Bloody Bless   作:館長さん

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第6話:偶像 -IDOL-③

 胸の奥のおぞましい幻をすべて吐き出し、リュオンは深く息を吐いて肩の力を抜いた。ドックに重苦しい静寂が戻る。

 

 その静寂を破ったのは、やはりリルの合成音声だった。

 

「認識しました。対象の環境的要因による自己評価の乖離、および、未来の不確定要素に対する恐怖判定。ですがリュオン少尉。私の記録領域において、あなたの戦闘練度に家柄による補正値は存在しません。すべての撃破数と戦果は、あなた個人の駆動ログとして蓄積されています。なぜ、存在しない幻影を恐れるのですか?」

 

 身も蓋もないリルの言葉に、リュオンの動きがぴたりと止まった。己の器の小ささを恥じ、半ば投げやりに語っていた彼の思考が、不意に呆然とした空白へと置き換わる。

 

 周囲の人間が誰一人として見てくれなかった、親の七光りという幻影を排した彼自身の血と汗の滲む足掻き。それを、この目の前のアンドロイドだけが、年単位のログとして誰よりも正しく記憶し、証明していたのだ。

 

 呆れたように、しかしどこか救われた心地で力なく笑うリュオン。張り詰めていた緊張が一気に解け、彼はその場へ膝をついた。

 

 精神攻撃による疲労と、自身の歩みを肯定された安堵が一気に押し寄せたのだろう。彼は床に座り込み、大きく肩を揺らして息を吐き出す。

 

 そんなやり取りを、すぐ傍らでずっと見つめていた人物がいた。ヴァレンタイン・クローディア中尉だ。彼女は聖歌の残響に怯え、いまだ顔を伏せて立ち尽くしている。

 

 だが、その強張った佇まいは、いつもの人形のような在り方とも明らかに異なっていた。固く結ばれた唇は小刻みに震え、制服の裾を白くなるほど強く握りしめている。

 

 数多くの兵員や物資がせわしなく行き交う、この広大なドックにおいて、クローディアは俺たちの生々しい本音を前に、完全に一人取り残されていた。

 

「おい、僕は話したぞ。包み隠さず、全部だ。次は姐さんの番だろ。さあ、何を見たのか話しなよ」

 

 床に座り込んだまま、リュオンは上を仰ぎ見た。その声には先ほどまでの悲壮な響きはなく、いつもの生意気な調子がいくらか戻っている。

 

 ぶっきらぼうに言ってはいるが、それがリュオンなりの気遣いなのだろう。リルが聖歌への対策を講じるためには、クローディアの情報も不可欠なのである。

 

 クローディアは小さく息を吸い込んだ。固く結ばれていた唇が頼りなく震え、取り繕う余裕のない素の声音が、ぽつりとドックの空間に落ちる。

 

「あの聖歌は、死んだ私の部下たちの声を再現した。頭の中で、あいつらが私を呪い続けるんだ」

 

「あいつら?」

 

 俺の問いかけに、クローディアは小さく頷いた。

 

「なぜ撤退させてくれなかった、なぜ戦えと命じた、なぜお前だけがまだ生きていると、耳元でずっと責め立ててくるんだ。ああ……また彼らの声が……!」

 

 目に見えて彼女の呼吸が浅くなっていく。再び過去の恐慌に呑まれかける彼女へ、リルがそっと声をかけた。

 

「クローディア中尉、バイタルサインの著しい乱れを検知しました。深呼吸を行ってください。息を吸って、ゆっくりと吐き出してください。当該エリアに聖歌の周波数は確認されていません。聞こえている音声はすべて脳内の残像です。現在、周囲に危険はありません。安全は確保されています」

 

 その呼びかけが、クローディアを現実に繋ぎ止める。彼女は何度か大きく肩を上下させ、やがて視線を落としたまま、静かに息を吐き出した。

 

「......すまない。取り乱した」

 

 クローディアは自身の肩をきつく抱き、震えをこらえるように視線を落とした。ドックに落ちた短い沈黙へ、リルが静かに言葉を重ねる。

 

「クローディア中尉。聖歌への防壁を構築するため、引き続き詳細な情報開示を要求します。続けてください」

 

 了解したと答えるクローディアの声は、まだ震えている。しかし、先ほどとは違って幻に怯えながらも、彼女はぽつりぽつりと過去の事実を語り始めた。求められた役割をただ機械的に遂行するような、事実の箇条書きが並ぶ。

 

 三年前、彼女が率いていた先代のシービースト小隊のこと。敵対するヘアツゥ軍の攻撃が、CCC(戦術管制室)の想定を超えて激しかったこと。そして、ヘアツゥ軍の猛攻によって損害が増え、全滅を避けるためにCCC(戦術管制室)へ撤退の許可を求めたことが、語られていく。

