ハリエット・ポッターの不思議な冒険   作:新参なめ子

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飛行訓練

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドミトリーに戻ってきたフィルとプリシラは、ハティに「どうして先に帰ったの、探したのよ」と険しい顔を向けていた。だが、ハティが悄然と「ヒューと喧嘩をして、居たたまれなくなって逃げてきた。ごめんね」と正直に話すと、二人は「まあ、そういうこともあるわよね」と同情した様子でハティのベッドに腰掛けた。

 

 そして、ハティを探るような目で見ながら、フィルは気まずそうに口火を切った。

 

「あのね、お願いがあるんだけど」

 

「どうしたの?」

 

「金曜日、このドミトリーにお友達を連れてきてもいいかしら? もちろん、カーラにも許可は取るわ。今日のお茶会で知り合ったスリザリン生が教えてくれたんだけど、私のお友達が入学してからずいぶんと落ち込んでいて、元気がないらしいの」

 

 フィルは慎重に言葉を選びながら話した。その隣で、プリシラはどこか不満げな顔をしていたが、口をつぐんでいた。

 

「スリザリンの、ルビー・ダンクワースという子なのよ。私とプリスの、小さい頃からのお友達なの」

 

「わたしは別にいいけど」

 

 プリシラはどうなのだろうか。そう思って彼女を横目で見ると、案の定、プリシラは冷ややかにドミトリーの壁を見つめ、ぶっきらぼうに言い放った。

 

「私はそんなに仲が良かったわけじゃないけれどね」

 

「まあ! そんなこと言わないでちょうだい、プリス! ルビーのことは、アレクサンドルおじさまにも頼まれているのよ」

 

「私は反対だわ」

 

 プリシラは端的に反論した。

 

 ハティはお茶会で、プリシラからルビー・ダンクワースが幼馴染だったと聞かされていた。だが、実際にフィルの口から「お友達」という言葉を聞くと驚いた。その口調にはかなりの親しみがこもっていたが、一方でプリシラは冷ややかだった。

 

「言っておくけど、貴方は後悔すると思うわよ、フィル。あの子は貴方が思っているほど、か弱くて良い子じゃないわ。むしろ、そのか弱さがあの子の武器なのよ」

 

「ルビーはパンジーほど危険じゃないわよ。すごく可哀想な子だわ。あの子は今、スリザリンでいじめられているのよ。あの子にとって、スリザリンはマグル生まれが入学するよりも扱いが悪くなる場所だって、プリスもわかっているでしょう? この前の魔法薬学の授業だって、パンジーの召使いのような扱いを受けていたわ」

 

「いいこと? あの子はそうすることで身の安全を図っているのよ。貴方が手を出すことで、事が厄介になるわ。わかっていないわね」

 

 フィルは軽く肩をすくめた。そして憤然と立ち上がると、燃えるような目でプリシラを見下ろし、つんと顎を上げた。

 

「いいわ。確かに貴方の言う通り、私は何もわかっていないみたい。だけど、わかっていないなりにやらせてもらうわ」

 

「馬鹿ね」

 

 そっけないプリシラの返答に、フィルは本気で腹が立ったようだった。一瞬、殺気立った目でプリシラを見ると、顔を背け、拳を固く握りしめてハティたちに背を向けた。

 

「ええ、私は確かに馬鹿だわ。だけど、困っているお友達に対して見て見ぬふりをするほど、救いようのない馬鹿ではなくてよ」

 

 フィルは声を鋭くして言った。

 

「とても無意味な英雄的行為、Pointless heroicsだこと。ルビーに温情をかけたこと、貴方は後悔するわよ」

 

 プリシラの言葉にフィルは鼻を鳴らした。そして、憤然とドミトリーを出て行った。

 

 ハティは、まさか二人が喧嘩に発展し、決別するとは思わなかったので、ぎょっとしてプリシラの肩を揺すった。

 

「いいの? フィル、怒ってたわよ」

 

「ルビーのことで喧嘩をするのはいつものことよ。だけど、今回ばかりはあの子も懲りると思うわ。ルビーがスリザリンに入ったからには、ルビーも今までの自分から脱却するって決心したのでしょうに、フィルはわかっていないわ」

 

 プリシラの言葉の意味を思い知るのは、もう少し後のことであった。

 

 

 

 月曜日、ハティはようやく慣れたふかふかのベッドを降り、ドミトリーの中で一番早く身支度を始めた。

 

 ベッドには慣れたものの、生活習慣は変わらず、魔法の目覚まし時計が軽快に起床を促す歌を歌わなくても自然に目が覚める。土日はさまざまなことがあったとはいえ、与えられた罰則も課題も、すべて片付けた。晴れやかな気持ちだ。

 

 とはいえ、フィルとプリシラの昨晩の喧嘩を思うと憂鬱だった。結局、二人は就寝の挨拶をしないまま、早々にふて寝してしまった。どちらかの肩を持つには、ルビー・ダンクワースについてよく知らないハティは、気まずい空間から逃れるように早々にドミトリーを出た。

 

 階段の途中でロニーと合流し、談話室へと降りると、朝も早いというのに掲示板の前には人だかりができていた。

 

「なに? 時間割の変更でもあったのかしら」

 

「あんな貼り紙、昨日はなかったよ」

 

 背の高いロニーが、何とか掲示物の内容を見ようとぴょんぴょんと跳ねる。そのうち、ロニーを不憫に思った他の生徒が場所を譲ってくれて、二人は「お知らせ」の内容を知った。

 

「飛行訓練が始まるんだって!」

 

「飛行訓練?」

 

「それもスリザリンと合同でね」

 

 振り返ると、ハーミスが腕を組んで立っていた。周囲を見ると、同級生たちは口々に「スリザリンと一緒だって、最悪」「どうしてよりにもよってスリザリンなんだ?」と暗い表情で嘆いている。

