ハリエット・ポッターの不思議な冒険   作:新参なめ子

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ポッター家は金持ちだったと言う話や、ジェームズママの名前ユーフェミアから色々家系を捏造しています。


ダイアゴン横丁

 

 

 

 

 夏休みの間、ハティはヴァーノンを徹底的に物置部屋に閉じ込めるつもりでいた。世間は丁度、バケーションに突入していたので二、三日の間会社に「伯父さんは病気で臥せってます」と電話の応対をし続けると、会社も執拗に電話をかけてくることはなかった。

 その間、哀れなヴァーノンの「ここから解放すればプレゼントを買ってやる」という褒美にダリアが物置部屋を解放しようとしたが、ハティに発見されクローゼットに半日閉じ込められたダリアはすぐに音を上げてハティに膝をついた。ダーズリー家独裁政治の始まりであった。ペチュニアはというと、寝室に閉じこもり茫洋として過ごしていた。すっかり廃人のようになり、あんなに溺愛していたダリアの存在も忘れたかのように、一切の家事を放棄した。それでも食費を渡せ、と主張するとびくりと戦慄してお金はハティに明け渡したので、おかげでハティはダーズリー家で最低限の家事をすることができた。そうして悠々自適な夏休みは幕を開けた。

 

 一日に一回は物置部屋にペットボトルとビーンズのスープ缶詰を放り込み、何の反応も示さないペチュニアに「ご飯作ってよ! ご飯!」と泣きじゃくりながら拳を振るい始めたダリアにはパンをひと切れ寄越した。ペチュニアも同様で無言で寝室にパンをひと切れ投げつけ、自身はストロベリーソースをそえた牛肉のステーキを頬張った。そして、いつものようにハティの食事を暴力で横取りしようとしたダリアに強烈なパンチをくらわし、教育的指導を行うのであった。

 

 他人に暴力をふるい、虐げることには慣れているダリアも人生で初めて顔面にパンチをくらい、ショックを受けたようにしばらく硬直していた。そうしてしばらくしてわんわんと声をあげて泣き始めた。ハティが拳を握り「今までわたしが食らったパンチの分、あと何発残ってると思う?」と微笑むと、ダリアはぶるぶると震えて膝をついた。こういう時は「ごめんなさいって謝るのよ」と親の代わりにダリアに懇々と諭し、そして人の食事を奪おうとした罰として翌日の食事は抜きとした。親が機能していない分、ハティはこの従姉妹をマトモにすべく教育せねばなるまい。とこの夏休みの課題とした。しかし、マクゴナガルとの約束の一週間が迫ったある日、豚を人間に矯正することは非常に困難であると思い知ることとなった。

 

 

 ダリアが近辺で年下の女の子を何度も殴打し、警察に捕まったのだ。

 

 

 

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 久しぶりにシャバに出たヴァーノン・ダーズリーは、監禁生活から解放されて第一声「ダリアが警察に捕まったわよ。近所の女の子が顎の骨が砕けるほど殴ったの。今から警察署に行くわよ」と姪からの報告に、気の遠くなる思いであった。思えばこの一週間、鼻持ちならない狂った姪に修行僧のような生活を強いられ、この物置部屋から出たら必ず警察に突き出してやる。という復讐心だけがヴァーノンの心の支えであった。しかし、その姪からもたらされた言葉はか細い支えによって今にも砕けそうになっていたヴァーノンの心を粉々にした。

 

「なん……だと……嘘をつくんじゃない! わしのダリアちゃんがそんなことするわけないだろうが! お前、わしにくだらん嘘ついて承知せんぞ!!」

 怒りで体中が熱くなる。唾を飛ばしてヴァーノンは目の前の姪に怒号した。

 この一週間、ヴァーノンの財産をよほど食いつぶしてくれたのか姪は幾分かふっくらしてつやつやしていた。この鼻持ちならない魔女はヴァーノンたちダーズリー一家を破滅させようとしているのだ!

 

 ところがヴァーノンの怒号にハリエットは面倒くさそうにため息をついて、顎を玄関の方にしゃくった。ヴァーノンはのろのろと玄関に目を向ける。この一週間、物置部屋の暗闇しか知らなかったヴァーノンは開け放たれた玄関からの光に目を細めた。見えるのは屈強な二人分のシルエットーーそう警察であった。

 

「アー……ミスタ・ヴァーノン・ダーズリー? おたくの娘さん、署で預かってます。姪っ子さんのおっしゃるとおり、気絶するまで殴りつけたみたいでね――相手、八歳の子ですよ。顎の骨は砕けるわ、歯が何本も折れるわ、コンクリートで頭ぶつけて頭から血が出るわで重症です。保護者として警察署にきてくれますか」

 ヴァーノンは狼狽した。

 これは夢か、夢に違いない。まさか自分の愛する娘が、そんな、マトモではない事件を起こす筈がないのだ。ヴァーノンは視線を彷徨わせた。そして普段はそこにいるはずの妻の姿がないことに気付き、おろおろと辺りを見渡した。

 

「ペチュニアや……ペチュニアはどこだ? わしは、悪夢を見てるのか? わしらの娘が、まともじゃないことをするはずがないだろ? え? ペチュニア! ペチュニアー!!」

「伯母さんならこの一週間、ずっと寝室に閉じこもってるわよ。育児放棄してるの。あんなに好きな掃除もしてないしね。あ、今呼んでくるわ」

 この状況にちっとも動揺していないかのような、姪のクールな声が遠くに聞こえるようだ。軽やかな足音が階段を上っていく音を聞きながら。ヴァーノンはふらりと壁に寄りかかった。意識がふっと遠のいた。

 

 

 

 気が付いた時には、ペチュニアと姪との三人でヴァーノンは警察署にいた。目の前でどこかで見たことがあるような小奇麗な若い夫婦が射殺さんばかりにヴァーノンを睨みつけている。隣のペチュニアが泣き濡れた声で「申し訳ありません……本当に申し訳ありません……!」と何度も謝罪を繰り返していた。

 ペチュニアや、お前が謝ることなんてないじゃないか? え? なんで、わしらはここにおるんだ。内心浮かんだ疑問を、ヴァーノンは気が付けば口にしていたらしい。隣に立っていたハリエットが胡乱な目で自分を見上げ「しっかりしてよ。あんたの娘が重症を負わせたのよ! ちゃんと謝罪して」と親のようなことを言いだした。

 この姪はおかしなことを言っている。いつもマトモじゃないことをしでかして、わしらを困らせるのはお前だったじゃないか……。

 

