ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
ファンタビでマクゴナガル先生は時をかけるにゃんこにでもなっていたのかな?と思っていたのですが、無理があると気付いたので修正しました。普通にお辞儀と同時期にホグワーツ進学⇒魔法省⇒結婚⇒離別⇒ホグワーツルートを歩んでいる世界線です
ファンタビのマクゴナガル先生はなんだったんでしょうか
大広間でロニーがパンジーたちと殴り合いのキャットファイトをしているのではないかと心配していたがそれは杞憂だった。大家族で生まれ育ったロニーは普段から食事は男兄弟との取り合いのようで、いつも誰よりも早く食事を終えている。今はそんな心配はないとわかっていても、早食いの癖は抜けないようでいつもハムスターのように頬を膨らませているのだ。今頃は、談話室でくつろいでいることだろう。
ハティは空腹を訴えるお腹をさすりながら、グリフィンドールのテーブルを見渡した。ちらほらと同級生が楽し気に談笑しており、上級生たちは宿題が多いのか、羊皮紙を広げて走り書きをしている。ハティは中心のテーブルでフィリパとプリシラが深刻そうな顔で額を突き合わせて相談しているのを発見し、そちらに向かった。
「フィル、プリシー」
「ハティ! あの後、大変だったのよ!」
顔を上げたフィリパはそう嘆いて、天を仰いだ。一方のプリシラは少しおもしろがるような顔をしていたので、何か楽しい――いや大変なトラブルがあったのだろうと、ハティは「なにがあったの」とフィリパの隣に腰を落ち着かせた。
「ジャスパーとディランを知っていて? あの二人がやらかしたのよ!」
「やらかし……? そもそも、あの二人はフィルの何なの?」
「幼馴染よ!」
「兼婿候補」
とプリシラが面白がるように口の端で笑って付け加えた。
婿候補? 十一歳で? ハティが怪訝な顔をしてフィリパを見ると、フィリパはふうと困ったように溜息をついて口を開いた。
「そうなのよ、婚約者候補なんだわ。母はもし卒業までに恋人ができなかったら二人のどちらかと結婚しなさいって口を酸っぱくして普段から言うの。あの人は、強情なのよ――だから私、母の意見を跳ね除けることはできないの。でも私、ホグワーツでは自由に素敵な人と恋をしたいわ。ところが、二人は違うのよ。母の言葉に乗り気で、私と四六時中一緒にいたいっていうの。だから、”ピッパがグリフィンドールに入るのはおかしい””ピッパはスリザリンに入るべきだった”ってあの二人はずっと言ってるのよ」
「まだ十一歳なのに結婚のことなんか考えてるの」
ハティは瞠目して、かじりつこうとしていたチーズを黄金の皿に落としてしまった。
信じられない思いでプリシラを見てみるが、プリシラは真面目な顔をして頷いている。純血で、上流階級に属する魔女には珍しいことではないらしい。
「ええ、そうよ。だって、このブリテンに純血で富裕な家庭があとどれくらい残っていると思っていて? 私がロニーのお兄さんのビルと結婚してみなさいよ。それは、ビルってびっくりするくらいの美男子よ。でもね、ウィーズリー家じゃ貧乏過ぎて私はやっていけないわ。だって、私はお金遣いが荒いし、ハウスエルフが何人もいるような家で育ったんだもの。そんな私が、ウィーズリーの男と結婚生活を送れると思って?」
「ハウスエルフって、お金のある魔法使いの家系にしな住み着かないのよ」
プリシラの説明にメンタルが根っからの日本人なハティは「座敷童みたいなもんか?」と小首を傾げた。多分、違う。
「それで私が物心ついた時に、母が男の子たちを準備してくれたんだけどお眼鏡にかなったのはお金があって、美少年で、純血のジャスパーとディランくらいだったの。だけどねえ、一人に絞るって難しいのよ。容易じゃないの。どちらを選んでも、もう一人の方と結婚しなかったことを生涯悔やむに決まってるんですもの」
「でもね、そういうのってより好きな方と結婚すればいいじゃない? それか、二人に決闘させるのもいいと思う。生き残った方と結婚するの」
と、ハティはあっけらかんと言った。ハティ・ポッター十一歳、恋多き悩みを持つフィリパ・ポップルウェルの相談相手になるにはあまりにも蛮族すぎる思考の元主であった。
「ハティったらとんでもないわ! まるで中世のお姫様みたいな思考をしているのね! それに私が異性を愛するなんてできないのよ。それは私の性分じゃないし、そんなことをしたらプリシラのおばあさまが書いてる小説みたいに完全な愛の奴隷になってしまうじゃないの。そうすれば、男は私よりも強い力を持つことになって、こっちは酷い目に遭わされるわ。私はジャスパーのお母さまを知っているから、それが怖いの」
「ジャスパーのお母さま……まあ結婚相手の吟味は置いておくとして、結局二人はフィルのためになにをやらかしたの? フィルの悩みってなに?」
