ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
ジャスパー・アリアネルとディラン・ファーンズビーの親族にデスイーターがいるというのは、公然の秘密である。ハティでさえ知っているのだからスリザリン生の間では有名であり、二人はマルフォイ同様スリザリンの一年生の間で隠然たる影響力を及ぼしているという。特にマルフォイがパンジーの失脚に巻き込まれて以降、彼は
「お前が悪い影響を与えたせいだ、プリス。そのせいでピッパはハリエット・ポッターなんかと仲良くなって、泥の血と口も憚るような関係になるほど落ちぶれたんだぞ! しかも、今じゃあミス・スリザリンに目をつけられてる。お前なんか入学前にユニスにやられちまったらよかったんだ! そうしたら、こんなことにならなかった!」
「ミス・スリザリンってアラディア・ロウルのことよね? その件に関してはパンジーが悪いんじゃないの。フィルは関係ないわ。それにね、私がいなくたってフィルはハティと友達になったしティモシーと付き合ってたと思うわよ。だって、あんたたちより魅力的なんですもの」
「あんな奴らが魅力的? 俺たちよりも? 頭にきたぜ。よくも俺にそんなことが言えたもんだよな。そりゃあ、本とフィルしかお友達のいないお前にはあの二人は刺激的だろうよ。だけど、俺たちよりもピッパに相応しい男がどこにいるって言うんだよ。あまり口が過ぎると、お前破滅するぜ? 俺はいつでもお前を呪える。幼馴染の誼で目を瞑ってやってるっていう、俺の優しさを蹴るなら俺はいつでもお前の敵になるぜ? プリス」
顔を真っ赤にし苛立ちを含んだ声で言い放つジャスパーに対して、隣のディランはあくまで冷静であった。氷の様に冷たい表情を崩しもせずに、ディランは口を挟んだ。「まあ落ち着けよ、ジャスパー」
「プリスが礼節に欠けるのは今に始まったことじゃない。こいつはいつだって俺たちに泥をかけるのが上手だった。忠告するだけ無駄さ」
「あら、その言葉そっくりそのまま返すわよ。あんたたちだって、私に泥をかけるのが上手だったわ。そのたびに私はフィルが許してやれって言うから、あんたたちの所業には目を瞑ってきた。だけど、もうここでは黙らないわ。だってここにはフィルはいないし、あんたたちがフィルの婚約者になる可能性も完全になくなったものね? 勿論、闇の魔法にどっぷりつかったディランをミスター・ポップルウェルが許すとは思えないけど」
「その闇の魔法で呪い殺されたいか? プリス」
ディランが眼光鋭くしてプリシラに詰め寄ったその時、ハティは慌てて「ちょっと!」と大声をあげながら彼等に向かって駆け出した。びっくりしたように振り向いたプリスは、ドレスの裾をからげながら近づいてくるハティに目を丸くした。一方、ディランとジャスパーは眉宇を顰め、訝る様にハティを睨みつけた。
ハティは間近でこの二人の少年を見るのは初めてだった。いつも二人一緒に行動しているので、まるで双子のようだと錯覚していたが実際に注目してみてみると二人の少年は真逆の印象を受ける。まるで、炎と氷のようだ。ジャスパー・アリアネルはカールした亜麻色の髪をしており、光が透けてきらきらと輝いている。肌は見事な白皙で、けぶるような睫毛に縁どられた瞳はアンバー。小生意気な顔つきをしているが、それが逆に生き生きとしていて端整な面立ちに華をそえている。
一方のディラン・ファーンズビーは光を孕むと虹の様に煌めく白銀の髪に、陶器のように白い肌。冬の海の様なブルーの瞳をしていて、顔立ちは確かに彫像のように端整だが表情はどこか陰気で冷ややかだったのでジャスパーよりも年上に見えた。
「ああ、あんたが噂のニューヒロイン、ハリエット・ポッターね」
ジャスパーは彼等の寮監を思わせる痛烈な皮肉を軽やかな声で言った。口の端には皮肉げな笑みが浮かんでいて、明るい表情のに反してハティを見る目は冷たい。歓迎していないのは明らかで、背後のルビーはおろおろとハティとジャスパーを交互に見つめていた。
「そうよ。そして、あんたたちの愛しいピッパとプリスの友達なの。ところで、あんたたちは多勢でプリスに対して何をしているの? 呪ってやるって聞こえたけど……気のせいよね? もしそうだったら、わたしはパンジー以上にあんたたちを破滅させなければならないわ」
傲然と顎をあげて言い放つハティに、ルビーは動揺を浮かべてたじろいだ。しかし、少年二人の態度は毅然としておりジャスパーは「お前に関係ねーだろ」と吐き捨て、ディランは「いちいち相手にするな、ジャスパー。俺たちが直接喋る価値のない奴だ」とハティに視線一つくれなかった。
「は……?」
故意に無視をされた。ハティはそう察知して、愕然とした。ダーズリー家ではハティなどいないかのような扱いであったが、このホグワーツでは誰もがハティに目を向けて、ハティの言葉を尊重してくれる。それだけに衝撃だったのだ。ディランはダーズリー夫妻を彷彿とさせる様子で、プリスを見やった。
「プリス、散々ユニスに対して富や名声なんて馬鹿馬鹿しいと言っておきながらハリエット・ポッターとお友達ごっことはどういう風の吹き回しだ?」
「風向きなんてその時の情勢で変わるものよ。それはあんたが一番よくわかっているのではなくて? ディラン。それに私は野次馬根性とか注目ほしさでハティと仲良くしているわけじゃないわ。ハティを気に入っているから一緒にいるの。勘違いしないでほしいのだけど、これは召使という意味じゃないわよ。そうしうわけだから、ハティを侮辱することは許さない。あんたたちの態度を視たらきっとフィルは怒り狂うわね」
「ここにフィルはいないんだから、そんな言葉なんの脅しにもならねーよ」
ジャスパーが鼻で笑う。その挑発的な態度にプリスは一瞬、憤りをみせて、すぐに平静を装うと片方の眉をくいっとあげた。
「あら、まるで親に怒られる前の子どもみたいなことを言うのね? でもあんたのママと違ってフィルは私の言葉を一切疑わないのよ。あんたたちがハティと私に無礼な態度をとったことを知ったら、フィルは半年はあんたたちと口をきかないかもね。それからもう気付いていると思うけど、ハティとの関係はミセス・ポップルウェル公認なのよ。このドレスだって、ミセス・ポップルウェルが準備したんだから」
フィルの母親がハティとの関係を認めている。という事実は少なからず三人の衝撃を与えたようだった。ルビーは悲鳴のような声を漏らして、ジャスパーは喉の奥で呻いた。そしてディランは歯ぎしりをして、その時初めてハティと言う存在を認識したかのように酷薄そうなブルーの目で睨みつけてきた。
