「結婚式を開きましょう、ヒサシ!」
バン!と机を叩きながら突如としてそんなことを言い出したヒフミは、怪訝な俺とは対照的に満面の笑みを浮かべている。
なんだなんだと顔を覗かせた生徒達は、「なんだまたいつもの落ちこぼれコンビか」と言わんばかりに顔を引っ込めた。
サンキュー食堂は相も変わらず、質の悪い安い布で縫われたボロボロな制服を着せられた劣等生共のたまり場となっている。
ちなみに命名者はヒフミで、この場所をそう呼んでいるのは現状こいつと、無理やり呼ばされている俺だけだ。
「何よ、ポカンとした顔をして。聞こえなかった?結婚式を開きましょう、と言ったの」
「誰と誰の」
「決まってるじゃない。あなたと私の結婚式。それ以外に誰がいるの?」
臆面も無く誰かを好きだと言える精神性は見習いたいものである。
俺だったらきっと、ここまで素直な言葉は出てこない。というより素直に物を言えるこいつが異常だ。
少なくともこの学校では、そういうことを言う奴は大抵劣等生の烙印を押されるのだから。
「そもそも俺、お前の恋人だったっけ?」
「ああ、そういえば結婚ってのは恋人同士がやるものなんだっけ?ならさっさと私の恋人になりなさい、ヒサシ。前段階で躓いていちゃ、結婚なんて夢のまた夢よ」
「俺が断る可能性を少しは考慮してほしい」
「断るの?」
「いや、まあ。断る理由も無いし、別にいいけどさ」
「じゃあ決まり。本によれば、恋人のことをダーリンやハニーって呼ぶ文化があったそうだけど、これは個人差や部族差があったみたいね。主に英語圏で使われていた呼称なんだって。どうする?私達もそれに倣って、呼び方変えた方がいいのかしら?」
「既に奇妙な呼び方がついてんのに、これ以上変なのを追加しないでくれ。お前のせいで俺の点呼がワンテンポ遅れることがあるんだぞ?」
生徒番号一三四。
こいつ以外は俺をそう呼ぶ。
生徒番号一二三。
俺以外はこいつをそう呼ぶ。
なのにこいつは、俺をヒサシと呼び、自分をヒフミと名付けた。
それぞれの番号を語呂合わせで呼ぶとそうなるらしい。
日本という国で産まれた文化だそうだ。
別に俺が好きでそう呼ばれているわけでも、こいつのことをそう呼んでいるわけでもない。
年功序列だの先輩特権だのかいう意味不明な理屈で脅迫されたのだ。
授業中に突然そう言われたもんだから、雑談していると見なされて先生達に殴られた。
「いいじゃない、別に。何の個性も面白みも無い、ユーモア乏しいあんな名前、呼ばれても返事しなけりゃいいのよ。私はそうしてるわよ?あんな名前を肯定するくらいなら、大人共の鉄拳制裁を受けた方がマシだしね!」
「……それでまたボロボロになってんのかお前は」
「いいえ?この傷は模擬戦で他の奴らにタコ殴りにされたときにできた傷。あいつらやっぱり卑怯で陰湿よね、私が強いからって数でかかることしかできないんだわ。そんなメンタリティしかないから、あいつら皆、何の個性もない死んだ顔をしてるのよ!」
ヒフミは打撃痕や切傷を隠そうともせず、高らかに笑う。
数十人はいるサンキュー食堂で、笑い声をあげている奴はこいつだけだった。
笑いの代わりに、あいつらは冷ややかな視線をヒフミと俺に送っていた。
いつものことながら、感じが悪いったらあらしない。
「当然、纏めて返り討ちにしてやったけどね!実技一位を舐めるなってこと!」
「相変わらず喧嘩だけは得意なんだな」
「頭も良いし顔も良いんだけど?よーく見なさいよ、この個性に溢れた美少女を!日本の漫画ってやつに載ってる美少女の定義すべてを満たした可愛い女の子を!」
腕を広げて感想を待つヒフミを、仕方なしに観察する。
なるほど確かに、俺の目から見てこの場で最も個性的と言える奴はこいつ以外にあり得ない。
俺とは違い顔立ちも異常なまでに整っており、かつて見せてもらった漫画のキャラと比べても遜色ない。
髪型は伸ばしっぱなしの他生徒と違い、どこからか拾ってきたリボンとやらで髪を纏めており、制服も他と比べてかなりアレンジを加えている。
当然先生達から散々に怒られたはずだが、多分彼らの方が根負けしたのだろう。
関わっても無駄だと思われたのかもしれない。
「フフフ、お洒落でしょ?この髪型にするの、苦労したんだから!」
