ダンジョンマスターの刑を執行します。   作:瑞雨ねるね

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第五十一話 悪詩篇:魔王とその他の恐怖

 天も地も関係なく、全てが千々に砕けて消えて行く。

 空間が割れ、奈落が口を開いた。

 第005号砦に居た全ての者が、光の無い闇の孔に落ちる。堕ちる。墜ちる。

 果てのない深淵。

 どれくらい落下したのか。平衡感覚が狂い、時間の経過すら曖昧(あいまい)(にご)る。

 まだ一秒も経っていない気がするし、もう何時間も過ぎたような気もする。意識すら闇に溶けてしまいそうになるが――唐突に、世界がぐるりと逆転し、孔の底に叩き付けられた。

 硬い床に激突する。

 まともに受け身を取ることが出来た者は少ない。何が起こったのか、状況を理解している者はもっと少ない。精々がエルノインくらいのものだ。

 

 孔の底は、石の地面だった。

 

 黒みがかった色で、薄らと独特の紋様が浮かんでいる。印象としては磨き上げられた大理石に近く、床上の光景が淡く映り込んでいた。

 

 其処は、四角く区切られた空間だった。

 腰壁は床と共通した意匠。

 神秘的な幾何学模様が描かれた青白い壁が上へと果てしなく伸びており、天井は視認できない。頭上には奈落の天地を逆にしたような、暗黒の闇が広がっていた。

 

 ―――広い。

 

 実際に見えている大きさよりも広い。どうやら空間が歪んでいるらしく、〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉の巨体だけでなく、六百万の賜徒(シト)全てが収まっていた。

 更に魔物や食屍鬼(グール)達の他、学士等や生存者達など、第005号砦にいた者が勢揃いしている。

 それでもスペースは余りある。

 今この場で、そのまま戦争を始めても支障はないくらいに。

 

 超越した技術を有した文明が残した遺跡――そんな印象を受ける場所。

 その最奥に在るのは漆黒の玉座。

 玉座の後ろの壁は、頭よりも高い位置の部分が四角くくり抜かれている。そこに巨大な卵が設置されていた。青白い卵はほんのりと輝いている。黒い台座に固定されたソレには、王冠を意匠とした装飾が施されていた。

 玉座から伸びる蒼いカーペットが床を縦断し、背後の壁まで続いている。その先にあった筈の隔壁は固く閉ざされ、完全に壁と一体化していた。

 

 ―――そして。

 

 玉座に腰掛けた者が、ひとり。

 

 ひょろりと伸びた影法師。しかし絶大な存在感を放ち、君臨している。

 その姿は漆黒の猛禽(もうきん)であり、暗黒の獅子であった。

 鳥を模した形状の鋼鉄の仮面で貌を覆い、流れる蓬髪(ほうはつ)は闇を凝縮して形にした(たてがみ)のよう。瀟洒(しょうしゃ)な礼服の上に黒いコートを纏い、頭には王冠の装飾が施されたシルクハットを被っている。

 

 人のような姿をしているが、明らかに人ではない。

 恐怖を知らぬ獣ですら(おのの)くような――人智の埒外に在る、化物(ケモノ)の魔性が全身から溢れ出ていた。

 

 神聖。あまりにも、荘厳。

 

 天使のソレとは根本から性質を異にしている。それでも感じ取らずにはいられない、畏怖と畏敬の念。その存在を予め把握していたゲヴランツは元より、それ以外の学士等や市民達までもが、彼が何者なのかを一目見ただけで悟った。

 単純な強度だけの話ではない。

 生物としてあまりにも異質。一挙手一投足、呼吸から些細な目線の動きまで、生命活動の総てを鷲掴みにされる程の恐怖。

 

 ―――迷宮の主。

 ―――これが、魔王。

 

 彼は尊大に足を組み、頬杖を突いた姿勢で、ゲヴランツ達を静かに眼下に見ている。

 仮面に嵌め込まれた色硝子のアイピース越しに、薄っすらと見える蒼い瞳。端整な、切れ長の鋭い眼差し。それは昆虫の複眼にも似て無機質で、一切の感情が窺えない。

 

 ―――玉座の傍らには、エルノインが控えている。

 

