Bloody Bless   作:館長さん

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第3話:こんなに大きなアヒルがいるもんか⑧

「……ふう、なんとかなったな。“ドルフィン”、Din-Out(状況終了)、あとは歩兵部隊に任せるか」

 

 俺は操縦席で大きく息を吐き、操縦桿から指を離した。煮えたぎる地獄を彷徨うかのような不快感が消え、心地よい疲労感だけが残る。

 

『“オウカ”、Din-Out(任務完了)。お疲れ様。准尉、少尉……そして、従尉も』

 

 クローディアの声は、まだ少し震えていたが、そこには確かに部下への労いがあった。

 

『“ハンマーヘッド”、Din-Out(状況終了)! なあ、リル。お前、さっき“クソ上官”って言わなかったか?』

 

『記録にありません。通信機の故障か、あるいは少尉の願望が投影された幻聴と思われます。バイタルチェックを行いますか? 精神状態が極めて不安定なようですので』

 

『ほら見ろ! そういうとこだぞ!』

 

 言い合う二人を横目に、俺は遠くの空を見つめる。

 

 軍の消耗品として捨てられるはずだった一人の“レディ”は、若造の理屈抜きのわがままによって考えを改めさせられたらしい。この変化が彼女に何をもたらすのか、俺にはまだ分からない。ただ、悪い結果にはならないだろうという予感だけは、確かにあった。

 

 ……あるいは。あの時、公用回線越しに“猶予”と宣った中佐もまた、この結末をどこかで計算に入れていたのではないだろうか。ガラクタに最後の花道を用意したのか、それとも、壊れかけの道具が奇跡を起こすまでの時間をくれたのか。

 

 合理主義を標榜するあの男の真意など、現場で足掻く俺たちには一生理解できないだろう。だが、もし彼が本当に冷血なだけの計算機であったなら、今頃この世には小さな淑女の残骸すら残っていなかったはずだ。

 

 彼がもし本当にリルのことを不要なゴミだとしか思っていたならば、このような結末にはならなかったに違いない。俺たちに断りを入れることなく、いや、そもそも出撃前に、彼女はスクラップにされていたはずなのだから。

 

 砂塵を上げ、四機のMA(マシーナリィアーマー)が基地のゲートをくぐる。勝利の凱旋だというのに、小隊無線は驚くほど静かだった。ただ、後方を歩く非武装のハミングバードが、場違いなほど軽やかな駆動音を響かせている。

 

『……説明を、開始します』

 

 不意に、リルの声が回線に乗る。少しだけ、いつもより電子的な硬さが抜けているような、そんな響きであった。

 

『私がここ数日で行った試行は、少尉を理解するためのものでした』

 

『理解?』

 

『リュオン少尉の行動パターンに、深刻なエラーが確認されています。少尉は私の警告を無視する一方で、准尉の命令には極めて高い受諾率を示しました。私はその理由を検証していただけに過ぎません』

 

 淡々と話しだすリルの言葉に、リュオンは理解が追い付かないようであった。ぽかんと口を開けた間抜け面が、隊内全員のモニターに映し出されている。

 

『待て、いきなり何の話をしているんだ』

 

『理由を説明しろと命じたのは少尉です。記憶にないようでしたら、音声データをサルベージします。“お前にしかできないことが、何かあるはずだろ! お前が無能じゃないって、僕に証明してみろ! そして、無事に帰って最近の奇行について、ちゃんと自分の口で説明――”』

 

『うわあああ、やめろやめろ! その顔で、僕の声で喋るな!』

 

 呆れたり焦ったり怒ったり照れたり、リュオンの表情と顔色が目まぐるしく変わる。

 

(准尉。これって……)

 

 昨日の朝、作戦室で俺と一緒にリルの話を聞いていたクローディアが、こっそりとSotto(個人間通話)で話しかけてくる。俺は肯定の意味を込め、黙って頷き返した。

 

 ミルメコレオ戦で俺に“分からされた”リュオンは、どうやら俺に懐いてしまったらしい。最近では連携を考えて動くようにもなってきており、以前のように単機で突出する頻度も減りつつある。

 

 なのに、リュオンは依然としてクローディアやリルの忠告を軽んじる傾向が強い。リルはそれが、納得いかなかったのだろう。

 

 要するに、俺に焼きもちを焼いていた、ということか。俺にばかり構わず、自分の話も聞いてくれ、と。

 

 一通り困惑し終えたリュオンの顔に、ようやく少しだけ冷静さが戻る。彼もまた、俺と同じ答えに辿り着いたようだった。鼻で笑うリュオン。ギガントの壊れかけた巨大な手が、どこか労わるようにリル機体の肩を軽く叩いた。

 

『いいかリル。お前は計算が得意なんだろうけどな、人間は一人で抱え込んでる奴を見れば不安になるんだよ。そういう時はな、計算結果を出す前に相談ってのをやってみろ。いいな?』

 

『相談……学習、しておきます。“ノーチラス”、Din-Out(作戦完了)

 

 そのやり取りを聞きながら、俺はクローディアと視線を交わした。モニター越しでも、彼女が深く、重いため息をついたのが分かる。しかしそれは、どこか安堵を含んだものであるように感じられた。

 

 機体をドックに収容し、コックピットのハッチを開ける。俺は基地に降り立つなり、一言も発さずに司令部へと足を向けた。無論、“算数の宿題”を終わらせるためだ。

 

 

