勝利の女神:NIKKE ~Silent/Ratio~ 作:zaq2
食堂を出ようとした瞬間、ロージィが急に立ち止まってはこちらに振り返った。
「とは言ったものの、どっから回ればいいと思う? 姉さん」
「ロージィ、あなたね……」
スノーウィは、あきれて溜息を一つこぼした。
「いやー、はい案内と言われても、どういう風に回ればいいかってのは……」
「……そうね、今いるこの層から始めたらどう? ちょうど色々とあるから」
「おお、たしかにそうだな、サンキューな。と、そういうわけで。生活区画ツアー、はじめるぞー離れるんじゃないぞ」
ロージィが軽く手を振って歩き出す。
その後ろを追いながら、通路の先へ目をやった。
朝の照明に切り替わった施設内は、夜より白く輪郭がはっきりしていた。
そのぶん余計に分かる。使われている側と、そうでない側の差が。
今いる側の通路には光が落ちている。
道中の床は清掃されており、壁際の端末も最低限のものは動いていた。
一部の端末は、老朽化しては動かせなくなったものもあるという説明はあったが……それでも、最低限度の運用はできているとの事でもあった。
案内されて気づいた点と言えば、中央の通路を挟んだ反対側は、最初から切り捨てられていたように暗かった。
見えてはいるのに、生活の気配だけがきれいに抜け落ちているとでも印象をうけた。
その事が気になり聞いてみれば……
「ん? あっちか? あっちは今、ほとんど使ってない。電力も人手も限られてるから、全部は回してねーんだ」
[一部だけを機能しているという事か?]
「……ええ。見えているからといって、使っているとは限らないわ」
スノーウィが静かに続けた。
「昨日も言ったと思うけど、照明が落ちている区画には入らないで。使っていない場所は、そのまま危険でもあるの」
「そうだぞー、うっかり入って、床が抜けて落ちたら助けに行けないしな」
「……笑って言うことじゃないわ」
「笑ってねーって」
そう言いながらも、ロージィの口元は少しだけ緩んでいた。
つぎに案内されたのは、生活のための設備が集まった一角だった。
洗面、リネン保管室、小型ランドリー、補充用の収納、給水端末。
どれも派手ではない。
だが、誰かがそこで日々を過ごすために必要なものばかりだった。
そんな中、その並びの扉のひとつにあったネームプレートを見た瞬間、アニスがぴたりと足を止める。
「……ちょっと待って!」
「ん? なんだ?」
ロージィが振り返る。
アニスは、表示プレートを指さした。
「シャワールームがあるの!?」
勢いよく詰め寄られて、ロージィが一瞬だけのけぞった。
「お、おぅ……あるけど」
「使わせて!! 体がべっとべとなのよ!!」
思った以上の圧に押されたのか、ロージィが助けを求めるようにスノーウィを見る。
「た、たぶん大丈夫だとは思うが……姉さん」
「……あとで許可が出るか、お母様に確認しておくわ」
「絶対よ! お願いよ!!」
「え、えぇ、わかったわ……」
スノーウィもその圧にわずかに押されながら、それでも平然と答えては、どこかへと連絡をいれていた。
アニスの顔は、それだけでぱっと明るくなる。
「やった……シャワ~、シャワ~♪」
小さな妙な鼻歌まで混じる。
ロージィが呆れたように肩をすくめた。
「そんなに切実だったのかよ」
「切実よ! とっても重要よ!!」
「お、おぅ……」
スノーウィは小さく息をついてから、先を促した。
「許可の話はあとで。案内の続きに行くわよ」
再び通路を進む。
その案内された先々で目に入るのは、人の暮らしを支えていた痕跡ばかりだ。
食料品を扱う場所、それらを保管するための保存庫などなど……
[普通に、生活ができそうだな……]
「昨日も思いましたけど、思ってたよりずっと“人が住んでた”場所ですね、師匠」
その言葉に、スノーウィは少しだけ視線を落とした。
「ええ。ここは、そういう場所でもあったから」
それ以上は続けなかった。
だが、その短さがかえって言葉の先を想像させる。
ロージィが空気を切るように手を叩いた。
「んじゃ、次。もうちょい奥な」
先導されるまま、中央と外周のあいだをつなぐ螺旋状の通路へ入った。
そこで初めて、この施設の縦のつながりが少し見える。
ぐるりと回りながら階を移る通路の先に案内されたのは、簡易的な医療設備や衛生的な保守がなされている場所。
だが、それも使われているのは一部だけ。
その通路の向こう側にも同じ形の通路があると説明は聞いたはずなのに、そちらは闇に沈んでいた。
ふと、その闇に向かう途中の中間地点ともいえる位置に、ひとつだけ独特な閉鎖扉が見えていた。
そこだけは、照明が完全に落とされた立入禁止区画とも違っていた。
照明は最低限ながら生きているようで、薄い赤色灯が灯った扉は、ただ閉ざされているというより、意図して隔てられているように見える。
その時、ネオンがその扉の方へ少し踏み出しかけた。
「おや? あの先だけ急に空気が違うんですね」
「……それ以上は進んではだめ」
スノーウィの声が、すぐにそれを止めた。
[……この先に何かあるのか?]
