ハリエット・ポッターの不思議な冒険   作:新参なめ子

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魔女の福音

 

 

 

『今日の十四時 地下の船着き場で』

 

 

 そんなそっけない手紙が届いたのは、土曜日の朝のことであった。ハティは見覚えのあるミミズクにちらりとスリザリンのテーブルを見た。当の本人は、他のスリザリン生と談笑しており無関心を装っていたがマルフォイが手紙の差出人だということは筆跡でわかった。普段であれば、マルフォイの左隣にはべったりとパンジー・パーキンソンが張り付いているのだが昨日に続いて、その姿はない。未だに医務室で療養中なのだ。

 

 ハティは溜息をついて、手紙をぐしゃぐしゃに丸めるとポケットの中へと突っ込んだ。パンジー・パーキンソンの一件を聞いたのは昨日のことなので、その手紙は不穏極まりなかったが勿論、行かない訳にはいかなかった。

 

 

 地下の船着き場は正面玄関を出て外の石造りの階段を降りて、啓蒙プラムが植えられた先にある。エレベーターに乗って地下へと降りると、そこには既にマルフォイが木箱に腰掛けて石を水面に向かって投げながら待ち受けていた。

 

「パンジーを陥れたのは君か」

 開口一番、マルフォイはどんよりとした昏い目をしてそう訊ねてきた。

 ハティは密かにポケットの中で杖を握りしめながら、小首を傾げてどこか無邪気さすら感じさせる微笑を浮かべた。

 

「陥れた? 人聞きが悪い。勝手に規則を破って自滅したのよ」

「だが、フィルチとマクゴナガルをあの場所に呼び寄せたのは君だろう? パンジーがそう言ってた」

「それって、パンジーの憶測よね? 証拠がどこにあるの」

「裏ならちゃんととってる。フィルチが君から聞いたと言っていた」

 ハティは思わぬ発言に一瞬面食らった。それから、高い声で笑いだした。

 

「馬鹿ね。そんなことはしていないって、わたしが一番よくわかってるのよ」

 自身が関わった証拠を残すはずがない。匿名かつ筆跡も変えた上で二人に投函したのだ。ハティのレポートを見慣れているマクゴナガル教授でさえ、差出人がハティとは思わないだろう。

 しかし、マルフォイは物憂げに暗い湖面を見つめながら苛立ったように言った。

 

「わからないか? そういうことにしろって言っているんだ。君は誰を敵にまわしたか分かっていない。パンジーたちが三〇〇点もスリザリンを失点させた。そのせいで、君はアラディア・ロウルは引きずり出してしまったんだ」

「だったら余計、バラす訳にはいかないわね。パンジーには生贄の羊(スケープゴート)になってもらう。マルフォイ、あんたはつまり自分たちスリザリンの一年生へのアラディアの怒りを鎮めるために、わたしに怒りの矛先を変えようとしてるんでしょ? 本当に卑怯で、見下げた奴だわ」

 ハティは軽蔑しきった声で吐き捨てた。

 マルフォイの口から憤りを孕んだ低い声がもれた。彼は奥歯を食いしばりながら、顔を上げハティを睨みつけた。

「黙れ――スリザリンの……僕たちのことなど、何もわかっていない癖に」

「わかっていないのは、あんたよ。マルフォイ。知ってる? 最初にわたしたちを挑発して、決闘を申し込んできたのはパンジーの方よ。あの子は自分で喧嘩を吹っ掛けて、自滅したの。それをわたしたちのせいにするんだったら、逆恨みでしかないでしょ」

「パンジーはあの日、君たちが指定した四階に行ったんだ。だけど、君たちは来なかった。君は僕を卑怯で、見下げた男だと言うが、本当に卑怯なのはどちらだ? グリフィンドールとは思えない姑息さだね」

 ハティは一笑した。お腹を抱えて笑い出したいくらいであったが、何とかこらえると蠱惑的に笑った。「スリザリンに正道を説かれたくないわよ」

「それで、何のためにわたしを呼びだしたの? パンジーとわたしが出来なかった決闘の続き?」

「まさか。僕が君と決闘なんかするわけがない――これは決闘などではない、懲罰だよ」

 マルフォイは相変わらず青い目をしていた。しかし、形の良い眉をきっとあげて失望と恨みを映した目でハティを睨みつけ、そしてローブの袖から杖を出した。

 

「エクスペリアームズ!」

 ハティはエメラルドグリーンの瞳を見開いた。

 突然の事態に嘘でしょ!? と叫びたくもなったが、ダリア相手に命がけで磨かれた反射神経はマルフォイの杖から噴き出した黄金色の光をしっかりと捉えていた。間一髪、地面を転がる様に魔法の光線を避けたハティはさっとローブのポケットから杖を取り出し、マルフォイが魔力を編んでいるその隙に二つの呪文を唱えていた。

 

 

「レヴィオーソ! ディセンド!」

 マルフォイは一度、岩の天井近くまで跳ねたかと思うと悲鳴をあげてクリオネのように宙でもがき、上下肢をじたばたさせた。そして間髪入れずにハティが発した呪いは、マルフォイの華奢な身体を力強く湖の水底へと叩きつけた。