 

「スリザリンと合同なんて、魔法薬学だけで十分だよ」

 

「ハッフルパフと合同だったら、和やかな時間を過ごせたでしょうね」

 

 レイヴンクローが話題に上らなかったのは、ハティもまたヒューと喧嘩をしていたせいだ。だが、ハッフルパフとの合同がよかったと思ったのは、グリフィンドール生のほとんどが同じだった。実際、薬草学の授業では何のトラブルもなく、毎回穏やかに授業が進むのだ。

 

「飛行訓練の教授って、どんな人かしら? 変な人じゃないよね?」

 

「少なくとも、スネイプより酷い教授はいないでしょ」

 

 ため息交じりのロニーの言葉に、掲示板を仰いでいたハーミスの顔が強張った。

 

 ロニーは、ハーミスの存在に今気づいたかのように顔をしかめ、体ごと背けた。しかし、ハーミスはそんなロニーの存在など初めからないかのように、青ざめた顔で談話室を出て行った。

 

「可哀想に、スネイプのことがトラウマなのよ」

 

「トラウマ? 先週の話だよ、もう忘れてるでしょ。きっと図書室で箒の乗り方でも調べるんだよ」

 

 ロニーは馬鹿にしたように言ったが、ハーミスの今までの行動を振り返ると、ハティは否定できなかった。

 

 魔法界の人々にとって、箒はゴミを掃除するためのものではなく、電車や車と同じくらいポピュラーな移動手段であるらしかった。

 

 飛行訓練が始まるとわかると、一年生たちは皆、ひっきりなしにクィディッチの話をした。ロニーは、グウィノグ・ジョーンズの飛行がいかに格好良く、箒捌きがテクニカルかを熱弁した。そして、家にどの箒があるのか、どれくらい遠く高く飛んだのか、魔法族の子どもたちは同じような自慢話をした。

 

 ドラコ・マルフォイはその代表格であり、大広間に行くたびに大きな声で取り巻きたちに、いかに自分の飛行技術が優れていて、スリリングな箒の旅をしたかを自慢げに語った。彼はいつも、マグルのヘリコプターを危うくかわした話をしていたが、ハリウッド映画を見慣れているハティにとってはインパクトに欠け、つまらなかった。しかし、パンジーはお気に入りのバンドマンを見るような熱っぽい眼差しで「ドラコってすごいわ」と称賛していた。彼が、クィディッチの代表選手に一年生がなれないなんて信じられないと不満を漏らしているのを聞きながら、ハティは見当違いにも「ここに黒猫がいて、赤いラジオがあったらなあ」と思うのだった。

 

「ロニーは箒に乗ったことあるよね?」

 

「うん、チャーリーはクィディッチのキャプテンだったし、フレッドとジョージはビーターでしょ。家に三人分の箒があるから、バレないように乗ってたんだ。パパとママは女の子なんだから危ないことはやめろって言ってたけど、そんなに危険じゃないよ。案外、乗るのは簡単でね……言ってたかな? うちの家はド田舎だから、家族の目さえなかったら、いくらでも箒に乗れたし、高く飛べたんだ。頑張ったら雲の上にも行けたと思う」

 

 それは酸素が薄くなるから無理だろう、とハティは思ったが、ロニーは「本当だよ! 今度見せてあげる。あたし、箒に乗るの意外と得意なんだ!」と鼻息荒く宣言した。

 

 

 

 木曜日、ドミトリーの険悪な雰囲気に耐えかねたハティが「そろそろ喧嘩をやめてはどうか」という鶴の一声を発したことで、フィルとプリシラはぎこちないながらも和解した。日曜日からの数日間は、二人とも別の組織に所属し、自分を見つめ直す時間ができたようだ。プリシラは文芸部に所属して創作活動を他者と共有することで生き生きとしていたし、フィルは崇拝者に囲まれて華やかな日々を送っていた。

 

 とはいえ、ふとした瞬間に二人は、ともに並ぶ相手がいないことに気づいて寂しげにしていたので、ハティの一声は二人にとって関係を修復する良い機会だったようだ。しかしながら、二人の意見は平行線で、週末にルビー・ダンクワースをドミトリーに招くことは決まっていたし、プリシラは「ルビーが来ている間、私は談話室にいるわ」と宣言していたので、根本的な解決にはなっていないようだった。

 

 だが、いつものような無邪気なおしゃべりが再開したことで、ハティはカーラとともに「ドミトリーが気まずくなくなってよかった」と胸をなで下ろしていた。

 

 フィルとプリシラの二人も、飛行訓練というイベントを前に、面倒事を片付けて清々しい気持ちで臨みたかったのかもしれない。二人はたちまち飛行訓練やクィディッチの話で盛り上がったので、ハティはほほえましい気持ちで朝食の席に落ち着くことができた。

 

 近くで固まって食事をとっている一年生たちは、どこか浮ついた様子で飛行訓練について話し合っていた。ハーミスは『クィディッチ今昔』という本から仕入れた知識をネヴィルに滔々と披露し、シェーマスたちに呆れたような目で見られていた。

 

 そんなに身構えるようなことかしら? とハティがトーストを咀嚼していると、大広間に一斉にフクロウが飛び込んできた。

 

 郵便の時間である。ハティは慌てて「Umbra(アンブラ)」と唱え、透明な傘を頭上に広げた。一斉にフクロウが飛び込んでくるさまは壮観ではあったが、この一週間で「フクロウの糞と羽がご飯に入ることがある」という問題に直面していた。そのためだけに習得したのが、これ――傘の呪文である。

 

 これはなかなか便利な魔法ではないだろうか、とハティは満足していた。ハティは城で生活するために便利な魔法を並々ならぬ執念で習得していたので、同級生の中では抜きんでて魔法の腕が優れていた。