「二人がフィルを愛しすぎて、ダンブルドア総長にフィルをスリザリンに入れるよう嘆願書を送ろうとしているのよ。だけど、フィルは二人のことをただの幼馴染としか思っていないし、グリフィンドールを気に入っているからフィルはそんなことをしてほしくないのよ」
プリシラが簡潔に要約をしてくれた。
愛とは恐ろしい。組み分けの儀式の結果を無視してスリザリンに入れろなどという話をマクゴナガルが聞けば、静かに憤慨し、氷の様な目つきで「あなたたちは何を言っているのです」と睥睨されるのが容易に想像できる。
「それは、マクゴナガルが知ったら”何を馬鹿気たことを言っているのです”って怒りそうな話だわ」
「そうでしょう? 私はダンブルドア総長の怒りを買っても、マクゴナガル教授の怒りを買いたくないのよ。昨日、一番上の兄のクレメントが手紙で教えてくれたの。マクゴナガル教授は各方面に伝手があるから、グリフィンドールで優秀な成績を残せば大抵の就職先はマクゴナガル教授の口利きで入れるはずだって。だから私はグリフィンドールで頑張る決意を固めていたのよ」
「そうなんだ、教授が」
フィルの情報はかなり有力だった。
家族のいないハティにとって就職活動は人生を左右する重要なイベントである。大学や専門学校といった卒業後の進学先がない以上、この七年間にモラトリアムはなく、常に優秀な成績を取り続けて就職活動に挑まなければならない。問題は縁故採用の伝手がないことだったので、ハティにとっては朗報であった。
「マクゴナガル教授って、変身術の教授になられて長いものね。ダンブルドアも変身術の教授をしてらしたそうだし、変身術が得意な人って基本的に優秀なんだわ。あんなに分野はないもの。母さんが言ってたんだけど、マクゴナガル教授は以前は魔法省にお勤めだっんですって。だから、勿論魔法省に伝手があるってわけ」
プリシラが夢見るような瞳でぼんやりと呟いた。
「そういえばハティ、貴方もこの前の変身術の魔法が見事だったわ。適性があるんじゃなくて?」
フィルが大きな瞳を輝かせて言った。
「無理だと思う。マクゴナガル教授の趣味って知ってる? 変身現代の校正ですって。私はそこまで変身術を極められそうにないなあ。とにかく、そのジャスパーとディランをどうにかしないといけないのね? 二人には無理だって愛の力で説得したらどう?」
「でもねえ、二人が言うのよ。スリザリンでは既に私と同い年の女の子たちが上級生たち相手に社交活動をしてるって。これって卒業後の就職とか、結婚の為の大事な行事なの。スリザリンは昔から純血の魔法族が入学することが多いでしょ? だから魔法族の血統を存続させるためだったり、人脈を作るための紳士淑女のためのクラブがそれぞれあるのよ。ところがグリフィンドールにはそういったものがないじゃない。それは今後何をするにしても不利だって、ディランが言うの。ジャスパーにしたって、ジャスパーのお姉さんのアガットもメイジーもエスメもスリザリンで結婚相手を見つけたって言うのよ。私、そんなことを言われたらグリフィンドールに入ったことを後悔してしまうじゃないの。そんな風に思うのは嫌なのに」
「申し訳ないけど、社交関連はあまり役に立ちそうにないなあ。男の子の知り合いはいるけど――知っているのはヒューとアクラムくらいだし」
「アクラムね。アクラムはダニーの婚約者だから、駄目だよ。たとえあの二人の仲が険悪だとしても、私は他人の物を奪いたくはないわ」
決然とフィリパは言い放った。
ダニーとはホグワーツ急行の客室で一緒だったダフネ・グリーングラスだろう。小広間で見たダフネとアクラムは険悪どころか、没交渉状態の仲の悪さだった。あの二人が婚約破棄をすればフィリパの恋人候補に一気にのし上がるのかもしれないが、今は期待できそうにない。
「それにヒュー・フィールディングにしても、あなたが大事そうにしているから駄目だわ」
「……そんなことはないんだけど」
「説得力がないわね、ハティ」
からからとフィリパが明るい笑い声をあげた。
そういえば、ホグワーツに入学して初めての土曜日を迎えようとしているのに組み分けの儀式以来ヒューとは話ができていない。以前は頻繁に手紙のやり取りもしていたのに、その手紙すらこない。ハティはそのことに気付いて、なんだかヒュー・フィールディングが薄情なのではないかと思い始めた。
むっとしているハティに、プリシラは「ヒュー・フィールディングとはどうやって知り合ったの。私、一度だけ社交界で彼を見かけたんだけどあんな風に笑う男の子だって知らなかった」と訊ねた。
「社交界で?」
「ヒュー・フィールディングは一応、グリーングラス家の跡取りだものね」
「それってどういう意味?」
ハティは怪訝に眉宇を顰めてプリシラを見た。フィリパもその件については訳知り顔ではあったが、ハティの視線を受けて気まずそうにそっと琥珀色の目を伏せて、珍しく口ごもった。
「ヒューのお母さまのレア・ティルダ・グリーングラスはダフネのお父さま、アキレス・グリーングラスの妹なのよ。ダフネたちは二人姉妹でしょ、だからグリーングラス家の跡取りはレアの息子がヒューになるの。ヒューはグリーングラス家を継ぎたくないでしょうけど」
