リルは静かに首を振り、話を続ける。
「楽観はできませんね。アンドロイド部隊だけでは対処しきれない敵が現れたと報告が上がっています」
「敵も馬鹿じゃない。セオリー通りの動きしかできないアンドロイド部隊だけで、むしろよく五日も持ったもんだ。む、つまりまさか」
眉を寄せる俺に、リルは一つ頷いてみせた。
「はい。療養が明ければ、そのまま前線にとんぼ返りとなるでしょう」
息をつく間もないな、と肩を竦めてみせる。が、司令部の判断はいたって妥当なものと言えよう。
強大な敵の登場で壊滅にも等しいダメージを受けた北方第6前線基地において、実際に聖歌を破ってみせたシービースト小隊は、戦力的に重要な価値が生まれているはずだ。ベッドの上で遊ばせておく余裕などありはしない。
リルの同胞がやられていくのを黙って見過ごすのも癪だ。軍医が許可するなら、今すぐにでも前線に駆けつけてやりたいくらいである。
「さらにもう一つ、“羊飼い”が二日前から再び出現しています」
「あいつが?」
食べ終わった食器をリルの方に差し出す自分の表情が、少し強張ったような気がした。そんな俺の変化に気付かないふりをしつつ、彼女はてきぱきと食器を片付け始めた。
すぐにリルから
『前線のアンドロイド部隊には全く見向きもせず、基地への攻撃を繰り返そうとしています。基地からの砲撃でなんとか追い返していますが、決定打を与えるには至っていません。“もてもて”ですね、准尉』
(別に俺を狙ってきている、ってわけでもないんだろう?)
『それ、本気で言っていますか?』
(……冗談だよ)
先日の戦いで、奴は百を超える
心当たりと言えば、やはり二ヶ月前の初遭遇時のことだろうか。俺が奴の
確証は無いのだが、あの時の“羊飼い”の様子は、まるで新しいおもちゃを買い与えられた子供のようだと感じた。噂によれば、奴はこのあたりに出現するようになって約一年間、ずっと負け知らずだったらしい。
半ば生ける伝説と化した黒い怪物は、対等なとまではいかずとも、“壊れるほど思い切り抱きしめられる相手をようやく見つけた”といったところだろうか。
その予想が正しければ、リルの言う“もてもて”も、あながち的外れと言い切れるわけでもない。俺にとっては迷惑この上ない話ではあるのだが。
「“羊飼い”か……」
思わず声に出してしまった呟きに、数席離れた場所で食事をしていた兵士の肩がびくりと反応した。やはり、奴の名は基地中に恐怖として染み付いているらしい。
俺は静かに腰を上げ、その兵士の席へ歩み寄った。
袖口には包帯が覗き、左肩には新しい固定具が巻かれている。年齢は俺とそう変わらないだろう。だが、その目だけは何日も眠れていない人間のそれだった。
「悪いな、少し聞きたいことがある」
「……シービーストか」
兵士は顔を上げ、俺を見るなり露骨に眉をひそめた。仲間から向けられるこういう態度は、正直堪える。それでも俺は、聞かないわけにはいかない。
「“羊飼い”と戦ったことがあるな? 知ってることを教えてくれ」
男はゆっくりと顔を上げた。俺を見据える目には、隠そうともしない敵意が宿っている。やがて鼻で笑うように息を吐き、彼は乾いた声で吐き捨てた。
「もう勘弁してくれ。お前らに振り回されて一喜一憂するのは御免なんだ。他を当たれ」
予想通りの返答であった。いつの間にか、周囲の目は俺たちの方へと集まっている。“余計なことはせずに大人しくしていてくれ”と、誰もが言っているかのようだ。
だが俺は、それらの視線に気付かないふりをしつつ、手頃な椅子に腰を落ち着けた。
「そう言うなよ。なあ、アンタは“羊飼い”が本当にヘアツゥの兵器だと思うか?」
男は呆れたように俺を見返し、すぐに眉を吊り上げた。
「当たり前だろう! そんなこと、考えるまでもなく分かる!」
「どうしてそう言い切れる? 現に奴は俺たちを攻撃してくるじゃないか。アンタも襲われたクチだろう?」
あえて踏み込んでみる。男は口を開きかけ、しかしそのまま言葉を失ってしまった。
ヘアツゥ兵と共に現れ、ヘアツゥ兵と共にスワスチム軍と戦う。“羊飼い”は敵だ。それは間違いない。
だが一方で、ヘアツゥ司教国にあれほどの機体を造る技術はない。聖歌に苦しみ、戦場から逃げ出した姿を、俺自身が間近で見ている。
なにより、“共に戦っている”くせに、ヘアツゥ兵と“羊飼い”はまるで連携が取れていない。あれではまるで、
どちらも事実だった。だからこそ、誰にも答えが出せないのだ。
男は押し黙ったまま視線を逸らす。その様子を見ていた誰かが、小さく息を吐いた。
「いいや、そんなんじゃねえ。あいつは
「俺も片腕がもげるのを見たぞ。けど、すぐに生えてくるんだ。
「馬鹿を言うな……あいつには、攻撃が当たらないんだ……あれだけ撃ったのに、一発もだ。一発も当たらないんだ!」
「ああ、奴は幽霊だ。戦場で死んだ兵隊が成仏できずに歩いてるんだ。目を合わせた奴から連れて行かれる」
「俺、見たんだ……“羊飼い”に倒されたうちの隊長が、機体ごとあいつに貪り食われている所を……!」
まるで堰を切ったようだった。
一人が口を開いた途端、それまで黙っていた兵士たちまで、口々に自分の見たものを語り始める。そのどれもが、食い違っていた。
新型兵器だと言う者。
話に一貫性はない。どれもそのまま信じるには荒唐無稽すぎた。それでも、ここまで同じ怪物を恐れる声が集まる以上、何かしらの理由はあるのだろう。
今は、それだけ頭の片隅に置いておけば十分だ。これ以上は食堂で聞き込みを続けたとしても、同じような妄言が増えるだけだろう。
(騒がせて悪かったな、そろそろ病室に帰らせてもらうよ)
『はい、お気を付けて。軍医の先生には、ちゃんと戻ったことを報告してくださいね』
席を立ちながら、
俺が席を立っても、兵士たちの言い争いはまだ続いていた。誰ももう俺を見てはいない。互いの記憶と恐怖をぶつけ合うことに夢中なのだ。
結局、俺が求めていた答えは、結局一つも見つからなかった。それでも、無駄足だったとは思わない。
誰もが口を揃えて恐れている。そして、その恐怖には必ず理由がある。
ならば、次に話を聞く相手は決まっていた。同じ戦場を生き延びた連中だ。
前衛を担当するリュオンなら、あの異様な機動をどう見ていたのか。後方から戦場を俯瞰できるクローディアなら、何を感じたのか。
あいつらからなら、少なくとも噂話よりは身のある話しが聞けるだろう。
俺は食堂を後にし、静かな廊下へ足を踏み出した。向かう先は医務室。今度は、もっと冷静な頭で"羊飼い"を見ていた連中の話を聞くために、である。