ダンジョンマスターの刑を執行します。   作:瑞雨ねるね

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第五十二話 決着

 戦いの舞台は再び第005号砦へ。

 奈落から吐き出されたゲヴランツは、呆然と立ち尽くしていた。(うつむ)きがちに空の左手に視線を落とし、彫像のように固まっている。

 忘我。

 完全に心此処に在らずといった風情。

 そんな彼とは対照的に、〈ゑゐわす〉は酷く荒ぶっていた。

 

《“GYAAAAOOOOOOOOOOHH!”》

 

 七つの頭全てを振り回しながら癇声(かんごえ)で叫喚し、地団駄を踏み、ごろごろと転がり派手にのたうち回る。

 暴れ狂う〈賜徒(シト)〉の有り様は、主の今の心情を如実に表していた。

 癇癪(かんしゃく)を起こした幼児そのもの。

 斬り刻まれた痛みは、未だに神経に色濃く残っている。生まれて初めての敗北。舌の根に湧く屈辱の苦さに、ゲヴランツは打ちのめされていた。

 

 戦いとは獣の本懐。暴力こそが尊厳の源。

 勝利を、栄光を、富を、名声を、女を、肉を――欲しいものは、全て、総て。勝ち取り、奪い取って生きて来た。目に付いたものは端から喰らい、飽きたら惜しみなく捨てた。

 自由に、奔放に。

 それが獣騎士ゲヴランツの人生。

 だがその覇道に、彼は今し方初めて(つまず)いた。

 

 初めての挫折。

 初めての敗北。

 初めての屈辱。

 

 初めての……―――

 

(―――……いいや、()()()()()()()()()()()()。この感覚には覚えがある。それこそ四百年振りの……これは、そう……―――)

 

 ―――父、だ。

 

 人がこの世に生を受けたのなら、男と女の交わりがあったのは至極当然のことで。()()()()()男児にとって父親とは、最も身近な『敵』――つまりは、『乗り越えるべきもの』の象徴なのである。

 親は子の全てを支配する。

 挫折も、敗北も、屈辱も。子が人生で味合わされるありとあらゆる苦痛と艱難(かんなん)辛苦(しんく)は、()()父親から与えられるものだ。

 

 

 ―――私の子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。

 ―――主に責められた時、弱り果ててはならない。

 

 ―――主は愛する者を訓練し、受け入れる総ての子を鞭で打たれる。

 ―――だから訓練として耐え忍びなさい。

 ―――主は貴方方を、真に自らの子として取り扱っているのです。

 

 ―――父に訓練されない子などいないのだから。

 

 

 即ち、試練。

 摂理である。

 

 だが、不条理だ。その存在は、差し伸べられる愛は、いっそ理不尽であるとすら言っていい。

 しかし、()とは元来そういうものだ。

 

 一説によれば――神という偶像は、幼児期に形成された父親に関する心的な像が、宗教思想の表象に投影されて生み出されたものであるという。

 故に子はその抑圧に反発する。

 そして『父親殺し』の儀式を経て、自立した一個の人間へと成長するのだ。

 

 それこそが幼年期の終わり。

 ゲヴランツもまた、そういった青春を送った者のひとりだった。

 

 思えば―――

 

 父親を殺したその日、その瞬間にこそ、ゲヴランツの人生は始まった。人でしかなかった彼は獣へと新生し、真にこの世に産まれ落ちたのだ。

 

 少年の日の思い出に想いを()せる。

 ゲヴランツの父親は聖騎士(パラディン)だった。

 

 歴代五名が務めた聖騎士(パラディン)の内、教皇(ハイプリエステス)猊下こと白騎士バーム・クルーヘルンや、黒騎士ツィトローネン・ヌラーデと肩を並べた始まりの三人。それがゲヴランツの父だった。

 そんな父を、ゲヴランツは死に追いやった。

 そうすることで彼の全てを手に入れた。聖騎士(パラディン)――黄騎士の称号と地位と権力を。そして、その全てを何の躊躇(ためら)いもなく捨ててやった。

 

