モニカが出発してから程なくして、パーピュラシナ達も山を下りた。
安住の地を求めての
必要最低限の荷物だけを持ち、木々の影に身を潜め、隠密に行軍する。身重であり重傷者であるパーピュラシナは、二人の男性
無言で道行く彼等の表情は、概ね二種類。
一つは、モニカの言葉を信じて期待を
一つは、不信感や不安を抱きつつも、僅かな希望に
パーピュラシナは後者だ。
籠の中のパーピュラシナは、酷く沈痛な面持ちで
揺れは少なく、不快感はない。しかし彼女の身体は絶不調だ。
今こうしている間も、激痛と高熱に
―――女の
パーピュラシナはソレを切り落とされた。
人間の騎士によって。そして凌辱された。
発熱は、その時に負った傷が原因で起こっているものだ。
何とか生き延びることはできたが、大量に失血したこともあり、長くは持たないだろう。そのことは彼女自身が誰よりもよく分かっている。
だから、パーピュラシナの行動は、自分の身を
モニカに心配されることを分かっていながら、食事を
どうせ自分は死ぬのだ。
それならば、未来ある若者達に譲る方が合理的であり、何より
とはいえ、生き残った
だからこそ、モニカが出逢ったという魔王の存在は天啓だった。
現状における唯一の希望。
闇に閉ざされた袋小路に差した、一筋の光。闇の眷属である身なれども、縋らずにはいられない。
―――それでも。
パーピュラシナは、今この群れを率いる事実上の長なのだ。
彼女の判断が
(……私に出来ることなんて、なにもないけれど)
自嘲する。とんでもない指導者もいたものだ、と。
結局は、当たって砕けるしかないのだ。
それくらいしか、今はできることがない。否、それ以外のことは何もできない。それが現状だった。
やがて、山の
民族大移動というには、あまりにも短い距離だった。
ここは、空気が違う。
全ての
それはパーピュラシナも同じ。
彼女の傷んだ身体の容態が、随分と楽になる。迷宮の空気を吸っただけで、痛みが和らぎ、緩やかに熱が引いた。
そして――辿り着いたるは、玉座の間。
広々とした空間の最奥に、魔王が座している。その
「―――――」
誰に言われるでもなく。
玉座の前に、
あたかも王を前にした騎士のように。
救世主を仰ぐ民草のように。
パーピュラシナもまた、我知らぬ内に籠から出て、腹を
「―――ようこそ、我が迷宮へ。歓迎するぞ、
声を聞いた。
この場に居合わせた全ての
創造主だ。
自分達は今、魔なる物の主を前にしている。誰もがそう確信していた。
「……恐れながら」
震える声で、パーピュラシナが応じる。
「私は
然るに、魔王様――単刀直入に、お聞きする私の愚挙をお許しください。―――貴方様は、私共、
「事実だ。吾輩には、お前達を救う用意がある。手段もある。ただし、代償として恭順を要求するがな」
仮面に隠された面貌から、
パーピュラシナは、少しだけ眉を潜めた。
「恭順、ですか。貴方様は、私共に何を求めるのでしょうか」
今の
それは、
大義のためならば、命を捨てることなど惜しくはない。当然、この場の全員にその覚悟はある。だが、何のために命を散らすのか、それを知る権利くらいはある筈だ。
何の理由もなく死ぬ――そんな結末を拒む権利くらいは、ある筈だ。
対して、魔王は答える。
冷酷に。そして、酷く真摯に。
「―――――この世界から〈太陽〉を奪う。お前達には、その為の駒になって貰おう」
それは、実に馬鹿げた話だった。
しかし、一笑に付すことは
「……勝算は、如何程でしょうか」
「必ず勝つ。この吾輩が勝たせてやる。―――ただし、それだけでは戦いは終わらん。吾輩は更なる闘争を望むものである」
魔王は宣言する。
「〈太陽〉を奪う為に戦え。人間と、天使と。それが終われば次の戦争だ。それが終われば、また次の戦争だ。未来永劫、終わる事のない闘争と侵略が、お前達の前途に待ち受けている。それが吾輩の眷属になる――という事だ」
永遠に続く、戦争。
あまりにも理不尽な言い草だ。だが、だからこそ偽りはないと感じられる。この魔王は、本心から終わることのない争乱を望んでいる。
―――暴君。
「私共、
「ハッ――当然、犬死など許さんとも。我が眷属とは、即ち我が駒。我が道具である。無意味に損なうような采配はせん。無価値に失われる事などあってはならん。無論、愛着が湧けば重用することもあるだろう。武勲を上げたならば、褒美もくれてやる。丁寧に――そう、
「…………」
「迷っているな。即断即決が好ましい所だが――善い、特に許す。であれば、だ。お前達に一つの恩義を与えてやるとしよう。この吾輩に対して。そうすれば身を差し出して戦う大義とやらも出来るだろう。―――さて、パーピュラシナ」
突然、名を呼ばれ、パーピュラシナはどきりとする。
そして続けられた言葉に、彼女は更に混乱した。
「お前と、お前の胎の仔の命を救ってやろう」
「な―――――!?」
思わずパーピュラシナは顔を上げ、腹を庇うように押さえて僅かに後ずさりした。
そんな彼女の態度に気分を害した様子も見せず。
魔王は玉座から立ち上がり、演説しながらパーピュラシナの前へと歩み寄る。
「モニカとアーズィヴァに施した〈洗礼〉と〈祝福〉――それと同じだ。我が眷属となれば、お前の傷は全て癒え、止まり掛かっている胎児の心臓もまた力強く動き出す。無論、他の者共も同様だ。痛み、病、負傷。眼球が潰れていようが、四肢が欠けていようが、例外は無い。全て治してやるとも。
―――さあ、選ぶがいい。そのまま胎の仔諸共に死ぬか。それとも、吾輩の手を取るかだ」
告げて、魔王はパーピュラシナの前に手を差し伸べた。
これは悪魔の
これは悪魔の取引だ。
頷けば、後戻りできなくなる。
あまりにも険しい運命だ。
易々と呑めるものであはない。
けれど――ああ、けれど。
「……お願い、します」
パーピュラシナは、魔王の手に縋りついた。
悪魔の甘言だということは分かっていた。それでも拒むことはできなかった。
産みたい。
母として、当然の思い。
愛する人との子を成したのだ。お腹の子も愛しているのだ。
会いたい。顔を見たい。無事に産んで、抱き締めたい。こんなに残酷な世界だけれど――生まれてきてありがとうと、そう言いたい。
「お願いします―――! 私はこの子を産みたい! だからどうか、どうかこの子を助けてください! 私達
涙を流して懇願する。
犯された恥辱も、夫を殺された怒りも。全てを棚上げして、それだけを
完全に、私情に流されての決断だ。
だが、それを誰が咎められるだろう。
少なくとも、この場で異を唱える者はいなかった。全ての
対する魔王の反応は、無だ。
嗤うことも、蔑むことも、憐れむこともしない。
ただ、淡々と―――
「承諾した」
―――Diddle Diddle, Diddle Diddle
祝福の鐘が、遠くまで鳴り響いた。