Bloody Bless   作:館長さん

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第4話:一人はみんなのために、みんなは一人のために⑨⑩

 北方第6前線基地、地下隔離施設。

 

 無機質なセラミックの壁にまれたその部屋で、俺は自分の右腕を構成する合成筋肉の微かな駆動音だけを数えていた。

 

 ひしゃげた義肢のフレームを丸ごと交換し、引き千切れた神経端子(コネクタ)を強引にバイパス接合する――そんな面倒臭い外科手術が完了したのは、帰還から二日目のことだった。

 

 だが、独房の重厚な電子ロックが解除される気配は、三日経っても、五日経っても訪れない。

 

(ガネットの野郎、結局じっくりと俺の処刑手順を練り上げてやがるな。いや、そうなって当然のことを、俺はしたわけだが)

 

 通信は遮断され、外部の情報は一切入ってこない。これまでの営倉入りとは次元の違う厳重さだ。

 

 無理もない。敵の完全排除という命令を無視した、抗命罪。討伐対象である神官と皇獣(おうじゅう)に対し、軍の攻撃を回避させるための情報を与え、逃走を幇助した、利敵行為。そして、通信傍受の可能性がある中で、砲撃のタイムリミットを敵に教示し、脅迫の体裁で助言した、未遂を含めた軍事機密漏洩。

 

 数え始めたらキリがない。我ながら、さすがにはしゃぎ過ぎである。

 

 クローディアのあの悲鳴のような拒絶。施設から這い出していったバジリスクの巨躯。そして、スクラップ同然になった俺のトリオン。思い出すのは、計算の合わない戦場の残骸ばかりだ。

 

 そして八日目の朝。ついに部屋の赤色灯が消え、扉が重々しい音を立てて開いた。

 

「イル・カーン准尉。司令執務室への出頭を命じる」

 

 現れたのは、憲兵ではなくガネット中佐だった。その腕にはなぜか、時代遅れの紙の束が山のように抱えられている。

 

「葬式にはまだ早いようだな、中佐」

 

「冗談を言える余裕があるなら結構だ。さっさと歩け、司令閣下がお待ちだ」

 

 冷たく言い放つ彼の顔からは、なんの表情も読み取ることはできない。これは年貢の納め時かもしれないな、などと馬鹿なことを考えながら、俺は狭苦しいエレベーターに乗り込んだ。

 

 基地の最上階。司令執務室の前。

 

 中佐と共に、扉の横にあるコンソールに、右手の甲をかざす。視界の隅、内蔵ディスプレイに『兵籍IDおよび固有脳波(シンクロビート)照合完了』のログが高速で流れた。パーツ交換のきく義体ではなく、唯一の生身である脳が放つ電気信号こそが、この国における究極の身分証だ。

 

『認証完了。入室を許可します』

 

 無機質な合成音声と共に防爆扉が左右へ滑り出す。現れたのは、磨き上げられた黒い大理石のような床と、その奥に鎮座する巨大な執務机、そして、逆光の中に浮かび上がるエドムント少将のシルエットだった。

 

「イル・カーン准尉をお連れしました。なお、“こちら”は二千八百十二件で打ち止めです」

 

「御苦労」

 

 中佐は、抱えていた時代遅れの紙束を、少将の机の上へ、重々しく置いた。紙特有の鈍い音が、静まり返った室内に響く。

 

 その後、彼は俺の横まで下がると、彫像のように動かなくなった。否、“へ”の字に曲がった口だけが動く。

 

「准尉。自分がここへ呼ばれた理由は、理解しているな?」

 

 ガネット中佐の声は、相変わらずだ。こちらを見ようともしない。その表情と共に、何の温かみも感じられなかった。

 

 茶化すような場面でもなし。俺は面倒な挨拶をすっ飛ばし、質問に答えることにする。

 

「はい。独断専行による作戦の毀損、および機体の大破です」

 