「そんなこと、知らなかった」
「実際、ヒューは嬉しそうじゃなかった。歴史あるグリーングラス家を継ぐことを名誉に思ってなさそうだったし、むしろ負債くらいには思ってたんじゃないかしら」
プリシラは栗色の髪を指に巻き付けて物憂げに呟いた。
純血の魔法族たちが持つ身分と名誉。
ハティの目には見えないし、手にも触れられない代物だ。だからこそ、まるで呪いのようなものなのではないかと思った。
ヒューの父親は生粋のマグルで、貴族の一員でもある。そんな背景を持つヒューが魔法界の社交界に出て良い待遇を受けたとは到底考えられなかった。ただでさえ、マルフォイはヒューの母親を淫売扱いしていたのだから、そんな女性から生まれた息子が歓迎されるはずがない。
「そういう意味ではヒューもダフネも似ているわ。こんなことを言ったら、ダフネは怒り狂って十年くらいは口を利いてくれないでしょうけど」
フィリパな自嘲するように笑った。
「あのね、私、マリーンの社交クラブに参加したらどうかと思うのだけど」
不意にプリシラが言った。
ハティにはなんのことだかわからなかったが、フィリパは寝耳に水とばかりに瞠目して大きく身を乗り出した。彼女の赤い唇が花開くようにじわじわと笑みが広がる。
「それっていいわね! スリザリンの社交クラブほど閉鎖的じゃないし……なによりマリーンが
「
プリシラがおかしくてたまらないといった様子でくすくすと笑った。
「いやね、ハティったら……動物のことを言ってるんじゃないわ。ハニーバジャークラブは、別名友愛団とも言ってハッフルパフ発祥の社交クラブなのよ。マグルだって、色んな秘密結社があるでしょ? それと同じよ。ただし、このクラブの場合は寮の垣根をこえてお友達を作ろうっていうのが目的なの。だから、家同士の派閥にこだわる必要はないし、案外有益な人脈を築くことができるのよ」
「マリーン・ダーハムはハッフルパフの監督生でアイルランドの有力な魔法族なの。きっとハティも知り合っておいて損はないと思うわ。それに、彼女とてもお洒落だしお友達が多いの。ねえ、一緒に行きましょうよ。この上なく豪華で華やかな日を過ごせてよ。ハニーバジャークラブをあげてきっとみんなあなたに熱狂するわ。あなたの美貌、言葉、なにもかもよ! それほどあなたって魅力的よ、きっと大成功をおさめるわ。そして私はその栄光のおこぼれに預かるの。薔薇の花の近くに咲く、菫の花といったところかしら。ねえ、それって素敵よね? プリシー」
「いいわね、フィル。あなたの描く社交界征服への足掛かりにはまったく心は奪われないけれど、そろそろ学校生活に慣れてきて退屈していたところよ。少しばかり楽しいトラブルに巻き込まれたいわ」
「決まりよ! クラブはいつも日曜日の昼にやっているの、一緒にお洒落をして出かけましょう。ハティ!」
「そうね、それは楽しみかも」
フィリパはこれで決まり! とばかりに満面の笑みを浮かべて優雅に紅茶に口をつけた。先ほどまでの悩みが嘘のように、彼女の表情は晴れやかでこれからホグワーツで始まる社交界征服の計画を頭で練っているに違いなかった。
ハティは最初の一週間の週末はベッドの上で寝て過ごそうと決めていたので、自分の優雅な週末の予定が壊されたことに多少の未練はあったものの、フィリパの言う社交界というものに興味があったのでそれはそれで楽しめそうだ。と唇を綻ばせた。何より、今日の午後にはハグリッドとの大事なお茶の予定があったのでその約束が守れたのは幸いだった。
「私、午後は予定があるからそろそろ行かないと」
「あら、そうなの?」
もう少し話がしたいわ。と呟くフィリパとプリシラに名残惜しく手を振って、ハティは大広間を出た。ハグリッドとのお茶会なのでさほどお洒落をする必要はなかったが、梟通信で取り寄せたシュガープラム菓子店の焼き菓子セットが部屋の机の引き出しの中に眠っている筈なので、それをハグリッドへのお土産にしようと思っているのだ。それに、ロニーの無事を確かめる必要がある。
つらつらとそんなことを考えながら階段をのぼっていたハティは、踏み出した右足が階段をすり抜ける感触に悲鳴をあげた。急激に襲ってきた浮遊感に左足もバランスを崩してぐらりと体が揺れる。
「ギャアアアア! なんじゃこら!!」
「やれやれ、お嬢さんはわが校のブービートラップをお忘れのようだな」
後ろに倒れそうになった体を両脇から伸びてきた腕が支え、ハティを引っ張り上げた。同時に響いた声に驚いて顔を上げると、そこにはにんまりとチェシャ猫のように笑った赤毛の同じ顔がこちらを覗き込んでいた。
「ほらな、やっぱり階段から落っこちただろフレッド」
「お手本通りの足の踏み外しだったな」
「お嬢さん、怪我はないかい? ってあれ、ハティじゃないか」
「やあ、ハティ。怪我はないかい?」
「フレッド、ジョージ!」
フレジョじゃん!