 

 呪文を終了させたハティは、受け取った荷物を開封する音や、両親からの手紙に一喜一憂する声を聞きながら、ちらりとスリザリンのテーブルに視線を向けた。マルフォイが、これみよがしに実家から届いたと思われるお菓子や手紙を広げ、得意げな笑みを浮かべている。その隣でパンジーはハティを見やり、小馬鹿にしたように笑った。

 

 パンジー・パーキンソンは、ハティに郵便がまったく来ないことに気づいているのだ。

 

 ハティはため息をこぼして、頬杖をついた。誰からも手紙が来ないのは、ハティ自身が理解している。フクロウが運んでくるのは、ハティが憂さを晴らすために注文した「フクロウ通信」のお取り寄せグルメくらいである。それでも、良い気はしなかった。普段のように目玉焼きをつついていると、「ほーっ」という涼やかな鳴き声と羽ばたきの音とともに、ハティのゴブレットの隣に見知らぬフクロウが優雅に着地した。

 

 フクロウは小さな小包をハティの手元に慎重に落とした。赤いリボンで包装された可愛らしい小包だ。

 

「誰から?」

 

 オートミールをかきこみながら、ロニーが気のない様子で尋ねてきた。

 

 彼女は飛行訓練当日とあって、「たくさんご飯を食べなきゃ」と、山盛りのソーセージを大皿から取り分けていた。

 

「わかんない、開けてみるね」

 

 慎重に開封して現れたのは、木の箱に収められた透明な瓶と手紙だった。手紙には〈親愛なる魔女イオラに宛てて〉と整った字で綴られていた。見慣れたその字を見た瞬間、ハティはレイヴンクローの席を振り向いていた。

 

 手紙の送り主は頬杖をついてぼんやりしていたが、ハティの視線にすぐに気づいたようで、ぎこちなく手を振った。揶揄するように腕を絡めたアクラムに少し怒ったような顔をしながらも、その青い瞳はどこか気にするようにちらちらとハティを見ていた。

 

 ハティは急いで手紙を開いた。

 

『親愛なる魔女イオラに宛てて

 

 この前は悪かった。あんなふうにきつい言葉をかけるつもりはなかった。ただ、何も知らないお前が悲しい思いをしたり、嫌な目に遭ったりするんじゃないかって心配だったんだ。できればあのクラブに入ってほしくないけど、俺にはお前の行動を制限する権利なんてないから、お前が望むならあのクラブに出入りするのは構わない。だけど、せめてお前に悪意を持っている人間とそうでない人間を見分けて、警戒することを覚えてくれ。これはそのための便利アイテムってやつだ。

 

 ヒュー・フィールディングより』

 

 慎重に木の箱を開けると、光の加減によって七色に揺らめくクリスタルの瓶が現れた。中には夜明け前の空を思わせる暁色の液体とアメジストの欠片が入っていて、説明書には〈誰からも愛されるベラドンナ夫人〉と綴られていた。中身は香水らしく、香りを嗅いだ人間が好意を抱いていれば好意を倍増させ、悪意を抱いていれば悪意を倍増させるという、非常にピーキーな代物であった。

 

 何が「誰からも愛されるベラドンナ夫人」よ! とハティは説明書をテーブルに叩きつけようとしたが、ヒューが言わんとしていることに気づき、香水瓶を慎重に木の箱に戻した。つまり、ヒューはこの香水をハティに近づく人間への試金石にしろと言っているのだ。使いどころがなかなか難しそうな代物ではあったが、ヒューの気遣いはハティの胸を温かくした。

 

 ハティがヒューに感謝の手紙を書こうと鞄からレターセットを取り出していると、斜め向かいに座ったネヴィルが「思い出し玉だ!」と悲壮な声を上げた。顔を上げてネヴィルを見ると、彼は興味津々に覗き込むグリフィンドールの面々に見えるよう、大きなビー玉のように透明なガラス玉を掲げて見せた。

 

 ネヴィルは、自分が人に何かを説明できる機会がやってきたことに嬉々として、笑顔で説明を続けた。

 

「この玉、もし何かを忘れていたら教えてくれるんだ。ばあちゃん、僕が忘れっぽいから心配して送ってきたみたい。見てて、こうやって強く握って、それでもし中の煙が赤くなったら……あ、あれ?」

 

 じわじわとネヴィルの手の中で赤く染まっていく思い出し玉を見て、ハティはロニーと顔を見合わせた。

 

「赤くなったら、どうなるの?」

 

「何かを忘れてるってこと! なんだけど、うーん……」

 

 何を忘れているのか思い出せないようでは、意味がないのではないだろうか。ハティが苦笑いをしていると、ふいに誰かが彼の手から思い出し玉をひったくった。

 

「マルフォイ!」

 

 ディーンが気色ばんで立ち上がる。

 

 ネヴィルの背後には、傲然と顎を上げて佇むマルフォイがいた。手の中で思い出し玉を弄んでいる。背後にはいつもの護衛のようなクラッブとゴイルの姿はなく、マルフォイの背後のスリザリンの席では、パンジーが鬼のような顔でこちらを睨みつけていた。

 

 マルフォイの手の中で、思い出し玉は徐々に元の色を取り戻していった。それを見るにつけ、ネヴィルは恥じ入るように顔を真っ赤にした。

 

「ロングボトム、お前っていまだにこんな子どもだましの玩具に頼っているのか」

 

 馬鹿にしたように鼻を鳴らしたマルフォイは、そのまままっすぐにハティを見た。

 

「いいかい、ポッター。君は魔法界のことに疎いから知らないかもしれないが、こんな物に頼るのは……」

 

「何事です」

 

 マルフォイの言葉を遮るように、鋭い声が響いた。様子を見ていたらしいマクゴナガル教授が、厳しい顔つきで足早に近寄ってきた。

 