 魔王は集った面々を気怠げに一瞥(いちべつ)すると、口を開く。

 仮面の下でくぐもった声が響いた。

 

「皆の者。招きに応じ、よく来てくれた。歓迎しよう。―――――()()()()()()

 

 肘掛けを指先で軽く叩く。瞬間――その場に居る全ての者が、凄まじい重力に襲われた。

 魔王が放つ重圧が、そのまま物理的な圧力になって伸し掛かってきたかのようだ。ただの市民や戦闘力を持たない学士は床にべったりと張り付いてしまっている。

 当然、魔物や食屍鬼(グール)達も平伏を余儀なくされている。山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)も例外ではない。

 

 あらゆる被害を六百万分の一しか受けない賜徒も同様。

 彼等に全ての不利益を押し付けているゲヴランツですら強制的に片膝を突かされ、その態勢のまま一切の行動を封じられていた。

 

(ッ……! 動けん……!)

 

 重力に抗おうとするが、地に突いた膝を上げることはおろか、指先すら満足に動かせない。

 それでも僅かに顎を上げ、敵を睨み付ける。

 

 (こうべ)を垂れる屈辱を拒絶する、獣の矜持。

 そんなゲヴランツの気概を、魔王は無感情な眼で見下ろす。

 

「さて……こちらから招いた手前、本来ならば客である諸君に、茶の一杯でも振る舞うのが礼儀だが……―――生憎と、今回は時間が無い。御託は省く、容赦もせん。手早く蹂躙させて貰おう」

 

 告げて、魔王は音もなく立ち上がる。

 掲げる右手。

 

「―――――迷宮核接続。

 数秘暗号鍵更新、変換誤差修正。『ディドルリドル』実行を管理者権限で申請――承認認識。これより指定領域内に存在する敵性体の完全排除を開始する―――」

 

 両手の甲――手袋に刻印された魔法陣が、(にわ)かに蒼く発光する。

 流れるように動く両手。人差し指と中指を立て、前方に手の甲を向けた印相。時計の針に見立てているのか、右手は上を、左手は下を指している。

 濃く、重く。気配が変化していく。

 変化しているのは気配だけではなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 両手の構えを解き、顔を上げてぐっと仰け反る。瞬間――仮面から生える(くちばし)の装飾が、僅かに開いた。

 隙間から覗く歯列と歯茎。

 更に色硝子のアイピースが、鳥の瞬膜のようにスライドして開く。すると、()()()()()()()()()()()()。半ば飛び出した眼には、点に近い大きさの蒼い瞳があった。

 

 ―――バギンッ!

 

 甲高い金属の粉砕音を響かせて、嘴の隙間が完全に開く。

 嘴の内側は有機的な構造になっていた。

 鋭く細長い牙が、びっしりと並んでいる。舌があり、粘膜に覆われた紅い肉が露わになった。口腔の奥は喉に続いていて、奈落じみた暗い闇が少しだけ見える。

 

「―――……ッ!」

 

 怪物としての本性を現した魔王の姿に、敵であるゲヴランツだけでなく、モニカやコナ達、魔王や魔物に肯定的だった食屍鬼(グール)ですら瞠目した。

 

 魔王は―――

 

「さあ――歓喜せよ! 歌い踊れ! 今宵の御伽噺(おとぎばなし)を演じるのはお前だ!」

 

 ―――傲岸に、不遜に。高らかに告げる。

 

 魔王は袖のボタンを外し、ゆっくりと(まく)る。姿を現した左腕は、人のソレとは完全に異なっていた。

 びっしりと黒鉄の羽毛が生えた翼手。

 材質を除けば、鳥の翼や恐竜の腕に近い。明らかに服に納まるサイズではないが、それを突っ込める者はこの場に存在しなかった。

 二の腕の半ばまで捲ったところで止まる。

 

「〈悪詩篇(マリス・ライム)魔王ト其(アザートゥスナーク・)之他ノ恐怖(アンド・アザーホラーズ)〉が一ツ……―――」

 

 右肩を抱くように曲げた左腕を、鋭く一閃させる。すると、左腕を覆っていた鋼鉄の黒い羽根が全て抜け落ちた。

 無数の羽根は宙の一点で渦を巻き、(まゆ)を思わせる球形を象る。

 

