ダンジョンマスターの刑を執行します。   作:瑞雨ねるね

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第三十八話 エンジョイ&エキサイティング!

 第005号砦は、阿鼻叫喚が渦巻く地獄と化していた。

 

 動く屍の行軍。

 

 嵐の中を、虚ろな表情で歩く亡者の群れ。そのほとんどは人造人(ホムンクルス)だが、中には街の長役を務める男など、人間の姿も多くあった。

 彼等は一様に、(あご)が外れんばかりに口を大きく開けている。

 開いた口からは、青白い液体生物(スライム)(あふ)れ出している。内部に浮かぶ目玉が、硝子(ガラス)細工の玩具のような、無機質な光を反射していた。

 以前として続く暴風雨の最中、彼等の姿を見て、第005号砦の民は困惑している。そんな者達へと、屍の木偶(デク)は一切の容赦なく手当たり次第に襲い掛かっていた。

 凄まじい力で首を絞め、昏倒――ないしは窒息死させる。それが済めば〈死体デ遊ブ胤液(クラフティ・ハンプティ)〉は死体に子株を植え付けて繁殖し、次々と勢力を増やしていた。

 

死体デ遊ブ胤液(クラフティ・ハンプティ)〉が乗っ取った動く死体を雑兵として前面に出し、侵攻する。

 

 しかし彼等は、力は強いが動きは緩慢だ。武器を持たない市民には脅威だが、騎士――正確には天使が相手では、物量こそ厄介であるものの、基本的には烏合の衆も同然である。

 体内に隠れた(めだま)を剣で破壊するのは至難だが、電撃を浴びせられては一溜りもないからだ。

 

 しかし、彼等は所詮(しょせん)は雑兵。

 迷宮側の主力となるのはゴブリンと食屍鬼(グール)の戦士達である。

 

 正面から迫る屍の群れが注意を引きつけたところを、物陰に潜み暴風雨で気配を隠したゴブリンと食屍鬼(グール)の部隊が脇から襲い掛かる。

 魔王から与えられた〈洗礼〉と〈祝福〉によって、食屍鬼(グール)の戦闘力は増している。不意を打っているとはいえ――最下級の天使程度が展開する光の防壁であれば容易く切り裂き、実に呆気なく、あっという間に(コア)を破壊した。

 

 ゴブリンもまた同様に、果敢に戦っている。

 

 洒脱な黒いシルクハットと礼服を(まと)った、醜い容姿の青白い小鬼。

 名を〈礼節ヲ解セル小鬼(ジェントルモア・ゴブリン)〉。

 そんな彼等が装備しているのは食器を模した形状の、独特な武器だった。

 ティーセットの受け皿(ソーサー)型の白い円盾を左腕に通し、右手にはナイフやフォーク、先割れスプーンの形をした穂先の短槍をそれぞれ携えている。身に付けた衣服と同様に、迷宮管理人(ダンジョンマスター)によって生命とセットで用意された代物だ。

 

 ゴブリンは必ず四体以上で固まって行動し、一体一体、一人一人、確実に天使を倒し騎士を殺している。

 特に人間や人造人(ホムンクルス)(ことごと)く幾つもの刃で貫き、惨たらしく八つ裂きにしていた。

 その対象は戦闘員だけではない。

 ただの一般人も含まれる。むしろ彼等は、戦う力のない無辜(むこ)の民を選んで積極的に、残虐に残酷に。愉しんで甚振りながら殺していた。

 

「―――やめて! やめてぇぇぇえええええ!」

 

 硬い壁で覆われた教会の中に、修道女の悲鳴が甲高く響き渡る。

 

 避難してきた人々の最後の砦になっていた教会。

 だが教会を護っていた騎士と天使は既に殺されている。建物内には大量の魔物が雪崩れ込み、非道の限りを尽くしていた。

 

死体デ遊ブ胤液(クラフティ・ハンプティ)〉に乗っ取られた動く死体と、武装した〈礼節ヲ解セル小鬼(ジェントルモア・ゴブリン)〉。

 

