名前のない距離の隣で   作:レゾリューション

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もっと直接的で、もっと現実に近い“過去”

待機エリアへ転送されたナガンは、淡い光が収束していく感覚の中で数歩だけよろめくように着地し、そのまま何事もなかったかのように肩の力を抜いて周囲を見渡した。

 

すぐに視界に入ったのは、こちらへ真っ直ぐ歩いてくるキリトと、その後ろで腕を組んだまま静かにこちらを見ているシノンだった。キリトは開口一番、抑えきれないといった様子で言葉を投げてくる。

 

「……お前、今の本当に同じゲームやってるのか?」

 

「普通にやってただけだろ」

 

その返答にキリトは即座に眉をひそめる。

 

「普通って言葉、今のお前から一番遠いと思うんだけど」

 

「いや、こっちの台詞なんだが?」

 

ナガンは淡々と返しながら、軽く首を回して関節を鳴らす。その仕草すら妙に余裕があるのがまた腹立たしい。

 

キリトは少し言葉を探すように間を置いてから、先ほどの光景を思い返すように視線を遠くへやった。

 

「あの距離で、転送直後の移動目標を初弾ヘッドって……さすがにやりすぎだろ」

 

キリトの声には呆れと困惑と、ほんのわずかな戦慄が混じっていた。転送直後で相手は移動中、通常ならまず索敵と地形把握から入るはずの状況で、ナガンだけが当然のように“撃てる状態”に到達していたことが、どう考えても現実離れしている。

 

だがナガンはそれを気にした様子もなく、むしろ逆に小さく鼻を鳴らす。

 

「いやいや、お前の方がよっぽど怖いけどな」

 

その言葉にキリトが一瞬固まる。

 

「そうか?」

 

「フルオートの弾幕突っ込んで、そのまま銃弾切りながら距離詰めて最後は剣で斬るとか、正気の戦い方じゃねぇだろ。あれのどこが安全なんだよ。銃の世界に剣持ち込んでくんな」

 

「いや、それは……」

 

キリトが言いかけて止まる。実際ナガンは狙撃という銃を使ったスタイルを取っている、というかそれが“常識的な戦い方”であるはずなのだが、今のキリトはその前提すらすでにどこかへ置き忘れているようだった。

 

ナガンは構わず続ける。

 

「こっちは当たれば終わりの距離で撃ってるだけだぞ? まだマシだろ」

 

「いやいや、どっちもおかしいから」

 

横からシノンが即座にため息混じりに口を挟んだ。その声には呆れが九割、残り一割に諦めが混ざっている。二人が同時にシノンを見ると、彼女は腕を組んだまま視線を左右へ振り、心底面倒そうに結論を突きつけた。

 

「キリトはキリトで近距離戦闘の常識壊してるし、ナガンはナガンで長距離の常識壊してるし……どっちも別ベクトルで狂ってるのよ」

 

「狂ってるって言い方ひどくないか?」

 

キリトが即座に抗議するが、シノンは一切取り合わない。

 

「事実でしょ」

 

その一言で会話は強制的に終了しかける。ナガンはナガンで「まあいいじゃねぇか」とでも言いたげに軽く笑い、キリトは納得できない顔のまま口を閉じるしかなかった。

 

結果として、その場に残ったのは――誰も自分が“普通側”だと言い切れない、妙に歪んだ沈黙だけだった。

 

 

やがてシノンは「ちょっと映像確認してくる」とだけ言い残し、その場を離れていく。

 

表向きは冷静だったが、実際にはナガンの狙撃映像を改めて確認するためだった。本人の前でそんなことをすれば、どうせまた「別に普通だろ」などと言い出すに決まっている。だからこそ、一旦距離を置いた。

 

そうして待機エリアには、キリトとナガンだけが残る。周囲では未だ先程の狙撃の話題が飛び交っていた。

 

誰もが興奮気味に語っているが、その中心にいたナガンとキリトは、まるで他人事みたいな顔で壁際へ寄りかかっていた。キリトはそんな横顔をちらりと見る。相変わらず掴みどころがない。だが、先程の射撃を見せられたあとでは、その気の抜けた態度すら不気味に思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

――その時だった。

 

 

 

 

 

 

「おまえ、本物、か」

 

不意に背後から、低く掠れた声が落ちた。キリトが反射的に振り向き、ナガンの目も細くなる。そこに立っていたのは、黒いボロマントを纏ったプレイヤーだった。

 

痩せ細ったようなシルエットに顔を覆う骸骨じみたマスクから赤く光るレンズ越しの視線。そして、全身から漂う異様な圧迫感。普通のプレイヤーじゃ無いのは見た瞬間に分かる、“何か”が違う。だがナガンだけは、その姿を見た瞬間、別の意味で目を細めていた。

 

(……自分から姿を見せやがった...!)