「ふん、“利敵行為”だ。貴様は友軍の射線を物理的に妨害し、意図的に標的を逃がした。作戦を遅延させ、同胞を危険に晒した。異論はあるか?」

 

「ありません。死傷者をなるべく出さぬよう、独断で行動しました」

 

「口を慎めよ、今の貴様は立派な反逆者なのだからな」

 

「了解、“軽口”を慎みます」

 

 ガネット中佐が俺の目の前に歩み寄り、ホログラムウィンドウに完璧に整理された罪状ログを叩きつける。

 

 よくもまあ、これだけ並べ立てたものだ。これだけあれば、良くて階級の完全剥奪に強制労働。場合によっては人格の剥奪や極刑も有り得るかもしれない。

 

 なのに、何故だろう。俺は不思議と恐怖や後悔を感じてはいなかった。

 

「本来なら、七日前に貴様の首は胴体から泣き別れしていたはずだ。だが、不運なことに、貴様が救った施設にいた“ある人物”の関係者から、個人的な猶予の要請が届いた。民意を確認する一週間の時間を、とな」

 

「民意、ですか?」

 

 俺からの質問に対し、ガネット中佐は相変わらずこちらに視線を合わせようともしない。あらかじめ決められた台本を読み上げるかのような口調は、アンドロイドのリルよりもよほど無機質で、どちらかと言えば作戦中のクローディアを彷彿とさせる。

 

「規律を、個人の感情で汚す。反吐が出るな。だが、その猶予も今、この瞬間をもって終了だ」

 

 ガネットはデスクの集計数値を指し示した。

 

「救出された医療施設の職員、家族、関係者。彼らが送ってきた嘆願書の数は二千八百十二。残念だったな、准尉。我々が特例として認める民意の閾値、三千には、わずかに届かなかった。三千……それが“ある方”から提示された、お前の命の重み、つまり此度の命令違反を帳消しにするための絶対条件だ」

 

 彼の言葉を、背を向けたままのエドムント少将が引き継ぐ。

 

「規律は数だ。一つ足りなくても、それは否定を意味する。一週間の執行猶予は無意味に終わったようだ、残念だよ」

 

 静寂が、執務室を支配した。

 

 嘆願書――俺が守り抜いたあの医療施設の入院患者や医師たち、その関係者たちが、俺のために動いてくれたというのか。積み重なった意志の重み、それが二千八百十二という、膨大な数字になったのだ。

 

 どうやらその数は俺を救うには至らなかったようだが、十分すぎる量であった。こんな使い捨ての弾丸のために、これほどの数の人間が動いてくれた。その事実だけで、俺の胸はいっぱいになっていた。

 

 覚悟を決め、エドムント少将の背中を見つめる。だがその時、再び認証を知らせる電子音と共に、背後で分厚い防爆扉が左右に開いていった。

 

「お待ちください」

 

 現れたのはリルだ。その手にも、紙束が抱えられている。

 

「中佐。たった今、基地内の者たちからも、嘆願書を集めてきました。」

 

「何だと? 見せてみろ」

 

 ガネット中佐の眉が跳ねた。彼が受け取った書類を確認していく度に、ホログラムの数値が音を立てて更新されていく。

 

 中佐が確認を終えてデスクの上に置いた紙の一枚が、エアコンの風で舞い上がり、俺の足元へ静かに着地した。

 

 “第6司令部シービースト所属、ハミルトン・リュオン少尉 あいつの機体の修理費を俺の給料から天引きしていい、だから殺すな。”

 

「あのアホが」

 

 思わず、独り言が漏れた。

 

「さらに、補助アンドロイド・Little Lady-0675従尉より一通。および、グラスキャット小隊を始めるライダーの面々、さらには整備班一同。ほか、軍医の方々、調理師の方々など、合計、百八十七枚です」

 

「悪あがきをしてくれる。全て合わせて、二千九百九十九枚か。惜しかったな、しかし規律は一枚の差であっても規律。たとえ一通足りなくても、三千に届かなければ……」

 

