崩れた大地から、土煙が立ち上っていた。さっきまで平坦だった荒野は見る影もなく、俺たちとリル機の間には深い段差が生まれている。
土煙の向こうに、リル機の姿が見えた。機体は無事らしい。
だが、こちらへ戻ってくるのは無理だろう。たとえ
しかも、単身取り残された彼女の周囲には、まだケット・シーが残っていた。リル機を取り囲む
「“ノーチラス”、こっちへ来られるか?」
『困難です』
リルの返答と同時に、一体のケット・シーが飛び掛かった。
リル機のサブマシンガンが火を噴く。散弾のようにばら撒かれた弾丸が
空中で不自然に身を捻るケット・シー。宙返りするように体勢を変え、弾幕の隙間をすり抜ける。
そのまま着地したかと思えば、今度は何事もなかったかのように歩き出す。
「“ノーチラス”、右だ!」
咄嗟に声をかけるが、当然間に合わない。リル機は射撃直後の姿勢のまま、まだ硬直している。
敵はその隙を見逃すはずもない。横合いから飛び込んできたケット・シーが、その巨体をぶつけてきた。
たまらずリル機が一歩、二歩と後退する。
機体にとっては、致命的な損傷ではない。だが、足元の地面も同様とはいかなかった。
亀裂が走る。乾いた地表が、音を立てて小さくひび割れた。
このままリルを一機で戦わせるわけにはいかない。俺は踵の車輪を下ろし、崩落部を迂回するために機体を向けた。リュオン機も、こちらへ向かう気配を見せる。
「待ってろ、“ノーチラス”。今助けに行く!」
しかし、モニターに映るリルは、静かに首を横に振る。
『推奨できません。ご覧の通り、荷重と振動によって、さらなる崩落が発生する可能性があります』
「そりゃあ、確かにその通りだが……!」
さらなるケット・シーの攻撃を、辛うじて躱すことに専念するリルは、致命打こそ受けてはいない。しかし、装甲は引っ掻き傷が増え続け、関節が軋む音も大きくなっている。
黙って見ている、という選択だけはできない。
『なら、僕の出番だね。忘れたかい? 背中のバーニアは飾りじゃないんだ。このくらいの溝なんてひとっ跳びさ』
そこへ、リュオンが通信に割り込んでくる。相変わらず、どこからその自信が湧いてくるのか、といった態度であるが、その案はあっさりとリルに却下されてしまった。
『馬鹿なことを言わないでください。着地の衝撃で地盤が崩れれば、一緒に奈落に真っ逆さまです』
『……お前さ、やっぱり僕にだけ当たりが強くない?』
そんなやり取りをしている間にも、リルを取り囲むケット・シーは攻撃の手を緩めない。俺は焦りを抑えながら、通信に声を飛ばした。
「なら、他に手はあるのか?」
『あります』
即答とともに、各機のモニターへ新たなデータが転送される。荒野の地形図に重ねて表示されたのは、崩落の危険が比較的少ない箇所を繋いだ、蛇行する細い道だった。
『少しでもルートを外れれば、崩落する危険があります。特に、重量のあるギガントは注意してください。トリオンも高機動は控えることを推奨します』
表示された経路を確認しながら、俺は機体の速度を落とす。リュオン機も、それに倣って慎重に進路を取った。
機体重量が軽い俺が先行し、荷重が一点に集中し過ぎないよう、少し距離を置いてリュオン機が続く。
再びリルを狙うケット・シーの鼻先を、スナイパーライフルの弾丸がかすめた。クローディアの援護射撃だ。驚いて身をひねった
その射撃の隙を狙って飛び込んだ別の個体を、クローディアの次弾が正確に捉えた。頭部を撃ち抜かれた
『姐さん、やるじゃん! 僕らも負けてられないね』
『これが私の仕事だから』
「分かったから押すな! 離れろ! 足元が崩れる!」
軽口を叩きながらも、俺たちは足元を確かめながら、少しずつリルとの距離を詰めていった。目標は目と鼻の先だというのに、随分と遠回りを強いられる。しかし焦りは禁物だ。