「始末せよ――〈謎欠ケ事件・双子(トゥイードル・ツインズ・)ニ曰ク犯人ハ鴉(アンタイディマーダーケース)〉!」

 

 

 ―――Diddle Diddle, Diddle Diddle

 

 

 命じ、名前を呼ぶ。

 鐘の音が響き渡る。

 

 其は謎掛けの怪物(ディドルリドル)()ぶ鐘。

 

 

 ―――Tweedledum and Tweedledee,

 ―――Agreed to have a battle;

 

 ―――Just then flew down a monstrous crow,

 ―――As black as a tar-barrel;

 ―――Which frightened both the heroes so,

 ―――They quite forgot their quarrel.

 

 

 其は謎掛けの怪物(ディドルリドル)()(うた)

 

 ―――黒い繭が開く。

 

 花弁のように展開したそれは、四枚の翼だった。

 翼の中に隠れていたのは異形の(カラス)。双頭四翼四脚、しかし胴体は一つ。結合双生児の鴉だった。

 小振りながらも丸々と肥えた胴体と頭部。それ等には一本ずつ、玩具の包丁が突き刺さっている。目は服飾用ボタン。双頭の額には、それぞれ『DLE-DUM』と『DLE-DEE』の文字が書かれた名札が縫い付けられていた。

 四本の脚は異常に長く、関節が逆を向いている。それぞれ左右二脚の(あしゆび)には、一つずつブリキ製のヴァイオリンを保持していた。

 

 双頭の鴉は顎を上げると、けたたましく鳴く。

 

《―――ヘイ、紳士諸君! オレの名前はドルダム!》

《―――ハイ、淑女の皆! ボクの名前はドルディ!》

《産まれたばかりのオレ達だが、今日は楽しい演奏会だ! ちなみに寿命は三分しかねぇ!》

《途中退席は御勘弁! その代わり無礼講! 死ぬまで弾くからさ、下手糞でも許してね!》

《さあさあ! 前口上はここまでだ! ―――やい! ヘマはするなよドルディ、()()()()を壊した時みてぇに!》

《やれやれ! 肩肘張るのは御免だけど! ―――もう! 心配性だねドルダムは、鴉が来なきゃ大丈夫だって!》

《それじゃ――今日はよろしく!》

《それでは――お願いしまぁす!》

 

 (うるさ)(さえず)る、お喋りな双子。

 双子が喋っている間に、魔王は捲った袖を戻し、ボタンを留めている。悠々と身繕いを終えたところで、改めてゲヴランツ達に向き直った。

 

「これで役者は揃った。では――いよいよ以って、()()()()()の開幕といこう」

 

 ―――パチン!

 

 魔王が指を鳴らした瞬間、重力の呪縛が消えた。

 意図は不明。

 戦闘での併用は出来ないのか、それとも相手を舐め腐っているだけか。或いは他の狙いがあるのか――いずれにせよ、取るべき行動は唯一つ。

 

()け―――――!」

 

 血を吐くような焦燥に満ちた形相で、ゲヴランツが鋭く叫ぶ。

 常に飄然(ひょうぜん)と構えていた彼らしくない振る舞い。逆に言えば――そんな彼をして、到底平常を保っていられない事態に陥っていることの証左だった。

 それ程までに、魔王と、彼が召喚した得体の知れない化け物は不吉だったのだ。

 

 故に、先手必勝。

 

 号令に従って突撃する三つの機影。

 賜徒化した迅猪騎士ネヴァル、そして第001号砦の領主と第007号砦の領主。

 三者は生前に使役していた天使や賜徒の能力と一体化し、異形の機体(ボディ)と超絶した戦闘力を有しているのだ。どのような敵であれ、敗北は有り得ない。

 更に駄目押しとして、ゲヴランツは〈賜具(シグ)〉の穂先を魔王に向け、荷電粒子砲の発射態勢を取る。

 背後の〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉も七つの顎を開き、エネルギーの充填を開始する。

 

 ネヴァル達が敵を仕留めようが、失敗しようが関係ない。最大出力の荷電粒子砲を叩き込む算段である。

 

 対して、魔王は不動。

 立ち見席で観劇するかのように、我関せずといった風情で佇んでいる。

 彼は、ただ――ひとこと。

 

「―――――首を()ねよ」

 