「知ってるよ。起床時間早めてまでやってんだろ?貴重な就寝時間を削ってまで、何やってんだか、まったく」
「いいのよ、髪型を整える労力と引き換えに、好きな髪型になることによるやる気を得てるんだから!それに、似合うでしょ?私の翼と眼も、片方だけしかないんだから。それなら、髪も片方だけに伸びてる方が見栄えがいいじゃない!」
「……そうだな」
こいつが他の生徒と比べて個性的であると断じることのできる個性は。
本来二つ存在するはずの眼と翼が、アンバランスなことに、それぞれ一つずつしかないことであろう。
こいつが劣等生とみなされた最大の要因であり、こいつが誇る最大の個性だ。
「顔が整って、髪型がお洒落で、かつ個性的な要素を沢山持っている!これらすべてが、私を美少女であると確約するための動かぬ証拠として機能するのよ!」
「美少女の定義はよくわからないが。まあ、個性的ではあるな。間違いなく」
「でしょでしょ?ってそうだ、話が逸れすぎてた!ヒサシがくだらない傷の話なんて始めたのが原因よ!反省しなさいよ!」
「へーへー」
事の発端はこいつな気がするが、反論すると休憩時間が終わってしまうほど話が長くなるので曖昧な返事だけを口にしておいた。
「本題に戻るわよ。ヒサシ、あんたは大人になる条件が何かわかる?」
「さあね、分からない。前に見せてもらった本には、二十やら十八やらを超えると成人としてみなされるって書いてあったし、多分それじゃないか?」
「バカね。私達がそんな年齢になるまで、あと十年くらいも必要になるじゃない。あと十年も大人になれず、声だけ煩いあいつらの言いなりにならなきゃいけないのよ?まるで奴隷よ、奴隷。まっぴらごめんだわ、そんなの!」
こいつにとって、レール通りに進む人生というのは退屈で仕方がないらしい。
俺には退屈を感じる余裕なんて一切ないのだが。
素晴らしく真面目な俺がドベで、誰よりも不真面目がこいつが三級の首位というのは人生の不条理を感じて仕方がない。
「だから、もっと手っ取り早い手段を取るの。大人として認められる手段はいくつかあるけど、私が目を付けたのは結婚よ!夫婦ってのになって、結婚式を開いて、愛を誓い合えば大人になれるの!」
「なんだそりゃ。どうしてそれで大人になるんだ?」
「知らないわよ。旧世界のことをなんでもかんでも知ってるわけじゃ無いもの。とにかく、あんたと私で結婚しちゃえば、私達はもう大人なわけ!そのための儀式として、結婚式ってのを開かなきゃいけないのよ!」
「はぁ、なるほど」
結婚というのがどんなものなのか。
夫婦ってのがなんなのか。
大人ってものが何か、愛を誓うというのがどう言った意味なのかはよく分からない。
多分ヒフミ自身もよく分かっていないのだと思う。
こいつは基本適当で、行き当たりばったりなことばかり言う。
「それじゃあ早速、結婚式に必要なものを揃えるわよ!いい?結婚式に必要なものは三つあるの!神父と、結婚指輪と、花嫁が着るためのウェディングドレス!これさえあれば、結婚式は開けるはずよ!」
「どこから調達するんだそんなもん。ていうかシンプってなんだよ。何かのお菓子か?」
「違うわよ。神様にこの二人が結婚しましたよ、愛を誓い合いましたよって報告する役割の人。この人に認められることで、ちゃんと結婚したって胸を張って言えるわけだからね。滅茶苦茶重要よ!」
「指輪はなんで必要なんだ?先生が付けてるところは見たことあるけど、ただの装飾品じゃ無いのか?」
「バカね!ただの装飾品なんかじゃ無いわよ!指輪は、特に薬指に付けてる指輪はね?その二人が結婚してますよ、もう愛している人が居ますよって周りの人に伝えるための。そして、二人は永遠に一緒ですよって伝えるための物なのよ!」
「へぇ。そんな意味が。それで、ウェディングドレスってのは?」
「花嫁が着るための白いドレスよ。純白で美しい、白いドレス。白以外にも色々あるけど、私は白が一番気に入ったかな。特に、込められている意味の中でも一番こっぱずかしい奴が気に入ったの」
野蛮という概念が服着て歩いているようなこいつが恥ずかしがるような意味が込められているとは。
ウェディングドレスというものも侮れないものだ。
「ウェディングドレスの意味、教えてあげましょうか?」
「いや、別に」