 魔物達は人間を殺す。

 殴り殺し締め殺し、槍で滅多刺しにして殺す。

 

《―――ちんくるちんくるれぇぷぁんばぃ!》

《―――はぅぁぃふぁきゅぁれぃでぃぁぁ!》

 

 魔なる物らしく――彼等は実に愉しげに、出鱈目(デタラメ)な詩を陽気に歌いながら虐殺に興じていた。

 

 なんという、邪悪。

 

 祈りを捧げるための広い聖堂は、その全てが血飛沫によって真っ赤に汚れている。天上の主の家たる神聖な教会を、魔物達は悪魔に生贄を捧げる邪教の魔宴(サバト)の会場も斯くやといった有り様へと変貌させていた。

 それは一見すれば手当たり次第に行われているかのように思える凶行だが、しかしそうではない。

 殺されているのは男、そして赤子と老人だけ。

 その分類がどのような意味を持つのか、残された女達は身を持って知る羽目になるのだ。

 

 殺された子供の遺体を抱きしめ、涙を流して悲しみに暮れる修道女。

 

 ゴブリン達は無情にも、彼女から亡骸を取り上げた。

 あまりにも無情な粗雑な扱いに、修道女は慟哭(どうこく)する。

 

「いやぁ! その子にもうそれ以上、乱暴しないで! 放して! 放してください! ―――ひぃっ!?」

 

 耳を貸すことなく、(いや)らしく舌なめずりをする小鬼共。

 複数のゴブリンが修道女に群がり、身体を押し倒して肢体を床に押さえ付けると、彼女が(まと)っている楚々とした黒い衣服を力付くで引き裂く。

 豊かな乳房が露わになった。

 手の空いているゴブリン達の掌が、晒された女の柔肌を這う。多数の青白い手が修道女の乳房を、尻を、(もも)を――そして股間の肉を、千切れんばかりに力の限り握り締め、乱暴に揉みしだく。

 

「なっ、なにをするの!? いや! やめてッ! やめてくださいッ! 放してぇ!」

 

 悲鳴を上げて懇願(こんがん)するが、魔物が聞き入れる筈もなく。

 残る衣服も裂いて捨て、裸も同然の格好にする。

 そしてゴブリンは口端を釣り上げて、悪意の(にじ)む下卑た笑みを浮かべると、穿いていた黒の長穿(ズボン)を下ろし、見せ付けるように下半身を露出させた。

 

「あ、ああ……ぃゃぁ……―――」

 

 事此処に至って、修道女は(ようや)くこれから自分がどんな目に遭うのかを理解した。

 ガタガタと震える。

 あまりの悍ましさに背筋が凍り付く。女としての本能的恐怖に駆られ、全身の皮膚が(あわ)()った。

 

 男を知らない訳ではない。

 

 領主である獣騎士ゲヴランツに呼び出され、幾度となく身体を重ねた。けれどそれも、天上の主に遣える敬虔な信徒である彼女にとっては、魂を擦り潰され引き裂かれるに等しい苦痛だった。

 決して望んでなどいない。

 だというのに――こんな(みにく)い、人ですらない魔物にまで身体を弄ばれるなんて、そんなのは冗談ではなかった。

 

 修道女は無意識に救いを求めて周囲を見回すが、視界に入るのは絶望のみ。

 

「いやぁぁぁああああああああああああああああああ!」

「やめて! お腹に子供がいるの! やめてぇぇええ!」

「やだ! やだやだやだ! 助けてシスター、助けて!」

 

 他の女達は、既に身体を奪われていた。

 未婚の若い娘。娼婦。上品な身形をした騎士の細君。たった今、目の前で夫を殺されたばかりの婦人。妊婦。そして教会で預かっている幼い少女達――など、などと。

 皆が、ゴブリンによって手酷く乱暴されている。

 護るべき子供達が泣き叫び助けを求める様を見せ付けられ、修道女は悲鳴を漏らした。

 

