Bloody Bless   作:館長さん

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第1話:オオカミが来たぞ②

 二十トンを超える重量のトリオンが、正面から受けた一撃の重さに力負けし、地面を削りながら数メートル後ずさった。油圧ダンパーが底突きし、機体全体が悲鳴のような金属音を上げる。

 

 ひしゃげたコンソールが右腕を掠め、精巧に作られた偽装皮膚が裂けていた。傷口の奥から覗くのは赤い血ではなく、鈍い光沢を持つフレームの輝きだ。俺は舌打ちすると破れた袖を引きちぎると、剥き出しになった中身を隠すよう腕に巻き付け、きつく縛り上げる。

 

 機体各所から山のように届くエラー信号。想像以上のパワーだ。まともに受けるのは得策ではない。

 

 まるで、生身の格闘技。いくら俺がトリオンの扱いに慣れているとはいえ、操縦桿による操作である以上、完全に自由自在とはいかない。なるほど、管制室が逃げろと言ったのも、今なら頷ける。こいつは正真正銘の化け物だ。

 

 歯を食いしばる。砂塵の向こうで孤立しているはずの仲間を助けるには、目の前のこの黒い怪物をどかすしかない。

 

 “羊飼い”は、俺が攻撃に耐えたことに興味を示したのか、かすかに上体を揺らしてみせた。忌々しいことに、奴は今、この状況を楽しんでいるらしい。無機質なはずの頭部が、嗤っているかのように見える。

 

 皇獣(おうじゅう)に騎乗している神官が詠唱を始めると、取り巻きのブラックドッグ達がようやく動き出す。しかし“羊飼い”はその首根っこを無造作に掴んで、力任せにこちらに投擲してきた。

 

 たまらずタワーシールドで弾く。衝撃がトリガーとなり、盾内部の薬剤が瞬時に気化し、衝撃を道連れに排気口から盾の外へと噴射された。立ち込める蒸気が視界を白く染め、すぐに消えていく。

 

 その反動を殺し切らない内に、既にゼロ距離にまで迫っていた“羊飼い”の杖のフックが、トリオンの脚部装甲に引っ掛けられた。軋む合金製の装甲板。梃子の原理で強引に引き剥がされ、弾け飛ぶ右足の装甲。機体全体に衝撃が突き抜け、膝関節部から複数のエラー信号が届く。

 

「何でもアリだな、この野郎!」

 

 防戦一方では、機体ごと押し潰される。そう判断した俺は、盾の角で奴の脳天に一撃を見舞ってやった。杖のフックがこちらの機体から外れ、たたらを踏んで数歩下がる“羊飼い”。

 

 しかし、バランスを取るように、黒い機体はまるで人間のように両腕を振ると、しかし体勢が整う前に再び長柄の武器を振りかぶってくる。応戦するため、こちらもカットラスを抜き放った。

 

 一合、二合、三合――剣と杖が何度も交差し、その度に大気が唸りを上げ、火花の涙を散らす。鍔迫り合いに持ち込まれると同時に、“羊飼い”のローキックが飛んできた。思わず体勢を崩す俺。

 

「どんな操縦したら、そんな動きになるんだ、化け物め!」

 

 文句を垂れながらも歯を食いしばり、思い切りアクセルペダルを踏み込んだ。狙いは、こちらの隙を狙ったつもりで大振りになった攻撃だ。狙うべきは、“羊飼い”の胴部と腕部の境界、僅かに見える肩関節部、その装甲の継ぎ目を狙ったカウンターである。

 

 不安定な姿勢から放たれる、トリオンの全トルクを乗せた一撃。さすがの“羊飼い”も意表を突かれたのか、確かな手応えがあった。曲刀が漆黒の装甲の隙間を抜け、深々とその内部に迫る。

 

 だが、手応えがおかしい。腕に伝わってきたのは、金属を断つ硬質な衝撃ではなく、高密度のゴムか、あるいは濡れた肉を裂くような、ねっとりとした抵抗だった。

 

 嫌な予感がして、ギアをリバースに入れる。高速で逆回転を始めた踵の大型車輪が、小石を噛みながら荒野の大地を滑った。間一髪。“羊飼い”の鋭い爪を持つ巨大な右手が、直前まで俺がいた場所で空を切る。

 

「なんだ、こいつ……?」

 

 引き抜いたカトラスの刃には、オイルとは明らかに異なる赤い粘液が付着していた。まるで、血液のようではないか。それを裏付けるかのような、“羊飼い”の肩口に刻まれた、鮮烈な裂傷。そこから覗くのは電子配線でも油圧パイプでもなく、生々しい繊維状の何かであった。

 

 困惑する俺の目の前で、事態はさらに常軌を逸していく。切開された部位が、まるで熱を帯びた蜜のように融解し、互いに引き寄せ合うように蠢き始めたのだ。火花すら上げず、音もなく、ただ静かに白い蒸気がかすかに立ち上る。

 

 わずか数秒。俺が渾身の力で刻んだはずの傷跡は、最初から存在しなかったかのように滑らかな漆黒の“肌”へと戻っていた。人間臭い動きで、傷口があった場所をガリガリと引っ掻く“羊飼い”。

 

「何の冗談だ。こいつ、MA(マシーナリィアーマー)じゃなかったのか?」

 

