定要素は増え、相手が移動していればなおさら難易度は跳ね上がる。
風向き一つ。
呼吸一つ。
偏差の僅かなズレ一つ。
それだけで結果は簡単に変わる。だから狙撃手は何度も計算し、確認し、最後の最後まで“外れる可能性”を頭の片隅へ置き続けるが、ナガンにはそれが無かった。
あまりにも自然に、あまりにも当たり前に移動目標を撃ち抜いてみせた。その姿は、まるで“そこに敵がいたから撃った”程度の感覚にしか見えないほど淡々としていて、だからこそ余計に現実味が薄く、逆にシノンの背筋を冷たくさせていた。
シノンは無意識に唇を噛む。
悔しかった。
狙撃手として、自分が積み上げてきたものを真正面から揺さぶられている感覚が確かにあった。それなのに、胸の奥ではどうしようもなく高揚している自分もいる。
「凄い.....」
認めたくないのに認めるしかない。狙撃手として、“見せつけられている”。
そんな感覚だった。バディとして共に行動していたからこそ分かる。最初は、あの男は普段かなり手を抜いていたのだと思っていた。しかし、シノンは自分の認識がズレていたことに気付く。ナガンは別に“隠していた”わけではない。普段と何も変わっていない。本人からすれば、今の狙撃も“いつも通り”なのだろう。
必要だから索敵する。
必要だから偏差を読む。
必要だから撃つ。
ただ、それだけの話に過ぎない。そして、その“いつも通り”が、周囲から見ると異常にしか見えない。そこが一番恐ろしかった。
悠也――ナガンの狙撃技術について少し補足。
彼は確かに才能があります。祖父も父親も狙撃手という環境ですし、視力や空間把握能力、動体視力なんかもかなり高い部類です。ただ、今の“化物級”の狙撃技術は、間違いなく祖父の訓練によって完成したものです。
フォーム矯正、両目照準、偏差射撃、呼吸管理、風読み、索敵速度、周囲、自転、気温、湿度、警戒――かつて祖父自身がやってきた基礎を、延々と叩き込まれています。
なので、もし祖父に鍛えられていなかった場合、悠也は精々“才能のあるゲーマー”止まりで、今みたいな「転送直後に移動目標を初弾ヘッドショット」で倒す。みたいな領域には到達出来ません。
その場合、狙撃手としてはシノンの方が上です。シノンはほぼ独学で、あそこまで到達しているタイプなので、実はかなり異常寄りの天才です。
悠也からすると、「なんで最初から両目照準できてんだよ……」みたいな感覚だったりします。
彼は“鍛え上げられて完成した怪物”。シノンは“独学であそこまで来た天才”。
方向性は違いますが、だからこそお互いに相手を少し理解できない部分があります。