「……ああ、すまん。忘れていたな」

 

 それまで沈黙を守っていたエドムント少将が、ゆっくりと振り返った。

 

 彼はデスクに置かれた万年筆を手に取ると、手元にあった無地の便箋に、サラサラと何かを書き込んでいく。

 

「私の一筆が、まだだった。遅れてすまなかった」

 

 少将は、その紙をガネット中佐の目の前に事も無げに置く。そこには、基地司令の署名と共に、殴り書きでこう記されていた。

 

 “准尉の現場判断を、私は支持する。以上。”

 

「少将。あなたまでそんな、非論理的な真似を。データの整合性を重んじる我が国の根幹を揺るがす行為では?」

 

「中佐。君の言う規律を守るために、私はこの二千九百九十九人の意志をすべて、ゴミ箱へ捨てろと言うのかね? それこそ、この基地にとって最大の損失ではないか?」

 

 エドムント少将はガネットを冷徹に見据えた後、俺に向き直り、微かに目を細めた。

 

「准尉。君を救ったのは、君が救おうとした命そのものだ。給料の三ヶ月カット、および一週間の独房入りで、手を打とうじゃないか。不服かね?」

 

「……いいえ」

 

 俺は、熱くなりかけた胸の奥を人工心臓のバイパス出力で無理やり抑え込み、最敬礼を送った。

 

「やれやれ、基地を預かる御方が一時の感情に流されるなど、嘆かわしい。それでは私が悪者のようではありませんか。」

 

 言葉とは裏腹に、ようやく表情を崩したガネット中佐の口元は、少しだけ上向きになっているようだった。懐から取り出した紙切れを、デスクの上に叩きつける。それは既に署名済みの、三千一枚目の、本来ならば必要のないはずの嘆願書であった。

 

「おめでとう。既に一週間の謹慎期間は過ぎている。今日から現場復帰だ、励みたまえ」

 

 

 廊下に出ると、リルが小走りで俺を追いかけ来た。相変わらず、その表情からは何も読み取ることができない――と思ったのだが、心なしか雰囲気が和らいでいるように感じるのは、俺の気のせいだろうか。

 

「准尉、お疲れ様でした。どうぞ。先日、准尉宛に届いたものを預かっています」

 

 手渡されたのは、一枚の小さな手紙だった。差出人名は、リンドバーグ・ルチア。幼い子供が書いたような、ヨレて安定しない筆跡だ。

 

「リンドバーグだって?」

 

 その名は、政治に疎い俺にも聞き覚えがあるものだった。

 

 リンドバーグ・アーネスト。御歳すでに百を超えてなお、現役で活動を続ける政治家だ。機化人(サイボーグ)としての義体換装を何度も繰り返し、百年以上の歳月をこの国の舵取りに捧げてきた、まさに知恵の権化である。正真正銘の超大物じゃないか。

 

 そんな人物が、なぜ一介の兵士に過ぎない俺に? その理由は、手紙の内容を見れば、一目瞭然であった。

 

『ありがとう、かっこいいきんいろのロボットのおにいちゃん』

 

 どうやら俺がレールガンの弾丸から守った人質の中に、リンドバーグ議長の孫娘が含まれていたようだ。予算と機化パーツの供給源、そして何より民意を握る人物からの圧力ともなれば、いくらエドムント少将としても、無視するわけにはいかなかったのだろう。

 

 俺はクレヨンで描かれたイラスト付きの手紙ポケットに突っ込み、鼻を鳴らした。

 

「一人はみんなのために、みんなは一人のために。ふん、悪くないな」

 

 誰かに生かされたことへの戸惑い。そして、三千人分の意志という、計り知れない質量。軍規という、あまりにも巨大すぎる力。それを打ち破った大勢の暖かい心を感じながら、俺は愛機の待つドックへと続く階段を降りていくのだった。

 

 古びた騎士たちの誓いを思い出し、俺は独り、苦笑を漏らす。

 

 ……柄じゃないな、全く。

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