ゲヴランツの負傷に連動して、〈ゑゐわす〉を含む全ての
体内で荒れ狂う黒煙の圧力によって、肢体がガクガクと無様に震え
それでもゲヴランツは動いた。
脇の下を潜らせて、ゲヴランツは背後の
一斉に放たれる七条の熱光線。
それは一点で交差し、
ゲヴランツの身体の黒炎/黒煙は既に消えている。〈ゑゐわす〉を始めとした賜徒達も同様だ。
死んだのか?
否――であると、ゲヴランツは確信していた。
荷電粒子砲を浴びたにも拘わらず、ゲヴランツの肢体に焼けた跡はない。胸には縦穴が空いているが、それも急速に塞がっている。
密に生えた紅い
すると傷だけでなく衣服や
〈
それは死者の魂を捕らえるだけに留まらない。ゲヴランツが被ったありとあらゆる傷や苦痛の全てを、自動で
そして、魂とは不滅だ。
どれほど傷付き、壊されようと、魂は永劫に不変であり不滅である。
従って――どれだけのダメージを負わせようと、ゲヴランツと彼の賜徒を
カトゥーラがやったように頭部を破壊されれば動けなくなるが、それは一時的なものでしかない。そもそも通常の天使とは異なり、彼等〈賜徒〉には
故に、〈賜具〉を起動したゲヴランツは無敵だ。
特に多対多での消耗戦や持久戦では無類の強さを発揮する。〈聖都〉が未だ応援を寄越さず静観の構えを崩さないのも、不要と考えてのことなのかもしれない。
だが――何事にも、例外はある。
(なるほど……
自らに起こった有り得ざる異常を冷静に受け止めて、ゲヴランツは分析する。
彼の
その数は万に届いている。
(摂理を超えて魂すら殺すとはな。―――天地万物、森羅万象の総てに死を与え、葬り去る権能。それこそが
加えて―――
ゲヴランツは、天を仰ぐ。
空の高み。賜徒〈ゑゐわす〉の力によって真紅と黄金の極彩色に変じた夜天。それを背景に、闇よりもなお深い暗黒が渦巻いている。
それは煙であり、雲の如きものだった。
黒い
(不死身――いや、そういう性質のものではないな。我々は元より、
ゲヴランツの推測は正しい。
元より彼は
如何に
「まったく……見栄を張ったな、
吐いた悪態とは裏腹に、ゲヴランツの面相は酷く楽し気だった。
結論から言えば――赤騎士ショカゴラは、
通常の手段で
そうなってしまえば死んだも同然だ。
(……私の〈
彼は先の戦いで、第001号砦の領主と第007号砦の領主を討ち取った豪傑だ。
ゲヴランツとの相性も悪い。
負けるかもしれない――弱気とも取れる思考が脳裏を過ぎる。しかしゲヴランツは怖気付いてなどいない。むしろその逆だ。
激戦の予感に胸が躍る。
昂る戦意。胸を焦がす期待は、いっそ欲情に近い。
「―――――来るか」
髑髏を描いていた暗黒が
悪魔のような、雄々しく
体躯は象と同等と大柄。更に背中には黒い鋼鉄と黒ずんだ色の鉱物結晶が密に生えて山を成しており、その高さは悠に体高の倍を超えている。
その姿は神話で語られる、世界を支えているという牡牛に似ていた。実際に巨大である。だが要塞と文字通り肩を並べる
重力に引かれ、落下する黒い牛。
瞬間――姿を見失うと同時に、〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉が撃墜された。
まるで隕石。
大気の壁が破られた爆音。凄まじい衝撃に、〈ゑゐわす〉の胴が折れ曲がる。
落下した牛の直撃。
それによって〈ゑゐわす〉の装甲は
背中から不吉に折れ曲がった状態で、凄まじい勢いで地面に叩き付けられる。落ちたのは冠水した農業地帯。衝撃で派手に水柱が立ち、土砂の
立っていられないほどの激しい地揺れが起き、その余韻は長く続いた。
辰牛形態の
その重さは天体に匹敵する程であり、生じた重力によって周囲の空間が歪んでいる。そんな途轍もない質量を生物の体躯程度のサイズにまで圧縮しているのだ。
身動きなど碌《ろく》に出来ない状態だが、高所から落下し、衝突した際に発揮する破壊力は、それこそ隕石の墜撃に等しい。
宙に巻き上がった
泥に塗れた〈ゑゐわす〉の背に
その姿は通常の形態である獣人のものに切り替わっていた。彼は杖のようにして大剣を持ち、幽鬼然として静かに立っている。
「―――――!」
突如、土砂降る泥と雨の壁に穴が開いた。
神速の突き。
ゲヴランツの攻撃を、
羽金と羽金が連続してぶつかり合う。
刺突による『点』での攻撃を主とする槍に対して、剣は切先を振るう『線』での動きを求められる。自然、大剣を得物とする
素早く、鋭く。
絶え間なく立ち位置を変え、ゲヴランツは無数の攻撃を繰り出す。
泥の雨が静まるまでの短い間に、槍と剣が交合した数は二十を超える。
両者が負った傷はそれ以上。
しかし結果として無傷。煙に変じる
それでも
マクロな視点で対局を見れば、未だゲヴランツが圧倒的に優勢。敗色など何処にも見当たらない。
それでも――背筋を焼き、臓腑を焦がすこの感覚。
熱く全身を巡る血潮の感触が、早鐘を打つ心臓の鼓動が、脳髄の
敵の刃が己の肉を割り、骨を断つ。傷、苦痛――その全ては彼の
だと言うのに、強烈に『死』を感じる。
殺されるかもしれないという恐怖。それに奮い立ち、真っ向から挑む戦意。甘美な闘争の愉悦。
ゲヴランツは、心の底から歓喜していた。
「ハハハ―――ハハハハハハハハハハハハハ!」
高速で刃を交えながら。
一切攻撃の手を緩めることなく、それどころかより苛烈に攻めながら――ゲヴランツは気が触れたように哄笑する。
「いいぞ、素晴らしい! こんなにも心躍ったのは四百年振りだ!
