砂漠の王が"現代兵器"を手に入れるまで 作:Nattsu_ひよこ豆
────砂の国、アラバスタ。世界政府加盟国の一つであり、ネフェルタリ家が治める
緑の町エルマル、ユバ・オアシス、香水の有名な港ナノハナに始まり、首都アルバーナに鎮座するアルバーナ宮殿は四千年もの歴史を誇る。
流れ、積もり、歴史と水を閉じ込める砂の上に立つ人々は活気に溢れ、国を潤すサンドラ河にはサンディ島固有の動物が今日も息づいていた。
肌を刺す太陽の熱気のために、人々の多くは全身を布で覆うような服に身を包んでいる。指令により、ナノハナに降り立ったジルダもそれに違わぬ服を着ていた。今回は正義のコートも海軍の制服も、私服ですら着用は憚られる。
今回の彼女の任務は、端的に言えば"潜入"であった。
ジクジク痛む肩を庇いながら、ジルダはローグタウンの巡視船の中で指令を受け取っていた。電伝虫はサカズキそっくりの顰めっ面をしている。
『ジョナサンから報告を受けた。ナバロンで不審な金の動きがある。調査の結果、一人怪しい奴がおることが分かったが……そいつが度々アラバスタへ行っとるらしい』
ジョナサンとは、サカズキの管轄であるG-8支部海軍要塞ナバロン所属の中将である。知略家として名高く、優秀な人物だとジルダも聞いていた。
通話越しのサカズキの声は、冷静だがどこか重苦しかった。自分の管轄下において隙を生んだことが耐え難いのだろう。
「横領ですか?」
『その疑いがある』
アラバスタにある夢の町レインベースは、カジノが集まる歓楽街だ。不審な金の動きに、カジノのある国に度々行っているとなれば、金の行方は想像に難くない。
『当該人物がアラバスタに居ることは確認済みじゃ。写真を後で送る。見つけ次第拘束を』
「分かりました。拘束後は……」
『ナバロンで勾留、尋問を行う』
「では目処が立ち次第報告します」
『あぁ……。ジルダ、アラバスタには海兵がおらん。この意味が分かるな?』
近年、アラバスタには海兵が派遣されなくなった。その必要が無い程に、ある一人の男がサンディ島近海を守護しているからだ。
────その男こそ王下七武海の一人、"砂漠の王"サー・クロコダイルその人である。彼は五年ほど前から精力的に海賊を狩り、治安の維持に貢献していた。アラバスタ国民、ひいては王族であるネフェルタリ家からの信頼も厚く、海軍もその実績を認めている。ただでさえ猛者が集うこの
つまりアラバスタでこれ見よがしに海兵だとアピールすれば、標的に察知される可能性が高いということだ。知られたら最後、標的が大人しくナバロンに戻る可能性は低い。そもそも海軍内の不祥事であるため、内々に収めたいのが本音だろう。増援の見込みも薄い。
この任務はジルダ一人で────出来れば身分を明かすことなく、何事もなかったかのように────遂行せねばならない。中々にハードな任務であることをジルダは察した。
「はい。肝に銘じます」
────そう、粛々と返事をしたその数日後。
「ここに居るのは富裕層ばかりだ。その安物の服じゃァ目立つ」
「……そうですか」
煌びやかなダイニングバー。淑やかな女の愛想笑いと、金の匂いの香水を手首に振ったような男の話し声。品が良いとは言えない客達の中で、どうも纏う雰囲気が違うのが二人。
一人は若く、擦れた雰囲気がない少女。そしてもう一人は、洗練された偉丈夫。
「折角だ。一杯飲んでいけ」
「……」
差し出されたのはニコラシカ────ストレートのウイスキーが入ったグラスの飲み口を輪切りのレモンが覆い、そのまた上に砂糖が盛られるカクテルである。
カクテルどころか酒類を飲んだ経験がないジルダは、一風変わった見た目の飲み物を見つめるだけだった。自身の目と同じ色の液体が揺れる。
何事もなく、誰にも知られることなく────ジルダの腹積りは、アラバスタに着いて三日目で打ち破られることとなった。サー・クロコダイルに酒を勧められるという形で。
アラバスタに降り立ったジルダはナノハナで服を調達し、標的がいる可能性の高いレインベースへと向かう足を探していた。己の足で行くかと考えていた矢先、親切にも、食料を卸しに行くというキャラバンが同乗させてくれることとなったのだ。
「若い娘っ子に頼まれちゃ断れねェよ。なぁ野郎ども!」
