名前のない距離の隣で   作:レゾリューション

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今回も短いです


忘れたくても忘れられないわ

シノン黙っていた。その沈黙にははっきりとした“迷い”が含まれていた。言うべきか、言わないべきか。口に出せば何かが変わると分かっているからこそ、簡単には踏み出せない、そんな逡巡。

 

視線は前に向けたまま。ナガンの方は見ない。ただ、意識だけが確実にそちらへ向いている。やがて――

 

「……第三回BoBにエントリーするわ」

 

ぽつりと、落ちるように言葉が零れた。静かな空気の中に、その一言だけが妙にくっきりと浮かび上がる。ナガンの指が、一瞬だけ止まった。それまで無意識に続けていた装備の確認作業が、そこで途切れる。ほんの僅かな動作の停止。だが、それは確かに“反応”だった。

 

BoB――バレット・オブ・バレッツ。

 

GGOにおいて、純粋な強さだけを問われる大会。駆け引きも、運も、戦術も絡むが、最終的に問われるのは“撃ち抜けるかどうか”という一点に収束する、極めて単純で、だからこそ残酷な舞台。ナガンはゆっくりと顔を上げた。表情に大きな変化はない。驚きも、興奮も、特別な感情は表に出てこない。ただ、その目の奥で一度だけ情報を処理したような静かな動きがあった。

 

「頑張れよ」

 

短い一言。

 

確かに応援ではある。否定も、軽視もないがそれ以上に言うこともない。

 

完全に“外側”からの言葉だった、ナガンのそれは踏み込まず、ただ一定の距離を保ったまま投げられるもので、その距離感こそが彼の在り方だと分かっていながらも、シノンの中では小さな棘のように引っかかっていた、ほんのわずか、言葉にすれば消えてしまいそうな違和感で、それでも確かにそこにある感覚だった。

 

「……それだけ?」

 

零れた言葉は、ほとんど無意識に近く、自分でも制御できていなかった、聞くつもりはなかったはずなのに、気づいた時には口に出ていた、理由を問われても説明できない類の衝動だった。

 

ナガンは少しだけ首を傾げる、その仕草に深い意味はない、ただ本当に理解できていないというだけの反応で、そこに悪意も配慮もなく、ただ純粋な疑問だけがあった。

 

「それ以上何かいるか?お前強いだろ」

 

その声音には引っかかりも、含みもない、ただ事実を確認するような平坦さで、それが余計にシノンの中の違和感を強める、期待していたわけではない、けれど“それだけで終わること”に対して、どこか納得しきれない自分がいることを自覚してしまう。

 

シノンは一瞬だけ言葉に詰まり、喉の奥で何かを押し留めるようにしてから視線を逸らす、これ以上この話題を続けても意味はないと判断したからであり、同時にそれ以上を求める理由を自分自身で言語化できていないことも理解していた。

 

「……あんたも出なさいよ」

 

話を切り替えるように、しかし不自然にならない程度の流れで言葉を置く、その一言は軽く聞こえるが、空気の流れを確実に変えるだけの重さを持っていた。

 

ナガンの動きが止まる、今度は明確に、思考が一度区切られたことが分かる止まり方で、彼はそのままシノンを見る。

 

「え?」

 

素の反応だった、取り繕いも何もない、純粋に予想外の言葉を受け取った時のそれであり、その分だけ無防備でもあった。

 

「なんでだよ....」

 

すぐに続く疑問、拒否ではなく理解不能からくる問いであり、そこには感情的な反発はない、ただ論理が繋がっていないというだけの状態。シノンはそれを予想していたように表情を変えず、淡々と答えを置く。

 

「あんたとのリベンジマッチよ」

 

短い言葉だったが、その中に含まれる意味は軽くない、過去の敗北、それに対する未消化の感情、そしてそれを終わらせるための意思、それらが圧縮された一語だった。

 

ナガンは一瞬だけ目を細める、その変化は僅かだが確実で、彼の中で過去の記憶と照合が行われていることを示していた。

 

「……ああ、あれまだ気にしてんのか」

 

