名前のない距離の隣で   作:レゾリューション

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相棒(バディ)を信頼しない関係なんて、そこで本当に終わりだ。

キリトが語ったのは、SAO内に存在した殺人ギルド《ラフィン・コフィン》の話だった。

 

ゲームが長期化するにつれ犯罪行為をエスカレートさせ、最終的にはプレイヤーを組織的に殺し続けた集団だ。SAOにおける死は現実の死と直結する。つまりあいつらは、ゲームの中で本当に人を殺していた。

 

攻略組は最初、交渉による和解を試みた。しかしその使者が殺され、交渉は決裂。やがて《血盟騎士団》と《聖龍連合》を中心とした討伐隊が編成され、アジトを急襲した。

 

結果、構成員21名が死亡。12名が捕縛された。そしてキリトは、その戦闘で2人を手にかけている。

 

 

今でも夢に見る、とキリトは言った。それ以上の説明は何もなかったが、必要もなかった。デスガンは——その生き残りだ。

 

 

話を聞いたナガンは壁へ軽く背を預けたまま、しばらく何も言わなかった。安っぽい慰めを口にする空気ではなかった。いや、正確には――ナガン自身が、そういうことをする気になれなかった。自分はSAOを経験していない。デスゲームも知らない。人を殺さなければ生き残れない極限状況も知らない。2年間、死と隣り合わせで閉じ込められる感覚も分からない。

 

そんな人間が、「辛かったな」とか「大丈夫だ」とか、分かったような顔で言うのは違うと思っていた。理解していない人間ほど、簡単に慰めたがる。だが本当に理解していないなら、そこへ踏み込むべきじゃない。ナガンは、そういうタイプだった。だから彼は、無理に優しい言葉を探そうとはしなかった。

 

「……じゃあこれから、どうすんだ?」

 

「え?」

 

「俺には、お前を慰めるなんて出来ねぇよ。関わってもない人間に、その辛さが分かるわけ無いからな......ただ、“これからどうするか”を聞くことくらいは出来るからな」

 

キリトはすぐには答えなかった。視線がゆっくり床へ落ち周囲の騒がしさだけが、妙に遠く聞こえていた。

 

長い沈黙のあと、ようやくキリトがぽつりと呟く。

 

「……デスガンを、止める」

 

掠れた声だが、その中には確かな意志があった。恐怖は消えていない。

 

むしろ今も、目の前にぶら下がっている。それでも逃げずに向き合おうとしている時点で、普通なら十分すごい。だがナガンは、その言葉を聞きながら静かに目を細めていた。

 

(……止める、か)

 

一見すれば、決意表明だがナガンには少し違って見えた。まるでキリト自身が、その言葉へ縋っているみたいだった。

 

“止めなければならない”。

 

“自分がやるしかない”。

 

そう思い込むことで、無理矢理自分を立たせている。そんな危うさが見え隠れしていた。ナガンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。ナガンは壁へ背を預けたまま、珍しく真面目な顔をしている。いつもの軽薄そうな笑みは無かった。

 

「これは俺の自論なんだがな.....人間、良くも悪くも最後まで“自分を肯定出来たヤツ”が笑うと思ってる」

 

キリトが僅かに目を見開いた。

 

「正しいとか間違ってるとか、後悔しないとか、そんな綺麗な話じゃない。結局、人間って最後は“自分がどう生きたか”でしか立てられないんだよ」

 

その声には、不思議な重みがあった。軽い人生論ではない。どこか実感を伴っている。ナガン自身もまた、“何か”を抱えているのだと分かる声だった。

 

彼は少しだけ視線を逸らし、小さく鼻を鳴らす。

 

「Wahrhaft frei zu sein bedeutet, nach dem eigenen Gesetz zu leben.——真に自由であるとは、自らの法に従って生きることだ、ってニーチェ先生も言ってたしな」

 

キリトが一瞬ぽかんとする。

 

「……お前、ドイツ語話せたのか」

 

「第二外国語がドイツ語専攻の学生を舐めんなよ....まだ一年で...喋れるのは簡単な日常会話ぐらいしか出来ねぇけど。ま、お前より少し早く生まれた人生の先輩とニーチェ先生からのアドバイスだ」

 

キリトはしばらく黙っていた。視線を落としたまま、ナガンの言葉を噛み締めるみたいに沈黙する。

 

「……お前、たまに変なところで真面目だよな」

 

「たまにって何だよ……まぁ俺にも色々あったからな....」

 

「...え?」

 

彼が最後に小さく呟いたのをキリトは聞き逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナガン自身もキリトの話を聞いて、過去を思い出していた。忘れていたわけではない。ただ、今までわざわざ触れようとしていなかっただけだ。

