主を喪失した〈ぷりんしぱりてぃ・ちゃりおっと〉は攻撃を中断した。
首から大量の血を噴出する屍が、水浸しの地べたに横たわる。
―――
その特性は、『永眠』。
カトゥーラの場合、発現した効果は『あらゆる障害の無効化』である。
魔弓から放たれた矢は、標的との間に存在する一切合切を無視して、目標に到達する。それは単純な風雨や遮蔽物に留まらない。空気の抵抗、重力、磁場、果ては時間的な概念からすらも解放されるのだ。
性質としては、無重力空間での直線運動に近い。
無限に近い加速度は弦から離れた瞬間に最大に達し、一切のタイムラグを生じることなく敵を貫いている。
まさに魔弓だ。
ともすれば必殺、無敵の技のように思えるが、そこまで都合の良い代物ではないことは、射手であるカトゥーラ自身が理解していた。
(……これが〈祝福〉ってヤツかしら。便利な力だけど……狩人としては外法の技ね、コレ)
憂鬱げに眉をひそめて、カトゥーラは溜息を吐く。
緩めた目隠しを戻して右眼を覆う。
魔王と魔物には不信感があるが、一方で期待もしている。故に迅猪騎士を討ち取り手柄を上げ、自分が得難い
その目論見は達成したが―――
(疲れた……)
全身が鉛のように重く、気怠い。
戦闘で負った傷と精神の消耗。そして人生初の試みである魔法の行使。積み重なった疲労で、意識が遠のいてしまいそうになる。
このまま泥のように眠ってしまえれば最高だが――今は戦争中だ。そうは問屋が
カトゥーラは頬を張って、
(コナの方に加勢する――前に、一応アイツの死体を確認しておくか)
手綱を打ち、ムシュムスを走らせる。
高塔から
地面に横たわったネヴァルの死体を見下ろす。目隠しで視えないが、首から流れ出る大量の血液の臭いは感じ取れた。
間違いなく致死量。間違いなく死んでいる。
用は済んだ。
ならば、さっさと次の戦場へ向かわなければ。
カトゥーラはムシュムスの装具から伸びる手綱を打とうとして―――
瞬間――遠くで、
凄まじい熱量と光量。大気が爆ぜて焼け、轟音と衝撃波が吹き抜ける。
厳かで神聖な気配。
ともすれば〈太陽〉の光かと錯覚するが、即座に似て非なるものなのだと理解する。
黄金の光は柱の如く、地上から天を貫いている。
光はそのまま――振り下ろされる剣のように。空を覆う暗黒を斬り裂いた。
アーズィヴァが魔法によって生み出した嵐が吹き飛ばされ、完全に消滅する。黒々と渦巻いていた雨雲が跡形もなく蒸発し、常夜の世界に晴天が
黄金の熱光線は、第005号砦の城壁すらバターのように焼き斬っている。
コンクリートの融点が千二百度以上であることを考えれば、途方もない熱量であったのは想像に難くない。
―――何が起きた? 今のはなんだ?
―――敵の攻撃? 被害の程は?
―――
考えるが、即座に意味がないと悟る。
その場で突っ立っているだけでは
《“DOH―――――!”》
行く手を阻むように、『何か』が目の前に顕現した。
〈太陽〉の光によって視覚を封じられている
声は――先程、死亡を確認した迅猪騎士ネヴァルのもので間違いない。
だが、この気配は――紛れもなく天使のもの。
「……状況がよく分からないけど。
目の前の『何か』に弓を向けて、矢筒から新たな矢を引き抜く。
矢を弓に番え、弦を引き絞る、が―――
―――バギンッ!
水に溶解した接着剤が完全に
冷静を装ってはいたが、その実、カトゥーラは混乱の極みに
それは、戦場において致命的な隙であった。
「しまっ―――……ぐぅっ!?」
―――ギャィン!?
痛烈な衝撃を受けて、ムシュムス諸共に吹き飛ばされるカトゥーラ。
ムシュムスの背中きら投げ出された途中――空中で『何か』に首を掴まれる。宙吊りの体勢で首を絞められ、カトゥーラは苦しげに
(なんなのよ、コイツ―――ッ!)
