ハリエット・ポッターの不思議な冒険 作:新参なめ子
ジャスパー・アリアネルとディラン・ファーンズビーの親族にデスイーターがいるというのは、公然の秘密である。ハティでさえ知っているのだからスリザリン生の間では有名であり、二人はマルフォイ同様スリザリンの一年生の間で隠然たる影響力を及ぼしているという。特にマルフォイがパンジーの流れ弾という権力争いに巻き込まれて以降、スリザリンで二人の権力は増すばかりだ――というのはハニバジャークラブの仲間のキャスリーンの弁である。
「お前が悪い影響を与えなかったら、ピッパがハリエット・ポッターと仲良くなることも、泥の血と付き合うことも、アラディアに目をつけられることもなかったんだよ。プリス。お前なんて、さっさとユニスにやられちまえばよかったのに」
「私がユニスごときに破滅させられるわけないじゃない。あんたたちこそ、マルフォイが失脚して千載一遇のチャンスだっていうのにスリザリンを掌握できていないんですってね。情けないわね、ジャスパー・アリアネル」
「何だと!? お前なんていつでも呪えるんだからな。幼馴染の誼で目を瞑ってやってるっていうのが、わかんねえのかよ」
顔を真っ赤にして怒号するジャスパーに、それまで冷静に事の成り行きを見守っていたディランが口を挟んだ。「まあ、落ち着けよ。ジャスパー」
「プリスが礼節に欠けるのは今に始まったことじゃないだろ? 野生の馬を調教したって競走馬にはなれない。つまり、忠告するだけ無駄ってことだ」
「あら、その言葉そっくりそのまま返すわよ。闇の魔法にどっぷりつかったあんたが、フィルの恋人になれると思ってるの? 健全に育ったあの子に、あんたみたいな奴は相応しくない。最初から勝算なんかなかったのに、いつまでもフィルに付き纏って情けないったら……」
「プリス、俺に殺されたいのか?」
ディランが眼光を鋭くしてプリシラに詰め寄ったその時、ハティは「ちょっと!」と大声をあげて彼等に向かって駆け出した。弾かれたようにプリシラが振り向き、ドレスの裾をからげながら駆け寄るハティに目を丸くしていた。一方、ジャスパーとディランは眉宇を顰め訝しむようにハティを見やった。
ジャスパーとディランの二人はいつも一緒に行動しているので、まるで双子のようだと錯覚をしていたが間近で見る二人の少年は炎と氷のように真逆の印象を受ける。ジャスパー・アリアネルのカールした亜麻色の髪に光が透けており、きらきらと輝いている。肌は透ける様な白皙で、けぶるような睫毛に縁どられた瞳はアンバー。小生意気そうな表情をしているが、それが逆に生き生きとしていて端整な面立ちに華をそえている。一方のディラン・ファーンズビーは光を孕むと虹のように煌めく銀髪に、陶器のように白い肌。冬の海の様な青い瞳をしていて、顔立ちは確かに彫像のように整っていたが表情は陰気で冷ややかだった。
「お噂のハリエット・ポッターか」
ジャスパーが口の端で皮肉げな笑みを浮かべる。
「そうよ。あんたたちの愛しのピッパとプリスのお友達のハリエット・ポッターよ。だから、プリスの危機は見過ごせないわ。三人で女の子を責め立てるなんて、一体どういう要件なの」
ハティの鋭い指摘に、ルビーは動揺を浮かべてたじろいだ。しかし、少年二人の態度は傲慢なものであった。ジャスパーは舌打ちをして「お前に関係ねーだろ」と吐き捨て、ディランは「ハリエット・ポッターがお友達とは、プリシラ・プセットの落ちぶれたものだな」と鼻で笑った。
「落ちぶれた? どういう意味よ、それ!」
ハティが怒号すると、ディランはまるっきり無視してプリシラを横目で見た。
「散々、ユニスに富や名声なんて馬鹿馬鹿しいって言ってたのにハリエット・ポッターとお友達ごっことは、どういう風のふきまわしだ? プリス」
「わたしが野次馬根性とか注目ほしさでハティと仲良くしてるとでも? 馬鹿にしないでよ。それから、ハティを侮辱することは許さない。あんたたちの態度をみたらきっとフィルだって怒ると思うわ」
「ここにフィルはいないんだから、そんな言葉なんの脅しにもならねえよ」
ジャスパーの挑発的な言葉に、プリスは片方の眉をくいっとあげた。
「あら、まるで親に怒られる前の子どもみたいなことを言うのね? でも貴方のママと違ってフィルは私の言葉を疑わないの。あんたたちがハティと私に無礼な態度をとったことを知ったら、フィルは半年はあんたたちと口をきかないかもね」
ジャスパーは舌打ちをする。苛立ちと焦りを孕んだ表情でこちらを睨みつけると「好きにしろよ」と吐き捨てた。
「俺はピッパが元気にしてるなら、たとえ怒られようが気にしない。それよりもピッパはどこだ?」
「彼氏のところでしょ?」
すげないプリスの返答に、ディランは深々と嘆息をした。
「アラディアがこのパーティに来てる。ピッパが危険だ」
「貴方達、二人がアラディアからフィルを守ってるんじゃなかったの?」
