整然と並べられた椅子、一定の湿度に保たれた空気、そして、一定の周期で刻まれるビープ音だけが流れる
上座に立つヴァレンタイン・クローディア中尉の姿は、その空間に完璧に調和していた。一ミリの弛みもなく整えられた軍服の襟、綺麗に磨き上げられたコンソール。彼女の存在そのものが、スワスチム共和国軍という巨大な組織の一部であることを雄弁に物語っている。
彼女は手元の端末を接続し、ホログラムウィンドウを展開した。青白い光が照明を落とした室内の闇に浮かび上がり、立体的な地図と膨大なデータが表示される。
「今回の任務について説明する」
感情を濾過したあとの、真水のように冷たい声が響く。
ふと視線を落とすと、前列でリュオンが退屈そうに椅子を傾け、天井を見上げているのが見えた。軍人としてあるまじきその不遜な態度に対し、彼女の眉が一瞬だけ不快感を示すかのように中心へ寄る。しかし、彼女がその行儀の悪さを口にすることはなかった。
彼女に与えられた任務は作戦内容の伝達であり、部下の私生活への介入は、マニュアルの範疇外だからだ。
クローディアはリュオンの存在が見えていないかのように、流れるような手つきで資料を更新した。
「ターゲットは、第12医療施設に潜伏する敵神官一名。敵は同胞の解放を要求し、
クローディアはまるで明日の献立でも読み上げるかのような口調で、これから行われるプランを淡々と提示していく。その瞳には、これから撃ち抜くはずの標的も、施設に残された人命も、映ってはいないように見えた。
ただ、与えられた正解をなぞる。その異常なまでの純粋さを前に、後列に座る俺は、苦虫を噛み潰したような顔でタバコに手を伸ばしかけ、すぐに引っ込めた。作戦室は禁煙である。
「敵種別、バジリスク。トカゲ型だな。腐食性の毒液を吐くため、歩兵部隊が難儀しているらしい。連中が目標施設に接近できないのも、これが大きな要因の一つだ」
「八メートルに十五メートル、さらに毒持ちか」
規模的にも、能力的にも、着任当日に遭遇した
むしろ、考えるべきは別のことである。
「中尉、質問だ。人質は何人いる?」
「不明だ。最初の交渉時に、少なくとも一名の生存は確認されている。そうでなくとも、入院中の患者が逃げ出せたとは思えん」
「まあ、そうだろうな」
となると、取れる作戦は限られてくる。時間をかけるほど、敵は焦って人質に危害を加える可能性が高くなるだろう。最速で
「なお、犯行声明を出した敵神官の要求期限は、本日正午。現時刻から、残り二時間だ」
二時間。その言葉と同時に、コンソールの端に赤いデジタルタイマーが浮かび上がった。一秒、また一秒と、数字がゼロに向かって削り取られていく。
「正午までに要求が飲まれない場合、人質の命を順次断つと宣告している。時間は無駄にできないぞ」
「補足します」
リルの声が割って入る。ホログラムには、現在進行形で金色に塗り固められていく俺たちの
「現在、全機に耐食性ポリマーによる緊急コーティングを施工中です。この不活性薬剤は、バジリスクの腐食毒を遮断することが可能です。また、各機には外部マウント式の中和剤散布ユニットを装着。皆さんが施設正面までの毒沼を中和し、歩兵部隊の突入ルートを確保することで、作戦を遂行します」
ホログラムを見たリュオンが、椅子の背もたれを軋ませ、わざとらしくため息を吐いた。
「へっ、一分一秒を争うってのに、あんな金ピカのペンキが乾くのを待たされるってわけか。皮肉なもんだぜ」
「リュオン少尉、その“ペンキ”がなければ貴方の機体は着地から二十秒で穴だらけです。それでも構わなければ、ご自由に」
「お前、最近僕に対してちょっと風当たり強くない……?」
リルの容赦ないツッコミに、リュオンは肩を落とす。少しの変化を伴いつつも、いつも通りの軽口の応酬に、俺も釣られて口元が綻んでいた。
MAが道を切り開き、その最短ルートを歩兵が駆け抜ける。人質の安全を確保するためには、一秒の誤差も許されない同時並行の強行突破が必要だ。俺たちの連携の見せどころである。
「要するに、毒を掃除してトカゲをどけちまえばいいんだろ? ここ最近の任務に比べたら、だいぶ楽そうじゃねーか」
リュオンはすっかり気を抜いてしまっている。確かに歩兵部隊には手に余る難敵だろうが、対策さえしてしまえばどうと言うことはないはずだ。
「他に質問は?」
「先生、バナナはおやつに入りますかー」
「無いな。なら、準備を急げ。
まるで、決められた台本を読むかのようなスムーズな流れで、リュオンの発言は切り捨てられた。
ノイズを排除し、決定事項だけを執行する。その姿は、精巧に組み上げられた自動人形のようでもあった。おそらく、これまでも彼女は同じようなやり取りを繰り返してきたのだろう。
『“お前はやっぱり馬鹿だな”』
突然、リルがリュオンの声で暴言を吐く。思わず椅子からズリ落ちるリュオン。そんなやり取りも、最近ではしばしば見かけるようになった、シービースト小隊の日常であった。
中型輸送艦ペレグリンの巨大な無限軌道が、荒れたアスファルトを削りながら急停止した。続けて、後部ハッチが地響きを立てて開放される。
艦外から視界を塞ぐほど濃密な、紫色の毒の飛沫が吹き込んできた。生身の肉体を捨てて久しいスワスチム共和国人の立場からしても、見るからに体に悪そうで怖気が走る。街の中でろくでもないことをしてくれたものだ。
『
クローディアの号令が飛ぶ。
俺のトリオンとリュオンのギガントは、ハッチを蹴り出すと同時にスプレーユニットを全開にした。白濁した中和剤が猛烈な勢いで毒沼を叩き、赤黒い毒液と反応して視界を真っ白な蒸気で染め上げる。
装甲の隙間から、毒液による腐食を告げる嫌な軋みが微かに伝わってきた。耐食コーティング済みでこの有様か。通常仕様で来ていたら、今頃どうなっていたことやら。
だが、俺の意識はその音よりも、モニターが捉えた奇妙な光景に、釘付けになっていた。
「おい、“ハンマーヘッド”。モニターの解像度を上げろ。見間違いじゃないよな?」
蒸気の向こう、街路を徘徊する五体の中型バジリスク。その背中や側腹部に、毒々しく、しかし明確に脈動する赤い肉塊が剥き出しになっていた。
『へっ、マジかよ!
リュオンが下卑た笑い声を上げる。
無理もない。本来、
運が悪ければ、五体の中型を屠るのに時間がかかり、その間にこちらが毒に焼かれて果てる可能性もあっただろう。大型や中型が相手なら、その一手間に予備の弾倉を一つ使い切ることも珍しくない。それが
最悪、時間稼ぎのために足だけ切断し、ひっくり返しておくことも、時と場合によっては必要だったりする。北方第6前線基地での初陣時、俺がブラックドッグにやったように、だ。
幸い、再生自体はゆっくりである。復活する前に、
だが、目の前の連中は違う。まるで“ここを撃て”と言わんばかりに、弱点を晒して徘徊しているのだ。