のんびり考えている暇はない。俺はすぐに通信回線を開いた。
「
返事が来るまでの時間が、やけに長く感じられる。
こうして待っている間にも、
『やけに遅くないか?』
『
リュオンの声に、焦りが滲む。クローディアも平静を保とうとしているようだったが、その声にはわずかな硬さがあった。
「分からん。だが、こっちはゆっくり待っていられるほど余裕は――」
『――落ち着きたまえ、シービースト小隊諸君』
低く、それでいてよく通る声だった。こちらの焦燥など意に介さぬような穏やかさがあり、その声音には、聞く者を自然と従わせるだけの威厳が備わっている。
北方第6前線基地の最高責任者。シュタイナー・エドムント少将、その人であった。
思いもよらない人物の登場に、俺は思わず息をつく。
この人が出てきたのなら、大丈夫だ。これまで何度も戦場で命を預けてきたわけではない。それでも、戦争そのものの無意味さを語り、命を奪い合うことを嘆いていた姿を知っている。
俺自身、一度は軍人として取り返しのつかない処分を受けかけたところを、少将の嘆願によって救われたこともあった。
だからこそ、俺にとってエドムント少将は、北方第6前線基地を任せるに相応しい人物だ。そんな人が、たかが一個小隊の救助要請に直接応じてくれた。
ありがたいと思う一方で、妙な違和感も覚える。本来なら、通信士が事務的に処理して終わる案件だ。
「少将閣下? なぜ、あなたが直接回線に」
困惑を隠しきれない俺の問いに対し、少将は慈愛に満ちた穏やかな声で答えた。
『准尉。君たちは一週間前、あの聖歌の悪夢をはね除けてみせた。全軍が正気を失う中で自己を保った君たちの存在は、この基地にとって……いや、人類にとっての希望そのものだ。そんな貴重な人材の安否を、他人任せにはしたくなくてね』
整いすぎた、あまりにも正しい理由だった。
一介の准尉である俺に、人類の希望などという大仰な言葉を向ける。その声音に嘘があるようには聞こえない。かつて握ったあの温かな手の感触が、ふと脳裏をよぎった。
それでも、背中を這うような微かな寒気だけは消えなかった。
だが、本当にそれだけなのか。そんな疑念が浮かんだものの、今の俺には、それを確かめる術はない。
『閣下、恐縮です。現状、“ノーチラス”より報告があった通り、後方に
『状況は把握している。だが、命令に変更はない』
迷いのない返答だった。
思わず息を呑む。こちらの状況を知らずに言っているわけではない。それを承知したうえで、なお待機を命じているというのだ。
『救助隊の編成はすでに終わっている。工兵班が現在、救助ルートを選定中だ』
「ですが、皇獣はもう近くまで来ています。このまま待機すれば、交戦になる可能性が――」
言いながら、自分でも分かっていた。
救助隊がこちらへ向かっているのなら、単純に持ち場を離れればいいという話ではない。俺たちが移動すれば、救助する側もこちらの位置を探し直さなければならなくなる。
『だからこそ、今は動かないでほしい』
その言葉に続いた説明は、至極もっともなものだった。
『地盤は極めて不安定だ。無闇に移動すれば救助ポイントがずれる。そうなれば、救助隊まで危険に晒すことになる』
確かに、理屈は通っている。だが、だからといって納得できるほど、状況は甘くない。
「それは分かります。ですが――」
『救助は間に合わせる。君たちは、そこで待っていればいい』
耳を疑った。
背後からは
そんな状況で、現状を維持しろという。
少将の言葉には理屈がある。救助隊の安全を考えれば、俺たちが勝手に移動することにも危険はある。だが、それでもこの場に留まり続けることが本当に正しいのか、俺には判断がつかなかった。
さきほどから胸の奥に残っている違和感が、消えてくれない。
『閣下、正気ですか! 僕のギガントは、落下で損傷してるんすよ! 姐さん……失礼、中尉の機体はまともに歩けないんだ! ここで待てっていうのは、死ねって言ってるのと同じっす!』
通信モニターに映るクローディアが、わずかに眉をひそめる。リュオンの言葉に反応したのは明らかだった。
通信に、重苦しい沈黙が落ちる。
誰も言葉を挟まない。その沈黙そのものが、先ほどのリュオンの言葉を咎めているように感じられた。
『聞こえなかったかね、“ハンマーヘッド”。命令を復唱したまえ』
エドムントの声には、先ほどまでの柔らかさがなかった。冷静で、静かな声だった。それだけに、こちらから言葉を返す余地が残されていないことが、かえってはっきりと伝わってくる。
『くっ……!』
リュオンが短く息を詰まらせる。
普段なら、彼はここからさらに食い下がることだろう。だが、少将の命令を前にして、それ以上の言葉が続かない。
どれだけ自分の腕で戦場を生き抜いてきたという自負があろうと、それを理由に命令を覆すことはできないのだ。まして、今のリュオンにできるのは、少将の命令を受け入れることだけだった。
『……“ハンマーヘッド”、了解しました。救助隊が到着するまで、本座標にて現状を維持します……くそったれが!』
『よろしい』
モニターに映し出されているエドムント少将が、満足そうに頷く。リュオンの言葉を聞き届けた少将の声は、再び、あの執務室で聞いた時のような穏やかさを取り戻していた。
『じきに救助隊が到着するだろう。君たちのような貴重な人材を失うのは、私としてもしのびない。生き延びたまえ。以上だ』
それだけ告げると、少将は俺たちの返答を待つことなく通信を切ってしまった。重苦しい静寂が残る。
「……閣下」
思わず、その名を口にしていた。
生き延びたまえ。
その言葉が、妙に耳に残っている。あの執務室で握った温かな手も、俺たちを人類の希望だと言った言葉も、嘘だったとは思いたくない。
しかし、俺たちを失いたくないと言いながら、なぜ、この場所で待てと言うのか。少将の考えが、俺にはすっかり分からなくなっていた。
『熱源、コンタクトまで、四百秒を切りました。急速に接近中』
リルの警告に、俺は思考を現実へ引き戻される。
『僕はここを離れるからね。こんな不安定な場所じゃ戦うこともできないし、逃げることだって難しい。だったら、
リュオンの言葉には、先ほどまでの苛立ちが残っていた。それでも、今度は感情だけで言っているわけではない。俺も同じことを考えていた。
「俺も、動いたほうがいいと思う。ここに残ったところで、まともに歩けない中尉を守れない」
クローディアは、しばらく何も言わなかった。やがて、通信モニターの向こうで表情を引き締める。
『少将から待機を命じられている。私たちは、その命令に従わなければならない』
分かってはいたが、クローディアは相変わらずの石頭ぶりだった。それが彼女の処世術なのだと理解しているが、しかし、さすがに今回はそれを尊重するわけにはいかない。
「聞くまでもないとは思うが、リルはどうだ?」
『中尉の意見を支持します。プログラム上、現段階における最上位権限であるシュタイナー・エドムント司令の命令が最優先されますから』
「だよな……」
予想通りの答えだった。
クローディアは命令に従い、リルは命令に従うための理由を述べた。どちらも、少将の指示を疑うつもりはないらしい。
俺は小さく息を吐き、周囲の状況へ意識を戻した。