目隠しを巻き直し、カトゥーラは城の中を走る。
内部の構造は既に頭に入っている。迷う心配はない。眼を塞いでいようとも、卓越した聴覚と嗅覚によって一切の支障なく行動できた。
破壊された城門を潜り、外へ飛び出す。
吹き荒ぶ嵐。
暴風雨に出迎えられ、カトゥーラは反射的に顔の前に前腕を
これでも嵐の勢いは弱まっている。
事前に整えた手筈通り――第005号砦への侵攻に当たって、モニカとアーズィヴァは嵐の出力を落とし、
いわゆる共感覚性。
嗅覚と聴覚が視覚と密接に繋がっていおり、鼻や耳から得た情報を視覚映像に近い形で認識できるのだ。
その
そんなカトゥーラの鼻が、耳が、確かに捉えた。
荒れ狂う大嵐の中、接近して来る仲間の存在を。
「カトゥーラ!」
聞き馴染みのある声。
王妃コナ。
カトゥーラの幼馴染の親友であり悪友であり、かつては
コナは戦鎌を肩に担ぎ、世間話でもするように軽く口火を切る。やけに上機嫌な様子だった。
「どうだい、首尾は?」
「……城の内部はあらかた片付いてるわ。学士って連中も確保してる。後は屋上の奴等と、獣騎士の糞野郎を仕留めるだけね。―――で? アンタの方は?」
「翁様は無事だよ。今は
上空を指差して答える。それが指しているのは当然、モニカとアーズィヴァが戦っている相手――二体の〈ぷりあぷす〉だ。
「そう、なら―――」
「ああ。アタシはこん中に突っ込んで、獣騎士を殺る。他の奴等はアンタに任せていいかい?」
「フン、元からそのつもりよ。さっさと決着をつけて来なさい。あんまりモタモタしてると、私が横から掻っ攫うわよ」
「がっはっはっはっ、その時はその時さ! 別に恨んだりしやしないよ!」
「フン……」
カトゥーラの憎まれ口を、豪快に笑い飛ばすコナ。
気難しく辛辣な性格のカトゥーラは陰でお
彼女が対等な口を利けるのはコナだけだった。
「……死ぬんじゃないわよ」
ぼそり、と。思わず口から漏れた呟き。
不覚に違いない独り言は、当然ながら戦友の耳に届いていた。
「ん? ははは、なんだいなんだい、心配してくれるのかい? 随分としおらしいじゃないか。普段からそれくらい可愛げがあれば、婿の来手がありそうなんだけどねぇ」
「―――チッ!」
カトゥーラは舌打ちした。
凄まじくキレのある舌打ちだった。
「……今の無し。アンタみたいな腹の立つ奴が死ぬ訳なかったわ。憎まれっ子世に
シッシッと邪険に手を払う。
コナは豪快に笑い飛ばして、城の内部へ
その背中を目隠し越しに見送ってから、カトゥーラもまたその場を後にする。彼女は城に設けられた開けた庭に立つと、指笛を吹いた。
甲高い音が、暴風雨の中に響く。
それは、狼に騎乗する
狼の聴覚は、一説によれば人間の四百倍以上も遠くの音を聞き取ることが出来るとされる。嵐に掻き消されてしまうような微かな音でも、十二分に拾うことが可能なのだ。
しかし、来ない。その気配がない。
「……?」
カトゥーラは
「クソ……何処で油売ってるのよ、あのバカ犬! ムシュムス! どこ! さっさと来なさい!」
苛立たし気に悪態を吐き、カトゥーラは走り出す。
臭いを頼りに駆ける。
狼の嗅覚は人間の百倍――最大で数億倍の性能を発揮する。どれほど劣悪な環境であろうと、空気中に臭いの分子が一つでも存在していれば、問題なく獲物の居場所を知ることが出来るのだ。
そしてそれは、
居所は、難なく発見できた。
城に設けられた
崩壊した壁から覗き込むと―――
そこには――地面をごろごろと転がり、夢中で泥遊びをしている
「―――なにやってんのよ! このバカ犬ッ!!」
―――キャィインッ!?
