リルがサブマシンガンを投げ捨てた。それを見た俺は、息を呑む。
指示したのは確かに俺自身だ。しかし正直なところ、追い詰められていくリルを見かねて、感情と勢いに任せて言ってしまっただけである。あんな無茶が本当に通用するのか、自分でも確信が持てない。
だが、そんな心配はあっけなく吹き飛ばされてしまった。
リル機は逃げない。 迫り来る巨体を真正面から迎え、両腕を伸ばす。飛び込んできた
巨体が宙を舞う。
そのまま地面へ叩きつけるのではない。崩落した大地の縁へ向けて、放り投げたのだ。
ケット・シーは短い距離を転がり、そのまま崖下へ消えていった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
さっきまで、あれほど苦戦していたはずだ。なのに、今のは何だ。
次の一体が飛び込んでいく。
リル機は半歩だけ身体を引くだけで、鋭い爪が空振りする。その懐へ滑り込むように踏み込み、顎に掌打を一撃。さらに今度は、首元にトリオンの両腕が伸びた。
格闘術の指南書に掲載できそうなほど美しい、見とれるような背負い投げが決まる。当の投げられたケット・シーの方は、何が起きておるのかも分かっていない顔のまま、またしても奈落の底へと吸い込まれていった。
その気持ちは、よく分かる。常識的に考えて、あり得ない動きなのだ。
それなのに、リル機はまるで熟練の柔術家のようにケット・シーの勢いを受け流し、その巨体を自分の身体の一部であるかのように操っている。
ケット・シーの動きを予測しているわけではない。ただ、目の前まで迫ってきた相手を、柔軟に判断し、捕らえているだけなのだ。
まるで、飛び込んできた猫を一匹ずつ捕まえて、外へ放り出しているかのようだった。
「……あれ、
『僕、前にもあれを食らったんだよな……じゃなくて! 早く移動してくれよ、後ろがつっかえてるんだ!』
すまん、と謝りつつも、俺の目はリルから離せない。重くのしかかっていた不安は、いつの間にか霧散してしまっていた。
ケット・シーの突進を受け流し、その勢いを利用して投げ飛ばす。
『あれ、
リュオンの声に、俺は首を横に振った。
「無理だ。
『でも、リルは?』
言われて、俺はモニターへ目を戻す。
「そうか。リルには、人間の脳がない」
電子頭脳で動くアンドロイドには、そもそも人間の脳なんて積んでいない。今のリルはDLSによって、文字通り機体と一体となっているということか。
目の前で繰り広げられる光景が、ほんの少しだけ違って見えた。
……。
…………。
『お掃除、完了いたしました』
「何でだよ!」
結局、俺とリュオンがリルの元に辿り着いた時には、辺りにケット・シーの姿は一体も残っていなかった。全て谷底に投げ捨ててしまったらしい。
目の前には、何事もなかったかのように佇むリル機がいる。装甲には無数の引っ掻き傷が刻まれ、関節の駆動音にはわずかな軋みが混じっていたが、見た目ほどダメージは重くないらしい。
『お二人とも、お疲れ様でした。こちらは問題ありません』
「いや、問題しかないだろ……」
俺は思わず頭を抱えた。
あれだけ追い詰められていたはずなのに、終わってみればこの有様である。
焦燥し俺を急かしていたリュオンも、今はリル機を見つめたまま呆れ返っている。
『本当に一人で片付けやがった……』
『手間をおかけいたしました。“ノーチラス”、
『全くだよ……“ハンマーヘッド”、
リルに続き、各々が
『それにしても、まさかリルがあんな戦い方をするとは思わなかったよ』
『私も驚いた。あれほど接近戦に向いているとは。なぜ普段から、格闘を使用しないの?』
『私はシービーストの“目”ですから』
クローディアの問いに、あっけらかんと答えるリル。
そりゃそうだ。あまりにも当然な答えに、俺も納得するしかなかった。
なにもシービースト小隊に限ったことではない。各隊に一名、観測、分析、計算を行う者がいて、ようやく小隊は機能する。全員がアタッカーでは、目隠しされたまま戦うようなものだ。
そして何より、シービースト小隊の中で最もこの役に適しているのがリルだった。それだけのことである。
「実際、どうして急にケット・シーへ対応できるようになったんだ?」
『准尉が指示された通りに行動したまでです。戦闘用プロトコルでは対処できなかったため、別の方法へ切り替えました』
「別の方法?」
『“面倒な酔っ払いの対処法”です』
完全に、メイドとしてのリルの理屈であった。
戦闘を終えた俺たちは、仮設拠点へ向けて機体を進める。その間も、俺は周囲の地形を確認していた。
一週間前に俺たちが配置された戦域は、ここからならあまり遠くない。つまりそこは、あのとき“羊飼い”と交戦した場所でもある。
探し物がまだそこに残っているとは限らない。すでに誰かの手に渡っている可能性だってあるし、風雨にさらされその場に残っていないかもしれない。
だからこそ、今のうちに探しておきたかった。今日を逃せば、次にここへ来られるのがいつになるか分からない。
とりとめもないことを考えている内に、仮設拠点へ到着する。
さんざんアンドロイド部隊を翻弄したケット・シーを片付けた今なら、問題なく前線を維持できるだろう。
彼らと引き継ぎを済ませれば、今日の仕事は終わりだ。
「待ってくれ。帰る前に、少し寄り道していいか?」
『寄り道? どこへだよ』
すっかり定時退社を待つサラリーマンのような気分に浸っていたリュオンが、露骨に嫌そうな顔をした。気持ちは分かるが、ここはぐっとこらえてほしい。
「一週間前の戦場へ、探し物をな。リル、直帰したい所だろうが、もう少し付き合ってくれ。機体はまだ動くな?」
『損傷は軽微、行動に支障はありません』
「よし。じゃあ、少尉と中尉は先に引き継ぎを頼む」
リュオンが呆れたように肩をすくめ、クローディアは小さく息を吐いた。
『了解。こっちは任せろ。何を探すのかは知らないけど、早く帰ってきてくれよ。僕はもう腹ペコなんだ』
リュオンの苦言に便乗するように、通信回線に
『シービースト小隊、戦闘終了を確認しました。前線をアンドロイド部隊へ引き継ぎ次第、速やかに帰還してください』
「善処する。“ドルフィン”、
曖昧に返事をして通信を切断すると、クローディアがさっそく食って掛かってきた。
『准尉、また勝手なことを――』
「すまんな、すぐに戻る。リル、行くぞ」
彼女の言葉を遮り、俺はリルとともに機体を転進させた。