夜の恵比寿の騒がしさも、ようやくひと息ついたその頃。
場所は変わり、アスナを自宅まで送り届けたキリトの胸中には、晴れない霧のような重苦しい不安が立ち込めていた。キリトはアスナからスマホで呼ばれ、ALO内にあるログハウスで再会を果たしていた。だが、そこで過ごしたひとときは、どこか決定的な違和感に満ちていた。
アスナは変わらず優しい笑顔を向けてくれたというのに、彼女の纏う空気や言葉の端々に感じる距離感が、どうしようもなく変だったのだ。その後、病院で医師から告げられた事実は、あまりにも残酷で、キリトの心を深く抉るものだったからだ。
アスナの――あのデスゲームの過酷な日々を共に生き抜き、幾千の思い出が刻まれているはずの「SAO時代の記憶」が「スキャニング」され、完全に消失していたのだ。原因は不明だがオーグマーとの関連は否定できない。
さらに、クラインからもSAOの記憶が抜け落ちているという。キリトはすぐさまALOのログハウスで仲間たちに警告を発した。「これ以上、オーディナル・スケールに関わら無いほうがいい」と。だが、事態は彼が止める間もなく加速していた。
次の日のボスの出現地点――後楽園ドーム。キリトが厳しい表情でその威容を見上げていると、背後から冷ややかな声がかけられた。
「随分な気合の入れようね」
「……シノン、どうやって!?」
驚いて振り返ったキリトの視界に、詩乃の姿があった。聞けば、彼女の参戦理由は至極シンプルだった。「アスナを泣かせた奴がのうのうと笑っているなんて、許せない」――正義感というよりは、彼女らしい気高さがそこにはあった。
「でも、シノンの家からここまで、それなりの距離があるはずだろ……?」
キリトが困惑して問いかける。すると、詩乃の背後の影から、気配を殺していた悠也がヌルりと姿を現した。
「俺だよ……」
「悠也!?怪我は大丈夫なのか!?」
「寝たら治った」
「寝て治るもんなのか!?」
キリトの真っ当なツッコミを涼しい顔でスルーしながら、彼はバイクのキーを指先で弄びながら、平然と言い放つ。
「俺はアッシーくん兼、専属ドライバーってとこだな」
聞けば詩乃を乗せてカワサキ・ニンジャで爆走してきたらしい。風を切り、夜の街を縫うように駆け抜けた二人乗り――その光景を想像したキリトは、思わず引きつった顔になった。
「え、悠也ってまだ免許取って一年も経ってな……「それ以上言うなら、お前をゲームオーバーにするぞ」
悠也が遮るように放った言葉には、冗談とも本気ともつかない温度があった。
「は……はい……!」
キリトは脊髄反射で直立不動の姿勢を取る。銃を持つ男の言葉に、剣士としての直感が「ここで深追いするのは死を意味する」と警鐘を鳴らしたのだ。
「だ、だけど……本当に危険なんだ。ボスに殺されたら、アスナの時みたいに……!」
キリトの必死の説得も、二人の耳には届かない。むしろ詩乃は、どこか余裕すら感じさせる微笑を返した。
「大丈夫よ。私達はSAO生還者じゃないもの。スキャンされる記憶がなければ、何も起きないはずよ?」
「そう言うこった」
悠也が付け加える。だが、詩乃の目はすぐに悠也へと向いた。
「ただ、悠也。貴方は単独行動禁止ね。あとリデンプションは私が預かるわ」
「……わーたっよ」
昨日の無茶を根に持っているのか、詩乃は容赦がない。悠也の腰から愛銃を預かると、彼女は満足そうに自身の装備に加えた。悠也も不服そうにしながらも、彼女の「しばらく撃つな」というお達しには大人しく従うしかなかった。
アスナやクラインの記憶を奪い、現実を戦場に変える敵。その正体はまだ闇の中にある。だが、SAOの亡霊たちが集うこのドームで、彼ら三人は運命の対峙へと足を踏み入れた。キリトが深いため息をつき、覚悟を決めてドームの入り口を見据える。悠也と詩乃がその背中を守るように並び立つ。
悠也は自身のオーグマーを操作し、オーディナルスケールを起動した。肌に吸い付くように展開する装甲の感触。その手には詩乃とお揃いの狙撃銃《アドバンサー》が、重厚な質量を持って握られていた。後楽園ドームの空間が、瞬時にしてアインクラッドの深淵を模したAR空間へと塗り替えられる。地面を突き破るようにして現れたのは、本来いるはずのない階層の守護者だった。
「あれは第18層のボス!《ザ・ダイアータスク》!?13層のボスじゃなかったのか!?」