 当の昔、最早遠い過去の出来事だ。

 それこそ今まで忘れていたことだ。

 

 獣騎士ゲヴランツは、一人の男として。父性の理不尽な支配と訣別(けつべつ)し、暴力的な抑圧を喰い破って乗り越えた――その筈だった。

 

 だが――この日、彼は再び理不尽な暴力に見舞われ、屈服させられた。

 魔王によって。

 絶大な力で以って蹂躙された。征服の何たるかを、身を以って理解させられた。陵辱されたも同然な尊厳の破壊だった。

 当に乗り越えた筈の壁が今再び現れ、彼の目の前に立ちはだかったのだ。

 

 ―――(たお)さねばならない。

 

 自然と決意していた。

 そして決意が固まった瞬間、彼の中で渦巻いていた怒りが、憎しみが、闘志に変わった。

 四百年前の――生涯で最も心躍ったあの日のように。父性を打倒する。御伽噺(おとぎばなし)の騎士のように、魔王を討ち倒すのだと――ゲヴランツは改めて志を決した。

 彼の中で、復讐心と正義感が結び付き、掛け合わされた瞬間だった。

 

(―――今、(かえり)みるに。山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)との戦いで感じたあの昂りも、根の部分は同じだったのかもしれんな。私は無意識に、彼のものに、私が斃すべき父性を見出していたのか)

 

 導き出した解釈に、ゲヴランツは概ね納得していた。あるいは間違っているのかもしれないが、それならばそれで問題はないだろうと彼は考える。

 兎に角、殺せばいいのだ。魔王を。

 

「―――よお。何だか知らないが……コッチが考えてたよりは、悪くない貌をしてるじゃないか」

 

 不意に、横合いから挑発を投げられた。

 ゲヴランツは声の主に一切視線を向けず、応答する。

 

「そうだな。つい先程まで、私の頭には怒り以外の感情など無かった。

 告白すれば――これまで私は、お前達の言う復讐心という奴がいまいち理解できなかった。ただ言葉として知っていただけだ。だが、今ならば心から理解できる」

 

 見下ろした空の左掌を固く握り締め、ゲヴランツは続ける。

 

「許せない。斃さねばならい。どうやって成し遂げるか、考えるだけで楽しい。果たした瞬間を想像するだけで絶頂しそうになる。―――成程。ショカゴラにしろお前達にしろ、夢中になる訳だ」

 

 面を上げる。

 端整な貌が、壮絶に歪んだ。まるでハンマーで砕かれたかのような、凄惨な有り様を見せる。

 真紅の荊冠(けいかん)を頭に戴いた聖者の如き姿で、常に余裕に満ちた微笑を湛えていたゲヴランツ。そんな彼の常態から著しく乖離(かいり)した、酷く前衛的な笑顔だった。

 

「―――まずはお前達を皆殺しにする。奴の配下であるお前達の魂を繋獄(けいごく)し、使い捨ての弾にしてぶつけてやる。

 無論、それだけでは足りないだろう。

 現に六百六十六の魂では不足だったのだからな。だからお前達を殺した後は、この世界の全ての魂有る者を殺す。六千ばかり魂を捕らえ、魔王に撃ち込む。それでも斃せなかったなら、次は六万だ。それでも斃せなかったなら、次は六億だ。その次は六兆だ。その次は六京だ。この〈太陽のない世界〉だけではない、ありとあらゆる〈匣庭(はこにわ)〉の命を殺し魂を捕らえてでも―――必ずあの魔王を、この手で討ち倒してくれる……!」

 

 恨み節全開で破綻した野望を語るゲヴランツ。今の彼には正常な判断など出来ないし、期待出来ない。

 無理からぬことである。復讐者とは、得てしてそういうものだからだ。

 

「……そんな出鱈目が、上手くいくと思ってんのかい?」

 

