Bloody Bless   作:館長さん

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第6話:偶像 -IDOL-⑦

 俺の言葉と同時に、シービースト小隊各機が一斉に駆け出した。最も機動力に劣るクローディア機を中心に陣形を組む。

 

 無秩序に殺到していた皇獣(おうじゅう)の群れは、いまの一撃によって総崩れとなっていた。神官たちが混乱から立て直し、次の命令を下すよりも速く、俺たちは荒野の北端に向けて最短距離で駆け上がる。

 

 先頭を行く俺の視界には、蒸発した前衛の先に残る、無秩序な皇獣(おうじゅう)たちの姿。そのはるか先で、大神官ジンは相変わらず不気味な笑みを浮かべていた。俺たちの強襲をまるで歓迎するように両腕を広げ、その芝居がかった仕草でこちらを見下ろしている。

 

 突き進む。大小様々な皇獣(おうじゅう)が蠢くその隙間を、一歩も立ち止まることなく縫っていく。

 

 立ち止まれば、死。不意の衝突や、小型皇獣(おうじゅう)への躓きすら許されない、死と隣り合わせの猛ダッシュだ。

 

「いいか、俺が先頭で囮になって奴の注意を引く。その隙に、各自の最大火力を叩き込め!」

 

 指示と同時、俺は操縦桿から伝わる反動を殺しつつ、トリオンをH.M.W.D.(Heavy-duty Mobil Wheel Drive)――高機動モードへと切り替える。

 

 足首に固定されていた大型の接地用補助輪が大地を捉え、駆動系が金属音を伴う高周波を上げた。強烈な加速Gがコクピットを揺らす。

 

 視界が流れる。正面から迫りくるのは、中型皇獣(おうじゅう)の群れだ。俺はカットラスを抜き放ち、駆動系の出力に身を任せて機体をスライドさせた。刃が皇獣(おうじゅう)の硬質な甲殻を滑り、火花と共にその懐をすり抜ける。

 

 リルが算出している最適ルートが、リアルタイムでモニターに表示されていく。俺は彼女の導きに従い、神使フェンリルを守るように立ちはだかる、五十体を超える皇獣(おうじゅう)ブラックドッグの群れへと突っ込んだ。

 

 こいつらを引き受けなければ、リュオンの突撃も、クローディアの射線も通らない。俺はカットラスとリアクティブタワーシールドを振るい、壁となるブラックドッグを強引に横へと薙ぎ払う。弾き、蹴散らし、死力を尽くして敵の群れを割る。

 

 俺が作った風穴の先で、リュオンが、クローディアが、獲物を狙っている。この一度きりの奇襲、絶対に外させはしない。

 

「行け、ハンマーヘッド! 道は開いた!」

 

 俺の叫びに呼応し、背後からギガントの重厚な加速音が迫る。視界を掠めてリュオン機が躍り出し、神使フェンリルの懐へと肉薄していく。完璧な連携だ。

 

 あとはそのストライクパイルが神使フェンリルを粉砕し、その圧倒的な破壊力を以てジンを吹き飛ばすだけ。そう確信した俺の目に、戦場とは不釣り合いなほどの優雅さを纏う影が映り込む。

 

 荒野の最北端、無数の皇獣(おうじゅう)がひしめく敵陣のど真ん中で、大神官ジンだけは悠然とこちらを見下ろしていた。彼は自軍の防衛線が強引に抉じ開けられたことなど意に介さず、静かに口を開く。

 

『どうやら、まだ活きの良い聴衆がいるようだね。実に素晴らしい。レン、彼らに聞かせてあげなさい。君の優しい歌をね』

 

 漆黒の毛並みをなびかせる神使フェンリルの背後から、神使ハルピュイアが静かに浮上する。その背には、純白の衣をまとった盲目の大巫女が控えていた。

 

 戦場の狂乱をよそに、慈愛に満ちた表情で口を開くレン。同時に、彼女の周囲で十二体の小型皇獣(おうじゅう)セイレーンが旋回を開始した。その輪の中で、彼女の歌声は一瞬のうちに純度を増し、戦場という名の地獄を光で塗りつぶすかのように拡散されていく。

 

 鼓膜を震わせることもなく、意識の深淵が直接掴み出されるような奇妙な感覚に襲われる。MA(マシーナリィアーマー)の強固な装甲も、コクピットの電子障壁も、何の意味もなさない。歌声はただ、そこにあるだけで思考回路を侵食していった。

 

 リュオン機が失速し、地面に激突するのが見えた――気がした。

 

「くそ、また、これかよ……!」

 

 あまりに清廉で、甘美な旋律。レンが祈りを捧げるたび、思考回路は抗いようのない熱に侵されていく。

 

 視界が急速に色を失い、網膜ディスプレイが歌声のピッチに合わせて激しく明滅した。閉ざしたはずの記憶の扉が、何の躊躇いもなく力ずくでこじ開けられる。

 