《―――合点!》

《―――了解!》

 

 王の下命に従い、お喋りな双子(カラス)が動く。

 双子は四枚の翼を弓代わりにヴァイオリンの弦に当て――思いっ切り掻き鳴らした。

 

《―――オラ! DUUUUUUUUUUM!》

《―――ソレ! DEEEEEEEEEEE!》

 

 ヴァイオリンの低音(DUM)高音(DEE)。黒鉄の風切羽が、鋼糸の弦を勢い良く爪弾く耳障りな不協和音。

 奏でられた音は迫り来る賜徒よりも速く到達し――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 奇怪は、それだけでなく―――

 

 ゲヴランツと、〈ゑゐわす〉の首が断たれた。

 甚大なダメージを受けたことにより、チャージしていた荷電粒子砲のエネルギーが霧散する。

 ゲヴランツの首は即座に紅い茨と黄金の光で塞がるが、〈ゑゐわす〉の七つの頭は地面に落ちて転がる。修復には時間を要するだろう。

 

 

(―――――何だ? 何が起こった!?)

 

 

 繋がった首を押さえ、ゲヴランツは事態を把握しようと努める。

 だが分からない。

 驚愕の表情で固まった姿が表している通り、彼は身に降りかかる理不尽の正体を一切理解出来ずにいた。

 

 しかしその実、仕組み自体は単純である。

 

 翼に生える風切り羽の全てを使い、高速で弦を引っ掻き続けるドルダムとドルディ。

 ()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――謎掛けの怪物(ディドルリドル)

 

 其は魔物(スナーク)

 即ち、魔王の一部であり能力(シモベ)

 

 魔物の錬成は、原則として、迷宮管理室(テーブルトークルーム)迷宮管理人(ダンジョンマスター)が、迷宮核(ダンジョン・コア)を介して行わなければならない。だが〈魔王〉は迷宮管理人(ダンジョンマスター)の化身であるが故に、魔法により独自に魔物を錬成することが可能だった。

 彼が産み出す魔物は特殊な力や絶大な戦闘能力を持つ。

 その反面、著しく寿命が短く、生殖能力を持たず、更にはモチーフになった童話や童謡(マザーグース)に由来する『弱点』が必ず設定されている。

 それが反則技(チート)によって産み出された彼等を、生物として成立させる為の条件だからだ。

 

 故に『謎掛けの怪物』。

 

《とある男が死んだんだってよ♪》

《ソイツはとってもだらしのない男♪》

《墓ン中に仕舞おうにも♪》

《どこにも指が見つからない♪》

《頭はゴロゴロ転がりベッドの下に♪》

《足も腕も散らかして、部屋中にバラバラさ♪》

 

 調子外れの童謡を唄い、出鱈目にヴァイオリンを弾く。その間――絶え間なく斬撃を浴びて、ゲヴランツとその賜徒は文字通りの微塵切りにされていた。

 

 ―――奏でた旋律を斬撃に変える。

 

 それが〈謎欠ケ事件・双子(トゥイードル・ツインズ・)ニ曰ク犯人ハ鴉(アンタイディマーダーケース)〉の能力(まほう)

 

 有効範囲は音が届く距離――つまり玉座の間の内部に限定されるが、捕捉人数に制限はない。その上、敵・味方の識別も完璧だ。

 斬撃は範囲内の敵性体に平等に与えられる。

 また斬撃は四方八方、あらゆる方向から襲い来る。不可避にして防御不能。逃れる術はない。

 

「―――お前達の戦いは、全て観させて貰った。

 他者の魂をほぼ無条件に捕らえ、兵として使役し、更には不利益の全てを押し付ける。そして魂は不滅であるが故に消耗しない。―――成程、間違い無く無敵だろう。正攻法で(たお)すのは不可能に近い。だが――魂は不滅でも。ソレを捕らえている()()()()()()は永遠ではあるまい?」

 

 (おびただ)しい数の斬撃を絶え間なく浴びせられ、賜徒達は全て鉄屑と化している。指が取れ、手足が断たれ、頭が飛び、胴体が割れる。歌の通り、子供の遊びでバラバラにされた玩具のようだ。

 再生する暇などない。

 この有り様では、最早身代わりとしては機能しない。

 