「ハッ、問題など無い。無論、弾を集めている最中に()()が直接出張ってくるなら話は変わるがな。だが十中八九、それは有り得ん。推測するに――奴はあの場から動けんのだろう。でなければ急所である迷宮核をわざわざ敵前に晒す理由がない」

 

 ゲヴランツの推測は当たっていた。

 あれほどの力を持っていながら前線に出てこないこと――それ自体は特におかしくはない。元より将とは、戦いを兵に任せ、後方でふんぞり返るのが役目だからだ。

 だが、破壊されれば一貫の終わりである目標物の許にまで敵を招いた愚行。

 過剰な()()で誤魔化していたが、あれが迷宮側にとって博打も同然な無謀な策だったのは間違いないのだ。当然、同じ手が通用する筈もない。

 

(―――気に入らない)

 

 やはり、気に入らない。

 

 ゲヴランツの頭にあるのは魔王を斃すことだけ。

 多少の執心を示した山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)さえも、今となっては完全に眼中にない。それ以外の者達なら尚更で、目の前にいる敵の存在すら意に返さない有り様だ。

 

(冗談じゃないッ!)

 

 そう、冗談ではない。

 

 食屍鬼(グール)の女戦士コナは、得物の柄を固く握り締める。噛み締めた歯が軋んだ。

 復讐心?

 我欲のままに生きて、他者を食い物にしてきた獣が、そんなものを口にするなど片腹痛い。醜く、みっともない逆恨みだ。

 仲間を殺され続け、滅亡の間近にまで追いやられて。娘を痛めつけられ陵辱されて、娘婿や子供達を殺された。魂さえ捕らわれ玩具にされた。―――復讐者を名乗っていいのはコナ達食屍鬼(グール)の方だ。断じて、あの阿呆ではない……!

 

「……いきり立ってるトコ悪いけどね。アンタが魔王様に会うことは二度とないよ。テメェはアタシが――アタシ達家族が此処でブッ斃すからね!」

 

 ―――オオオオォォォオオオオオオオオオッ!

 

 ―――グルルォォォオオオオオオオオオオッ!

 

 重なる狼と竜の咆哮。

 巨大な狼の形態に変身した山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)が〈ゑゐわす〉に襲い掛かる。続いて邪悪竜(ジャバウォック)アーズィヴァが突貫した。

 アーズィヴァの魔法によって、〈ゑゐわす〉の四方を囲む形で大規模な竜巻が生じる。更に上空に大規模な磁気嵐を形成、敵の磁力による飛行を禁止した。

 

 敵の動きを封じ、その上で苛烈に責め立てる山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)とアーズィヴァ。

 ゲヴランツの許へ応援に向かおうと、黄金の獣(マスターテリオン)の背中から飛び降りようと試みる真紅の女(〈ゑゐわす〉)。しかし上から乱入したモニカに斬り掛かられ、阻まられた。

 戦輪と黄金の剣が羽金をぶつけ、激しく火花を散らす。

 

 横目で流し見て、ゲヴランツは鼻で嗤う。

 

「フン……」

「シィ―――――ッ!」

 

 僅かな隙を逃さず、コナが攻撃を仕掛けた。

 下段から跳ね上がる鋭い突き。その一撃を、ゲヴランツは〈賜具(シグ)〉の柄で受け止める。

 

 ―――現在、第005号砦の壁内にいるのは彼等だけだ。

 

 魔王からエルノインに貸与された能力(スナーク)――〈橋渡シ番(ウォッチマン)墜トシテ壊ス血塗レ巨人(ブロークン・ブリッジ・ブラッディジャック)〉。

 空間跳躍能力を持つ彼の巨人は、転移先の座標をある程度操作できる。その力によってゲヴランツと彼の〈賜徒〉以外の全ての生命体が砦の外へと弾き出されていた。

 コナ達は彼等を荷電粒子砲の射程外まで誘導し、それから改めて戦端を開いたのである。

 全ては、ゲヴランツの〈賜具〉に新たな身代わりの魂をストックさせない為だ。

 