 

 

立ち方

 

空気

 

忘れるはずがない。ナガンが独自に追っていた存在。

 

死銃(デスガン)

 

まさか、一回戦を終えた直後に接触してくるとは思っていなかった。

 

「本物って……どういう意味だ?あんた、誰だよ?」

 

キリトが警戒を隠さず問い掛ける。だが黒マントのプレイヤーは答えない。むしろゆっくりとキリトへ近付いていく。その歩き方には奇妙な圧があった。ただ歩いているだけなのに、妙に神経を逆撫でしてくる。キリトが無意識に半歩下がる。しかし、その瞬間。ナガンが横から腕を伸ばし、黒マントの肩を軽く掴んだ。

 

「.....俺は無視か?」

 

空気が僅かに軋む。黒マントの男――デスガンは、ゆっくりと首を動かした。

 

「……ナガン」

 

ボイスチェンジャー越しの声は、ノイズ混じりに歪んでいる。それでも耳に残る妙な不快感があった。

 

「お前の、力は……本物、か?」

 

ゆっくりと一語一語を噛み潰すみたいに紡がれる声だがナガンは、その問いに対して逆に小さく笑った。

 

「ああ、そうだ」

 

迷いのない返答だった。

 

「お前にそんな事言われるたぁ、俺も鍛えられた甲斐があったかもな。それで、何か用か?」

 

デスガンは数秒ほど沈黙したあと、ウィンドウを開いた。表示されたエントリー表。《Kirito》の文字を、黒い指先がゆっくり指し示す。

 

「この、名前。あの、剣技……」

 

そして。

 

「……お前、本物、なのか?」

 

待機エリアの喧騒が、妙に遠く聞こえた。キリトの顔から、ゆっくりと血の気が引いていく。ナガンは、その変化を見逃さなかった。

 

「質問の、意味が、解らないのか」

 

デスガンの声がさらに低く響く。キリトは数秒黙り込んだあと慎重に首を横へ振った。

 

「……ああ。解らない。本物って、どういう意味だ」

 

それは誤魔化しだった。キリトは今、明確に動揺している。デスガンはしばらく無言のままキリトを見つめていたが、やがて小さく首を傾けた。

 

「なら、いい」

 

一歩、後ろへ下がる。

 

「でも、名前を騙った、偽物か……もしくは、本物なら……」

 

赤いレンズが、不気味に細められた。

 

「いつか、殺す。ナガン、貴様もだ」

 

そのままデスガンは踵を返すが、その瞬間。腕に巻かれていた包帯が僅かにずれた。そこから見えたのは、黒いタトゥー。

 

棺桶と――笑っているような、不気味な顔。

 

(……なんだアレ)

 

ナガンの目が細まる。直感的に、嫌なものを感じ、反射的に腰の《カゲミツG4》へ手が伸びる。だが、その瞬間には既に人の波が間へ入り込み、黒マントの姿は雑踏へ紛れていた。

 

「チッ……!」

 

思わず舌打ちが漏れる。ナガンは数秒その方向を睨み続けたあと、ゆっくりキリトへ視線を戻す。

 

 

キリトは、いつの間にか待機エリアの端に置かれていた長椅子へ座り込んでいた。額を押さえ込み、深く俯いている。その肩は僅かに上下し、呼吸が浅く乱れているのが遠目からでも分かった。何より異様だったのは、その手だった。確かに震えていた。先程まで《フォトンソード》を振り回し、弾幕の中へ平然と飛び込んでいた男とは思えないほど露骨な動揺だった。

 

それを見た瞬間、ナガンの表情から普段の軽さが消える。いつもの気の抜けた空気が静かに引き、代わりに鋭い観察者の目だけが残った。冗談を飛ばす余裕も、適当な軽口もない。ただ静かに、キリトというプレイヤーを見据えている。

 

(……キリト、お前まさか)

 

以前から、どこか引っ掛かっていた。

 

《キリト》というプレイヤーネームに異様な剣技。銃火器主体のGGOにおいて、近接戦闘だけで上位へ食い込む異常性。それだけではない。時折見せる視線配りや危険察知の速度が、“ゲーム慣れ”という言葉だけでは説明できなかった。

 

 

 

最初は場数の差かと思っていた。トッププレイヤーなら多少おかしくても不思議ではないし、GGO上位勢には変人も多い。シノンだって十分おかしいし、自分も他人のことを言える立場ではない。だが――今の反応は違った。ただ驚いているだけではない。

 

 

 

 

 

怯えている。

 

 

 

 

 

もっと正確に言えば、“過去に触れられた人間の反応”だった。そしてナガンの脳裏に、先程のデスガンの言葉が再び蘇る。

 

――《本物なのか》。

 

あれは単なる挑発ではない。ましてや、有名プレイヤーへの煽りでもない。もっと直接的で、もっと個人的な響きがあった。まるで、“確認”していたみたいだった。『お前は本当にあのキリトなのかと』

 

ナガンは目を細める。

 

SAO事件。

 

3年前、日本中を震撼させたVRデスゲーム。一万人近いプレイヤーが閉じ込められ、ゲーム内で死ねば現実でも死ぬという、あまりにも悪夢じみた事件。その中で、半ば伝説のように語られていたプレイヤーがいる。数々のボス戦を突破し、生還者たちの中でも特に有名だった存在。ついた異名は《黒の剣士》。

 

 

そのプレイヤーネームが――《キリト》。

 

 