 ネヴィルは途端に安堵の笑みを浮かべ、マクゴナガル教授に泣きついた。

 

「教授! マルフォイが僕の思い出し玉を取ったんです」

 

 マルフォイは顔をしかめると、素早くテーブルに思い出し玉を置いた。

 

「少し見ていただけですよ」

 

 そう言って、マルフォイは素早くスリザリンの席へ戻っていった。

 

 最近、報告がないと思ったら、あの下僕は一体何しに来たんだか。ハティは呆れてその背中を見送った。

 

 その日の午後、ハティはロニーとともに寮にいったん荷物を置き、他のグリフィンドール生たちと一緒に初めての飛行訓練を受けるため、正面玄関を出てクィディッチ競技場へと向かった。

 

 相変わらずハーミスは男子の中で孤立しているようで、彼と一緒に行動をともにするのは、いまだに一人で大広間にも行けないネヴィル・ロングボトムくらいであった。

 

 空を仰ぐと快晴だった。「絶好のクィディッチ日和なのに、あたしたち箒に乗ることしかできないんだよねえ」とロニーは残念そうに呟いていた。

 

 スリザリン生はすでに到着しており、彼らの前には整然と数十本の箒が並べられていた。

 

「箒にも一本一本癖があるんだよ。『クィディッチ今昔』によると、製造年が同じでも個体差があって、古くなればなるほど反応が鈍くなるんだ。杖と同じで持ち方が決まっていて、柄の中央に対して手は上から――」

 

「そんなの知ってるっつーの。大体、今からそれは教授が教えてくれるわけだし」

 

 シェーマスが一蹴した。

 

「でも、事前に勉強しておかないと、うまく飛べないかもしれないじゃないか」

 

「全部の授業でヒーローしなきゃ気が済まないの? グレンジャーって」

 

 シェーマスがぼやく声を聞きながら、ハティはロニーとともに箒の隣に並んだ。

 

 本当にこんな物が空を飛ぶのか? とハティは懐疑的だったが、検証する間もなく、飛行訓練の教授であるマダム・フーチがクィディッチ競技場へ入ってきた。

 

 白髪を短く切り、鷹を思わせるアンバーの瞳をした彼女は、開口一番、生徒たちを怒鳴りつけた。

 

「何をぼうっとしているのです。さあ、箒の前に立ちなさい。急いで!」

 

「教授っていうよりも、海軍の教官なんじゃないの?」

 

 顔を引きつらせるハティに、同じくマグル出身のディーンが「それ、マジで言えてる」と大きく頷いた。

 

 塊になってお喋りしていた何人かの生徒が、文字どおり飛び跳ねて箒のそばに駆け寄った。ハティは自分の足元にある箒を軽くつま先で小突いた。ずいぶん古いようで枝はぼうぼうで、柄は少し曲がっている。競技に使用するものではないので、それなりに飛ぶことができればよい代物を訓練に使用しているようだ。

 

「さあ、右手を箒の上にかざして、『上がれ』と唱えなさい!」

 

 生徒たちは指示に従って一斉に叫んだ。

 

「上がれ!」

 

 ハティの箒はヒュッと音を立てて飛び上がり、吸い込まれるようにハティの掌にパシッと勢いよく収まった。

 

 あまりの反応の速さに「うわっ」と驚きの声を上げ、ハティは感動に身震いした。興奮しながら隣を見ると、その瞬間、ロニーの顔に箒の柄がバネのように直撃するのが見えた。ハティは一瞬の沈黙の後、お腹を抱えて笑った。

 

「ちょっと、笑わないでよ!」

 

 ロニーは顔を真っ赤にして怒った。

 

「ロニー、あんたって最高よ!」

 

 一通り全員が箒を握ったことを確認して、マダム・フーチは箒の握り方やまたがり方を実演してみせた。魔法族出身で、すでに箒に乗ったことのある生徒は、退屈そうにマダム・フーチの説明を聞き流して箒を揺らしていた。しかし、鋭い目つきをしたマダム・フーチにマルフォイが箒の握り方を指導されているのを見て、ハティは我に返った。

 

「あれだけ自慢してたくせに、握り方を間違ってたのかよ」

 

「偉そうに言ってたくせにね」

 

 シェーマスとロニーがマルフォイを見て嘲笑する。

 

 ぼんやりと眺めていると、マルフォイは二人の陰口に気づいたようにこちらを振り返った。そのとき、ばっちりと目が合ってしまった。途端にマルフォイは頬を赤らめてこちらを睨みつけると、勢いよく顔を背けてしまった。

 

「なんでわたしのことを睨むのよ、下僕のくせに」

 

 後でとっちめてやる、と心に決めて、ハティは、いまだにマルフォイの失態をシェーマスと揶揄して火に油を注いでいるロニーの脇腹を箒でつついた。

 

「ひゃっ、何すんの!」

 

「授業に集中するのよ」

 

「グレンジャーみたいなこと言わないでよ、ハティったら。ハティも見たでしょ、あいつが教授に間違いを正されているところ!」

 

「さあ、皆さん。次は実際に飛んでみましょう! 箒にまたがって!」

 

 マダム・フーチは手を何度も叩いて、生徒たちに指示を出した。

 

 ロニーは納得いかないという顔でこちらを見てきたが、ハティは素知らぬ顔で箒にさっとまたがった。

 

「私が笛を吹いたら地面を強く蹴ってください。箒が傾かないようにしっかりと押さえて、二、三メートル浮上します。そうしたら、少し前かがみになりながらまっすぐに降りてくること。よろしいですね。私が笛を吹いたらですよ」

 

 最後にマダム・フーチは力強く念を押してカウントを始めたものの、彼女が笛を鳴らそうとした瞬間、情けない悲鳴とともに一人の生徒が浮上し始めた。ネヴィルであった。

 

