勝利の女神:NIKKE ~Silent/Ratio~   作:zaq2

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Episode6:Warm Illusion

『昼食を用意しました』

 

青白いホログラムの姿を前に、一瞬だけ言葉を失っていると、M.O.T.H.E.R.は穏やかな微笑を崩さないままそう言った。

 

それに応じるように、近くの通路から小型の配膳端末が現れる。

運ばれてきたのは、手でつまめる軽食と飲み物だった。

薄いパンに具材を挟んだ、簡素だが見た目にも整ったもの。

果実を使った甘いものらしい小さな添え物まである。

 

「……なんか、こんな場所でこんな料理だと、ほんとにピクニックみたいね」

「地下施設の中で、って考えると不思議ですけど」

「でも、悪くはないわ」

 

アニスとネオンとラピが、それぞれ感想をこぼす。

 

庭園の空気は、ここまで歩いてきた通路とは明らかに違っていた。

高い天井。

手入れされた緑。

わずかな水の気配。

空そのものはない。

だが、閉ざされた地下の中で、ここだけは“外”を思い出させるように作られている。

 

「この場所って、何のためにあるの?」

「生活区画とも違うんですよね?」

 

『ここは中央区画の庭園です』

 

M.O.T.H.E.R.が静かに答える。

 

『元は、来訪者の受け入れ、閉鎖環境への順応補助、そして本棟区画へ入る前の緩衝空間として用いられていました』

[緩衝空間?]

『はい、そう……なります。また、長く地下に留まる者にとって、閉鎖感は心身に影響します。そのための調整区画でもあります』

 

言われてみれば、ここへ来た瞬間、呼吸が少しだけ楽になった気がした。

地下施設の中にいるはずなのに、圧迫感が薄い。

 

「じゃあ、昔はもっとちゃんと使われてたってこと?」

『おっしゃる通りで、今よりも、ずっと……』

 

その短い答えだけで、この場所が長い時間を経て今の姿になったことが伝わってくる。

 

軽食を口に運びながら、ふと姉妹へ目を向ける。

二人はこの空間の中でも自然にそこにいた。

まるで、この場所そのものの一部のようだった。

その姿を見て、ふと頭によぎった疑問が口に出た。

 

[……二人は、ここから出ようとは思わなかったのか?]

 

問いを向けると、ロージィが一瞬だけ動きを止めた。

スノーウィも、すぐには答えなかったが、一拍置いてから言葉を発した。

 

「……私たちは“センチネル”だから」

 

先に口を開いたのはスノーウィだった。

だが、その言い方だけでは答えになっていないことを、自分でも分かっているようだった。

 

「だから、ここに残るようにできてるの。離れることを、前提にしていないの」

 

[それはいったい、どういう――]

 

そこまで口にしかけた時だった。

 

『シャワールームの点検が完了しました。現在より使用可能です。併設ランドリーも利用できます。希望しますか』

 

「いくっ!!」

 

ほとんど反射だった。

アニスが即答する。

 

「いくいく、絶対いく。今すぐいく」

「早っ」

「当然でしょ。もう限界だったのよ、こっちは!」

 

ネオンまで少し目を輝かせる。

 

「ほぅ、ランドリーも使えるんですか?」

『はい。ただし、旧運用の名残で利用順には制限があります。まずは女性用区画から開放します』

『そのため、男性用区画は、その後に使用してください』

 

アニスが勢いよくうなずいた。

 

「よっしゃー! それぐらいなら問題なし!! 使えるなら十分よ!!!」

 

ラピは小さく息をつきつつも、どこか諦めたように肩を落とした。

 

「では指揮官様、先に使わせてもらっちうわね」

[ああ。俺はあとでいい]

「師匠も、あとでちゃんと使ってくださいね」

[わかってる]

 

M.O.T.H.E.R.は姉妹へ視線を向ける。

 

『スノーウィ、ロージィ。扱いを説明してあげてください』

「……わかりました」

「おう。んじゃ、案内してやるよ」

 

アニスが「シャワ~シャワ~♪」と口ずさみながら、カウンターズの面々と姉妹は庭園の奥の通路へ消えていった。

 

残ったのは、自分とM.O.T.H.E.R.だけだった。

 

さっきまでの柔らかい空気が、どことなく変わった感じがした。

庭園の緑は変わらずそこにあるのに、静けさの質だけが少し違うような……

 

M.O.T.H.E.R.はしばらく何も言わず、去っていった通路の先を見ていた。

やがて、こちらへ視線を戻す。

 

『先ほどの問いに、あの子たちはうまく答えられなかったでしょう』

 

[……ここから出ようとは思わなかったのか、という質問のことか]

 

『ええ』

 

青白いホログラムの光が、わずかに揺れる。

それは表情の変化というより、記録の奥底から何かを掬い上げる時のようにも見えた。

 

『この施設は、はじめから今のような姿だったわけではありません』

『ここは本来、研究と管理のための場所でした』

『ですが、戦況の悪化にともない、逃げてきた人たちを受け入れ、長く暮らすための場所へもなっていきました』

 