「ああ……! やめてください! その子達は初潮もまだなんです! 私が代わりになりますから、どうかその子達に酷いことをしないで! お願いします! おねが―――ぐぅうっ!?」

 

 股座から脳天まで貫かれる激痛によって修道女は苦悶に悶え、哀訴が強引に断ち切られた。

 修道女が生娘でなかったことにゴブリンは不満気に鼻を鳴らしたが、即座に気を取り直して、欲望のままに腰を律動させ、快楽を貪った。

 女性を喰らう。余すところなくむしゃぶり尽くす。

 それは相手のことなど一切考慮しない、悪意に満ちた凌辱だった。

 

《―――ぁぷぁぼべざをぉずゅぅふらぃぃ!》

《―――らぃくぁてぃとれぃぃんざすかぃ!》

《―――ちんくるちんくるちんくるちんく!》

 

 また、()()()()で手持ち無沙汰な一部のゴブリン達は、持ち込んだティーセットで紅茶を()れて、仲間の乱痴気騒ぎを(さかな)にお茶会と洒落込んでいる。

 

 魔物(ゴブリン)らしく、それでいて帽子屋(マッドハッター)らしく。

 滑稽(こっけい)なほど瀟洒(しょうしゃ)に、悍ましいほど陽気に。戦の最中であるにも(かかわ)らず、訳の分からない狂った(うた)を歌いながら(くつろ)いでいた。

 

「ぅぐ、ぅぅう……お願い、子供達、には……ぁ……許して……―――むぐぅ!?」

 

 修道女の口から譫言(うわごと)が漏れる。

 それが鬱陶(うっとう)しく思えたのだろう。順番を待っていたゴブリンの内の一体が、修道女の口を無理矢理に塞いだ。

 一気に喉の奥にまで捻じ込まれた。(あご)にゴブリンの恥骨が触れる。

 激痛と酸欠で朦朧(もうろう)とする意識の中――修道女はただ、天上の主が救いの手を差し伸べて下さることだけを頼みに、されるがままで耐え忍ぶことしか出来なかった。

 

 他方―――

 

「はあ、はあ、はあ……っ!」

 

 荒れ果てた街道を、赤い髪の少女が走っている。

 煉瓦で舗装(ほそう)された道は降雹(こうひょう)によってあちこちが砕けており、また暴風雨の影響で水路や排水溝から水が溢れ出していた。

 浅いとはいえ、浸水(しんすい)した地面を走るのは困難だ。

 それでなくとも、少女の幼さ故に短く小さい足では、どれほど懸命(けんめい)に駆けたところで大した速度は出せない。その上に荷物を抱えているとなれば尚更だ。

 

 少女は、胸に子豚を抱いていた。

 

 赤い髪を持って生まれたことを理由に、誰も彼もから悪魔の子と(ののしら)れ、忌み嫌われた彼女。そんな彼女にとって、子豚はたったひとりの大切な友達だった。

 

(あの騎士さまのところに行けば、きっと……!)

 

 先刻、自分を助けてくれた、太った騎士。

 友達である豚に似た彼ならば、きっとまた護ってくれる――そう考えての行動だった。

 

 無論、そんなに上手く事が運ぶ筈もない。

 

「きゃあ!?」

 

 不意に横合いから伸びた手に捕えられ、少女の矮躯(わいく)は実に容易く路地裏へと連れ去られた。

 あっと言う間もなく、少女は地面に引き倒され、複数のゴブリンに押さえ付けられる。

 服を破かれて裸にされる。実に分かりやすい危機的状況。しかし幼い少女の関心は、自身ではなく、完全に他のことに向いていた。

 

「豚さん!」

 

 子豚を取り上げられて、少女が悲鳴を上げる。

 

 呆気に取られたまま動けない少女。

 

 そんな彼女に見せ付けるように、ゴブリンは手にした短槍(フォーク)で子豚を串刺しにした。

 

 ―――プギュィィィイイイイイイイイイイッ!