首と共に圧搾され、酸欠で鈍る思考。それでも必死に回転させて、分析を試みる。
目の前の『何か』はネヴァルではない。
ネヴァルの死体は地面に横たわったままだ。彼の迅猪騎士が生き返った訳ではない。
ならば、何だ―――?
ネヴァルのような、天使のような――『何か』。
―――復活。
最後の審判にて、再臨した神の仔が成すという――全ての人類が永遠の命を得る奇蹟。
それが成った姿。
その後、至福の国に導かれるか、地獄で永遠の罰を受けるのかは不明だが――どうあれ、
* * *
―――時は少しばかり
獣騎士ゲヴランツは、天使から発せられた信号によって、副官の死を察知した。
「ふむ……思っていたよりは早かったな」
尊大に足を組み、頬杖を突いた姿勢で視線を流すゲヴランツ。
そんな彼の御座を務めるのは、雄々しく
戦車型であるが故、操縦席に悠々と尻を預けている。
眼下の光景は、
百八十体にも及ぶ
全滅と言っていい有り様だが、しかしゲヴランツの
「―――コイツで終わりだァ!」
残る数機も、コナや
女の絶叫を連想させる、
後は未だ上空でしつこくモニカとアーズィヴァを追い回している二体、そして椅子代わりにゲヴランツが腰掛けている一体。
合計三体の〈ぷりあぷす〉のみだ。
―――オオオオォォォオオオオオオオオオッ!
巨獣形態の
撃ち出された大剣が
ゲヴランツは天使が結晶化する前に飛び降り、冠水した地面に着地する。
静かに跳ねる
吐き出した息が、霊魂じみて白く凍る。
纏わりつく水気を
「もう手勢は尽きただろ。いい加減に観念しな、糞野郎」
琥珀色の
対して、ゲヴランツの余裕は崩れない。
「そうさな。まあ、良くやったと褒めてやってもいいか。素晴らしい健闘だったぞ、魔物共。拍手くらいはくれてやろう」
「テメェ……」
変わらず傲岸不遜な敵の態度に、流石のコナも怒りを通り越して呆れ果てていた。
「……天使は全滅。兵隊共も、もう一人も残っちゃいないだろうよ。それにあのデブ――頼みの副官も死んだんだろ?」
「ほう、分かるのか」
「相手取ってたのはコッチの副将なもんでね。アイツが負ける筈ない」
「それはそれは。素晴らしい友情だ」
鼻で笑い、肩を竦める。
相も変わらず――兵士の死も、臣民の死も。全て他人事として流している。
それは副官であるネヴァルでも同じ。
殺された事実を嘆くでも、腹を立てるでもなく。何かを思うことすらなく、淡々と受け入れている。
もう、流石に理解した。
アレは、脳の共感能力の類が欠如しているのだ。
言葉では理解できる。理解は出来るが、到底受け入れ難い生き物だ――と、コナは眉をひそめた。
―――その一方で。
(小手調べは済んだ。やはり、
苛立ちを一切表に出さず、涼しげな面持ちのまま、内心で吐き捨てるゲヴランツ。
武人として、武官としての分析―――
恐らくは
だが、そんなものは脅威に成り得ない。
他の魔物や
彼等が騎士や
空の狼竜は潜在能力こそ優れているが、手に入れた力に振り回されるばかりで、欠片も本領を発揮できていない。
唯一、興味があるのは
(―――よくよく考えてみれば、そもそもが可笑しな話だったのだ。
ショカゴラ卿の
だというのに生かしているばかりか、わざわざ各砦で見せ物にした挙句、〈聖都〉にまで招いて処刑しようとしている。
闇のように
虚無の色のみに染まっていた獣騎士の双眸が、僅かに遊興の情を
彼は一度コナを見やってから、次いで、
獣人の姿で相対する、
そう―――
だが、今は――少しばかり空腹だ。歯応えがあって、食いでのある
「よし―――」
気紛れな獣は、欲望のままに貪ることを決めた。
「―――いいだろう。興が湧いた。少しは本気で遊んでやるとしよう」
告げて、ゲヴランツは空の右手を掲げた。
右手に青白い光が収束する。それは蒼い装丁の、本の形へと
「―――――ッ!」
「翁様!?」
瞬間、
手にした大剣を、剛力で以って上段から振り下ろす。その一撃はコンクリートを粉砕し、中級天使の
ゲヴランツの手に現れた本が展開した、
「流石は
言いつつ、本から手を離す。それは落下することなく、宙に浮いている。
―――――
ゲヴランツが聖術を発動すると、彼の右掌が光の釘によって貫かれた。
役目を終えて、即座に消える光釘。
(なんだ……? 自傷用の聖術? そんなのになんの意味があるんだ? それにあの本はなんだ? ありゃ……―――聖書、か?)
