「本来の“Little lady”のOSは、絶対に人間に危害を加えないよう強固なプロテクトがかかっています。そのままじゃ、
足元から、ふたたびリュオンの、今のは無し、油断しただけだ、という必死な言い訳が聞こえてきた。しかし、リルは一切の容赦なく、練習剣をギガントのコクピットへと突き立てる。またしてもリュオンの悲鳴が、公用回線を賑やかした。
「安くて、壊れても誰も泣かない。軍にとっては、高価な最新鋭機よりも使い勝手がいい、消耗品というわけですよ。そんな彼女が、最近妙に楽しそうに君たちの小隊の話をするんです。感情を模倣しているだけの機械がですよ、信じられますか? だというのに、開発室の連中は彼女の空いた内部スペースに、追加の爆薬や実験用の発信機を積み込む計画を立てているらしい。全く、酷い話です」
かつて家庭の笑顔を守るために作られた“おチビさん”が、不釣り合いな牙を植え付けられ、今や誰にも惜しまれず消えていくための部品として立っている。その歪な現実に、俺はただ、手すりを握る手に無意識に力がこもるのを自覚した。
『やめろ、止まれって! 僕は……僕は少尉だぞ! 命令に従……ぎゃああああ!!」
『“ハンマーヘッド”、落ち着け……修正。“ハンマーヘッド”、俺を見ろ。何度言えばわかるんだ、戦場では一秒たりとも気を抜くなとあれほど――』
リルの発信。だが、聞こえてくるのは俺の声だ。一言ごとに音程が上下し、抑揚が不自然に揺れている。まるで壊れた蓄音機が、無理やり言葉を紡ごうとしているような、不気味な響きである。
『馬鹿野郎、背中のバーニアは飾りか? エラー……“ハンマーヘッド”、今のは感情の含有率が高すぎましたか? 再試行、パターンB――』
『なんなんだよぉ……』
視界の端を切り取ったフェイスウィンドウでは、リルの瞳が演算の際の光で激しく明滅している。リュオンの方はと言えば……彼の名誉のため、詳細への言及は控えてやろう。それはもう、酷い有様だとだけ言っておく。
あのおチビさんは、どうやら“リュオンの脳内にある受諾フィルタ”とやらを突破するための最適解が見つからず、迷走してしまっているらしい。俺の声という彼女なりの正解を掴んだはずなのに、それをどの出力で、どのタイミングでぶつければいいのかが分からない、とでも考えているのだろう。
結果として、彼女はありとあらゆる俺の声のバリエーションを、公用回線経由でリュオンの脳へ叩き込み続けている。傍受している俺ですら目眩がするほどだ。まともに食らっている当人にとっては、もはや精神攻撃の域であろう。
『“ハンマーヘッド”、愛しているぞ……修正。“ハンマーヘッド”、飯を食え……論理的破綻。“ハンマーヘッド”、くたばれ……不適合。なぜでしょう、一向に私からの指示が受諾されません』
彼女は今、自分の計算が合わないことに、猛烈に困惑している。その苛立ちにも似た何かが、機体の挙動をますます執拗なものに変えていた。
逃げようとするギガントの腕を掴み、あえて関節を外さないギリギリの角度で固定する。その動作は、駄々をこねる子供を躾ける母親のようでもあり、あるいは、壊れた玩具を直そうと無理な力を加える無垢な子供のようでもあった。
そういうことではない、と教えてやることは容易い。あの子はただの機械だ。知性を持たず、プログラム通りに動くだけの、ちょっと複雑な機械に過ぎない。
機械であるなら、正解を教えてやればいいだけだ。論理的に説明してやれば、賢い彼女はすぐに自分の間違いに気付くだろう。
けど、俺はあえて状況を見守ることにした。実に不条理だ。理に適っていない。
“あの子”? “彼女”? 笑ってしまう。どうやら俺は、隣でぼんやりと阿鼻叫喚を眺める白衣の男と、同じ感傷を持ってしまっているらしい。