ハティは危機一髪で助けられたことに安堵しつつも、暴れ狂う心臓を宥めながら、なんとか二人の支えで階段に踏みとどまった。そのまま階段が動いてしまう前に、と三人で駆け足で踊り場まで登りきる。
「二人ともありがとう、助かった。ここの階段は危ないって知ってたはずなのに」
「どういたしまして」
「無事でよかったよ」
「新入生はいつもこの階段を踏み外すんだよな」
「次は気をつけろよ」
かわるがわるそう言われ、双子は励ますようにハティの頭を撫ぜた。
ハティはくしゃくしゃにされた髪を手櫛で整えながら振り向いて階段を睨みつけた。双子が助けてくれなかったら、片脚を突っ込んだ間抜けな姿で倒れていたかもしれない。鞄の中にはスネイプにもらった薬も入っていたので、こんなところで鞄を落としていたら目もあてられなかった。ハティが安堵の溜息をついていると、双子はなぜかきらきらと目を輝かせてハティの顔を覗き込んでいた。
「意外と何度かこの階段に引っかかってるだろ」
「この前も動く階段の上で悲鳴をあげて座り込んでたな」
「しかも向こう側には壁しかない扉を”なんで開かないのよ!”って叫びながら必死に開けようとしていたし」
「タペストリーに巻き込まれてヒイヒイ言ってたよな」
なぜこの一週間の苦労のほとんどを双子は知っているのだろう。
ハティは顔からあらゆる指摘に顔から火が噴くかと思った。羞恥で真っ赤になっているハティに構わず、フレッドとジョージは楽し気に続けた。
「我らが妹を上回るドジっ子だな?」
「やはり、姫君にはスマートに手を差し伸べる騎士が必要じゃないだろうか」
悪戯っぽく笑うジョージに対して、フレッドはウインクをして恭しく頭をたれながらハティに片手を差し出してきた。
「さあさあお姫様、荷物はこの騎士フレッドにお預けください。グリフィンドール城へは私めがおともいたします」
「お手をどうぞ、姫君」
おすまし顔で手を差し出すジョージ。
城の往来でこの小芝居、恥ずかしい。あまりにも恥ずかしい。ハティは顔を覆って今すぐ逃げ出したくなった。しかし、フレッドはせっせとハティから巨釜と荷物を奪い、ジョージはハティの手をとってダンスでもするかのようにくるりとハティの体をまわす。誰か、わたしを助けて~~!! と内心で叫んでいると、どこからともなく冷ややかな声が聞こえてきた。
「なにしてんだ、あんたたち」
「あっ、ヒュー」
声のする方に目を向けると、丁度アクラムと一緒にヒューがこちらに向かって階段を登ってくるところだった。
レイヴンクロー寮はグリフィンドール寮と同様に地下ではなく尖塔の一つにあるため、二人とも寮に帰ろうとしているところなのだろう。ヒューはハティと一緒にいるのが、赤毛の双子だと気付くと厄介な奴に見つかったとばかりに「げっ」と盛大に顔を顰めた。
「久しぶりね、ヒュー」
「これはこれは、レイヴンクローのカナリア王子じゃないか」
「何だい、また俺たちの摩訶不思議なクリームがご所望で?」
「懲りないね、カナリア王子」
手すりから顔を覗かせた双子が同時に言って、にやにやと笑う。
ヒューは一歩後退り、背後を振り返った。このまま階段を降りようか躊躇しているようだった。しかし、ハティを見て意を決したように冷や汗を滲ませて階段を上がってきた。
「今度、俺にふざけたお菓子を食わせたら許さねえ」
「ふざけたお菓子?」
「こいつ、双子がレイヴンクローのテーブルに紛れ込ませたカスタードクリームタルトを食べて鳥になったんだよ。黄色の綺麗なカナリアだったよ」
アクラムがその時のことを思い出したのか、肩を震わせて笑いをこらえながら教えてくれた。ヒューは今まで見たこともないような怒りの形相でアクラムと双子を睨みつけ「冗談じゃない」と低い声で絞り出した。
「後で聞けば俺がカナリアになっている間に、オスカー・オブライエンの猫が俺を食おうと追いかけまわしてたらしいじゃん。一歩間違えれば、俺はバリバリ食われてたわけ。あの時のことはマジで許せねえ」
それは確かに恐ろしい。
ハティは同情の眼差しでヒューを見ていると、双子は「あれはすごかったな」「オスカーの猫、目がギラギラだった」と腹を抱えて笑い始めた。その姿にヒューの眦がきりっと吊り上がる。ローブのポケットからすらりとした杖を取り出したヒューを見て、フレッドが「おっと」と後退った。
「まあ、落ち着け。悪かったよ」
両手をあげ降参のポーズをとりながらへらりと笑ったのはジョージだ。
しかし、ヒューの怒りはその程度の謝罪ではおさまらなかったようでヒューが弾かれたように踊り場へと駆け上がると、双子は荷物を放ったと思うとハティの髪をくしゃくしゃに撫ぜて、同時に駆けだした。
「おい待て、この赤毛!」
「今度は君が猫になる番かい? 伯爵」
「君が俺たちに本気で追いつけるとでも思っているのか? 伯爵!」
「お前ら、蛙に変えてやる!」
ヒューの怒声と、双子のはじける様な笑い声があたりに響き渡る。
「じゃあな、ハティ! 今度は壁に向かってドアを開けないようにね!」
そう言って二人は階下からこちらを仰いで、楽しくてしようがないといった満面の笑みで走り去っていた。鬼のような形相のヒューを連れながら。
取り残されたハティは呆気にとられて立ち尽くしていたが、階段を登ってきたアクラムがけらけらと笑いながら三人を見送り、ハティの荷物を拾ってくれた。