形勢逆転である。ハティはプリシラが与えてくれた大きな傷口に塩を刷り込むべく、一歩前に出て会心の笑みを浮かべた。
「そういうわけだから、さっさと退散してくれる? わたしたち、三人でパーティを楽しむつもりなの」
ジャスパーは舌打ちをした。苛立ちと焦りをおびた表情でこちらを睨みつけると「ピッパはどこだよ」とつっけんどんに言った。
「ピッパを直接、説得する。お前たちじゃ埒が明かねえ。あいつも俺たちと話をすれば正気に戻る筈だ」
「ティモシーのところよ。ちなみに、ティモシーの前でハティにしたような態度か、泥の血って罵ってごらんなさいよ。あんたたちとの関係が修復不可能になることは請け合いだわ」
すげないプリスの返答にディランは深々と嘆息して、敵兵の前に投降する将軍のように両手をあげて降参のポーズをとった。
「アラディアがこのパーティに来てる。ピッパが危険だから、早く合流したい」
「フィルに関してはあんたたちがアラディアに手出しされないようにスリザリンで上手く立ち回ったんじゃなかったの?」
ハティはフィルにそうすように薦めたし、この案にはプリシラも全面的に賛成していた。フィルをこよなく愛する二人ならばたとえフィルに頼まれなくてもそうするはずである。
しかし、ハティの思惑とは裏腹にディランは口の端で笑って肩を竦めた。「私のお友達のハティを守ってくれないのなら、二人の助けはいらないって断られたのさ」
ハティは瞠目した。この瞬間までフィルがジャスパーとディランに守られて何の危険もない学校生活を送っていると思っていたからである。信じられない思いでプリシラを見やると、プリシラは気まずそうにハティから視線をそらした。
「どういうことなの! プリス」
「ディランの言う通りよ。フィルは自分だけ助かるわけにはいかないって、ジャスパーとディランに助けを求めなかったの」
「勿論、俺たちは状況を知ってたからピッパに助けてやろうか。って申し出たさ。でも、ピッパの奴昔から頑固だからな。こうと決めたら、いくら説得しても折れねーの。今回も、ハティを差し置いて一人だけ助かるわけにはいかないの一点張り。いくら、ハリエット・ポッターと縁を切れって言ってもいう事きかねえし」
ジャスパーが苛立ったように言い募った。
ハティは「うそでしょ……」と思わず言葉を詰まらせた。プリシラは悪戯が見つかった子どもの様な表情で口を噤んでいたが、沈黙は雄弁にそれが真実であると語っていた。今までの自分の楽観的な考えが、ハティは急に恥ずかしくなったと同時に怒りを覚えた。一体、フィルはどれほど怖い思いをしていたのだろう。そんなことも知らずに自分ばかりが大変だ、みたいな顔で過ごしていた自分があまりにも情けない。
「わたし、フィルに申し訳ないわ……そんなことになってたなんて」
「あのね、フィルのことはあの子の騎士をしたがる男の子がたくさんいて陰ながら守っていたからなにもなかったのよ。だから、そんな風に思い詰める必要はないの。ハティ」
「でも根本的な解決になってないわけだしな。現にアラディアはこのパーティに来てる。アラディアが何を考えてるか俺にはわかんねえけど、ただの暇つぶしにダーハムのパーティに来るほどアラディアは暇じゃないぜ」
「じゃあ、わたしたちへの報復で来たっていうの? その前にアラディア・ロウルが罰するべきはドジをやらかしたパンジーなんじゃないの? まずはパンジーを襤褸雑巾みたいに打ちのめしてスリザリンのヘイトコントロールでもしなさいよ」
ハティは傲然と言い放った。
ハティたちへの報復のためにこのパーティに顔を出しているのだとしたら、アラディア・ロウルは蛇の様な女である。いつまでも粘着されているのは気持ち悪かったし、こちらに報復する前にパンジー・パーキンソンでも罰して寮内のガス抜きをしてくれないものか。とハティは開き直っていた。
この発言には、さすがのジャスパーとディランも顔を顰めてパンジーに対して同情のこもった呻き声をあげていた。
ディランは嘆くように天井を仰いだ。
「性格悪くないか? こんな女がピッパのそばにいるなんて……ピッパが穢れそうだ」
「何ですって? わたしほど天使のように清らかで優しい性格の女はいないわよ。あんたは見る目がないわね、ディラン・ファーンズビー」
「マジで性格悪いな! ブレーズが言ってた意味がよくわかったぜ。確かに遠目から見たらデートに誘ってやってもいいかなと思う。でもこうやって目を合わせて話しかけたら、俺の野生の勘が警鐘を鳴らすわけ。この女と一緒にいると魂ごと破滅させられるに違いないってな」
「どういう意味よ!」
怒号するハティの隣で、プリシラは歴戦をくぐりぬけてきた老兵のごとき渋さを漂わせながら、軽く肩を竦めた。ホグワーツに入学しハティと知り合ってからというものの、図書館での一件に始まり最もハティの悪行を目にしているのは間違いなくプリシラだからである。
「そういうわけだから、私とその背後にいるハリエット・ポッターを敵にまわすとあんたたちは破滅するわよ。ジャスパー、ディラン」
「つまり、さっさと退散しろって言いたいんだろ? ピッパの身の安全に対して責任はとってくれるんだろうな、プリス」
「安心してちょうだい。この会場にフィルの崇拝者が一体どれだけいると思っているの。意地でもアラディアをフィルに近づけないことよ。ところで、アラディアはどんな格好をしているの?」
「アラディアのことだから、ファムナハにでもなってるんじゃないか?」
ディランは興味がなさそうに言った。
ファムナハはエーダインへの求婚に出てくる男神ミディールの嫉妬深い正妻である。どこの神話でも正妻は大抵、嫉妬深いとキャラクターが定まっているのかファムナハもエーダインの美貌に嫉妬し、魔法の杖でエーダインを蝶に変えてしまっている。
ジャスパーとディランはこれ以上のプリスとの交渉は必要ないと思ったようで、あっさりと「じゃあ、俺たちも寮に帰るし」と別れを切り出した。三人は幼馴染と聞いていたが、プリス自身はそれほど仲が良かったわけでもないのか特に引き留める様子もなく「ああ、そう」と適当に頷いている。そんなとき、小さな声が三人に待ったをかけた。
「まって」
