名前のない距離の隣で   作:レゾリューション

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今回胸糞悪い話かもしれません


大した事もない、くだらない話

 

「シノン」

 

ナガンが名前を呼んだ。

 

その低い声に、シノンは反射的に顔を上げていた。涙で滲んだ視界の向こう。ナガンが静かにこちらへ歩いてくる。足取りに迷いはない。慌てる様子も、慰めようとするような優しさもない。それでも、その足が自分へ向かっているだけで、シノンの胸は妙に苦しくなった。

 

今の自分は酷い。

 

泣いて、叫んで、好きだと言って、死ぬ覚悟だなんて口にして。冷静に考えれば、完全に感情の暴走だった。ナガンに拒絶されてもおかしくない。

 

なのに、ナガンは帰らなかった。呆れた顔もしない。面倒そうな溜め息も吐かない。ただ静かに、シノンの前まで来た。

 

 

 

「確かに……俺はあの時、気分は高揚してた」

 

低い声が洞窟に響き、シノンは息を止めた。

 

「不謹慎な話だが、奴との狙撃戦は今までにない経験で俺も昂っていた」

 

その言葉に、シノンの瞳が揺れる。やはり気のせいではなかった。あの時のナガンは、確かに笑っていた。デスガンという死神と撃ち合いながら。

 

普通なら恐怖で思考が止まるような状況で。それなのに彼は、まるで狙撃そのものを楽しんでいるようだった。

 

「お前の言う通りだ。持って行かれそうになった」

 

『持って行かれる。』

 

その意味が分かってしまった。もしあのまま狙撃戦が続いていたら、ナガンはどこまでも行ってしまった。死線の向こう側へ。もう戻ってこない場所へ。

 

シノンは本当に怖かった。デスガンよりも、自分が死ぬことよりも、ナガンがそちら側へ行ってしまうことの方が。ナガンは少しだけ目を伏せた。その横顔は珍しく、自分自身を嫌悪しているように見えた。彼自身、理解しているのだ。自分が普通ではないことを。

 

死線の中で高揚してしまうことを、狙撃の極限で、生を実感してしまったことを。シノンは唇を噛む。そんな顔をしないでほしいと思った。

 

(嫌いになんてなれないのに....)

 

「けど」

 

ナガンが顔を上げ、真っ直ぐな視線がシノンを捉えた。

 

「お前が言ったおかげで踏みとどまれた」

 

シノンの呼吸が止まる。時間まで止まったような感覚だった。

 

「ありがとう……」

 

その一言が胸の奥へ真っ直ぐ落ちてくる。熱い。苦しい。息ができない。頭の中が白く塗り潰される。

 

自分の言葉が届いていた。ちゃんと。必死に叫んだあの言葉が、ナガンを引き戻していた。それを理解した瞬間、シノンの中で張り詰めていた何かが完全に崩れた。

 

「っ……」

 

涙が溢れ止まらない。ずっと泣いているのに、それでも次々と零れてくる。シノンは視線を逸らせなかった。ナガンを見つめ続ける。

 

本当にずるい男だと思った。普段は全然優しくないくせに、軽口で苛つかせるくせに、こんな時だけ真っ直ぐな言葉を投げてくる。

 

「……ばか……」

 

掠れた声が漏れる。

 

「そんなの……ずるいじゃない……」

 

好きな相手に、お前のおかげだなんて言われて、そんな顔をされたら——もう離れられなくなる。シノンはゆっくりと身体を前へ倒した。

 

気づけばナガンへ寄っていた。止めようとは思えなかった。止められなかった。彼女の額が、ナガンの胸元へ軽く触れる。装備越しの硬い感触なのに、不思議と安心した。

 

鼓動は聞こえない。だが確かにここにいると分かる。生きている。それだけで胸がいっぱいになった。

 

シノンは肩を震わせながら泣いた。怖かった。本当に怖かった。自分が弱くなったことも、戦えなくなったことも、置いていかれることも。全部。だが今はそれ以上に、彼がここにいることが嬉しかった。