「こら、戻ってきなさい!」

 

 マダム・フーチは慌てた様子で注意したものの、自分でコントロールできるのなら、ネヴィルは言いつけを破って空を飛んでいないのではないか、とハティは思った。ハティの予想どおり、ネヴィルはまるで空気の抜けた風船のように勢いよく空へと浮上していく。

 

 ネヴィルのすがるような顔がどんどん小さくなっていくのが見えたが、誰にもどうしようもなかった。一瞬、マダム・フーチが魔法の杖でどうにかしてくれないものか、とマダムを振り返ったものの、突然の事態に判断力が鈍ってしまったのか、慌ててネヴィルを追いかけるばかりであった。

 

 次の瞬間、ネヴィルは声にならない悲鳴を上げて真っ逆さまに箒から墜落した。何かが折れるような鈍い音が辺りに響き、女子生徒たちが悲鳴を上げて顔を背ける。マダム・フーチは血相を変えてネヴィルのもとへと駆け出した。

 

 ネヴィルは幸い、意識はあった。頭から落下しなかったのが幸いだったと言えるだろう。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、苦痛にあえぎながら腕を押さえていた。

 

「手首が折れてるわね。立てる? ロングボトム」

 

 ネヴィルは力なく頭を振った。

 

 マダム・フーチはそれ以上ネヴィルに何かを言うことはせず、さっとネヴィルを抱え上げると、生徒たちに無断で箒に乗らないよう、厳しい口調で言い渡した。マダムが暗にホグワーツの退学もあり得るとほのめかしたので、生徒たちは身震いした。

 

 二人が医務室へ去り、姿が見えなくなると、耳障りな笑い声が響いた。

 

「なあ、あいつの顔を見たか? あのドジでまぬけな――」

 

 マルフォイが口火を切ったことで勢いがついたように、スリザリン生たちは一緒になって大笑いしながら、ネヴィルを馬鹿にし始めた。

 

 ハティは吐き気が込み上げるかのごとく、猛烈な嫌悪感に襲われて顔をしかめた。

 

「なんて嫌な奴なの」

 

 ロニーが低い声で呟く。

 

「本当にね」

 

 ハティが大きく頷くと、ラベンダーも「最低よ、あいつら。自分たちがネヴィルみたいにならない保証なんてどこにもないでしょうに」と吐き捨てた。

 

「本当に不愉快ね」

 

 プリシラが呟き、フィルも「ネヴィルは確かにドジっ子で、あまり仲良くはないけれど、私、今猛烈にあいつらに呪いをお見舞いしたいと思っているわ。特にジャスパーとディラン、二人には失望したわ」と怒りに震えていた。

 

 そんな中、勇気あるグリフィンドールを代表するかのごとく、パールバティが前に出た。

 

「やめなさいよ、マルフォイ」

 

 ヒュー! とディーンが賞賛するかのように口笛を吹いた。

 

 女子生徒には女子生徒で対抗するというルールが魔法族にあるのかはわからないが、マルフォイを咎めたパールバティに対して、パンジー・パーキンソンが冷笑を浮かべて進み出た。

 

「パールバティ、まさかあんたがチビでデブでノロマな泣き虫に気があるなんて思わなかったわ」

 

 冷やかすようなパンジーの発言を受けて、スリザリンからパールバティを揶揄する声が上がる。そのさまを満足そうに眺めていたマルフォイは、ふと草むらから何かを拾い上げ、頭上に高らかに掲げた。

 

「見てごらんよ」

 

 陽光を浴びてきらきらと輝くそれは、ネヴィルの思い出し玉であった。ハティはネヴィルがあまりにも哀れで、喉の奥が苦しくなった。

 

「ロングボトムが持ってた、あの馬鹿げた玉じゃないか」

 

 そう言いながら、マルフォイはハティをちらりと見た。

 

 マルフォイの手に収まっているのは、今朝ネヴィルのもとに祖母から送られてきた思い出し玉であった。きっとネヴィルの祖母は、自身が送った孫への贈り物がこんなふうに扱われているとは思いもしないだろう。そして、それを知ったら悲しむに違いない。

 

 ハティは耐えかねて声を上げた。

 

「マルフォイ、それをこちらに返しなさい」

 

 剣呑なハティの表情とは正反対に、マルフォイは片眉を上げてせせら笑った。

 

 それを受けてハティが長い巻き毛を払い、傲然と地面を踏み鳴らしたことで、周囲には緊迫感が漂った。険悪な雰囲気をまとった二人は、生徒たちの注目の的だった。

 

 ハティは自分に集まる視線など歯牙にもかけず、手を差し出した。

 

「馬鹿げた玉なんでしょう? あんたが持っていても意味ないんじゃないかしら?」

 

「……これは君のものじゃない。君に渡す理由もないね」

 

「わたしからネヴィルに返すと言っているのよ。それとも、あんたが直接返しに行くわけ?」

 

 いつになくハティの不遜な態度にグリフィンドール生たちはどよめき、マルフォイは一瞬、気圧されたように息を呑んだ。

 

「まさか! 僕があいつに返すわけがないだろ。そうだな……あいつがどこに置いてあるのか、いつでも気づけるように、いい場所に置いておくよ」

 

 そう言うと、マルフォイはひらりと箒にまたがり、一気に樫の木の頭上まで舞い上がった。箒に乗るのが得意だと豪語するだけあって、確かにスムーズな箒さばきである。

 

「この木の上とかにね」

 

 にやりと笑いながら、マルフォイは箒に乗ってハティを見下ろした。

 

 スリザリンの女子生徒たち――特にパンジー・パーキンソンが黄色い悲鳴を上げ、ダフネ・グリーングラスは「早くこの茶番が終わらないかしら?」と言わんばかりの退屈そうな顔で芝生に腰を下ろした。