ルビーであった。彼女はぶるぶると小刻みに震えながらジャスパーとディランの背後から大きな目でこちらを凝視しながら、大きな声をあげた。四人は今までルビーの存在を忘れていたので驚いて彼女を見た。ルビーは四人の視線にたじろぎながら続けた。「だって、ハティがディランのおばあさまの耳飾りをつけてる。それはディランのおばあさまがフィルにあげたものなのよ。どうしてあなたがつけているの。ハティ」
ディランとジャスパーの視線がハティのモルガナイトのイヤリングに注がれる。二人は今、イヤリングの存在に気付いたかのように「ああ」と得心がいったように頷いた。
「ディランのおばあさまがフィルに形見分けであげたやつか」
「勘違いしないでほしいのだけど、今はフィルのものよ。それにこのイヤリングはフィルからハティに使ってほしいって申し出たの。ルビー、ハティがこのイヤリングを使っていることが悪いような物言いはやめてちょうだい」
プリシラが鋭い眼光でルビーを睨みつけた。
しかし、ルビーはプリシラの視線にも臆した様子もなく食い入るのようにハティの耳元を凝視したままだ。彼女は納得できない様子で叫んだ。「でも、でもそれはディランの家のファミリージュエリーなのよ。フィルはそう言って、私にさえ貸してくれなかったのに」
「それは貴方が信用できなかったからよ、ルビー」
プリシラは刺々しい声でぴしゃりと言い放った。「いくら友人でも、こんな高価な代物を信頼していない人に貸せるはずがないでしょう」
ルビーは顔を真っ赤にしてぶるぶると震えた。それからしばらく、まごついたりむっとしたりを何度か繰り返していたが、やがて怒ったような声で言った。「私の方がフィルとの付き合いは長いのに?」
「付き合いの長さは関係ないわ。それに、フィルはお母さまからジュエリーを貸し出すことを禁止されていたの。今よりもずっと子どもだったんだもの。だけど、今回の件はフィルのお母さまもご存知よ。だって、このティターニアのドレスだってフィルのお母さまが準備したんですものね。ジュエリーの件だって、勿論、相談済みだわ」
ルビーはぽかんと口を開けてハティを見つめた。そして、暫くすると呆然としたその顔にじわじわと怒りと憎しみのようなものが広がってきた。
「ジャスパーの言う通りね。ハリエット・ポッターはどこにいっても、ヒロインになれる。たとえ、会ったことがなくってもミセス・ポップルウェルの同情を買えるくらいにね。でもそれは親がいない孤児だからでしょう? そんなただの同情で、ディランの家のファミリージュエリーを貸し与えるなんてどうかしてるわ。あなたはどう思ってるの、ディラン。当然嫌よね? だってピッパに与えられた物なのよ」
「俺が、どう思うって? あのイヤリングはピッパにあげたものだから、ピッパの好きにすればいい。ピッパが誰に貸そうが、与えようが、俺はどうでもいい。それよりも、お前が何の権利もないのにピッパの所有物に対してあれこれ言ってるのがムカつくよ。それから、ピッパにジュエリーを貸してほしいって強請ってんだって? お前、自分がどういう立場かわかってるの?」
ディランの氷の様な視線に、ルビーの顔は一気に蒼白になった。可哀想なほどぶるぶる震えて目を見開き、今にも失神しそうだ。彼女はそれでも懸命にぎこちない笑みを浮かべて「わ、私は貴方のために言ってるのよ」と言い募った。
ところがディランはいじらしいルビーの表情や言葉に少しも心動かされた様子などなく、鼻で笑っただけだった。
「やめろよ、ルビー。お前がどんなに努力をしてもその濁った血は清らかにならないし、フィリパ・ポップルウェルにもなれない。むしろ、お前がピッパのような振る舞いを身に着けるほどに滑稽になっていくのが分からないか? お前は一生召使なのさ。なあ、ジャスパー」
「お前さ、これ以上俺の前で恥を晒すなよ。ルビー」
ジャスパーはまるで太陽のような明るさが嘘のように、まるでゴミを見る様な目でルビーを一瞥した。ルビーは二人の言葉に衝撃を受けたように青ざめた顔をして放心状態で震えていた。
ハティは二人のあまりの冷ややかさに息を呑んだ。その異様な関係性に唖然としているハティの隣で、プリシラはまるで何事もないかのように表情一つ変えずに「じゃあ、私たちも行くわね」と気やすく二人に手を振った。そしてその手をハティの腕にからめると、半ば引きずる様にしてハティをその場から連れ出した。
人混みで三人の姿が見えなくなると、ようやくプリシラは足を止めた。
「ああ! ジャスパーもディランもルビーも、みんな、みんなムカつくわ!」
天を仰いで怒号するプリシラにハティは困惑した。
冷静なプリシラがこれほど怒りをあらわにするところをはじめて見てからである。マルフォイが図書室の本を処分しようとしたときも、これほど怒ってはいなかった。
「そりゃあね、確かにディランとジャスパーは最悪だったけど、どうしてルビーまで?」
「どうしてって、ルビーはハティを孤児だと侮辱したのよ! 私はジャスパーとディラン以上にルビーに怒っているの! あの子のために、パンジーと決闘して名誉を賭けようとしたあんたが馬鹿みたいじゃない。あの子のせいで、あんたはアラディアの恨みを買ったっていうのに」
「確かにルビーにあんなことを言われるとは思わなかったけど……」
「ハティ、あんたはもっと怒るべきよ。今のでルビーの本性がわかったでしょう? あの子は悲劇のヒロインの顔をして自分のいいように状況を操ってる。その裏で、自分を助けようとした人間のことさえ馬鹿にできる人間なのよ。ミセス・ポップルウェルがフィルにルビーへジュエリーを貸し与えることを禁止した理由が透けて見えるでしょう? あの子は以前フィルのジュエリーを勝手に身に着けていたのよ」
「勝手に?」
「そうよ。フィルはルビーの弁解を聞いて許したみたいだけど、以来あの子のことをミセス・ポップルウェルは信用していないの」
「わたしは? わたしだって、ミセス・ポップルウェルにとって信用ならない人間だと思ってるけど」
ハティは困惑顔でプリシラにそう訊ねた。
入学前より知り合いであったルビーはともかく、ハティこそフィルと親しくなったのは最近のことである。出会ったことも、手紙をかわしたこともないハティがフィルの母親に信用されているとは思えなかった。
「たった二か月でも、一緒に
「わたしが好き……」
「うん。それにフィルは自分がパンジーと決闘の約束をして、あんたを巻き込んだことを後悔してた。もとはと言えば、自分のせいだってね。許してやってくれる?」
「許すも何も最初から怒ってないよ」