「子が子なら、親も親ですわね! 謝ることがないですって!? 前々からおたくの娘は教育がなってないと思ってました。以前もマルキンさんちの娘さんを殴って、学校で便器に顔を突っ込んだりしてたそうじゃないの! メイソンさんちの娘さんも殴られたって言ってたわ! 学校の虐めすら放置して、挙句あなた方親子も姪御さんを虐待してたと聞いたわ! ろくでもない親に育てられた娘なんですから、いつか犯罪を犯すと思ってた! なんでわたしの娘なのよ……あの子の人生が無茶苦茶になったらどうしてくれるのよ!」

「会社の社長さんかなんだかしりませんが、うちも弁護士をたてて戦うつもりですから。絶対に示談にはしません」

 きっとこちらを睥睨し、涙ぐみながらも恨めしそうに鋭い眼光でこちらを見る妻の肩を抱いてわしらに背中を向けた。

 去っていく背中を呆然と見つめていると、ペチュニアが「ヴァーノン、どうしましょう!」と青白い顔でわしに縋りついてきた。どうするもなにも、何が起こっとるんだ? わしのダリアが暴力をふるって、重症を負わせた? 虐めをしてた? わしの可愛い娘がそんなことするはずないじゃないか……。

 

「やっぱりね、いつかこうなると思ってた。わたしの顔を殴って、10点! とか言ってたような倫理観の持ち主よ。そりゃあ、他の子に虐めだってするわよ。でも、あんたたち夫婦はダリアちゃんはいい子。何をしてもいいの。ってろくに教育もせずに甘やかすから、こんな暴力的な犯罪者に仕上がったのよ。普通の親なら、親戚だろうが他人に暴力をふるう時点で怒るもんなの。それをいい遊びだ! とか言って許してたからこうなったの。まともじゃない親が育てた結果起きた家庭教育の敗北よねえ……」

 

 最悪、起訴される可能性があるとの警察の説明を聞きながら、わしは頭をハンマーで殴られたかのような衝撃で呆然としていた。

 

 

 

 その夜、久しぶりにリビングのソファーに身を埋めたヴァーノンは向かい側で一人小さくなって項垂れているペチュニアにこう漏らした。

「わしらの教育のせいでダリアはこうなったのか……」

「さあ……わからないわ……いいえ、やっぱり――私たちのせいよ。だって、あの子はまだおチビちゃんで、ただの十一歳なんだもの」

 顔を両手で覆ったペチュニアは啜り泣きながら、続けた。

 

「この五日間ずっと考えてた……私、私、二人の子どもに虐待をしていたの……ずっとハリエットの中にリリーを見てた。私、魔女のあの子のことバケモノって呼びながら、本当は羨ましくて仕方なかったの……」

 そう言ってペチュニアは、恋人同士であったときわしに「魔女の妹がいる」と打ち明けた時と同じように涙ながらに吐露した。

 

 本当は美しく、魔女としての力を授かった妹に嫉妬していたこと。同じように魔女として生まれ、日に日に美しく成長していくハリエットにリリーの面影を見て、嫉妬心から虐げてしまったこと。リリーほど親に愛されず、美しくもなかった自分を娘に投影しただただ甘やかしてしまった。本当はペチュニア自身、魔女になりたいと願っていた。ハリエットを引き取ったのは、喧嘩別れした妹への負い目もあるが魔法界への思慕が残っており、その唯一のつながりが姪であるからだ。と、ペチュニアはとつとつと語った。

 

 

「ダリアがああなったのは、私のせいよ――リリーにも……リリーもきっと娘をあんな風に扱ったこと、許してくれないわ」

「だがなあ、ペチュニア。わしらはあの子をマトモな子に育ててきたつもりだ。飢えることも我慢させることもしなかった。必要なものは全部与えて、あの子のすることは全て許して、褒めてやったじゃないか。え?」

「だから、それが駄目だったって言ってるのよ。ヴァーノン! 私たちは”マトモな親”じゃなかったの!」

「それが駄目だって言ったのよ、ヴァーノン! 勿論、ダッダーちゃんは可愛いわ。でも純粋に娘として可愛かったわけじゃない。私はあの子に幼い頃の自分を重ねていたの。そして、ハリエットの向こう側にはリリーを見ていたわ。ダッダーちゃんを甘やかして、ハリエットを冷遇することで私は自分の劣等感を満たしていた――私たちは″マトモ”な親じゃなかったの!」

 

 

 

 

 ダリア暴力事件は流石のダーズリー一家にも大きな衝撃を与えたらしく、翌朝のリビングはお通夜状態であった。恒例の夏のヴァカンスも主役のダリアがいないとあっては夫婦だけで行くのも忍びないと思ったのか、挨拶もそこそこにヴァーノンは新聞から顔を上げ宣言した。

「わしらは今年はヴァカンスに行かんことにした」

「あっ、そう。大事なダリアちゃんは檻の中だもんね? それどころじゃないもんね」

 ヴァーノンはハティの言葉に、一瞬顔を顰めた。いつものごとく激昂するのだろうか、と思い距離をとったがヴァーノンは何とか癇癪を抑え込んだようで唸るように「座れ」と促してきた。

 珍しいことにテーブルには久しぶりにペチュニアの朝食が並んでいた。

 いつものようにたっぷりの油で焼いたカリカリのベーコンにスクランブルエッグである。ハティはコレステロール値が上昇しそうな油の多い食事は好きではなかったので、顔を顰めて睨みつけているとペチュニアが無言で牛乳と100%オレンジジュースを差し出してきた。

 

「それで? ヴァカンスに行かないから、なんだっていうの」

「わしはペチュニアと一緒にカウンセリングを受けることにした」

「はあ……」

「アー……どうやらわしらはマトモではないらしい。ペチュニアが言うには、だが」

 ここでペチュニアに睥睨されたヴァーノンは盛大に咳払いをして「わしもそう考えている」と付け加えた。

 

「ダリアがああなったのは、わしらのせいだ。恐らくな。これからわしらは忙しくすると思うが、今までのように勝手にこの家の物を触るなよ」

「触らないわよ。わたしも今日は家を留守にするから。ロンドンに学校の学用品を買いにいくの。言ってなかったっけ? プライマリースクールには行かない。ホグワーツに通う事にしたから、教科書を揃えないと」

「あのけったいな学校か」

 ヴァーノンが鼻で笑った。

 ハティは一週間の物置部屋生活では足りなかったみたいね。と苦々しく思いながら、牛乳でもぶちまけてやろうかとコップを持ち上げた。暴力は全てを解決する――この一週間の有意義な生活はその賜物であったが、暴力で破滅した従姉妹を見るにつけ、同じ破滅の道を辿るわけにはいかぬ。とハティは深くため息をついた。ダリアが収監された件は、ダリアを溺愛する盲目なダーズリー一家に変化をもたらす程度には、大事件である。ハティも被害者の親と出会い、そう痛感した。

 