 派手に水飛沫があがる。マルフォイは一瞬自分の身に何が起きたのか理解できない様子で、水中でもがいていた。そして、ややあって湖面に顔を出したその時休む間の与えずに彼に新たな魔法が襲い掛かった。

 

「インカ―セラス!」

 ハティの杖先から噴き出した縄はしゅるしゅると水中のマルフォイの体をボンレスハムのごとく縛り上げた。ハティは相変わらく用心深くマルフォイに視線を集中させていたものの、内心では不測の事態に備えて決闘用に幾つか魔法を取得しておいてよかった。と自身の慎重さに拍手を送っていた。

 マルフォイは最初の威勢が嘘かのように「た、助けて! 息が出来ない、溺れる! 死んじゃうよ!」と悲鳴をあげながら藻掻いていた。ハティはそんなマルフォイを白けた目で眺めながら、唸る様に「アクシオ」と地面に落ちていたマルフォイの杖を回収すると、それをローブの中にしまいこんでようやく息をついた。そしてマルフォイがそうしていたように、小箱の上にことさら優雅に腰掛けて足を組んだ。

 

「ねえ、今の何の魔法? わたし、マグル育ちでしょう。魔法に詳しくないのよね。でも、あんたがわたしを攻撃しようとしていたのはわかる。そして今わたしがやったことは正当防衛。あんたがもし、このまま教授に泣きついたら、わたしあんたをどうするかわからないわ。マルフォイ」

「助けて! 父上、母上!」

 ハティは呆れ果てて、天を仰いで大きな溜息をついた。

「やれやれだわ……このファミコン野郎。よく見てみなさいよ、そこは足がつくでしょうが!」

「え?」

 面食らったようにマルフォイがぴたりと動きをとめた。恐る恐る水底に足をついて、水深がないことに気付いたマルフォイは羞恥で顔を真っ赤にした。そして自身の腕の中に、杖がないことに気付くと今度は顔を真っ青にした。まるで信号のように忙しいマルフォイの顔をとっくりと眺めて、ハティは溜息をついた。

 

「それで、あんたは結局何のために私を呼び出したの。可愛いガールフレンドを陥れられた報復? それとも、主人への下剋上? 本当のことを言わなければあんたを後ろの岩壁に吹き飛ばす」

 恫喝めいた冷徹な口調に、マルフォイは冷や汗をかいてゆっくりと背後の岩壁を振り返った。宣言通りのことが行われれば、自分はただでは済まない。パンジーでさえ、この女の奸計に陥って破滅したのだと思うとマルフォイは色んな意味で命の危険を感じた。アラディア・ロウルに破滅させられる前に、この女に殺される――マルフォイは慄然として、急いで口を開いた。

 

「パンジー・パーキンソンの失態は、一年の男子の代表である僕が払拭すべきだってアラディアが言ってきた! 僕が君を捕まえてアラディアの満足のいく方法で君を懲らしめることができれば、僕とパンジーの特権を奪うことはない――と」

「特権?」

「スリザリンにおける権力だ! 僕は父上の息子で、マルフォイ家の跡取りだからスリザリンであらゆる特権が与えられる。紳士クラブの開催ができるし、優先的にシャワールームや、談話室のふかふかのソファーを使える。それに、上位の階級として召使に対して命令することだって許されている! 僕には力があるんだ! なのに、君が台無しにした……っ」

 マルフォイの顔には隠すことのできない失望と落胆、そして絶望が浮かんでいた。

 つまるところ、彼はパンジー・パーキンソンの失脚に巻き添えになることを恐れているのだ。それで、主人と誓ったハティを生贄にして自分の地位を守ろうとしている。彼のやり口は、ルシウス・マルフォイと全く同じであった。闇の帝王が破滅した時に、真っ先に自己保身に走った卑劣で情けない男の息子は、びっくりするほど父親に生き写しでハティは呆れかえってしまった。

 

「ああそう」

 地下の船着き場に不穏な響きの低い声が響いた。ハティは再び杖を握った手首を翻すと再び「ディセンド!」と唱えた。重力に屈するようにマルフォイの体が湖底に引きずり込まれる。ハティは重い腰をあげて岸辺に近寄った。湖面にはぶくぶくとマルフォイが吐き出した泡が幾つも浮かび、湖底で彼がもがき苦しんでいるがために波打っている。

 湖底でキラキラと輝くシルバーブロンドを見つめ、ハティは呪文を解除した。再びマルフォイが水中から顔を出した時、彼の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 

「……っ! 僕にこんなことをして、父上がただで済ませると思っているのか!?」

「父上? あははっ! 同い年の女の子、それもハリエット・ポッターに鼻水垂らしながら負けたことをパパに泣きつくんだ? この腰抜け野郎が。きっとルシウス・マルフォイは自分の息子の出来の悪さに失望するでしょうね、そしてあんたを跡取りの座から外すかも」

「僕を跡取りの座から?」

「あんた、一人息子?」

「そうだが……」

 何を問われているのか分からないといった声音で答え、マルフォイは頷いた。

 

「いい? 名家って言うのはね、大抵は跡取りのスペアを作っておくもんなの。ところがあんたは一人息子。つまり、ルシウス・マルフォイはよそにあんた意外の子どもを作ってる筈。あんたが跡取りとして不適合だとわかれば、そいつを跡取りに仕立て上げてあんたなんて早々にゴミ箱行きよ」

