聖なる、聖なる、聖なるかな♪
盲目にして白痴なる、天上に坐します全能の神たる主よ♪
私達は朝早くから貴方を賛美します♪
夢見るままに待ちいたる、貴方の無聊を慰めます♪
邪悪が貴方の眼を覆い、罪人が貴方の栄光を見なくとも♪
貴方だけが聖なる御方であり、礼拝されるべき御方♪
知性の無い、世界で最も無垢なるその御姿♪
貴方こそ力と愛と清らかさにおいて、完全なる御方です♪
聖なる、聖なる、聖なるかな♪
盲目にして白痴なる、天上に坐します全能の神たる主よ♪
貴方が創造なさった総て♪
天と地と海と、無名の霧と闇と這い寄る混沌と♪
その全てが、貴方の御名前を賛美します♪
万物の中心たる無限にして無窮の玉座で微睡む、無知全能の神たる主を礼拝します♪
聖なるかな♪
聖なるかな♪
聖なるかな♪
* * *
戦いの一部始終を、吸血鬼達は観ていた。
〈太陽のない世界〉が誇る最大戦力――〈円卓〉の脅威を、その強大さを、彼等は熟知している。
無論、直接矛を交えたことはない。故に正確に理解しているとは言い難い。精々が、他の闇ノ眷属が挑んだところで勝ち目などないと、見下し嘲笑う程度だ。
彼等はずっと観てきた。
自分達を除く数多の闇ノ眷属が、騎士達に敗北し、為す術なく滅ぼされる様を。
だから、今回も同じだろうと思っていた。
迷宮とやらと手を組んだ食屍鬼の攻勢も、どうせ失敗するだろう、と。誰もが高を括って見物していた。
だが、勝ったのは彼等で。
第005号砦は陥落した。
その事実に吸血鬼達は驚いた。
とんでもない番狂せ、予想外のジャイアントキリング。けれど、それが偉業だなどとは欠片も思わない。
そもそも物事をそんな風に捉えられる思考回路など、端から持ち合わせていないのだ。
「ははは、呆気ないものでしたな」
「いやはや、まったく」
「食屍鬼共に墜とされるとは、人間も存外、大したことはありませんな」
「所詮は、天使に与えられた力で粋がっていた小童に過ぎにぬということよ。そして勝った食屍鬼とて、それは同じこと。自分の力ではない付け焼き刃。直ぐにぼろが出ることだろう」
「然様。木っ端共の力など、たかが知れている」
「フフフ……やはり生まれ付いての貴種である我等吸血鬼こそが、この世界で最も優れた存在であることは疑いようもない……」
ひそひそ、ひそひそ、と。
敗者を嗤う。嘲弄する。
勝者をも愚弄し嘲笑う。
あれならば、自分達でも難なく倒せただろう――と。
誇大妄想じみた自尊心。無知故の全能感。
闇の中で生まれ、一度も外に出たことがない彼等は井の中の蛙そのものだが、そうであるが故に自分達が如何に滑稽か気付かない。気付きようがなかった。
吸血鬼の城、静謐庭園。
現存する唯一の闇ノ眷属の原種たる女王――ルースルカリィ・レ・ファニュによって創造された世界。
其処は平穏で、酷く退屈な揺り籠。
その異界の主は―――
「―――――クク。アレが新しい創造主……―――新たにこの〈匣庭〉へ流刑に処された迷宮管理人か。なるほど、悪くない。漸く妾にも運が向いてきたようじゃな。ククククク……!」
ごろごろと猫が喉を鳴らす音に似た、酷く楽し気な声。
吸血鬼達はぎょっとした顔で、ルースルカリィを仰ぎ見た。
玉座に腰掛け、尊大に足を組んだ女王。
姿こそ幼い少女にしか見えないが、その矮躯に宿した力は絶大だ。
―――自分達とは違う。
見ただけで、否応にも分からされる。同じ吸血鬼であれど、人の血が混じった自分達とは、生物としての規格が根本から異なる。
格が違う。強度が違う。
遥か高みの次元に立つ、神にも等しい崇高な存在――それが女王ルースルカリィである。
……彼等が他の種族を殊更に見下すのも、超然とした親を持つが故の劣等感に由来している部分があった。
無論、彼女に生まれてこの方、一度として顧みられたことがないのも一因である。
いつでも憮然として、気怠げに、酷く詰まらなさそうに万物を俯瞰している女帝。
彼女が表情を変え、分かり易く感情を表しているところなど、一度も見たことがない。
その気難しい女王が――笑っている。
生まれて初めて遭遇した事態に、吸血鬼達は幼児のように狼狽え、戸惑った。
―――パチン
ルースルカリィが指を鳴らす。
すると、俄かに地面が揺れ始めた。異空間に存在する闇の城――その全体が震撼している。
「これは……!?」
「まさか……静謐庭園が、動いている……? 地上に近付いているのか!?」
「お、おやめください女王陛下! この静謐庭園の所在が、〈太陽〉に気付かれるやも知れませぬ!」
「女王陛下ッ!」
「―――喧しい。いちいち騒ぐでない。そも、天使も人間も取るに足らぬ、大したことはない木っ端、小童なのであろうが。狼狽えるでない、見苦しい。曲がりなりにも汝等は妾の仔であろうが。ならば、どんな時でも常に余裕を持って泰然と構えておれ」
一転して冷めた目を向けて、ルースルカリィは子供達を宥める。
ルースルカリィは玉座から立ち上がり、凛とした所作で静かに歩き出した。
高い踵の靴が、コツコツと床を叩く。
「出掛ける。留守は任せたぞ、子供達よ」
ひらりと手を振って、気軽に告げる女王。
いよいよ吸血鬼達の困惑は頂点に達した。
この千年間、吸血鬼が静謐庭園の外に出たことは一度もない。創造主であるルースルカリィも例外ではなく、今までにそんな素振りを見せたことなど絶無だった。
他の闇ノ眷属が滅ぼされようが、城の中に害獣が湧こうが、全く興味を持たず我関せずの態度を貫いていた彼女。
その彼女が――今、動いた。
時が止まったかのように停滞していた世界に、急激な変化が起きている。
何が切っ掛けなのかについては明白だ。
「女王陛下……?」
「ど……どちらへ行かれるのですか……?」
譫言めいて、呻くように。
誰かが口にした疑問。
蚊の消えるような弱々しい声音は、親の不在を不安がる子供の声そのものだ。
返答を期待している者はいなかった。
しかしルースルカリィは、歩みを止めて振り返った。そして柔らかな微笑みを浮かべた優しい面差しを子供達に向ける。
新しい獲物を見付けた猫のような。
とても楽し気で、それでいて残酷な笑みで美しい顔を彩って。吸血鬼の女王ルースルカリィ・レ・ファニュは告げる。
「決まっておろう。―――迷宮じゃよ」
それだけを口にして、再びルースルカリィは歩き出す。
ちょっとした散歩に出掛ける風な、軽い足取り。
女王たる者が共もつけず、着の身着のまま城の外へ出る――本来なら決して許されない、無責任且つ危険極まりない行為の筈だが、しかし彼女を諫める声はなかった。
ただ―――
一体、何をしに行くのか―――?
それだけを眼差しで問う。
だが気紛れな女王は答えず。家の中に閉じ込められた子供達の気持ちを、いつものように黙殺して――ルースルカリィは迷宮へと出発した。