「そうよ。わたしは頭が賢いから、大学に進学したかったけど、この家は到底学費を出してくれそうにないし。その点、ホグワーツは卒業したら大学進学しなくても最高の職業につけるの。これって、わたしとあんたたちにとってWin-Winでしょ? だから、もう入学するって返事もしたの。今日、この前のマクゴナガル教授が迎えにくるわ」

「いくら」

 それまで沈黙を守っていたペチュニアがつっけんどんに口を挟んだ。

 

「え?」

「いくらかかるの、学用品は。学費は無料でしょ」

「知らないわ」

 学用品のお金を払うつもりはない。と言外に宣言しているのか、とハティは訝しんだ。

 しかし、ペチュニアは無表情のまま席を立つと寝室へと戻り、腕に子供服を抱えてやってきた。

 

「そんな服ではだめよ。これを着て行って」

 いかにハティにかかるお金を節約するか、腐心していたペチュニアとも思えぬ発言にヴァーノンもハティも瞠目した。

 あからさまに取り乱したような「ペチュニア!?」というヴァーノンの叫びにも耳をもたず、ペチュニアはハティにぐいぐいとワンピースを押し付けてきた。新品であるが、明らかにサイズの大きなそれはダリアがそでを通していない服であった。

 ハティはダリアのものだと気付くなり、眉宇を顰めて服を叩き落とした。

 

「嫌よ。世間体気にしてるのか知らないけど、そうやってわたしにダリアの服を押し付けて自分が大して世話もしてなかったことを、隠そうとするのやめてよね! 本当に夫婦そろって卑しい!」

「卑しいとはなんだ! 卑しいとは! 伯母に向かってなんだその口の利き方は!! お前を育てるためにわしらが一体どれだけの苦労をしたと思っとるんだ!」

「この家に育てられて、わたしがどれだけ虐げられたと思ってるのよ。この十年間、わたしがあんたたちにされたことを再現しましょうか!?」

 いきり立つヴァーノンとは正反対に、ペチュニアはブルーの瞳を見開き静かに硬直していた。ショックを受けているようにも見えたが、ペチュニアはハティの言葉に何かを覚える筈がない。と思い直し、ハティは手つかずの料理を残飯入れに捨てた。

 

「今更この食事も白々しいのよ。わたしを散々、召使のように扱ってきくせに!」

 足音も大きく憤然とリビングを出る。背後からヴァーノンの「待て! ペチュニアに謝れ!」という怒声が聞こえてきたが、ハティは無視をして勢いよくリビングの扉をしめた。

 

 

 

 

 二時間後、ハティはマクゴナガル教授と共にロンドンの一角チャリング・クロス通りにいた。

 ハティは雑踏の中、道沿いに並ぶ店を見渡していた。どの店も見た目上は、魔法使いの卵たちの教材を取り扱っているようには見えない。ファストフード店、本屋、レコード屋——と順番に見て、ハティは「あ」と声をあげた。パブだ――そこは古風なレンガの建物で『リーキー・コルドロン″水漏れ巨釜”』と看板が下げられていた。

 

「そんなに目立つところに魔法使いの街の入口があるんですか」

 マクゴナガル教授の話では、魔法族のみの街がロンドンの一角にあるのだという。そしてその入口は、リーキー・コルドロンというパブにあるとのことだった。

「ええ、そうですよ。ロンドンの一角といっても、マグル避けの魔法がかけられていますから、マグルには一生かかっても見つけようがないでしょうが」

「マグル……?」

「非魔法族のことですよ。英国魔法界ではマグルと呼びますが、他の国では異なる名称ですから気を付けるように。さあ、まあいりましょう」

 マクゴナガル教授が歩き出す。ハティも後を追って、パブに向かった。

「じゃあ、伯父と伯母はマグルなんですね。母は?」

「貴方のお母さまは魔女ですよ。稀にいるのです、マグルから生まれる魔法族は。逆に魔法族から魔力を持たない者が生まれることもありますが」

「それは、マグルってことですか?」

「いいえ、この場合はスクイブです。スクイブも多少は魔力を感知したり魔法の道具を使うことはできますから、マグルとは呼ばないのです」

 ハティは急いでマクゴナガルから得た情報を頭の中で整理しようとしたが、完全に咀嚼する前にリーキー・コルドロンへ入っていったので、それ以上思考に集中することはできなかった。二人がレコード屋と本屋の間に姿を消したにも関わらず、振り向いても雑踏の人々は気付いた様子はなかった。

 

 

 パブの内装は年季が入っており歴史を感じさせた。入った瞬間、薄暗いとハティは思ったが、頭上には埃のかかった簡素なシャンデリアが吊るされており木製のテーブルが間をおいておかれていた。奥の壁一面にはバーがあり、日中だというのに客がまばらに座っていた。いずれも色とりどりのローブを纏っており、マグルを思わせる装いをしている人間はほとんどいなかった。

 

「こんにちは、マクゴナガル教授」

 バーテンダーはマクゴナガル教授の入店に気付き、笑顔で言った。

「ごきげんよう、トム」

「いらっしゃい。今日は何を……これはこれは、まさか……」

 バーテンダーはハティの顔を覗き込み、額に目を向けた。「それじゃあ、あの子は……」

 ハティはバー越しにバーテンダーを見上げた。

「なんということだ……ハリエット・ポッターがこの店にお見えになる日が来るとは――お会いできて光栄です」

「ああ、はい」

 何と返答していいかわからず、ハティはひとつ頷いた。

「トム、静かに」

 マクゴナガル教授はハティの腕を掴むと、裏口の方へとぐいぐいと引っ張った。

「あまりこの子をもてはやさないで。この子はまだそういったことに慣れていませんし、ちやほやされることに慣れてほしくありません」

「だけど、マクゴナガル教授……」

「マクゴナガル教授、お待たせしました! オーッ、ハティだ!」

 サマセット訛りの大声が響き、パブの奥まった席より大声をあげて男が立ち上がった。重い足音をたててバーへと慌ただしく駆け寄った男は、ぼうぼうに伸びきった髪と毛むくじゃらの髭に覆われた大男であった。

 あまりの長身にハティが唖然としていると、マクゴナガルは「ハグリッド!」と警告するように鋭い声で囁いた。

「騒ぎにしたくないのです、静かに」

「へえ、すまねえです! 何せ十年ぶりなもんで、感動しちまって!」

 男——ハグリッドはまじまじとハティの顔を覗き込み、ハグリッドは肩を震わせた。

「最後に会った時は赤ん坊の時だ。ベビーニフラーみたいに小っちゃくて、潰さないように必死でなあ……マクゴナガル教授の仰る通り、リリーに似た別嬪になったもんだ」

「ママを知っているの?」

「ああ、リリーがホグワーツに入学した時から知ってるぞ。勿論、お前さんの父さんのこともな。ジェイムズのやつは問題児で、あいつが禁じられた森に不法侵入しねえよう止めるのに七年間も苦労させられたもんだ」