 強い再生能力を持つゲヴランツも同様。今の彼は人としての原型を留めておらず、全身から血の煙を噴き出す肉の塊に成り果てていた。

 茨が肉片を片っ端から集めているが、その茨すら端から断たれていく。

 

〈賜具〉と〈賜徒〉も細切れだ。

 

 ―――魂を呪縛する荊鎖に、亀裂が走る。

 

()()――()()()()()。〈賜具〉所有者を含む六百万全ての賜徒に、多数の同時攻撃を喰らわせ続ければどうなるか。過負荷により、魂を繋ぎ止めておく事が困難になるのではないか―――」

 

 魔王の推測に花丸を付けるかの如く。

 普通の人間など、賜徒の中でも魂の強度が低い個体――ソレ等を縛る茨の鎖が千切れる。すると、機体(ボディ)が崩壊した。

 

 蒼い粒子となって消えて行く鋼鉄の身体。

 縛られていた魂は光に導かれ、天に昇る。

 

 捕らわれていた魂達が、次々と解放される。その様子を一つ一つ見届けながら、魔王は満足気に頷いた。

 

「―――吾輩の推測は正しかったらしいな。ならば、後は根気の勝負だ。

 そのまま〈謎欠ケ事件・双子(トゥイードル・ツインズ・)ニ曰ク犯人ハ鴉(アンタイディマーダーケース)〉の攻撃に耐えてみせよ。

 双子(カラス)の翼は四枚、一翼に生える風切り羽の数はきっちり四十二本。ヴァイオリンの弦は四本有り、それを(ゆみ)は一秒間に二往復する。持続時間は三分――百八十秒間だ。さて……お前達が受ける斬撃の数は幾つか。簡単な算数の問題だ。答えは、その身を以って知るがいい!」

 

 

 ―――――ハハハハハハハハハハハハハハッ!

 

 

 嘴を大きく開き、腹の底から哄笑を吐き出す魔王。

 異形の怪物を従えて、敵を一方的に蹂躙するその姿は、確かに魔物の王を名乗るに相応しい威容だった。

 少なくとも食屍鬼(グール)の中からは、彼を疑問視する感情など、既に跡形もなく消し飛んでいた。

 

 ―――恐れ。

 ―――怖れ。

 

 ―――そして、畏れ。

 

 恐くて怖ろしいが、それ以上に惹き付けられる。頼もしいと感じる。食屍鬼(グール)達は魔王に魅せられていた。

 

 一方で、人間達の心情は絶望に染まっている。

 獣騎士ゲヴランツは〈円卓〉の一員であり、第005号砦の領主。そしてかつては聖騎士(パラディン)の一人として〈聖都〉に君臨していた人物だ。

 彼は紛れもなく〈太陽のない世界〉における最高峰の戦力であり、実際に戦場で数多の武勲を打ち立ててきた豪傑である。

 暴虐無人な振る舞いが許されていたのも、偏にその実力が故だ。

 

 だが――そんな彼が、敵の猛攻の前に手も足も出ず、されるがままに斬り刻まれている。

 

 悪夢の如き惨状を目の当たりにした人々の心は、完膚なきまでに圧し折れ。大腐の底無し沼に沈んだ。

 

 そして、当のゲヴランツは―――

 

「―――――ッ! ……ッッッ!!」

 

 激痛。頭蓋を両断され、中身が零れ――それすら端から細切れになっている現状。

 脳内麻薬で痛覚を麻痺させることすら許されず、地獄の苦しみに焼かれる。三分間耐えれば終わると言うが、そのたったの三分を、今の彼は永遠も同然に感じていた。

 果てのない責苦。

 常人であれば、正気を保てず狂うだろう。

 

 だが―――

 

 三分が経過した。

 

 最後に解放されたのは、コナの娘婿と息子達の魂だった。

 温かな光が差す。今にも昇天しそうだ。

 そんな彼等の姿を目の当たりにして、コナの身体が無意識に動いた。駆け寄って、両腕を大きく広げて抱擁する。

〈賜具〉の術式の効果がまだ僅かに残っていたのか。(コナ)の腕は、確かに彼等の身体を抱き締めた。

 だが、それも一瞬。

 術式の効果が完全に失われ、食屍鬼(グール)の魂が昇天する。

 彼等の表情は穏やかだった。

 見送ったコナは、乱暴に目元を擦る。そして戦いの行く末を最後まで見届けるべく、(まなじり)を決した。

 