 

 断末魔。紅い血飛沫が(ほとばし)り、泥水に溶けていく。

 その光景を目にした赤い髪の少女は、ただ目を見開いて呆然と(うめ)くことしかできない。

 

「あ……ああ……―――」

 

 何よりも大切な宝物。

 友達が死んだ。

 赤い髪の少女は、動かなくなった肉塊を見詰めることしかできない。

 

 遂に、無垢な(つぼみ)が踏み(にじ)られる。

 

「…………」

 

 身体に襲い来る痛みと苦しみ。しかしそれよりも、友達を失った心の傷の方が何倍も痛くて苦しかった。

 

《―――はっぷぃをぅぉぉぉぉぉぉ!》

《―――はっぷぃぁんばぁすでぃぃ!》

《―――はっぷぃらぁぇぇぇぃぃぷ!》

《―――はっぷぃぁんばぁすでぃぃ!》

 

 笑う。歌う。嗤う。謡う。

 

 やりたい放題振る舞う魔物共。だが当然、人間とてされるがままの状態で黙っている筈もない。

 全体で見れば少数ではあるが、人間から反撃を受けて返り討ちにされる魔物もいた。

 

 ある魔物は、天使の電撃を浴びて、炭化した。

 ある魔物は、家具や農具で滅多打ちにされた。

 ある魔物は、集団で暴行され内臓が破裂した。

 ある魔物は、肛門から口までを杭で貫かれた。

 ある魔物は、水に顔を押し付けられ溺死した。

 

 (ことごと)くが、(むご)たらしく殺された。

 

 ―――人間と、魔物。

 

 互いに殺し、殺され殺して。

 殺し返して、また殺されて。

 

 まさに戦場。

 これぞ戦争。

 

 城壁に、天使に、騎士達に――守護されていた人間の街。

 平和で平穏だったこの地は、今では、暴力に彩られた生と死が交雑する混沌の坩堝(るつぼ)。魔女の(かま)の底の底よりも、一層酷い有り様へと成り果てていた。

 

 * * *

 

「嗚呼……―――なんと、なんと素晴らしいのでしょう! 非常に(はかど)るであります!」

 

 頬に片手を当て、うっとりと(とろ)けた表情でBBが歓喜する。

 夢見る乙女のような様相だが、軽く握って激しく上下させているもう片方の手の存在がその印象を完膚なきまでに台無しにしている。

 何にせよ――彼女は心の底から、この状況を愉しんでいた。

 

「フフフ! アハハハハハハハハハハッ! ご覧になっておりますか、マスター? 迷宮案内人(わたし)迷宮管理人(あなた)の愛と悪意の結晶――私達が生み出した魔物の勇姿を! 殺す! 食す! そして犯す! 素晴らしきかな、戦争! 私達は今、戦場の愉悦と歓喜を特等席で味わっているのです! これ以上に見応えのある()()()などないというもの! 屍の山を築き、血の河を泳ぐ様は実に圧巻でありますねぇ! これぞまさに暗黒の御伽噺(ダークファンタジー)! やっぱりゴブリンは最ッ高です!」

 

「―――(うるさ)い」

 

 何がそんなに可笑しいのか。到底、理解できない。

 何がそんなに愉快だというのか。知りたくもない。

 

 出会った当初から、BBの言動や振る舞いは酷く(しゃく)(さわ)った。そして此度の戦いが始まってからの彼女の態度は、非常に目に余るものだった。

 BBはあまりにも悪趣味だ。

 一体、命をなんだと思っているのか。下衆と罵っても足りない。戦争を娯楽のように捉えて楽しむなど、不謹慎の極みだ。人道に(もと)るどころではない。頭がおかしいとしか思えなかった。

 

 そして何より―――

 

「おや? おやおや? 急にどうなさったのです、我が管理人様(マイ・マスター)?」

 

 ―――()()()()()()()()()()と、そう信じ切った目が、視線が、不愉快極まりなかった。

 

「……俺はお前とは違う。確かに、この世界から〈太陽〉を奪うために魔物を生み出しはした。殺戮(さつりく)と略奪を行うための戦力として。それは間違いない。―――だが。その行為が正しいものだと思ったことは、一度たりともない!」