「禁じられた森?」

 マクゴナガル教授の顔を仰ぐと、懐かしむようにマクゴナガルは眦を緩めていた。

 

「ホグワーツの禁足地です。保護対象であったり、危険な魔法生物が生息していて英国魔法省は一般の魔法使いの侵入を禁止しているのです。ハグリッドはその禁足地の森番なのですよ。ですから、学生の侵入は持ってのほかです。ですが、ジェイムズはよくあそこに侵入して、ハグリッドに捕まってましたね」

「俺が捕まえられたのは、数えられるほどです。教授」

 ハグリッドが豪快に笑ったその時「あの」とバーの前に座った中年の男性が声を震えさせた。「ジェイムズとリリーの子どもだということは、その子ハリエット・ポッターなのかい?」椅子をひいて音を出しながら、立ち上がる。

「アルフィー」

 マクゴナガルが警告するようにハティの前に立ちふさがった。その鋭い声に周囲のほとんどがハティを眺めたり、囁き合う以上のことはできなくなった。腰を上げたまま座れずにいる魔法使いや魔女もいる。

 

「握手をしてくれませんか?」

 マクゴナガルに怯えた目を向けつつも、その男性は小声で懇願しこちらを覗き込んだ。隙間から手をつきだされ、ハティは「どうしてこんなにも握手したがるのだろう」と困惑しながら、おそるおそる握手に応じた。髭におおわれた男性の頬を涙が濡らした。「僕の父は闇祓い(オーラー)をしていて、デス・イーターに殺されたんです」と彼は囁いた。

 ハティは吃驚して手をひこうとしたが、おもいのほか男性の力は強く手はほどけなかった。「ありがとう、ハティ・ポッター。父の仇をうってくれた君にずっと、御礼を言いたかったんです」

 

「ど、どういたしまして」

 ハティはつっかえながらそう答えた。

 何が「どういてしましてなんだ」と自分では阿呆らしく思ったが、それ以外の言葉はみあたらなかった。懇願するようにマクゴナガル教授を仰ぐと、彼女はひとつ頷いてハティの手を握った。周囲の客の中から果敢にもこちらに近づこうとしていた者たちがいたが「先を急ぎますのよ」というマクゴナガル教授の重い一言に彼らはぎくりとした様子で足をとめた。

 

「それじゃあハグリッド、後で会いましょう」

「はい。はやいとこ用事を済ませて、合流します!」

「急がなくてもいいのよ」

 マクゴナガル教授はやんわりと言い残し、ぐいぐいと手をひいてバーの裏口に出た。

 裏口からパブを出ると、そこは小さな中庭であった。高い煉瓦の壁に四方を囲まれている。行き止まりだ、と思いつつも内心では別のことを考えていた。そして気が付くと、訊ねていた。

「あの、どうしてみんなわたしのことを知っていたんでしょうか。それにあの、デスイーターって何ですか」

「デスイーターは貴方の両親を殺した、例のあの人の信奉者です。パブの客みなが貴方を知っていた理由は、貴方のご両親の死とその最中で貴方が生き残ったことがこの魔法界にとって奇跡のような話だからです」

 マクゴナガル教授は含みのある視線をハティの額に向けた。

 

「ご両親の死については大まかに聞いたと、先日仰ってましたね」

「ああ、はい。大量殺人鬼に殺されたと」

「そうです。先日は詳しくお伝えすることができませんでしたが……貴方のご両親を殺害したのは、単なる大量殺人鬼ではありません。純血主義という魔法族による選民主義、民族浄化をイデオロギーとして掲げ、マグル生まれたちの排斥を目論んだ犯罪集団のトップです。その男は、自身のことをロード・ヴォルデモートと名乗りました。そしてその名の通り、マグル排斥に同意する暴力的な信奉者を集め、政敵や反対するものを、必ずといっていいほど、死の呪いで反逆する者たちを殺しました。彼の呪いを受けて唯一生き残ったのは、貴方だけです」

「わたしだけ?」

 マクゴナガル教授は何かを思いだすように、宙に視線を彷徨わせた。

 

「ジェイムズとリリーはわたくしの優秀な教え子の一人であり、大切な友人でした。立派な人たちでしたよ、貴方を守って亡くなったのですから」

 

 わたしを守って?

 

 ハティの両親の死因まではペチュニアも教えてくれなかった。伯母はただ、ヴォルデモートに両親が殺されたとしかあの夜教えてくれなかったのだ。ハティは心臓が何か変なものに掴まれた気がした。

 マクゴナガル教授はため息をついて、杖をハティに向けて一振りした。視界が一瞬ぼやけたと思うと「認識阻害の魔法です。貴方がハリエット・ポッターだと知られないように。魔法界で、ハリエット・ポッターの名前とその有名な傷を知らぬ者はいませんから」と言い添えて、ハティの頬を撫ぜた。マクゴナガルの掌の下には、稲妻を思わせる傷がある。ハティが物心ついた時には、既にあった傷だ。

 

 そして杖を再び煉瓦の壁に向け、三回叩いた。

 

 

「先ほど言ったその信奉者の中でも最側近の魔法使いや魔女は、デス・イーターと呼ばれました。気を付けてください。デス・ロードの信奉者の中には、冤罪を叫んで牢屋に入ることを免れた者も多いのです」

 マクゴナガルの背後の煉瓦の壁がボコボコと沸き立ったと思うと、振動しながら巨大なアーチ状の門となり、その向こう側に大通りが広がっていた。通りは色とりどりのローブを着た魔法使いたちであふれかえり、左右の店にはずらりと本物の巨釜や、魔法道具が陳列されている。

 

「ミス・ポッター、ダイアゴン横丁へようこそ」

 マクゴナガル教授は入口に立ったまま青白い顔をしているハティに微笑みかけ、さあ行きましょう。と背中を押した。

 歩き出したハティの背後で壁が鈍い音を立てて動いている音が聞こえたが、依然として関心はマクゴナガル教授の話にあった。あのパブの客は父親をデス・イーターに殺害されたと言っていた。主君や理想のためならば殺人を厭わぬ集団がいて、実際に収監を免れた者がこの国でのうのうと生きている可能性があるのだ――そんなこと許されるのか? そう思うとお腹の底がぐらぐらとした。

 

 

「ロンドンに完全に隠された街があるなんて……」

 ロンドンの区の一角に、マグルの住民から全く知られないまま、この曲がりくねった長い大通りが存在しているのだ。なんて強力な魔法なのだろうか。とハティは感嘆のため息を零して、四方八方を見て回るのに大忙しになった。ここならばきっと一日いても退屈せずに過ごせるだろうな。とハティは思った。

