Bloody Bless   作:館長さん

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第5話:みんな笛の音についていった⑥

「“ハンマーヘッド”、後方を守れ! “ノーチラス”が!」

 

『了解! この、バケモノがっ!』

 

 彼の叫びと同時に、“羊飼い”が動く。

 

 奴が放ったシザースの横なぎ。盾を捨てた俺は、反射的にカットラスの腹を立て、最小限の動きでその一撃を受け流すことに全神経を注いだ。

 

 金属同士が削り合う不快な震動が、トリオンの右腕を伝ってダイレクトに俺の骨まで響く。盾という緩衝材がない衝撃は、機体のバランスを無慈悲に揺さぶった。俺はサスペンションを限界まで軋ませ、紙一重の踏ん張りで致命的な切断を免れる。

 

 打ち合うたびにノイズが走るバックモニターの端に、一瞬だけ場違いな色が横切った。

 

 ――白。

 

 砂塵にまみれた戦場に似つかわしくない、清潔な民生用の白だ。一両の回収車が、本来なら皇獣(おうじゅう)に食い殺されるはずのルートを、信じがたい速度で北へ――境界線の向こうへと突き進んでいく。

 

「なんだ、あの車は? 護衛も無しに、危なっかしいな」

 

 余裕のない悪態を吐き、シザースの追撃をかわすために視線を正面に戻す。だが、あの無謀な速度と色が、網膜に不吉な残像を刻みつけた。

 

 小隊無線にリルの、ひどく静かな声が割り込んで来る。

 

『“ハンマーヘッド”。相談が、あります』

 

『ああっ!? 今かよ! 見りゃ分かんだろ、こっちはクソ忙しいんだ!』

 

 リュオンが怒鳴り返す。だが、リルの声はどこか、普段よりわずかに体温が低い。

 

『相談しろと命じたのはあなたの方です。記憶にないようでしたら、音声データをサルベージし――』 

 

『分かった、分かったから! 言えよ! 何だよ!』

 

『現在、Sotto(個人間通話)経由で、ホルスト・アルベルトより受信中。内容は“軍用OSの破棄”および“指定ポイントへの投降勧告”です』

 

 リルは淡々と、しかし残酷なほど明確な補足を付け加えた。

 

『指定ポイントは、現在交戦中のヘアツゥ神官部隊、本陣後方三百。あちらへ行けば、私は“Little Lady”に戻れると、彼は主張しています。“ハンマーヘッド”、私はあそこへ行くべきなのでしょうか』

 

『ハァ⁉ 本陣後方って、敵のど真ん中じゃねえか! そもそも、アルベルトって誰だよ! つーか、お前を狂信者どもに売り飛ばそうとしてんのか、その野郎!』

 

 リュオンが混乱と激昂の混じった叫びを上げる。その直後、リルは淀みない報告トーンで続けた。

 

『ホルスト・アルベルト。情報統括本部・実戦環境データ抽出班の技師の一人です。主に私のメンテナンスおよびデータ抽出、解析、検証などを行っています』

 

 俺はシザースの追撃を紙一重でかわしながら、その名を反芻した。

 

 アルベルト。リルの調整を任せていたあの技術者が、そんな名だったような気がする。そんな彼が、なぜ今、敵陣の奥からリルに投降を呼びかけている?

 

 状況が飲み込めない。だが、リルがわざわざ相談という形をとってまで俺たちにこれを伝えてきたという事実は、彼女の演算がその勧告に納得がいかないと判断したからであろう。

 

『相談しました。回答を要請します』

 

 リルの問いかけが、再び重く響く。

 

『そんなもん、決まってんだろ!!』

 

 リュオンが叫ぶ。シザースを力任せに押し返し、ギガントの重厚なエンジン排気音を響かせた。

 

『リトル・レディだか何だか知らねえが、型番で呼んでりゃ満足な奴の言う通りにしたら、お前はただの動くだけの機械に逆戻りだ! 軽口叩いて俺たちを困らせるリルは、ここにしかいねえんだよ! お前が俺たちの相棒でいたいなら、そんな男のところへ行かせてたまるか!』

 

 リルのメインカメラが、一瞬、青白く強く発光した。

 

『了解。プランA:亡命を永久棄却。プランB:防衛を継続。これより、受信した全通信ログを共有します』

 

 リルの発信と共に、サブモニターの端でデータの転送を示すインジケーターが明滅を始めた。だが、アルベルトの真意を読み解く余裕など今の俺たちにはない。

 

「ログは後回しでいい、今は目の前のこいつを黙らせるのが先決だ!」

 

 目前では“羊飼い”が、この死闘そのものを楽しむかのように、休みなく畳みかけてくる。こうも執拗だと、考える暇もありはしない。俺はただ生き延びるために、許容負荷を超えて焼き付く寸前の操作系を義肢の触覚でねじ伏せ、狂ったように操縦桿を操り続けた。

