Bloody Bless   作:館長さん

39 / 40
第6話:偶像 -IDOL-①

 金属同士がぶつかる硬い打撃音と、重苦しい作業音。閉じられたコクピットにまで届く、ドックの静まり返った喧騒が、逃げ場のない闇の底から、俺の意識を無理やり引きずり戻した。

 

 コンソールの片隅。自動帰投シーケンスの終了を告げるデジタル時計の数字が、意識を失ってから、わずか三十分足らずしか経過していないことを示していた。あの地獄の荒野から、リルは文字通り最短ルートで俺たちをこのドックへと引きずり戻したわけだ。

 

 ハッチを開けた途端、熱を帯びたオイルの臭いと、コンクリートの冷気が混ざり合って流れ込んできた。使い慣れた、第13番ドック。帰還したトリオンの重い足音が止まり、外部マイクが拾った作業音だけが聞こえてくる。

 

 物理的な距離を考えれば、この基地まであの巫女の歌声が届くはずはない。分かっている。

 

 だが、静寂が訪れるたびに、耳の奥では神を称え平和を願うあの美しい旋律が、声が、詩が、まだ鳴り続けているかのような錯覚に襲われる。それは物理的に届く振動ではなく、脳の奥深くに直接こびりついた残響だった。

 

 操縦桿から手を離す。いつもの習慣のままに身体を動かしてはいるが、胸の奥には何の意欲も湧いてこない。

 

 義肢の指先がわずかに震えていた。故障ではない。脳があの音を拒絶し、しかし求めているのだ。

 

(……反吐が出る)

 

 目を閉じれば、熱波に歪むコクピットが、ノイズ混じりの映像のように網膜を掠める。

 

 妹、イル・スローンが戦死したという、遠い戦場の光景。立ち会うことすら叶わず、ただ一枚の死亡通知書だけで突きつけられた事実が、幻影となって自分を責め立てる。だが、強く首を振れば、その忌々しいイメージは霧散してドックの薄暗い天井へと消えていった。

 

 空っぽの手のひらを一度強く握り込む。残ったのは、冷え切った焦燥感だけだ。

 

 シートを離れ、足場へと降り立つ。辺りを見渡せば、仲間たちもまた、俺と同じように壊れかけていた。

 

「はっ……あ、う……」

 

 隣では、リュオンが愛機に縋り付くようにして膝を突いていた。精悍な顔は青白く引き攣り、呼吸は浅い。

 

 クローディアもまた、司令室への回線を開くことすら忘れ、虚空を睨みつけたまま立ち尽くしている。不測の事態に直面した際の、彼女の致命的な欠陥。軍の部品であることに徹することで守ってきた薄氷の守りが、 あの歌声によって完全に粉砕されてしまったようだ。

 

 北方第6前線基地に配備された数多の機動小隊、その中の一つに過ぎないシービースト小隊。装甲列車が地を震わせ、戦艦の主砲が荒野を焼き、不毛な消耗戦の末にようやく掴みかけようとしていた勝機。

 

 それらすべてを、ただ一曲の歌がガラクタへと変え、背を向けて逃げ延びてきた末端部隊は、今や文字通り機能不全に陥っていた。

 

 リルの乗るトリオンのハッチが開き、彼女がコックピットから軽快に足場へと飛び降りるのが見えた。うなだれている俺たちの間を、機体の定期チェックでもするかのような淡々とした足取りですり抜けてくる。

 

 彼女は俺の目の前でぴたりと足を止めると、リルはいつもと全く変わらないトーンで、静かにその口を開いた。

 

「皆さんから、精神状態に異常な波形を検出。第6ゲートを通過した時点で、聖歌による干渉は消失しています。速やかに復帰してください」

 

「リル。お前には、あの音が聞こえてなかったのかよ」

 

 自分の口から出たのは、ひどく掠れた、他人のもののような声だった。リルは無表情にこちらを見上げてくる。

 

「音響データとして受信し、記録しています。ですが、私のシステムには、皆さんが示しているような精神的苦痛を誘発する論理回路が存在しません。私にとって、あれはただの不規則な周波数の連続に過ぎませんから」

 

 リルの口調に合わせて、俺の視界にデータ受信の暗号化アラートが点滅する。普段なら撥ね付けるところだが、今はそれを拒否する気力すら湧かない。警告を無視してフリーパスで受け入れた俺の網膜へ、緑色のノイズじみた波形データが半透明でオーバーレイされた。

