季節はすっかり冬に入り、もう12月になっていた。街はどこもかしこも浮かれ気分で、イルミネーションだの、クリスマスソングだの、まるでリア充専用イベントの開幕を告げるかのように着々と準備が進められている。
視界に入る光の一つ一つがやけに神経を逆撫でする。大学のキャンパスですら例外ではなかった。
「クリスマスどうする?」
「彼女とイルミネーション行くわ」
「プレゼントもう決めた?」
「彼女の家に泊まるわ」
どこもかしこも、その話題。もはや会話のテンプレでも配られているのかと疑うレベルで、誰も彼も同じことを言っている。
(うるせぇ……!)
悠也は無表情のままスマホをいじりながら、その空気を背中で受け流す。だが、完全に遮断できているわけではない。耳に入るたびに、じわじわとストレスが溜まっていく。
「……爆発しろ」
小さく、吐き捨てるように呟く。当然周囲には聞こえていない。聞こえていたら距離を取られるどころか、普通に警戒対象だ。だが内心では、もう少し踏み込んでいた。
(イルミネーションの下で派手に転べ。ついでに変な空気になれ。できれば気まずくなれ)
具体的で現実的な呪いが淡々と浮かぶ。殺意はない。だが、幸福そうにしている連中に対する“ちょっとした不幸”くらいは、むしろ世界のバランス的に必要だと思っている。
別に彼女が欲しくないわけではない。そこは誤解されたくない。欲しいか欲しくないかで言えば、普通に欲しい。
だが――現実は非情だ。
気づけば周囲はカップルだらけ。楽しげな予定を語る連中と、それを当たり前のように受け入れる空気。その中で自分は、いつの間にかそっち側——つまり、リア充共を遠巻きに観測する側の人間に回っていた。
(……なんでだよ)
一応、悠也はフィンランド人の祖父を持つクォーター。顔は良い筈なのだが、だからといって、いかにも外国の血が入っていると分かるような外見をしているわけではない。顔立ちはむしろ日本人寄りで、街中にいれば特別目立つこともない。強いて言えば、他と違う点は一つだけ。髪色が、わずかに灰色がかった黒であること。
まぁ、長ったらしく語ったが結論はシンプルだ。
出来ないものは出来ない。
理屈は後付けで現実だけが残る。友人の一人が「彼女できた」と報告してきた時も同じだ。とりあえず「おめでとう」と送った。その直後に「砕け散れ」も送った。
礼儀と本音の両立である。
「……まあいいけどさ」
口ではそう言う。だが、表情はまったく納得していない。視線はスマホに落としたまま、周囲の会話だけが妙に鮮明に耳に残る。羨ましくないと言えば嘘になる。
だが、それを認めるのはもっと癪だ。
最近はGGOにログインしていない日も増えていた。もう何ヶ月もしてない。理由は単純で、現実が普通に忙しいからだ。
以前までは、ほぼ毎日ログイン出来たが夏休みに入ると車の免許を取りに教習所へ通った。ついでに「バイクの免許もとったらどうだ?金は負担する」という祖父の提案にのり後先考えずバイクにも手を出した結果、スケジュールがわけの分からないことになった。
「なんで俺、二つやろうとしたんだよ……バカじゃねえの...」
過去の自分にツッコミを入れるが、もう遅い。さらに大学の課題もある。加えてバイト。気づけば一日の自由時間はどこへやら。
GGOにログインする余裕がないわけではない。だが、ログインする体力が残っていないのだ。ベッドに倒れ込んで「ちょっとだけ……」と目を閉じると、そのまま朝になっている。もはやログイン以前の問題である。
「……ナガン、ログインしてませんね」
その代わり、現実では妙に充実していた。教習所では教官に「お前、妙に落ち着いてるな」と言われ、バイトでは「覚えいいな」と褒められ、大学でもそこそこやれている。
(あれ、これリア充では?)
一瞬そんな考えが頭をよぎる。
「いや違うな」
即座に否定した。決定的に違うものがある。
(カノジョガイナイ.....)