ハティの問いに、ディランは肩を竦めた。「わたしのお友達のハティを守ってくれないのなら、二人の助けはいらないって断られたのさ」
ハティは瞠目した。この時までハティはフィルがジャスパーとディランの二人に守られて何の危険もない学校生活を送っていると思っていたからである。信じられない思いでプリシラを見やると、プリシラは気まずそうにハティから視線をそらした。
「どういうことなの、プリス」
「ディランの言う通りよ。フィルは自分だけ助かるわけにはいかないって、ジャスパーとディランに助けを求めなかったの」
「勿論、俺たちは状況を知ってたからピッパに助けてやろうか。って申し出たさ。でも、ピッパの奴昔から頑固だからな。こうと決めたら、いくら説得しても折れねーの。今回も、ハティを差し置いて一人だけ助かるわけにはいかないの一点張り。いくら、ハリエット・ポッターと縁を切れって言ってもいう事きかねえし」
ジャスパーが苛立ったように言い募った。
ハティは「うそでしょ……」と思わず言葉を詰まらせた。プリシラは悪戯が見つかった子どもの様な表情で口を噤んでいたが、沈黙は雄弁にそれが真実であると語っていた。今までの自分の楽観的な考えが、ハティは急に恥ずかしくなったと同時に怒りを覚えた。一体、フィルはどれほど怖い思いをしていたのだろう。そんなことも知らずに自分ばかりが大変だ、みたいな顔で過ごしていた自分があまりにも情けない。
「わたし、フィルに申し訳ないわ……そんなことになってたなんて」
「勿論、フィルの崇拝者が守っていたからそんな風に思い詰める必要はないのよ。ハティ」
「でも根本的な解決になってないわけだしな。現にアラディアはこのパーティに来てる。アラディアが何を考えてるか俺にはわかんねえけど、ただの暇つぶしにダーハムのパーティに来るほどアラディアは考えなしじゃないぜ」
「じゃあ、わたしたちへの報復で来たっていうの? その前にアラディア・ロウルが罰するべきはドジをやらかしたパンジーなんじゃないの? まずはパンジーを襤褸雑巾みたいに打ちのめしてスリザリンのヘイトコントロールでもしなさいよ」
ハティは傲然と言い放った。
ハティたちへの報復のためにこのパーティに顔を出しているのだとしたら、アラディア・ロウルは蛇の様な女である。いつまでも粘着されているのは気持ち悪かったし、こちらに報復する前にパンジー・パーキンソンでも罰して寮内のガス抜きをしてくれないものか。とハティは開き直っていた。
この発言には、さすがのジャスパーとディランも顔を顰めてパンジーに対して同情のこもった呻き声をあげていた。
ディランは嘆くように天井を仰いだ。
「性格悪くないか? こんな女がピッパのそばにいるなんて……ピッパが穢れそうだ」
「何ですって? わたしほど天使のように清らかで優しい性格の女はいないわよ。あんたは見る目がないわね、ディラン・ファーンズビー」
「マジで性格悪いな! ブレーズが言ってた意味がよくわかったぜ。確かに遠目から見たらデートに誘ってやってもいいかなと思う。でもこうやって目を合わせて話しかけたら、俺の野生の勘が警鐘を鳴らすわけ。この女と一緒にいると魂ごと破滅させられるに違いないってな」
「どういう意味よ!」
怒号するハティの隣で、プリシラは歴戦をくぐりぬけてきた老兵のごとき渋さを漂わせながら、軽く肩を竦めた。ホグワーツに入学しハティと知り合ってからというものの、図書館での一件に始まり最もハティの悪行を目にしているのは間違いなくプリシラだからである。
「そういうわけだから、私とその背後にいるハリエット・ポッターを敵にまわすとあんたたちは破滅するわよ。ジャスパー、ディラン」
「つまり、さっさと退散しろって言いたいんだろ? ピッパの身の安全に対して責任はとってくれるんだろうな、プリス」
「安心してちょうだい。この会場にフィルの崇拝者が一体どれだけいると思っているの。意地でもアラディアをフィルに近づけないことよ。ところで、アラディアはどんな格好をしているの?」
「アラディアのことだから、ファムナハにでもなってるんじゃないか?」
ディランは興味がなさそうに言った。
ファムナハはエーダインへの求婚に出てくる男神ミディールの嫉妬深い正妻である。どこの神話でも正妻は大抵、嫉妬深いとキャラクターが定まっているのかファムナハもエーダインの美貌に嫉妬し、魔法の杖でエーダインを蝶に変えてしまっている。
ジャスパーとディランはこれ以上のプリスとの交渉は必要ないと思ったようで、あっさりと「じゃあ、俺たちも寮に帰るし」と別れを切り出した。三人は幼馴染と聞いていたが、プリス自身はそれほど仲が良かったわけでもないのか特に引き留める様子もなく「ああ、そう」と適当に頷いている。そんなとき、小さな声が三人に待ったをかけた。
「だ、だめよ!」