「うっせーな色ボケジジイ! 孫ぐらいの年齢の女にデレデレしてんじゃねェ!」
「ご親切にありがとうございます」
「良いってことよ!」
恰幅が良く気前の良い老人がキャラバンの隊長だった。やけに足の速いラクダはあっという間に砂丘を越え、日の暮れる頃にユバに着き、その後明朝、隊はレインベースに到着。彼らにお金を払い、隊長に勧められた宿に泊まってどうにかジルダは二日目を終えた────所までは良かった。
レインベースはそれなりに広大である。あちこちにカジノが溢れ、それに伴う飲食店やホテルなどは数知れず。会員制の酒場や社交場なども多く、捜索が難航するであろうことは明白だった。
だが二の足を踏んでいても仕方がない。ジルダはレインベースをかけずり回り、"父親を探している"だのと適当な理由をつけて聞き込みをしていた所で、とあるダイニングバーで見たという情報が手に入ったのだ。
とっくに日は暮れ、月明かりが眩しい夜。今日の調査はこれで終了────適当に軽食を頼み、それとなく店内を見回し、該当の人物がいないことを確認すれば頃合いを見て出て行く……ジルダはそのつもりだった。
「隣、失礼」
「……────どうぞ」
サー・クロコダイルが隣に座った時までは。
「ク、クロコダイル様っ……! ようこそおいでくださいました! ほ、本日は如何なさいましたか?」
「……何か適当に」
「は、はぃぃ!」
気弱なバーテンダーはひっくり返った声を上げて裏へと引っ込んだ。話し声は幾分か止み、代わりに羨望が膨らんでいる。視線は"英雄"とその隣にいる見窄らしい少女に向けられていた。
この任務において注目されるのは好ましくない。せめて客に顔を覚えられないよう、ジルダは布を深く被る。
「────そう照れるような性分でもねェだろう、お嬢さん」
ジルダは逸らしていた目を、ゆっくりとクロコダイルに向ける。ただの偶然、まだ誰にも知られていない────その可能性を捨てていなかったと言えば、嘘になる。
「そう思われるなら、そうなんでしょう」
「よく言うぜ。あんな格好で走り回っておいて……」
「その節はありがとうございました」
「ふん、"赤犬"が聞いたら卒倒しそうな言葉だ」
"聖地"マリージョアでの大立ち回りは、ジルダが思うよりずっとクロコダイルの脳に焼き付いていた。分不相応に立ち向かい、分不相応に震えていた彼女は、昔の自分を思い出すようで実に腹立たしい。あの後、暇でも出されたのかと思い揶揄いに来てみたが、どうも違ったようだとクロコダイルは内心独りごちる。
ジルダは反応を窺われていることを知りながら、クロコダイルから目を逸らさなかった。悪党というものは目を逸らせばつけ上がる。好きにしろと暗に告げていることになるからだ。これ以上踏み込ませるのは本意ではない。ジルダは自身から話を切り出した。
「何故ここに?」
「……本当に知られたくねェならキャラバンは使うな。そうでなくともおれには
「成る程」
標的の方に気を取られすぎたか、と彼女は反省する。クロコダイルが経営するカジノ、"レインディナーズ"に入りさえしなければ……そうタカを括っていたのも間違いだっただろう。まさか向こう側から接触してくるとは思いもよらなかった。
「それに────」
煙を吐き、クロコダイルは意地悪く笑った。
「ここに居るのは富裕層ばかりだ。その安物の服じゃァ目立つ」
「……そうですか」
ジルダにはクロコダイルが着るコートと、自分の纏う服の価値の違いが分からなかったが、
そっと現れた、落ち着きはらった初老のバーテンダーが、静かにクロコダイルに話しかける。
「本日はご来店ありがとうございます、クロコダイル様。"ニコラシカ"をご用意致しました」
「あぁ、どうも」
クロコダイルに差し出されたグラスは、テーブルの上を滑ってジルダの目の前でピタリと止まった。彼女は奇妙なカクテルを一瞥して、またクロコダイルを見つめる。
困惑も、警戒も無し────クロコダイルはジルダの在り方に興味を持っていた。厳格で頑固な海兵は珍しくないが、ここまで何も浮かべない海兵はそう居ない。甘言で靡くかどうかも測れはしないが、もし引き摺り込めたなら便利なことこの上ないだろうと────。
「折角だ。一杯飲んでいけ」
「……」
ジルダがレモンに手をかけることはない。酒を飲んだことがないという理由もあるが、彼女は肩の怪我を考慮していた。酒を飲んでは出血が増えてしまう。