 

「准尉。事後報告書を作成する必要があります。あの歌が聞こえた瞬間、皆さんは何を見たのですか? 聴覚から侵入した情報が、脳内のどのセクターにどのようなエラーを引き起こしたのでしょうか。それを特定しない限り、次回の接敵時、皆さんは再び戦意を喪失します」

 

 “次回”と聞いて思わず肩が震える。

 

 リルの問いは、軍人としては正論だ。だが、今のリュオンやクローディアにとって、それは傷口に塩を塗り込むような仕打ちでしかなかった。

 

「答えろってのか。あの、地獄みたいな光景を、わざわざ言葉にして記録に残せって言うのかよ!」

 

 リュオンの悲痛な叫びがドックの天井に虚しく反響し、消えていく。

 

(地獄、か)

 

 俺は空っぽの右手を、もう一度強く握り込む。エドムント少将の言う、現場で判断できる兵士。

 

 笑わせてくれる。俺たちが突きつけられたのは、判断の余地などない、ただの絶望だったのだから。

 

「地獄、という語彙は抽象的過ぎて解析の役には立ちません。ですが、司令部より興味深いデータが届いています」

 

 リルは苛立つ俺たちの空気など気にする様子もなく、通信経由で俺たちの視界へダイレクトに新たな視覚データを転送してきた。

 

 そこに映し出されたのは、戦場の北端で悠然とこちらを見下ろしていた、あの巨大な狼型の神使――連中は神官や巫女が騎乗する皇獣のことを神使と呼んでいる――すなわちフェンリルの姿。そして、その傍らで宙を舞っていた、鳥型の神使と両目を布で被った少女の姿だ。

 

「あの巨狼型の個体に騎乗していた男は、大神官ジン。そして、歌の主である盲目の少女は、大巫女(おおみこ)レンと呼称することが決定しました」

 

「名前なんてどうでもいい。あいつが、何をしたのかを言え」

 

 先を促すと、リルの報告に合わせて、網膜投影が描き出す視界の静止画が切り替わった。少女の周囲を旋回していた十体ほどの小型皇獣、そのうちの一体が視界いっぱいにクローズアップされる。

 

「撤退時の通信ログを解析した結果、歌声が装甲を透過して機内に直接響いた原因は、この小型個体——皇獣セイレーンによる広域拡音能力と推測されます。一、二体仕留めたところで歌は止まりません。現在はハルビュイアと呼称される神使と共に後方に退き、休息に入っているようです」

 

「休息だって? 俺たちをこれだけかき回しておいて、向こうは昼寝中だってのかよ!」

 

 苛立ちを隠せない声をリュオンが漏らす。しかしリルの次の言葉が、さらにドックの空気を冷やした。

 

「肯定します。周辺の皇獣群に侵攻の兆候はなく、散開したまま待機中。司令部の予測によれば、大神官ジンはあえて我々の再出撃を待っている。つまり、大巫女レンの“性能テスト”を続行する構えです」

 

「テ、スト……? 私たちを、あんな、わけのわからないものの、実験台に……っ!」

 

 クローディアが初めて顔を上げた。いつもの堅い軍人口調は影を潜め、ただ視線を彷徨わせている。

 

 その瞳には、侮辱されたという怒りや、自分たちが実験動物のように扱われていることへの戦慄は無い。代わりに、あの抗いがたい精神攻撃への恐怖が、ありありと浮かんでいた。

 

「我々は、あの大神官の手のひらの上で踊らされているに過ぎない、ということです。准尉、これ以上の情緒的な混乱は時間の無駄です。次の“開演”までに、歌への対抗策を構築しなければ、我々は次こそ全滅します」

 

 リルは視線を俺に固定する。その双眸が、こちらの生存確率や戦術的価値をただ粛々と計算しているかのように思えた。

 

 壊れかけた他の二人ではなく、この場を辛うじて繋ぎ止めている俺を、機能回復の起点として選別したのだろう。言葉を交わさずとも、彼女が俺の兵士としての機能を頼りにしているのが伝わった。

 

 情けない。人ですらない彼女がこれだけ前向きなのだ、いつまでも人間様が腐っているわけにもいくまい。

 

(性能テスト。あの歌で、俺たちの頭を弄くり回すのが、ただの実験だってのか)

 

 ふつふつと、腹の底から黒い熱がせり上がってくるのを感じる。それは恐怖でも、絶望でもなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。