「上等だ。あのお偉方どもの期待通り、もう一度そのツラを拝みに行ってやるよ。ただの実験台で終わるつもりは毛頭ないんでね」
低く、自分でも驚くほど活力を取り戻した声が口から突いて出た。しかし、言ってみてからすぐに、厳然たる現実が思考を縛り付ける。
あの歌声は
あの理不尽な精神汚染を無効化する術がない限り、再び戦場に出たところで、俺たちはまたコクピットの中で無様にのたうち回り、今度こそ文字通り全滅する。行くと言ったものの、具体策など何一つないのが現実だった。
再び重苦しい沈黙が場を支配する。うなだれたままのクローディアも、拳を握りしめたリュオンも、誰も次の言葉を発することができない。
ただ、
「対策はあります」
その一言に、俺は思わずリルへと視線を向けた。クローディアの肩が小さく強張り、リュオンの拳が軋むように固く握り込まれる。
「敵の神官、
リルはそこで一度言葉を区切り、俺たちを順に見据えた。
「具体的に脳のどこが、どう書き換えられたのか。あの歌を聞いた時、各々にどのような症状が出たのか、詳細な情報が必要です。戦闘データの解析だけでは、ライダーの主観汚染までは追いきれません。いえ、“原因が特定ができれば、影響を無力化ないしは緩和できるかもしれません”」
それは、ぐうの音も出ない正論だった。
効率的に敵の兵器を分析し、対抗策を練るための、あまりにも正しい手順。だが、その正論が意味することを理解し、俺の背筋に嫌な汗が伝っていく。
あの時、コックピットの中で見た、忘れたくても忘れられない光景。心の底に無理やり沈め、蓋をしていた悍ましい澱。それを今ここで正確に思い出し、他人の前で言葉にしろと、このアンドロイドは要求しているのだ。
「ふざけるな、お前……っ!」
案の定、最初に爆発したのはリュオンだった。勢いよくリルの前に踏み込んだ彼の顔は、血の気が引いて白くなっている。
「俺に、あのくだらない幻を、いちいち他人の前で喋れというのか!そんな無意味な真似ができるか!」
怒声とともに、リュオンの手がリルの肩を掴もうと突き出された。俺が止めに入ろうと身体を動かしかけるよりも早く、リルのフラットな声が、突き出されたリュオンの手を空中で凍りつかせる。
「無意味ではありません」
俺が割り込む暇さえ与えず、彼女は瞬時に演算結果を出力する。
「情報がなければ、敵兵器の特定も対抗策の構築も不可能です。それは次戦における部隊の生存確率を著しく低下させ、任務達成の障害となります。生存確率の最大化こそが私の最優先任務であり、そのための情報収集は、現時点で最も有意義な行動です」
リルの言葉が彼の動きを縛り付けた。決定打となったのは、“次戦”という一言であろう。
兵士ならば、再びあの地獄へ戻らなければならないという現実。敵は依然として北の荒野に居座っている以上、俺たちはまたあの聖歌にさらされることになるのである。
掴みかかろうと伸ばされた彼の手は、リルに届くことはなかった。恐怖に囚われたかのように、力なく下ろされる。
リュオンはそのまま黙り込んでしまった。クローディアもまた、顔を伏せたまま動こうとはしない。
(啖呵を切った傍から、これか)
思い出すだけで吐き気がするあの地獄を、誰だって自ら進んで掘り返したいはずがない。胸の奥からせり上がる拒絶感を強引に抑え込むように、俺は一度、固く目を閉じた。
このまま全員が恐怖に蹲っていれば、次の戦場で待っているのは部隊の全滅だ。わずかでも生き残る可能性を掴めるのなら、まずは俺がやるしかない。
「俺の見たものから話そう。それで対策が立てられるなら、安いもんだ」
強張った喉の奥から、ようやく絞り出した声だった。
「俺が見たのは、五年前の戦場だ。
リルの電子瞳を真っ直ぐに見据え、あの聖歌が見せた幻の恐怖に、再び脳が飲み込まれてしまわないよう、俺は努めて淡々と最初の事実を口にした。一呼吸置いて、言葉を続ける。
「だが、そもそも俺はその場にいなかった。後日、死亡通知書とドッグタグが届けられて、初めて彼女の死を知ったんだ。あの歌声は、俺の胸の奥にある悔恨を抉り出し、見届けることのできなかった最期の瞬間を、ありもしない地獄の悪夢として脳裏に強制上書きしてくるらしい」