「嘘だ! 父上は僕のことも母上のことも愛している! その証拠に、手紙にはいつも”愛する息子へ”と書いてある!」

「人間、嘘なんていくらでもつけるわ。大体、純血にこだわる家の当主が跡取り一人だけを設けて終わりにするわけないじゃない。あんたが死ねば、マルフォイ家が途絶える。そんなことを、あんたの尊敬するお父さまは許すと思う?」

「許さないと、思う……」

 マルフォイは初めて得心がいったように頷いた。同時に、自分がハティの言葉の魔力に屈服したことに気付いて表情を歪めた。

 ハティの言葉には説得力があった。幼い頃からマルフォイのカヴァネスや父母が話していた内容と同じである。マルフォイ家の純血を絶やさず次代へ繋ぐことが、マルフォイ家の男の役目だと。そのことを一番理解しているのは、勿論マルフォイの父親で、そして彼がマルフォイにとって尊敬に値する人物であればあるほど、ハティの発言に信憑性は増した。

 

「今回のアラディア・ロウルの件で気付いたでしょ? 高貴なるマルフォイ家の息子を、わたしへの刺客に使う程度にはあんたの価値は軽いの。この世に替えの利かない人間なんていないわ」

 マルフォイの息は乱れた。気が付けば、マルフォイは湖につかったままで押さえつけたような呼吸を繰り返し、そして嗚咽を漏らしていた。

「ち、違う。僕は、純血で、父上と母上にとって替えの利かないかけがえのない子どもなんだ……子どもなのに……どうして君はこんなに僕を惨めにさせるんだよ! 僕もパンジーも、こんなはずじゃなかった。もっと輝かしい学校生活が待っている筈だったのに」

「でしょうね。あんたとパンジーの唯一にして致命的な間違いは、わたしに逆らったことよ。だから、あんたもパンジーも破滅しそうになってる。わたしが、自分を陥れようとする人間を容赦すると思ってるの? 悪意には悪意で、返す……それが人間の基本でしょう? そんなことも忘れて、わたしを挑発するあんたたちが悪いのよ。それとマルフォイ、あんたに関しては裏切りの代償を支払ってもらう。わたしはあんたのパパのご主人様とは違うわよ。あんたは、スリザリンの王様としての地位を失って、惨めな七年間になればいいんだわ」

「君のせいじゃないか……君が血を裏切る者や、泥の血にのうのうと囲まれて、僕たちに相応しくない態度をとるから! だから、僕は飛行訓練で君を試さざるを得なかった!」

「見苦しい言い訳ね。あんた、わたしを見下してたからあんなことが出来たんでしょ。そうじゃなかったら、他の生徒の前で恥をかかせるようなことが出来るはずがない」

 ハティは冷たく吐き捨てた。

 マルフォイは切迫さが滲む必死の表情で、言い募った。

 

「言い訳なものか!」

「言い訳よ。あんたはわたしに対して忠誠心なんて一かけらもなかった。あったのは打算と計算ってところかしら?」

 ハティは涼しい顔で一蹴した。マルフォイが裏切ったことに対して失望や落胆はなかった。あったのは、自分が見下していた相手への怒りだけだ。だからマルフォイも今、自身が侮蔑していたハティに屈していることにさぞや恥辱を覚えていることだろう。

 マルフォイは図星を突かれたように真っ赤な顔で俯いた。ひとしきり、罵詈雑言を呟いて、ややあって顔を上げた時には開き直ったように引きつった嘲笑を浮かべて堰を切ったように話し出した。

 

「そうだ、そうだとも――僕は君を見下している! 君なんかに、僕の気持ちや立場が理解できるものか。純血の名家に生まれ、跡取りとして育った僕が君なんかの足を舐めなければならない屈辱がね! それも、僕たちの血の歴史や重みをわかっていない君に! 君にはわからないだろうな、僕たち純血の魔法族の落胆と絶望が……世代を重ねるたびに僕たち魔法族の中から魔法は失われていく。そして泥の血の穢れが、僕たちの血を濁す。かつて、先祖の身に流れていた大神オージンの血も、魔法の力も最早もうない。僕たちがこの学校で学んでいるのは、失われた知識や技術の残滓に過ぎない。汚らわしいマグルどもは自分たちの知恵の結晶である科学力こそが世界の理を知るための術だというが、あいつらが年数を経て確立した技術などとうの千年前に僕たち魔法族は既に持っていた。だが、君たちマグルが起こした愚かな戦争や宗教、弾圧が僕たちから神秘を永遠に奪い去った! 僕たちからはぎ取った知恵で、力で君たちだけは発展していく。かつて予言者やドルイドと呼ばれて国を動かしていた僕たちは、今やマグルに埋もれるしかない。マグルを取り込み、血を濁らせ、スクイブを野に放つことでかろうじて延命しているに過ぎない。いずれ、僕たちも完全に滅びるだろう。その滅びの足音を聞きながら、必死に生きる僕たちの気持ちが、君にわかるはずがない」

 

 