[それは……避難してきた人を受け入れていたということか]

 

『はい。少人数の短期滞在ではなく、長く留まる者たちを』

 

その声は淡々としている。

だが、ただの経緯説明にしては、どこか静かすぎた。

 

『食事があり、眠る場所があり、洗濯をして、体を洗い、子どもが走り、年を取る者がいた』

『ここには、普通の生活がありました』

 

視線の先には、庭園の緑がある。

手入れされ続けたその景色が、かえってその言葉を現実味のあるものにしていた。

 

『ですが、すべてが穏やかだったわけではありません』

 

その一言で、空気の温度が少しだけ変わる。

 

『最初に大きく傷ついたのは、身体でした』

 

M.O.T.H.E.R.はそこで一度言葉を切った。

視線を伏せるようにして、言葉を続ける。

 

『活発なあの子は、その逃げてきた人たちを助けに向かいました。自分が行くべきだと、そう判断したのでしょう』

『結果として、救えた者はいました』

 

『ですが、その代償として、あの子は元には戻らない傷を負いました』

 

短い沈黙。

 

『そして、もう一人は、それを止めきれなかった』

 

『助かった命はありました。ですから、あの行動そのものを誤りと断じることはできません』

『ですが、あの時から、あの子たちは別々の傷を負ったのです』

 

庭園に吹くはずのない風の気配が、なぜかそこにあるように感じられた。

 

『その後も、ここでの生活は続きました』

 

M.O.T.H.E.R.は静かに続ける。

 

『長く地下に留まる生活は、人を、心を摩耗させます』

『皆が同じままでいられたわけではありません』

『ここを去った者たちもいました』

 

[去っていった者たちがいたのか]

 

『はい』

 

それ以上の詳細は語らなかったが、それで十分だった。

 

『残った者たちも、やがて老い、病み、別れが訪れました』

『普通に生きるということは、それだけ多くの別れを含むのだと、私はこの場所で繰り返し見てきました』

 

視線が、緑の向こうのどこか遠くへ向けられる。

 

『本来なら、あの子たちは背負わなくてよかったはずのものまで背負いました』

 

青白い光の輪郭が、ほんのわずかに揺れる。

 

『ここを守ること』

『去っていく者を見送ること』

『残された者の暮らしを支えること』

『そして、失われたあとの静けさに耐えること』

 

[……]

 

『私は、それをあの子たちに背負わせてしまった』

 

言葉は穏やかだった。

穏やかすぎて、かえって重い。

 

『母として、悔いています』

 

その一言だけは、管理者の声ではなかった。

 

『守ったものもありました』

『救えた命もありました』

『けれど、守れなかった普通がある』

『奪わずに済んだはずの時間がある』

 

M.O.T.H.E.R.は、まっすぐこちらを見た。

 

『あの子たちは、ここを護るよう作られ、ここに残るよう生きてきました』

『それが役目であり、存在理由でもあったからです』

 

[……だから、ここから出るという発想そのものが薄いのか]

 

『ええ。ですが、それだけではありません』

 

わずかな間。

 

『ここには、残してしまったものが、あまりにも多く、重すぎるのです。それは、足枷のように……』

 

その言葉は、姉妹だけに向けたものではないように聞こえた。

この場所そのものに、長い時間の中で沈んでいった何かすべてを含んでいるようだった。

 

『あなたには、今の話を覚えておいてほしいのです』

 

[なぜ自分に?]

 

『外から来た人だからです』

 

即答だった。

 

『この場所ではない外を知り、今を知り、それでもなお、あの子たちを見てくれるかもしれない人だから』

 

それは依頼というより、確認にも近かった。

まだ核心には触れていない。

だが、何かを託そうとしている響きがあった。

 

[それは、二人を連れ出せという……?]

『今は……』

 

庭園は変わらず穏やかだった。

緑も、光も、静かな水の気配もある。

なのに、その中にいるほど、ここがただ安らかな場所ではないことだけがはっきりしていく。

 

やがて、奥の通路から、案内を終えたらしい白い人影が先に戻ってきた。

 

M.O.T.H.E.R.は、その気配に気づいたのか、言葉をそこで切った。

 

『……続きは、また』

 

そう言った時にはもう、彼女の声はいつもの穏やかな管理者のものへ戻っていた。

 

 

 

〇遺失物

・研究者ログ群03

【研究者ログ:浸食適応実験体試験報告】

対応系統:コードS / コードR

 

浸食適応実験体に対する干渉試験を実施。

コードS系統は侵入・同調・制御補助に応答を示すも、深部干渉強度は限定的。

コードR系統は偏向出力および書換反応において優位性を確認。

ただし、当該系統は保持安定性に課題を残す。

 

結論:

主軸運用はコードRを優先。

コードS系統は補助制御・同期安定化用途として併用継続。

 

記録終端破損。

 

追記:

研究凍結措置に伴い、該当系統名データは破棄対象へ指定。

当該名称領域は抹消処理済み。

 

 

 




作者からのこめんと:
叡智なせいぼーのホログラムじゃない版

【挿絵表示】
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