同じ要領でもう一人を助け出し、今にも崩れそうな小隊長機からも“ジャービル”を救い出す。既にスライムの群れは、基地の第4ゲート目前まで迫っていた。数機の
『准尉、ゲートが閉じるまで残り三十秒を切っています。今から戻っても、もう間に合いません。着弾地点から少しでも離れてください』
リルからの警告を聞くまでもない。ここまでやってダメでした、では格好がつかないどころか、ただの犬死にだ。一人乗り用のコクピットに四人はさすがに狭すぎるのだが、文句を言っている余裕すらない。
再びギアを入れ替え、高機動モードへシフト。
しかし、粘液を噛んで空転する車輪のせいで、思ったほどの速度が出ていない。時間切れを察してか、遠くでリュオンのギガントはバーニアを噴かし、離脱していくのが見えた。少しだけ安堵する。少なくとも、彼は焼夷弾の雨に晒されることはないだろう。
後は自分達だけなのだが、ここでタイムアップのようだ。基地の方へメインカメラを向けると、要塞砲とばっちり目が合ってしまった。タイムカウンターは、既にゼロを指し示している。
大気を震わせ煙を吐く砲身。第一射は比較的基地に近い場所まで迫っていた大型に着弾し、辺りを火の海に変えた。轟音が大気と地面を揺らす。炎に囲まれたスライムたちが、右往左往し始めた。
「くそっ、始まったか! おい、誰か応答しろ! あと一分待ってくれ! みすみすこいつらを死なせてたまるかよ!」
『“ドルフィン”、その要請は受け入れられません。作戦に支障をきたします』
返って来たのは、またしても聞き覚えのある氷のような声だった。アンドロイドのリルだ。
「そんなことを言っている場合か! 人命がかかっているんだぞ!」
『私たちは、司令部の待機命令に従う義務があります。准尉の命令違反に加担することはできません』
さらに言い返そうとした俺の言葉を遮るように、再び空気が震えた。第二射だ。着弾した焼夷弾は、二体目の大型を火だるまに変える。まき散らされた燃料がスライムに溶け込み、次々と周囲の個体に延焼していった。
このままじゃ、たとえ直撃を避けることができたとしても、火に巻かれておしまいだ。考えろ、何か手はないのか。ゲートは閉じ、帰還は不可能。砲撃も止められない。ならどうする?
選択肢は多くない。俺は加速を諦めて急制動をかけた。
機体が停止し、激しい振動が嘘のように止む。俺は一度だけ深く息を吐き、先ほどまでの逃走という選択肢を頭から消し去った。
「リル、方針を変える。俺の行動に加担する必要はない」
『……?』
沈黙。俺の意図を計りかねてか、リルはすぐに返事をしなかった。構わずにまくし立てる。
「俺は今日、北方第6前線基地に着任したばかりの新参だ。この基地周辺の地理も、危険区域のデータも頭に入っていない。軍規に基づき、新人にハザードマップのデータを共有しろ。急げ!」
更なる沈黙の後、リルは感情の起伏を感じさせない相変わらずの声で、静かに要請に応じてくれた。
『合理的です。教育プログラムとして、周辺地形の機密情報を転送します』
即座にデータが届く。モニターに映し出されていたマップに、古い構造図が重なった。
西北西三百メートル、そこには地下弾薬庫が存在している。国境付近のこの基地周辺には、基地に戻らなくても補給が行えるよう、あちこちに
厚い地層と鋼鉄の蓋に守られた、この灼熱地獄で唯一の空白地帯であった。迷わず目標地点へと走り出す。
第三射が背後で着弾した。真っ白な閃光。直後、猛烈な熱波がトリオンの装甲を焼き、衝撃波が機体を前方へと押し飛ばす。かなり近い。今は機体が燃えていないことを祈るばかりだ。