これである。というかこれに尽きる。
「……やっぱ爆発しろ!」
結局そこに戻る。そんなことを考えながら、悠也はスマホをしまい、ポケットに手を突っ込み寒空の下を歩いていく。
頭の片隅には、しばらく触れていないもう一つの世界――GGOのことが、ほんの少しだけ残っていた。ここ最近妙な話を耳にしたのだ。
大学の食堂で、適当に買ったパンを片手に友人達と席へ座ったとき、近くのテーブルからやけに騒がしい声が聞こえてきたのだ。内容は断片的にしか入ってこないが、その中にひとつだけ、引っかかる単語があった。
「……ゼクシードが、死んだ?」
思わず手が止まる。
ゼクシード。
第二回BoB――バレット・オブ・バレッツの優勝者。GGO内では知らない者の方が少ない名前だ。実力もあるが、それ以上に目立つプレイスタイルと発言で、良くも悪くも話題の中心にいるプレイヤーだった。
悠也はあまり好きではなかった。というより、嫌いだった。ああいうタイプは、だいたいどこかでヘイトを買う。実際、ゼクシードはその典型だった。掲示板でもチャットでも、評価は両極端で、どちらかと言えば“嫌われている側”に寄っている。
だからといって――
「……死んだはないだろ」
思わず小さく呟いたのを思い出す。ゲームの中で“死ぬ”ことは日常茶飯事だ。だが、現実での“死亡”となれば話は別だ。そんな簡単に起きるものではないし、起きていいものでもない。
だが、周囲の会話は止まらない。
「ホロパネルに向けて銃構えて
「銃撃って、そのあとマジで倒れたって……」
断片的な情報が、次々と繋がっていく。
そんなGGO内での出来事。そこに現れたプレイヤーと手にした銃を、“
その直後。ゼクシードは胸を押さえて通信が切断。そのまま現実で死亡。
思考が一瞬だけ止まる。意味が分からない。いや、分かるわけがない。ゲーム内の出来事が、現実に影響を及ぼす?銃を撃たれたから、死んだ?そんな話が成立するはずがない。
あり得ない。あり得ないはずだ。
「……デマだろ」
そう結論づけるのが、一番自然だった。ネットの噂なんて、尾ひれがついて膨らむものだ。誰かが大げさに言い、それを別の誰かが誇張して、最終的には原型も残らない。今回もその類だろう。いや、そう思っていたかった。
今回は本当に死んでいるのだ。
「……
その名前だけが、妙に引っかかった。わざわざ名乗る必要のない名前。そして、“見せつけるようなやり方”。
悠也は黙って飯を口に運んでいた。味はほとんどしない。頭の中では、さっきの話が何度も反復されていた。ゼクシードが嫌いだったのは事実だ。だが、だからといって。
「……死ぬのは違うだろ」
ぽつりと前に口にした事を呟く。その言葉に感情はほとんど乗っていない。ただの事実確認のような、淡々としたものだった。だが、その奥底では。ほんのわずかに、違和感が残っている。
説明のつかない何か。気のせいだと切り捨てるには少しだけ強い引っかかり。悠也はゆっくりと息を吐く。
「……ログインするか」
誰に言うでもなく、そう決めた。疲れていないわけではない。むしろ、相変わらず体は重い。直感に近い判断だった。ゲームの中の出来事が、現実に影響するなんて話。
信じる気はない。
でも、少しは確かめる価値はある。そう思わせるだけの“何か”が、そこにはあった。
そして同時に、そこにいるはずの“誰か”のことも。だがその名前を、悠也はまだ思い出していなかった。
日が落ちるのも早くなり、空はすでに薄暗い。街灯や店の明かりがぽつぽつと灯り始めていた。悠也は少し猫背気味に歩く。吐く息は白く、足取りはどこか気だるい。
「……寒っ」
特に急ぐ理由もない。バイト帰りで、あとは家に帰るだけだ。その時だった。向こう側から、一人の少女が歩いてくる。マフラーを巻き、眼鏡をかけた細身の少女。歩き方に無駄がなく、どこか周囲を警戒するような視線の動き。
シノン――朝田詩乃だった。
彼女もまた、一人で歩いていた。買い物の帰りか、小さな袋を手に持っている。周囲の喧騒に溶け込みながらも、その視線はどこか冷静で、必要以上に人と目を合わせないようにしていた。
頭の片隅には、いつものように“あの狙撃”が残っている。
ナガン。
あの一撃。理解できないままの感覚。まだ、見つからない。そんな思考が、ふとよぎる。
そして、二人は――すれ違う。ほんの一瞬。肩が触れるか触れないかの距離。悠也は一瞬だけ視線を上げる。シノンもまた、わずかに視線を動かす。だが、それだけだ。