キリトが声を荒らげる。本来の出現予定とは異なる強敵の出現に、場に動揺が走り、ユイの緊迫した声が全員の耳に届いた。
『現在、都内各所で10体のボスモンスターが次々と出現しているようです!』
「……随分と大盤振る舞いね」
詩乃がスコープを覗き込みながら、皮肉めいた声を漏らす。悠也もまた、アドバンサーのチャージ音を響かせながら声が漏れた。
「もう隠す気ゼロだろ……どんだけプレイヤー潰したいんだよ」
『それに伴って、ボスの出現位置がランダムに設定されています!』
ユイの追加報告を聞き、悠也は深く息を吐いた。事態は最悪だが嘆いている暇はない。彼は持ち前の戦闘狂としてのスイッチを切り替え、冷徹な狙撃手へと変貌した。
戦闘開始のゴングと同時に、巨大な鎖に繋がれたダイアータスクが咆哮を上げる。その瞬間、悠也と詩乃の引き金が同時に引かれた。二条の光線弾が空気を切り裂き、ボスの赤銅色の外殻に正確無比な着弾を見せる。火花が散り、ダイアータスクが苦悶の声を上げて大きくのけぞった。
「腕は鈍ってないようね?」
「そりゃどうも!次は右側の関節を狙うぞ!」
詩乃の流し目に、悠也は不敵に笑って応える。二人の呼吸は、言葉を交わす必要すらないほど完璧にシンクロしていた。一発撃つごとに位置を変え、ボスの巨体が振るう巨大な牙を紙一重で回避しながら、精密な追撃を重ねていく。先ほどまでの後楽園ドームが、いまや二人の正確な射撃演習場と化していた。キリトが前衛でボスの注意を引きつける隙を突き、悠也と詩乃は、まるでダンスでも踊るかのような軽やかな連携で、ダイアータスクの装甲を次々と剥ぎ取っていった。
戦況はプレイヤー側が優位――しかし、この無秩序なボス出現の裏には、さらなる何かが潜んでいることを、悠也は肌で感じていた。それでも、今は銃を撃ち続けることしかできない。次の獲物を撃ち抜くために。
巨大な鎖を響かせて暴れ回る《ザ・ダイアータスク》に対し、詩乃と悠也は《アドバンサー》による精密射撃で着実にダメージを蓄積させていた。しかし、ボスの堅牢な外殻は、光線弾程度では致命傷には至らない。
悠也はアドバンサーの射撃の合間、ちらりと自分の腰元――本来ならリデンプションが収まっているはずの空のホルスターに視線を落とした。この距離、この角度。あの大口径弾を撃ち込めば、ボスの装甲を一撃で粉砕し、強引にヘイトをこちらへ引き剥がせる。
彼は隣に並ぶ詩乃に、小声で切り出した。
「詩乃....リデンプションを....」
その言葉に含まれた意図を詩乃は即座に理解した。悠也の技量であれば、この距離からでも弱点を正確に狙い撃てるだろう。だが、それは同時に、広場中のヘイトを全て自分たちに集めることを意味する。キリトの前衛が安定しない現状では、自殺行為にも等しい。
「ダメ」
詩乃の返答は、あまりにも冷徹で即座だった。
「……否定が速いな」
苦笑を浮かべる悠也に対し、詩乃はスコープから目を離さず、氷のような声音で告げる。
「あんな危険の塊みたいな銃は、今日はお預けよ。恨むなら、昨日の自分の無茶を恨むのね」
昨日の戦闘で無理を重ね、エイジの拳を腹部に受けた悠也の姿が、今も瞼に焼き付いているのだ。彼女にとって、それは悠也を縛るための枷であると同時に、彼を守るための護符でもあった。
「……はい」
悠也は力なく肩を落とし、大人しくアドバンサーのトリガーを引き直した。詩乃の譲れない意志に触れ、それ以上食い下がることはできなかった。
「分かったら、私が撃ったところに正確に当てることね」
詩乃の指示に悠也はアドバンサーのチャージ音を響かせながら、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……出来たらハーゲンダッツ奢れよ?」
戦場のど真ん中で、よりにもよって高級アイスを賭けるという悠也の厚かましさに、詩乃は呆れたように肩をすくめた。
「……出来るならね?」
「そのセリフ、絶対忘れんなよ?」
悠也の言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。詩乃が放ったアドバンサーの閃光が、ダイアータスクの硬質な頭部を突き抜ける。その直後、寸分違わぬ軌道で悠也の弾丸が、彼女が撃ち抜いたばかりの「同じ穴」を容赦なく貫いた。ボスの頭部から、青白いクリティカルエフェクトが派手に舞い散る。
「……どうよ?」