《―――おっと、もう時間だぜドルディ! オレ達の命ももう終わりだな!》

《―――楽しい演奏だったね、ドルダム! 我が生涯に一片の悔いなーし!》

《じゃぁなお前等!》

《さようなら、皆!》

《宿題しろよ! 歯磨けよ!》

《また来世! バイバーイ!》

 

 最期まで無駄にお喋りだった双子(カラス)

 双子(カラス)の身体が、ボンッとコミカルな音を立てて爆発した。爆煙は蒼い燐光(りんこう)の魔素粒子になって、魔王の身体へと還る。

 

「―――はっ、はぁ……はぁ……ッッッ!」

 

 両肩を荒く揺らし、必死の表情で息をするゲヴランツ。

 都合、四十八万八千四百四十回の斬撃。

 彼はそれに耐え切った。見るからに疲労(ひろう)困憊(こんぱい)といった有り様だが、眼窩(がんか)に嵌まる闇のように(よど)んだ黄金の瞳は、明確に正気の色を宿している。

 ゲヴランツは酷く険しい鬼のような形相で、魔王を睨む。

 

 そして、彼の背後には―――

 

「素晴らしい健闘だ。正気を保っているだけではない、賜徒までも生き残ったか。数は六百六十六といったところか――良いぞ、特別に生存を許す。賞賛もくれてやろう。天晴れだ」

 

 言葉通り、魔王はゲヴランツに拍手を送った。

 

 ―――バキッ

 

 ゲヴランツの口から異音が漏れる。強く歯を噛み締め過ぎた為に、奥歯が砕けた音だった。

 

「―――――〈ゑゐわす〉ッッッ!!」

 

 発条(バネ)仕掛けのような勢いで立ち上がり、〈賜具〉を高く掲げる。

 応じる形で、〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉の背中から真紅ノ女(〈ゑゐわす〉)が飛び降りた。

 ゲヴランツの隣に降り立った真紅ノ女(〈ゑゐわす〉)もまた黄金の杯を掲げ、聖槍(ヴェルレギス)と交差させる。そして後方の〈ゑゐわす・ざ・ゑんぺらー〉もが集い、姿勢を低くして七つの頭を束ね、全ての顎を大きく開いた。

 

 黄金の光が渦を巻く。

 

 残存する六百六十六の賜徒を強制的に光へと変換し、一点に凝縮させている。

 荒れ狂う膨大なエネルギー。

 稲妻が走る。金色の光球が放射する熱と光は、それこそ太陽のようだ。

 

 獣は激怒していた。

 

 完全な怒り心頭。多弁な性質の彼だが、最早悪態も罵倒も出て来ない。

 唯々、目の前の敵を跡形も無く消し飛ばしてしまいたいのだと――その一念のみが、彼の身体を突き動かし、暴挙へと走らせていた。

 

 自爆技である。

 

法理侍ラス獣ノ天獄(リベル・アル・ヴェルレギス)〉に残った六百六十六の魂を凝縮し、一点から放出する―――

 魂は質量を持たないが、ゲヴランツの〈賜具〉の効果で実体を得ている。

 その状態で荷電粒子砲に乗せて光速で撃ち出せばどうなるか――物理学上の際上限に達した運動量とエネルギーは、相対性理論に則って、本来なら無である魂の質量を無限大にまで膨れ上がらせる。発射時に生じる衝撃波だけで、巨大な星が丸ごと砕け散る計算だ。

 

 其は無限光(アイン・ソフ・オウル)――即ち宇宙開闢時に発生したという大爆発(ビッグ・バン)、その再現である。

 

 解放すれば間違いなく只では済まない。

 史上初の試みであり、今まで考えもしなかった〈賜具〉の運用法だ。故に確実な予測は不可能だが――〈太陽のない世界〉は、跡形もなく吹き飛んで滅ぶだろう。

 場合によっては世界の枠組みを超え、他の〈匣庭(はこにわ)〉をも巻き込むかもしれない。

 

(―――――()()()()()()

 