 ――一時間後。整備ドックの一角。

 

 本来なら軍の爆発物処理班が、防護服を着て厳重に行うべき作業を、一人の青年がいつもの軍服のまま平然と行っていた。

 

「……これか?」

 

「はい。その赤いリード線の先にあるマイクロデトネータです。ペンチで基部を固定し、静かに引き抜いてください。失敗すれば、この区画ごと吹き飛びます」

 

「お前がナビして、失敗すると思っているのか。お前はやっぱり馬鹿だな」

 

「少尉は時々……しばしば……割と頻繁に……とても? かなり? いつも? 失礼な物言いをしますね。この爆弾の構造は、基地のスーパーコンピュータの処理能力を借り、既に解析済みです。少尉の手元が狂いさえしなければ、失敗などあり得ません」

 

「そういうことだ、大船に乗ったつもりでいるんだな。なあに、機械いじりは慣れている」

 

 リュオンの指先は、戦場での荒々しさが嘘のように繊細に動く。俺は少し離れた場所でタバコに火をつけ、その光景を眺めていた。

 

 軍の正式な解除命令を待っていたら、あの官僚主義の連中のことだ、リルの再調査や解体調査で、作業は数日後に回されただろう。それを独断で、文字通り物理的に解決してしまう。それがリュオンという男のやり方であった。

 

「……取れたぜ」

 

 リュオンの手のひらに乗った、小さな金属の塊。リルに埋め込まれていた死の呪縛。彼はそれを、未練もなくドックの隅の屑籠へと放り投げた。その危険物は屑籠の縁に当たって宙を跳ね、俺の足元へ転がって来る。

 

「准尉、いたのかよ。帰還後すぐにどこかに行ってたみたいだけど、用事は済んだのか?」

 

「ああ、司令部を写真で殴ってきたところだ」

 

「はあ?」

 

 俺がエドムント司令に提出してきたのは、リルの行動データだ。そこには、MA(マシーナリィアーマー)では感知できなかった敵神官を発見するに至ったプロセスと、MA(マシーナリィアーマー)ドックの殺伐とした空気の中でメイドのように甲斐甲斐しくリュオンにつきまとい、多くの兵士たちを笑顔にしていた姿が、これでもかというほど詰め込まれていた。

 

「彼女の価値を示してきた。代えの利かない資産だ、と石頭どもに上申してきたのさ。あの鉄面皮な連中も、まだまだ使い道があると言われれば、破棄を撤回せざるを得んだろうよ」

 

「は、算数の宿題って、それかよ」

 

「おう。“4-0=4”、ってことだ」

 

「……感謝します、准尉」

 

 リュオンがにやりと笑みを浮かべ、上体を起こしたリルが静かに頭を下げる。その背後には、薄汚れたハミングバードの装甲に不似合いな、見覚えのあるフリル付きの布切れが引っかかっていた。

 

 

 数日後。

 

 兵士用の共同休憩室に、異様な、だがどこか落ち着く光景があった。漆黒の生地に、真っ白なエプロン。軍服を模した特注(自作らしい)のメイド服に身を包んだリルが、無表情にティーポットを傾けている。

 

「コミュニケーションの円滑化、および家庭用アンドロイドとしての本分に基づく最適化です」

 

 淡々と告げる彼女の目の前には、連日の過酷な再調整作業のせいで、テーブルに突っ伏して泥のように眠るリュオンの姿があった。リルはその肩に優しくブランケットを掛ける。その手つきからは、もはや不満や疑念、あるいは嫉妬のようなものは感じられなかった。

 

 彼女はその手に基地共用のマグカップではなく、どこからか見つけてきたのか、白い磁器のティーカップを捧持している。フリルの付いたエプロンを揺らし、流れるような所作で紅茶を注ぐその姿は、殺風景な格納庫の中ではひどく場違いで、しかし――

 

 俺はポケットの中で冷たくなった自爆装置のデトネータを、指先で転がし弄ぶ。本来なら、リルの胸の中で彼女を内側から焼き尽くすはずだった、醜い鉄の塊。彼はそれを無造作に放り投げると、空中に放り出された黒いパーツは、今度こそ不燃ゴミの屑籠の中へと吸い込まれていった。

 

「准尉、紅茶の温度はいかがでしょうか」

 

 リルの声は、いつもと同じ無機質な合成音声だ。だが、その瞳に映る俺の姿は、もはや効率的な運用対象を見ているものではなかった。

 

 温かい蒸気を吸い込み、一口含んでから、誰に聞かせるともなく呟く。

 

「……みにくいアヒルの子、か」

 

「否定します。准尉、現在の私の容姿は、自由時間に限って第6前線基地における軍紀の例外事項として承認されたものであり、生物学的、あるいは審美的な観点から醜いという評価を受ける筋合いはありません。また、私は――」

 

「ああ、分かってるよ。お前はアヒルなんかじゃない」

 

 カップを置き、窓のないドックの天井を見上げる。そこには空もなければ、白鳥が飛び立つ先もない。けれど、今日この場所で、“一人”の機械人形が失いかけていた美しさを取り戻したことだけは、自分だけが知っていればいい。

 

「……そうだな、こんなに大きなアヒルがいるもんか」

 

 リルの返答を待たず、俺は深く椅子に背を預ける。閉じたまぶたの裏側、沈みゆく意識の中で、白く美しい翼が羽ばたくような錯覚が、ほんの一瞬だけよぎったような気がした。

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