「お気遣い……ありがとうございます。しかし、結構です」
「仕方ねェな」
クロコダイルはそう言うと葉巻を砂に変えた。それから形の良い指に輪切りのレモンを乗せ、砂糖ごと口の中に入れる。何度か咀嚼した後、グラスに入ったウイスキーを煽った。ニコラシカは、こうして口の中で混ぜることで完成する。
何故かジルダは、クロコダイルがニコラシカを嚥下するまでをジッと見ていた。その喉仏が上下する様を。飲み下した後、開かれたその瞼を。魅入る、という情動を彼女は無くしているにもかかわらず。
彼は紙幣を何枚か取り出し、カウンターテーブルに置く。
「これだけありゃあ、このお嬢さんの分も足りてるだろう」
「左様でございます」
「よし。じゃァ行くぞ」
「……はい?」
「何をしている。来い」
ジルダは口に手を当てる。言葉が口を突いたのは久しぶりだった。
椅子から動けないでいても、クロコダイルは扉の前で待ち構えている。また店内が騒つくのを感じ、ジルダは椅子から降りた。頼んだサンドイッチはお預けだ。
砂漠の夜らしく、バーの外は冷え込んでいた。しかし夢の町の熱気は衰えることを知らない。呼んだくせに、まるで歩幅を合わせない彼をジルダは走って追いかけた。衆目に晒されながらも、彼女はクロコダイルに食い下がる。
「何を……何故私に"来い"と?」
「
「理解ができません。そんな理屈で……」
「────海賊が」
突如振り返ったクロコダイルは、鉤爪の切っ先をジルダの方に突きつけた。月の冷たい光が、滴る血液のように鉤爪を照らす。
「ノコノコやって来た獲物を逃すとでも?」
────まただ。また、金色が視界を占めている。鉤爪も、磨かれた指輪も、その目も。眩しくて仕方がない。それが今は全て自分に向いているのだから、
目を伏せたジルダは"いいえ"とだけ言い、その後は黙りこくった。逃げるのなら、彼に"どうぞ"と言わなければよかったのだ。こうなったのは情報を手に入れられるかもしれない、と考えた自身の落ち度だと彼女は観念した。
「(どう……報告したものか……)」
報告の内容を頭で組み立てては、絶えず霧散していくのを繰り返しながら、ジルダはクロコダイルの後をついていく。冷たい風が傷に染みる夜だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「くっっだらねェ…………」
レインベースの外れ、富豪たちが建てた別荘が並ぶ高級住宅街の一角。ジルダはまさかのクロコダイルの邸宅に招かれていた。彼女の泊まっている宿よりもよっぽど設備が良い。調度品も質の良い品ばかりである。
海兵が三十人はたむろできそうな程広いリビングルームに通され、ジルダはこれまた質の良さそうなソファーにあっさりと腰掛けた。拘束も脅しも何もなかったが、一度体感した七武海の強さは身に染みている。
完全に相手のテリトリーであるため、自身の死よりも任務達成を優先したジルダは問われたことに過不足なく答えた。"赤犬"の命であること、横領のこと、レインベースに来たのはその調査の為……包み隠さず話してみれば、クロコダイルは不機嫌な顔をして"下らない"と吐き捨てる。
「久々に海兵が来たと思えば……」
「これが標的です。ウォルポール・ザカリー。男性、三十四歳。特徴は────」
「アー、やめろやめろ。木っ端を覚えたって仕方がねェ」
ジルダは取り出した写真を畳んでしまう。ヨレた男性の顔は少し悲壮にみえた。
本当に残念そうに興味を無くしたようなクロコダイルに、ジルダは怪訝な目を向ける。目的が読めない。この男は、何を求めていたのだろうと。
「横領なぞ……おれに言わせりゃ"奪われた方が悪い"。尻拭いとは、ご苦労様」
「……海賊にとっては、そうなのでしょうね」
正義が裁くのは"悪"だ。この場合は"奪った方"である。正反対の道理を理解できずとも飲み込んだジルダに、クロコダイルは口角を上げる。
「おれがこれ程何かを"期待"した意味が分かるか?」
「いいえ」
「────おれはテメェを買ってる。お嬢さんが思うよりもずっとだ」
キュッと、クロコダイルの目が細まる。空気が重苦しくなったのを捉えたジルダは、飲み込まれぬよう目を伏せた。どうも、あの金眼は彼女にとって毒であるらしい。