 

ナガンは動かなかった。抱き締めたりもしない。頭を撫でたりもしない。ただ静かに立っている。本当に不器用だった。それでも、シノンを拒まなかった。離れろとも言わなかった。

 

その事実だけで十分だった。

 

シノンは目を閉じる。ナガンから微かに匂いがした。砂と、火薬と、金属の匂い。戦場の匂い。それなのに、不思議と落ち着く。

 

洞窟の外では風が吹いている。デスガンはまだいる。恐怖も消えていない。それでも今だけは。

 

シノンは少しだけ、独りじゃないと思えた。

 

 

洞窟の中に流れていた空気は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。外では相変わらず砂混じりの風が吹き荒れている。

 

それでも今この瞬間だけは、戦場の緊張よりも別の重さが、その場を支配していた。シノンはナガンの胸元からゆっくりと離れ近くの岩に座った。まだ目元は赤い。涙の跡も残っている。

 

だが先程までの取り乱した様子とは少し違っていた。何かを決めたような顔だった。

 

ナガンは何も言わない。ただ静かにシノンを見る。キリトも今度は茶化さなかった。さっきまでの軽口を引っ込め、壁にもたれたまま黙っている。

 

シノンは少し俯いた。唇が小さく震えている。数秒、呼吸を整えるみたいな沈黙。

 

そして。

 

「私ね……人を、殺したの」

 

静かな声だった。だがその一言は、洞窟の空気を変えるには十分だった。キリトの表情がわずかに強張る。ナガンは反応しない。いや、正確には反応を表に出さなかった。シノンはナガンの反応を待たず、ぽつりぽつりと続ける。

 

「ゲームの中じゃない。現実世界で、ほんとうに、人を殺したの」

 

その声は震えていた。けれど逃げるような震えではない。長い間胸の奥に押し込め続けたものを、無理やり引きずり出しているような声だった。

 

「五年前……東北の小さな街で起きた郵便局の強盗事件で……」

 

シノンは俯いたまま続ける。

 

「報道では、犯人が局員をひとり拳銃で撃って、自分は銃の暴発で死んだ、ってことになってたんだけど……実際は違うの。その場にいた私が強盗の拳銃を奪って、撃ち殺した」

 

風の音だけが遠くで響いている。

 

「五年前?」

 

ナガンが低く問い返す。その声には驚きも疑念もなかった。ただ確認するような静かな声だった。

 

シノンは小さく頷く。

 

「うん……私は11歳だった」

 

その言葉に、キリトの目がわずかに揺れた。11歳。その年齢で人を撃ち殺した。その意味の重さを理解できないほど、ここにいる三人は子供ではなかった。

 

シノンは自嘲するみたいに小さく笑う。

 

「……もしかしたら、子供だったから出来たのかもね」

 

笑っているのに、その声は酷く弱かった。

 

「歯を二本折って、両手首を捻挫して、背中の骨にヒビが入って、右肩も脱臼した。でも、それ以外は大した怪我じゃなかった」

 

淡々と語るが、その方が逆に痛々しかった。

 

「体の傷はすぐ治った。でも……治らないものもあった」

 

シノンの指先が小さく震える。自分の腕を抱くみたいに握り締める。

 

「私、それからずっと……銃を見ると吐いたり倒れたりするの」

 

ナガンは黙って聞いていた。

 

「テレビとか漫画でも駄目。誰かが手でピストルの真似するだけでも、息が苦しくなる」

 

シノンの瞳が揺れる。視線はどこも見ていなかった。きっと今、彼女はあの日を見ている。

 

「銃を見ると……目の前に、あの男の顔が浮かぶの」

 

声が震える。

 

「撃った瞬間の顔が。血の匂いが。倒れる音が。全部、頭の中に戻ってくる」

 

シノンは唇を噛む。

 

「怖いの。すごく、怖い」

 

洞窟の中は静まり返っていた。キリトも言葉を挟まない。軽々しく何かを言える空気ではなかった。シノンは少しだけ笑った。

 