しかし、クローディアの狙撃で一体を止めても、別の個体がすぐに間合いを詰めてくる。倒れていたケット・シーも、時間が経つにつれて少しずつ動き始めていた。
応戦しながら、後退を続けるリル機。
しかし、背後には崩落によって生まれた段差がある。逃げ場は、少しずつ狭くなっていた。
『退路、ありません。地下へ突き落されるまでの予測時間、三十秒』
リルの報告に、焦りが募る。あまりに猶予が無さすぎた。
機体を急がせようと、思わずアクセルへ力を込める。だが、表示された経路の先には、地盤の状態を示す警告がいくつも並んでいた。
ここで速度を上げれば、どうなるかは分かっている。分かっているからこそ、踏み込めない。
モニターの向こうでは、リル機がすでに崩落部の淵まで追い詰められていた。
不意に炎に包まれ消えていく妹の姿がフラッシュバックする。それは巫女が見せた存在しない偽りの記憶だと分かっていながら、俺はその呪縛に抗えない。
またなのか。
また、俺は助けることができないというのか――!
『ああもう、じれったいな!』
通信に、リュオンの苛立った声が響いた。
思わず我に返る――助かった。そんなこちらの心境などお構いなしに、彼は一気にまくし立てた。
『こっちは地面が崩れるのを気にして、ろくに動けやしない。そのうえリルはリルで、あんな連中にいいように翻弄されやがって!』
苛立ち紛れに、リュオン機がケット・シーの一体へ銃口を向ける。しかし、放たれたニードルは大きく逸れ、敵のずっと向こうで土煙を巻き上げた。
『お前、僕をぶん投げるくらい朝飯前だったじゃないか! だったら、もっとやりようがあるだろ!』
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「……それだ」
脳裏に訓練場の光景が浮かぶ。
あれは暴走メイド事件の翌日、模擬戦の時だ。彼女は戦闘経験の豊富なリュオンを相手に、流れるような格闘で翻弄していたではないか。
そして、もう一つ。二日前の朝、食堂で騒ぎを起こしていた兵士たちを、リルがいとも簡単につまみ出したという話を聞いている。
あの時、俺は騒ぎが大きくなる前に医務室へ戻ってしまったから、実際にそんな面白イベントを目の当たりにしたわけじゃない。だが、食堂で揉めていたのは、この基地で何度も戦場を潜り抜けてきたベテラン兵士たちだ。
体格も、腕力も、小柄なリルとは比べものにならない。それを相手に、彼女は苦も無く食堂から放り出したらしい。
そうだ。リルは、理屈の通じない相手を相手にできないわけじゃない。戦い方を変えればいいのである。
「リル、聞こえているな。お前、食堂で騒いでる連中を、いつもどうやって大人しくさせてた!」
『現在の戦闘状況と関連性が不明です』
ケット・シーの一体がリル機へ飛び掛かる。リル機は身を捻ってかわしたものの、着地点を狙って別の一体が横合いから迫っていた。
「いいから答えろ!」
俺の声に急かされるように、リルが応じる。
『他の方のお食事の妨げにならないよう、退室していただいています』
「そうだ。それと同じだ!」
俺はモニターの向こうのケット・シーを睨みつけた。
「何をしでかすか分からない酔っ払いも、気まぐれな猫も似たようなもんだろ! 予測なんかするな。遠慮はいらない、つまみ出せ!」
リルが何かを言い返そうと口を開きかける。
だが、敵を前にした彼女には、俺の暴論に反論するだけの余裕がない。いまの戦い方で押し切られるのを待つより、別の手段に切り替えるほかに選択肢はなかったのだろう。
『了解しました。予測を放棄し、接近戦へ移行します』
感情の無いはずの声に、かすかに諦めが乗ったような気がした。