悠也が流し目でこちらを見ると、詩乃はサッと顔を逸らした。冗談のつもりで無茶な注文をつけたのに、それを涼しい顔で実行された羞恥心が、耳元まで赤く染め上げていた。
「クッ……!」
詩乃は改めて認識する。そもそも、悠也という男は狙撃手の祖父から射撃の技術、精神論、さらには標的を射抜くための執念まで、全てを叩き込まれて育った存在だ。常人には不可能な神業ですら、彼に「やろう」という意志がある限り、それは彼にとって可能な領域へと変貌する。ボスが衝撃に身をよじり、大声を上げる。悠也の射撃精度は落ちるどころか、先ほどよりも加速していた。
「ほら、次だ。さっさと撃てよ」
悠也がわざとらしく急かすように言う。詩乃は悔しさを隠すように、強くトリガーを引き絞った。
「……次はもっと難しい場所を撃つわよ」
冷たい言葉とは裏腹に、詩乃の放つ弾道と悠也の鋭い射線は、まるで磁石のように吸い寄せられ、完璧に重なり合っていく。二人の圧倒的な遠距離制圧に翻弄されたボスのHPバーは、キリトの神速の剣撃との相乗効果によって、みるみるうちに削り取られていった。
最後は、トドメを譲り受けたキリトの鮮烈なラストアタックによって、強敵は無事に撃破された。周囲に響き渡っていたドームの喧騒が嘘のように消え去り、そこにはただ、静寂に包まれた夜の路地裏だけが広がっていた。
しかし、
「ユナ?……待ってくれ!君は、一体!?」
キリトの叫びが夜の空気を震わせ、彼は何かに引き寄せられるように走り出した。荒い息をつきながら、悠也と詩乃もその後を懸命に追いかける。しかし、追いついた先には冷たい街灯の光があるだけで、そこにキリトが追い求めたはずの少女の姿は影も形もなかった。
「くそっ!」
キリトは苛立ちを露わにし、拳を硬い自販機へと叩きつけた。ガィン、と鈍い金属音が響く。その八つ当たりの一撃が静寂を切り裂いた直後、背後から無造作な声が飛んできた。
「モノに当たるなよ和人。好感度下がるぞ」
悠也がジョークを呟き、手元から放り投げた缶コーヒーが、放物線を描いてキリトの胸元へと吸い込まれた。キリトはそれを受け取ると、悔しげに視線を地面に落とす。
「……悠也……いや、悪かった」
キリトが言葉を濁すのを、悠也は追及しなかった。詩乃がその後ろから静かに歩み寄る。
「逃げられたのね。……でも、彼女が何かしら繋がっているのは確実みたい」
詩乃の落ち着いた声が、熱くなったキリトの思考を少しだけ冷ます。悠也は自販機の前で背伸びをし、夜空を仰いだ。
「取り敢えず頭冷やしとけ……」
「分かった....」
キリトがふと思い出したように口を開いた。その瞳には、かつて死線で見た景色が焼き付いている。
「悠也、詩乃」
キリトが不意に切り出した声は、いつもの軽快な調子ではなく、妙に座った重みを帯びていた。その瞳には、隠しきれない困惑が浮かんでいる。
「ん?」
「どうしたの?」
悠也と詩乃が同時に首を傾げると、キリトは周囲を気にしながら、声を潜めて切り出した。
「二人は……幽霊を見た経験はあるか?」
一瞬、冷たい沈黙が落ちた。それを打ち破ったのは悠也の極めて平坦な、そして容赦のない声だった。
「遂に頭がイカれたのか?」
その真顔での即答に、詩乃は思わず噴き出しそうになるのを必死に堪える。言われた本人のキリトは、盛大にのけ反った。
「遂にってなんだよ!?俺は至って正気だ!」
抗議するキリトの肩の上で、ユイが困ったように眉を下げている。事の次第を聞けば、それはARアイドルとして世を席巻するユナに関することだった。キリトの前に何度か、白いパーカーに身を包んだ少女――ユナの姿が現れるという。しかし、彼女は言葉を発するわけでもなく、ただ静かに何処かを指差し、幽霊のようにふっと霧散してしまうのだそうだ。
「……AIのバグじゃないのか?」
悠也は怪訝そうに眉を寄せた。技術的に考えればエラーか、あるいは何者かによる高度なハッキングの類だ。しかし、キリトの真剣な横顔を見ていると、それが単なるプログラムの不具合だというには、あまりに切迫した「何か」を纏っているように思えた。
「ユイにも解析させてるんだが、ログには何も残ってない……ただの映像データじゃないんだ」
キリトの言葉に、詩乃も思わず背筋を正す。幽霊という非科学的な単語には抵抗があるが、自分たちが追いかけている「オーグマー」という技術の背後には、まだ解明されていない技術的特異点が潜んでいるような予感がする。