ルビーであった。彼女はぶるぶると小刻みに震えながらジャスパーとディランの背後から大きな目でこちらを凝視しながら、大きな声をあげた。四人は今までルビーの存在を忘れていたので驚いて彼女を見た。ルビーは四人の視線にたじろぎながら続けた。「だって、ハティがディランのおばあさまの耳飾りをつけてる! それはディランのおばあさまがフィルにあげたものなのよ。どうしてあなたがつけているの。ハティ」
ディランとジャスパーの視線がハティのモルガナイトのイヤリングに注がれる。二人は今、イヤリングの存在に気付いたかのように「ああ」と得心がいったように頷いた。
「ディランのおばあさまがフィルに形見分けであげたやつか」
「勘違いしないでほしいのだけど、今はフィルのものよ。それにこのイヤリングはフィルからハティに使ってほしいって申し出たの。ルビー、ハティがこのイヤリングを使っていることが悪いような物言いはやめてちょうだい」
プリシラが鋭い眼光でルビーを睨みつけた。
しかし、ルビーはプリシラの視線にも臆した様子もなく食い入るのようにハティの耳元を凝視したままだ。彼女は納得できない様子で叫んだ。「でも、でもそれはディランの家のファミリージュエリーなのよ。フィルはそう言って、私にさえ貸してくれなかったのに!」
「それは貴方に信頼がなかったからよ、ルビー」
プリシラは刺々しい声でぴしゃりと言い放った。「いくら友人でも、こんな高価な代物を信頼していない人に貸せるはずがないでしょう」
ルビーは顔を真っ赤にしてぶるぶると震えた。それからしばらく、まごついたりむっとしたりを何度か繰り返していたが、やがて怒ったような声で言った。「私の方がフィルとの付き合いは長いのに?」
「付き合いの長さは関係ないわ。それに、フィルはお母さまからジュエリーを貸し出すことを禁止されていたの。今よりもずっと子どもだったんだもの。だけど、今回の件はフィルのお母さまもご存知よ。だって、このティターニアのドレスだってフィルのお母さまが準備したんですものね。ジュエリーの件だって、勿論、相談済みだわ」
ルビーはぽかんと口を開けてハティを見つめた。そして、暫くすると呆然としたその顔にじわじわと怒りと憎しみのようなものが広がってきた。
「そんなの――そんな、ただの同情が私への信頼に勝るというの? ちょっと親がいない孤児だからって、ディランのおばあさまのジュエリーまでこの子に貸し与えるの? そんなの許せるわけがないわ。ディランだってそう思うでしょう!?」
「俺が、どう思うって? あのイヤリングはピッパにあげたものだから、ピッパの好きにすればいい。ピッパが誰に貸そうが、与えようが、俺はどうでもいい。それよりも、お前が何の権利もないのにピッパの所有物に対してあれこれ言ってるのがムカつくよ。それから、ピッパにジュエリーを貸してほしいって強請ってんだって? お前、自分がどういう立場かわかってるの?」
ディランの氷の様な視線に、ルビーの顔は一気に蒼白になった。可哀想なほどぶるぶる震えて目を見開き、今にも失神しそうだ。彼女はそれでも懸命にぎこちない笑みを浮かべて「わ、私は貴方のために言ってるのよ」と言い募った。
ところがディランはいじらしいルビーの表情や言葉に少しも心動かされた様子などなく、鼻で笑っただけだった。
「やめろよ、ルビー。お前がどんなに努力をしてもその濁った血は清らかにならないし、フィリパ・ポップルウェルにもなれない。むしろ、お前がピッパのような振る舞いを身に着けるほどに滑稽になっていくのが分からないか? お前は一生召使なのさ。なあ、ジャスパー」
「ああ、これ以上恥を晒すな。ルビー・ダンクワース。召使は召使らしく息を潜めて生きていろ」
ジャスパーはまるで太陽のような明るさが嘘のように、まるでゴミを見る様な目でルビーを一瞥した。ルビーは二人の言葉に衝撃を受けたように青ざめた顔をして放心状態で震えていた。
ハティは二人のあまりの冷ややかさに息を呑んだ。その異様な関係性に唖然としているハティの隣で、プリシラはまるで何事もないかのように表情一つ変えずに「じゃあ、私たちも行くわね」と気やすく二人に手を振った。そしてその手をハティの腕にからめると、半ば引きずる様にしてハティをその場から連れ出した。
人混みで三人の姿が見えなくなると、ようやくプリシラは足を止めた。
「あ、あれは何だったの?」
ハティは口ごもりながらプリシラに訊ねた。
プリシラはぞっとするほど冷ややかな顔で人混みの向こう側を睨みつけ、答えた。
「あれがフィルを含めた四人の関係性よ。少しだけ分かったかしら? ジャスパーもディランも、ルビーを受け入れてない。私もね。一つ勘違いしないでほしいんだけど、フィルは別にルビーのことを特別信頼していないわけじゃないの。だけど、ある日、あの子がフィルのジュエリーを勝手に身に着けていたことがあって、それでフィルのお母さまはルビーにジュエリーを貸し与えることを禁止したのよ」
「それは確かに信頼を損ねる行為だけど……」