「あの鳥野郎に斬りかかる海兵なんざ、滅多に居ねェ。その後、おれの腕の中でみっともなく震えていたとしてもだ。誰が見ても、お前の度胸は認めるだろうさ」
「……」
並べ立てる単語だけは褒め言葉だ。だが、まともに相手してはならない。サカズキならばそう言うだろう────ジルダは応えぬまま、生還できる道を探していた。
「一目置いていた海兵が直々にアラバスタにお越しになった……となりゃァ、期待もするってモンだろう。色々とな……」
「ご期待に添えず、申し訳ありません。ですが
これが全てです」
「お前はこんな所で使い潰されていい奴じゃねェ。そうだろう?」
「いいえ。この任務が私にそぐわないとすれば、それは私が失敗した時のみです」
上手く仕込んだものだ────クロコダイルは込み上げる笑いを抑えきれなかった。空っぽの人間に命令だけを与えて、それに縋らせる。作られた忠義心。糸さえあれば勝手に踊り出すお人形。ドフラミンゴに斬りかかったのも、度胸故ではないと今なら分かる。
「……クク、クハハッ……哀れな奴……!」
クロコダイルはジルダが空っぽである事を見抜きながら、渇望こそすれ失望はしなかった。"使える奴"という認識がますます増すのみだ。その渇望の底に、信頼への不信があることを彼は自覚しないが。
「そう仰るなら、そうなのでしょう」
「そうだ。そのままでいい。────あぁ、もう夜も更けた。泊まっていけ」
そう言い放つクロコダイルに、ジルダは絶句する。返す言葉がここまで見つからないのも、彼女にとっては新鮮だった。
「……敵地で眠りこける海兵がいますか?」
「おれの目の前に一人いる」
一応、世界政府関係者である……という呪文を頭で唱えながら、ジルダはクロコダイルの説明を聞いていた。無闇に逆らって不況を買っては堪らない。
「ゲストルームは二階の廊下の奥。シャワールームはそこの廊下、トイレもそこ。好きに使え」
「……ありがとうございます……」
簡素な説明に、ジルダはうわ言のようなお礼を返す。クロコダイルは平然と階段を登り、早々に自身の寝室へと向かった。
「おれァもう寝る。良い夜を」
「……良い夜を」
"そう言われたから、そう返した"だけに過ぎない挨拶をクロコダイルは満足気に受け止め、寝室へと姿を消した。
家主がいなくなった途端、しんしんと夜がリビングに降り積もる。
ポツンと一人取り残されながら、"どうしてこうなったのか"を考えようとしては頭痛に悩まされたため、ジルダはやがて思考を放棄した。肩の傷も良くなっている気配がない。
ズルズルと体を引き摺りながら、あてがわれたゲストルームへと向かう。階段を昇るのも一苦労なほどに彼女は疲れていた。主に脳が。
ゲストルームの扉を開け、ジルダは暫し佇んで部屋を眺めていた。真白で皺のないシーツが敷かれた大きなベッド。埃ひとつ落ちていない絨毯。レインベースの明かりと壮観な砂丘が窓から見える。急に泊まることになったとは思えないほど、部屋は綺麗に整えられていた。
「(ここまで報告概要が纏まらないのは始めて……)」
今まで見たことがないほど豪奢な部屋に、ジルダは足音を立てないように入り込んだ。まるで一人きりかのように、邸宅は静まり返っている。
ガラス玉の瞳が、睨むように月を見上げた。視界にチラつく金色をどうにか取り除きたいからだ。報告内容が纏まらないのはこの色のせいだとジルダは考えていた。
しかし白い砂漠を青く照らす光が、艶やかな金を打ち消すことは叶わない。
「(……とれない……。電伝虫も、ここでは使わない方がいい。なら……)」
眠るべきだ────体はそう叫んでいた。何せ大きな怪我を負っているくせに、ご飯をろくに食べていない。
「貧血……」
言葉が口から溢れるほど判断力が鈍っていることに気づき、なんとかジルダはベッドへと倒れ込んだ。着替えもしていない、包帯も替えていないが、そんな余裕も無い。
瞼が溶けるように落ちながら、ジルダは二つ、問いを浮かべていた。
一つは、何故クロコダイルが施しを与えてくれたのかという事。
「(こうなると、酒を飲むべきか、飲むべきではなかったのか、分からない……)」
一つは、口をつけなかったニコラシカのこと。
結局、瞳に焼きついた金色を振り払えず、彼女は眠る直前までそれを見ていた。
夢のようなその色に、安心していることには気付かずに。