ハティの言葉に、プリシラは自分のことではないのに安堵したように溜息をついた。
「よかった。フィルはそのことをずっと気にしていたの。あの子に早く教えてあげなくちゃ。それに、二人の言う事が本当ならフィルのことが心配だわ。アラディアに見つかる前に、フィルと合流してここを出ましょう」
プリシラは不安そうな顔をしてハティをダンスの輪へと誘った。彼女の言っていた通り、フィルは他の生徒と優雅にダンスを踊っていて次々とパートナーを変えていた。他の女子生徒をリードしながら、もどかしそうにフィルを見つめるティモシー・アーヴィングの姿もあり、奔放なフィルの振る舞いにティモシーはやきもきしているようだ。ハティはプリシラと共に、フィルに危機を伝えるべく勇気を出してダンスの輪へと飛び込んだ。
一番最初のパートナーとなったのは、最上級生に近い生徒で一目見て「やあ、妖精の女王様かい?」とハティの仮装を見抜いた。彼は余裕のあるリードで優雅にヴぇニーズダンスを踊った後、次のパートナーにハティを譲った。二番目のパートナーも上級生だったが、ハティが生き残った女の子だと気付くと感激した様子で「あのハティ・ポッターのダンスのパートナーになるなんて!」と頬を紅潮させていた。しかし、彼のダンスはぎこちなかった。ハティはダンスの合間、何度かフィルに声をかけようとしたが見当違いの方向にリードされるため、全くフィルに近づけなかった。
そうして五人目のリードを迎えた頃、ハティはいっそのことダンスの輪から抜け出して見物客としてフィルに声をかける方が早いのではないか。と思い始めていた。五人目のリードは背の高い銀髪の上級生で、顔には蝶を思わせる意匠のつるりとした白いドミノマスクをつけていた。衣装は王様を思わせる豪奢なジャケットと妖精の羽。目元は仮面で隠れているが、細く高い鼻梁や形の良い唇、顎のラインからその上級生がハンサムな男子であることはすぐにわかった。
しかし十一歳のハティ相手では、まるで兄あるいは父親がダンスのリードをしているかのような不釣り合いさであった。青年は圧倒的な身長の差など意に介した様子もなく、優雅なリードでハティと踊った。
「小さな女王様、ダンスはお得意かな?」
「あまり得意ではありません。ダンスも好きではありませんし」
ハティは遠ざかっていくフィルを何度も確認しながら、気もそぞろに言った。
この上級生とのダンスが終われば、ダンスの輪から抜け出そうと内心で考えていると、そんなハティの考えを一蹴するかのように青年は大きくターンをしてハティの背をのけぞらせた。大理石の床をヒールがむなしくひっかいて、背後につるっと倒れそうになったハティを青年は強引に抱きとめて、形良い唇に笑みをはいた。
「悲しいな。今、君をリードしている私よりも気になる紳士が他にいるのかな?」
「そういうわけではありません。このダンスの輪の中にいる友達を探していて、彼女とお話がしたくてダンスに集中できないんです」
「ふうん、奇遇だね。私も実は今宵のパートナーとなる麗しきティターニアを探していたんだよ。私と一緒に行かないかい?」
ハティは困惑した。
目の前の成熟した青年の相手ができるほどハティは大人ではないし、ただの子どもであった。もしかして、この人はロリコンなんだろうか? とあからさまに嫌悪をあらわにして、身をひいた。
「結構です! わたし、同い年の男の子が好きなので」
青年は顔をのけ反らせて笑い声をあげた。
「つれないなあ。そう言わずに、私とおいで」
青年がそう告げると、音楽はクイックステップへと変わった。周囲のペアたちが軽快に飛び跳ね、笑い声をあげて駆けるようにダンスを踊る。青年もそれに合わせて軽やかに足音を鳴らして、ホールを駆け抜けた。時折、彼がターンをするとハティのドレスがふんわりと花が綻ぶように広がる。ハティは次々と変わる景色に、文字通り目が舞っていたのでいつの間にかホールを出ていたことにも気付かないでいた。
ダンスが終了した時には息を切らして青年に抱きしめられていた。彼の首筋からはローズやジャスミン、それを包み込むウッディで官能的な香りが漂っていてハティは香りに酔いしれてふんふんと犬の様に鼻を嗅がせた。意外と女性の様に柔らかな体をしているのだな、とハティは無意識に青年の背中を撫ぜた。そのため、夜のイングリッシュガーデンに佇んでいることに気付いたのは青年にそっと頤を上げられた時だった。
「そんな風に触られると照れるな。その悪戯な手をとめてくれないか、小鹿ちゃん」
星の声、とでも形容したいような声音だった。笑いを含みながらも、澄んでいて通るベルベッドのような声、ひとの心臓をとらえて離さない声音であった。月明りに照らされた青年は、蝶を思わせる仮面を外していた。
彼は優雅に長い手足をしていた。背はすらりとして高く、ほっそりしているが、やせてはいない。プラチナのごとき銀の髪は、幽かな月の光に照らされて虹のような光沢を纏っている。当然、肌も白く、瞳は黒――しかし光の加減で紫水晶のような色にも見えた。
「あ、すみません。無意識に触ってました。なんだか、クッションみたいにふわふわして。貴方はどなたでしょうか? 私を夜の庭に連れ込んで、何をするつもりですか?」
「私がいかがわしい真似をすると思っている? 今セクシュアルハラスメントを受けているのは、こっちなのだけどね。まあ、いい。私はずっと君と話がしたいと思っていたのだよ、イオランテ。君は私が誰だと思う?」
青年は黒い瞳をまたたかせて、いたずらっぽくハティに問いかけた。
どうしてこの人はハティのミドルネームを知っているのだろうか。ハティは沈黙した。
青年は年の頃は最上級生あたりだろうか。男性の中でも身長は高い方であるが、何より目を惹くのは月の光のように幽かでありながら、魔性めいたその美貌だ。ハティは怪訝に眉宇を顰めた。
「わたしのお母さんですか? ああ、半分冗談ですけど」
半信半疑でハティは口にした。フィルの言葉を信じたわけではないが妖精の姿になった両親に会えればいいと心のどこかでは思っていた。目の前の人物は、どことなくハティと目鼻立ちが似通っているようにも思えた。特にどこか魔性めいたその美貌は強い既視感があった。
青年は目をぱちくりとした。
「どうして半分冗談なのかな?」
「体が柔らかいから女性かと思って。それに、今日はサウィンの夜でしょう? ママが学生に変身してわたしに会いに来てくれたのかと思ったんです。だけどそんなことはありえないと知ってるから、半分願望で半分冗談」