幸い、機体が近付くとハッチは自動的に口を開けた。どうやら機体の識別信号に連動しているらしい。自動音声の誘導を無視し、俺はバランスを崩しながらもなんとかハッチへと機体を滑り込ませる。手動で入口の蓋を閉ざすと、自動で電子制御のロックがかかった。続けて三層の隔壁が閉じていく。
一拍置いて、頭上で世界が焼滅した。
防爆ハッチを介して伝わるのは、轟音というよりは振動そのものだ。地下施設の天井から土埃が舞い落ち、機体のライトがそれを不気味に照らし出す。今頃、地上では熱波によってスライム共が水分を失い、炭化して弾け飛んでいる頃だろう。
暗闇の中で、生き残った連中の荒い呼吸音だけが響いていた。
「……生きてるか、お前ら」
俺の声に答えたのは、誰かの鳴咽だけだった。外では今も、司令部が下した“妥当な決断”が、スライム共をその菌糸一つ残さず焼いている最中である。
だが、この暗い穴の中で、計算外の獣が残った。俺たちは、しぶとく生き延びることができたのだ。
「最悪の初日だ……“ドルフィン”、
俺は機内の照明を切り、熱を帯びた義肢を冷やすように、シートへ深く身を沈め、目を閉じた。外が静かになるまでは、今度こそ、しばらくこのまま待機である。
焼夷弾の業火が消えた後、世界を支配したのは不気味なほどの静寂だった。ハッチを押し開けると、外気と共に焦げ付いた臭いが地下に流れ込んで来る。
地上は灰と煤に支配された、モノトーンの世界に変わっていた。命あるものはすべて炭化し、熱を孕んだ風だけが吹き抜けている。
俺は土にまみれた機体から、救出した兵士たちを地面へ下ろしてやった。自分も一緒に焦土と化した地上に降り立つ。彼らは感謝の言葉を口にするどころか、自分たちを焼き殺そうとした同胞への恐怖に、ただガチガチと義肢の関節を鳴らして震えていた。
「准尉。処罰は免れないぞ」
静寂を破ったのは、歩み寄ってくるクローディアの声だった。後ろにはリルも控えている。移動用の装甲車に乗って、わざわざ迎えに来てくれたらしい。その顔には、安堵を押し殺したような、しかし硬い怒りが張り付いている。だが、彼女が手に握る端末を見れば、指先が白くなるほど強く震えているのが分かった。
部下の生還を喜んでいるようには見えない。かといって、俺の独断専行に憤慨しているだけとも違う。何かに怯えているような、あるいは、積み上げた積み木を理不尽に崩された子供のような、形容しがたい拒絶の色がそこにはあった。
「お前は命令を無視し、死ぬはずだった彼らと共に、自分という軍の資産を焼却炉に放り込んだ。一体、何の権限があってそんな真似を」
「中尉殿。お前達の帳簿は、こいつらは最初から損失として計上済みだった。それだけの話だろ」
俺は機体から降り、正面から彼女に対峙する。
「お前の言う正しさとやらは、ずいぶん高いところにあるらしい……足元の死体が見えないくらいにな」
「貴様……!」
クローディアが言葉を失うのを無視して、俺は後ろに控えるリルの側を通り過ぎた。
「准尉。救助成功は、予測データの範疇外です…………エラーを確認」
「ああ。計算間違いで助かった命だ。大事に記録しとけよ、骨董品」
後部座席に乗り込む俺の背中を、煤臭い風が撫でていく。
ふと視線を上げた先。厳重なセキュリティに守られた司令室の窓の側には、自分を笑顔で迎えた名将が、今も完璧な清潔さの中に座っているはずだ。あそこから見る景色は、さぞかし綺麗に整理整頓されていることだろう。
正しい規律という名の牙が、誰かの命を静かに噛み殺していくこの場所で。何度も何度も繰り返してきた命令違反が、間違いではなかったと思える日が来るまで。
たとえ誰も耳を貸そうとしなかったとしても、俺は一人、こう叫び続けるのだろう。
「……オオカミが来たぞ」
その声は、まだ誰の耳にも届くことはなかった。