乾いた、自虐みたいな笑みだった。

 

「で、どこからか情報が漏れてさ。“人殺し”って言われるようになった」

 

その言葉に込められた痛みは重かった。

 

「学校じゃ友達ゼロ。高校を機に上京したけど、こんな性格で友達なんて出来るわけないし、変なクラスメイトにたかられる毎日。まあ……見た目だけは地味で弱そうだったからね、私」

 

最後は自虐気味に笑う。だがその笑みは酷く脆かった。それは、子供一人が抱えるにはあまりにも重すぎる過去だった。

 

 

 

11歳で人を撃ち殺した少女。その事実だけでも重いのに、周囲は彼女を守るどころか人殺しと呼んだ。正義だったのか、仕方なかったのか。そんな簡単な言葉で割り切れる話ではない。人の醜悪さだけが、そこには剥き出しになっていた。

 

洞窟の中に沈黙が落ちる。キリトも何も言えなかった。軽々しく慰められる話ではない。そしてナガン自身、シノンの口から出たある言葉が頭から離れなかった。

 

——人殺し。

 

「……人殺しか」

 

ぽつりと、低い声が漏れた。シノンが顔を上げる。

 

「そんな言葉をまた聞くなんてな……」

 

「え……?」

 

シノンが小さく目を見開く。ナガンは壁へ背を預けると、小さく息を吐いた。

 

「俺も言われたことがあるって話だ」

 

淡々とした声だった。だがその言葉には、妙な重みがあった。

 

「でも、お前の過去と比べたら大した事もない、くだらない話だ」

 

そう言いながら、ナガンは少しだけ視線を落とす。キリトも黙ったまま聞いていた。ナガンが自分の過去を語ること自体、かなり珍しい。まして今の空気で軽い話になるはずがなかった。

 

「高三の頃だ」

 

その声は、どこか昔を眺めるみたいだった。

 

「まあ……当時の俺は今より性格も暗かった。愛想も悪いし、人付き合いもそこまで得意じゃなかった」

 

ナガンは小さく鼻で笑う。

 

「それでも、数人くらいは普通に話す奴もいた」

 

だが、と続けた。

 

「ある時、クラスの連中に目をつけられた」

 

シノンは息を呑むことも忘れ、ただ耳を傾けていた。ナガンの語りは、まるで他人の話のように淡々としているのに、どこか胸を締めつける重さがあった。

 

「最初はよくある話だ。気に食わない奴を弄る。笑い者にする。そんな程度だった」

 

ナガンの表情は変わらない。だが、その無表情こそが、どれほど深く傷ついたかを物語っていた。

 

「だが、俺は相手の挑発を無視しなかった。言い返した。恥をかかせた。結果、向こうの怒りを買った」

 

そこからだった。

 

「連中は俺の身内を調べ始めた」

 

洞窟の中の温度が一段下がったように感じられた。

 

「祖父が元狙撃手で、父親が現役の自衛隊狙撃手だってことを、悪意ある形でクラス中に広めた」

 

シノンの瞳が揺れた。

 

「“人殺しの家系”」

 

ナガンは無感情にその言葉を口にする。

 

「“お前も撃てるんだろ?”」

 

静かな声だった。だがその言葉には、生々しい悪意が滲んでいた。

 

「別に銃の知識がどうとか、技術がどうとか、そういう話じゃない。存在そのものを決めつけられる。それが...一番厄介だった。最初はやめろと言ったけど、意味はなかった」

 

「人は、一度”悪役”を見つけると気持ちよくなる」

 

低い声が洞窟に響く。

 

「そして、自分が正しい側に立ってると思い込む」

 

キリトがわずかに眉を寄せた。ナガンは続けた。

 

「俺の友人は庇ってくれた」

 

その時だけ、少しだけ声が柔らかくなる。

 

「だが今度は、そいつらまで標的になった」

 

その瞬間悠也は理解した。自分に関わるだけで、周囲が傷つく。なら、切り離すしかない。

 

