きな臭くなってきた。人間の血痕というだけでも不穏だというのに、さらに
実際のところ、地下を生活圏とする
だが、
そう考えると、この地下施設に
この施設の地下深くまで
考えられることはいくつもあったが、どれも決め手に欠けていた。
真っ当な施設ではなかった。分かるのは、その程度だ。
俺は黒ずんだ血痕へ目を向けたまま、胸の奥に沈んでいくような不穏さを覚えていた。
だというのに、リルは周囲の床へ視線を走らせ、さらに追い打ちをかける。
「この周辺に、血液以外の生体痕跡はほとんど残っていません」
「どういうことだ?」
「破壊された機材や土砂の付着状況と比較して、血液が残っている範囲だけが不自然に少ないです。床面の一部には、洗浄された形跡があります」
証拠隠滅だろうか。
俺は黙って周囲を見回した。何かが暴れ回った形跡は、薄明りの下にこれでもかというほど残っている。
なのに、人間がいたことを示す証拠は妙に少ない。負傷者がいたのか。死者が出たのか。それすら分からない。当然、ここで何が行われたのかも。
「
「比較します……データを照合中」
リルは床に残る血痕へ視線を向けたまま、しばらく動かなかった。以前の分析結果を呼び出し、今回の血液と照合しているのだろう。
やがて、彼女が顔を上げる。
「照合完了。成分構成は非常に近似しています」
「そう来たか……」
思わず、溜息を一つ。
“羊飼い”の装甲から剥離した欠片に残されていた痕跡と、一年から二年前にこの地下施設で流れた血液。それが、似ているという。
あれだけ嗅ぎまわって、“羊飼い”に繋がる手がかりは小さな装甲の欠片だけだったというのに、ここにきて唐突な“羊飼い”の痕跡の発見。
もちろん、これだけで何かを断定することはできない。断片的な一致だけで、奴がこの施設に関わっていると考えるのは、さすがに短絡的と言えよう。
それでも、頭の中に浮かんでしまう。この場所をここまで破壊し尽くしたのは、あの黒い狂戦士なのではないか、と。
偶然だと片付けるには、嫌な一致であった。
が、血液について考え続けても、今の俺たちには答えが出せそうにない。ひとまず頭の片隅へ追いやり、俺は広間の奥へ視線を戻した。
まだ照明の届いていない場所に、いくつか気になるものがある。
「リル、あれは?」
広間の端に、妙に広い金属製の床が設置されていた。
床の両脇に壁はない。天井もない。ただ、四機の
「搬送設備と思われます」
リルが周囲を確認する。
「構造から判断して、資材運搬用の大型リフトでしょう。床面そのものがレールに沿って昇降するようです」
「エレベーターみたいなものか」
「用途としては近いでしょう。ただし、一般的な昇降機よりも大規模です」
「電気が通ってるかどうかは、あとで調べるか。地上まで出られるなら儲けものだ」
リュオンの修理が終わるまで、足止めを食うことになるのだ。搬送設備の位置だけ頭に入れ、俺たちはさらに奥へ進むことにする。
そこで、別のものが目に入った。
壁際に沿って、巨大な箱がいくつも並んでいる。
一見すると、何列にも積み重ねられたコインロッカーのようにも見えた。だが、大きさが普通ではない。少なくとも、一つ一つが兵舎の私室、一部屋分くらいはありそうだ。
それぞれに大きなハッチが設けられ、頑丈そうなロック機構が取り付けられている。
「なんだこれ。コンテナか?」
リルが一つに近づき、視覚系で内部を走査する。しばらくして、彼女は首を横に振った。
「内部構造を確認できません。扉が厚すぎます」
「開けられそうか?」
「現在の装備では困難です。ロック機構も解析できません」
「気になるが、仕方ないか。まあいい、先に進もう」
何を収めるためのものなのか。こんな地下深くに、一体どんな物を保管していたのか。分厚い扉と厳重なロックを見る限り、少なくとも普通の資材置き場とは考えにくかった。
「こいつを調べるのも後回しだな」
「了解しました」
俺たちは謎のコンテナ群を後にして、さらに広間の端へと進んだ。