「―――私に手抜きがどうこうと喚いていたというのに、随分と巫山戯(ふざけ)た差配だな。山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)ならいざ知らず、お前が私に敵うものか!」

「ハッ、ンなのは忘れちまったね! それに今のテメェ如き、翁様の手を煩わせるまでもない!」

見縊(みくび)るなよ、威勢だけの雌狗が―――!」

 

 絶え間なく交わされる多数の剣戟。得物を振るう技の冴えは両者共に卓越しており、全てが鋭く、速く、重く、力強い。

 しかしゲヴランツの戦い振りは、最初と比べてやや精彩を欠く。

 魔王との戦いで体力と精神力を極限まで削られたのだ。無理からぬことである。しかし相手は〈円卓〉に名を連ねる獣騎士。その状態でもコナを圧倒する武勇を発揮した。

 

 身代わりが消えた分、防御や回避に余念がない。

 槍や鎌による攻撃は確実に防がれる。

 苦し紛れに放つ石突による牽制やカウンターも、当たりこそすれ、ダメージを負っているようには見えない。

 ―――〈賜具〉の効果は健在。魂は不変にして不滅であるが故に、あらゆる損傷が無意味となる。

 つまりゲヴランツの魂を破壊しない限り、彼を傷付けることは出来ない訳だ。身代わりがない以上、傷の痛みは残るが、それとて全身を細切れにされる苦痛に耐えた彼には差して問題にならない。

 

 彼を斃せるのは山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)のみ。

 

 魂をも滅殺する彼の魔法を受けては、流石のゲヴランツも死は免れない。

 本来なら――多少の犠牲を覚悟してでも山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)を当てるべき局面なのだ。

 もし多少ばかりゲヴランツの手に掛かって殺され、魂を取り込まれた者がいたとしてもあまり関係はない。何故なら山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)は最大で万単位もの魂を刈り取る事が出来るのだから。

 にも拘わらず、目の前に立っているのは食屍鬼(グール)の一戦士でしかないコナ。

 その様は、ゲヴランツからすれば、場違いな女が役者不足にも拘わらず下らない恨みで大局を見誤り、見苦しく出しゃばっているようにしか見えなかった。

 

 ―――間違いではない。

 

 少なくとも、恨み骨髄で挑んでいるのは事実である。それでも――そんな彼女にこそ、魔王は「後は任せる」と告げた。

 魔王の采配を信じ、そして誰よりもゲヴランツを斃したいと願っているコナの想いを知るからこそ――モニカや山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)は、彼女に託したのだ。最後の詰みの一手を。

 

 故に――負けられない。負ける気がしない。

 

 根性論ではなかった。

 迷宮の最奥で高濃度の魔素を吸収したことで、今のコナの総身は魔力で満ち溢れていた。そして息子達の魂と抱擁を交わし、別れた時――彼等から力を貰った。

 遺伝子の中で眠っていた食屍鬼(グール)の魔法。万物に死をもたらす力。その力に彼女は目覚めていた。

 後は、目覚めた力の手綱をどう握るかだ。

 

「―――――!」

 

 ゲヴランツが放った、高く振り上げた上段から一気に叩き付ける一撃。

 分厚く長大な穂先を、コナはどうにか打ち払う。

 咄嗟に衝撃を利用して戦鎌をぐるりと反転。カウンターで石突を撃ち込んだ。

 

 石突がゲヴランツの股間を砕く。

 この瞬間――彼の男性は死んだ。

 

「―――……ッッッ!?」

 

 声にならない苦悶。呼吸が乱れ、全身から玉の如き汗が滲む。

 股間は言わずと知れた人体の急所である。睾丸がある男性は元より、神経の集中した器官である性器がある以上、女性でも股間を強打したならそれこそ死ぬほど痛い。

 更に股間部は内腿などの主要な動脈の通り道でもある。これが破裂すれば当然、死は免れない。

 

 通常なら致命傷だが、しかしゲヴランツは不死である。痛みこそ受けるようになっているが、戦闘行動に支障はない――筈、なのだが。

 

(な、んだ……!?)