 

「君がロングボトムに返すっていうなら、ここまで取りに来るといい。ミス・ポッター」

 

「箒から叩き落とされたいのかしら? ネヴィルは手の骨折で済んだけど、あんたは頭から落下することになるわよ、マルフォイ」

 

 地を這うようなハティの声と凶悪な顔を目の当たりにしたスリザリン生、特に女子生徒たちが「ひっ」と悲鳴を上げた。

 

 明らかな挑発である。

 

 しかし、ハティはいつものように挑発をかわすつもりはなかった。なぜなら、ハティがここでマルフォイに屈すると、この下僕の叛逆を許すことになるからである。主人に従わない下僕は完膚なきまでに叩き潰し、性根を正す必要がある――それはダーズリー家で学んだ、暴力的かつ冴えた人心掌握術であった。

 

 箒の柄を握る手に力を込め、髪を振って憤然と踏み出したところで、誰かがハティの腕を握った。ハーミスであった。

 

「だめだ、ハティ! マダム・フーチの言葉を聞いていなかったのか? ここで箒に乗ったら退学になるんだぞ。それだけじゃない、君を止めなかったことで、僕たちグリフィンドールの他の生徒も教授の叱責を受けることになるんだから」

 

「なによ、それ。いじめられて、馬鹿にされてる同級生よりも、結局は自分の評価が大事ってこと?」

 

「ち、違う!」

 

 ハーミスは激しく頭を振った。動揺した様子で、彼の唇は震えていた。

 

「いい? こういう場面で声を上げずに、事なかれ主義で終わらせることが一番駄目なの。あいつを無視してごらんなさいよ。グリフィンドールは腰抜けの集団だって、ネヴィルだけじゃなくて他の生徒まで馬鹿にされるわよ。誰にも虐げられない立場やプライドってものはね、実力で勝ち取るもんなのよ」

 

 ハティはそれをダーズリー家で学んだのだ。

 

 あまりに鋭い弁舌に、ハーミスは口ごもった。「じ、実力で……?」

 

 ハーミスが呆気に取られて脱力したのをよいことに、ハティは手を振り払い、箒にまたがった。そして、力強く地面を蹴った。

 

 ロニーの「いけっ、ハティ!」という歓声や、ハーミスの「無茶苦茶だ!」と叫ぶ声が同時に聞こえたが、ハティは振り返らなかった。

 

 体が熱い。心臓が異様なほどに脈打っているのがわかる。こんなところで負けるもんか! というハティの持ち前の反骨精神や勝ち気な性格が血を熱くし、アドレナリンが体中を巡る。箒はぐんぐんと高度を増し、風を切る音が耳元で響いた。眼下ではグリフィンドール生たちが大声でハティを応援しており、ハティは口元に笑みが上るのを感じた。

 

 後頭部でポニーテールにした髪がなびき、ローブが風にはためく。視界は見渡す限りの緑と青空で、ハティを阻むものは何もなかった。

 

 わたしは、もっと飛べる!

 

 確信をもって、ハティは箒を上へと向けた。マルフォイのいる高みまで浮上すると、ハティはくるりと箒を回転させ、マルフォイを鋭く睥睨した。

 

「さあ、早くそれを返しなさい」

 

 マルフォイは、まさか本当にハティが追いかけてくるとは思わなかったのか、唖然としていた。

 

 ハティがゆっくりとマルフォイに近づくと、彼は我に返ったようにもう一段階高度を上げ、強張った顔に無理やり笑みを浮かべた。

 

「そうまでして、これが欲しいのか」

 

「そうね、それだけじゃないわ。わたしに無礼を働いた下僕をぶちのめしてやろうと思って」

 

「無礼? こんなことが?」

 

「当たり前でしょ。あんたはわたしの気分を害したの」

 

「君は、ロングボトムごときを僕がからかっただけで、気分を悪くするのか? あんな血を裏切る者のために、僕をぶちのめすって?」

 

 マルフォイはひどく衝撃を受けた様子で、一瞬よろめいた。

 

「何がわたしの気分を悪くするのか、あんたにはわからないんでしょうね。それがあんたの悪いところなのよ。さあ、箒の上から叩き落としてやるわ。恐怖と暴力は調教の基本ですものね」

 

 静かなハティの声に、マルフォイは本気を感じ取ったのか、怯えたように身を引いた。しかし、ハティは容赦しなかった。しっかりと両手で箒を握り、矢のようにマルフォイに突進した。

 

 マルフォイはすんでのところでハティをかわしたが、恐怖したように冷や汗をかいていた。青白い顔で束の間思案したかと思うと、引きつった笑みを浮かべて言った。

 

「オーケー、わかったよ。君に返す。ただし、その頃には原型をとどめていないだろうけどね」

 

 マルフォイはそう言って、思い出し玉を高く頭上に放り投げた。

 

 思い出し玉は日の光を浴びてきらきらと光りながら、地面に向かって落下していく。このままでは粉々に砕け散ることは目に見えていた。わかっていて、マルフォイは故意に投げたのだ。ハティは「クソ野郎!」と舌打ちをした。当の本人は、さっさとしっぽを巻いて地上に逃げている最中だ。

 

 ハティはそんなマルフォイを一睨みしつつ、すぐに思い出し玉を目で捉えた。本来の落下速度に反して、不思議と光り輝く玉は地面に吸い込まれるようにゆっくりと落ちているように見えた。まるでスローモーションのようだ。その小さな輝きを追って、ハティは柄を下に向け、前かがみになりながら急降下を始めた。

 

 地面に向かって一直線に落下する思い出し玉を追いかけるように、「速く、もっと速く」とハティは箒を叱咤し、びゅんびゅんと速度を上げていく。下で見ていた生徒たちの悲鳴が一瞬耳に届いたが、すぐに風を切る音でかき消された。

 

 今だ!