「それに、あの子はさっき貴方のことを親のいない孤児だって侮辱したわ。貴方の両親がどんな風に亡くなったのか、魔法族の子どもならみんな知ってる。なのに、貴方のことをあんな風に貶めた。許せるわけがないでしょう。ルビー・ダンクワースはそういう女なのよ。だから、貴方にもフィルにもあの子とは仲良くしてほしくない」
「確かに、あの発言はムカついた」
「そうでしょう? とにかく、嫌な女の話はこれで終わりよ。フィルが心配だから、フィルを探しにいきましょう」
プリシラはルビーの話題を強引に終わらせてハティをダンスの輪へと誘った。彼女の言っていた通り、フィルは他の生徒と優雅にダンスを踊っていて次々とパートナーを変えていた。他の女子生徒をリードしながら、もどかしそうにフィルを見つめるティモシー・アーヴィングの姿もあり、奔放なフィルの振る舞いにティモシーはやきもきしているようだ。ハティはプリシラと共に、フィルに危機を伝えるべく勇気を出してダンスの輪へと飛び込んだ。
一番最初のパートナーとなったのは、最上級生に近い生徒で一目見て「やあ、妖精の女王様かい?」とハティの仮装を見抜いた。彼は余裕のあるリードで優雅にヴぇニーズダンスを踊った後、次のパートナーにハティを譲った。二番目のパートナーも上級生だったが、ハティが生き残った女の子だと気付くと感激した様子で「あのハティ・ポッターのダンスのパートナーになるなんて!」と頬を紅潮させていた。しかし、彼のダンスはぎこちなかった。ハティはダンスの合間、何度かフィルに声をかけようとしたが見当違いの方向にリードされるため、全くフィルに近づけなかった。
そうして五人目のリードを迎えた頃、ハティはいっそのことダンスの輪から抜け出して見物客としてフィルに声をかける方が早いのではないか。と思い始めていた。五人目のリードは背の高い銀髪の上級生で、顔には蝶を思わせる意匠のつるりとした白いドミノマスクをつけていた。衣装は王様を思わせる豪奢なジャケットと妖精の羽。目元は仮面で隠れているが、細く高い鼻梁や形の良い唇、顎のラインからその上級生がハンサムな男子であることはすぐにわかった。
しかし十一歳のハティ相手では、まるで兄あるいは父親がダンスのリードをしているかのような不釣り合いさであった。青年は圧倒的な身長の差など意に介した様子もなく、優雅なリードでハティと踊った。
「小さな女王様、ダンスはお得意かな?」
「あまり得意ではありません。ダンスも好きではありませんし」
ハティは遠ざかっていくフィルを何度も確認しながら、気もそぞろに言った。
この上級生とのダンスが終われば、ダンスの輪から抜け出そうと内心で考えていると、そんなハティの考えを一蹴するかのように青年は大きくターンをしてハティの背をのけぞらせた。大理石の床をヒールがむなしくひっかいて、背後につるっと倒れそうになったハティを青年は強引に抱きとめて、形良い唇に笑みをはいた。
「ダンスを踊る男性を相手に、そのようなつれない態度はいけないな。お嬢さん。それとも、私の紳士としての振る舞いを試している?」
「そういうわけではありません。私の態度が失礼だったら、申し訳ありません。このダンスの輪の中にいる友達を探していて、彼女とお話がしたくてダンスに集中できないんです」
「奇遇だな。私も今宵のパートナーとなる麗しきティターニアを探していたのだ。行こう、私と」
「ど、どこに?」
「勿論、ティル・ナ・ノーグに」
青年がそう告げると、音楽はクイックステップへと変わった。周囲のペアたちが軽快に飛び跳ね、笑い声をあげて駆けるようにダンスを踊る。青年もそれに合わせて軽やかに足音を鳴らして、ホールを駆け抜けた。時折、彼がターンをするとハティのドレスがふんわりと花が綻ぶように広がる。ハティは次々と変わる景色に、文字通り目が舞っていたのでいつの間にかホールを出ていたことにも気付かないでいた。
ダンスが終了した時には息を切らして青年に抱きしめられていた。彼の首筋からはローズやジャスミン、それを包み込むウッディで官能的な香りが漂っていてハティは香りに酔いしれてふんふんと犬の様に鼻を嗅がせた。意外と女性の様に柔らかな体をしているのだな、とハティは無意識に青年の背中を撫ぜた。そのため、夜のイングリッシュガーデンに佇んでいることに気付いたのは青年にそっと頤を上げられた時だった。
「そんな風に触られると照れるな。その悪戯な手をとめてくれないか、小鹿ちゃん」
星の声、とでも形容したいような声音だった。笑いを含みながらも、澄んでいて通るベルベッドのような声、ひとの心臓をとらえて離さない声音であった。月明りに照らされた青年は、蝶を思わせる仮面を外していた。
彼は優雅に長い手足をしていた。背はすらりとして高く、ほっそりしているが、やせてはいない。プラチナのごとき銀の髪は、幽かな月の光に照らされて虹のような光沢を纏っている。当然、肌も白く、瞳は黒――しかし光の加減で紫水晶のような色にも見えた。