 そこにあったのは、ガヴァネスや父母に教え込まれ、言わされた言葉ではない。純血の若き魔法使いの、失望と落胆の叫びであった。ハティにはマルフォイが言わんとしているがわからなかった。しかし、何か必死の叫びを聞いた。そのことだけは、肌で感じ取られた。昏い、絶望を覗き込んだ気がした。

 

 マルフォイはシルバーブロンドの髪から水滴を零しながら、ふっと自嘲の笑みを浮かべた。

 

「こんなことを君に言っても仕方ないか……君に理解できるはずがない。見ての通り、君の下僕になるには僕は役不足だよ。ポッター。僕に失望したんだろう? この失態、この体たらく、死んだほうがマシだ。たかがスリザリンごときを掌握できないなんて、マルフォイ家の跡取り失格だ」

「……そうね、全くそうだと思う」

 ハティの慰めを期待していたわけではないが、マルフォイはショックを受けて打ちひしがれたように俯いた。すっかり押し黙ってしまい、もうハティがディセンドを使っていないというのにマルフォイはいつまでも湖に浸かっていた。

 

「でもわたしが失望したのは、あんたがスリザリンごときを掌握できないからじゃない。あんたが情けなくて、つまらなくて、卑怯な男だからよ。自分よりも下の人間に対しては横柄に振舞うくせに、アラディアに対しては奴隷根性で命令を引き受けて、わたしを裏切る。あんたは自分のことを王様のように思っているかもしれないけど、実のところいつでも替えのきく下僕で、ただの卑怯者よ」

「……僕は下僕じゃない」

「自分でこんなことをしていて分からないの? あんたは飛行訓練でわたしを挑発した時だって、教授の目を恐れてわたしと戦わずにさっさと地上に降りた。今だって、一度はわたしをクイーンとして仰ぎながら簡単に裏切ってアラディアの召使をやってる。あんたのやってる行動のどこに矜持があるの? 言っておくけど、あんたに役を降りる権利なんかないわよ。だってもうとうの昔にあんたのような卑劣で品性の欠片のないクズなんか、下僕にする価値もないって思ってるから」

 マルフォイは顔を真っ赤にした。羞恥と怒りがない交ぜになった表情でハティを睨みつけ、拳を強く握りしめた。だが、未だに縛られたままだったのでハティを殴ることはできなかった。よしんば解放されていたとしても、目の前の少女のことだから返り討ちにあっていただろう。だが、完全に屈服させられるのも業腹であり、マルフォイは唸る様に言った。

 

 

「僕にも……僕にだってプライドくらいは、ある!」

「プライド? あんたなんかに?」

 ハティは鼻で笑った。

「本当にあんたにプライドがあるんだったら、こんな愚かなことをしているわけがないわ。いい? わたしがもしドラコ・マルフォイだったら、アラディアの召使なんかにならない。まずはパンジーをスケープゴートにして切り捨てるわ。馬鹿を上に据えていると、今回以上に失態をおかして何度も問題解決に走る羽目になるんだもの。それから、これに乗じて一年の中からもっと賢い女を選んでそれをスリザリンの女子のトップに据える。そしてこの機に乗じて一年生全部を掌握して、アラディアに反抗する。それが一番、クリーンな方法じゃない? それをパンジーの報復だ、自分の地位を取り戻す! とか言いながらアラディア・ロウルの言う通りに奔走するから、いいように使われるのよ。まあそうやって、わたしを生贄に自分だけでも助かろうなんて思ってるような根性なしの臆病者だから、そんなことも考えられないんだろうけど」

「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れー! クズは君の方じゃないか! 何も知らないくせに、パンジーのことも、僕のことも何も知らないくせに、偉そうなこと言うな! 僕が一体どんな気持ちで、スリザリンでやっているか君にわかるもんか! 僕だってわかってるさ、一年生の王様でも所詮僕は上級生からしたら弱者だ! そんな僕たちが、今回三〇〇点も失点したことでどんな扱いを受けていると思う? まるで、針の筵だ……無価値で、無益で、無駄な召使以下の存在として扱われている。これで、スリザリンの寮杯獲得は絶望的だ。僕たちのせいで、スリザリンの連勝を止めてしまった。その恐ろしさが、強くて、冷徹な君にわかるわけがない」

 マルフォイはまるで子供の様にわんわんと声をあげて泣き出した。

 そのあまりにも恥ずかしげもない泣き声を聞きながら、ハティは気まずくなった。流石に言い過ぎたかなあ? と同情心が頭をもたげたが、心の赴くままに口にした今となっては後の祭りであった。泣きじゃくる少年を慰める術を心得ているわけもなく、ハティは困り果ててポケットの中に手を突っ込んだ。引っ張り出すとドルーブルの風船ガムが一箱あった。毎日、両親から瀟洒なスイーツが届くマルフォイにしてみれば市販の安っぽいお菓子かもしれないが、ないよりマシであった。

 

 

「おい、泣き虫野郎」

「え……?」

 マルフォイは突然ぶっきらぼうな声で呼ばれ、驚いた様子で顔をあげた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は、彼が見下すネヴィルのように情けないものであったが、ハティは笑わなかった。

 無表情でドルーブルの風船ガムを投げつけると、拘束されているマルフォイの肩にそれはぶつかって、ぽちゃんと水中に落ちた。少しして水面に浮上してきた青い菓子箱を見て、マルフォイは怪訝な顔になりハティを見た。