「まずはグリンゴッツ銀行に行きましょう」

 マクゴナガル教授は道沿いにまっすぐ歩き始めた。あまりの人の多さだったため、きゅっと教授に手を引かれた時には心底安堵した。きっとマクゴナガル教授と手を繋いでいなければ周囲に夢中になってはぐれていたかもしれない。

 スラグアンドジガーズの薬剤店——ここはポーションの材料が販売されているようだ。ユニコーンの角とかかれた金色に光る棒、干しイチジク、妖精の羽などファンタジー小説でしか見ることのないようなものが販売されており、ハティは本当の魔法使いの街なのだと感心した。

 マダム・プリンペルネルのビューティポーションショップには年齢問わずに魔女たちが入店していた。スキンケアとメイク用品を売っているようだ。ジェー・ピピンズポーション、クランビル・クインシーのマジカルジャンクショップ、スクリビュルス筆記用具店、魔法動物ペットショップ、フローリッシュアンドブロッツ書店のショーウインドウでは本が鳥のように羽ばたき、飛び交っていた。

 

 ハティは「うわあ」と感嘆の声をあげて、ふらふらと書店に吸い込まれるように駆け寄った。

 

「ハリエット?」

「あっ」

 ハティはぴたりと足を止めて、自分が何をしようとしたのかに気付いた。一人でいるつもりで、手を繋いでいるのはマクゴナガル教授であることを失念していたのだ。

「本屋さんを見つけたのでつい。何か買いたいなと思って」

「貴方は、ロウェナが好みそうな生徒ですね」

「ロウェナって誰ですか」

「ロウェナ・レイヴンクロー、学問の徒を好んだホグワーツの創設者の一人です。ホグワーツには彼らの名前を冠した寮が四つあるのですよ。貴方はきっとレイヴンクローに適性があるのでしょうね」

「わたしがレイヴンクローに……教授はどこの寮だったのですか? レイヴンクロー?」

 マクゴナガル教授はくすくすと機嫌がよさそうな笑い声をあげた。

「いいえ。わたくしはグリフィンドール寮でした。勇猛果敢な、騎士道を有する者たちが集う寮です。尤も、レイヴンクローとグリフィンドールを提示されて随分と悩みました。今思えばあの時の組み分けは、わたくしにとっては人生の大きな分かれ道だったのでしょうね。勇気あるグリフィンドールを選んだことに後悔はありません」

 ハティはレジスタンスとして戦っていた、とペチュニアが語っていた両親について思い出し、もしかして。と思った。

 

「もしかして、両親も教授と同じようにグリフィンドールだったのでしょうか」

「よくわかりましたね」

 マクゴナガル教授は吃驚したように、ハティを見た。

「そうです。リリーとジェイムズもグリフィンドール生でした。二人とも首席だったのですよ――あんなに才能に恵まれた魔女と魔法使いはわたくしの長い教師人生の中でも、そうそういません。貴方ほどレイブンクロー気質ではありませんでしたけどね」

 がり勉じゃなかったということだ。マクゴナガル教授は茶目っ気たっぷりにほほ笑んだ。

「両親は勉強ばかりの人間じゃなかったんですね」

「ええ。二人とも、ある意味では魅力的な生徒でしたよ。ですが、貴方がレイヴンクローを選んだとしてもリリーとジェイムズは素直に祝福してくれるでしょう。わたくし個人としては是非グリフィンドールで迎え入れたいですが、レイヴンクローも素敵な寮であることは否定できません。貴方はどうやら本を読むのがお好きなようですし、レイヴンクローの一部の生徒には、専用図書館や研究棟が与えられます。わたくしが見る限り、貴方が望めばそんな生徒の一人になれるでしょう。教材以外にもたくさん購入するのならば、書店はもうしばらく後にした方がいいでしょうね。どのみち、銀行に行かなければお金もありませんし」

 

 それからマクゴナガル教授は雑踏をかきわけるようにずんずんと突き進んだ。ハティは途中、何度も大通りに面した魔法の店に気を取られ足をとめたが、そのたびにマクゴナガル教授がやんわりとハティの手をひくのであった。

 

「さっきの話の続きですけど……」

「寮のことですか?」

「いいえ、デス・ロードの話です。信奉者がまだ野放しになってるってどういうことですか? そもそも、ヴォルデモートが単なる殺人鬼じゃないってどういうことでしょうか。わたしは伯母さんの話を聞いた時、ジャック・ザ・リッパーみたいな正体不明の通り魔だと思ってたんです」

 マクゴナガル教授はハティの問いにしばらく押し黙っていた。しかし、ややあって口を開いた。「貴方のご両親について――貴方の伯母さんに話していないことは、いくつかあるのです。ヴォルデモート卿……名前を言ってはいけないあの人の登場は、魔法界の歴史に大きく関わる話ですから」

 それにしても、その核心部分を伯母に話していないのは不誠実だとハティは内心で憤慨した。

 母親の命を賭した魔法で守られている、という伯母の話はまるでおとぎ話を聞いているようで実感がない。そもそも、大量殺人鬼と言われてもハティにしてみれば話がひどく不透明に感じた。つまり――。

 

「きちんとした内容を伯母さんに伝えてくれないと、わたしも困ります。わたしは当事者なのに、無知なまま生きて行けってことですか?」

「アルバスが、貴方の伯母さまに貴方の養育と手紙を託した時、上手くいかないような予感はあったのですよ。いつか、貴方が真実を望む日がくると――きっと当事者である貴方以上に魔法界の者たちは知り尽くしています。信頼できぬ誰かに雑音を吹き込まれるくらいなら……貴方の聡明さを信じてわたくしが今話した方がいいでしょうね」

 そして彼女は、ヴォルデモート、デス・ロード、通称名前を言ってはいけないあの人の話をした。

 フランス語でヴォルデモート〈死の窃盗〉という名前は、ハティにしてみればお笑い種であった。死を超越できていないではないか、と普段ならば一笑にふしていただろうが、マクゴナガル教授の恐怖が滲んだ横顔を見るにつけ、その笑いは段々しぼんでいた。

 マクゴナガル教授は滔々と語った。

 

 

 かつて第二次世界大戦期。マグルが世界を巻き込んだ凄惨な戦争を行う中、魔法界でも一人の男が世界をひっくり返そうと欧米を席巻していた。ゲラート・クリンデルヴァルドーー後に魔法史史上、最悪の魔法使いとして名を残す男。グリンデルヴァルドはマグルと魔法使いの婚姻は、気高く尊い魔法使いの血に汚泥を混ぜる行為であると糾弾し魔法界からマグル生まれを排斥することを主張した。やがて、彼の主張はマグル生まれ排斥にとどまらず、ロンドンやパリやニューヨークの片隅で機密保持法に従いマグルたちから隠棲する魔法使いたちこそ、最も強力で高貴な種族として人類の頂点に立つべきであると持論を振り坂した。それは愚かな机上の空論にとどまらずに、第一次世界大戦後の疲弊した魔法使いたちに徐々に浸透していった。欧米を中心に、グリンデルヴァルドの主張を支持する信奉者たちが現れ、やがて彼は政界へ進出しマグルの民族浄化が現実味を帯び始めた。