突然、視界を覆うように赤い警告色のアラートが走り、作戦用のセキュア回線から優先度の高い指令データが脳内へ強制的に流し込まれた。訓練場全域に赤い警告灯が回転し、少し遅れてドックのスピーカーからも、出撃要請を告げるアナウンスが流れ始める。
同時にリルの機体から熱が消えた。リュオンの機体を組み伏せていた腕が機械的に離され、彼女の瞳の光が迷走の青から戦闘準備の赤へと、瞬時に切り替わる。
『検証中断。実戦任務への移行を確認。“ハンマーヘッド”、直ちに帰投してください。三百秒以内に出撃準備を完了させます』
『了……解ぃ……』
通信から聞こえてくるのは、もはや俺の声ではない。平坦で起伏のない、“Little lady"本来の声だ。そのあまりの切り替えの早さに、俺は少しだけ寂しさを覚えた。
キャットウォークを駆け下りようとする俺の背中に、白衣の男が声をかけてくる。
「准尉、持っていきなさい。予備のバッテリーユニットと、出力安定用のパッチです」
男が手渡してきたのは、無造作にケースに詰められたアンドロイド用のパーツだった。本来なら、正規の申請手順を踏まなければ出ないはずの代物だ。
「いいのか? 抽出班の備品だろう」
「どのみち、データが取れなきゃ私の仕事は終わりですから。あのおチビさんは、まだ自分の正解を見つけていません。ただのガラクタとして、スクラップ置き場に送られるのは、少しばかり“可哀想”だ」
「“惜しい”や“勿体ない”ではなく?」
「あなたもそう思ったから、これを受け取ったのでは?」
「否定はしないさ。ありがたく預からせてもらおう」
男は俺を見ようともせず、ただ手元の端末を閉じ、来た時と同じように静かに去っていった。その背中には、愛した道具が持ち主の手で壊されていくのを、ただ見守るしかない職人のような、乾いた諦念が漂っていた。
俺も訓練場から直通の通路を経て、13番独立整備ドックへ急ぐ。
ハッチが開き、重厚な油圧の音と共に俺の愛機、トリオンが姿を現した。泥濘から這い出し、憔悴しきった様子で、自分の機体へ走るリュオンの背中が見える。あいつの脳内には、まだリルの放った暴言の数々の残響がこびりついているに違いない。その足取りは、ひどく酒に酔っているかのようにフラついていた。
「リル、聞こえるか。出撃だ……少尉のサポートは頼めるな?」
コクピットに滑り込み、識別認証を済ませると、待機していた彼女の意識が流れ込んできた。
『了解。先ほどの検証結果を反映し、実戦における対少尉用音声ガイドの修正案を策定中……准尉、一点だけ質問があります』
「なんだ。出撃前だぞ、簡潔に済ませろ」
『了解…………私は少尉に嫌われているのでしょうか。嫌われているから、話を聞いてもらえないのでしょうか』
「ぶっ……はは、賢いようで馬鹿だな、おチビさんは。お前さんにはエルムディス語の公用標準言語モジュールがインストールされているんだろう? 聞いてみればいいじゃないか、本人に直接な」
『そう、ですね。くだらない質問をしてしまいました。すみません』
ドックの外部ハッチが開き、荒野の冷たい風が入り込む。そこは、平和な家庭用アンドロイドが居ていい場所ではない。
だが、俺の声を持つ小さな淑女は、何食わぬ顔で荒野の砂塵を巻き上げ、戦火の空の下へとその歩みを進めるのだった。
発進間際、
『准尉』
(なんだ?)
俺の返事に対し、しばらく沈黙が続いた。長いようで短い静寂の後、彼女は呟くように一言だけ残し、再び黙り込んでしまう。
『ありがとうございます、人間とは難しいものですね』
俺はそのメッセージに、あえて答えるようなことはせず、ただスロットルレバーを強く押し込んだ。