 

「とりあえず、パンジー・パーキンソンを見捨てないその姿勢だけは認めてやってもいいわ。あんたはどうしようもない腰抜けだけどね」

 マルフォイは目を丸くして、信じられないものを見る目でハティを見た。

「腰抜けは余計だ……素直に人を褒めることはできないのか?」

「あんた、自分が人に褒められるような人間だと思ってるの? あんたの臆病で卑劣で泣き虫のあんたのどこに美徳なんてあるのよ」

 容赦ない舌鋒にマルフォイは再び沈黙をした。泣きじゃくっていたマルフォイに、ハティの鋭い言葉はまるで鋭利なナイフのようにぐさぐさと突き刺さった。

 

 

「いい? 次にわたしを襲ったら、この程度では済まないから。あんたを容赦なく医務室送りにするわ。魔法って言うのはね、闇の魔術を使わなくても完全犯罪を成立させることができるのよ」

 脅迫めいた凄みのあるハティの口調に、マルフォイは怯えて思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 図書館でグラッブとゴイルの記憶を綺麗さっぱり忘却させたハティの魔法の腕を目の当たりにしているからである。元々、物覚えの悪い二人だったので二人の記憶が欠落していることを周囲は気付いていなかったが、それを織り込み済みで二人にあの魔法を行使したのであれば、マルフォイも周囲にそれを気付かれずに記憶を修正される可能性は非常に高かった。

 

 冷や汗が額をつたって、マルフォイの目に入る。マルフォイは何度も瞬きをしながら「しない、しないから。もう君に逆らわない」と言葉に詰まりながら、誓った。

「でもそれじゃあ、アラディアはどうしたら?」

「そんなことも自分で考えられないのに、権謀術数のスリザリンでどうやって地位を守るのよ。あんたまさか大人になってもパパに”ねえ、僕はどうしたらいいのかな?”とかお伺いをたてるわけぇ?」

「僕がそんなことする訳ないじゃないか!」

「じゃあ、自分で考えなさいよ。あんたが、わたしの下僕のままだったらどんな手を使ってでも、助けてあげたでしょうけどね」

「え……」

「わたしの信頼を損ねて、わたしとの関係を失ったのはあんたでしょ? これから、あんたとわたしはただのスリザリンとグリフィンドールの生徒。それ以上でもそれ以下でもない」

 マルフォイは頭をトロールの棍棒で殴りつけられたような衝撃に、言葉を失った。

 確かにパンジーの報復と自分の地位を守る為に、彼女をアラディアに売るというアイディアにいの一番に飛びついたのは自分である。そして、それが齎す結果を理解していなかったわけではない。しかし、今はまるで何かとてつもない大事なものを失ったような喪失感と焦燥感がマルフォイの心を激しく揺らしていた。

 

 

「ま、待ってくれ、僕は……僕は、君と……っ」

「もう何の関係もないわ。そこで数字でも数えながら、誰かが助けに来てくれるのを待ったら? さようなら、ミスター・マルフォイ」

 もう、彼女は視線の一つすらマルフォイにくれなかった。

 どこか奇矯で、猫の目の形のように気分で鮮やかにころころと変わる彼女の表情が氷のような冷たさだけを残している。ハティはポケットから杖を取り出すと、それをマルフォイが座っていた小箱に置いてポケットに手を突っ込んだままパーテルノステルに乗り込んだ。パーテルノステルが動くカラカラという音に耳を澄ませながら、マルフォイは小さく呟いた。「一……二……三……」

 

 ひとつひとつフランス語で数えてみる。母のナルシッサとダンスをするときのように、規則正しく、囁くように。しかし、いつものように「上手ね、ドラコ」と褒めてくれる声が聞こえない。誰も、マルフォイの声に答えてくれない。

 

 空しく数字は地下の船着き場に響き続ける。

 

「七……八……」

 

 彼女と仲良くなったら、色んなことを教えてあげようと思っていた。ウィルトシャーにある自分の白亜のお城のこと、父がいかに偉大で優れた魔法使いなのか、母の気品に満ちた美しさと優しさ、母が育てているチューダーローズの華麗さ、自分が知っている美しい魔法の数々——彼女に話したいことや、見せたい物は沢山あった。

 

 しかし、ハリエット・ポッターは美しいものや素晴らしいことをたくさん知っているマルフォイよりも貧乏で愚かなウィーズリーや、血を裏切ったフィリパやプリシラばかりと仲良くする。はては愚かなネヴィル・ロングボトムのために、自分に恥をかかせようとした。許せなかった、自分を差し置いて彼らが優先されているのが。だが、それは口にするにはあまりにも幼稚な感情である気がして、マルフォイは恥ずかしかった。

 

 もっと僕を見てほしい。僕は君の隣にいる少女や君が擁護する少年よりも、はるかに価値のある人間の筈だ。だって、パンジーはいつも僕のことをまるで太陽を見るようにまぶし気に、月を見上げるように恍惚と僕を見るんだもの。君は、どうして僕をそんな目で見ないんだ? 君の中で、僕はそんなにちっぽけな人間なのか? 僕が君の下僕だから?

 

 君が、僕と対等になれば僕を意識するのか?