 

 全ては強要されたことだ。

 

 冤罪(えんざい)によって投獄され、異世界に追放され、今度は無理矢理に戦わせられ負けたら死ぬという。

 死にたくない。

 その想いは全ての生物が持つ本能だ。俺自身は無論のこと、今こうして蹂躙(じゅうりん)している〈太陽のない世界〉の原住民(NPC)達も、それは同じに違いないのだ。

 そしてそれは――俺達の手足として戦っている魔物も同じこと。

 

「残虐な行為に目を瞑ったとしてもだ。……殺されているのは、敵だけではない。お前の言う『愛の結晶』とやらも死んでいるんだぞ。―――『彼等が歴とした生物であることを忘れるな』と、そう言ったのはお前だろう。そのお前が、何故笑っていられるんだ」

 

 思えば、酷い末路だ。

 

 勝手に生み出され、勝手に戦争に導入され――挙げ句の果てには死に様すら笑い物にされるなど。同情を禁じ得ない。

 

「一体、何がそんなに面白いんだ! お前はッ!」

「フフ――()()()()()ではありませんか。丹精を込めて創り出した魔物が殺されている。それはとてもとても悲しいことです。悔しいことです。―――ですが、()()()()()楽しい! 愉快で仕方がないのではありませんか!」

 

 

 ―――そもそも遊戯(ゲーム)とは、そういうものでしょう?

 

 

 答えるBBの表情はいつも通りだったが、その声音は非常に真摯(しんし)なものだった。

 少なくとも、彼女が口先だけで悲しい・悔しいと言っている訳ではないのだと――何故か、そう確信することができた。

 

 殺し、殺され。

 食し、食され。

 犯し、犯され。

 

 それこそが戦争の醍醐味(だいごみ)。その快感こそが戦争の歓喜であり、その刺激こそが戦争の愉悦である――など、などと。

 BBは、真顔でうそぶいている。

 

「―――それにですね。お言葉ですが、その台詞は()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……なんだと?」

 

 言葉とは裏腹に、BBの様子は普段と変わらない。端整な幼い顔立ちに、猫を思わせる飄々(ひょうひょう)としたニヤニヤ笑いを浮かべている。

 気分を害した訳ではなく。

 ただ、出来の悪い教え子に言い聞かせるように、BBは()()()告げた。

 

「マスター。貴方も、しっかりとこの状況を愉しんでおられますよ。でなければ――どうして、()()()()()()()になっておられるのですか?」

 

「なに……―――――ぐっ!?」

 

 BBに指差され、視線を下に下げた瞬間。俺は無様にももんどりを打ち、床に(うずくま)った。

 立つどころか、座っていることすら困難だった。

 強く頭をぶつける。額が激痛を訴えている。しかし、それもどこか遠くの出来事のように、(おぼろ)げにしか感じなかった。

 

 ―――股座(またぐら)が、有り得ないほどにいきり立っていた。

 

 酷い悪寒がする。眩暈(めまい)で身動ぎすら(ろく)にできない。

 全身の血が股間に集中しているかのようだ。心臓が鼓動を打つ度に、ソレが肉体から独立した別の生き物のように跳ね(うず)く。

 見たことのない状態になっている。

 冗談も誇張も抜きにして、本当に破裂してしまいそうだった。

 

「フフ、お可愛いこと。なんと立派な御立派様なのでしょう。素敵ですわ、マスター」

「黙れ……ッ! 糞ッ、なんだこれは……ッ! 一体、なにをした―――!?」

 

 俺の中に、何かが流れ込んでいる。

 

 否、流れ込んでいる――などと、そんな生易しいものではない。

 これは洪水だ。

 快楽と苦痛とが絶え間なく、凄まじい勢いで押し寄せて来る。視界が白く煮えている。このままでは脳が焼けて、使い物にならなくなってしまいそうだった。

 

 こちらの切羽詰まった状況とは対照的に、BBは悠々とした佇まいで俺を見下ろしている。

 