 

 想像を絶する激痛。

 泡を吹いて倒れてもおかしくない容態である。だが、どうにか気力で踏ん張って槍を固く握る。そしてここぞとばかりに攻め立てるコナの連撃をどうにか防いでいた。

 違和感に導かれ、ゲヴランツは目を凝らして敵の得物を観察する。

 すると戦鎌が、炎とも煙ともつかぬ黒いエネルギーを薄っすらと纏っているのが見て取れた。

 

「―――山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)と同じ力か!」

「御名答。これでアタシもアンタを殺せるって訳さ」

 

 軽く答えながらも、コナは敵手の観察を怠らない。

 負傷したのは偽装(フェイク)ではないようだ。確実にダメージを受けている。しかし油断なく、且つ隙もなく。ゲヴランツは泰然と槍を構え続けていた。

 人格は兎も角として、ゲヴランツの武人としての力量は掛け値なしに優れたものらしい。

 

「……さっき言っただろ、アタシ達家族がアンタを斃すってね。コレはアンタが感動の再会をさせてくれた息子達が贈ってくれた力だ。―――今ので魔法の使い方はしっかりと掴んだ。次は必ず殺してやる」

「―――ハッ!」

 

 思い上がりも甚だしい――と鼻で嘲笑い、ゲヴランツは一転して攻勢に回った。

 既に全身に傷を負っているコナだったが、更に多数の切創を刻まれる。少なくない血が流れた。不死に近い耐久力を有するコナだが、流石に限界が近い。

 

「オォ―――――ッ!」

「チッ!」

 

 咆哮する獣。その気迫の(たまもの)か、二又の槍がコナの戦鎌に噛み付き、がっしりと咥え込んで捕らえる。

 槍がコナから戦鎌を取り上げた。振るい様に、遠くへ弾き飛ばされる。

 

 間を置かず、ゲヴランツは突きを放つ。

 真紅と黄金の穂先が、コナの腹に突き刺さった。

 

 勝利を確信するゲヴランツ。だが、コナの眼はまだ死んでいない。

 コナは腹筋に力を入れて、確と槍を噛み締める。

 刃を押すことも、逆に抜くことも出来ない。ゲヴランツが異常に気付いた時には、既にコナの拳が目と鼻の先に迫っていた。

 

 渾身の力で殴打され、ゲヴランツが吹き飛ぶ。

 間髪入れずに駆けるコナ。

 手間も時間も惜しいとばかりに、彼女は槍が腹に刺さったままの状態で追撃に乗り出した。

 倒れたゲヴランツに馬乗りになり、頭を押さえて冠水した地面で窒息させつつ、連続して顔面に拳を叩き込む。

 当然、されるがままのゲヴランツではない。

 彼は腹に刺さった槍の柄を掴み、思いっ切り捻り上げる。そして相手が体勢を崩した瞬間に蛇のように素早く抜け出した。

 この時、ゲヴランツは槍の柄を握ったままだった。だがそれが災いしてコナと距離を取ることが出来ない。むしろ引っ張られた彼女は、その勢いを利用してゲヴランツに痛烈な一撃を見舞う。

 

 槍の柄から、ゲヴランツの手が離れた。

 

「―――オオオォォオオオオオッ!」

「――――……ッッッ!」

 

 二人は殴り合う。

 ゲヴランツが少しでも槍に注意を向ければ、その隙を突いて殴る。無論、抜かせない。むしろコナはゲヴランツの腰の剣を抜き、斬撃を浴びせさえした。

 一方でゲヴランツの戦い振りも堂に入ったものだった。

 元より騎士の戦いの基本は剣術でも槍術でもなく、組手(レスリング)である。膂力(りょりょく)こそ食屍鬼(グール)に敵わないが、技術ではゲヴランツに分があった。

 コナに奪われた剣を刃取り、惜しげもなく圧し折る。そして膝で蹴り上げて遠くに弾き飛ばした。

 再び、二人は無手にて殴打の応酬を繰り返す。

 

 あまりにも泥臭い、子供の喧嘩のような戦い。

 

 そんなことをしなければならない現状が、ゲヴランツには酷く苛立たしい。

 そもそも彼が打倒したいのは魔王だ。目の前の羽虫になど、かかずらっている暇はない。

 

 苛立たしい。

 実に不快だ。

 

 だが……―――

 

(なんだ? どうなっている?)