強き者に敬意を払うのは獣の流儀。傲慢に見下し、叩き伏せて勝利することもまた。
ゲヴランツは既に
こちらの突きを迎撃せんとする刃をこそ獲物として、二又の穂先が
がっちりと挟み込み、押さえ付ける。
拘束を振り払おうと
〈ゑゐわす〉の同位体たる
「―――
「―――はは、逃がさん!」
ゲヴランツが左手を向ける。すると、掌から紅い茨が生えた。
瞬く間に視界を覆い尽くすほどの量と勢いで溢れ出した光の茨。それは実体の無い筈の黒煙に巻き付いて、捕らえる。
茨は賜徒を繋いでいる
故に霊魂の類を捉え、拘束する力がある。変身した
「
聖術により、高圧電流が茨を
更に腕を振るい、
無防備な状態の
それよりも早く、
紅く輝く光の茨が瞬きの間に枯れ、焼け落ちる。拘束から脱した
肩を並べ、共に戦うゲヴランツと
二人の連携は凄まじく、
「―――――」
普段なら変身を駆使して切り崩しているところだが、ゲヴランツの茨に阻害される以上、その戦略は除外する他ない。
ならば――と、
全身から、爆発も同然の勢いで一気に放出される黒炎/黒煙。
炎と煙が広範囲を埋め尽くす。
対して、
杯の口から不浄な黄金の雫が溢れ出し、あっと言う間に二人の周りを覆って、死の炎煙を
「―――――!」
障壁は既に焼き尽くされ、金色のガスと化している。
―――今ならば殺せる。
ゲヴランツは無理だとしても、賜徒の方は戦闘不能に出来る。
間合いに踏み込み、滅殺の魔法を乗せた渾身の一撃を放つ―――
斬撃は、二人を真っ二つにした。
しかし、二人は
「―――――?」
奇怪を目の当たりにして、困惑する
「詰み、だな」
ゲヴランツの声。それが聞こえたのは地上ではなく地面の下――〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉の体内だった。
泥に塗れた背中が割れ、ゲヴランツと
ゲヴランツと
しかし〈どみにおん〉の腹に備わった映写機が停止すると、
映像である。
ただし、ただの映像ではない。
「―――〈どみにおん〉は遠隔地の情報を上映する能力を持った天使だ。映し出される像は基本的にはただの立体映像でしかないが、最大の出力を発揮した場合にのみ、極短時間ではあるが『質量を持った映像』を映し出すことが可能だ。これを本物と見分ける方法はない」
だから気に病む必要はないのだと、まるで慰めるような。優しげな、しかし高慢な声色。
つらつらと説くゲヴランツとは反対に、まるで時が止まったかのように、
四方を囲む〈すろーね〉が展開した青白い光の箱の中に捕らわれ、固定されている。
「後は簡単だ。予め四体の〈すろーね〉で四方を囲った罠を仕掛け、空間凍結の結界に誘い込ませて貰った。これが有効なのは既に実証済みだからな。私の技量ではこの通り、〈すろーね〉一体で成立させることが出来ず、
告げるゲヴランツの表情は晴れ晴れとしている。ゲームに勝った子供のような、邪気のない貌だった。
「我々人間の強みは手数の多さだ。聖術、天使、〈賜具〉に〈賜徒〉。勝負手は幾らでもある。
ゲヴランツが
獣騎士は、満足気に
「―――腹八分、といったところだな。中々楽しめたぞ
言葉に嘘はなく、
絶大な力もさることながら、何度斃されようと蘇り、敵を殺し尽くすまで戦う姿はまさに死神である。
だが――それでも弱点というか、泣き所はある。
彼の力は全て魔法によるもの。そして魔法の行使には、必ず魔力と精神力を消費する。
〈太陽〉がこの世界に創造されてから五百年――満足な補給や休養を得られないまま、彼はずっと戦い続けて来た。
故に
ゲヴランツの罠に呆気なく嵌ってしまったのも、その辺りに原因があった。
ゲヴランツが言った通り、もしも
しかし――戦場に『もしも』などなく、結果は既に出ている。
「さて、後は―――」
―――グルルォォォオオオオオオオオオオッ!