「あ、すみません。無意識に触ってました。なんだか、クッションみたいにふわふわして。貴方はどなたでしょうか? 私を夜の庭に連れ込んで、何をするつもりですか?」
「今、いかがわしい真似をされているのは私なのだけどね。まあ、いい。私はずっと君と話がしたいと思っていたのだよ、イオランテ。君は私が誰だと思う?」
青年は黒い瞳をまたたかせて、いたずらっぽくハティに問いかけた。
ハティは沈黙した。
青年は年の頃は最上級生あたりだろうか。男性の中でも身長は高い方であるが、何より目を惹くのは月の光のように幽かでありながら、魔性めいたその美貌だ。ハティは怪訝に眉宇を顰めた。
「わたしの……お父さんですか。半分冗談ですけど」
半信半疑でハティは口にした。フィルの言葉を信じたわけではないが妖精の姿になった両親に会えればいいと心のどこかでは思っていた。目の前の人物は、どことなくハティと目鼻立ちが似通っているようにも思えた。特にどこか魔性めいたその美貌は強い既視感があった。
青年は目をぱちくりとした。
「どうして半分冗談なのかな?」
「体が柔らかいから、男の人じゃないと思う。でも、わたしとどこか似てる気がする。ただの野生の勘ですけれど」
青年は頭をそらせて笑った。
「野生の勘! 確かにこれほど鋭いものはないな! まあ及第点だよ。それにしても、よく私が男ではないとよくわかったこと」
「さっき体を触ったもの。見た目を誤魔化すための魔法をかけてるの?」
「まあそうだね、チャームの一種さ。人の物の見方を利用するんだよ。私は母とは違って変身術が苦手でね、最も父はそんなものくだらないと言っていたから得意だったとしても、大叔母のように変身術を極めることはできなかっただろうけどね」
ハティは改めて目の前の月の妖精のごときその人に注目した。彼――彼女は、桜桃色の形良い唇を曲げて皮肉げにほほえんだ。まるで月の引力そのもののように、一度見てしまうと目を離せなくなる。危険な人だ、とハティは思った。
「あなたはだれですか」
「妖精王オベロンだよ、可憐なティターニア」
ハティは暫く口を噤んでから、もう一度尋ねた。
「昨日と明日のあなたは何をしているのですか。地下の神の嫉妬深い妻?」
「いや。私はヤックスリーが嫌いでね。あいつの女扱いされるのは、後にも先にも怖気が走るよ。知っての通り、私は成績優秀で品行方正だから、地下で子どもたちを監督する役目を担っている」
黒い瞳をまたたかせ、彼女はハティの顔を覗き込んだ。
「私が誰か、わかる? 小鹿ちゃん」
ハティはもう考える必要はなかった。自然と口が開いて、ハティはある女子生徒の名前を告げた。
「アラディア・ロウル」
彼女――アラディア・ロウルは機嫌が良さそうにふふっと鈴が鳴るような笑い声をあげた。
「正解だよ」
「そうですか、じゃあわたしは帰ります。さようなら、オベロン」
「まあ、待ちたまえ」
即座に踵を返したハティをアラディアは腰を抱いて強引に近くにあったベンチに座らせた。まるでハティを人形かのように自分の隣に座らせて、自身も腰を下ろす。
あまりにも傲慢なふるまいであったが、それさえも板についていて、人を従わせる雰囲気がアラディア・ロウルにはあった。むしろ洗練された所作は、強引ではあっても乱暴さはなく、野良猫の様にアラディアから逃れることもできたがハティはむっつりとして不機嫌さだけをあらわにした。
アラディアはしっかりとハティを拘束していて、まるで森の中で獲物を捕らえた狩人のようにハティの首根っこをおさえているのだった。
「まあ少しお話をしましょう、小鹿ちゃん。もう少し、ここでゆっくりしようじゃないの。ねえ、私たちは、どのあたりが似ている?」
芯から興味のある様子で、アラディアは身を乗り出してハティの顔を覗き込んだ。ハティはあからさまに迷惑そうな顔をして答えた。
「わたしと目鼻立ちがどことなく似ている気がする。それに、雰囲気がなんとなく似ているから」
アラディアは愉快そうに、鈴を転がす笑い声をあげた。
「どことなく、ね。まあ、そうだろうね。君の祖母も私の母も美貌で知られた魔女だったからね。こんな昔話を知っている? 昔々、ウェールズの森に一人の傲慢な王子が足を踏み入れました。王子は美しく頭脳明晰でしたが、傲慢な男でした。王子は狩りをするうちに森の中で迷って、一匹の白く美しい牡鹿に出会ったのです。王子は一目でその牡鹿が特別な牡鹿だと気付いて、この牡鹿を狩ることにしました。牡鹿は逃げて、逃げて、やがて金色の矢が牡鹿を捉えたその時、一人の美しい女に変化したのです。それが、後の君のおばあ様だよ。当時の名前をユーフェミア・フォーリー。君のおばあさまは優れたアニメイガスであり、美しい魔女だった。そして、私の大叔母でもある。私たちは親戚なのだよ、イオランテ」
「あなたと、わたしが?」
ハティは驚嘆して、アラディアを食い入るように見た。確かにどことなく既視感を覚えていた。しかし、一見するとハティとアラディアはさほど似ていない。血の繋がりがそう感じさせたのか。