互いに、ただの通行人として認識しただけ。次の瞬間には、もう興味は別の方向へ向いている。悠也はスマホを取り出しながら歩き続ける。シノンは足を止めることなく、前だけを見て進む。
――気づくはずがない。
ゲームの中で銃を構える姿と、現実での姿はあまりにも違う。雰囲気も、立ち方も。一致する要素などほとんどない。だからこそ。そのすれ違いは、ただの偶然として流れていく。
距離はすぐに開く。二人の間にあったわずかな交差は、もう跡形もなく消えていた。
だが――もしあの瞬間、ほんの少しだけでも立ち止まっていたなら。あるいは、もう一度振り返っていたなら。その偶然は、別の形に変わっていたかもしれない。だが現実はそんな都合よくはできていない。
朝田詩乃は知らない。たった今すれ違った相手こそ、探していた存在だったことを。
部屋の中はやけに静かだった。窓の外では冬の風がかすかに鳴っているが、それ以外の音はほとんどない。机の上に置かれた端末のランプだけが、小さく光を放っていた。
悠也はベッドに腰掛けたまま、しばらくそれを眺めていた。
「……やるか」
誰に言うでもなく呟く。ここ最近は忙しかった。大学、バイト、気づけば数日、いや何ヶ月以上ログインしていないことも珍しくなっていた。
だからこそ、今更少しだけ気が乗らない。だが――完全にやめたわけでもない。
「装備も確認してないし……
そんな言い訳めいた理由をつけて、悠也はアミュスフィアを手に取った。軽く伸びをして、そのままベッドに倒れ込む。視界が暗転し、次の瞬間――銃の世界が広がる。
相変わらずの喧騒。プレイヤーたちのざわめきが耳に入る。だが、それすらもどこか懐かしく感じた。
「……ほんと久々だな」
軽く肩を回しながら、悠也はその場に立つ。とりあえず装備の確認でもするか――そう思ってメニューを開いた、その時だった。
視界の端に、小さな通知が浮かぶ未処理のフレンド申請。
「ん?」
指を止める。このゲームでフレンド申請が来ること自体、あまりない。悠也は基本的にソロか、数少ないリアルの友人としか組まない。そこに女性プレイヤーは居ない。
だからこそ、少しだけ気になった。メニューを開き、申請一覧を確認する。そこに表示されていた名前を見て、わずかに眉が動いた。
「……シノン?」
聞いたことがある名前だった。GGOでそこそこ有名なスナイパー。女性プレイヤーで、精密射撃の腕が高い。「氷の狙撃手」――そんな話を、どこかで聞いた記憶がある。
そして同時に、うっすらとした既視感。
「……もしかして」
友人達とクエストに行ったとき一度だけ当たった相手。確かスナイパーがいた。ライトブルーの髪で、やけに目立っていたやつ。
「……あいつか?」
断定はできない、少しだけ考える。断る理由は特にない。かといって、積極的に関わる理由もない。彼は数秒だけ悩んで――
「……ま、いっか」
軽い調子で承認ボタンを押した。フレンド登録完了の表示が出る。その時、念頭に邪な考えが出てきたが直ぐに否定した。そして特にメッセージを送るでもなく相手のステータスを確認するでもなく、悠也はそのまま画面を閉じる。
ふと、フレンドリストを開く。そこに追加された名前。
――シノン。
だが、その横に表示されている状態は、無機質な文字だった。
ログアウト中。
「……いねーじゃん」
タイミングが悪いがそんなものだ。別に今すぐ話す必要があるわけでもない。そもそも、何を話すかも決めていない。しばらくロビーを見渡し諦めた。
その後も死銃について色々聞いてみたがパッとする情報は得られず、精々分かったのは奴が使った銃が《五四式黒星》だという事だ。そこまでレアな銃でも無い。それが彼が抱いた感想である。今日はクエストに行く気分でもないし、対人戦をする気分でもない。久々すぎて、なんとなく感覚も鈍っている気がする。
「……今日はいいか」
小さく呟く。ログインしただけで満足してしまったような、そんな感覚だった。メニューを開き、ログアウトを選択する。視界がフェードアウトしていく。最後にもう一度だけ、フレンドリストが目に入る。
シノン――ログアウト中。
それを確認して、ナガンは特に何も思わず、そのまま意識を現実へ戻した。
⸻
目を開けると、見慣れた天井があった。アミュスフィアを外し、軽く息を吐く。
「……なんか、あっさり終わったな」
苦笑しながら呟く。体を起こし、パジャマに着替え歯を磨き、部屋の明かりを消す。ベッドに潜り込み布団を引き寄せる。さっき登録したフレンドのことが、一瞬だけ頭をよぎる。