 

 

 だからマルフォイは彼女に思い知らせようとした。自分がスリザリンでいかに高い地位にあるのか、そして彼女が仲良くしている魔法族がいかに価値がないか。まるで愛情に飢えた子どもが、親の愛情を確かめるようにマルフォイは試した。そして、気付いた――彼女はマルフォイにとって価値のない隣人たちを愛している、自分よりも遥かに。それは認めたくない事実であった。

 同時に激しい嫌悪が込み上げてきた。誰よりも優れ、価値のある自分をないがしろにすることなど許される筈がない。思知らせてやりたい、自分は一人の人間なのだと。

 

 

 そんな時だった。悪魔の囁きを聞いたのは。

 

 太陽に光が差し込むことのない夜の湖は、しんしんとして薄暗い。まるで水槽の中に、一つの部屋があるかのように談話室の壁一面には漆黒の湖が映っている。父のルシウスが言うのは、漆黒の湖はどこかの海に繋がっているのだという。そんな話、眉唾物だとマルフォイは密かに考えていたが、硝子越しにしんしんと湖底に向かって雪のように降り注ぐマリンスノウを眺めながら、マルフォイは「父の話は真実だったのだ」と思わず瞬きをした。しかし、それよりもマルフォイの目を奪って仕方がない存在が、目の前にいた。

 

「ミスター・マルフォイ」

 星の歌声とでも、形容したいような声音であった。上品な笑いを含みながらも、澄んでいてよく通る声、ひとの心臓をとらえるような声だ。その声を引き寄せられるように、マルフォイは一人掛けのソファに腰掛けた女性を見た。

 成人を前にした彼女は少女というよりも女性といって遜色がない容貌であった。優雅に長い手足を組み、背はすらりとして身長の高いナルシッサより頭一つ分高く、ほっそりしているが痩身ではない。身に着けているのは質素がグレイのがガウンだ。首元にはゴールドの華奢な鎖のネックレスをつけているが、そのネックレスが這う鎖骨の白さと骨の浮き具合があまりにも艶めかしく、マルフォイは息を呑んだ。腰回りはまるで女王蜂のようにきゅっとくびれており、それに反して胸元は誰にもまねのできない見事な曲線を描いている。

 背中に流された髪は、ほとんど色がなく、プラチナにも似た輝きをしている。当然肌も処女雪のように白く、形良い唇はリップをつけなくても艶やかなで鮮やかな桜桃色をしていた。

 まるで雪と月が交わって生まれたようなニンフか、雪花石膏を丹念に削り上げた純白の聖女のごとき見事な容姿であったが、瞳だけは、どういうわけか彼女の背後の湖のように漆黒であった。

 

 

「はい、ミス・ロウル」

 マルフォイは慎重に、恭しく彼女の名を舌にのせた。言葉には、視線には、魔力が宿る。だから、自分をまっすぐ見つめる彼女の底知れない眼差しは、自分の心を見透かしているに違いなかった。幼い頃より父母に厳しく訓練された時と同じように、心を閉ざす。重い扉を閉めて、鎖で鍵をかける――そうすれば知られない。露呈することはない。自身がデスイーターの息子であることや、彼女に抱いてしまった恐怖心は。

 

「お父上と実にそっくりでいらっしゃる。きっと、お父上同様、優秀なのでしょうね。父に聞きましたよ。ミスター・マルフォイは監督生であった、と」

「父は模範的な生徒でしたから。僕も、そうありたいものです」

 マルフォイは目を伏せて答えた。

 彼女のことは入学する前から知っていた。アラディア・ロウル、デスイーターであるソーフィン・ロウルの娘。ロウル家はかつて魔法大臣も輩出した純血の名家であるが、没落して久しい。闇の帝王の全盛期、既にロウル家の権勢は既に見る影もなかった。だというのに、家が絶えても純血を維持するという矜持と妄執だけはあり誕生したのがソーフィン・ロウルであった。

 名家の当主とも思えぬ粗野で無作法な男であったが、残虐性だけは人一倍あった。そのようにして病的なまでの純血主義と青い血統、死の呪文をも連発できる魔力の高さを買われてソーフィン・ロウルはデスイーターとなった。しかし、父のルシウスはソーフィン・ロウルを下品で巨人のような男だと嫌っていた。マルフォイもそのような男の娘なのだから、アラディア・ロウルも巨人のように残虐で無教養な女に違いないと思っていた。今の今まで。

 

「勿論、そう願いたいものですね。一年生の女子を束ねるミス・パーキンソンは些か感情的なところがありますから、貴方はせめて理性的であってほしいわ。わたくしは少しばかり後悔しています。パンジー・パーキンソンが個人的な感情で不用意にハリエット・ポッターを刺激し、その挙句にスリザリンから三〇〇点も失点するなんて思いもしませんでしたもの。貴方はどう思っています、ミスター・マルフォイ」

 柔らかでありながら、パンジーの行いを非難するかのような物言いであった。マルフォイは自分と同じ子どもの機微を察することは疎いが、固く心を閉ざした大人の意図を察することは得意だった。とりわけ、負の感情は。

 だから、内心がどうであれマルフォイは得意に微笑んで、口調から完全に棘を覆い隠すことができた。

 