まさか、ポッター家がデスイーターの家系と関わりがあるとは思わず、ハティはさあっと自分の顔から血の気がひいていくのがわかった。
「でも、貴方の父親はデスイーターだって……」
「そうだとも。私の母親のユーフェミア・フォーリーも夫が闇の魔法にどっぷりつかった闇の魔法使いだと知った時には、絶望したそうだよ。粗野で傲慢な男だけれど、まさかデスイーターの肩書を持っているとは夢にも思わなかったそうだ。だが、没落したフォーリー家の娘には選択肢はなかった。父のソーフィン・ロウルとて純血を維持するために、大人しい、美貌だけの女を娶るしかなかった。君のおばあさま、ユーフェミア・ポッターにしてみれば同じ名を与えられた大姪の存在は一族の汚点でしかなかっただろうけどね」
「わたしのおばあさまは?」
「当の昔のドラゴン疱瘡で亡くなっているさ。まあ、自分の息子が大姪の夫と命がけで戦うことになったことを誇りに思っていたようだけどね」
ハティははっと身を強張らせた。やはり、この人の父親はデスイーターなのだ。彼女が突然、親戚であると打ち明けたその背景は理解できなかったが、彼女の父親の主が破滅した以上ハティは仇といってもよかった。
「わたしを、殺すために連れ出したのですか」
黒色の目を眇め、アラディアは値踏みするようにハティを覗き込んだ。
「まさか、今ようやくその可能性に気付くとは思わなかったよ。イオランテ」
ハティは相変わらず青ざめていたが、負けん気でアラディアを睨みつけた。
「わたしこそが、新時代の闇の魔法使いの王だと思わないのですか? グリンデルヴァルドの死後、すぐにヴォルデモート卿は台頭したのですよ」
アラディアはヴォルデモートの名に臆することはなく、泰然としていた。それどころか、鼻で笑ってさえ見せた。
「あのお馬鹿な、ルシウス・マルフォイの息子を騙してみせた荒唐無稽な噂話だね。まったく、ルシウス・マルフォイも旗頭を失って相当感傷的になっているようだね。まあ、あの男はロードの器でないし、自分の手で成し遂げてやろうという気概もないヘタレだから、ルシウス・マルフォイが言い出しそうなことだとは思ったが……君も少々お馬鹿さんで呆れるよ、小鹿ちゃん」
彼女は桜桃色の唇を歪めて、続けた。
「いいかい? 闇の魔法使いというものは、闇の魔法に精通した魔法使いのことを言う。生まれながらにして闇の魔法に通じた魔法族などいない。あの闇の帝王でさえ、ホグワーツに入学した時はただ一つの闇の呪文でさえ知らなかった。闇の帝王を上回る者が誕生したから、主人は屈したとあいつらは都合よく思い込んでいるようだが、現実は違う。小鹿ちゃん、天秤の法則というものを知っているかい?」
「天秤の、法則?」
「この世の中の多くはつり合いがとれるようにできているのさ。かつて、アトランティスをも築いた我ら魔法族の文明と技術は今はマグルに劣るほどに衰退した。逆にマグルの科学技術は月面に到達するほど文明を発展させ、スイッチ一つで大都市を破壊し、数十年は人類が住めなくするほどの兵器をも持っている。グリンデルヴァルドの時代、魔法族だけの都市や国を作ろうという動きはあった。だが、実行できなかったのはこれが理由の一つだよ。我らはマグルの中に身を潜め、命を長らえさせるしかない。かつて、神とも呼ばれた我らは、地下に逃れたディーナシーのごとくちっぽけな存在になってしまった」
正面からハティを見据え、アラディアは続けた。
「わかるかい? これが天秤の法則。闇の帝王の時代、あまりにも光と闇の均衡が崩れすぎた。闇は光を呼び、光は闇を呼ぶものだ。名前を言ってはいけない例のあの人という存在がこの世に生まれ、長い暗黒時代を築いた結果、つり合いをとるために君という存在が生まれたと私は信じている。君の家系に光の陣営と闇の陣営が存在するのも、そういう理由だ」
「わたしはただの人間です。貴方が言っているような、そんな壮大な存在ではありません」
「私は確かに嘘を言う事もあるが、この件については嘘をついて君を持ち上げて、私に何の利益がある? 私はデスイーターの娘だよ。ドラコ・マルフォイが父親の言い分を信じたように、私とてそちらの説を信じたいものさ。だけど、現実逃避できるほど私は愚かではない。君の野生の勘はどう訴えている? 小鹿ちゃん」
ハティは表情を曇らせて押し黙った。
いっそのこと、ルシウス・マルフォイがそう信じたように新時代の闇の王であったらどれだけ楽だったことか。だって、ヴォルデモート卿は”死の窃盗”を自称するほどに自由に、残虐に、好き勝手にこの魔法界を支配したのだ。しかし、アラディアの言う事が真実であればハティは生まれながらにして救世主の役割を押し付けられたようなものだ。倒すべき悪は、赤ん坊であった頃のハティが倒してしまったのだが。
アラディアは、短く切りそろえた銀の髪を指に巻き付けながらハティの答えを待っていたが、ふいに言った。
