耳を疑うような館内放送に、胸が悪くなる。
脳裏に人懐っこい笑顔の女の顔がよぎる。首筋に走る不快な寒気を、人工骨格の駆動がわずかに遅れたのだと、俺は自分に言い聞かせた。過去は過去。今できることをするまでだ。
「中尉、今の放送は何だ。聞き間違いか?」
「聞き間違いではない。命令が下った、十五分後に外郭第4エリアは焼き払われる」
再び歩を進め、俺は背後のクローディアへ声を投げた。廊下に響く俺の足音は、苛立ちのせいかいつもより硬く、鋭い。
一方、彼女の声はひどく平坦だった。感情を押し殺し、ただ事実の羅列の読み上げに徹しようとしているかのようだ。彼女の顔が、急に無機質な仮面のように見えてきた。
「デザートマウス小隊がまだ焼却エリアに残されている通信を傍受した。お前の部下ではないが、俺たちの同僚だ。何故だ」
「返り討ちに遭ったんだ」
俺は足を止めず、ドックへ繋がる通路を歩き続けた。クローディアもまた、感情の読めない規則的な足取りで俺の横を並走する。頭上の防爆灯が、一定の間隔で廊下を赤く染める。通り過ぎる光の筋が、彼女の横顔を白く浮かび上がらせては、再び深い影へと沈めた。
「先刻、お前が追い返した“羊飼い”。あの黒い怪物が逃走する際、デザートマウス小隊が追撃を担当した。結果は惨敗、全機大破。まあ、それはよくある事だ。そして、最悪なのはその後。奴の襲撃はただの陽動だったらしい……お前は本当に運が良かったんだ」
彼女の視線が俺の横顔を捉える。俺は前を見据えたまま、耳だけを彼女の言葉に向けた。
「奴が防衛線をズタズタにした隙を突き、
早足になる俺。対照的に、彼女は足を止める。ここから先は、自分たち末端の兵士の領域ではない。そう、言外に言われているような気がした。
「だから、焼くんだ。彼らごと、ゲート前の群れすべてを、な。これは司令部からの命令だ、この基地が生き残るための生存戦略なんだ」
「生存戦略、か。ずいぶん高尚な名前をつけたものだ」
一度だけ振り返り、鼻で笑う。しかし俺は、歩みを止めることはなかった。
「准尉、どこへ行く。命令は待機だ」
「道を作りに行く。お前の言う生存戦略の中に、あいつらの席がなかったみたいだからな」
「待て、お前一人が行ったところで何が変わる? 焼却を五分遅らせれば、みんなが死ぬんだぞ!」
「五分もいらない。知っているか? 道ってのは、誰かが先に歩くから道になるんだよ。中尉殿、お前が守りたいのは“みんな”か? それとも、お偉方が下す“命令”の方か?」
彼女の返答を待たずに立ち去る。俺の歩みは、迷うことなく第13独立整備ドックへと向いていた。背後ではクローディアがまだ何かを喚いているが、その声は俺の思考に触れることもなく、彼方へと霧散していった。
『……デザートマウス……誰か……』
通信モジュールが、再びあの悲痛な声を拾い上げた。軍は焼夷弾によってすべてを焼き払おうとしている。その判断はきっと、正しいのだろう。クローディアの言うように、少しの判断の遅れが、基地を壊滅に追い込むなんてことも、決して珍しくはない。
だが、俺の耳の奥にこびりついた苦悶の残響は、そう簡単に消えてはくれなかった。
ドックの隅には、中古の
俺に支給された機体に装備されているのは、標準装備のロングソードの代わりに、お気に入りのカットラスとタワーシールドである。盾の内側にはサブマシンガンがマウントされており、状況に応じて剣と持ち替え可能。両腿のハードポイントには三連装のマイクロミサイルポッドが一基ずつ。外面は十分な仕上がりである。
整備兵たちの姿はない。皆、安全な防爆シェルターの中で、外の地獄が収まるのを待っているはずだ。こんな時にドック内をうろついているのは、余程の馬鹿か、あるいは死にたがりくらいだろう。無論、俺は前者だ。
電子化された視界の隅で、焼却開始までのタイマーが非情にカウントを刻む。残り、十五分。
今すぐゲートを抜ければ、デザートマウス小隊が立ち往生している座標まで、最短距離かつ最速で突っ切れるだろう。爆撃開始までにはゲート内へ戻って来れるはずだ――何のトラブルも無ければの話だが。
胸の奥が、焼けるように熱い。無論、これは
「……まともじゃないな、俺も」
自嘲気味に呟く。この心を焦がすような狂気に身を委ねている間だけは、“あの日”の無力な自分を忘れられる気がした。
ハッチをスライドさせ、コクピットへと身を滑り込ませる。身体に馴染んだシートに深く腰を下ろすと、まるで待っていたかのように、人工骨格内のチップと機体側のバイオメトリクス・センサーが近距離無線で速やかに同期を開始した。
『個体識別:283-Hs-289。イル・カーン准尉。システム・セーフティ、オール解除。ようこそ、ライダー』
認証完了の通知音が脳内へ流れ込む。暗闇だったコクピットに火が入り、三面モニターが外部カメラに接続された。
「さて。お前の前任者が、いい具合にチューニングしてくれていたことを祈るぞ」
レバーを引くと、機体の深部から指先の感覚へと、わずかなズレが伝わってきた。おそらくは、以前この機体に乗っていた誰かが残した癖。駆動時の妙な粘り。それを、整備班が俺の要求通りに換装した高反応の制御系で、強引に塗りつぶそうとしている。新品のパーツと、前任者の残骸が混ざり合った継ぎ接ぎの鋼鉄。だが、その不協和音こそが中古の量産機の味だ。
左手は操縦桿を握り込み、足元のフットペダルに踵を置く。右の指先はコンソールのトグルスイッチ群の上で、ダンスを開始した。リズミカルに弾けるようなスイッチ音が狭い密室を支配する。慣れた手つきで、一つ、また一つと眠っていたシステムを叩き起こしていく。
ジェネレーター、点火。
姿勢制御、アクティブ。
外部センサー、同期。
火器管制、接続完了。
出力安定、誤差修正。
「システム・オールグリーン……嘘をつけ、ボロ雑巾が」
コンソールに並ぶ緑の灯りが、やけに白々しく見える。
俺は一度だけ、自分の左腕を眺めた。裂けた偽装皮膚の下で、チタン合金のフレームが油圧の脈動を待っている。俺も、この鉄の塊も、誰かにとっての消耗品であることに変わりはない。
脚部アクチュエータが低吟を開始した。床を叩く不快な衝撃。固定クランプを強制排除する金属音。俺は再び、地獄へ戻るためのレバーを引き絞る。機体深部で鋼の心臓が咆哮し、足元から突き上げるような振動が、俺の人工骨格へと伝わってきた。
「“ドルフィン”、出るぞ」
機体の鈍重さを、俺の反応速度で無理やりねじ伏せる。排熱のスチームをハンガー内に撒き散らし、ライトブルーの巨人が、地獄へ向かって跳躍した。
さて、十五分で間に合うか、それともスナネズミ共々丸焼きになるか。賭けをしようじゃないか。