だが、それもすぐに流れていく。
「……今度でいいか」
ぼそりと呟き、目を閉じる。意識はすぐに沈んでいく。その頃――GGOのロビーには、いないはずの名前が一つ、確かに存在していた。だが、それに気づく者は誰もいない。二人の距離は、ほんのわずかに縮まった。
それでもまだ――すれ違ったままだった。
部屋の中は、ひどく静かだった。カーテンの隙間から覗く外は、すでに深い闇に沈んでいる。街灯の明かりがぼんやりと滲み、風に揺れる影だけがゆっくりと動いていた。その静寂の中で、朝田詩乃はベッドに腰掛けたまま、しばらく動かなかった。手の中には、アミュスフィア。軽いはずのそれが、今は妙に重く感じられる。視線は落ちたまま、どこにも定まっていない。だが思考だけは、はっきりと一つの方向へ向いていた。
ナガン。
その名前を意識した瞬間、胸の奥にわずかなざわつきが走る。何ヶ月も前の出来事。たった一度の戦闘。たった一発の被弾。
それだけのはずなのに、どうしても切り離せない。むしろ時間が経つほど、あの一撃の“異常さ”だけが、余計に際立っていく。どれを思い返しても、同じ結論にしか辿り着かない。
――あり得ない。それでも現実に起きた、だからこそ納得できない。
「……今日は、いるかも」
小さく呟く。自分でも分かっている。根拠なんてどこにもない。ただの感覚だ。それでも、その曖昧な予感に従うように、詩乃はゆっくりとアミュスフィアを装着した。本来なら寝る時間だが明日は休日なので少しだけ遅くまで遊ぶことが出来るのだ。
ベッドに体を預け視界が暗転し、現実の感覚が遠のいていく。そして次の瞬間、銃の世界が広がった。
金属的な床に人工的な光。行き交うプレイヤーたち。無数の足音と、装備の作動音。軽口や怒声が混ざり合った、騒がしい空間。いつもと変わらないはずのその光景を、詩乃はほとんど見ていなかった。
ログインした瞬間、反射的にメニューを開く。
フレンドリスト。
その項目に触れる動きはもはや無意識に近い。そして――指が、止まった。
「……え」
声にならない声が喉の奥から漏れる。画面の中に見慣れた名前があった。
ナガン。
何度も検索して、何度も確認して、それでもずっと遠かった名前。その横に表示されている状態。
――ログアウト。
だがほんの一瞬前。確かに、そこには“オンライン”の表示があった。一瞬だけ、点灯するように。見間違いではない。そう断言できるだけの確信が、胸の中にあった。
「……嘘でしょ」
思わず呟く。指先がわずかに震えながらもすぐにログを開く。フレンド承認通知。
時間は――ついさっき。
「……承認、された……?」
言葉にして、ようやく理解が追いつく。送ったまま放置されていた申請。何ヶ月も反応がなかったそれが、今になって動いた。
つまり——さっきまで、ここにいた。
同じ時間に。
同じ空間に。
「ちょっと、待って……」
思わず立ち上がる。視線がロビー全体を走る。
プレイヤーの装備。体格。動き。一人一人を、無意識に観察していく。スナイパーらしい装備。落ち着いた立ち方。視線の配り方。
だが———いない。
どこにもいない、当たり前だ。もうログアウトしている。ほんのわずかな時間差。あと少し早ければ、あと数十秒でもズレていなければ。同じ場所で、顔を合わせていた可能性は高い。
それなのに。
「……すれ違い」
ぽつりと呟く。その声には、わずかな苛立ちと、それ以上の落胆が混ざっていた。たったそれだけのこと。ログインのタイミングが合わなかっただけ。それなのに、胸の奥に小さな空白ができたような感覚が残る。
シノンはゆっくりと息を吐く。気づけば、無意識に肩に力が入っていた。フレンドリストに視線を戻す。
ナガン。
確かにそこにいる。今までは、一方的に探すだけの存在だった。どこにいるか分からない。いつ現れるかも分からない。それが今は——違う。繋がっている。たったそれだけの変化。だがその意味は大きい。
「……今度は、逃がさない」
小さく呟く。逃げたわけじゃない。分かっている。それでも、そう言わずにはいられなかった。ようやく手が届く距離に来た。そんな感覚があったから。彼女はメニューを閉じる。周りの喧騒が、一気に現実として押し寄せてくる。だが、その中で彼女の意識だけが、明確な方向を持っていた。
次にログインした時。次に同じ時間に重なった時。
その時こそ――必ず会う。その決意だけを胸に、シノンはゆっくりと歩き出した。
次回ナガンのメイン装備登場。
時系列を12月半ばから12の序盤に変更しました。