「まあ、これだけ体が密着すれば女だとバレるのは時間の問題だとは思っていたよ。だけど、サウィンの夜にしてもどうして私がお母さんだと思ったんだい?」
「なんとなく……わたしに似ている気がして。野生の勘ですけど」
青年は頭をそらせて笑った。
「野生の勘! かなり鋭いね、いい線いってるよ。まったく恐れ入った」
「触ると柔らかいってことは、見た目を誤魔化す魔法なの?」
「まあそうだね、一種の幻惑のチャームだね。私は呪文学が得意なんだ。変身術が得意な私の母親だったら、間違いなく男に変身できただろうけどね」
ハティは改めて目の前の月の妖精のごときその人に注目した。彼――彼女は、桜桃色の形良い唇を曲げて皮肉げにほほえんだ。まるで月の引力そのもののように、一度見てしまうと目を離せなくなる。危険な人だ、とハティは思った。
「わたしの勘がいい線言ってると言いましたね。あなたはだれですか」
「妖精王オベロンだよ、可憐なティターニア」
ハティは暫く口を噤んでから、もう一度尋ねた。
「確かに今晩のわたしはティターニアで、貴方はオベロンです。では、本来の貴方は? 貴方はもしかしてティルナノーグの神様の嫉妬深い妻?」
「ふふっ、スリザリンにティルナノーグをかけてるんだね。君は中々言葉遊びが上手だなあ。さしずめ、ミディールはヤックスリーといったところかな? あいつが演じる筈だった役割だからね。だが、残念。私はヤックスリーが大嫌いでね、あいつの女扱いをされるのは怖気が走る。まあ、あながち外れてはいないかな? 地下に住まう子どもたちを監督するのが、私の役割なのだから」
黒い瞳をまたたかせ、彼女はハティの顔を覗き込んだ。
「私が誰か、わかる? 小鹿ちゃん」
ハティはもう考える必要はなかった。自然と口が開いて、ハティはある女子生徒の名前を告げた。
「アラディア・ロウル」
彼女――アラディア・ロウルは機嫌が良さそうにふふっと鈴が鳴るような笑い声をあげた。
「正解だよ」
「そうですか、じゃあわたしは帰ります。さようなら、オベロン」
「まあ、待ちたまえ」
即座に踵を返したハティをアラディアは腰を抱いて強引に近くにあったベンチに座らせた。まるでハティを人形かのように自分の隣に座らせて、自身も腰を下ろす。
あまりにも傲慢なふるまいであったが、それさえも板についていて、人を従わせる雰囲気がアラディア・ロウルにはあった。むしろ洗練された所作は、強引ではあっても乱暴さはなく、野良猫の様にアラディアから逃れることもできたがハティはむっつりとして不機嫌さだけをあらわにした。
アラディアはしっかりとハティを拘束していて、まるで森の中で獲物を捕らえた狩人のようにハティの首根っこをおさえているのだった。
「まあ少しお話をしましょう、小鹿ちゃん。もう少し、ここでゆっくりしようじゃないの。ねえ、私たちは、どのあたりが似ている?」
芯から興味のある様子で、アラディアは身を乗り出してハティの顔を覗き込んだ。ハティはあからさまに迷惑そうな顔をして答えた。
「雰囲気がなんとなく似ている気がする」
アラディアは愉快そうに、鈴を転がす笑い声をあげた。
「どことなく、ね。まあ、そうだろうね。ねえ、知ってるかい? この狭いブリテン魔法界で純血ともなれば隣に座る生徒が親戚、だなんて話は珍しくないが私たちは親戚なのだよ」
「わたしとあなたが?」
ハティは瞠目した。そして勢い込んで訊ねた。「でもあなたの父親はデスイーターじゃないんですか?」
アラディアは「しーっ」とハティの唇に人差し指をあてると、値踏みするように目を眇めてハティの顔を覗き込んだ。
「君、ここでその言葉は禁句だよ。スリザリンでは特にね。そういうことを言いだす人間が、無事に学校を卒業できると思っている?」
ハティは顔を強張らせた。唇が戦慄くのが自分でもわかったが、持ち前の負けん気でハティは毅然と顔をあげた。
「犯罪者の誹りを受けるのが嫌ならば、最初からデスイーターになどならなければいいんです。わたしの両親は少なくともそういう生き方をしなかったと聞いています」
ハティは正面からアラディアを睨みつけ、続けた。
「わたしがあなたとテントを出たことをプリシラは知っています。もし、貴方がわたしに何かをしてテントに戻ってこなければ、彼女がマクゴナガル教授を引きつれてスリザリン寮へ来るはずですよ」
「わかったよ、君に危害を加える気はない。シャーシャー鳴くニーズルみたいに、そう毛を逆撫でしないでおくれよ」
ハティの恫喝にさほど屈した様子もなく、むしろアラディアは笑って言った。
「勘違いされたら困るから言っておくけど、私は別に君をどうにかしようとして連れ出したわけではないよ。言っただろう? 私と血のつながりがある君と話がしたかった。君は話題性が十分だし、中々見どころのある子のようだから、直接会ってみたいと思うのは不思議なことではないだろう?」
「わたしと貴方の血がつながっているというのは、本当なのですか? わたしの親戚にデスイーターがいるだなんて、誰も教えてくれませんでしたが」
「私は確かに嘘つきではあるけど、調べればすぐにわかるようなことに嘘はつかないよ。君の血縁にデスイーターがいることを誰も教えなかったのは、当の昔にポッター家と我がロウル家は縁を切っているからさ。私の母方の祖父と君の父方の祖母は兄妹でね、母は君の祖母にとっていわゆる大姪だった――まあほとんど他人だよ。ただ私の母親にとっては完全な他人とも言い切れなかったようだけどね。私の母親は君の祖母の名前をとって、ユーフェミアと名付けられたのさ。君の祖母はユーフェミア・フォーリーと言って、美貌で知られた魔女で没落したフォーリー家で幸福な結婚をした最後の魔女だったそうだ。祖父母もそれにあやかりたかったのだろうね、母はユーフェミアと名付けられたが悲しいかな、結婚相手はデスイーターだった」
「夫がデスイーターだと知らずに結婚したの?」
「君は当時の例のあの人の信奉者が皆、実名で活動していたと思っているのかい? そんなことをしてごらんよ。デスイーターの殆どがアズカバンに放り込まれていた筈だ。だから、今デスイーターと血縁関係にいる家も知らずに結婚したというパターンもあり得るのだよ」
「それは……」
ハティは表情を曇らせた。
もしアラディアの母親が幸福な結婚を夢見ていたのならば、突然闇の勢力に加担するととなりさぞかし苦悩したことだろう。だが、実際はどうだったのだろうか。聞くべきか、聞かざるべきかハティが口ごもっているとアラディアは不意に言った。