 

 ハティは痛いほどに手を伸ばし、地面すれすれのところで玉をつかみ取った。そして急いで箒を引き上げて体勢を整えると、箒の尻尾を地面に擦りつけながら、軽やかに芝生への着地を果たした。グリフィンドールの生徒たちが弾けるような歓声を上げ、こちらに駆け寄ってくる。ハティが笑顔で玉を掲げた、その瞬間だった。

 

「ハリエット・ポッター!」

 

 いるはずのないマクゴナガル教授の声に、ハティは「おおん?」と怪訝な顔で振り返った。マクゴナガル教授がローブの裾をたくし上げながら、血相を変えてこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 

「まさか、今までホグワーツでこんなことは一度も……」

 

 マクゴナガル教授は雷に打たれたように肩を震わせていた。いつもぴかぴかに磨き抜かれた眼鏡が太陽の光を反射して、発光しているように見える。目からビームでも出そうだなあ、とハティが暢気に考えていると、マクゴナガル教授はさっとハティの全身に視線を走らせた。

 

「怪我は? 貴方ときたら、なんてことを……本当に私を驚かせてばかりで」

 

「ぴんぴんしてます! かすり傷一つありません!」

 

 ハティが元気に答えると、「笑っている場合ではないでしょう」とぴしゃりと言い放った。

 

「大怪我を負ってもおかしくなかったのですよ。なんて無茶なことをするの――」

 

「教授、ハティは悪くありません」

 

 フィルが慌ててマクゴナガル教授に言い募った。「マルフォイが、ネヴィルの思い出し玉を盗んで投げたんですもの!」

 

「お黙りなさい、ミス・ポップルウェル」

 

「でも、教授!」

 

「くどいですよ、ミス・ウィーズリー」

 

「ハティはなんにも悪いことなんて、してないんです!」

 

「ミス・プセット、他の生徒と同じことを言わずともよろしい」

 

 パールバティたちもハティの擁護に動いたが、マクゴナガルはそのすべてを跳ねのけ、ハティの隣で恐怖に顔をこわばらせているロニーにハティの箒を押しつけた。ロニーは焦ったように一瞬ハティの手をつかんだが、それよりもマクゴナガル教授が引っ張る力のほうが強かった。

 

「さあ、ポッター。一緒に来るのです」

 

「えっ」

 

「え、ではありません!」

 

 マクゴナガル教授は一蹴し、弾丸のように、ほとんど小走りといってもいい速さで城へ歩き始めた。途中、マルフォイやパンジーたちスリザリン生が勝ち誇った笑顔を浮かべているのが見えて、ハティは決心した。あの下僕、ぶちのめしてやる。

 

 ハティがひそかに怒りを燻らせていることなど気づいていない様子で、マクゴナガル教授は中央ホールの階段を上り、大理石の階段を黙々と上った。その背中は小刻みに震えており、ハティはマクゴナガル教授の足の速さにヒイヒイと悲鳴を上げながら、手を引かれるままに走った。

 

 やがて、マクゴナガル教授はハティたちが普段使用する呪文学の教室の前に来ると、ようやく足を止めてドアを開いた。中を覗き込むようにして、彼女は口を開いた。

 

「フリットウィック教授、申し訳ありませんがウッドをお借りできますか」

 

 ウッド? 木? え、わたしは殴られるの?

 

 ハティは血の気が引くのを感じた。いまだにイギリスでは体罰の名残が残っている。ハティへの虐待に激昂していたマクゴナガルが暴力に訴えるとは考えたくもないが、一度浮かんだ嫌な予感はなかなか払拭できないものだった。マクゴナガル教授に握られていない方の手で思い出し玉を強く握り、ハティは扉を凝視した。

 

 中から出てきたのは、棍棒を握ったフリットウィック教授ではなく、背が高く逞しい上級生であった。それも、男だ。

 

 にんげん? ハティは呆気に取られて小首を傾げた。彼も「どうして自分が呼び出されたのかわからない」という顔でマクゴナガル教授を見て、それから彼女の影に隠れ、マクゴナガル教授に手をつながれている小さなハティに気づいた。そして、今度はマクゴナガル教授を見た。

 

「えーっと、あの、マクゴナガル教授。その小さな女の子は……」

 

「見ての通り、ミス・ハリエット・ポッターですよ。二人とも、場所を変えますからついていらっしゃい」

 

 そう言って、マクゴナガル教授は再びずんずんと廊下を突き進んでいく。ハティがちらりとウッドを見上げると、ウッドも何か珍妙な生き物を見るかのような目で、まじまじとハティを見下ろしていた。

 

「近くで見ると小さいな……幼女じゃねーか」

 

 無意識といった様子の呟きが彼の口からこぼれ、ウッドははっと我に返ったように自分の口を塞いだ。

 

 当たり前である。我は一年生である、とハティは返事をしたかったが、マクゴナガル教授の手前、口をつぐんだ。やがて二人は人気のない空き教室に到着した。

 

「お入りなさい」

 

 マクゴナガル教授の指示で中へ入ったものの、そこにはすでに先客がいた。ピーブスである。

 

 黒板に下品な言葉を書きなぐってゲラゲラと嗤っていた彼は、マクゴナガル教授に一喝されると、持っていたチョークを投げ捨てて悪態をつき、出て行った。マクゴナガル教授は廊下の左右に用心深い視線を走らせると、ぴしゃりと扉を閉めて二人に向き直った。

 

「ポッター、こちらはオリバー・ウッドです」

 

「はい……」

 

「やあ、俺のことはオリバーでいい」

 