突如として轟く竜の咆哮。
吹き荒れる竜巻と真空の刃。そして猛烈に回転しながら撃ち出された戦輪。それは
「翁様! 助太刀しますッ!!」
現れたのは
邪魔者の乱入を受けて、流石のゲヴランツも顔をしかめて舌打ちする。
解放された
その斜め後方に位置取った狼竜と
「やり直しか。やってくれたな、小娘。―――〈ゑゐわす〉!」
鋭く叫ぶゲヴランツ。それに呼応して、地面に埋まっていた〈賜徒〉が動いた。
土中に埋もれたままの状態で荷電粒子砲を放つ。大量の泥が蒸発し、急激に体積を増して巨大な爆発が巻き起こった。
再び地上に君臨する〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉。
巨軀の背中から弾き落とされた
見下ろすゲヴランツの視線は、如何にも
モニカとアーズィヴァだけでなく、
とはいえ、難敵には違いない。
その上、今はモニカとアーズィヴァが加わっている。力を使いこなせていないとはいえ、
非常に手古摺るだろう。想像に難くない。
故に―――
「〈
〈
極彩色に染まった空から大量の賜徒が顕れる。
既に召喚済みのものも含め、その総数は約六百万。膨大な数の賜徒が、地上だけでなく空をも埋め尽くした。
「もう遊びは終わりだ。そろそろ片付けをさせて貰うとしようか」
―――そう、終わり。
―――完全な、詰み。
その実力はまさに一騎当千。
だが――武勇で覆せる物量には限度というものがある。六百万などという途方もない数の賜徒を相手取るなど不可能で、容易く圧殺されるのは眼に見えていた。
間違いなく敗北する、絶望的な状況。
だが――
第005号砦の高塔。
巨大な鐘を備えた、最も見晴らしの良い場所で――戦場の全てを静かに
左手の中の紅い懐中時計。
その側面に備わったボタンを押す。すると内部の機構が作動して、下部から太い針が飛び出した。
針はエルノインの皮膚を突き破り、肉に深く刺さる。手首を通過し、前腕の半ばまで。
刺さった針が、急速に血液を吸い上げる。
懐中時計全体に毛細血管のような紅い紋様が走り、秒針の動きに合わせて鼓動した。
吸収した血液量に応じ、文字盤に
スロットが五で停止する。
頃合いと見て、エルノインは口を開いた。
真っ白な少女の喉が、
「―――Broken Bridge with build it now,
―――Build it now, Build it now,
―――Broken Bridge with build it now,
―――My fair lady.」
ナンセンスな替え歌。
「―――――」
第005号砦で戦っている全ての者達が、その奇怪を目の当たりにした。
黄金と真紅――ゲヴランツの〈賜具〉と〈賜徒〉の力によって塗り替えられていた空が、今度は黒い影によって塗り潰された。
影の出所は砦の鐘楼。
「―――落としなさい、〈
命じる声に応え、懐中時計が一際強く鼓動する。
瞬間――空を覆った影から、巨大な腕が生えた。
赤い、紅い、朱い腕。
それは右腕だった。ならば左腕があるのはとても自然なことで、それも影から出現する。そして影の端を掴み、ずるりと身体を引き摺り出した。
あまりにも巨大。単純な大きさだけなら〈ゑゐわす・ざ・えんぺらー〉をも上回る。
それは鎧を纏った人のようにも、多数の鋼橋を組み合わせて造った人形のようにも見えた。両腕が異常に発達して大きく、胴体と同じくらいの幅がある。それに対して、下半身は酷く貧相で棒そのものだ。
頭はあるが平べったい突起のようで、見た目は斬首された死体に近い。円筒形の
背中には大きなゼンマイの摘まみが生えており、それがゆっくりと回転していた。その動きに合わせて、機体内部で時計仕掛けの機巧が、チクタクと快音を奏でている。
鋼鉄で造られた肉体。その全身は、血と錆に塗れている。
―――
両腕を広げてソレが落ちて来る様は、それこそ歌のようだ。
―――――ガゴンッ
落下する巨人の胸が独りでに開く。胸部の外殻が脇腹にスライドし、内部の構造を露出させる。そして更に肋骨が拉げる風にして内部装甲が折り畳まれ、核となる動力炉が露となった。
核にあるのは黒い孔。
その孔は機体そのものではなく、虚空に穿たれている。傍目には平面にしか見えないが、しかしそれは如何なる角度から見ようとも平面なのだ。
不可視の孔。
然もあらん、孔に入った光は二度と脱出出来ないが故に。
孔の中で極大の重力が渦巻く。
巨体もそうだが、核が発揮する不吉な力の奔流もまた凄まじい。
第005号砦の全て――彼の獣騎士ゲヴランツですら、眼を剥いた驚きの形相で、呆然と巨人を見上げることしか出来ない程だ。
落下する
固く握り締められた拳が軋む。
拳は鉄槌の如く、落下の瞬間に振り下ろされ―――――