「お察しの通り、不幸な結婚だったよ。私の父親はルシウス・マルフォイのように経済力や人脈、そして権力を見込まれて幹部に抜擢された上流階級の魔法使いとは違う。ソーフィン・ロウルはその幼稚な暴力性を買われてデスイーターになった男だったからね。何を見込まれて例のあの人の尖兵になったのか、言わなくてもわかるだろう?」
「ええ」
ハティは青ざめた顔で頷いた。
アラディア・ロウルの支配欲は暴虐かつ残虐な父親の教育のもと育まれたものなのだろうか、とハティは思った。沈黙するハティに何を思ったのか、アラディアはベンチの背もたれに体重を預け、涼しげな顔で小首を傾げた。
「悍ましいかい? そんな男と結婚した女と、その娘と血が繋がっていることが。哀れだと思うかい? 私と私の母が」
「びっくりしましたけど、哀れとは思いません」
ハティは迷いなく言った。
ダーズリー家と血のつながった自分が、あの家で育まれた自分を哀れだと思われたくなかったからである。
アラディアは意外なことに「ふうん」と言いながら、目を輝かせた。
「思わないんだ? 君の父親と君のおばあさまは私たちと血がつながっていることを恥で、一族の汚点だと考えていたようだけど」
「血のつながりがどうにもできませんから。わたしの母方の親族もろくでなししかいませんが、血のつながりを否定することはできません。だったら、わたし自身が誰にも恥ずかしいと思われない人間になればいい話です」
「立派だねえ。君のおばあさまとは大違いだ。ユーフェミア・ポッターは自分の息子が、大姪の夫と命がけで戦うことを誇りに思っていたそうだよ」
アラディアは耳をなでるように優しい声で言った。
「君もそう思うかい」
「対話で分かり合えないなら、無視をするか力ずくでどうにかするしかないでしょう。祖母と父の考えは分かりませんが、娘のわたしは例のあの人の全盛期に劣勢の中、杖をとった父親はある意味で立派だと思います」
「そう、じゃあ君をを父の主人の敵だと私が呼んで杖を向けたら君はどうするのかな?」
ハティははっと身を強張らせた。やはり、この人の父親はデスイーターなのだ。彼女が突然、親戚であると打ち明けたその真意は理解できなかったが、彼女の言葉から仄かな敵意は感じ取られた。ハティは警戒すべくわずかにアラディアから身を引いて睨みつけた。
「わたしを、殺すために連れ出したのですか」
黒色の目を眇め、アラディアは値踏みするようにハティを覗き込んだ。
「まさか、今ようやくその可能性に気付くとは思わなかったよ。イオランテ」
ハティは相変わらず青ざめていたが、毅然とアラディアを睨みつけた。
「あなたはわたしこそが、新時代の闇の魔法使いの王だと思わないのですか? グリンデルヴァルドの死後、すぐにヴォルデモート卿は台頭したのですよ」
アラディアはヴォルデモートの名に臆することはなく、泰然としていた。それどころか、鼻で笑ってさえ見せた。
「あのお馬鹿な、ルシウス・マルフォイの息子を騙してみせた荒唐無稽な噂話だね。まったく、ルシウス・マルフォイも旗頭を失って相当感傷的になっているようだね。まあ、あの男はロードの器でないし、自分の手で成し遂げてやろうという気概もない腰抜けだからな。さしずめ、他のデスイーターの残党に自身のアズカバン逃れを正当化するために言ったんだろうが……君も少々お馬鹿さんで呆れるよ、小鹿ちゃん」
彼女は桜桃色の唇を歪めて、続けた。
「いいかい? 闇の魔法使いというものは、闇の魔法に精通した魔法使いのことを言う。生まれながらにして闇の魔法に通じた魔法族などいない。あの闇の帝王でさえ、ホグワーツに入学した時はただ一つも闇の呪文を知らなかった。闇の帝王を上回る者が誕生したから、主人は屈したとあいつらは都合よく思い込んでいるようだが、おそらく現実は違う」
ハティはぞっとした。
アラディア・ロウルはドラコ・マルフォイなどとは違う。ハティが小耳に挟んだ与太話を信用するほど愚かではない。息を呑んで身をひこうとしたハティの手を握り、アラディアはハティをベンチに押しとどめると真剣な顔をして言った。
「小鹿ちゃん、君は天秤の法則というものを知っているかい?」
「天秤の、法則?」
「魔法にしても、世界の在り方にしても多くのことはつり合いがとれるようにできている。かつて、我々魔法族の祖先の一つはアトランティスを支配する神の末裔だった。金・銀・象牙・オリハルコンで築かれた城は今はもう失われ、我々が築いた文明と技術は今やマグルに劣るほどに衰退した。逆にマグルの科学技術は月面に友人で到達するほど発展し、スイッチ一つで大都市を破壊しうる兵器まで持っている。グリンデルヴァルドの時代、魔法族だけの都市や国を作ろうという動きがあったものの、実行できなかったのはこれが理由の一つだ。我らは種を存続させるためにマグルの中に身を潜め、命を長らえさせるしかない。神と呼ばれた我らは、地下に逃れたディーナシーのごとくちっぽけな存在になってしまった」
「……その歴史が一体わたしに何の関係があるんですか」
ハティが用心深く訊ねると、アラディアはそれまでのように笑みで揶揄することはなかった。
「つり合いがとれていると思わないか? かつて魔法族の文明が発展し、次にマグルの文明が発展した。近代の英国は、まさに闇の対応の全盛期だった。闇の力があまりにも強く、光と闇の均衡が崩れすぎた。だから、つり合いをとるために君という存在が生まれたんだ」
「あなたは、わたしが例のあの人に比肩する存在として生まれたと言いたいのですか?」
ハティは眉宇を顰めて訊ねた。
俄かには信じられなかった。優秀な教授たちでさえハティを特別な魔女だと期待の眼差しで見るが、ハティ・ポッターが特別な魔女でないことはハティ自身がよくわかっている。予習復習を入念にしなければ講義のヒロインにはなれないし、何より本当に特別な力があるならばダーズリー家で虐待を受けることもなかっただろう。
「私は確かに嘘を言う事もあるが、この件については嘘をついて君を持ち上げて、私に何の利益がある? 私はデスイーターの娘だよ。ドラコ・マルフォイが父親の言い分を信じたように、私とてそちらの説を信じたいものさ。だけど、現実逃避できるほど私は愚かではない。君の野生の勘はどう訴えている? 小鹿ちゃん」
ハティは表情を曇らせて押し黙った。