「ヒューのやつ、厄介な奴らに目をつけられてるみたいだな」
「仲がいいの?」
「ウィーズリーの双子と? あっちが一方的にヒューを気に入ってるだけでしょ。カナリアから戻った後のヒューの反応がよほど面白かったんだろうな。無視しとけばいいのに」
アクラムは笑みを滲ませて言った。
確かに双子は醒めた目で無反応を貫く人間よりも、ヒューのように必死になって追いかけてくれる人間の方が弄り甲斐があって楽しいのだろう。しかし、ハティが本当に知りたかったのは双子とヒューの関係性などではなかった。
「ううん。そうじゃなくて、ヒューとアクラム」
まさかハティが二人の事を指しているとは思わなかったのか、アクラムは目を丸くして「俺とヒュー?」と自分を指さした。
「仲がいい……かあ。まあヒューとは腐れ縁だし、ある意味では同志みたいなものかな? それにヒューは他の子どもに比べて成熟してるし、会話のレベルが合うから俺は好きだよ」
アクラムらしいどこか斜に構えた物言いではあったが、ハティは小広間でアクラムがマルフォイ相手にヒューを庇ったことを思い出して彼の不誠実な物言いを許すことにした。
「わたしが言う事じゃないけど、ヒューにお友達がいてよかった。ヒューは少し意地悪なところがあるけど、良い子だよ。大事にして、絶対に彼を裏切らないで」
「裏切らないで、か……どうしてハリエット・ポッターがヒュー・フィールディングと知り合ったんだ? ヒューは一応イングランド貴族の息子だろう。同じマグル社会にいたとはいえ、階層を超えて接点ができるとは思えないけど」
「七歳の時だったかな、マグルのサマースクールで出会ったの」
踊り場の壁には、小さな魔女と魔法使いの肖像画がかけられている。肖像画の中で二人はドレスとローブを翻し、笑みを浮かべながら楽しそうにダンスを踊っている。丁度、ハティとヒューが同じくらいの年頃だった。
ハティは当時の記憶を振り返るように、肖像画を眺めながらアクラムに語った。
当時、ダリアが宿泊型のサマースクールに参加するというのでハティはダリアの世話役としてダーズリー夫妻に送り込まれた。
ダリアは同年代の子どもに比べて発達が遅く、すらすらと口から出るのは日常的にヴァーノンから聞かされている暴言くらいであった。数字もまともに数えられない、友達に暴力をふるうような子どもだったので、勿論プライマリースクールでは彼女が暴力で支配に置いた友達しかいなかった。その友達でさえ、ダリアと同じような子どもが多かったので、ダリアの世話をできるはずがないとダーズリー夫妻は考えていた。そこで白羽の矢が立ったのが、当時から利発で大人の覚えも良かったハティであった。
「いいか、お前は外面だけはいいからな! わしらのダッダーちゃんがサマースクールで相応しい待遇を受けられるように、お前がダッダーちゃんの世話をするんだぞ!」
「いいこと? 本来だったら、あんたに三五〇〇ポンドも出せないの。それを無理して払ったのは、全部ダッダーちゃんのためよ。もしも、いつも家でしているようなマトモではないことをしたら、物置部屋に一か月はいてもらうからね。いいわね!?」
ダーズリー夫妻にそう言い含められ、ハティは「ダリアにふさわしいたいぐう……」と呟き、思案した。
今のレートで三五〇〇ポンドは日本円で約七十五万円だな、とハティは明晰な頭脳ですぐに数字を弾き出したがダリアにそれほどのお金を出して名門ボーディングスクールのサマースクールに参加させる価値があるとは思えなかった。
ダリアの脳内には、数年後に名門校を受験し、そのまま名門大学に進学、卒業後一流企業に就職——なんて計画一生かかっても出来ないだろう。彼女が考えているのはせいぜい今日のおやつか、夕食のことくらいだ。
ハティはソファーの上でむちむちと肥え太った手でポップコーンを掴み、貪っているダリアを横目に「わかった」と頷いた。
今から行くケンブリッジの名門校にダリアに相応しい枠があるわけがない。
そうして二人はケンブリッジの名門ボーディングスクールが開催するサマーキャンプに参加することとなった。
実のところ、ハティはあまり気乗りしなかった。参加したところでダリアが知能の問題で入学できない名門校をダーズリー夫妻がハティを受験させてくれるはずがないし、合格したとしても「お前なんぞに払う金があるわけないだろう」とヴァーノンが笑い飛ばすのが関の山だ。参加してその魅力を知れば、余計に傷が抉られることは予想できた。
憂鬱な気分のままキャンプは開催された。子どもたちはボーディングスクールの寮で寝泊まりすることが決まっていたが、寮の部屋は学校の采配であったのでハティとダリアは別の部屋になり、その夜さっそくダリアは同室の子どもに口汚い悪態をついて問題になっていた。
サマースクールに参加しているのは、富裕層の子どもたちばかりだったのでダリアの立ち振る舞いも、彼らには下品に映ったらしい。ダリアは二日目から早くも遠巻きにされて、ハティが夫妻の希望通りに世話をせざるを得なくなった。
しかし、カリキュラム自体は充実しておりハティはそれらを通して人生で初めて同年代の子どもたちとの交流というものができた。プライマリースクールではダーズリー家の養い子として有名でまともな人間関係を築くことはできなかったが、ここではダーズリー家のハティではなく、ただのハティ・ポッターに過ぎなかったので何の先入観もなく彼らはハティの友人になってくれた。そのうちの一人は今でもペンフレンドとして交流がある。