「……指差す先は?」
詩乃の問いに、キリトは深く溜息を吐いた。
「バラバラだ……まるで、何かを思い出せと言っているみたいだった……そうだ。ユイ、ここ数日で、あのフードの子が指さした方角を覚えてるか?」
キリトの問いかけに、肩の上に乗っていたユイが、頼もしい声で答える。
『はい。もちろん覚えています』
「それを東京の地図上にプロットしてくれ」
彼の指示と同時に、ユイの小さな指が空中に踊る。ウィンドウが展開し、幾何学的な光の線が立体的なマップ上に走った。三人の視線がその光の交差する点へと注がれる。
「ここは……」
地図上に浮かび上がったのは、見覚えのある区画だった。詩乃がその座標を確認するように、小さく地名を口にする。
「世田谷区……大岡山……?」
拡大されたマップには、特定の施設を指し示すマーカーが点滅していた。
「ユイ、ここには何があるんだ?」
キリトの問いに、ユイは即座にデータベースを回線へ繋ぎ、情報を引き出す。
『パパ。そこには東都工業大学のキャンパスがあります』
大岡山という地名、そして重なるデータの痕跡。
「……ここへ行けってことなのか?」
『東都工業大学と、プレイヤー『エイジ』のデータを関連付けてサーチを開始します』
ユイの宣告とともに、無数のウィンドウが三人の周囲を舞うように出現した。大学の施設図、関係者のリスト、そして過去の学内広報のデータが高速で流れていく。その奔流の中から、和人が一枚の画像に指を留めた。
「……この人は?」
そこに写っていたのは、大学の講堂らしき場所で演台に立つ、初老の男性だった。
『オーグマーの設計主任、重村徹大教授です』
重村教授。その名を聞いても、すぐには結びつかなかった。しかし、悠也の視線はその教授のすぐ隣にいた人物に釘付けになった。その顔立ちは、先日自分たちの前に立ち塞がった、あの第二位のプレイヤー『エイジ』そのものだった。
「大学に行くにしても、明日からだ。とりあえず……コンビニでアイスでも買おうぜ。全員、熱くなりすぎた」
悠也がそう切り出し、キリトも「そうしよう……」と疲れを滲ませた溜息を吐く。詩乃も短く応じ、三人は夜の空気を切り裂くようにコンビニへと向かった。
店内に入ると、キリトが適当に商品を選んでいる横で、悠也は迷いもなくハーゲンダッツのストロベリーを選び取った。そのままレジへ直行するが、悠也の指先は財布に触れる気配すら見せない。悠也はニヤリと笑い、詩乃を振り返った。
「約束だよな?」
「そうね……約束は守らなきゃいけないもの……!」
詩乃の声は微かに震えていた。狙撃の神業を見せつけられたという事実はある。だが、戦場での緊張感とはまた別の、恥ずかしさと「やられた」という悔しさが入り混じった複雑な心境だ。そんなやり取りを横で見ていたキリトは、思わずといった様子で引きつった声を上げた。
「うわぁ……」
高級アイスを奢らせるという悠也の厚かましさ。それを真っ当に受け止めようとする詩乃の律儀さ。そのあまりの温度差に、キリトはドン引きを隠せなかった。
しかし、詩乃のプライドは約束の反故を許さなかった。彼女は硬く握りしめた財布で会計を済ませると、敗北感を噛みしめるように唇を尖らせる。ドーム近くのベンチに腰掛けた悠也は、手のひらに収まる小さなアイスを木のスプーンで至福のひと時を味わっていた。
「……戦いの後に、彼女のお金で買った高級アイスは、随分と美味しそうね?」
すぐ隣から、詩乃のじっとりとした恨み節が聞こえてくる。それはもはや皮肉というより、ただの愚痴にしか聞こえなかった。しかし、当の悠也はそんな視線をどこ吹く風と受け流し、至高のバニラを口に運んで満足げに目を細める。
「ああ、美味いぞ」
ぐっと親指を立てて満面の笑みを浮かべる悠也に、詩乃は深い溜息をついた。この男には、どんな遠回しな嫌みも通じないと今更ながらに悟ったのだ。
「お前も食うか?」
悠也がカップを差し出してくる。
「……仕方ないわね」
詩乃は一瞬、彼が使っているスプーンをそのまま渡される光景――つまり『間接キス』を想像し、ほんの少しだけ鼓動を速めた。しかし、そんな彼女の甘い妄想は次の瞬間に容赦なく打ち砕かれる。
悠也のもう片方の手には、手つかずの新しい木のスプーンが握られていたのだ。
(……ほんっと、こういうところ……!)