いっそのこと、ルシウス・マルフォイがそう信じたように新時代の闇の王であったらどれだけ楽だったことか。だって、ヴォルデモート卿は”死の窃盗”を自称するほどに自由に、残虐に、好き勝手にこの魔法界を支配したのだ。しかし、アラディアの言う事が真実であればハティは生まれながらにして覚えのない救世主の役割を押し付けられたことになる。倒すべき悪は、もういないのに
アラディアは、短く切りそろえた銀の髪を指に巻き付けながらハティの答えを待っていたが、ふいに言った。
「君がスリザリンだったならば、私は君のことを抱き込んでいたのだけどね。こうして向き合うことでわかったが、君はなかなかに現偉ぶったところがないし、物事を現実的にみている。いい資質を持っているのは明らかだ。それに君は強運で人に恵まれているようだしね。ねえ、マリーン・ダーハム」
アラディアは振り向き、マリーンの名前を呼んだ。
ハティが驚いて振り向くと、マリーンと彼女に青白い顔で縋りつくガラドリエル、そして野良猫が首根っこを掴まれたような恰好で宙に浮いている少女の姿があった。
少女はぐにゃりと体を弛緩させて、ピクリとも動かなかった。気を失っているようだ。
「リリーではやはり役不足だったか」
アラディアの呟きに、杖を掲げていたマリーンは肩を竦めた。
「役不足どころか、うたたねをしていたわよ」
「リリーを離してくれないか、マリーン」
「貴方のスパイを私がたやすく解放すると思って? 貴方が何のためにこのパーティに潜入したのかこの場で吐かないなら、私はこの子に真実薬を飲ませなきゃいけないわ。アラディア・ロウルがどうやって私のパーティを妨害しようとしていたかを知る為にね」
マリーンは冷ややかにアラディアを睨みつけ、一蹴した。
彼女の豪奢なドレスも相まって、まるで冷徹な妖精の女王のような威厳が今のマリーンにはあった。
「相変わらず君は乱暴だなあ。御覧の通り、リリーはぼうっとした子でね。別に君へのスパイの為に連れてきたわけじゃないんだよ。今日はサウィンの夜だし、この子の力も強まるだろうと思って連れ出しただけさ。それとも、君はリリーそのものに恨みがあるのかな? リリーの家、スペンサー=ムーン家は前の時代に君たちの勢力を裏切って壊滅的な打撃を与えたものね」
マリーンは盛大に眉宇を顰めて、宙に浮いているリリーの背中を睨みつけた。親の敵でも見るかのような辛辣な視線だった。
「スペンサー=ムーン家が裏切ったことは何の痛手でもなかったわ。だって、あの一族に本物の予言者はいなかったんですもの。それに、アイルランドの魔法界の崩壊の決定打は他にある。貴方だって知っているでしょう? それとも十年たって何もかも終わった後に、やっと予言者が現れたというの? それがこの子だとでも?」
「さあね。私がそんな重要な質問に答えてあげるとでも思う? 知りたいのなら君も真実を仰いよ。ヤックスリーが小鹿ちゃんにかけた呪いをそっくり跳ね返して、あいつをセント・マンゴ送りにしたのは君だろ?」
ハティは驚いてアラディアとマリーンを交互に見た。
ヤックスリーがハティ自身に対して呪いを放っていただなんて、知らなかった。そんな気配毛ほどもなかったからである。だが、それはハティが呪い対策をしていたからではない。ハティはまさに対人用の訓練しか受けていなかったので、遠隔で呪いをかけるといった芸当が魔法族に行えることを知らなかったのだ。まさに盲点であった。
「それは本当ですか」
ハティの質問にマリーンは涼しげな顔で髪を揺すった。「さあ、私は知らないわよ。ヤックスリーのことだから、自分で呪いを忙殺させたんじゃないかしら? お陰で私は大変だったのよ。急いでミディールの代役を探さなければならなかったんだもの」
ハティは納得がいかず、アラディアを見やった。アラディアも釈然としない様子で、薄っすらと冷ややかな笑みを浮かべて、蛇のように瞬きもせずにマリーンをひたりと見据えた。
「あの呪いには私が関わっていた。いくら優秀な君でも、一人であの呪いを跳ね返せるわけがない。かといって、この小鹿ちゃんが自分で呪いを破ったわけでもあるまい。今の会話でわかったが、ハティ・ポッターは特別な魔女じゃあない。ただのお嬢ちゃんだ。だとすれば、思い当たるふしは一つ。セイディー・ウェストウィックだ」
アラディアの衝撃の告白に、ハティは唖然とした。いかにも自分はハティの親戚である、と打ち明けたその口でハティに病院に搬送されるほどの呪いをかけたというのだ。今まで毛ほども殺意を悟らせなかったというのに、裏ではハティを破滅させようとしていたその変わり身にハティは激怒した。そのままアラディアを殴りつけてやろう、と拳を振り上げるとやんわりとアラディアに拳を包まれてしまった。
彼女は苦笑いして、ハティを見下ろした。
「およしよ。君は綺麗な魔女なのに肉弾戦に訴えるなんて野蛮すぎて男の子に引かれてしまうよ」
「さっき、ジャスパー・アリアネルにお前を見ていたらデートに誘いたくなるけど、破滅させられるかもしれない予感に身を打たれるって言われました。ジャスパーの言う通り、わたしはあらゆる手を尽くして敵を破滅させます。拳でもナイフでも何でも使いますとも」
「……君、本当にユーフェミア・フォーリーの孫? ユーフェミアは嫋やかな美人で優しかったって聞いたんだけどなあ。まあ、いいや。大人しくここで聞いていなよ。君がこうして五体満足でパーティに参加できている影の功労者を聞きだしてあげるからさ」
「私は口を割らないわよ」
マリーンは氷の様に冷たい声で口を挟んだ。「セイディーもね」
「どうかな? セイディーは人間嫌いだから、君ほど口が堅いとは思えないけどね。風向き一つで彼女の意思はいくらでも変わるさ」
「セイディーを脅す気?」
マリーンは警戒するように目を眇めた。それに対してアラディアはまばやき、凄みのある酷薄な笑みを浮かべた。
両者は暫く睨み合っていたが、結局痺れをきらしたのはマリーンであった。彼女は溜息をついて、観念したように口を開いた。
「ゲッシュが絡んでいるから全てを話すことはできないわ。だってこれは魔法の取引なんですもの。魔法族の作法にのっとって、私との取引を望んだ契約者の秘密を洩らせばその反動で私も呪いを受けてしまうわ。一つだけ言えることは、私がハリエットを守ることによって、ヤックスリーは私の舞台から締め出すことができたということよ。満足だわ」
アラディアは銀髪を撫ぜると嘲笑し、凍える様な声で吐き捨てた。「ヤックスリーめ、女の尻を追うしか能のないクズが」