そうして、合宿三日目。ハティは早くもダリアがたびたび起こす癇癪に辟易して、ダリアの世話を放り投げて一人学校の庭に足を伸ばした。ちょうど昼食の時間で子どもたちはサンドイッチやレモネードの瓶を片手に仲良くなった子ども同士で芝生の上でゆったりと過ごしている。
ハティは「どうしてダリアってあんなに癇癪もちなのかしら」とイライラしながら人気のない場所を探した。今すぐにでも一人で悪態をつきたい気分だったので、仲良くなったばかりの子どもにそれをぶつけるわけにはいかなかった。どこか一人でぶつぶつ呟ける場所があればいいのに、と辺りを見渡していたハティは人気のない大木を見つけてその根元に腰を下ろした。
「ダリアの奴、ほんとムカつく。あいつ、頭おかしいんじゃないの? 本当にヴァーノンにソックリ。あのまま太りまくってアメリカの成人病患者みたいになればいいのに」
「うっせえ」
「え?」
背後からぶっきらぼうな声が聞こえて、ハティは驚いた。ハティの後ろには大きな木しかなかったが、その声は確かに後ろから聞こえたような気がして、そろそろと木の裏側にまわっていると一人の少年がハティと同じように腰掛けていた。手にはなにか古ぼけた質の悪い紙を持っていて――ハティは後にこれが羊皮紙だと知った――膝の上には一枚のカラーの写真がある。その中で、ヴェニーシャンブロンドの美しい女性がにっこりと笑いながら手を振っている、ように見えた。
ハティは驚いて「なに、その写真!」と思わず声をあげた。
少年はハティが近くまで来ていたことに初めて気づいたようで「チッ」と口汚く舌を打って、さっと写真を裏返した。そして、こちらを鋭く睥睨した。
「見てんじゃねえよ」
その濡れた瞳を見た時、ハティは思わず感嘆の溜息をついていた。
なんて美しい青い目だろう――少年の目は、鮮やかなコーンフラワーブルーをしていた。緩やかな巻き毛は稀有なヴェニーシャンブロンドで、肌は白皙を思わせる白。端整な面立ちは氷のように冷ややかでどこか精巧な人形を思わせる。しかし、今はまるで毛を逆撫でて警戒する野良猫のようにハティを威嚇していた。
「ごめんなさい、盗み見するつもりはなかったの。ねえ、今の写真もしかして動いてた?」
「気のせいだろ」
少年はすげなく一蹴した。それ以上ハティと取り合うつもりはないと言わんばかりに、手紙を丁寧に畳んで立ち上がろうとする。ハティは慌てて「まって」と少年を制止した。
「邪魔をするつもりはなかったの。先に人がいるとは思わなかった。わたしもむしゃくしゃしてて、一人で気持ちを発散したかったの」
「わたしも? なんで俺がお前と一緒だと思うんだよ」
「だってあなた泣いてるじゃない」
ハティのその一言に、少年ははっとして自分の頬に白い指を這わせた。彼のほんのり血色のあるまるい頬は、幾筋もの涙で濡らした跡があって未だに乾いていなかった。
「気付かなかった」
苦虫を潰したような顔で少年は呟く。
「どうして泣いていたの」
「お前には関係ないだろ」
「私はね、従姉妹のダリアの世話にむしゃくしゃして逃げてきたの。あいつ、頭におがくずしか詰まってないから”お腹空いた””殴られたいのか?”しか言えないのよ。本当に野蛮でうんざりする」
少年は「お前の事情なんか知りたくない」と冷たく吐き捨てたものの、泣き顔を他人に晒したくなかったのか腰を下ろして片膝を立てると、俯いた。
ハティは少年が聞いていなくても構いやしなかった。ただ誰かに胸の内を知ってほしくて、淀みなく滔々と語った。
「本当はこのサマースクールにも来たくなかったの。だってわたしがどんなに賢くても、ダリアが入れない学校に入学することを伯父さんと伯母さんは許してくれるはずがないんだもの。今回のサマースクールにしたって、あの人たちがこんなにお金を出したのがびっくりするくらいよ」
「そんなに嫌ならこなきゃよかっただろ」
「そうね、来なければよかったかも。でも少し期待しちゃったんだよね。いい子でいたら、伯父さんと伯母さんがわたしを大事にしてくれるかもって」
「なんで伯父さんと伯母さんなんだよ。それは親の役目だろ」
「パパとママはいないの。わたしが赤ちゃんの時に交通事故で死んじゃった。だから、ずっと伯父さんと伯母さんの家にいるんだけど、あの人たちはわたしが嫌いみたい。わたしが少しでも変なことをすれば、伯父さんは”お前のためだ”って言って殴ってくるし、伯母さんはわたしを物置部屋に閉じ込めるの。でも一番惨めなので、あの人たちがわたしを愛するに値しない人間だって態度をとるくせに、ダリアを溺愛してる時だわ」
ハティは自嘲の笑みを浮かべた。
見ず知らずの少年に重い家庭事情を語ってしまった。きっと少年もハティの話にげんなりしているだろう。おかしな人間だとも思われてしまったかもしれない。こういう時に、自分はまともな人間関係を知らないから突飛な行動をして他者との健全な関係性が築けないのだ。と自分が恥ずかしくなる。
ハティは努力してにっこりと少年に笑いかけた。
「って言う誰かの自叙伝を最近、読んだの。なかなかヘヴィーだったわ。でも、自分よりも不幸そうな人の話を聞くと、少し胸がすっきりしない?」
少年は横目でハティを見て、小さく笑った。