「ミス・ロウルの言う通りだと思います。ミス・パーキンソンの行いは、まったくもって愚かでした。彼女の振る舞いは狡猾なスリザリンとは言い難い」

「ええ。策略と謀略のスリザリンに相応しくない行いです。わたくしはこれを由々しき事態だと思っています。この件を受けて、これまでスリザリンの寮杯を獲得してきたスリザリンの上級生は殺気立っている。前年度の得点がいくらか、ご存知? 二八九点です。ミス・パーキンソンたちが失った点には届かないのですよ。今や、スリザリンの上級生の怒りと殺意はグリフィンドールでなくあなた方一年生全体に向けられている。このことを、どうするおつもり?」

 どうするも何も、優秀な上級生と身内贔屓な寮監がやっと積み上げたのが二八九点ではパンジーが失ったマイナスを取り戻せる筈がない。

 マルフォイは慄然とし、こめかみを冷や汗が伝うのが分かった。ホグワーツに入学すれば、今年のスリザリンの主人はマルフォイとパンジー・パーキンソンで決まりだろうとナルシッサは機嫌よく笑っていた。有力な子女に便宜をはかるためにも、ナルシッサはパンジーをマルフォイ邸に招いたのである。だというのに、今となってはその繋がりがマルフォイの枷になっていた。深く、昏い、漆黒の湖にマルフォイを鎮める枷に。

 

 アラディアは黙り込むマルフォイを前に、優雅にティーカップを持ち上げた。彼女の隣に影のように控える女子生徒が心得たようにティーポットを持ち上げて、彼女のティーカップにお茶を注ぎ始める。

 今の今までマルフォイはその女子生徒の存在に気付いていなかった。年のころはアラディアと変わらない、上級生だ。亜麻色の髪の大人し気な女性で、役目を終えるとすぐに彼女の背後で命令を待つかのように彼女は直立不動で立った。その時に、その上級生が”召使”であるとマルフォイは気付いた。

 

 マルフォイの視線に気付いたアラディアが「ああ」と得心がいったように、亜麻色の髪の魔女を一瞥する。

「彼女が気になるのですか? ただの召使ですから、わたくしたちの会話を漏らす心配はありません。貴方やミス・パーキンソンだって、泥の血にそのような役目を与えているではありませんか」

 純血の魔法族が多く組み分けされるスリザリンでは、暗黙の了解のうちに厳密な身分制度がある。古い純血の魔法族を頂点とする階級制度である。どこかの時代に、誰かがそうと定めた訳ではない。しかし、闇の帝王の全盛期はとりわけスリザリン内での血統による身分の違いは厳しく、マグル生まれたちはマグル出身であることを隠すか、あるいは公表して召使になったうえで身の安全をはかっていた。それは闇の帝王が失脚した後も変わらない。

 

 女子生徒ではルビー・ダンクワースが――彼女は正確にはマグル生まれではなかったが――男子生徒では、ジョナサン・テイラーというマグル生まれが”召使”と呼ばれる立場にあった。彼等はスリザリンでは底辺の存在であった。ハウスエルフのごとく魔法族の同級生に忠誠を誓い、自分たちに尽くし、目立たぬように学校生活を送る。代わりに彼等はグリフィンドール生のように攻撃されることもなく、在学中は純血の魔法族の保護を得ることが出来る。

 

 

 マルフォイにとって召使など空気同然の存在である。「別に気にしていません」そのように答えようとしたときだった。

 

「彼女は混血でね、元々は召使などではなかったの」

 星が瞬くように、彼女は楽し気な笑い声をあげた。

「だけど、彼女はヤックスリーの怒りを買ったのです。そこでわたくしが彼女を拾って、召使にして差し上げたの。一種の共生関係よ。ヤックスリーの溜飲は下がり、わたくしは優秀な召使を得る、そして彼女はヤックスリーの怒りから守られる。WIN-WINな関係だわ。貴方もそうあるべきだと思わない?」

 ヤックスリーはスリザリンの七年生で今年の首席である。強硬な純血主義で知られるが、名実ともに実力のある魔女で魔法省に内定が決まっている。父親同様、魔法省で高級官僚としての道を邁進することだろう。

 彼はスリザリンの紳士クラブを取り仕切っており、マルフォイでさえヤックスリーに不遜な態度はとれなかった。敵にまわせば、平和な学校生活は送れまい――そうわかっていたので、彼には常日頃から気を使っていたしそんなマルフォイにヤックスリーは好意的に接してくれる。それが、パンジーの一件で崩れつつある。

 

 

「そうあるべき、とは? どういうことでしょうか、ミス・ロウル。僕にはよく、わからないのですが……」

 マルフォイは泰然と笑みを浮かべた。自分ではそのつもりだった。しかし、どういうわけか顔が強張っていつものように動いてくれない。

 対してアラディアはお手本とも言うべき嫣然とした微笑みを浮かべて、漆黒の目を細めた。それはまるで魔性のごとき輝きを帯びて、瞳は漆黒を帯びた紫色に変わり、唇は濡れたように艶めいていた。

 彼女が身を乗り出して自分の目を覗き込むのがわかって、マルフォイは後退りした。アラディアに魅入られたように目を背けることができないというのに、本能的に彼女が自分にレジリメンス(開心術)を仕掛けようとしていることがわかる。

