人類が空を喪失して久しいこの時代、基地が放つ焼夷弾の砲撃は、神の雷にも等しい。上空を回遊する全長百メートルを超える神獣級と呼ばれる
地を這う赤黒い絶望の海が、静かに、だが確実に俺たちの足元を侵食していた。基地周辺を囲むのは、鉄分を多く含んだ赤い土の荒野だ。だが今、その赤褐色の大地が不自然に隆起し、脈動している。
カビの変異体、
全長十メートルを超える大型が三つ。ほかにも小型や中型が掃いて捨てるほど蠢いている。足場が悪すぎた。地面のあちこちが、まるで生きているかのように錯覚してしまいそうである。
こんなに基地の近くに迫るまで
トリオンを歩行モードに切り替え、足元を攫う生きた赤土と化している大地に注意を払いつつ進む。一見、乾いた地面に見える場所でも、
これは思った以上にまずい。脚部に装備したマイクロミサイルは、残り五発。撃ち切る前にこの地獄を脱出しなければ、みんなまとめて焼夷弾で丸焼きだ。焦りを覚えつつも、俺は冷静さを装ってマイクに呼びかけた。
「こちら“ドルフィン”! デザートマウス小隊、応答を! 無事な奴は手を上げろ!」
『嘘だろ、救援か!? こちら“ジャービル”! 本機は大破、とはいえまだ大丈夫だ! 本当に助かる! 助かるんだが、あんた正気か? もうすぐここは、焼却が始まるんだぞ。たった一機でこんな死地に突っ込んでくるなんて……』
無線の向こうから届いたのは、地獄の底で蜘蛛の糸を掴んだような、しかしどこか戸惑いを孕んだ震える声だったが、無理もない。こんな状況で出てくる奴がいるなんて、誰が予想しただろうか。
どれほど言葉を尽くしても足りない感謝と、それ以上に、常識の枠をあっさり飛び越えた俺への純然たる戸惑い。彼の口から漏れたのは、本音という名の失言であった。
『すまない、恩人に向ける言葉じゃなかった。とにかく救助を頼む! 逃げ遅れた一機は完全に沈んだ、もう助からない……それより“アグチ”と“デグー”は、このヘドロ共に脚を固められて動けないんだ! 座標を送る、そっちの救助を先に頼む!』
分かった、とだけ答えて歯噛みする。
まただ。また、俺の手から命が零れ落ちた。込み上げる焦燥は、冷却系では処理しきれない熱となって、俺の全身を蝕んでいく。
道徳や正義なんて、そんな高潔な理由で動いているわけじゃない。ただ、あの絶え間ない渇きが、俺を突き動かしているだけだ。
たとえそれが、軍規を汚し、自らを滅ぼす劇薬だと分かっていても、この狂気に身を浸している間だけは、俺は“イル・カーン”というバグを肯定できるのである。
(次は、絶対に落とさない)
確かめるように反芻し、俺は操縦桿を強く握り直した。今の俺に残された道は、地獄へ突き進み、この手で生き残りを拾い集めること以外にない。
「“ドルフィン”、了解。
俺は短く応え、足元を攫う赤土の広野へと機体を踏み込ませた。
無線の向こうから、余裕を失った声が届く。隊長機はまだスライムに飲まれてはいないが、“羊飼い”に脚をやられたのか、しゃがみこんだ姿勢のまま身動きが取れそうにない。脱出装置も作動しないらしく、後で外から手動で開けてやる必要がありそうだ。
『汚ねえ泥だぜ! まとめてぶち抜いてやるよ!』
狂犬が吼える。リュオンのギガントが大型バーニアを吹かし、蠢く奔流へと突っ込んだ。ストライクパイルが唸りを上げ、地表を穿つ。凄まじい衝撃波でスライムの体が弾け飛ぶが、粘性を持つ液状の体は即座に繋がり、何事もなかったかのように動き出す。
彼の攻撃はスライムの進行を遅れさせてはいるものの、致命傷を与えるには至っていないようだ。土を飲み込んで濁ったスライムの体内は、
こんな時に、解析に特化した支援機が居てくれたらと思うが、無いものねだりしても始まらない。気持ちを切り替えよう。
彼ならしばらく遊ばせておいても問題ないと判断し、俺は救助活動に専念することにした。
「“アグチ”、“デグー”、生きてるか!」
指定座標に駆けつけると、モニター越しに見える灰色に塗装されたトリオンは、スライムの粘液に捕らわれ、もがくほどに沈み込んでいた。
脚部の装甲板は腐食で原形を留めておらず、防護を喪失したフレームが、粘液の拘束負荷に歪みを見せている。ギガントほどのパワーが無いため、一度絡めとられると脱出できなくなるのだろう。あれではいつへし折れてしまってもおかしくはない。
スライムの菌糸は、獲物の熱を感知して装甲の隙間へと這い上がり、排気ダクトや関節のシーリングを食い破ろうと執拗に叩いている。
『……だめだ……回路がショート……ハッチが開かな……』
途切れ途切れの通信に、焦りがにじんでいた。スライムが獲物を消化する際に発する強烈な酸と熱が、機体内部の精密機器を焼き切っているのだ。さらに脱出装置の火薬も、スライムの湿気で死んでいるのかもしれない。
そういえば、うちの小隊には解析に特化したアンドロイドがいると、資料に書いてあった。確か、名をリルといったか。彼女ならあるいはと思い至り、俺は即座に彼女へ通信を飛ばす。
「リル、こいつらのハッチの外部強制解放コードを調べろ!」
しかし、スピーカーから返ってきたのは、感情を感じさせない無機質な声であった。
『従いかねます。デザートマウス小隊の救助は作戦に含まれていません。司令部からは待機を命じられています』
「冗談だろ! この、石頭め!」
悪態をつきながら、ハッチの歪んだ隙間に視線の焦点を合わせた。照準システムが、自動でその隙間をロックオンする。マニピュレータの操作をセミオートに切り替え、トリオンの右手の指をそこへねじ込んだ。
今は口論している時間も惜しい。行動あるのみである。
マニピュレータの感圧センサーが泥と菌糸を噛み、粘土と腐葉土をかき混ぜたようなねちっこい抵抗が
問題ない。電子的な
「お前らが焼却処分だって言うなら、俺がこのゴミ捨て場から引きずり出してやるよ!」
脚部のアクチュエータが過負荷に軋み、駆動系から火花が散った。装甲が歪んでいき、ついにハッチが根元からへし折れる。機体に絡みついていた粘液がはじけ飛んだ。
スライムに汚染されていないもう片方の腕で、中から這い出そうとするライダーの襟首を掴み、文字通り引きずり出した。ライダースーツにスライムが付着していないことを確認し、半開きにしたこちらのコクピットに放り込む。
ようやく一人目。なのに、ゲートが完全に閉じるまで、残り時間は六分を切っていた。死が刻々と迫ってくる。焦りは禁物だと分かってはいるが、自分を含め四人分の命がかかっていると思うと、つい気がはやった。
「くそ、時間が……次だ! “デグー”、いま行く! それまで沈むなよ!」
背後では、リュオンのギガントが放つ衝撃波がスライムを跳ね飛ばすも、飛び散った汚泥は波紋のように即座に形を戻し、じわじわと包囲網を狭めてきている。小型は何体か始末しているようだが、あれでは焼け石に水だ。
足元のスライムが、再び俺のトリオンの足首を掴んだ。即座に膝裏のマイクロミサイルを一発、至近距離の泥に叩き込む。爆炎がヘドロを炭化させ、一瞬だけ生まれる空白。その機を逃さず、俺は次の要救護者の元へと機体を走らせた。