「君がスリザリンだったならば、私は君のことを抱き込んでいたのだけどね。こうして向き合うまでわからなかったが、君はなかなかに面白いし、肝が据わっている。いい資質を持っているのは明らかだ。それに君は強運だし、人に恵まれているようだしね。ねえ、マリーン・ダーハム」
アラィデアは振り向き、マリーンの名前を呼んだ。
ハティが驚いて振り向くと、マリーンと彼女に青白い顔で縋りつくガラドリエル、そして野良猫が首根っこを掴まれたような恰好で宙に浮いている少女の姿があった。
「リリー、君はやはりぼんやりしすぎているな。見張りには向いてない」
「申し訳ありません、レディ・ロウル」
大して反省した様子もなくリリーと呼ばれた少女は答えた。
「リリーを離してくれないか、マリーン」
「貴方のスパイを、私がたやすく解放すると思って? アラディア。この子に真実薬を飲ませて、貴方が私のパーティをどう妨害しようとしていたかを吐かせるまでは解放しなくてよ」
マリーンは冷ややかにアラディアを睨みつけ、一蹴した。
「相変わらず君は乱暴だなあ。御覧の通り、リリーはそういった荒事には向かない。今日はサウィンの夜だし、この子の力も強まるだろうと思って連れてきただけだよ。それとも、君はリリーそのものに恨みでもあるのかな? スペンサー=ムーン家は前の時代にアイルランドの魔法族を裏切って、闇の陣営についたものね」
マリーンは眉宇を顰めて、宙に浮いているリリーの背中を睨みつけた。
「スペンサー=ムーン家が裏切ったこと自体は何の痛手でもなかったわ。だって、スペンサー=ムーン家に本物の予言者はいなかったんですもの。それとも十年たって成長したこの子がそうだとでもいうの?」
「さあね? 嘘つきの私が正直に答えると思う? 知りたいのなら君も真実を仰いよ。ヤックスリーが小鹿ちゃんにかけた呪いをそっくりそのまま跳ね返して、あいつを聖マンゴ送りにしたのは君なんだろ? マリーン」
「さあ、何のことかしら……ヤックスリーは自分で呪いを暴発させたのでしょう? おかげで私は大変だったのよ。急いでミディールの代役を探さなければならなかったんですもの」
マリーンは涼し気な顔でおっとりと答えたが、それが嘘であることはアラディアの確信を得たような自信満々の表情を見ると明らかであった。
「セイディーは古い魔法に精通しているし、優れた錬金術師だ。机上の勉強だけに勤しんできたヤックスリーでは手も足も出ない。彼女は本当の意味で魔女と言ってもいい。屈辱だろうね、あのような軽薄で粗暴で自分よりも愚かな男とロマンスを演じなければならないのは。そして君もクラブ費を人質にあいつを強引に演者に加えさせられて、怒っていた。二人の思惑が一致した結果、君はセイディーと手を組んでヤックスリーがハリエットにかけた呪いをいともたやすく跳ね返した。ヤックスリーが演者から外れても、パーティを完遂させる算段があったからだ。計画を実行する前、君の齎された誰かさんの提案は渡りに船だっただろうね」
まるで見てきたかのような語り口に、マリーンは観念したように両手をあげてリリーを解放した。リリーはゆっくりと地面に下され、そのまま芝生の上にどっさりと座り込んでしまった。「疲れました、レディ・ロウル」
「まあ、リリーはそこに座っていなさい。私の推理は合っているかい? マリーン」
マリーンは青い目を意地悪く輝かせ、にっこりと優雅に笑った。それは無言の肯定であった。
「おおむね。契約内容までは話せないわよ。だってこれは魔法の取引なんですもの。魔法族の作法にのっとって、私との取引を望んだ契約者の秘密を洩らせばその反動で私も呪いを受けてしまうわ。一つだけ言えることは、私がハリエットを守ることによって、私はヤックスリーを追い出しオスカーという強力な協力者を得る。いい取引だったわ」
アラディアは銀髪を撫ぜると嘲笑し、凍える様な声で吐き捨てた。「ヤックスリーめ、女の尻を追うしか能のないクズが」
今までは誘うような声音であったというのに、たちまちアラディアから誘惑の甘い音色がかききえ、冷徹な支配者の顔が出現する。
ハティは彼女の隣で、その突然の変貌に慄然とした。まるで爪の出し入れを自由に行い、草食動物を弄ぶ肉食獣を前にしたような恐怖が沸き起こってくる。アラディアの場合は、色香の出し入れを自在にしているわけだが、いつの間にか彼女に気安さのようなものを抱いていたハティはだからこそ恐ろしかった。
アラディアは傲然と足を組みなおして、マリーンをひたりと見据えた。
「だが、それではあまりにもこちらの分が悪すぎるんじゃないか? マリーン。私は君にハリエット・ポッターの正体を教えてやったよ。君は闇の帝王の後釜と疑っていたようだが、なんてことない。この子はまだ角さえ生えていない小鹿ちゃんだ。脅威に思う必要はない。本当に恐ろしいのは沈黙を守っている闇の帝王だ」