 

 生まれて初めての感覚に、彼は戸惑っていた。

 目の前の存在が煩わしい。殴り合いなど不快極まりない。それは事実だ。だが――その一方で、彼の心は言い難い充足感に満ちていた。

 殴り、殴られる度に――渇きが、餓えが癒える。その実感がある。

 渇きと餓えは、ゲヴランツの四百年の人生にずっと付いて回ったものだ。その正体を彼は知らず、だから満たす術を知らなかった。だが――それが今、何故か満たされている。

 

 その事実に、ゲヴランツは度し難いほどの反感を覚えた。

 

「―――馬鹿な、有り得ん! 魔王でも、山ノ狼翁(シャイフル・ディウブ)でもなく! 私の渇きを、餓えを! 満たすのが――まさか、よりによって(おまえ)だと!? 認めん、絶対に認めんぞッ!!」

 

「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ! いいからとっとと死ね!!」

 

 同時に放たれる拳撃。

 互いの左拳と右拳が交差して擦れ違い、それぞれの頬を強く打ち据える。

 

 積み重なったダメージと合わさり、よろける両者。

 

 ゲヴランツは咄嗟に右手を(かざ)す。すると槍が独りでに動き、コナの腹から抜けた。

 高速で戻って来た槍を掴み取り、ゲヴランツは今度こそ必殺の刃を繰り出す。しかしコナは傷を負いつつも、しぶとく致命傷を回避した。

 槍から逃れ、転がって――コナは弾き飛ばされた戦鎌の許へ。

 

「―――――」

「―――――」

 

 長柄の得物を油断なく構えた態勢で、両者は睨み合う。

 

 次の一撃で勝負は決まる。

 自然と二人は悟っていた。

 

 ゲヴランツは下段に槍を構えている。意図は明らかだ。最速の突きで相手を仕留めようという戦型である。

 対して、コナは上体を後方に捻り、戦鎌を大きく振り被っている。

 恐らく、ゲヴランツが刺突する瞬間を迎え撃つ気だ。相討ち上等の殺人剣。仮にゲヴランツの槍が先に届いたとしても、コナは必ず戦鎌を振り抜くだろう。

 

 戦いの潮騒が高まる。

 

 最高潮に達した瞬間――ゲヴランツが気を噴いた。

 膝の僅かな動き。

 たったそれだけの虚偽(フェイント)に釣られて、コナは戦鎌を振るう。振るってしまう。

 

(獲った―――!)

 

 勝利を確信し、今度こそゲヴランツは駆ける。冠水した泥水が凄まじい勢いで跳ねた。

 生涯で最高に冴えた一撃を放つ。

 過剰に分泌された脳内麻薬が時間の感覚を緩やかにする。ゆっくりと流れる時の中で――彼は、目の前の敵が笑っているのが見えた。

 瞬間、戦鎌の軌道が変わる。

 薙ぎから突きへ。反射での変更ではなく、最初から意図しての動き。つまりは――ゲヴランツと同じ、敵を釣るための虚偽(フェイント)

 黒い炎/煙を纏う十文字型の穂先が、ゲヴランツの〈賜具〉を迎え撃ち―――

 

 ―――〈法理侍ラス獣ノ天獄(リベル・アル・ヴェルレギス)〉が、砕け散った。

 

 食屍鬼(グール)が誇る滅殺の魔法が、天使が獣にもたらした奇跡を打ち破った瞬間だった。

 

 返す刀で、コナが戦鎌を振るう。

 その瞬間――ゲヴランツは、彼女の姿に今は亡き父の幻影を見た気がした。




 次回で第一章完結になります。
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