いつでも
彼女は知らない。
あの蒼い装丁の聖典こそが、彼等の切り札――天使が人間に与えたもうた〈
―――バン!
ゲヴランツが右手を本の表紙に叩き付け、血判を押す。
すると血液が本に吸い込まれた。
本に
光の放射は物理的なエネルギーを伴って、間近にいた
「―――――
軽やかに唱えられる聖句/誓句。
それに呼応して、本――待機形態の〈賜具〉のページが高速で
ページは凄まじい勢いで数を増し、ゲヴランツの周囲をぐるぐると廻った。
「『
吼えよ――〈
題号と共に、〈賜具〉の真名を呼ぶ。
瞬間――青白い光が、眩い黄金に変わった。
ゲヴランツの姿が黄金の光に包まれる。それは一気に天高く伸びて、暗黒の空を
轟音と衝撃波。
そして凄まじい熱が、周囲の全てを薙ぎ払う。
ゲヴランツは光の中で右半身を大きく前に出し、右腕を振り下ろす。するとそれに連動して、光の柱が空を縦に斬り裂いた。
飛行していた狼竜は捉え損ねたが、鬱陶しい嵐は完全に断ち切った。
そして
やがて、晴れた夜闇の果てに、尾を引いて消える黄金光。
荷電粒子砲の熱と光に眼を焼かれ、流石のコナも前後不覚に陥る。
―――神聖。あまりにも、荘厳。
ゲヴランツの手には槍が握られていた。
黄金と真紅。
二又に裂けた長大な穂先の槍。華美にして豪奢な装飾が組み込まれているが、武器としての性能は一切損なっていない。まさに聖槍の名に相応しい代物だ。
あれこそが〈賜具〉――その武装形態。
そして―――〈賜具〉と対になるモノもまた、顕現していた。
ソレは、あまりにも巨大だった。
第005号砦の城塞に、文字通り比肩する程の大きさ。体躯は真紅の鋼鉄で出来ており、身体は豹に、四肢は熊に、尻尾は蛇に似ている。
背中には四枚の翼。
胴体から長く伸びた首は七本もあった。それぞれの先の頭だけは黄金で、人の髑髏を模した造形になっている。機械仕掛け故に多数の関節で構築された首、その全ての隙間には、金色の針金が
七つの頭は全てが王冠を戴き、またその内の三頭が二本、四頭が一本の角を有している。
巨躯の背中には、一人の女が腰掛けていた。
見るからに
―――妖艶。
だがその身体は、俗世の欲から解放された黄金の骸骨である。
気怠げに横たわった彼女の手には穢れた黄金の杯があり、腰には黄金の剣を
獣と女、全ての頭の上には青白く輝く
《“OOH――GOOOOOOOOAHHH!”》
力強く咆哮する、獣。
其は、間違い無く――
其は、紛れも無く――
「―――――〈
属性は火と土。『支配』と『戦争』の二重特性。
〈太陽のない世界〉における最大戦力の〈円卓〉――その一角を担う獣騎士。
そしてほんの十年前までは、定員三名、歴史上でもたったの五人しか務めた者がいない
彼の魂が具現化した姿だった。