「ナニを、と申されましても。最初にご説明した通りですわ。

 ―――迷宮管理人(ダンジョンマスター)である貴方は、迷宮核や迷宮そのものの化身である〈魔王〉を通じて、全ての魔物と繋がっているのです。だから魔物達は、貴方の意のままに動く。卓上の駒はそれを分かり易くしたものに過ぎません。

 今、貴方が知覚しているのは、全ての魔物の生と死――その快楽と苦痛です」

 

 ……耳にした途端、流れ込む快楽と苦痛の怒濤(どとう)輪郭(りんかく)がより鮮明になった。

 

 まるでドライオーガズムのような。

 脳味噌の(しわ)という皺、組織という組織、割れ目という割れ目の全てから、(おびただ)しい量の変な汁が分泌されているように錯覚する。

 もしもその全てが脳内麻薬なら、当に致死量を超えているだろう。

 

 このままでは正気を保てない。

 

 狂うか、精神が廃れるか。あるいは――そうなる前に、首でも括るか。

 

 本気で自殺することを検討していると、不意に、BBの笑い声が聞こえた。

 

「フフフ、アハハハハハ!」

「……ッ! なにが、おかしい……!」

「フフ、失礼致しました。ですが、とっても可笑しいんですもの。だって、()()()()()()? どうして貴方がそんなに悩んでいるのかと思うと、もう可笑しくて可笑しくて」

「どういう意味だ……!」

「いえいえ。特に深い意味はないのでありますよ。だって、実に当たり前のことなんですもの」

「だから、なにがだッ!?」

 

 問い質す声は、最早悲鳴に近かった。

 

 BBはニヤニヤと――耳元まで裂けそうな、猫を思わせる嫌な笑みを浮かべて、俺を見下ろしている。

 

「私はずっと疑問に思っておりました。マスターは人道とか良識とか、そういったものを重視しておられるご様子。今こうしている間も、己の人間性について確信しておられます。

 ―――ですが、そんなものには何の意味もないのでありますよ。何故なら――そもそも貴方は、〈()()()()()()()()()()なのですから」

 

 

 ―――〈倫理のない世界〉の人間が、真っ当な倫理観を持っている筈がないでしょう?

 

 

 それは、あまりにも身も蓋もない言葉だったが。

 だからこそ到底、反論などできそうになかった。

 

「―――――ぅぐ」

 

 胃が痙攣(けいれん)し、酸っぱいものが喉まで迫り上がってくる。

 俺は半ば飛び跳ねる勢いで、洗面器にしがみついた。

 さあ、思い切りぶち撒けよう――という直前。俺は、見てはならないものを見た。

 

 鏡に映る、自分の姿。

 俺は――笑っていた。

 

「ぐ――ぅぉおおおえ」

 

 耐え切れず、薄汚れた白い陶器に勢いよく嘔吐(おうと)する。胃の中は空の筈だが、吐瀉物(としゃぶつ)はとめどなく溢れてきた。

 胃酸が喉を焼く。

 舌が機能を失うのではないかと危ぶむほどの苦味が脳に刺さる。

 

「は、ははは――はははははははははははは!」

 

 気が付けば、俺は笑っていた。

 ()()()()()()()()()

 きっと、戦いが始まったその瞬間から。魔物や食屍鬼(グール)達が人間を殺し、殺されるのを観て、喜んでいた。愉悦していた。そしてそんな己が認められないものだから、BBに八つ当たりめいた反感を抱いていたのだ。

 

 思えば、片鱗はあった。

 

 この世界から〈太陽〉を奪うと聞き、その是非を考えた時。俺は意図して考えるのを止めた。

 

 BBの嗜好を(いと)う言動をした癖に、ゴブリンなどという醜悪な魔物を創造した。

 

 どれだけ良識ぶって、己の善性を信じても――蓋を開けてみればこの体たらく。

 

 今、はっきりと自覚した。

 

 俺は屑だ。

 どうしようもなく醜い。

 

「ははははははははははははははははははは!」

 

 その後も俺は、気が触れたように吐きながら笑い続けた。

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