 第二次世界大戦期には、彼の人気は絶頂に達した。愚かにも二度の世界大戦を引き起こし、化学兵器で殺し合いを始めたマグルへの反感が広がっていたからである。しかし、その裏で、グリンデルヴァルドは各地でテロ行為を繰り返し主張に反する者は容赦なく殲滅され多くの魔法使いが命を落とすこととなった。1945年、彼の終生の天敵であったアルバス・ダンブルドアとの決闘にてグリンデルヴァルドは敗北。同年、第二次世界大戦も終結。後年、幽閉されたグリンデルヴァルドは第二次世界大戦の勃発を裏で煽動していたのは自身である。と告白した。汚れたマグルの武器で、マグル同士で殺し合えばいい――彼の主張であった。

 

 

 グリンデルヴァルドの失脚後、ブリテン魔法界で頭角をあらわしたのがヴォルデモート卿である。ヴォルデモート卿はグリンデルヴァルドが欧州を席巻している間、ホグワーツ魔法魔術学校で隠然と影響力を発揮し、信奉者を着実に増やしていた。

 そして第二次世界大戦後、最もマグルへの反感感情が高まっていることに乗じて、純血主義を掲げて一気に勢力を伸ばしていった。世界をも滅ぼしかねない大量破壊兵器を懐に抱えるマグルへの恐れはやがて「マグルの血を混ぜるべきではない」という純血主義を掲げていた上流階級の魔法使いの嫌悪を助長させ、多くの有力な魔法使いたちが、ヴォルデモートに忠誠を誓った。後のデス・イーターである。

 

 デス・イーターはヴォルデモート卿の忠実な臣下であると同時に、斥候であり兇手であり騎士であった。中には狼人間や混血やマグル生まれといったマイノリティも存在したが、いずれもヴォルデモート卿が築いた死体の山をあさる飢えた獣であり、自分たちこそ新時代を築くと信じて疑わぬ無法者たちであった。事実、膨れ上がったヴォルデモート卿の勢力の中には裕福な旧家の者、政界の有力者、生粋の犯罪者が含まれており、ブリテンの社会を麻痺させ、反逆する魔法使い一族郎党を殺害しても彼らはのうのうと表社会で有力者として君臨した。

 

 反ヴォルデモート陣営は明らかに兵力と数で劣り、戦いは絶望的であった。レジスタンスの中にはハティの両親でありジェイムズ、リリー・ポッター夫妻を含む強力な魔法使いもいたが、多くのレジスタンスメンバーが殺害されターゲットはメンバーだけにとどまらずその家族にも及んだ。ヴォルデモート卿に反逆した、忠誠を誓うことを拒否した。たったそれだけで老若男女問わず、生まれたばかりの赤子まで一族全員殺害されるのが常であった。そうして、政治的に対立する魔法使いや有力な魔法使いの一族の多くはヴォルデモートと信奉者によって根絶やしにされた。

 いずれは魔法省も陥落しブリテン魔法界は完全にヴォルデモートの手の中に落ちると思われた。しかし、ハティの両親はヴォルデモートの勢力に一度としてひざを折ることはせず、杖を手に戦ったのだという。

 

 

「絶望的だったのに? 死んじゃうかもしれなかったのに?」

「ええ」

「それで、何が起こったんですか?」

 ハティは震える声で訊ねた。

 

「例のあの人は貴方たちが住んでいたゴドリック・ホロウ村へとやってきました。貴方たち一家は闇の陣営から隠棲していたはずでした――誰かが裏切ったのです。例のあの人自らジェイムズを殺し、リリーを殺したと聞きます。最後に貴方のベッドにきて、いつものように家族全員殺そうとしたのでしょう。死の呪いを貴方にかけましたが、貴方には効かなかった。死の呪いは純粋な憎悪によって効力を発揮し、魂を体から剥がす恐ろしい力。対抗呪文がなく、防ぐ方法は何一つとしてありません。なのに貴方は生き延びた。言いましたね? これまで死の呪いを受けて生き残ったのは、貴方だけだと。後に残ったのは例のあの人の燃え尽きた遺体と、瓦礫の中で泣きじゃくっていた赤ん坊の貴方だけです。そして暗黒時代は終わり、わたくしたちは恐怖から解放されました。貴方を″生き残った女の子”と呼び、魔法使いたちが握手したがるのはそのためです」

 ハティのエメラルドの瞳に涙が浮かんだ。視界が歪み、次々と頬を大粒の涙が伝った。ハティは擦り切れた袖でやりすぎなくらい頬を拭いながら、嗚咽した。両親のことをハティはほとんど知らない。顔すら知らない二人の壮絶な死を、悲しんでも意味がないのに。

 ハティはマクゴナガル教授のローブに顔を埋めて、しばらくの間肩を震わせた。顔をあげると、教授の目にうっすらと涙が浮かんでいるのを見て、悲しみの嵐は去っていった。

 マクゴナガル教授の話には引っかかる部分があったものの、違和感はすぐに消えて行った。

 

 

 ハティの涙が落ち着くと、二人は再び歩き出した。

「ここがグリンゴッツです」

 小さな店がひしめき合う中、その白い大理石の建物はダイアゴン横丁でひときわ高くそびえたっていた。磨き上げられたブロンズの扉の両脇には深紅と金色の制服を着た妖精らしきものが厳めしい顔で立っていた。 

 マクゴナガル教授いわく、グリンゴッツ銀行は一四〇〇年台に当時もっとも裕福なゴブリンであったグリンゴッツが開設した銀行であり、今では世界中に支店が存在するのだという。要するにロックフェラー一族みたいなものなのかもしれない。

 ハティは出入口を警備するゴブリンを見て、首をひねった。人型であるが、背丈は子どものハティほどしかない。肌は浅黒く、先のとがった顎髭からするに、成人していそうだ。驚嘆すべきは手の指と足の先が異様に長いことで、顔つきはどこか抜け目なさそうにみえた。

 

 妖精というより、オーク?

