「先客?」
リルの視線の先、ドックの最深部である第4ハンガーの前には、見知った不機嫌そうな背中があった。リュオンだ。彼は自分の愛機ギガントを整備班に預け、俺の機体を、まるで見えない敵を睨みつけるかのような目で見上げている。
気取られないよう、小さくため息を吐く。俺は人工骨格の軋みを一つ鳴らし、リュオンの背後を通り過ぎて、自分の機体へと歩み寄った。こちらに気づいているはずだが、奴は頑なに振り返ろうとはしない。その肩の力みが、抱える苛立ちを雄弁に物語っていた。
トリオンのハッチを開き、コクピットへ身を滑り込ませる。シートに深く腰を下ろし、コンソールへ手を伸ばす。物理的なスイッチとパネル操作による手順は、既に身体に染みついていた。
――メンテナンスモード起動。
視界の隅に、機体各所の診断データが展開される。動作チェックの最中、外部スピーカーのスイッチを入れると、ハッチ越しにこちらを見上げる位置にいるリュオンへと声をかけた。
「少尉、三日ぶりだな。俺のいない間、隊の戦績はどうだった」
リュオンが肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り向く。その口元には、隠しきれない勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
『ああ、准尉。お勤めご苦労様。何様のつもりだい、“少尉殿”だろ? 謹慎室で軍規を忘れたのか? 降格したとはいえ、元・少尉なら序列の重さは身に染みているものだと思ったんだけどな』
リュオンは一歩踏み出し、小馬鹿にするようにこちらのコクピットを見上げてきた。嫌味を隠そうともしない声色を、外部指向性マイクが拾う。
『おかげさまで、准尉の穴を埋める羽目になったよ。けどまあ、元から三人でやりくりしていたんだ、問題は無いさ。聞いてるぜ、あんた南部の戦場でも“大活躍”だったんだってな? けど残念、英雄様がいなくても、現場は円滑に回るということが証明された。この三日間で僕が稼ぎ出したスコアは、あんたが初日に挙げた戦果をとうに塗り替えている。ここのエースはあんたじゃねえ、この僕だ。命令違反で追い出されたロートルには、静かな謹慎室の方がお似合いだったんじゃないかい?』
嫌味を聞き流しながら、俺は計器盤に並ぶ、わずかに同期の狂った駆動グラフを凝視した。
違和感がある。正規の手順から外れた、奇妙な波形だ。これほどのズレ、整備兵が見逃すはずがない。となれば、単なるミスとは言い切れない。
端末を操作して整備記録を洗えば、事実は簡単に露見する。だが、この“調整”を前に、彼が何を感じ、何を語るかが問題だ。まずは本人に問い質すのが先決であろう。
「……失礼しました。この機体の整備、少尉も立ち会ったのでしょうか? ずいぶんと“丁寧な”仕事がされているようですが」
こちらが言葉遣いを改めたことで気をよくしたのか、リュオンは鼻で笑い、挑発的に顎をしゃくる。
『さあね。僕は自分の
――救いようがない。彼は自分がなにをやらかしたのか、まるで分っていないようだ。苛立ちを覚えながらも、務めて冷静な受け答えを心掛ける。
「了解した、少尉殿。多少のノイズなら、こちらでなんとかしましょう」
俺はそれ以上、言葉を重ねるのを止めることにした。会話とは、双方にその意思が無ければ成り立つものではない。一秒でも早くあの不快な声から解放されたくて、即座に通信回線を切る。
モニターの隅で、満足げに肩をそびやかして立ち去るリュオンの姿が小さくなっていく。あんな安い優越感で腹が満たせるなら、彼が求めている実力とやらは、どこまで行っても血の通わない数字の羅列でしかないというのに。
『准尉、チェックランを続けますか?』
リルの声が、再び回線を開きっぱなしの
(いや、いい。あとは実戦で馴染ませる)
俺は指先に残る微細な不協和音を、記憶の奥に刻み込むように操縦桿を一度だけ強く握った。問題ない。南方ではもっと酷い状態の機体に乗らざるを得ないことも、少なくはなかった。何とかなるだろう。
ふと、視界の端――リュオンのいた場所に、俺のトリオンのカメラがフォーカスした。彼の愛機、ギガントがそこに収まっている。
ギガント。ヴォルフ鉄鋼社製のヒット作。国内でもトリオンに次ぐ人気の量産型
そのぶんカスタマイズ性で劣るものの、拡張性の低さを補うため様々な仕様のバリエーションモデルが生産されている。
リュオンが選んだのは、WTH02_AB――通称ギガント・バーサーカー。ファイターモデルよりもさらに近接攻撃力に重きを置いた、高馬力モデルだ。
背部に増設された大型バーニアを見るに、おそらくエンジンは標準仕様より高出力のものへ交換しているのだろう。トリオンより一回り図体が大きいが故に、大型エンジンを搭載できるのも、ギガントシリーズの魅力の一つである。
一気に接近して、右腕のストライクバイルで
それに引き換え、装甲がやけに古臭いのが気になった。ギガントはトリオンと違い、基本的には耐えて反撃する戦法に向いている。分厚い増加装甲と衝撃分散構造、そしてそれらの重量を支える大型エンジンによる積載限界の余裕が売りのはずだ。しかし、彼の機体に装備されている外部装甲は、ひび割れ、部分的に欠けた状態の物が多い。
(リル、聞こえているな? 少尉の機体だが、整備は終わっているのか?)
『はい、これで十分だと聞いています』
(お前の見立ては?)
『少尉の意見を尊重するよう厳命されています』
くだらねえ、と吐き捨てる。
リュオン機の詳細データを、リルに要求するまでもない。彼の機体に取り付けられている外部装甲は、既に耐久限界を迎える寸前に見えた。戦場の傷は戦士の勲章、とでも言いたいのだろうか。そんな虚飾で命を落としてしまったら、笑い話にもなりはしない。鉄を飾り物にする奴から死んでいくということを、あのお坊ちゃんは理解していないようだった。
――いや、リアクティブタワーシールドなんていう“デカブツ”を、よりによって俊敏な動作が売りのトリオンに持たせている俺も、大概か。人のことを言えた義理でもない。
一通りのチェックを終えた俺は、計器盤のライトを落とし、機体のシステムをスリープモードへ移行させる。ドックの騒音に包まれながら、俺はわざとらしく用意された“毒リンゴ”の味を反芻した。
あとはこれを美味そうに食ってみせるだけだ。彼の“邪魔をしない”程度にな。
「腹が膨れるなら勝手にしろ」
既に扉の向こうへ消えた、虚飾と虚勢を腹の中にたっぷり詰め込んだ男。その背中に向けて、俺は冷めた独白を零すのだった。