「他人の不幸は蜜の味ってやつ? でもさ、結局自分の不幸からは逃れられないだろ。人には人の不幸があるもんな。さっきの、アメリカに住んでる母親から届いた写真と手紙だったんだ。俺を置いてアメリカに逃げたくせに、今度は再婚するって。本当に最低で身勝手な女だよ。こういうのを、愛するに値しない人間なんだって俺は思ってる」
「お母さんのこと、嫌いなの」
嫌いだったら泣いたりしないだろう。わかっていて、ハティは聞かずにはいられなかった。
少年はハティの質問に息を呑んで黙り込んだ。下唇を噛みしめて暫くの間地面をじっと睨みつけていたが、次第に肩を震わせて涙を零し始めた。
「あいつなんて、大嫌いだ。あいつのせいで、俺はどっちつかずの人間なんだ。人間にも魔法使いにもなりきれない。父さんの家族からは魔女の息子だから爵位を継ぐのにふさわしくないって言われて、あいつの家族からは泥の血が混じってるから家を継ぐのにふさわしくないって言われる。父さんを騙して俺を勝手に生んだくせに、あいつはそんな俺に見向きもしない。いつも”愛してる”って囁いた口で、俺を裏切るんだ。本当は俺を愛していないから、どうでもいいんだよ。こんなだったら、母親なんか最初からいない方がマシだ!」
「好きだから、裏切られるのが悲しいんだね」
少年は、はっとしてハティを見た。
「わたしの場合は好きになる機会すら与えられなかったの。あなたはお母さんのこと、好きだって思える瞬間はなかったの?」
「……ある」
鼻を啜りながら少年は頷いた。「スクリーンの中で演技をしてる時。それに、クローゼットの中でドレスを選んでる時。あいつはどんなドレスも似合うんだ、それにセンスが良い。そこだけは認めてやってもいいと思ってる。それに人間の文化を愛していること。それから……不器用な癖に俺にへたくそなパンケーキを焼いて、一緒に紅茶を飲んでる時は普通の親子でいられるような気がする」
「そっか……じゃあまた一緒にお母さんとお茶ができるといいね」
「無理だよ。俺はあいつに会うたびに酷い言葉を言ってしまうんだ、本当は言いたくないのに。そのたびにあいつは傷ついた顔をして”お母さんのせいね”って言う。俺はそれをいつも否定できない。本当は一緒に前みたいに紅茶を飲めたらいいのに」
「お母さんはあなたが酷い言葉を言ったら、怒る?」
「怒らない。でも怒られるよりも、あいつに傷ついた顔をされるほうが辛い」
「少なくとも、お母さんはあなたを悪く思ってないんじゃないかな。わたしなんか、伯父さんと伯母さんに怒られてばっかだよ。お母さんは、お母さんなりにあなたを気遣ってるだと思う」
本当に少年を愛していないならば、悪態をついた子どもに対して親は逆上するだろう。しかし、彼の母親の場合は自分のせいだと自罰的な言葉を吐いている。それは、少年を傷つけない為なのだ。
ハティは少年の母親が、少年が思うほど愛していないわけではなさそうだ。と思った。
「今度、お茶に誘ってみて。それから、お母さんが再婚して寂しいって正直に伝えるの」
「そんなの言えるわけねーだろ! つか、自分からお茶に誘ったことないし……そんな勇気もない」
「じゃあ、わたしが最強になれる呪文を教えてあげる!」
「最強になれる呪文?」
少年は胡乱な目でハティを見た。いかにも胡散臭そうだと思ってそうな顔だったが、先ほどよりも熱心にハティの言葉に耳を傾けていた。
ハティはこほん、とわざとらしく咳払いを一つして快活に笑った。これはいつかの公園で見知らぬおねえさんが教えてくれた秘密の魔法だ。ダリアにも、ダーズリー一家にも内緒、物置部屋に閉じ込められるたびに、ヴァーノンに怒鳴られるたびにいつも唱えてきた。そうすればハティの中で力がみなぎって、悲しい気持ちもどこかに吹き飛んでしまうのだ。
「いい? 一度しか言わないから。スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスだよ!」
「す……なに?」
少年が怪訝に顔を顰めた。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスだってば」
「す……変な呪文。そんな魔法の呪文があるわけないじゃん、聞いたことないよ!」
奇妙な顔つきをしていたものの、少年は途中からおかしくなったのか晴れやかな顔で笑みを零していた。
ハティは少年の笑顔を見て「ほらね」とにんまりと嬉しそうに顔をほころばせた。
「笑顔になったでしょ? これが魔法の呪文の効果なの」
「そんなの、全員には効かないよ」
「少なくとも、わたしたち二人には効くわ。だから、これは小さな魔女であるわたしと魔法使いであるあなたの二人だけの秘密の魔法よ!」
「ただの人間の癖に」
少年はぶっきらぼうにそう呟いたものの、暫くして目を伏せてかすかな笑みを浮かべると輝くコーンフラワーブルーの瞳で「お前名前は」とおもむろにハティの名前を訊ねた。
「ハティ。ハリエット・ポッター」
「ハリエット・ポッター!?」
少年はなぜかぎょっと驚いて、ハティから後退った。そして唖然としてまじまじとハティを見つめながら「嘘だろ、ハリエット・ポッター? いや、そんなわけない……ハリエット・ポッターが酷い扱いを受けるはずないだろ。それによくある名前だ……」と口ごもり、何かを振り切るように頭を振った。
「わたしの名前がどうしたの?」
「平凡で、伝統的な名前だと思って!」