 

「彼らがゴブリンです」

「魔法使いではないのですか?」

「魔法使いとはまた違う種族です。古くは貴金属の加工を担っていましたが、銀行が開設し魔法界に貨幣制度が出来てからは魔法界の貨幣を鋳造し、経済を支配しているのです。覚えておいてください、ゴブリンは魔法使いと異なる文化と思考を持っているので我々の常識は通じないということを」

 白い石の階段を上りながら、マクゴナガルは小声で答えた。二人が入口に進むと、ゴブリンは慇懃にお辞儀をした。一つ目の入口を抜けると、二番目の扉が二人を出迎えた。今度は銀色で、なにやら物々しい文字が刻まれている。

 銀行の中は広大な白大理石のホールとなっていた。百人は超えるであろうゴブリンが、細長いカウンターの向こう側で脚の長い丸椅子に腰かけ、大粒のルースを吟味したり、コインの重さをはかったり、帳簿をつけたりしている。マクゴナガルはカウンター越しにゴブリンへと歩み寄った。

 そして、バッグの中を探り、迷いのない手つきでそれを取り出すと小さな黄金の鍵をゴブリンへと渡した。

 

「ごきげんよう。ハリエット・ポッターの口座に行きたいのです。こちらが鍵です」

「たしかに、マスター・ポッターの鍵ですね。金庫へご案内します。グリップフック!」

 まもなくグリップフックと呼ばれたゴブリンがやってきた。二人は彼に案内され、ホールを出た。ホールを出ると、そこには松明に照らされた狭い石造りの通路が広がっていた。急な斜面が地下へと続き、床には小さな線路がかかっていた。まるで、ファンタジー小説に出てくる地下ダンジョンだ。

 

「ロンドンの地下に魔法使いの金庫があったなんて!」

「地下へ行くほど古く、貴重な金庫になっております」

「そうなんだ」

 グリップフックの説明に相槌を打ちつつ、グリップフックが運んできたトロッコに乗り込んだ。

 三人はトロッコに乗って道路の中をひた走った。最初こそハティは道順を覚えようとしていたが、まるでジェットコースターのように目まぐるしく景色が通り過ぎるものだからハティは途中で諦めた。広大な地下迷路の中をいくトロッコは、まるで遊園地のアトラクションのようで楽しく、ハティは歓声をあげた。

「楽しい! ねえ、ここってドラゴンとか出て来そうね!」

「侵入者のトラップの一つにドラゴンを配置しております」

「マジで?」

 グリップフックの返答に興奮がとまらなかった。

「私もドラゴンがみたい!」

「このグリンゴッツでドラゴンを目撃する者は、金庫破りと相場が決まっています。縁起でもありませんよ、ハリエット」

「ダンジョンみたいなのに、金庫破りなんて実在するんですか? みんなここにお金を預けるから?」

「黄金だけではありませんよ。貴金属やこれ以外の品も金庫でお預かりしております」

 とグリップハック。

 

「黄金って?」

「ガリオン金貨、シックル銀貨、クヌート銅貨と貨幣があるのです。ガリオンは純金でできていますから、黄金と呼ぶのです」

 ぐるっとトロッコが角をまわる。ハティは金庫までの道中、脳内で情報を咀嚼していた。

 しばらくしてトロッコの速度が落ち始め、ギシギシと軋んだ音が少しずつ静かになる。最後の分かれ道へと入ると、トロッコはゆっくりと坂をくだり、比較的小さいが重厚な金属の門の前で停止した。グリップフックは軽やかにトロッコから飛び降り、扉の前まで歩いていき鍵をそこにいれた。同じくしてマクゴナガル教授はハティの小さな黄金の鍵を鍵穴に差し込んで、まわした。やがてガタン、と重い金属音がして扉は開いた。

 

 

「ハリエット、中へ」

「あ、はい」

 ハティが中に入ると、そこは扉が小さいわりに広々とした大理石の部屋が広がっていた。ハティは口をポカンと開けて、呆然とした。

 一室丸々使った金庫の中に、光り輝く金庫の山が幾つも連なる姿は、まるで古い遺跡に隠された宝物庫を思わせる。インディ・ジョーンズの宝の間みたい、とハティは一人呟いた。あるのはガリオン銀貨の山だけではない。シックル銀貨、クヌート銅貨までうず高く積まれている。

 金庫内にはキャビネットもあり、中には紫色の天鵞絨の台座があった。上には恭しくこぶし大のルビーや、エメラルド、サファイア、パリュールなどがおさめられている。

「どうしてこんなに宝石と黄金が沢山あるんですか。両親は高給な仕事についていたんですか」

「いいえ、ジェイムズとリリーはレジスタンスで忙しく無職でしたよ。これは代々のポッター家の遺産でしょうね。ジェイムズのお父さまは魔法薬の事業で成功していましたし、ポッター家の祖先の中には著名は魔法薬学者がいて未だに特許料が振り込まれているのだとわたくしはダンブルドアからうかがいました」

 かつて事業に成功した一族の金庫にしては、王侯貴族のように華美で歴史を感じさせる意匠であったが、まるで作られたばかりのようにピカピカと輝いていた。

 

「ダイアモンドと真珠とラブラドライト、地金はホワイトゴールド。ビルマ産ルビーとダイアモンド、地金はプラチナ。エメラルドとダイアモンド、地金はホワイトゴールド。アクアマリンーーいずれのパリュールもゴブリン製と見ましたが?」

 気が付くとグリップフックが隣に佇んでおり、キャビネット内の宝飾品を陰険な目つきで睨みつけていた。

「そして、魔法使いが買い取ったものです」

 氷のように冷ややかな声が金庫内に響き渡った。

 振り向くと厳しい顔つきのマクゴナガル教授が壁に寄りかかり、鋭い眼光でグリップフックを射貫いていた。「ハリエット・ポッターの金庫ですよ。行員が入る権利はありません」

「失礼しました」

 グリップフックは恭しく頭を垂れて金庫内から去っていったが、ハティは無性に心配になった。

 金庫に収められているということは資産価値があることから、預けられていたということである。グリップフックとマクゴナガル教授のやり取りを見る限りでは、このまま金庫に保管していればゴブリンに盗まれやしないかと一抹の不安が胸を過った。

「このキャビネット、大丈夫でしょうか? 古くないですか?」

「見たところ、強力な魔法がかけられていますから問題ありませんよ」

 そう言って、マクゴナガル教授は金庫内に入ってくるとキャビネットの取っ手に触れた。刹那、バチバチッと何かがはじける音とともにマクゴナガル教授の手は弾かれた。ほらね、と言わんばかりのマクゴナガル教授の視線にため息をついたハティは、ふと宝飾類の片隅に木製の精緻な彫刻が施された本が収められているのを発見した。

 

「これなんでしょうか……財産目録か何かでしょうか?」

「さあ……何かしらね」

「開けてみますね」

 おもむろにキャビネットから取り出し、本を開こうと背表紙に触れると本は一人でに開いた。驚いて床に落としたハティとじゃグリッドの目の前で地図のように大きく開かれた本の紙面からは、まるで地面から急成長するかのように木がぐんぐんと伸びだした。ひとつひとつの枝葉には人名と男性、あるいは女性の絵が描かれている。