 ウッドは快活に笑って手を差し出した。ハティは恐る恐る手を握った。彼の手は非常に大きく、皮が厚いのか硬かった。

 

「……はい、オリバー。わたし――」

 

「ハリエット・ポッターだろ? さっき聞いた。というか、元々知ってたぜ。有名人だしな」

 

「そうなの? じゃあ、ハティでいい」

 

「かしこまりました」

 

 ウッドは思わずといった様子で吹き出し、ハティの頭を撫でた。

 

「ちっさいなあ、子どもだなあ……すごく軽そうだ! 教授、俺を連れてきたってことは、もしかしてこの子が?」

 

「ええ、そうです! シーカーですよ、ウッド。この子はきっと生まれながらの天才です。私は、初めて箒に乗った魔女があんなふうに飛ぶところを初めて見ました――目を疑いましたよ。貴方も実際に見ていたら、きっと驚いたことでしょう。いいですか、ウッド。この子は今手に持っている透明な玉を二十メートルもダイブしてつかみ取ったんです。それも、かすり傷一つ負わずにね! あのチャーリー・ウィーズリーでさえ、そんな芸当はできませんでしたよ!」

 

 ハティは、こんなに興奮しているマクゴナガル教授を初めて見た。

 

 冷静沈着な普段の彼女とは正反対で、クィディッチ観戦が好きだという言葉が真実なのだとわかった。

 

「チャーリーって?」

 

「在学中は負けなしのグリフィンドールの名シーカーだったのですよ。あれほどの選手はなかなか出てこないとは思っていましたが……」

 

 きらりと目を輝かせ、マクゴナガル教授がハティに熱心な視線を注いだ。

 

「チャーリーは、プレミアリーグから破格の年俸でオファーされるほどの天才だったんだ! そのチャーリーにもできないことをやってのけただって!?」

 

 ウッドは目の色を変えて口を挟んだ。「君、クィディッチの試合を見たことあるか?」

 

 ハティは勢いに呑まれ、怯えた兎のようにふるふると頭を振った。

 

「そうか! じゃあ、ルールは?」

 

「しらない……」

 

「一から十まで教える必要がありそうだな。これはやりがいがある!」

 

 ウッドの目はやる気に燃えていた。

 

 ハティは、オリバー・ウッドが何となく自分の苦手な熱血漢だと感じ取り、そろそろとマクゴナガル教授の傍に寄った。

 

「わたし、これからなにするんですか」

 

「クィディッチですよ」

 

「え?」

 

「ウッドはグリフィンドールチームのキャプテンですからね。これからは彼が貴方の面倒を見てくれます」

 

「め、面倒?」

 

 勝手にウッドがハティの世話をすることになっていて、ハティは唖然とした。

 

 ウッドは肉食獣のようにハティの周囲をうろうろと歩き始め、全身の観察を始めた。不快な類いの視線ではないが、大きな上級生がハティの近くでじろじろ見てくるのは落ち着かない。

 

「教授のおっしゃる通り、体型までシーカーにぴったりですね。小さくて細いからスピードが出そうだ――心配なのは他の選手が体当たりしてきたときのことだけど、こればっかりは肉をいっぱい食わせて鍛えるしかないですね。いずれにせよ、この子には良い箒を持たせないといけません! 俺はクリーンスイープの七番か、ニンバス二〇〇〇がいいと思うなあ。どうでしょう?」

 

「そうね、確かにその二つがいいかもしれないわ。問題は、一年生が試合に出場できないというあの規則です。その件に関しては、私からダンブルドア教授に掛け合ってみましょう。どうにか手を尽くして、規則を曲げるしかありません」

 

「規則を曲げるしかありません」? マクゴナガル教授とは一生縁がないような発言が飛び出してきて、ハティは驚愕した。

 

 真面目一辺倒で厳格なマクゴナガル教授が率先して、規則を曲げるなんて。ハティが唖然としていると、マクゴナガル教授は歯ぎしりせんばかりの悔しそうな顔で言った。

 

「是が非でも今年は強いチームにしたいのです。去年、スリザリンに惨敗したときには、私は何週間もセブルス・スネイプの顔をまともに見られませんでしたよ」

 

「はあ……」

 

 ハティが呆気に取られて気のない返事をしていると、マクゴナガル教授は突然「ポッター!」と力強い声でハティを呼んだ。

 

「はいぃ!?」

 

「貴方が厳しい練習に励んでいるという報告を早く聞きたいものです。さもないと、今回の件について処罰を考える必要が出てくるでしょう」

 

 それは恫喝か!? 恫喝じゃないのか!?

 

 ハティは信じられない思いでマクゴナガル教授を見た。つまり、ハティがクィディッチチームに参加しなければ、今回無断で箒に乗った件を罰すると言っているのである。ハティは恐怖した。スポーツへの情熱は、これほどまでに人を汚くするのかと。

 

 涙目になってショックを受けているハティに、マクゴナガル教授は何を勘違いしたのか、慈愛に満ちた眼差しを向け、ことさら優しく囁いた。

 

「貴方のお父さまがこのことを知れば、どんなに喜んだことでしょう。ジェイムズも優秀なチェイサーだったのですよ」

 

「ダンブルドア総長が許可をくだされば、彼女は百年ぶりのシーカーですね? 教授。この子はきっとチャーリーみたいに、俺たちを伝説のチームにしてくれますよ」

 

 ハティは切実に願った。

 

 誰かそのチャーリーを連れてきて、自分の代わりにシーカーをやらせてくれ、と。

 

 

 

 

「ええ、間違いありません。ウッド!」

 

 マクゴナガル教授とウッドは、どちらともなく固く握手を交わし合った。ガシッ! という幻聴がハティには聞こえてきた。

 

 二人は闘志に燃えていた。そして、ハティは強制的なスポーツクラブへの加入で、精神が灰になって燃え尽きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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