砂塵の向こうでは、既に黒い波がライトブルーの巨体を飲み込もうとしていた。視界を埋め尽くすミルメコレオの群れ。奴らの厄介な点は食性だけではなく、その個体能力の低さを補って余りある、情報の非対称性にある。
一見、どれも同じ巨大なだけの黒蟻に見えるが、その何百何千という群れの中には必ず一匹だけ周囲と寸分違わぬ姿をした、司令塔としての女王が潜んでいる。外見上の差異は、
皮肉なことに、
だが、あのお坊ちゃんには、そんな理屈は通用しないらしい。
『十五、十六、十七! なんだ、大したことないじゃないか!』
リュオンの叫びと共に、ニードルガンの釘のような細長い弾体が、群れを次々と串刺しにしていく。確かに派手だ。しかも、スコアボードの数字を稼ぐには、これ以上ない効率だろう。だが、彼が撃ち抜いているのは代わりのいくらでも利く末端でしかない。
一匹倒せば一ポイント。百匹倒せば百ポイント。彼にとって、戦場は命のやり取りをする場所ではなく、自分の虚栄心を満たすための見せ場に過ぎないのだ。女王を狙って群れを霧散させるよりも、群がる雑魚をなぎ倒し続ける方が、彼にとっては美味しいらしい。
――その旨みこそが、自分を釣り上げるための撒き餌だとも気づかずに。
(リル、特定はまだか。あのバカが完全に沈む前に頼むぞ)
『照合完了。座標、データリンクへ転送。ターゲットは、少尉の機体の背後直下、働き蟻の群れの中に潜伏しています』
(真後ろか……なかなか巧みなことだ)
俺は、激しく軋む右脚のペダルを踏み込み、戦域の縁でビタリと足を止めた。ここから先は、リュオンが一番欲しがっていたステージだ。彼は言った、“後ろで指をくわえて僕の活躍を眺めていろよ”と。
「お望み通り、そうさせてもらおうかね」
群れに深入りしすぎないよう警戒しながら、俺は溜息と共に、あえて静観を決めるのだった。
ギガントの巨体が躍動するたびに、黒い飛沫が荒野にぶちまけられる。その名の通り狂乱の立ち回りで、ミルメコレオの海を蹂躙していくギガント・バーサーカー。右腕のストライクパイルが駆動し、物理的な衝撃が地面を伝って俺のトリオンの足元まで響いてくる。
だが、その攻勢の裏側で、複数の黒い影がギガントの脚部を音もなく這い上がっていた。蟻たちは、強固な装甲板をわざわざ噛み砕こうとはしない。連中が狙ったのは、リュオンが誇らしげに放置していた“勲章”、すなわち無数のひび割れと、装甲の継ぎ目だ。
細肢が微細な隙間に潜り込む。一匹、また一匹と、働き蟻たちが自らの体を楔として打ち込み、その奥へと潜入していく。装甲の裏側に広がる、複雑に張り巡らされた動力パイプや各種配線。それらが、飢えた顎の最初の標的となった。
『二十八、二十九、三十! “ドルフィン”! どうだ、僕にかかれば、あんたの戦果なんか……っ、あ?』
通信越しの機体音に、不自然なラグが混じる。視界の端、サブモニターのフェイスウィンドウに映るリュオンの表情には、機体の反応が鈍り始めると共に不審の色が浮かぶ。
機体の内側で、鎌のような大顎が油圧ホースを食い破り、電力ケーブルを断ち切っている最中なのだろう。だが、操縦席に座るリュオンに、その音は聞こえない。彼に分かるのは、モニターに並ぶステータスランプが、次々と警告色に変わっていくという事実だけのはずである。
『なんだ? 右腕が動かない……おい、なんだよ! システム・エラーか!?』
モニター越しに、彼が苛立ちと共に操縦桿を叩きつける様子が伝わってくる。機体は彼の入力を拒絶し始めていた。ケーブルの断線によって信号が途絶した右腕は、パイルを構えたまま不自然な角度で固定され、逃げ場を失った油圧がバイパスを逆流し、機体全体に不気味な震動を伝えている。
『脚が……ロックされた……? 嘘だろ、駆動圧はまだ生きてるのに! くっ、お前らか! 離せ! 離せよ、この虫ケラども!!』
リュオンの表情から余裕が消え去り、今度は脂汗と焦燥が滲み出す。彼は必死の形相で操縦桿を強引に引き絞るが、ギガントの巨躯はもはやその指令に応じない。膝関節の隙間に潜り込んだ蟻の死骸が、歯車の間に挟まった石のように駆動部を物理的にロックし、後続の個体が内部の伝達系をズタズタに破壊している。
無理な機動を続けようとした結果、機体のバランスが限界を超え、ギガントの脚部が膝から折れる。巨大な鉄の塊が、土煙とともに荒野へ膝をついた。
地面を揺らす振動。そして機体の沈黙。
獲物が動けなくなった。その信号が、群れ全体に共有される。それまで散らばっていたミルメコレオたちが、一斉に、機能を停止した機体へ雪崩れ込んだ。
自分こそが狩る側だと、リュオンは信じて疑わなかった。その傲慢さが、コクピットという密室の外側で進行していた解体への気付きを、致命的に遅らせたのである。
黒い絨毯が、ボロボロなライトブルーの装甲を塗り潰していく。装甲の隙間に顎を差し込み、缶詰を抉じ開けるような不快な摩擦音が、俺の機体の外部マイクにも拾われ始めた。
ようやく彼のギガントが、俺の機体をメインカメラに捉える。視界の端、四角く切り取られたフェイスウィンドウに映る彼の表情は、すっかり恐怖に歪み切っていた。
『あ……あ、ああ……っ! 准尉! 准尉!! 何をしてる、早くこっちに来て、僕をたす……ああもうっ、ここから引きずり出せよ、役立たずが! この虫ケラどもを蹴散らして、早く!!』
助けろ、とリュオンは言わなかった。いや、言えなかったのだろう。あれだけ馬鹿にした俺に助けを求めるなど、彼の薄っぺらなプライドが許すはずがない。どうやらまだ、彼は自分の置かれた状況を理解していないようだ。
俺は地を這うリュオン機を遠巻きに見下ろしつつ、惨めに歪んだエースの顔に向かって、静かに肩をすくめてみせた。
「少尉。さっき、あなたは言いましたね。“後ろで指をくわえて眺めていろ”と。お望み通り、特等席で見物させてもらってますよ。いやあ、なかなか見応えのある解体ショーだ」
『そんなこと言ってる場合か、のろま! 早く何とかしろ! 分かったぞ、お前、僕の家柄に付け込むつもりだな! いいだろう、望みはなんだ! 金か!? それとも上層部への口利きか!? 僕ならどっちだって……だから早く、その盾で僕の周りを囲んで、牽引ワイヤーをかけろよ! あああ、こいつらもう、コクピットのすぐ裏にまで!!』