アラディアは懐から一振りの杖を取り出すと、それを宙にかかげた。彼女が呪文を唱えずとも、杖の先から銀色の煙が噴き出しそれは宙で徐々に一人の少女の姿を映し出した。リリー・スペンサー=ムーンその人である。リリー自身も自分の姿が映し出されたことに驚きを隠せない様子で瞠目している。「どういうことかしら?」
「今から見るものは他言無用だ。だが、君たちには関係のあることだから見せてやってもいい。私も、君たちも、いずれは王たちの
「光と闇の戦争?」
ハティは息を呑んだ。
唖然とする少女たちの目の前で銀の煙に包まれたリリー・スペンサー=ムーンが茫洋とした目を虚空に向けて、口を開く。
『光の印を刻まれし娘が舞い戻りしとき ダヌの息子が沈黙を破り闇より蘇る ダヌの息子がアンヌンを手にすれば 世界は再び闇に覆われる しかし光の娘がアンヌンを手にすれば ダヌの息子は再び冥府に去るであろう』
まるで少女の姿を借りて老婆が喋っているかのような声であった。呆然とする五人の目の前で銀の煙は夜の空気に溶けるように消えていく。
重苦しい沈黙の後、一番最初に口を開いたのは青ざめた顔のマリーンであった。彼女は恐れ戦いて何もない虚空を眺めながら後ずさると、唇をわななかせて言った。「こ、こんなのあり得ないわ。よくもこんな子供じみた幻惑のチャームを私の前に出せたわね! アラディア!」
「幻惑のチャームなどではないよ。わかるだろう、マリーン。光の印を刻まれし娘が舞い戻りし時――ハリエット・ポッターが魔法界に戻ってきた今しかない。この子の額をご覧、ここにあるのは古代ルーン文字のソヴィロ……太陽、勝利、生命力を意味する文字だ。光の娘とは、この子以外に他ならない」
「ダヌの息子が名前を言ってはいけない例のあの人を指しているとは限らないじゃない! 第一、これが本物の予言だったとしても魔法省の神秘部が管理すべきだわ。こんな不吉な予言、悪戯にしても性質が悪いわ!」
マリーンの掠れた声が途中でひっくり返る。甲高く響く声は、彼女の動揺をあらわしていた。
「やれやれだな、君はもっと話の分かる思っていたよ。マリーン・ダーハム。この小さな箱庭のヘッドガールになんか固執しているから、君は現実が見えていない。魔法省神秘部に一体どれだけの予言が保管されていると思っている? この十年、例のあの人が去ったおかげで、この国に、この魔法界にどれほど旧態依然として膠着しきったものがはびこっているか、君にだってわかる筈だろう? 例のあの人が蘇れば、今のブリテン魔法界は一たまりもない。一気に瓦解するだろうよ。アイルランドにはもう対抗するだけの余力はない、それは君が一番わかっているんじゃないか?」
「デスイーターの娘に言われたくないわ。アイルランドを崩壊寸前まで追い込んだのは貴方達でしょうに。自分たちの主人が蘇るから、戦争の準備をしておけって? 冗談じゃないわ。貴方の言葉が信じられるものですか」
アラディアは小首を傾げ、酷薄な笑みを浮かべた。
「信じないなら信じないでいい。君はいつまでもこの箱庭で、アルバス・ダンブルドアのお膝に抱かれているといい。その間に、ブリテン魔法界は滅ぶだろうよ」
ハティはそれまで沈黙を守っていたが、急に訊ねずにはいられなくなって、急いで口を挟んだ。
「アラディア、貴方がデスイーターの娘なら貴方のお父さんの主人が勝利した方が貴方にとってよいのでは? それなのに、まるで例のあの人が戻ってくることに警鐘を鳴らすようなことを言って、貴方はまるで例のあの人が破滅したままでいることを望んでいるみたいだわ」
マリーンは虚を突かれた表情になった。そしてアラディアはまばたいて意味深に笑った。
「さあ、どうだろうね? 小鹿ちゃん。私は嘘つきだから。でも君のことを気に入ったのは本当だよ。君は少し私と似ている。私と同じ反骨の精神と、強さがある。君がグリフィンドールでマリーンにつかなければ、私は簡単に君を物に出来たのに」
少し考えて、アラディアは厳かな表情で震えるマリーンを見やった。
「マリーン、ヘッドガールの地位は君にくれてやってもいい。だけど、こうなった以上ヤックスリーの暴走は君がとめろ。あいつは自分の最後の学生生活をスリザリンの勝利で飾りたい筈だ。そのためなら、どんな手も使ってくるだろう。だけど君がヤックスリーに敗れた時、来年のヘッドガールには私がなっているだろうね。その時には毎週温室で繰り広げられる君のくだらない平和な箱庭を、潰してあげるよ」
マリーンは一瞬言葉をなくしたが、唇をかみしめて俯いたと思うと、次の瞬間には強い眼差しでアラディアを睨みつけていた。
「負けるものですか。ハニーバジャークラブには……友愛団には貴方なんかが理解できないような大事な役割がある。私はそれを守る為に会長になったのです。ヘルガ・ハッフルパフが作ったこの夢の箱庭を守って、この子に――ガラドリエルにいつか継承するためならば、貴方になど負けなくてよ。アラディア」
「期待しているよ、マリーン」
アラディアは不遜に笑って、ベンチから立ち上がった。