 硝煙の匂いと共に蘇る、あの悪夢。皇獣(おうじゅう)の群れに包囲され、装甲を引き千切られていくスローンの機体。

 

 ――また、届かない。

 

 視界はたちまち、俺がその目で見ていないはずの炎に包まれた戦場へと、塗りつぶされていく。どれほどスロットルを押し込み、トリオンの足を限界まで回転させようとも、踏みしめた大地は逆方向に滑るばかりだ。

 

「兄さん、助けて……熱いよ……暗いよ……どうして助けてくれなかったの……?」

 

 耳元で響くレンの歌声が、スローンの最期の悲鳴と、責める声と混ざり合い、最高潮に達する。

 

 視界の中央で、何度目かの爆発がスローンの機体を呑み込んだ。どれほど強固な盾を求めようとも、救いたいという傲慢と、失うことへの恐怖に縛られた俺には、遠ざかる背中を見送ることしかできないのか。

 

 現実のコクピットの中で、存在しない妹の手を求めて、俺もまた虚空に手を伸ばす。

 

 その手を、誰かに優しく掴まれた気がした。

 

『精神干渉を伴うバイタルの異常変調を確認。各機、耳を貸してください。今見ているものは、すべて偽造された虚像です。皆さんはそれを証明できる品を、自らの心の傷口を直視し、選んで持ってきたはずです』

 

 リルの通信が、思考の停滞に割り込む。俺は無意識のうちに左手を胸元のポケットへ走らせていた。

 

 妹、イル・スローンの死が事実であると証明する、硬質な金属の感触。死者は助けを求めない。ましてや、生者に恨み言など口にするはずがないのだ。

 

 この偶像(ドッグタグ)こそが、彼女が確かに死んだという、唯一にして絶対の証。冷たい感触を掌に刻み込み、力を込める。

 

 脳内に焼き付いていた幻影の炎が、霧のように散っていく。視界が正常な色彩を取り戻すと共に、曖昧だった全身の感覚が蘇ってきた。

 

 前方では大地に機体を打ち付けていたリュオン機が、再起動の兆候を見せている。モニターの端に映るクローディアは顔を歪め、コクピットの中で激しい呼吸を繰り返していた。彼らもまた、それぞれの事実を掴み、戦列へと這い戻ってきたのだ。

 

「ぐ……最悪の目覚めだな。頭のネジが何本か外れたような気分だ」

 

『おはようございます、“ドルフィン”。訂正してください。現在、機化人(サイボーグ)の義肢頭部ユニットに、ネジやボルトといった、旧時代的なパーツは一切使用されていません』

 

「言葉のあやだ、いちいち真に受けるな。けど、ありがとうな。自力で復帰はできそうになかった」

 

 目覚ましはちゃんと鳴ったか、と投げやりに問いかけると、二人はほぼ同時にしかめっ面を見せた。

 

『まあな。リルの声にこんなに感謝したのは初めてだよ……』

 

『うう、最低……』

 

『失礼ですね』

 

 三者三様の反応が返ってきたが、その不服そうな表情の奥には、再び戦場を駆け抜ける覚悟が浮かんでいる。俺は回線はそのままに、改めて眼前の群れへと目を向けた。

 

 倒したブラックドッグが再生を終え、再び動き出す。気づけば、ジンが従える五十体以上の群れによって、俺たちは完全に包囲されていた。奴らは無言のまま、獲物を品定めするようにこちらを凝視している。

 

『ほう。大巫女の旋律に抗い、現実へ戻ってくるとは。ああ、なんと健気な。その諦めを知らない際強い心に、この大神官ですら涙を禁じ得ない』

 

 ジンはこちらを見据えたまま、穏やかな声音で告げる。その言葉には微塵の淀みもなく、心からの慈悲が宿っているように聞こえた。

 

『過酷な記憶は、魂を削り取ってしまう。辛かったでしょう。苦しかったでしょう。しかし、それももう終わりだ。レン、もう十分だよ。本当に素晴らしい歌声であった。君の祈りは、きっと彼らの魂を救うであろう』

 

 慈愛に満ちた表情で大巫女を労うジン。彼はフェンリルの首筋に優しく手を添え、静かに、しかし朗々と神への祈りを謳い上げる。それは戦場の喧騒をかき消すほどに荘厳で、あまりにも場違いな、ただ平和を願う清らかな調べだった。

 

 目前で俺たちを包囲していた群れが、まるで糸の切れた人形のように静止し、一斉に背を向けた。

 

(見逃すだと? ここまでスワスチム軍を追い詰めておいて、大神官ジンは俺たちを放置して帰るというのか?)

 

 元より狂信者どもの考えなど理解できるとは思っていなかったが、さすがに意味不明に過ぎる。警戒と底知れない迫力に気圧され動けない俺とは裏腹に、リュオンは果敢にも背を向けようとするフェンリルをニードルガンで照準する。

 

 しかし、その引き金が引かれることは無かった。ジンを非難する声が、通信に割り込んできたからだ。

 

『ジン殿、話が違うではないか! なぜリルを連れていかない!』

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