凄まじい力で蹴り飛ばされ、狼が悲鳴を上げた。
狼は股の間に尻尾を挟み、縮こまってぶるぶると震えている。完全に怯えていた。
その様子は
獅子と同程度にまで巨大化した体躯。
灰色の毛皮とは別に、腹や頭部、脚などの要所が、金属質の黒い生体装甲によって覆われている。その外観は昆虫の甲殻に近い。特に尻尾は鋏虫の尾をそのまま巨大化したような形をしていた。
更に、両肩からは全長の倍近い長さの腕が新たに生えている。
黒い甲殻に鉤爪状の指と、こちらも見た目は昆虫に似ているが、関節の構造は人間の腕に酷似している。肘で綺麗に折り畳まれたそれは、根本の辺りを掴んでマウント状態を維持していた。
モニカのアーズィヴァと同様――魔王から与えられた〈洗礼〉と〈祝福〉によって、狼が生まれ変わった姿だ。
現在は、
「まったくこんな大事な時に! 見た目が厳つくなっても中身はバカ犬のままなんだから! あーもう馬糞塗れじゃないの、本ッ当に最悪!」
文句を浴びせながら蹴り回し、装具に着いた汚れを乱暴に叩き落とす。それから鞍に跨り、手綱を打った。
瞬間、それまで舌を出してアホ面を晒していた蛮狼――ムシュムスの顔付きが、精悍な戦士のものに切り替わる。
地面を蹴り、駆ける蛮狼。
獣と蟲、両方の性質を合わせ持った脚と、新たに備わった腕によって、
それは、砦の垂直な壁ですら例外ではない。
瞬きの内に一気に駆け上がり、端に差し掛かったところで壁を蹴って跳躍。やや離れた位置にあった高塔の
まるで砲弾のように、黒い蛮狼の怪撃が炸裂する。
異形の腕を叩き付け、薙ぎ払う。ただそれだけのシンプルな攻撃。それを受けて、屋上にて隊列を組んでいた兵士達の大部分が訳も分からぬ内に吹き飛ばされていた。
「―――――!?」
何事か、何者か――などと。
敵が理解するよりも速く。敵が口にするよりも、もっと迅速に。騎狼と
爪が、牙が。鎌剣が。
残る敵は、後一人。
隊列からやや離れた位置にいた指揮官。つまり――迅猪騎士ネヴァル。
「―――――」
特に言うことはない。
カトゥーラが手綱を打つまでもなく、主の意図を組んだムシュムスが襲い掛かる。
それを黙って見ているほど、迅猪騎士ネヴァルは愚鈍ではなかった。
「
―――――〈
聖術の詠唱、そして発動。
ネヴァルを中心として青白い光が床の上を走る。聖句で紡がれた円陣。一瞬の内に二重三重と展開され、屋上の広い範囲に光が敷かれた。
円陣には、無数の光の柱が整然と林立している。
それは護りであり迎撃装置。円陣に立ち入り柱に触れた者は、神聖なる電撃と光刃を全身に浴びて果てる攻防一体の技。
天上の主とその御使いより
しかし、通じない。
―――バキン!
硝子が砕けるような音と共に、聖術が崩壊する。
蛮狼の爪の一振りで、
「なん……だ、ど……―――っ!?」
眼を見開いて硬直する巨躯の騎士。その無防備な腹に、ムシュムスが食らい付いた。
甲冑に牙が食い込む。
破れはしないが、歪みによって内臓が強く圧迫された。
ネヴァルに噛み付いたまま、激しく振り回す蛮狼。更に畳みかけるように地面に叩きつけ、脚と腕を使って獲物を拘束する。
カトゥーラは剣を逆手に持ち替え、そのまま鞍から飛び降りる。
着地の瞬間――湾曲した剣身の先端が、ネヴァルの喉を貫いた。
甲冑の隙間に滑り込み、防塵繊維を容易く斬り裂いて。切先が肉を抉る。
「ぶごっ!?」
頭をすっぽりと覆う防塵繊維の
まだ死んではいない。
止めを刺すべく、カトゥーラは捩じり折るようにして刃を引き倒す。
「―――――」
首を半ば断たれ、傷口から勢いよく血が噴き出した。
もがいていた指先が床に落ち、魚のように力なく
間違いなく致命傷だ。
「…………」
眼を閉じ、カトゥーラは深く息を吐き出す。
緊張していた身体が安堵で緩む。
(後は、獣騎士さえ
「―――
「なっ!?」
血を吹きながら喋る死体を前にして、カトゥーラは眼を見開いた。
鎌剣を抜こうとするが、しかし動かない。急速に癒着する肉によって固定されている。更にネヴァルの掌が蛇のように巻き付いた。
瞬間――青白い光と熱が炸裂し、カトゥーラとムシャムスを吹き飛ばす。
天使が顕現したのだ。
その際に生じた衝撃波によって叩きのめされた。
屋上を転がるカトゥーラとムシュムス。
ムシュムスが壁際でどうにか停止すると、続いて飛んできたカトゥーラをその身で受け止める。
目隠しをしている二人には、ソレの姿は視えない。
神聖にして、荘厳。
蒼褪めた輝きを放つ鋼鉄の像。
機体色は
背中に一対の翼を持ち、頭上に
端的に表すなら戦車だ。
文字通りの戦闘用馬車。車体の両側面に斧状の分厚い刃が、そして正面には巨大な矛が備えられた、二頭仕立ての馬車。しかし
翼がある代わりに、首はない。
戦車そのもの――全体で一機の天使。その操縦席に乗るのは、当然ながら彼のものを召喚した騎士である。
ネヴァルは首に刺さった鎌剣を引き抜き、放り捨てる。
そして自身が腰に
剣の切先を天に掲げ、聖句を紡ぐ。瞬間――稲妻が剣に落ちた。
眩い光が消え去ると、剣は巨大な
「チッ……化け物が」
よろめく身体を無理矢理に起こし、苦々しい表情で
ネヴァルは
「
―――〈ぷりんしぱりてぃ・ちゃりおっと〉!」
《“Ah―――――!”》
命を受け、首無しの軍馬が