 

「なに、これ…」

「ファミリーツリーですね」

「ファミリーツリー?」

「マグルでいう家系図です。歴史ある魔法族の家には、ファミリーツリーを残す文化があるのですよ」

 確かにマクゴナガル教授が言った通り、人名にはそれぞれポッターの名前が記されている。リンフレッド、イオランテ・ペベレルーーハティは自分のセカンドネームだと気付いた。遠い先祖の名前からとられていたのだ――ハードウィン・ポッター……エイブラハム・ポッター、ヘンリー・ポッター、ユーフェミア・フォウリー、フリーモント・ポッター、そしてジェームズ・ポッターとリリー・エヴァンズ。最後の枝葉にはハリエット・ポッターの名と絵が花開いた。

 ハティとともにファミリーツリーを眺めていたマクゴナガルは、根本にほど近い位置にあらわれた名を凝視し「ペベレル!」と思わずと言った様子で叫んだ。

 

「ペベレルがどうかしました?」

「いえ、見知った名前が出てきたものですから。ポッター家が古い家柄であることを失念していました」

「この家系図、十二世紀まで遡れるんですね――家系図が残っててよかったです。ずっと、おじいさんとおばあさんの名前すら知らずに生きていくかと思ってました」

 私の祖父母はユーフェミアとフリーモントという名前だったのか。

 マクゴナガル教授はハティの言葉に重々しく頷いた。

 ハティは感慨深く思いながら、ファミリーツリーをキャビネットの中に戻した。

「どれくらい持っていたら、足りるでしょうか……グリップフック、ガリオンは純金と聞きましたが各硬貨の純度は何パーセントですか?」

「は? 我々、英国グリンゴッツの行員をお疑いですか、マスター・ポッター?」

 憤りを孕んだ声がしきいの奥から帰ってきた。

「貴方たちの仕事について疑ったのではありません。魔法界の通貨について知りたかったんです。ガリオン金貨は金の含有量がくらいなのか、マグルの紙幣に価値を直すといくらなのか」

「勿論、貨幣は全て純度百パーセントですよ。全ての硬貨は我々が鋳造していますから、マグルの紙はゴブリン製の貨幣ほど価値がありませんよ」

 

 

 は? 純金100%ってやばくね? 地球上の黄金が全部魔法界に流れてるってこと?

 

 

「すごい! 宝の山だ! リアルインディジョーンズだ!」

「ポッター?」

 案内役のゴブリンでさえ、ハティの金庫にある宝飾品を一目でゴブリン製と見抜いたのだ。勿論、硬貨を偽造しようものならばゴブリンの目はごまかせないだろう。おまけにマグル社会では不動の資産価値を持つ純金がそのまま貨幣に鋳造されているのだから、マグルの紙幣がガリオンの資産価値に及ばないのは道理である。逆に考えれば、地金が貨幣としての価値を持つというならばマグル社会から銀を持ち込み、ガリオン金貨に変え、ガリオン金貨をマグル社会に持ち出し、その金で多くの銀を買い、ガリオン金貨に変え――と永久機関が成立するのだ。

 

「たとえば、わたしが大量の銀や銅を持ち込んだとします。そうしたら、大量のシックルとクヌートを鋳造してもらえるのですか? 宝石でティアラを鋳造したように」

「可能ですよ。手数料をちょうだいしますがね、マスター・ポッター」

 ゴブリンは抜け目ない目で探るようにハティを見た。「ですが、どこに大量の純銀が? 確かに時々おられますよ。オカミーの純銀の卵を持参し、シックルに変えられる御方が」

「密猟者ではありませんか!」

 マクゴナガル教授が軽蔑しきったような声をあげた。

「いいえ。正規でオカミーを飼育されている方ですよ」

「オカミーってなんですか?」

「鳥型の魔法動物です」

「銀の卵を産む鳥だとぉ!?」

 魔法動物の卵は純銀で出来ているのか。

 ハティは魔法界の貨幣制度以上の衝撃を受けた。「将来、オカミーのブリーダーになろうかな。卵持ってきたら、永久機関の完成じゃん。金の卵を産む鶏もいますか?」

「ポッター!」

 

 

 ひとまずのところ、魔法界の経済考察を辞めてハティはマクゴナガル教授に振り向いた。

 

「教授、お聞きしたのですが。わたしの両親は二十一歳で亡くなったと伯母が申してましたが、二十代の夫婦がこれくらいのお金を金貨に抱えているのは魔法界では一般的なのでしょうか?」

 華美な宝飾類がおさめられている時点で、答えは明白であった。

 教授は頭を振った。「以前も申し上げましたが、ジェイムズは旧家の跡取りでした。これだけの資産を持つ家は、魔法界でもそうそうありません。そしてジェイムズの両親は貴方が生まれる前に亡くなってますから、この口座自体がポッター家の総資産ということになります」

 確かに、家系樹を見る限り存命するポッター家の人間はハティ一人で血統が先細っていたのがわかる。ポッター家はハティが女なので、ハティの代で途絶えることになるだろう。

 

「なるほど。じゃあ、わたしがちゃらんぽらんな生活をしていたら、一族が築いてきた資産を食いつぶしかねないってことですね」

「貴方が分別のある考えができる魔女で安心しましたよ、ハリエット」

「今後、魔法界で生活することを考えると経済危機に備えてマグルの紙幣も持っておいた方がいいですか? それとも、魔法界だけで生活は完結しますか?」

「完結しますよ。生まれによっては、一生マグルと関わりなく生活する魔女や魔法使いもいますから。ただしハリエット、貴方がマグル界と何らかの接触が必要な職に就いた場合は必要となるでしょう。堅実に勉強に励むことをおすすめします」

 ケースバイケースということである。

 満足そうなマクゴナガル教授とは正反対に、ハティは嘆息した。

 目測で総資産がいかほどか分からないが、少なくともこの金貨の山を子孫に継承できるように定職につく必要があるだろう。今まで通り、今度は魔法の勉強を頑張らなければならないということである。

 

 ハティは困惑顔でマクゴナガル教授に助けを求めた。

「いまいち魔法界のお金の相場がわかりません。どれくらい持っていったらいいですか」

「一ガリオンは今のレートで五ポンドにあたります。まず杖が五十七ガリオンですから――」

 

 魔法の杖が五万円? 意外と安いな、とハティは思った。iPhoneの三分の一くらいだと考えると魔法界はさほどインフレーションが進んでるわけではないようだ。

 ハティは滔々としたマクゴナガル教授の回答に耳を傾け、ふんふん頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

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