「そこから先は管理区画よ。あなたたちの案内ルートではないわ」
「管理区画……何やら怪しい匂いがしますね、師匠」
「それでも、あそこは案内できないわ」
「やはり、何かを隠して……」
スノーウィが小さく息をつく。
「納得いかないようね。なら簡単に説明するけど、あそこから先は、この施設の動力源などのある管理区画でもあるわ。だから関係者以外は通せない。これでいい?」
「ああ、そういう事なら、納得しました」
「ええ。そう。だからこの先は案内はできないの」
重くなりかけた空気を払うように、ロージィが軽く言った。
「という事で、生活区画はここまでってことでしゅーりょー、この先の案内はナシってな……」
そういわれては、こちらは協力をしてもらっている手前、今の段階でこれ以上を求めるのは、と判断する。
[……わかった。少しはここの状況がわかり、助かる]
「どういたしまして。なんだけど、んー、時間がだいぶ余るなぁ……あと、どこか案内できるところってあったっけ……?」
ロージィは、何かを思案し、
「あ! そういや、あそこはまだ行ってなかったか……」
[あそこ?]
「ああ、せっかくここまで来たんだし、空気の違うとこ見せてやるよ。ついてきな」
来た道をそのまま戻るかたちでのぼっていき、螺旋通路の途中から別の連絡路へ入るかたちで戻っていった。
* * * *
その場所は、今までより明るかった。
閉じた通路の匂いが薄れ、空気にほんの少しだけ湿り気が混じる。
人工的に整えられた環境の中に、土や水を思わせる気配がわずかにあった。
「……空気が違う」
「だろ?」
ロージィが少し得意げに笑う。
その区画に入った瞬間、視界が開けた。
思わず足が止まる。
そこは、今まで見てきたどの区画とも違っていた。
高い天井。
閉塞感を和らげるように開かれた空間。
視線の先には、手入れされた緑と休憩用のスペースが見える。
完全な屋外ではない。
それでも、地下施設の内部であることを一瞬忘れそうになる程度には、ここは“外”に近かった。
「なんですかここ、まるで公園のような場所ですね」
[たしかに、こんな場所が地下にあるとは……]
「……庭?」
「中央庭園よ」
案内されるがままに、東屋と思しき場所まで来ては、スノーウィが答える。
「ここは他とは少し違う場所なの……」
「違うって?」
「それは……」
言いかけて、そこで止めた。
その瞬間だった。
東屋の隅ともいえる場所に淡い青白い光が立ち上がる。
揺らぐように輪郭を結び、それはひとつの人影になった。
青白色のホログラム。
女性の姿をしたそのシルエットは、冷たい光でできているはずなのに、不思議と威圧感より静かな安心感を先に連れてくる。
それでも同時に、この場所全体の中心にいる存在だと分かるだけの揺るぎなさもあった。
彼女は、こちらを見て静かに微笑んだ。
『この姿でお会いするのは、初めてですね』
その声が庭園の空気に溶ける。
『本施設の管理者。通称、M.O.T.H.E.R.(マザー)と申します』
〇遺失物
・研究者ログ群02
【研究者ログ:適合試験記録 A-01 / A-02】
対象個体:A-01 / A-02
対応系統:コードS / コードR
両個体に対する適合試験を実施。
応答傾向には明確な差異を確認。
一方は収束・保持傾向、他方は偏位・変動傾向を示す。
単独条件下では出力特性の差が顕著。
相補条件下では全体安定性の改善を確認。
備考:
単独最適化よりも、並列同期条件下での継続評価を優先する。
末尾記録の一部破損。
追記:
研究凍結措置に伴い、該当系統名データは破棄対象へ指定。
当該名称領域は抹消処理済み。