そこには、広間の外に通じる扉が一つ。
大型の搬送設備とは対照的に、こちらは人間サイズだ。扉の脇には小さな操作盤があり、中央には手動式らしいロック機構が設けられている。
「通路か」
リルが操作盤を調べる。
「施錠されています。電子系統への接続も確立できません」
「問題ない。開けるぞ、少し下がってろ」
俺は扉へ近づき、ロックの位置を確認する。
人間用の扉なら、機化人の身体で無理に力を加えれば、それほど難しくはない。
リルが離れたのを確認してから、俺は扉へ蹴りを叩き込んだ。
金属製の扉が大きく歪み、固定されていたロックが外れる。二度目の蹴りで、扉は内側へ倒れ込んだ。
静かな広間に、やけに響く。
その先には、細い通路が続いていた。広間を照らしていたドローンの光は、もう届かない。
俺は腰の装備から携行灯を取り出し、スイッチを入れた。白い光が細い通路を照らし、壁と床がその先へ伸びているのが見える。
左右にはいくつもの小部屋が並んでいた。どの扉も同じように施錠されていたが、すべてを開ける必要はない。
「適当に一つ、見てみるか」
「はい」
近くにあった扉を一つ選び、同じようにこじ開ける。
中へ入った俺は、思わず足を止めた。そこも、徹底的に壊されていたからだ。
ただし、広間とは様子が違う。
床には大きな破砕痕があり、壁の一部は内側から吹き飛ばされたように崩れている。備え付けられていた机や棚も、爆発に巻き込まれたように砕け、部屋の隅には黒く焼け焦げた跡が残っていた。
「こっちは、何かが暴れたって感じじゃないな」
広間に残っていた何かが暴れたことによる破壊跡とは、明らかに性質が違う。
広間の洗浄も、この部屋の爆破も、同じなのだ。方法こそ違っていても、そこに共通しているのは、ここで何が行われていたのかを示すものを残さないという意志のように思えた。
この有様では、手がかりになりそうなものは残っていないだろう。そう判断し踵を返そうとした視界の端に、かすかな違和感を覚えた。
「どうしましたか?」
足を止めた俺に、リルが問いかける。
「いや、今なにか……」
視線を室内に戻してみるが、何が気になったのか、自分でもよく分からない。瓦礫と壊れた機材が積み重なっているだけに見える。
俺の視線を追うように、リルがその場所へ近づいた。しゃがみ込んで、壊れた機材を検め始める。
彼女はすぐに、目的の品を見つけたようだった。手近な残骸を退けると、その下から黒い筐体の一部が姿を現す。
「ノートパソコン?」
一見すると、壊れているように見えた。外装には傷が走り、角も潰れている。それでも、液晶と本体はどうにか繋がったままだ。
「動きそうか?」
「確認します」
リルがしゃがみ込み、ノートパソコンの状態を調べる。
「内蔵バッテリーは完全に放電しています。ですが、外部から給電すれば起動する可能性があります」
リルは自分の義肢からケーブルを伸ばし、パソコンへ接続した。
しばらくして、死んでいたはずの画面に光が戻る。
「おお」
思わず声が漏れた。
表示されたのは認証画面。解析します、と彼女が呟いた時には、既にハッキングが始まっていた。次々と見慣れないウィンドウが現れては消えていく。
作業は五分ほどであっさりと終了した。さすがはシービースト小隊の情報処理担当だ。相変わらず仕事が早くて助かる。
ログインすると、いくつものフォルダやファイルが画面に並んでいた。
ただし、期待したほど中身は残っていない。
記録の多くは読み込みに失敗し、開こうとしても破損を示すエラー表示が出る。保存領域そのものが損傷しているらしい。
「やっぱり、これだけ壊れていれば無事なデータの方が少ないか」
「はい。復旧できないものが大半です」
リルが残されたファイルを順に調べていく。
そして、その中に一つだけ、妙に目を引く名前があった。
「……何だ、これ」
画面に表示されていたのは、一つの圧縮ファイルだった。
“Project_BB”。
それが、辛うじて生きていたデータにつけられていた名前であった。