 空の左腕を前方へ向けて照準する。

 狙いは当然、魔王。そしてその背後の迷宮核。

 死なば諸共……などといった高尚な思惑は、ゲヴランツの中には欠片も無い。幼児じみた癇癪(かんしゃく)、ただ一時の感情で、彼は世界を滅ぼそうとしていた。

 

 それを受けて――魔王は、嗤った。

 

「―――ハハハハハ! 常人ならば当に狂い死んでいても可笑しくは無いというのに! 折れぬばかりか、まだ手向かう意気があるとはな! 良いぞ、特別に許す! 真っ向勝負といこう!」

 

 魔王が指を鳴らす。

 するとコートの内側――礼服の胸ポケットから、真っ黒い妖精が飛び出した。

 小さな妖精を両手で叩き潰す。

 瞬間、凄まじい引力が掌の間に発生した。

 無理矢理に左右の手を引き剥がすと、暗黒の球体が姿を現す。それは星だった。重力崩壊によって生じた闇が、貪欲に光を喰らい、空間を歪ませている。

 

 潮騒が、最高潮に達した。

 

「〈法理侍ラス(リベル・アル)〉―――」

 

 猛り、暴れ狂う力を解き放つ。

 

「―――――〈獣ノ天獄(ヴェルレギス)〉!」

 

 斯くして撃ち出される六百六十六の魂。

 世界を巻き込んだ破滅の自爆攻撃。それは暴走することなく、黄金の光は正確に魔王とその背後の迷宮核を呑み込んだ。

 たが―――

 闇が、光を喰らっている。意地汚く貪っている。

 魔王が創造した黒い星。それが発する凄絶な引力が、破壊の全てを吸い込み、虚無へと帰していた。

 

 重力の地獄(ブラックホール)

 

 特攻した六百六十六の魂は事象の地平線を越えて、世界から消滅する。

 それから間を置かず、暗黒の星が崩壊した。

 熱も光も、衝撃波も。それ等の余韻すら欠片も残さず、まるで何事も無かったかのように――全てが消えた。

 被害は皆無。

 ゲヴランツの決死の攻撃は、無為に終わった。

 

「―――――……馬鹿な」

 

 目を剥き、呆然と呟くゲヴランツ。

 現実が受け入れられない。

 到底、理解出来ない事態だ。

 

 そんな彼を置いて、無情にも状況は次へと移り変わって行く。

 

「今のは少し肝が冷えたぞ。中々やるではないか、人間。―――さて、そろそろ時間だな」

 

 嘴が固く閉ざされ、アイピースが眼を覆う。

 異形の貌が鋼鉄の仮面に戻った。

 

 魔王が玉座の傍らに佇むエルノインを見やる。すると、彼女は静かに頷いた。

 

 魔王は踵を返して玉座に向かい、優雅に座す。そして足を組み、肘掛けに頬杖を突いた。

 

()()()()()はこれにて終幕だ。愉しい一時だったぞ。―――コナ。後の事は任せる」

 

「―――!? お、応っ!」

 

 不意に名を呼ばれ、動転するがしっかりと首肯するコナ。

 特に咎めることなく、むしろ満足気に頷く。

 

「宜しい。では――エルノイン」

 

 軽く左手を上げて令する。

 

 エルノインが紅い懐中時計を掲げ、橋ノ巨人(ビィジャック)()ぶ。

 頭上の闇から現れる巨躯。

 血と錆に塗れた鋼橋。時計仕掛けの鋼の巨人。両腕を左右に広げて宙に浮いた姿は、(はりつけ)にされた罪人を連想させる。

 

「―――落ちなさい、〈橋渡シ番(ウォッチマン)墜トシテ壊ス血塗レ巨人(ブロークン・ブリッジ・ブラッディジャック)〉」

 

 ―――ガチンッ

 

 エルノインが命じた瞬間、橋ノ巨人(ビィジャック)の背中のゼンマイの摘まみが停止した。

 巨人の全身が軋み、関節から砕けてバラバラに崩れ落ちる。

 

 頭上に降り注ぐ鋼鉄の残骸。

 それは下にいる者達に直撃する寸前に、空間を破壊して消える。

 この場所に連れて来られた時と同様。世界が、硝子が割れたように砕け散り――再び暗い奈落へと呑み込まれた。

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