今までは誘うような声音であったというのに、たちまちアラディアから誘惑の甘い音色がかききえ、冷徹な支配者の顔が出現する。
ハティは彼女の隣で、その突然の変貌に慄然とした。まるで爪の出し入れを自由に行い、草食動物を弄ぶ肉食獣を前にしたような恐怖が沸き起こってくる。アラディアの場合は、色香の出し入れを自在にしているわけだが、いつの間にか彼女に気安さのようなものを抱いていたハティはだからこそ恐ろしかった。
アラディアは傲然と足を組みなおして、嘲笑した。
「ヘッドガールごときのためにそこまでするなんてね」
「あなたこそ、ヘッドガールを狙っているじゃない。それに、ハティを連れ出して何を探っていたの」
「それこそ、君が一番知りたがっていたことさ。ハリエット・ポッターが次の時代の闇の王なのか。私たちの会話をそこで盗み聞いていたから、わかるだろう? この子は角さえ生えていない小鹿ちゃんで、脅威たりえない。今本当に恐ろしいのは、沈黙を守っている闇の帝王だ」
アラディアは懐から一振りの杖を取り出すと、それを宙にかかげた。彼女が呪文を唱えずとも、杖の先から銀色の煙が噴き出しそれは宙で徐々に骸骨の姿をなした。突然のことにガラドリエルとマリーンは瞠目し、ハティも驚いてアラディアを見やった。「これはなに?」
「今から見るものは他言無用だ。だが、君がハティ・ポッターと誼を結んだ以上もはや無関係ではいられないだろうから、慈悲として見せてあげるよ。私たちは、いずれは王たちの
「フィドヘル?」
「光と闇の戦争だよ」
ハティは息を呑んだ。
唖然とする少女たちの目の前で銀の煙に包まれた骸骨がぱかっと口を開く。
『光の印を刻まれし娘が舞い戻りしとき ダヌの息子が沈黙を破り闇より蘇る ダヌの息子がプネウマを手にすれば 世界は再び闇に覆われる しかし光の娘がプネウマを手にすれば ダヌの息子は再び冥府で沈黙を守るであろう』
まるで骸骨の姿を借りて老婆が喋っているかのような声であった。呆然とする三人の目の前で銀の煙は夜の空気に溶けるように消えていく。
重苦しい沈黙の後、一番最初に口を開いたのは青ざめた顔のマリーンであった。彼女は恐れ戦いて何もない虚空を眺めながら後ずさると、唇をわななかせて言った。「こ、こんなのあり得ないわ。よくもこんな子供じみた幻惑のチャームを私の前に出せたわね」
「幻惑のチャームなどではないよ。わかるだろう、マリーン。光の印を刻まれし娘が舞い戻りし時――ハリエット・ポッターが魔法界に戻ってきた今しかない。この子の額をご覧、ここにあるのは古代ルーン文字のソヴィロ……太陽、勝利、生命力を意味する文字だ。光の娘とは、この子以外に他ならない」
「ダヌの息子が名前を言ってはいけない例のあの人を指しているとは限らないじゃない! 第一、これが本物の予言だったとしても魔法省の神秘部が管理すべきだわ。こんな不吉な予言、悪戯にしても性質が悪いわ!」
マリーンの掠れた声が途中でひっくり返る。甲高く響く声は、彼女の動揺をあらわしていた。
「やれやれだな、君はもっと話の分かる思っていたよ。マリーン・ダーハム。この小さな箱庭のヘッドガールになんか固執しているから、君は現実が見えていない。魔法省神秘部に一体どれだけの予言が保管されていると思っている? そのうちの一つを私が所有していて、秘匿してもおかしくはないだろう? この十年、脅威が消えて安堵するあまり平和ボケした君たちと違って、私はずっと情勢を注視していた。君たちと違って、あの方の恐怖を知り尽くしているからね。当時、私は子どもだったけれど今でも悪夢に見るよ。あの頃のことを」
アラディアの顔に苦悶と恐怖の色がよぎる。しかし、彼女は一瞬見せた表情を消し去ると歯を食いしばって続けた。
「だけど、例のあの人が消えたところでこのブリテンは何の変化もなかった。相変わらず純血主義者の皮を被った権威主義者たちが旧態依然としてはびこっている。君にだって分かる筈だろう? アズカバン行きを逃れた者たちは、例のあの人が蘇ればすぐに掌を翻すように主人のもとにはせ参じるだろう。そうすれば、このブリテン魔法界は一気に瓦解する。今のアイルランドに、対抗する力があるのかな?」
「デスイーターの娘がいう台詞でもないでしょうに。そもそも、アイルランドを崩壊寸前まで追い込んだのはあなたたちじゃないの。自分たちの主人が蘇るから戦争の準備をしておけって? 冗談じゃない、大体あなたが未来を左右する重要な予言を私に見せるとは思えないわ。誰があなたの戯言なんか信じるものですか」
アラディアは鼻で笑った。
「信じないなら信じないでいい。君はいつまでもこの箱庭で、アルバス・ダンブルドアのお膝に抱かれているといい。君たちの希望の芽はまだ幼い。彼女がすくすくと育つ前に、ブリテン魔法界は滅ぶだろうよ」
ハティはそれまで沈黙を守っていたが、急に訊ねずにはいられなくなって、急いで口を挟んだ。
「アラディア、貴方がデスイーターの娘なら貴方のお父さんの主人が勝利した方が貴方にとってよいのでは? それなのに、まるで例のあの人が戻ってくることに警鐘を鳴らすようなことを言って、貴方はまるで例のあの人が破滅したままでいることを望んでいるみたいだわ」
マリーンは虚を突かれた表情になった。そしてアラディアはまばたいて意味深に笑った。
「さあ、どうだろうね? 私は嘘つきだから、マリーンの言う通り嘘かもしれないよ。でも君のことを気に入ったのは本当だ。君は少し私と似ている。私と同じ反骨の精神と、強さがある。君がグリフィンドールでマリーンにつかなければ、私は簡単に君を物に出来たのに」
少し考えて、アラディアは厳かな表情で震えるマリーンを見やった。
「マリーン、ヘッドガールの地位は君にくれてやってもいい。だけど、こうなった以上ヤックスリーの暴走は君がとめろ。あいつは自分の最後の学生生活をスリザリンの勝利で飾りたい筈だ。そのためなら、どんな手も使ってくるだろう。だけど君がヤックスリーに敗れた時、来年のヘッドガールには私がなっているだろうね。その時には毎週温室で繰り広げられる君のくだらない平和な箱庭を、潰してあげるよ」
マリーンは一瞬言葉をなくしたが、唇をかみしめて俯いたと思うと、次の瞬間には強い眼差しでアラディアを睨みつけていた。
「誰があなたに負けるものですか。あなたなんかと違って、私は背負っているものが違うの」
「背負っているものねえ……まあ期待しているよ、マリーン」
アラディアは不遜に笑って、ベンチから立ち上がった。