 

 命を削り合うような攻撃の応酬。そこへ激しいノイズと共に割り込んできたのは、全チャンネルへの警告音であった。

 

『前線各機へ通達! 北部境界線より、未確認の超大型個体を確認! 繰り返す、北部より危険個体が戦域に侵入!』

 

 CCC(戦術管制室)からの、焦りを含んだ叫びだった。

 

『北部? なんだ、何が来たって?』

 

 リュオンが訝しむような声を上げる。俺はシザースの横薙ぎを辛うじてかわし、一瞬だけメインカメラを北へと向けた。

 

 砂塵と爆炎が渦巻く数キロメートル先。混戦を極める前線のさらに後方、地平線の境界付近に、周囲の十メートル級中型皇獣(おうじゅう)を一回り以上は上回る漆黒の影が佇んでいた。

 

『敵識別コードを更新! 北部に出現した大型個体を、暫定的にフェンリルと呼称! 同個体に随伴するブラックドッグ、その数――五十、いえ、さらに増えています! 少なくとも一個大隊規模のブラックドッグが、フェンリルを中心に完全に統率されています!』

 

 スピーカーの向こうで息を呑む気配が伝わる。オペレーターの震える声が、事態の異常性を物語っていた。

 

 どこにでもいる下級皇獣(おうじゅう)であるはずのブラックドッグが、数十体の群れを成し、一頭の巨獣の手として機能している。それは野生の皇獣(おうじゅう)にはあり得ない、高度な軍事的行動そのものだった。

 

 フェンリル。

 

 二十五メートルの巨躯を誇るその黒い塊は、軍勢を従えた王のごとく、戦場を静かに見下ろしている。

 

 南東端の俺たちの場所からは、まだそれは遠い世界の終わりの予兆でしかなかった。

 

 だが、通信が激しい電子ノイズに書き換えられ、消失していく。その不気味な静寂の伝播が、戦場を支配していた空気の密度を、じわりと、しかし確実に変質させ始めていた。

 

 混迷を極める戦場に、不自然なほど明瞭な音声が割り込んだ。軍の公用回線を介した、全チャンネルへの逃げ場のない割り込み放送だ。

 

『――おお、神よ。この素晴らしき邂逅の場を、血と鉄の香るこの聖域を用意してくださったことに、限りなき感謝を』

 

 耳を疑った。

 

 四方から飛来する銃弾と、肉を削ぐ皇獣(おうじゅう)の咆哮。その地獄の騒音を強引に上書きして響いてきたのは、驚くほど慈愛に満ちた、穏やかな男の声だったからだ。

 

「何だ? 宣撫工作か? こんな時に、何を考えていやがる……っ!」

 

 激しい吐き気が俺を襲う。仲間が死に、自分も死に物狂いでレバーを叩いているこんな時に、これほど場違いな祈りを強制的に聴かされる不条理。

 

 無線を切れば管制を失い、生きたまま孤立する。俺たちは、この得体の知れない戯言に、なす術もなく耳を貸すしかなかった。

 

『嘆かわしいことです。諸君らが流すその尊い血は、本来、明日を育むための恵みであったはず。しかし、どうでしょう。この地にはただ、虚無という名の巨大な杯が、口を開けているに過ぎない』

 

 男の声は、まるで教壇から迷える子羊を導く教師のように、あるいは舞台の上から観客に語りかける役者のように、朗々と戦場に染み渡っていく。

 

『諸君がどれほど命を削り、その血を注ぎ込もうとも、この戦場という器が満たされることはありません。ゆえに、私はこの無意味な連鎖を終わらせるため、参りました。飢えた魂を癒やすのは、鉄の嘶きではなく……天上の響き』

 

 狂っている。少なくとも、まともな神経の人間がこの修羅場で口にする言葉ではない。

 

 だが、その狂気が、北の地平に佇む二十五メートルの巨大な黒い影と重なり、得体の知れない圧迫感となってコクピットへ浸食してくるかのようだ。

 

『さあ、祝福の子レン。君の歌声を、この空虚な世界に満たしてあげなさい』

 

 少女が静かにその唇を開く。

 

 そして、世界から音という音が消失した。

 

 いや、消失したのではない。あらゆる雑音が、その小さな喉から溢れた震えに吸い込まれ、塗り潰された――そう、錯覚させられたのである。

 

「……っ!? なんだ、今度は何が起きてる!」

 

 計器の数値を確認しようとした俺の身体が、恐怖で硬直する。

 

 重厚な装甲に守られたコクピット。物理的な遮音壁を何枚も挟んでいるはずの俺のすぐ耳元に、少女の微かな息遣いが、衣擦れの音さえもが、生々しい質感を持って届いていた。

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