 

普段は、ふと脳裏を掠めたとしても「そんな事もあったな」で流せる程度には整理はついた。無理矢理蓋をしているというより、触れても別になんとも無い状態だ。

 

だが、デスガンの件でキリトの“過去”を聞かされたことで、自分の中へ押し込めていた記憶まで、無理矢理掘り返されたような感覚があった。古傷を爪で引っ掻かれているみたいに、不快で、鈍くて、それでいて生々しい感覚だった。

 

もう終わった。自分では、そう思っていだが実際は違う。過去というのは存在が消えるわけじゃない。一度沈めたはずのものでも、ふとした拍子に浮かび上がってくる。

 

普段は水底に沈んでいて、偶に揺れても何ともない。だがこういう直後は違う——水面がざわつくたびに、沈めたはずのものが輪郭を取り戻してくる。思い出した瞬間、ナガンは無意識に奥歯を噛んでいた。脳裏に浮かぶのは教室と、乾いた空気に冷たい視線。そして、自分自身のどうしようもない無力感。

 

(……チッ)

 

心の中で小さく舌打ちする。ナガンの表情が消えた。普段なら浮かべている軽薄そうな笑みも、気の抜けた空気も、その瞬間だけは完全に消え失せていた。

 

キリトは隣で、それを黙って見ていた。

 

何があったのかは分からない。だが、“何も無かった人間”ではないことだけは理解できる。そして、多分ナガン自身も、それを語る気は無い。

 

「……ったく、しけた話は苦手なんだがな....」

 

 

 

 

 

 

そんな、張り詰めた空気を破ったのは、不意に背後から掛けられた呆れ混じりの声だった。

 

「なに辛気臭い顔してんのよ……」

 

振り返ると、そこにはシノンが立っていた。どうやら用事は終わったらしい。いつものように涼しげな表情を浮かべているが、その目だけは鋭く二人を観察していた。待機エリアの喧騒とは別に、ここだけ空気が沈んでいることに気付いたのだろう。シノンはキリトとナガンを交互に見たあと、小さくため息を吐いた。

 

「たかが一回戦でそんな有様じゃ、決勝なんて夢また夢よ」

 

その声音は強気だったが、空気を変えようとしているのが分かる。シノンはそのまま一歩踏み込み、ナガン達を真っ直ぐ見据える。

 

「しっかりしなさいよね。アンタとの決着も付けたいんだから」

 

そう言って、握った右拳をナガンの肩へどん、と軽くぶつけた。本来なら、ここでナガンは適当に軽口を返すはずだった。しかし、ナガンは何も言わない。

 

その反応に、シノンの眉が僅かに寄る。

 

(……何かあった)

 

そう確信するには十分な沈黙だった。一方でキリトは、しばらく俯いていたが、やがて無言のまま立ち上がった。

 

その動きは重い。

 

だが、完全に折れているわけでもない。どこか無理矢理、自分を前へ進ませているような危うさがあった。そして次の瞬間、第二試合開始のシステムアナウンスが響く。

 

青白い転送エフェクトがキリトの身体を包み込み、その姿は静かにフィールドへ消えていく。残されたのは、シノンとナガンだけだった。彼女は腕を組みながら、じっとナガンを見る。

 

普段の彼なら、ここまで重い空気を引きずらない。

 

「……本当にどうしたの?」

 

問い掛ける声にも、無意識のうちに硬さが混じっていた。ナガンはすぐには答えない。一瞬だけ視線を逸らし、何かを整理するみたいに小さく息を吐く。その沈黙が逆に不安を煽った。

 

 

一方でナガン自身も、ほんの僅かな迷いを抱えていた。デスガンとの接触を、シノンへ伝えるべきかどうか。それは本当に一瞬の迷いだった。だが、確かに頭の片隅を掠めていた。

 

よくある話なら、こういう時は一人で抱え込む。危険へ巻き込みたくないからとか、余計な不安を与えたくないから。あるいは、自分だけで片を付けようとするから。漫画や映画では散々見てきた展開だった。誰にも言わず、一人で背負い込み、全部を終わらせようとする主人公。

 

昔のナガンなら、「いや、非効率だろ」と鼻で笑っていたかもしれない。実際、合理性だけで考えるなら情報共有しない意味が無い。知っている人間が増えた方が対処の幅は広がる。

 

リスク分析も警戒も出来る。なのに何故、一人で抱え込むのか。その気持ちが少しだけ理解できてしまった。誰かへ話した瞬間、“現実になる”。まだ自分一人の中だけに留めている間は、どこか曖昧なままでいられる。だが口に出した瞬間、それは“自分だけの問題”ではなくなる。