 MA(マシーナリィアーマー)は兵器だ。壊れれば修理が必要な、ただの鉄の塊のはずだ。だが、目の前の怪物は、自然界の法則を無視して自らを編み直している。

 

 皇獣(おうじゅう)のような野蛮な生命とも違う。あれには道具を使ったり格闘の駆け引きをするような、高度な知能は無い。目の前の怪物は、もっと高度で、もっと異質な――

 

 再び“羊飼い”が動いた。まったく、思案を巡らせる暇すらありゃしない。俺は再びタワーシールドを“羊飼い”に向けて踏み出した。

 

「悪いが、玩具は取り上げだ」

 

 周りを囲むブラックドッグの群れの中央へ突っ込み、“羊飼い”との間合いを皇獣(おうじゅう)の肉壁で遮る。戸惑う獣どもを障害物として使いながら、一瞬の隙――奴が獲物を解体しようと杖を振り上げた、その溜めの時間を狙うのが目的だ。理屈は不明だが、損傷させても再生するというのなら、正面から殴り合うのは割に合わない。

 

 全出力を右腕の油圧マニピュレータへ。カットラスを投げ捨て、剥無骨な金属指で、振り下ろされるシェパーズ・クルークの中ほどを真っ向から掴み取った。

 

 駆動系の軋みがコクピットを激しく揺らし、過負荷を知らせる警報が耳をつんざく。マニピュレータがひしゃげ、指が一本ずつ弾け飛んでいった。だが、構うものか。

 

 鋼鉄を握り潰す感触。そのまま渾身の力で腕を引き絞ると、“羊飼い”の主武装が中心から歪み、乾いた音と共に真っ二つにへし折れた。こちらの腕関節もガタガタだ。

 

 それは、“羊飼い”にとって想定外のことだっただろう。武器を壊すためだけにMA(マシーナリィアーマー)の片手を犠牲にするライダーなど、そうそう居はしまい。

 

 獲物を壊す側だった怪物が、初めて自分の牙を折られ、動きを止める。“羊飼い”は、残された折れた杖の柄を握り直すと、しばらくこちらと杖を交互に見た末に、未練を感じさせない速さで砂塵の向こうへと跳躍していった。

 

 それに呼応するように、後方の神官が操っていた皇獣(おうじゅう)の群れも、潮が引くように荒野の彼方へと消えていく。

 

 それまでの戦いがまるで夢か幻であったかのように、静寂が辺りを包んだ。どうやら他のエリアでの戦闘も、一段落したらしい。

 

 

「退いたか……“ドルフィン”、Din-Out(戦闘終了)

 

 コンソールを叩き、緊急停止プログラムを走らせる。トリオンの四肢から力が抜け、そのまま赤茶けた大地に膝をついた。機体は大破、文字通りのボロ雑巾だ。このダメージでは、そう長くは動けないだろう。借り物の機体はこの場に残し、回収業者(スカベンジャー)に任せることにする。

 

 ハッチを強制解放し、熱を帯びた外気の中へ身を投げ出した。着地の衝撃。機化した両脚のアクチュエータが、硬質な音を立てて衝撃を殺す。

 

 遠くから、ようやく危機を脱したシービースト小隊の反応が近づいてくるのが見えた。ライトブルーの塗装が施された三機も、その装甲の汚れ具合から、なかなかの激戦だったことが読み取れる。通信を聞く限り危うい感じはしていたが、無事な所を見ると、他の小隊が援護に回ってくれたのだろう。

 

 俺の救助に駆けつけたクローディア中尉は、大破した俺の機体と、折れたシェパーズ・クルークの残骸を見て、息を呑む。

 

『……信じられん。あの怪物と一人でやり合って、追い返してしまうとはな。とんでもない新人を拾ったものだ、私たちは』

 

 MA(マシーナリィアーマー)に装備されている拡声器越しに聞こえる中尉の声には、心底からの感嘆が混じっていた。だが、俺は汚れた手袋を見つめたまま、隊長殿に頭を下げる。

 

「中尉、獲物を仕留め損ねました、すみません。イル・カーン准尉、本日付でシービースト小隊に配属となります。辞令を受け取りに行かなきゃならんのですが、機体はこの通りでして。向こうで待っている艦まで運んでもらっても?」

 

『仕留め損ねたって、准尉、そういう問題ではないだろう! “羊飼い”はここ一年、誰も対処できずにどれだけの被害が……あ、ちょっと!』

 

 呆れ半分の怒声を、不具合を起こし始めた聴覚デバイスのノイズで塗りつぶす。

 

 奴は本気ではなかった。最後の一撃を放つ瞬間、俺は確かに見たのだ。まるで次の玩具を見つけた子供のように、奴が愉しげに肩を揺らすのを。俺は勝ってなどいない。ただ、怪物に気に入られただけなのだ。

 

 波乱に満ちた着任初日は、こうして幕を開けることになる。俺は奴との再会を予感しながら、リルのトリオンが差し出す、鋼鉄の手のひらに座り込んだ。タクシーとしては最悪の乗り心地であった。

 

 走り出した機体の振動が、精密に構築された俺の人工骨格へと、生々しい感覚で伝えてくる。だが、頬を打つ風の熱さだけは、俺の頭の奥にかすかな心地よさを感じさせていた。

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