軽く言う。その口調は過去を既に処理済みのものとして扱っていることを示しているが、それはナガン自身の基準であって、相手のそれとは一致しない。シノンは視線を逸らさない、逃げることも誤魔化すこともせず、ただ真正面から受け止める。

 

「当然でしょう。あんな狙撃されたら忘れたくても忘れられないわ」

 

即答だった、その中に迷いはなく、むしろそれ以外の答えが存在しないかのような確定性があった、その視線は強く、揺らがない。ナガンはその視線を数秒間受け止める、短い時間だが、その間に相手の意志の強度を測っているようでもあり、あるいは単に受け流しているだけのようにも見える、その判別は外からはできない。

 

風が遠くで砂を巻き上げる、その音が妙に耳に残るほど、二人の間の沈黙は静かで、余計なノイズが排除されていた。その中で、シノンはさらに一歩踏み込む。

 

「それに」

 

一拍置く、その間は計算されたものではないが、結果として言葉の重みを増していた。

 

「……あんた、調べてるでしょ。デスガンのこと」

 

その瞬間、空気の質が変わる、温度ではなく密度が変わるような感覚で、見えない圧が一段上がる。ナガンの視線が鋭くなる、それは反射的なものではなく、明確に意識を切り替えた結果で、対象を“観る”段階に入ったというサインだった。

 

否定はしない、肯定もしない、ただ沈黙する、その沈黙こそが何より雄弁だった。シノンは構わず続ける、ここで止める理由はないと分かっているから。

 

「BoBに出れば、遭遇する可能性は上がる」

 

事実を提示する、感情を排した純粋な情報として。

 

「……あいつ、ああいう場に出てくるタイプでしょ」

 

推測ではあるが的外れではない、その確信があるからこそ言葉にできる。ナガンは否定しない、できないのではなく、する必要がないと判断しているようにも見える。シノンはさらに続ける、その言葉は徐々に核心へと近づいていく。

 

「今あんたがやってる情報収集より、よっぽど効率いいわよ」

 

静かな声だった、だがその内側には明確な意図がある、誘導でありながら強制ではなく、選択肢として提示する形を取っている。ナガンの思考が深く潜る、外見上は変化がないが、内側では確実に処理が進んでいる、複数の可能性を並べ、リスクとリターンを天秤にかける。

 

デスガンという存在、それはただのプレイヤーではない、ゲームの外側にまで影響を及ぼす異質な存在であり、それを放置するには引っかかりが強すぎる。BoBに出ることで接触の可能性は上がる、同時に危険性も上がる、それでも得られる情報の価値は高い。ナガンは小さく息を吐く、それは思考が一つの結論に到達した合図だった。

 

「確かにな……」

 

ぽつりと落ちる言葉、その響きには拒否は含まれていない、むしろ受け入れに近い温度がある。シノンは何も言わない、急かさない、その判断を尊重する姿勢でただ待つ。短い沈黙、その中で選択は固まる。ナガンは一度だけ視線を外し、すぐに戻す、その動きと同時に結論は決まっていた。

 

「……分かった、俺も出よう。ただ俺はこれからしばらくログインする時間がバラバラになるからクエストに行くのは難しくなる」

 

低い声で告げられたその言葉は明確な意思表示であり、同時に一歩踏み込む決断でもあった。

 

「えぇ、構わないわ。じゃあ次一緒に行くなら13日でいいかしら?」

 

「あぁ」

 

初めてのBoBエントリー、それがこの瞬間に確定する。シノンの表情は変わらない、だが呼吸がほんのわずかに軽くなる、その変化は小さいが確かに存在していた。

 

ナガンはすでに次の行動に移っている、装備の確認、視線の切り替え、いつも通りの無駄のない動きで、外から見れば何も変わっていないように見える。だが内側では確実に変化が起きている、踏み込まなかった男が、自ら一歩を選んだという事実、それは小さく見えて決定的な差だった。

 

言葉にされない距離、その隣で、二人の立っている位置がわずに重なり始めていることに、まだどちらも気づいてはいなかったが、その変化は確かに、そこにあった。

 

 




キリトは次の話で必ず登場させます......
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