 

 

「わたくしの目を見て」

 聖女のように清らかな声で彼女は囁いた。

「貴方とミス・パーキンソンが”召使”となり、誠心誠意尽くすのであればわたくしたちの溜飲は下がる。そして、貴方とミス・パーキンソン以外の一年生は穏やかな学生生活を送ることが出来るでしょう。ですが、このままでは貴方達は針の筵。貴方はどうしたい? ミスター・マルフォイ」

 それでも、マルフォイは彼女から逃れるようにソファの背もたれに背中を精一杯押し付けた。

「僕は、僕は……」

「このままだと、貴方はミス・パーキンソンの分まで責任を負わなければならない。だけど、それではお父さまの期待に応えるのは難しいのではなくて? 貴方が召使になったとして、その間一体誰が貴方の席につくのかしらね。あの気位の高いシダの魔女の末裔である、ミスター・ファーンズビー? それとも、カレイドスコープ(万華鏡)の魔法使い? もしかしたら、貴方の幼馴染のセオドア・ノットかしら?」

「ディランとジャスパーは相応しくありません。血を裏切ったフィリパ・ポップルウェルを人目もはばからずに追いかけるような者たちですから。それに、セオは一匹狼であることが好きなんです。みんなを率いる立場になるのは、あいつが望むような展開じゃない」

「では、貴方は? 貴方はミスター・ファーンズビーとミスター・アリアネルのように、ハリエット・ポッターを気にしていないと言える? 組み分けの儀式のときには、随分と彼女にご執心のようだったじゃない。彼女は魅力的よね、エメラルドの瞳に、小鹿のようにスキニーな体つき、血統書の黒い子猫みたいに愛らしくて蠱惑的。貴方は選ばなくてはならないの……召使に身を落とし席をお友達に譲るか、あの可愛らしい子鹿ちゃんをミス・パーキンソンを陥れた犯人としてスリザリンの皆の前に引きずりだすか」

 言葉自体には恫喝めいているというのに、不思議と声音はくすぐるように快い声だった。マルフォイが気が付いた時には、彼女は自分の隣に腰掛けていて、紫色に輝く瞳が間近でじいっとこちらを覗き込んでいた。彼女からは透明感のあるローズやジャスミン、そしてそれを包み込むウッディで官能席な香りが漂い、マルフォイの思考を麻痺させた。

 

 

「いいのよ、貴方がどんな選択をしてもわたくしは責めない。わたくしが全て受け止めてあげる。貴方の哀しみ、辛さ、プレッシャー、辛いでしょう――ミス・パーキンソンの分まで責任を背負わなければならないのは。大丈夫、貴方には楽になる方法がある。本人に責任をとらせるのよ、そう、ミス・パーキンソンを陥れたハリエット・ポッターに。そうすれば、貴方は自分の地位も権力も失わずに済む。スリザリンの上級生たちも貴方達を責めない。今までと何も変わらないのですよ……」

 言葉はしだいに内容がぼやけ、アラディアの歌うような声だけがマルフォイの耳で響いていた。マルフォイは「もう彼女の言う通りでいいのではないか」という投げやりな気持ちになった。

 パンジーの軽率な行動による責任を彼女と一緒に背負って召使になるなどマルフォイのプライドが到底、許さない。彼女の言う通り、マルフォイの退いた席に誰かが座ろうものならばあとになってその地位を取り戻すのは極めて困難だろうと思ったし、何より自分の地位を奪われるのはこの上ない屈辱であり恐怖だった。だが、彼女の言う通りに上級生の憎悪と怒りの矛先をハリエット・ポッターに向ければ被害は最小限で済む。パンジーはこれ以上、罰せられることはないし、マルフォイも失脚を免れることができる。

 

「気持ちが決まったようね?」

「僕は召使になどなりません。マルフォイ家の跡取りですから」

「いいでしょう、ミスター・ヤックスリーには”ミスター・マルフォイがハリエット・ポッターに懲罰を下すことになった”と伝えましょう。きっと、ミスターヤックスリーは貴方を許してくれますよ。ミスター・マルフォイ」

 アラディアは満足そうに微笑んだ。

 それはとても画期的な方法に思えた。

 父の期待を裏切ることなく、強い魔法使いとして自身の実力とスリザリンでの地位を示すことで彼女は僕に屈するだろう。その時、初めて彼女は下僕ではないドラコ・マルフォイを見ることになる。それは立場の逆転であり、自分を彼女に知らしめる重要な儀式であった。その時は気付いていなかった。

 

 

 彼女の信頼を損ねる行為になるとは。

 

 

 

 シルバーブロンドの髪から滴る生暖かい水滴が零れ落ちる。どれくらい、そうしていただろうか。丁度、百まで数えたところで口に出すのを辞めた気がする。けれども、心の中では数えていた。そうしているうちに、マルフォイは段々と冷静になり頭が冴えてきた。今まで高い自尊心から、目を逸らしてきたが失って今ようやく気付いた。

 そして、自身の滑稽さに込み上げたのは涙ではなく、乾いた笑い声だった。

 

「ああ、そうか。僕はただ彼女の対等な友達になりたかったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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