一度言葉を切り、胸の奥にこびりつく硝煙の幻聴を追い払うように、重く沈む息を吐き出す。
気まずい空気の中で、俺の声だけが奇妙な生々しさを持って響いていた。クローディアもリュオンも、俺が語った傲慢と臆病の矛盾に、何か自分自身の生傷を突きつけられたかのようにいっそう深く顔を伏せている。
一度、言葉を詰まらせる。胸の奥が、焼けるように熱かった。その胸を突くような沈黙の重さに耐えるように、俺は再び口を開いた。
「悪夢の中の俺は、いまのこの重い盾を引きずったまま、五年前のあの戦場へ向かって必死に車輪を回している。だが、現実の俺がここでどれだけ足掻いて、お前ら目の前の奴らに間に合わせようが――あの日、あの時の後悔にだけは、未来永劫、絶対に追いつけない。変えられない過去の無力感を正面から突きつけられて、心の底から自分自身に絶望させられるんだ」
話し終えてはみたものの、心の深部には言いようのないわだかまりが残ったままである。だが、溜め込んでいたものをさらけ出してしまえば、いくらか呼吸が楽になった気がした。
「認識しました。対象の強い悔恨に基づく、非現実の記憶の強制描画。および、それによる運動機能の阻害判定。分析の貴重なサンプルデータとして記録します」
言葉が途切れ、ドックに静寂が戻る。
その沈黙の中で、リュオンはただ深く顔を伏せたまま、握りしめた拳を微かに震わせていた。さっきまでリルに掴みかかろうとしていた時の勢いはどこにもない。
やがて、何かを決心したかのように、顔を上げるリュオン。だが、その表情にいつもの不遜さはなく、自らの行いを恥じるような、苦い色が混じっている。彼はそのまま俺を見据え、あえて軽薄そうに言葉を紡ぎ出した。
「はっ、僕はてっきり、鼻持ちならない正義漢気取りかとばかり思ってたぜ。あんたが無茶な命令無視を繰り返してまで、あちこちで他人の救助に首を突っ込んでたのは、それが理由だったんだな。けど、違った。あんたはただ、自分が許せなかっただけなのか。死んだ妹への免罪符を手に入れるために、死に物狂いで“助ける”という過去にしがみついて……」
リュオンはこちらから視線を外すと、肩をすくめてみせた。
「それに比べて、僕は大した理由でもない自分の問題に怯えて、必死に見栄を張ってさ。あんたがそれだけのものを背負って、なお進んでその傷口を晒しているっていうのに。まったく、情けないったらありゃあしない。いいよ、次は僕が話す。あの歌声が僕に見せてきたのは、何をやってもハミルトンの名が付いて回る“呪い”だったのさ」
姿勢は変えないまま、彼の声から軽薄さが消えた。彼がそんな、取り繕うことも忘れたかのような声を出すのは珍しい。いや、初めて聞いたかもしれない。
「僕の父は、家柄とお金の力だけで中将の椅子を買った、軍の寄生虫さ。そんな男と同じ血が流れている自分が、反吐が出るほど恥ずかしかった。だから親の七光りなんてクソ食らえだ、自分の力だけでのし上がってやる、そう決めて今まで無茶をしてきたんだけどね」
その無茶に年単位で付き合わされてきたリルが、静かに一歩、リュオンの方へと歩み寄った。軍用に調整される前、一般家庭で人の生活を支えていたという彼女の、動揺した人間に寄り添おうとする古いシステムが働いたのかもしれない。
責める色など一切ないその所作が、かえってリュオンの中の負い目を突いたのだろう。彼は気まずそうに一度視線を外したが、小さく咳払いを挟むと、再びまっすぐに正面を見据えた。自らの負い目の正体を、今度こそすべて明かすと決めたような目だった。
「だけど、どんなに死に物狂いで戦果を挙げようが、周囲は『さすが中将の御曹司だ』としか言わない。僕の努力なんて最初から存在しないみたいに、不本意な階級だけが勝手に上がっていくんだ。……そして最後にはね、中将の椅子に座った未来の自分が僕を見下ろして笑うのさ。『お前はこの運命からは逃れられない』ってね」