「結局、俺は孤独を選んだ。それで途中から気づいた。何を言っても、人は変わらない」

 

シノンは静かに聞いていた。その言葉が痛いほど分かってしまったから。一度貼られたレッテルは、どれだけ否定しても消えない。

 

「それに、俺は連中を完全には否定できなかった」

 

ナガンは小さく目を細めた。

 

「父も祖父も、実際に人を撃ってる側の人間だ。父は自衛隊。祖父は昔の狙撃手だ」

 

そこでナガンは少しだけ視線を遠くへ向け洞窟の空気が静まり返る。

 

「俺自身、銃が嫌いじゃなかった。」

 

その言葉にシノンの瞳が揺れる。否定できなかったのだ。人殺しの家系。そんな言葉は最低だ。悪意でしかない。

 

「結局、俺は逃げるように受験勉強を始めた。受かったのは実家近くの私立大学だった。一年に一人か二人受かるかどうかの場所だ」

 

ナガンは少し肩を竦める。

 

「母親は”無理しなくていい”と言ってたが、俺の高校は馬鹿ばっかだったからな。受かる奴はいなかった……実際は他にも受けた奴はいたが、全員落ちた。ざまぁみろって思ったよ。そいつらとは関わりなんて全く無かったけど」

 

その頃の悠也は、今よりずっと暗かった。銃も嫌いになりかけていた。自分自身を肯定できなくなっていた。

 

「合格して少し落ち着いた頃に、祖父から連絡が来た」

 

ナガンの声が少し変わる。

 

「“暇だから付き合え”ってな」

 

シノンは黙って聞いていた。

 

「最初は本当に面倒だった。銃なんて見たくもなかったし、ゲームもやる気はなかった」

 

だが祖父は強引だった。

 

「気づいたらGGOにログインさせられてた」

 

キリトが思わず吹きそうになる。だがナガンは真顔だった。

 

「最初の一回でやめるつもりだった。だが、祖父に先手を打たれてな」

 

「先手?」

 

「悔しいことに俺は、じいちゃん子だったから性格を熟知されていてな...」

 

「……えぇ」

 

キリトが呆れた声を漏らす。シノンも少しだけ目を丸くした。

 

「だから続けるしかなかった」

 

その時間が、悠也を変えた。

 

「ジジイは慰めなかった」

 

低い声が響く。

 

「“お前は悪くない”とも、“周囲が間違ってる”とも言わなかった。ただ技術だけを叩き込んだ。視野、呼吸、空間認識、判断速度。狙撃に必要な全てを」

 

 

 

 

「ジジイは気づいてたんだろうな。俺が歪んだ理由の一部が、自分たち側にあるって」

 

だがそれでも祖父は謝らなかった。代わりに言った。

 

——世界は理不尽で当然だ。理解されないのが普通だ。正しさなんて意味を持たないこともある。だから——生き残れる力を持て。他人の評価で生きるな。ナガンは静かに目を閉じた。

 

「その頃からだな。俺が、“好きなものを好きでいい”と思えるようになったのは」

 

シノンは静かに聞いていた。

 

「銃が好きなら、それでいい。周囲が何を言おうが、最後に決めるのは自分だ」

 

シノンは本戦が始まる前に彼が言った事を思い出す。

 

人ってのは、良くも悪くも——最後まで自分を肯定できたやつが笑う。

 

(そういう意味だったんだ...)

 

「今思い返せば、バカな話だ。ろくに家族に相談しないで、自分だけの問題みたいに扱って。自分に酔ってた」

 

ナガンは苦く笑った。

 

「特に両親には、本当迷惑をかけたな……」

 

シノンは胸の奥が熱くなるのを感じていた。強いから、彼は最初から立っているんじゃない。何度も傷ついて、何度も否定されて、それでも自分を捨てなかったから立っていられるのだ。

 

その強さを、シノンは今ようやく理解し始めていた。

番外編という形で劇場版の『オーディナル・スケール』を読みたいですか?※もし書くとなった場合更新が遅くなるかも知れません。

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