 

しかも相手がシノンならなおさらだった。別に守るだとか、そういう綺麗な話ではない。ただ、自分が関わったせいで余計な不安を背負わせる感覚が、妙に居心地悪かったのだ。

 

ナガンはそこで小さく息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

だが――それを実際にやるつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

(情報共有しないとか、それこそあり得ないだろ)

 

内心そう切り捨てる。危険な相手ならなおさらだ。知っている人間同士で情報を抱え込む意味がない。まして今回は、ただのBoB参加者じゃない。

 

デスガン。SAO。そしてリアルへの干渉。ゲームの話で終わらない可能性が、静かに輪郭を持ち始めていた。そんな状況で、“自分だけが知っていればいい”など、ただの慢心でしかなかった。

 

それに――何より

 

相棒(バディ)を信頼しない関係なんて、そこで本当に終わりだ。

 

やがてナガンは、ゆっくりとシノンへ顔を寄せた。普段なら即座に文句を言っている距離感だ。シノンの肩がぴくりと跳ねる。

 

「ちょ、近――」

 

反射的に口を開くがナガンは気にしなかった。いや、正確には“気にする余裕が無かった”。その事実に、シノンの警戒心がさらに強くなる。

 

ナガンは低い声で、短く告げた。

 

「デスガンと接触した」

 

その瞬間シノンの呼吸が止まる。

 

「――っ!」

 

目が見開かれ血の気が引く感覚が、自分でもはっきり分かった。耳の奥で、自分の鼓動だけが嫌に大きく響いている。冗談ではない、いつもの軽口混じりのものではなかった。シノンの脳裏へ、あの不気味な黒マント姿が蘇る。

 

赤い眼、骸骨じみたマスク、まとわりつくような異様な気配。そして、“死銃”という名前そのものが持つ、説明し難い不快感。ただ強いプレイヤーとは違う。あれはもっと根本的に、“触れてはいけないもの”に近い危うさを纏っていた。思い出しただけで、背筋の奥を冷たいものが這い上がってくる。

 

「……何、話したの」

 

声が掠れる。自分でも驚くくらい喉が乾いていた。無意識に唇を湿らせるが、不安だけは全く消えない。ナガンはそんなシノンを見ながら、少しだけ眉を寄せた。キリトの件を、どこまで話していいのか。

 

SAO、ラフィン・コフィン、デスガン。

 

全部が繋がっている可能性は高い。だが、キリト本人がいない状態で、勝手に過去まで話すのは違う気がした。あれはキリト自身の傷だ。他人が軽々しく触れていいものじゃない。

 

だから彼は、口を開いた。

 

「キリトと俺が、周りから注目されるような戦い方してたから、それが“本物”か確認してきた」

 

シノンの眉が僅かに寄る。

 

「……本物?」

 

「あぁ。妙な言い方だった」

 

一瞬だけ言葉を切り、妙に軽い調子で続けた。

 

「後……仲良く殺してやる宣言されたぜ、俺たち」

 

その言い方だけを聞けば、まるで冗談みたいだが、内容は全く笑えない。シノンの背筋へ冷たいものが走る。しかもナガンは笑っていない。つまり彼自身、“脅し”として認識している。

 

それが余計に恐ろしかった。ナガンは基本的に、危険を過剰に恐れるタイプではない。多少の危険なら笑って踏み込む側だ。BoBですら「まあ何とかなるだろ」で済ませるような男だった。

 

そんな男が、今こうして空気を重くしている。それだけで、この件の異常さが分かってしまう。シノンは無意識に拳を握り締めたが、その瞬間。ナガンの第二試合開始の転送カウントが、待機エリア全体へ響いた。電子音が冷たく鳴り渡り、足元へ展開される転送エフェクト。

 

青白い光が、ナガンの身体をゆっくり包み込んでいく。シノンの心臓が嫌な音を立てた。ここで行かせるべきじゃない。そんな感覚だけが強く胸を掻き乱すが、どう止めればいいのか分からない。

 

「伝える事は伝えた。シノンも一応気をつけとけ」

 

その声音には普段より少しだけ硬さが混じっていた。

 

「ちょっと待ち...!」

 

シノンが咄嗟に手を伸ばす。だが、その指先が届くより早く、ナガンの姿は暗い転送光の中へ溶けるように消えていった。あとに残ったのは、騒がしい待機エリアの音だけだった。シノンはその場に立ち尽くす。伸ばした手だけが、中途半端な形で空中へ残っていた。

 

胸の奥が妙にざわついている。不安と、焦りと——それから、上手く名前のつけられない何かが、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。落ち着かない感覚が、シノンの胸の内側をずっと掻き回していた。

 

 

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