詩乃は妙に照れ臭くなった自分への苛立ちと、悠也の察しの悪さへの不満をぶつけるように、ヤケになってスプーンをひったくった。そして、カップからあふれんばかりに大きくアイスをすくい取ると、そのまま口へ放り込む。
「冷たっ……!」
濃厚な甘みと、頭にキーンと響く冷たさが同時に押し寄せる。詩乃は口いっぱいにアイスを頬張ったまま、ふいっと顔を背けて、それ以上何も言わずにひたすらスプーンを動かし続けた。詩乃がヤケ気味にアイスを食べたその時、悠也はもう片方の手から「もう一つ」のハーゲンダッツを取り出した。先ほど彼女に奢らせた分とは別に、悠也が買って用意していたものだ。
「ほれ...詩乃の分」
悠也はそう言って、未開封のカップを詩乃の膝の上に乗せた。詩乃は目を丸くしたが、すぐさま「……最初からそう言いなさいよ」と少しだけ口角を緩めてカップを開けた。悠也は空になったゴミをまとめると、ベンチから立ち上がって近くのゴミ箱へと足を向ける。彼が戻ってくると、詩乃は自分の分を半分ほど食べたところで、意地悪そうな笑みを浮かべてカップを差し出した。
「……ねえ、一口食べる?」
詩乃の手元にあるのは、カップの中に残ったアイスと、彼女自身が先ほどから使っている木のスプーン一本だけ。明らかに、悠也の反応を試すための誘いだった。スプーンを共有するということは、そのまま間接キスを意味する。
詩乃は、悠也が狼狽える様子を期待してじっと彼を見つめた。しかし、悠也は期待されたような反応を一切見せず、ただ不敵な笑みを深くしただけだった。
「あぁ、一口貰うぞ」
悠也は極めて自然な動作で、詩乃の持つスプーンの柄を指先で軽く押さえると、そのまま彼女が先ほどまで口にしていた先端を躊躇いもなく自分の口へと運んだ。
「……やっぱ美味いな」
悠也は悪びれる様子もなく、むしろ堂々とした態度でスプーンを離し、何事もなかったかのように隣に腰を下ろした。
「――っ!?」
思惑を完全に裏切られた詩乃は羞恥心で顔を一気に真っ赤に染め上げた。動揺を隠そうとカップを握りしめるが、手元が震えている。
「な、な……っ、あなたねぇ……!」
「ん?どうした?」
「なんでもない!」
そのあまりの堂々とした振る舞いに、詩乃は抗議する言葉すら失い、ただ顔を覆って背を向けるしかなかった。悠也は内心の動揺を隠しながら、隣で赤くなる彼女の横顔を見て、小さく「勝った」と確信していた。
――だが、その甘酸っぱくも熱を帯びた二人のやり取りを、ほんの数メートル離れた場所から一部始終目撃してしまっている男がいた。すぐ隣のベンチにポツンと座っていたキリトである。
(……俺、今めちゃくちゃ空気が重いところに居合わせてないか?)
二人の間に流れる甘い雰囲気に気付いた瞬間、キリトの背中には冷や汗が一気に吹き出していた。声をかけるべきか、それともこのまま気配を殺して消え去るべきか。デートの真っ最中(のつもり)であるバカップルのイチャイチャを特等席で眺めてしまった黒の剣士は、今この瞬間、ボス戦よりも圧倒的な居心地の悪さに震えながら、そっと視線をスマホの画面へと逃がすのであった。
次回はちゃんと戦闘シーンはあります!
番外編という形で劇場版の『オーディナル・スケール』を読みたいですか?※もし書くとなった場合更新が遅くなるかも知れません。
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書くんだ!
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書かなくてもいい!