(……偶然、で済ませるには出来すぎてるよな)

 

 

普通なら、同じ名前などいくらでもあると流すところだ。だが、今のデスガンの態度とキリトの反応を見せられると、嫌でも線が繋がってしまう。

しかも、デスガン自身も妙だった。キリトの剣技を見て、“本物か”と確認した。つまり奴は、SAO時代のキリトを知っている可能性が高い。

 

あるいは――もっと近い場所にいた。

 

ナガンの脳裏に、去り際に見えたタトゥーが浮かぶ。腕の包帯から覗いた、不気味な紋様。棺桶に、笑っているようにも見える歪なマーク。見た瞬間に嫌悪感が走った。ただのファッションには見えない。

 

あれはもっと、“内輪の印”に近い空気を持っていた。

 

(……どっかで見たことある気がするんだがな)

 

今の時点では情報が少なすぎるが、一つだけ確かなことがある。キリトは、あのデスガンを“ただの変人プレイヤー”として見ていない。

 

そしてデスガンもまた、キリトを単なる大会参加者として見ていなかった。あの二人の間には、明確に“過去”が存在している。ナガンはゆっくりとキリトへ近付く。足音に反応したのか、キリトの肩が僅かに揺れた。

 

低く声を掛けると、キリトはゆっくり顔を上げる。その表情を見た瞬間、ナガンは無意識に眉を寄せた。単なる驚きじゃない。もっと深く、もっと根の深い恐怖が、確かにそこにあった。ナガンは数秒だけ黙ってキリトを見る。

 

そして、あえて遠回しな聞き方はしなかった。

 

「お前……アイツ知ってんのか?」

 

キリトは答えない。まるで、“答えた瞬間に何かが変わる”ことを理解しているように。ナガンはそんな彼を数秒間黙って見下ろしていたが、やがて小さく息を吐いた。遠回しに探るのは性に合わない。元々、察しの悪い人間ではない。むしろ嫌でも人の反応を読む癖がついてしまっていた。だからこそ、ここまで情報が揃えば、もう聞くしかなかった。

 

「……キリト」

 

 

その反応だけで、ナガンの中の確信はさらに強くなる。ナガンは視線を外さないまま続けた。

 

「この際だからハッキリ聞くが……お前、SAO生還者だな?」

 

その瞬間だった。

 

キリトの肩が、目に見えて震えた。まるで、不意に急所を撃ち抜かれたみたいに。押さえていた指先にさらに力が入り、長椅子が小さく軋む。キリトは俯いたまま動かないが、その沈黙こそが何より雄弁だった。ナガンは小さく目を細める。

 

(やっぱり、そうか)

 

正直、半分は確信していた。そして何より、さっきのデスガンへの反応。全部が綺麗に繋がってしまった。単なVRMMO慣れでは説明が付かない。命を賭けた世界を知っている人間の動きだった。

 

だが、実際にこうして反応を見せられると、空気の重みが一気に現実味を帯びる。

 

SAO事件。

 

テレビ越しでしか知らない人間からすれば、数年前に起きた異常なデスゲーム事件だ。大量のプレイヤーが閉じ込められ、現実でも死者が出た最悪のVR犯罪。ニュースでも散々報道され、社会現象みたいに扱われた。

 

だが、生き残った人間にとっては違う。あれは“終わった事件”じゃない。今でも身体の奥へ残り続けている傷だ。

 

 

キリトはようやく、小さく息を吐いた。

 

 

呼吸を整えようとしているのが上手くいっていない。喉が詰まったみたいに浅い呼吸を繰り返し、数秒遅れてから、ようやく掠れた声が漏れた。

 

「……なんで、そう思った」

 

否定ではない。ナガンはそこで確信する。やはり、この男は“あのキリト”だ。ナガンは壁へ軽く背を預けながら、静かに答えた。

 

「名前だよ。最初は偶然かと思ったが……剣使いで、そのレベルの動きしてれば嫌でも引っ掛かる」

 

そして一拍置き、さらに続ける。

 

「何より、さっきのアイツへの反応だ。知らねぇ相手見た顔じゃなかった」

 

キリトの肩が再び僅かに揺れる。図星だった。しかもかなり深い部分を突いている。キリトはしばらく黙り込んでいたが、やがて観念したみたいに小さく笑った。だが、その笑みにはいつもの軽さが無い。疲れた笑いだった。

 

「……隠してたつもりだったんだけどな」

 

「割とバレる要素多いぞ、お前」

 

「マジか……」

 

そんなやり取りをしていても、キリトの表情から緊張は消えない。むしろ、“認めたことで余計に現実味が増した”みたいだった。逃げ道が無くなったような顔だった。ナガンはそんな彼を見ながら、ふと先程のデスガンを思い出す。

 

あの声。

 

あの異様な雰囲気。

  

そして、“本物ならいつか殺す”という言葉。

 

ただの冗談では無い。もっと生々しく、本気で“過去の続きをやるつもり”の人間の声だった。あのデスガンという男は、キリトにとって“ただ不気味なプレイヤー”なんかじゃない。もっと直接的で、もっと現実に近い“過去”そのものなのだと。

 

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