「まあ、そうよね……かなり古風。でも、わたしのミドルネームはもっと素敵なの。イオランテ、チャコフスキーのオペラと同じ名前よ。きっと両親がオペラ好きだったんだと思う。これは中々冴えた名前だと思うのよね」
両親がハティに残した数少ないものの中でも一番気に入っている贈り物である。
ダーズリー一家はただの「ハリエット」としか呼ばないが、ハティは毎晩欠けた鏡の前で髪をすくたびに「おやすみ、イオランテ」と囁く。そうすれば、自分が特別な誰かになった気がするのだ。
「イオランテ……イオランテか。確かに、ハリエットよりは劇的だな。決めた、お前のことイオラって呼ぶ。こっちの方がずっといい」
「イオラ? 気に入ったわ、その呼び方。あなたのことは何て呼べばいいの?」
「ヒュー。ヒュー・フィールディング」
「ふーん、貴族的な名前ね」
「まあ、父親はイングランド貴族なんだけどな」
「えー!?」
ハティは度肝を抜かれて叫んだ。
それが長きにわたるハティのかけがえのない親友、ヒュー・フィールディングとの出会いだった。
後にヒューの母親がハリウッド女優だと知った時には、その華麗なる血統に腰を抜かしたがヒューはハティを平凡な子どもだと知りつつもハティを見下すことなく、対等の友人として扱った。サマースクール終了後も、二人はペンフレンドとして交流を続けては一年に一、二度一緒に遊んだ。
以降も二人の友情は途切れることなく続いていた。二人はお互いの傷をなめ合う関係ではあったが、かけがえのない親友であったのだ。
だから、ヒューには幸せになってほしい。それはハティが他人に対して初めて願ったことだった。
ヒューの置かれた立場をフィリパとプリシラから知った今ならば、ヒューの母であるレア・グリーングラスがヒューをイルヴァモーニーに入学させたがったり理由が理解できる。ヒューが英国魔法界で嫌な思いをすることを彼女は恐れたのだ。イルヴァモーニーに入学すれば、ヒューの背景は誰も知らないし、何の先入観も持たずに彼は色んな子どもと友人になれただろう。だけど、それはもう叶わない。不可能ならば、ハティはできるだけ彼のホグワーツでの生活を穏やかで楽しいものにしてやりたい。
「わたしは魔法界でのヒューのこと詳しくないけど、ヒューは微妙な立場なんだと思う。だけど、ホグワーツに入学することでヒューに不愉快な思いはしてほしくない。レイヴンクローに入ったのはヒューのためにもよかったんだと思う。あなたと同じ寮だしね。だから、ヒューのこと助けてくれないかな」
「見返りは? 純血の魔法使いと取引をするなら、それ相応の対価がないとね」
アクラムは小首を傾げ、口の端で笑った。アクラムの南国の海のような目がハティをとらえる。
値踏みするような、自分の損得を冷静に計算するような顔だ。
意外と意地悪だ、とハティはむっとしてしばし熟考した。富裕な純血の魔法使いが欲する対価など名声や栄誉くらいしか思い浮かばないが、どれも物にして贈ることはできない。それならば……。
「そうね。わたしの敬愛するマクゴナガル教授の個人情報なんかどう?」
「マクゴナガルの個人情報?」
アクラムは片眉をひょいと上げて、なにか奇妙な動物を前にしているかのような顔でハティを見た。
ハティはつい先ほどフィリパとプリシラから集めた情報を早速有効活用するつもりで、ニヤリと笑った。
「そうよ。マクゴナガル教授の人脈は馬鹿にできない。もしあなたが卒業後、魔法省や一流の職場に就職したいならマクゴナガル教授の伝手は魅力的だと思うの。その時のために、マクゴナガル教授が喜びそうな、健全な賄賂を提案してあげる」
「健全な賄賂ってなんだい?」
「そうね、いくつかあるけど全部は教えてあげない。一つだけ情報をあげるとしたら、マクゴナガル教授はロイヤル・ダイアゴン・ロンドンにあるオステリア・フィオレンティーナの料理が大好きなの。ケータリングしたら、喜ぶかもね」
「ファーンズビーのホテルか」
アクラムはそう言って一瞬顔を顰めたが、次の瞬間にっこりと微笑んだ。
「安心して、ヒューの学校生活はちゃんとサポートするつもりだ。俺の将来の為にもね。正直なところ、あいつのことは個人的にも政略的にも気に入ってるから、君が俺の眼鏡にかなう対価がなくても守ってやるつもりだ。だけど、良い情報を聞いたよ。ありがとう、イオラ」
「はい?」
ハティは絶句した。
”対価がなくても守ってやるつもりだ”? つまり、今自分は無料で情報を与えたということ? ハティは自分自身に呆れるほかなかった。
「わたし……わたし今、損したってこと?」
「イオラ。君って意外と素直で騙されやすいな……マルフォイほどじゃあないけど。そうそう、俺は組み分けの時に実はスリザリンも迷ってたんだ。だけど、スリザリンに行ってもどうせマルフォイの天下だろ? だから、多少はやりやすいレイヴンクローに行ったってわけ」
俺は君よりも何枚も上手だよ。そんな言葉が、言外に滲んでいるようだ。
アクラムは呆然と立ち尽くしているハティの肩に手を置いて「じゃあね、お嬢さん」と魅惑的な笑みをひらめかせ、ひらひらと手を振りながら去っていった。
ハティが我に返ったのはアクラムの姿が見えなくなって、しばらくのことだった。ハティは地団駄を踏んだ、怒りと口惜しさを込めてそれも力強く。
「なんなのよ、あいつ~!!」
アクラム・シャフィク、ハティがホグワーツに来て嫌いになった一人目の男の名前であった。