「あなたの色に染まります、だって」
「……ふーん」
なるほど。
確かにこれは、随分とこっぱずかしい理由だ。
「お、顔が赤くなった」
「煩い。そろそろ授業の時間だ、さっさと食べ終われよ。残したらまた授業の成績に響くぞ」
「こんな不味い飯を全部食べろって?冗談でしょ。後で沢山美味しいもの食べるために胃は空けておかなきゃ。何ならあげようか?」
返事も聞かず、ヒフミは食べかけのカロリーブロックを投げ渡してくる。
一瞬だけ躊躇したが、残すのも勿体なかったので一息に噛み砕いて胃に流し込んだ。
ただでさえ成績も、身体の作りも弱いのだ。
少しでも栄養を摂らなければやってられない。
「ナイスキャッチ。美味しい?」
「不味い」
「でしょうね」
クスクスと笑って、俺の手を引いて。ヒフミはゆっくりと歩き出す。
サンキュー食堂を出てグラウンドに向かう途中。
ガラス張りの廊下が、ジェットエンジンの音によってビリビリと揺れた。
そういえば今の時間は、一級の奴らが実習を行っているのだったか。
「この場所は嫌いだけど。あのロボットだけは、センスがいいと言わざる得ないわね」
「ちゃんと正式名称で呼べよ。お前だけだぞ、ヒツギのことをロボットなんて呼ぶ奴」
「ネーミングセンスが最悪なのが欠点ね。なんでそんな縁起の悪い名前を付けるんだか。私なら、もっと縁起の良い名前を付けてあげるのに」
10mを超える鉄の巨人を、ヒツギと呼ばれた乗りこなし、空を駆る一級生達。
彼女達は将来、この世界を守るために、ヒツギに乗って敵を狩るのだ。
俺達とは違う、美しい光の輪を頭に浮かべ、欠けてはいない翼を背に広げて。
「はっやいわねー」
「はっやいよなー」
バカみたいな感想を同じタイミングで口に出して、それがおかしかったのか二人同士に笑いを零す。
普段は全然息が合わないのに、こういう変な感性だけ、俺とヒフミは妙に似ていた。
「あれに乗ったら、地球を何時間くらいで一周できるんだろうね」
「さあなぁ。一生かかっても無理なんじゃねぇか?」
「地球って実はそんな大きくないのよ?地球の大きさはだいたい4万キロメートル!音速と同じ速度で動けばそれほど時間はかからないわよ、多分!」
「そんなもんなのか。ま、俺らにゃ縁のない話だろ」
俺達は多分、ずっとここから出られない。出られたとして、その時俺はヒサシじゃないし、あいつはヒフミではないのだろうから。だから、そんなもしもの話をしても意味はない。だと言うのに、ヒフミは太陽よりも眩しく笑っていた。
「バーカ。関係大ありよ。言ったでしょ、結婚式をするって!」
ヒフミは懐から取り出した本のページを俺に突き付けた。
大昔の雑誌らしいそのページには、日本語特有の小難しい字が混ざった文で書かれた『世界一の結婚式をあなたに』なんて見出しと共に、世界中に存在する結婚式場の一覧が載っているようだった。
「するからには、最高の式にしなきゃ!全部回って、一番いい式場で結婚式を挙げるわよ!」
「もうこんな場所残ってねぇんじゃねぇの?」
「残ってる!こんなに綺麗な場所ばっかだもの!きっと世界を滅茶苦茶にした侵略者共も、壊すのが惜しくなって残してるに決まってるわ!」
「どこから湧き出るんだよ、その自信は」
というか、あいつらに何かを美しいと思う感性なんてあるのだろうか?
「たかだか4万キロメートルを飛び回るだけよ!楽勝じゃない。だから、あんたも絶対式場探しに付き合いなさいよ?新郎新婦が一緒に式場を探すってのは、結婚式に必要不可欠なイベントの一つなんだから!」
「分かった分かった。約束な」
「フフン、分かればいいのよ!」
見上げた空は煙の色に染まり、月は緑の光を放っていた。
滅んだ世界の再生の途上、救世主が残した希望の残り香。
ハッピーエンドの後日談、あるいはニューゲームの前日譚。
この世界の主役は、新しい綺羅星は、きっと俺達じゃない。
いずれ消耗品のように使い捨てられる俺達に、希望を託す奴なんていない。
それでも、この夢を見ている間だけは。
「約束よ、ヒサシ!破ったら針千本飲ませるからね!」
「何度聞いても怖いな、日本の刑罰……」
どうか、この小さな俺達だけの世界が続きますようにと。
ありがたい救世主様、どうか俺の、些細な願いを叶えてくださいな。