 

「だが、CCC(戦術管制室)の返答は不許可だった。首都から来る高官の輸送機が第6基地に到着するまで、前線を維持するための時間稼ぎ。それが、私たちに与えられた役割だった」

 

 他部隊は壊滅し、自小隊も満身創痍。それでも上層部の命令は絶対だった。

 

「私は部下たちに、撤退を指示することができなかった」

 

 その告白に対し、リュオンは何も言わなかった。ただ、床に突いた拳が、きしむ音を立てて固く握りしめられる。

 

 だが、その横顔に浮かんでいたのは、軍の理不尽に対する純粋な憤りなどではなかった。家柄という後ろ盾を嫌悪し、どんな手段を使ってでも自らの力で中央の上層部へ這い上がろうとする野心家――そんな彼だからこそ、高官を救うために前線の――小隊を盤上の捨て駒にする上層部の冷酷なソロバン勘定が、理解できないわけではないのだろう。

 

 それだけに、今の自分たちがまさに使い潰される側の底辺に置かれているという事実に、激しい苛立ちと屈辱を噛み締めているようだった。

 

 クローディアはさらに言葉を絞り出した。自分の肩をきつく抱きしめる手に、さらに力がこもる。

 

「その結果、旧シービースト小隊は壊滅した。あいつらは全員あの戦場で死に、生き残ったのは私だけだ。上層部の不条理な命令をそのまま流し込み、部下たちを死地に追いやったのは私自身の指示だった。その罪悪感が、私のすべてを縛りつけた。自分の頭で考え、判断し、下した命令が、また誰かを死なせるかもしれない。そう思った瞬間、私は怖くてたまらなくなった。以後は自分の意志で判断することも、命令を下すこともできなくなったんだ」

 

一拍を置き、彼女は自嘲するように目を伏せた。

 

「だから、私は考えるのをやめたんだ。上からの命令を、忠実に完遂するだけの機械になろうと決めた。命令にただ従っているだけなら、その結果どんな凄惨なことが起きようと、私に責任は発生しない。あんなことは、もう二度と御免だ」

 

 身勝手極まるその言葉に、俺の奥歯が怒りで音を立てた。脳裏に蘇るのは、あの街での暴挙だ。

 

 医療施設に立てこもった神官を排除するため、躊躇なくレールガンを構えた彼女の、フェイスウィンドウに映る一切の迷いもない表情。迅速な敵の排除が命令だからと、民間人もろともすべてを吹き飛ばそうとしたあの狂気。それを俺が身を挺して阻止したというのに、自らの思考放棄を棚に上げて俺を責めたあの頑なな態度。

 

 そのすべての歪みの正体が、これだというのか。

 

 失った部下の命という重責に耐えかねて心を壊した、その過去には同情の余地があるのかもしれない。だが、だからといって、自分で考え、判断し、その責任を背負うことから逃げていい理由になってたまるものか。

 

 それはただ命令に盲従し、その先で起きる結果から目を背けたに過ぎない。どんな地獄を背負っていようが、そんな保身のための思考放棄を、俺は絶対に認めない。

 

 クローディアを正面から見据え、俺は押し殺した声を投げつけた。

 

「それがお前のやり方だっていうのか、中尉。命令に従っていれば自分に責任は発生しないから、だから何をやってもいいと?」

 

 クローディアがびくりと肩を揺らし、怯えたように視線を彷徨わせた。ただ過去の亡霊に怯える、無力な一人の機化人がそこにいるだけだった。

 

「私は……命令に服従することこそが、軍人としての――」

 

「何が軍人だ、ふざけるな」

 

言い訳を紡ごうとする彼女の言葉を、俺は容赦なく叩き切った。

 

「あんたがやってるのは任務じゃない。自分が傷つきたくないだけの、ただの保身だ。自分で決める覚悟も、その結果を背負う度胸もないなら、軍人なんて看板は今すぐ降ろせ。あんたは指揮官どころか――」

 

「そこまでにしとけ、イル・カーン准尉」

 

 低く鋭い声が、俺の言葉を容赦なく遮った。

 

 いつもの軽薄さを完全に削ぎ落とした、有無を言わせぬ響き。床にへたり込んでいたリュオンが、いつの間にか立ち上がり、俺とクローディアの間に割り込むようにして立っている。

 

「……リュオン」

 

「何様のつもりだい、“少尉殿”だろ? 姐さんを吊るし上げて満足か? だがな、今はそんな過去の答え合わせをしてる場合じゃねえだろ。大巫女のあのクソ忌々しい歌をどうにかしねえと、俺たちは次の出撃でまとめて狂い死ぬ。目的を忘れるな」

 

 彼の言葉が、鋭利な刃となって俺の胸に突き刺さった。

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